移植ごてと柄の付いたフルイ [写真]

20210701_160154.jpg

移植ごてと柄の付いたフルイ。
彩度低くまとまっているところと モチーフの使い込まれた感に惹かれ、切り取り方に心を砕きつつ、スマホを向けやした。
加工は、よりアナログな鈍い雰囲気を強めたいと ヴィンテージ加工を施しやした。
何気ない写真でやすが、成立したので、ここに公開しやす。

今は、ガーデニング好きの方は、せっせと忙しい時節でやすね。
国立の家に住んでた頃、あっしは不精なのでほとんど何もしないで、どうしようもない状態になったら、庭師さんを呼んで綺麗にして頂いてやした。
ある時、お茶を出したタイミングで、「庭師さんのお仕事って、一番大変なのはどんなとこですか?」と尋ねたら、「そうだねぇ、冬場に土を掘ってて 冬眠してる蛙さんをザックリ真っ二つにしちゃった時は、落ち込むねぇ。 なんまいだあって手を合わせて、また仕事を続けるんだよ」と苦笑されてやした。
おぉ、それは悲しいよなあ、と思いつつ、「よろしかったらお煎餅もどうぞ」と盆を勧めやした。


nice!(227)  コメント(48) 
共通テーマ:映画

シナリオを習っていた時の話し [映画・演劇雑記]

20220409_141813.jpg

私は、映画・演劇を様々な観点から勉強し、その方面の造詣を深めたいと思っているので、シナリオ作法の勉強もしてきました。
20年前に 某演劇研究所に入所する少し前、ちょっと通所できる状況になかったので、通信で、某シナリオ研究所で9ヶ月間学び、面談に通える時だけ通い、その間は、週6で1日12時間自主勉強していました。

私が何故、そのシナリオ研究所を選んだかというと、「全てのジャンルをお教えします。 プロを目指す人から趣味として楽しみたい人まで大歓迎!」という謳い文句があったからでした。
私はあくまで アマチュアの趣味として、当時 唯一好きなジャンルだったアート・実験系のシナリオの書き方を知りたくて応募しました。

ところが?!
最初の私のシナリオ作品の先生の添削に、「凝りに凝り過ぎた映像表現で、訳が解らず混乱するばかりです」とありました。
私は、「アート・実験系のシナリオを書いたのだから、映像に凝るのは当然なのになぁ」と理不尽さを感じ、さっそく面談を希望しました。

面談が始まるや、私が「アート・実験系のシナリオを書いたんです」と言うと、先生は、「アートジッケ、、、??? そんなジャンルはありませんっ!!」とヒステリックに否定されました。
どうやら先生は、映画のジャンルに アート・実験系というジャンルがある事を ご存知なかったようでした。
そして先生のお話しを聞いていると、そこの研究所で教えているのは、商業の劇映画だけだという事が判りました。
私は内心、「それならどうして、募集の謳い文句に『全てのジャンルをお教えします』なんてウソを提示するのだろう?!」と 理不尽な気持ちでいっぱいになりました。
けれど、決して安くはない授業料は最初に全額払いだったので、元を取らなければ損!何としても元を取ってやるぞ!と 全く興味のない商業の劇映画のシナリオを書く事にしました。

自分が書きたかったアーティスティックさをゼロにして、ありていの映画のようなシナリオを書いて行ったら、「シナリオというものが解りましたね。 アナタ、是非、城戸賞に応募しなさい!」と強く薦められました。
城戸賞というのは、自分の人生経験を元に起こした商業の劇映画の プロの脚本家の登竜門の賞なのです。
私は、「プロフィールに、『アマチュアの趣味として学びたいです』と書いたのになぁ」と ここでも理不尽な気持ちになりました。

20220409_141813.jpg
けれどーーー
私はそのシナリオ研究所で学んだ9ヶ月間は、決してムダだったとは思っていません。
それまでどういう観方をすれば良いのかかいもく解らなかった商業の劇映画の観方というものが解ったからです。

