歯医者にまつわる思い出 [独り言]

私は小学生の時まで、歯ブラシと歯磨きのチューブと歯磨きをする行為を、全て「ハミガキ」と呼ぶのだと思い込んでいました。

三年生か四年生のある時ーーー
虫歯の治療に、近所の歯医者さんに行きました。
治療が終わるや、女医の先生は優しく、「ぼんぼちちゃん、次は、ハミガキ云々、、、」と仰いました。
私は物心ついた頃からストレス性の難聴だったので、ハミガキまでは聞き取れたのですが、その後が全く聞き取れませんでした。
内向的な子供だったので、解らなくても聞き返すことが出来ませんでした。
私は、先生はおそらく、ハミガキ(その時の私は歯ブラシの方)を持って来るように、とのご指示だと憶測しました。

次の治療の回、私は右手に、毎日使っている歯ブラシを持って、診察台に座りました。
けれど最後まで、「ぼんぼちちゃん、ではここでハミガキしてね」とは言われず、ーーーどころか、先生は、私が手にしている歯ブラシには一言も触れずに終わりました。
私は「何で先生は、あんなことを言っておきながら、ハミガキを使わせなかったのだろう???」と、ずーっと首を傾げていました。

年月は経ち、大人になってふと、初日に先生が仰ったのは、「ぼんぼちちゃん、次からは、歯磨きをしてからここに来てね」だと、ハッ!と、気づきました。

大人だったら、歯医者に行く前に歯磨きをするのは、常識中の常識なわけですが、まだその年齢の私には、それが思い至らなかったのです。
先生は、歯磨きをしないで治療にやって来るわ、言ってもそれを聞かないわ、と、なんてマナーの悪い子供だろう!と思われていたことでしょう。

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大衆割烹の入り口 [写真]

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だいぶ前に横浜でオフ会があった日、あえて待ち合わせ場所から少し離れた駅で下車し、写真を撮りながら歩いていた中で見つけた店。
なので、ぼんぼちは、この店に入店してやせん。 道から撮らせていただいただけでやす。
思いっきり昭和なところ、思いっきり大衆的なところに惹かれ、撮らずにおれやせんでやした。

この地下へと向かう入り口、飲んべなら狂喜乱舞してしまうくらいに吸引されやすねぇ。
店内を見回して、お目々グルグル、どこの席を陣取ろうか、気持ちワクワク、出て来たものをほおばって、お口ウマウマ。
飲んべのかたがた、この店にもしも自分の好きなものが何でもあったら、何を注文されやすか?
あっしは、先ずは瓶ビール、それから、鮭ハラス焼き、焼き鳥のぼんじり、皮、せせりでやす!



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デパートの接客態度は最上級 [独り言]

先日、めったに足を運ばない街に、映画を観に出向いた。
ネットの地図で下調べをしたのだが、実際に駅を出てみると、それが、一階の地上の事なのか、二階にあたるペデストリアンデッキの事なのかがよく解らず、駅から一番近いデパートの入り口に設置されている 花屋の店員さんに尋ねる事にした。

「あの、、、ちょっと道をお尋ねしたいのですが、、、。映画館で○○というのは、どちらへ行けばよいのでしょうか?」
すると三十代くらいの女性店員さんは、わざわざカウンターから出て来てくださって、身体全体の向きと両腕で以て、
「まず、二階のペデストリアンデッキにお出になられて下さい。 それで、あちらの方角に進むと△△デパートさんがありますので、その右隣のビルになります」
と、笑顔で教えて下さった。
私が、「どうもありがとうございます」と会釈をすると、その店員さんは、なんと!「映画、楽しくご覧になって下さいね!」と、満面の笑みで頭を下げてくださったのだ。

私は大感激してしまった。
何故なら、そのデパートと私が行く映画館の経営母体は同じでも何でもないのだ。私は花一輪すら買わなかったのだ。それでいながら、ここまでの言葉が、まるで満開の花の様な笑顔で すらすらとお出になるとは、、、!!

このデパートに限らず、私は過去にも、デパートで、最高に気持ちの良くなる接客を受けた事が、何度もある。
デパートの店員さんの接客態度は、完全無欠・最上級である。

最近の若い人は、デパートを「時代遅れ」だとか「古臭い」と言って敬遠する人が少なくない様だが、これから何らかの店を始めようと考えている人、又、今現在、店をやっているけれど、今一つ 接客の仕方が解らない、という人は、デパートに行って、ハンカチ一枚でも買って、その接客態度を学んでみると良いと思う。

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片付けられた洗面器とホース [写真]

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夏が終わり、今年の用はなしとなり、片付けられるべき場所にきちんと片付けられた、洗面器とホース。
夏が終わったあとの秋の寂しさや、用なしになった物達の裏ぶれ感を出すためと、あと、単純に画としてキマる事も目的として、白黒で、一部がぐっと暗くつぶれる加工を施しやした。
あっしなりにでやすが、なかなか気に入っている作品でやす。