具体的に例を挙げるとーーー
私はそれまで「親が死んで悲しんでいる」という展開に、何故、何の説明もなく「親が死ぬと悲しい」という感情が出てくるのかが謎でした。
親が死んで悲しい人もいれば、嬉しい人もいるじゃないか、それは個人個人違うじゃないか、どうしてそこを説明する件りがないのだろう?ーーーと。
それが、先生のシナリオ作法の教え、つまり商業の劇映画では、世の中の多数派の人達の立ち位置に立って、世の中の多数派の人が疑問に思わない事は説明しなくて良く、世の中の少数派の人の感情や行動には説明が必要 という事でした。
私は、「あっ!そういう理屈なのか! 商業の劇映画というのは、多数派大前提で書くもの・書かれているものなのか!」と大きく気づかされました。

それからは、自分で 大衆ウケするシナリオを書く事もスラスラとできるようになりましたし、自分が観客として映画を観る時にも、「あぁ、これは多数派の人の話しだから、私にはその感情は理解はできないけれど、そういうものなのだ」と 理論的に理解ができるようになりました。

又、私が最初に書いて行ったアート・実験系のシナリオが何故、映像が凝り過ぎているためにダメだと言われたかというと、商業の劇映画のシナリオ(先生の仰るにはシナリオというもの)は、日本の端っこに住んでいる漁村のおじいさんが観ても解るように書かなければならないのがお約束 なのだという事も知りました。

よって 以来、私は商業の劇映画を観ても、その中に面白さや魅力を見い出せ 楽しめるようになり、観たい映画作品の数、前のめりに観られた映画作品の数がどっと増え、私の中で、映画の造詣の幅が、ぐぐっと広がりました。

20220409_141813.jpg

nice!(225)  コメント(55) 
共通テーマ:映画

赤い落書きの建物 [写真]

20220407_150315.jpg

独特の字体の落書きのなされた古い建物。
これがゲリラで書かれた落書きだとしたら 無論宜しからざる行為ではありやすが、こうやって落書き部分を主役に 左右対称になる構図で切り取ったら バッチリ成立したので、作品として公開することにしやす。
そのままでバッチリだったので、加工は何もしてやせん。
撮影場所は、中野北口のごちゃごちゃした飲み屋街の一角でやす。

中野駅周辺も、少しづつ再開発がすすみつつありやすね。
そして、通称・サンドイッチビルと親しまれた中野のランドマーク的存在 中野サンプラザも、近い将来 取り壊されてしまうのだとか。

みなさんは、中野サンプラザの中に入ったことがありやすか?
あっしは一度だけありやす。
何年か前に、その頃大好きだったボウディーズという 60年代のロックンロールのカバーや60年代ロックンロール調のオリジナルを演るバンドのライブを聴きに。
勿論、60年代の古着でキメて。
あの時すでに、サンプラザは取り壊されるという話しは聞いていたので、「あぁ、取り壊される前に来られて、よい記念になったな」と思いながら、ライブを楽しみやした。

中野在住の人に聞いたところ、サンプラザが無くなった後は、複合施設が出来るのだとか、、、


nice!(227)  コメント(50) 
共通テーマ:映画

「ようりょうの良さ」を「不正」のように言う人 [画家時代]

20210512_150015.jpg

少し前に、「私は、裏口 不正 縁故を嫌悪します」という内容の記事を書いたのですが、今日は、ようりょうの良さを あたかも不正の如くに言った人がいたので、その顛末について、持論を述べさせていただきたく思います。

ある時、一作も絵が売れたことがない「画家」だと名乗る人に、「金を稼ぐ画家っていうのは、ずる賢いんだよね」と、あたかも 絵が売れることが不正であるかの如き言い方と表情を向けられたことがありました。
長くこのブログを読んでくださっている方はご存知のように、私は、18才から26才まで、母親を養うために画家をやって、月々30万稼いでいました。
なので私はムカッ!として、「ずる賢いって何ですかっ?!どこが『ずる』なんですかっ?! 理由を説明してくださいっ!!!」と詰め寄ると、その人は、「あー、はいはいはいはいはいはいーーーっ、アナタの生き方は否定はしませんよーっ、じゃっ」と、ほうほうのていといった様で去ってゆきました。
それを「ずる」だと私を論破出来る正論を 何一つとして持っていなく、単なる感情論、ハッキリ言ってしまうと 負け犬の遠吠え だったからです。

プロの、つまり月々安定した収入を得られる画家になるには、画力が高いだけでは、まずなれません。
そこに ようりょうの良さ 計算高さ 的を見抜き射られる能力が必要となります。

20210512_150109.jpg
具体的にいうとーーー
日本はブランド志向の国ですから、「優秀な画歴」がないと画商がついてくれませんし、お客さんも、それ相当の値を出して買いたいと思ってはくれません。
ですから、優秀な画歴を作るには、名のある美術団体で大賞やそれに準ずる賞を幾つも取るのです。
名のある美術団体で賞を取るには、そこの美術団体の審査員(特に審査員長である会長)好みの画風を描かねば、大賞・それに準ずる賞は取れません。
そこを狙って描くのです。 その的がどこにあるのかを見極め ウケる画風を技術を駆使して描くのです。
そして、美術団体は、団体ごとに「良い」とされている画風がそれぞれ違います。
Aという団体で大賞を取れる画風の作品が、Bという団体では落選したりします。
よって、A団体に出品するにはA団体にウケる作品を、B団体に出品するにはB団体にウケる作品を見極め、描き分けられるようりょうが必要となります。
又、小さな美術団体でいくら大賞を取ろうが、それはたいした画歴になりませんから、時間のムダ と判断するのが賢明です。

20210512_150109.jpg
もう一つはーーー
美術団体で賞を取れる画風と客ウケする画風というのも、又違ってくるので、お客さんに売る用には、客ウケする画風も描けなければ、安定した生活収入は得られない ということです。
画商はたいてい、何十人か顧客を抱えていますから、その顧客ウケする画風を狙って描くのです。
美術作品の顧客というのは、必ずしも美術を見る眼に長けているとは限らないので、注文をしてくる顧客顧客それぞれの好みに合った モチーフや色使いや構図を把握して、クオリティの高さよりも 如何に好みにバッチリ合っているかを狙って描けなければなりません。

そして個展の時には、画商を介して顧客や新規のお客さんと話しをする訳ですが、その時に、「お客さんが思い描いている画家像」の演技ができなければなりません。
お客さんというのは美術畑の人ではないので、たいてい、「絵描きさんというのは、朴訥で話し下手で、純粋に好きな方向性の絵だけを無心に描いている」と思っていらっしゃいます。
饒舌でロックを聴きながら描いている、などというのは、お客さんの画家への夢を壊すことになります。
ましてや、「安定した生活収入を得るために、売れ線を狙って描いています」などという金銭面の話しは、口が裂けても言ってはなりません。

以上のことができなければ、安定した生活収入の得られるプロの画家にはなれません。
ーーーまあ、稀に、奇跡的な確率で、自分の描きたいものと賞ウケ客ウケ 人となりが一致する画家もいるでしょうが。
20210512_150109.jpg

これらのことをやるのは、果たして「ずる」でしょうか?
「ようりょうが良い」ということではないでしょうか?
言い換えると、「画家の実力」というのは「画力」だけでなく、ようりょうの良さも大きな実力の要素であって、「画力」は、実力の一部だと思うのです。

ですから、前述の、絵が売れることをあたかも不正であるかの如くに吐いた自称画家は、「画力」は持っているのかも知れませんが、「ようりょうの良さ」という部分の実力を持ち合わせていないのです。

私は決して、自分が売れていたからといって、「ようりょうの良さ」を持ち合わせていない自称画家を見下すつもりはありません。
好きな画風の絵だけを描いて、生活収入は他で得てゆく、、、それはそれで、恥ずことなき一つの人生ではないでしょうか?
だからといって、売れた画家を「ずる賢い」と 歪曲させた解釈で己れのアイデンティティを保守するのは、お門違いというものだと、不快さを覚えずにはおられません。

20210512_150015.jpg

nice!(230)  コメント(51) 
共通テーマ:映画

カゴに入れられた二色の玉ねぎ [写真]

20220319_122313.jpg

近所のレストランの店頭で見つけた 二色の玉ねぎの入れられたカゴ。
玉ねぎ二色の色合いと カゴが傾いでいて玉ねぎが寄っているこの無造作感に惹かれ、思わずスマホを向けやした。
加工は、ほんの少し影が濃くなるようなレトロ加工をしやした。
特別変わった写真ではありやせんが、成立したので、ここに公開しやす。