タイトルと冒頭の文で、あっしは「片付けられた」と書きやしたが、ぼんぼちの本心としては「なおされた」と書きたかったところでやす。
というのは、あっしには「片付ける」ことを「なおす」といったほうが馴染みがあるから。
そう、これ、福岡弁でやす。
福岡を離れてもう相当経つので、忘れてしまった福岡弁も多いのでやすが、この「片付ける」ことを「なおす」と、「疲れた」ことを「きつい」というのと、「傘をさす」ことを「傘をかぶる」というのは、今でもつい言ってしまいやす。
自分の中に染み付いた言葉だから、たぶん、一生、言ってしまうと思いやす。



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「流行」に乗る必要はないけれど「時代の流れ」には乗った方がいいと思う [独り言]

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私・ぼんぼちは、「流行」には全く興味が無いので、食べ物も服も、流行とはまるで関係の無い所で、自分自身がいいと思った物だけを選んでいます。
流行に乗る事は、別段、かっこいい事でもお洒落な事でも何でもなく、単なるその時時の「多数派」になるだけで、乗らなくとも、生活に何の不便もないし、誰にも迷惑をかけないからです。

けれど、「時代の流れ」というものには乗らないと、生活に不便ーーーどころか支障が生じ、時に人様に迷惑をかける、と、これまで関わってきた人達を見て、感じています。

二十年くらい前に、Mちゃんという 私と同い年の女性と知り合いになりました。
Mちゃんは、「ぼんぼちちゃんとお友達になりたい!」と、ケータイの電話番号を書いた紙を、渡してくれました。
私は、「あれ? 今時、ケータイは持ってるのに、メールはやらない人なのかな?」と、不思議に思いました。
普通なら、電話番号と共にメアドも教えてくれるものなのにーーーと目をパチクリさせつつも、しばしば電話で連絡を取り合い、遊びに出歩いたり、飲みに行ったり、といった付き合いが始まりました。

お友達付き合いを始めて何ヶ月目かの時ーーー
私はMちゃんに、「Mちゃんはメールはやらないの?」と、尋ねてみました。
すると、「やるよ」と、メアドを書いた紙をくれました。
私はすぐさま、そのアドレスにメールをし、私のメアドも教えました。

後日ーーー
遊びに行くお誘いは、これからはメールで来ると思っていたら、以前と同じに電話で来ました。
私は、忘れたり間違えたりしないためのメモになるので、改めてメールで、待ち合わせの日時と場所を送りました。

すると、その日時・場所に、Mちゃんはいないのです。
どうしたんだろう?とメールで尋ねると、「駅のどっち口か解らないから、○口に出てるよ」と、電話で返ってきました。
私が、「だって、忘れたり間違えたりしない様に、メールに、日時・場所を書いて送ったよね」と言うと、彼女は、「メール? そんなもん、すぐ消しちゃったよ」と答えました。

Mちゃんとメアドを交換してからは、待ち合わせは、必ずこのパターンになり、出逢えるのが、待ち合わせ時刻の三十分から四十分後となってしまうのでした。
私が「どうしてメールわざわざ消去するの? 日時・場所を忘れたり間違えたりしないために送ってるのに」と言うと、彼女はどういう理由なのか、ただ黙っていました。

又、こんな事もありました。
突然、夜、電話がかかってきて、「今、ぼんぼちちゃんにメール書いてるから、ちょっと待っててね」。
私はてっきり、写真添付のメールが来るからだと待っていると、何時間経ってもーーー結局、その日は来ませんでした。
ニ、三日経った頃、再びMちゃんから、「ぼんぼちちゃんへのメール、もうちょっとで書き終わるから、もうちょっと待っててね」と、電話がありました。
ーーーそして、その、ニ、三日後、
書き込める文字数ギリギリいっぱいの、ありていの世間話が、改行なく、ビッシリ書いてあったのです。 写真は付いていませんでした。
ーーーこういうどうでもいい内容なら、逢った時か電話で話せばいいのに???と、彼女のメールの使い方のトンチンカンさに、真横になるほどに首を傾げました。

そう、Mちゃんは、メールというものの常識的な使い方を理解しておらず、完全に時代の流れに乗れていなかったのです。

Mちゃんは、気持ちの優しい人だったけれど、この、余りにも、時代の流れに乗れていない事に辟易し、私は、彼女との友達付き合いを止めました。

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それから、私はその頃、某演技の研究所の日曜クラスに通っていました。
色々あって日曜クラスの先生が研究所をクビになってからは、主に、本科の先生が教えてくださっていました。