玉ねぎ、、、万能野菜でやすよね。
日持ちはするし、脇役にも主役の料理にもなるし。
主役の料理だと、オニオンリング オニオンスライス 串焼き などがありやすね。
あっしは中でも、あまり水にさらし過ぎない ピリリとしたオニオンスライスが好きでやす。
鰹節を乗せて、ポン酢とごま油とマヨネーズでいただくの。
みなさんは、どんな玉ねぎ料理がお好きでやすか?


nice!(231)  コメント(61) 
共通テーマ:映画

第3回第4回の演技のレッスンを受けて [リポート]

20220405_134738.jpg

今日は、2月の末から受け始めた演技のレッスンの、第3回(3月28日)第4回(4月4日)のリポート&感想を書かせて頂きます。

先ず、第3回「ハムレット」。

前半のレッスンでは、「助詞」が台詞に於いて如何に大切か、という事を学びました。
助詞というのは、無論 強く前に出てはいけないのだけれど、ただそれだけではなく、弱く小さくありつつも 大切に感情を込めて、つまり 助詞で以て感情が如何に伝わるか が違ってくる、という事でした。
ほんとうに巧い役者さんというのは、助詞の使い方のテクニックに非常に長けているそうです。
私が過去に通っていた演技の研究所と朗読の研究所では、いずれも「助詞は強く言い過ぎなければそれでいいです」としか指導されていなかったので、目からウロコでした。
これからは先生のご指導通り、助詞をおざなりにしない様、気をつけて台詞を読んでゆこう! と思いました。
でも、頭では理解できても行うは難しで、出来るかどうか、、、

メインレッスンは「ハムレット」の部分戯曲で、ハムレット作品中最も有名な、「このままでいいのか、いけないのか〜尼寺へ行け!」までを勉強しました。
中、私がダメ出しをされたのは、「台詞中に言葉頭で韻を踏んでいる箇所があるので、そこを韻を踏んでいる事を意識しつつ 観客に心地良く聞かせるように」と、あと、滑舌が悪い事でした。

滑舌の悪さは子供の頃からの強いコンプレックスで、高校生の頃までは、日常生活で、ニ、三度聞き返されてやっと私が何を言っているのか聞き取ってもらえ、毎日 頬の内側と舌を噛んでしまい、いつも口の中が傷だらけになって 血が滲んでいたほどでした。

けれど以前にいた研究所二ヶ所では、ただの一度も滑舌の悪さを指摘された事がなくて、「こんなにこんなにこんなに滑舌が悪いのに、なんで注意されないのだろう???」と 不思議でなりませんでした。
ですから、滑舌の悪さ改善の方法論を乞うきっかけが何も掴めませんでした。

で、今回の先生は、母音と子音の舌の位置まで細かく分析し 教えてくださる先生なので、近いうちに絶対にこの点を注意されるに違いない と予測していたら、あんのじょう、注意されました。
私が、「昔から自覚はあるのですが、改善の方法論が解りません」と言うと、「アナウンサーのように感情抜きで読む練習をすると良いですよ」とアドバイス頂いたので、毎日 アナウンサー読みを自主練する事にしました。
滑舌の悪さは長年の強いコンプレックスであるだけに、時間はかかるかも知れませんが、何としても直したい 自分の中の課題です。

20220405_134738.jpg

次に、第4回「ロミオとジュリエット2」。

前半は、「振り返る」レッスンでした。
街で見知らぬ人に突然声を掛けられて「はい?」と振り返る。
この振り返り方にも、クビや腕や足、身体全体の動かし方やテンポなどの細かい計算が必要なのを知りました。
あぁ、役者さんというのは、こういう何気ない動き一つにも、細心の意識を込めて演技をされているのだなあと、驚きました。

私はアマチュア映画評論家として、ブログにしばしば映画評(感想文)を綴っていますが、これまでは 劇映画であっても、監督 脚本 編集 キャメラの目線からばかり評を書いていて、役者さんの演技については一つもふれない、主役の役者さんの名前すら出さない評論が殆どだったので、これからは もっと役者さんの演技に注目して、演技についても書いてゆかなければ役者さんに失礼だな、と思わずにおれませんでした。

メインのレッスンは、第1回の「ロミオとジュリエット」でやらなかった部分で、今回は誰もが知る バルコニーでの密会の場でした。
私がダメ出しされたのは、ロミオの台詞のワンセンテンスの中に「傷」という語が二つ出てくる所の「傷」を、韻を踏む様に という事と、ロミオの台詞とジュリエットの長台詞で、心情的にテンションが上がってくる件りで「慌てないで!」と注意されました。
あぁ、登場人物の心情がテンションが上がっても、そんなに早く読んではいけないんだな、これからは気をつけよう!と心しました。

又、「ハムレット」の日に先生にアナウンサー読みをすすめられたので、「この一週間、毎日 必死にアナウンサー読みをしました」と言ったら、「そんなにやらなくていいですよ、週一回くらいで」というお答えが返ってきたので、週一のペースでアナウンサー読みの自主練をする事にしました。
「ロミオとジュリエット」の部分戯曲も、テキストが送られてきて当日まで4日間あったので、3日間をアナウンサー読みに費やして、4日目の1日だけを感情を込めた自主練をしたのですが、次回からはテキスト戯曲も、アナウンサー読みは最初の1日だけでいいのかな?と思いました。

私はこのレッスンに通っていると、中学生に戻れた気持ちになります。
というのは、中学一年で衣裳係りだけをやりたくて入った演劇部で、高校生の先輩(中高一貫の学校だったので)に、演技の基礎レッスンは部員全員がやる事を強いられ、コーチを呼ばずに先輩が後輩を指導する形を取っていたのですが、「先輩達って、演技の事何も知らないで、間違った事ばかり教えてるんじゃないか???」という疑問を常に抱えていて、プロのコーチに正しいメソッドをビシビシ指導して頂けたらどんなに気持ちがスッキリするだろう!と思い続けていたからです。
その 中学一年からの夢が、ようやっと今、こういう形で叶ったのです。

私の人生は、前半、マイナスばかりでしたが、後半になって自由を獲得できた為に、一つ また一つと、何十年もかけて、人生前半の取り戻しをしてきています。
それが今、私が生きている目標です。
そして、あれもこれも、もうおおかた、取り戻しが出来ました。
こうして、納得出来る先生に演技のレッスンを受けられる事が、人生 最後の取り戻しになっています。
20220405_134738.jpg

nice!(231)  コメント(47) 
共通テーマ:映画

ステッカーと落書きの赤い外壁 [写真]

DSC_5263.JPG

白地に黒文字のステッカーと落書きのなされた赤い外壁。
ゲリラで貼ったり書いたりするのは宜しからぬ事ではありやすが、こうやって切り取ったら画としてキマったので、写真作品の一つとしてアップしやす。
ここのところ中間色の写真作品が続いていたので、このあたりで原色のパッ!とした写真を挙げたいなと思っていたのもあるので、、、

ところで、ステッカーとよく似たものにシールがありやすね。
30才くらいの時に、街なかで1枚売りのシール専門店を見つけやして、で、偶然にも あっし好みのアンティークなモチーフのシールがいっぱいありやして、シールだから幾ら買っても値段なんてたかが知れてるだろうとの予測の元 好きなだけカゴに入れてレジに行ったら、なんと!合計金額が6000円くらいでやした。
全部 欲しいデザインのシールだったので後悔はしなかったのでやすが、正直「シールで6000円はお安くないなあ」と思いやした。
近年だと、100均であれこれカゴに入れて 2万円くらい買ってしまう人と同じかも知れやせん。
みなさんもお気をつけを、、、



nice!(225)  コメント(50) 
共通テーマ:映画

演技のレッスンの後は、カフェ・ヤミーで! [喫茶店・レストラン・カフェ]

少し前の記事をご覧になった方々は すでにお解りのことと思いますが、私・ぼんほち、2月の下旬から演技のレッスンに通っておりまして、マンボウが明けてからは、帰路途中に 高円寺の馴染みの音楽カフェ・ヤミーに立ち寄り、夕飯を摂り 美味しいビールをいただくことにしています。
ヤミーは人気店で、貸し切りや満席になる日もしばしばあるので、マスターに「レッスン終わって来る時は電話してね」と言われたので、スタジオを出たら 電話をして席をリザーブしていただいてます。

レッスンは4時間と決して短くはなく、又、食事直後は、血液が消化器官に集中してしまい、ただでさえ良くない滑舌が最悪になってしまうため、少々小腹が空いた状態でスタジオ入りするので、終了後は非常に空腹になっているのです。
それから、その日のレッスンの模様を高揚した気持ちで誰かに聞いてもらいたい!というのもあり、マスターもママさんも、お忙しい中 耳を傾けてくださるので、とてもスッキリできます。

ヤミーとは、オープン2週間目からの7年以上のお付き合いで、レコードやCDをいただいたり、オフ会会場に使わせていただいたり、クレジットカード払いでしか買えないブルースライブのチケットを代行で買っていただいたり、親友が急病になった時に救急車を呼んでいただいたりと、山のようにお世話になっています。

これらの理由から、レッスンが終わってからの夕飯&飲みはヤミーで!は、私の中で定番のコースとなりつつあります。

先日、食べ切れないほどフードメニューを頼んでしまったら、快く こんなに綺麗にお土産にしてくださいました。
豚の三枚肉を塩とハーブで味付けした 洒落た一品です。
翌日の気の利いた酒の肴になりました。

マスターもママさんも、ありがとう! これからもよろしくね!

尚、第3回第4回のレッスンのリポートは、4月13日に公開する予定です。

20220329_142505.jpg

nice!(221)  コメント(51) 
共通テーマ:映画

工事現場のバケツ [写真]

20220312_195028.jpg

晴天下の工事現場のバケツ。
バケツが入れられている四角い枠の縁やバケツの塗装が剥げていない部分のブルーと補色にするために、泥の着いている部分を赤茶色に加工しやした。
補色同士の二色の対比と陽と影のめりはりを愉しんでいただけたら、、、と思いやす。

工事現場、写真のモチーフの宝庫なんでやすよねぇ。
今回のように、作業員さんがいない日で道沿いにある物なら こうやって撮れるのでやすが、敷地の奥の方にあって、作業員さんが働いていらっしゃる近くに「ああっ!これ、間違いなく最高のモチーフになるのになあ」と思いつつ諦める事って、すごく多いでやす。
工事途中で作業員さんが全員お休みの日に、撮影会とか開いていただけたらどんなに嬉しかろう!と常に思ってやす。
でも、現実には無理でやしょうね。
何故なら危ないから。
鉄板で指を切ったり ブロックや壁片の落下に当たってしまったり 穴に落ちたりするカメラマンが続出すると思われるので。



nice!(223)  コメント(43) 
共通テーマ:映画

「不正・裏口・縁故は必要だ!」と言う人 [独り言]

私は人生に於いて、「不正・裏口・縁故」を使って世の中渡ってゆく事は絶対にしたくない人間で、事実、それらを何一つとして利用せずに、これまでの人生を歩んできた。
そしてこれからも変わらずに、それらに頼らずに生きてゆこうと固く決意している。
何故なら、何事も「私の実力だけ」で判断してほしいからだ。

私は長年、私と同じに考える人が、世の中の99.99%だと、漠然と信じてきた。
しかし、先日話しをした40才くらいの男性は、こう吐いていた。
「不正・裏口・縁故はあるべきだっ!」と。
私が余りの驚きに、「何故、そう考えるのですか?」と問うと、「俺、実力ねーし、かといって努力なんかしたくねーし、だから、そーいうもんの力を使って楽に生きていきたいわけよ」

私はその男性のことを以前から好意に思っていなかったが、この発言によって、徹底的に軽蔑しない訳にはゆかなかった。
世間で実際に、こんなさもしい思考者と出逢ってしまうとは、、、

私は自分がそうだからという理由から漠然と思い込んでいた訳だが、案外「不正・裏口・縁故」を嫌悪する人間というのは、意外と少ないのだろうか?
この記事をお読みのみなさんは、どうお考えであろうか?

20210819_191541.jpg

タグ:不正 裏口 縁故
nice!(236)  コメント(69) 
共通テーマ:映画