ある時、本科の先生は、「役者というものは、ケータイ電話やパソコンを所有してはいけないんです」と仰いました。
私が、「どうしてですか?」と尋ねると、
「役者には想像力が必要なんです。 ケータイ電話やパソコンを持っていると、その大切な想像力が育たなくなってしまうんです。 好きな人がどうしているのか、連絡したくても連絡がつかない。そこで、『あの人は今、何をしているのだろう?』と、あれこれ思いを馳せるのが、役者に必要な想像力なんです。 あと、僕はずっと、月にはウサギがいると、本気で信じていた。 だけど、パソコンがあると、そういう夢が全てぶち壊されて、現実が暴かれてしまう。 それからですね、演劇の舞台に、ケータイ電話とパソコンは出現してはいけないんです。そんな物を出したら、演劇芸術が堕落してしまいます」ーーーと。

私が、「現代のサラリーマン世界の設定の話しでもですか? 社内では書類と黒電話だけで仕事をして、表で電話をする時は公衆電話に走るんですか?」と、目を丸くして質問すると、「そうです!」「どうしてですか?」「どうしてもです!演劇という芸術は、そういうものなのです!」と、当たり前といったお顔で、お答えになられました。
私は心の中では、「それは全て違うんじゃないか? 単に時代の流れに乗れていないという事なんじゃないか?」と思いましたが、相手は本科の先生だったので、黙っていました。
本科生で優等生と言われていた人は、先生の仰せを信じて、「僕は一生を演劇に捧げるので、ケータイもパソコンも、一生持ちません!」と、言い放っていました。

最初は尊敬出来る先生だと思った本科の先生でしたが、そのお考えに、私は大きく失望し、その研究所を辞めました。

それにしても、役者がケータイ電話もパソコンも持たないなんて、オーディションやワークショップのお知らせは、ネット上で告知される事が殆んどなのに、役者の仕事をやってゆくのに、支障や出遅れや知らずにシマッタ!はないのだろうか?!と、この人達に対しても、真横になるほどに首を傾げました。

あれから約二十年ーーー、時代はますますデジタル時代に進みつつあります。
あの人達は、今でも、自身の考えを改めないでいるのか、かなり気になります。

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朽ちたコカ・コーラの看板 [写真]

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繁華街の裏路地で遭遇した なんとかコカ・コーラと判読できるくらいに朽ちた看板。
朽ちた物が大好物のぼんぼち、迷わずスマホを向けやした。
画面全体に対する看板の分量といい白い管の位置といいバッチリキマったので、ここに公開しやす。
モチーフのみならず、そういった点でも、あっしなりにとても気に入っている作品でやす。

あっしと同世代のかたがた、幼少時におでかけ先では、何を飲まれてやしたか? レストランや喫茶店ではなく、旅行先のお宿とか、何でもありの食堂とかで。
選択肢として、コカ・コーラ、ファンタ・グレープ、ファンタ・オレンジ、バヤリースだったと思うんでやすよね。
あっしはファンタ・グレープ派でやした。
バヤリースを置いてあるところは、ちょっと少なくて、バヤリースをメニューに見つけると、「バヤリースがあるー!」って、弟と盛り上がってやした。
ちなみにその弟は、コカ・コーラ派でやした。



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サーモンピンクのタンクトップが盗まれた件について [独り言]

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先日、私・ぼんぼち、サーモンピンクのタンクトップを盗まれました。
私は夏場の部屋着兼寝間着は、濃い紫とグリーンの柄のインド綿のエスニック調のワンピースに、中は濃い紫のタンクトップ、それと交互に、やはりインド綿でエスニック調の若草色と赤とサーモンピンクの柄(写真参照)のワンピースに、中はサーモンピンクのタンクトップを着ていました。
何日か前に、後者のワンピースとタンクトップを他の衣類と一緒に洗濯して干し、取り込む時に、サーモンピンクのタンクトップだけが無くなっているのに気づきました。
「あぁ、女性の衣類を盗む男性というのはピンク色が好きだと聞いてはいたけれど、ホントにホントなんだな」と思いました。
何年か前に、YouTubeで、お笑い芸人の鳥居みゆきさんが、コインランドリーで、下着とピンク色のヘアバンドを洗って、しばらくしてランドリーに戻ったら、ピンクのヘアバンドだけが盗まれていた、という話しも思い出しました。
私は別に、「いやーっ!気持ち悪いーっ!きゃあー!!」なんていう感情は、みぢんも起こりませんでした。

というのはーーー
私は中学から、制服を着て、毎日満員電車で都心まで通学していたのですが、週のうち四度は、チカンに遭い、制服の上から何本も手が延びてくるなんてザラ、下着の中まで男性の指、それ以外の身体の一部が入って来る事も、しばしばありました。
こんな被害に遭うのは私だけでなく、クラスのほぼ全員でした。
チカンに制服のスカートを汚され、下半身は体育着で授業を受ける学友も、何人もいました。
ーーーそう、制服を着て満員電車に乗ると、チカンは制服が好きなので、日常的にそういう目に遭うのです。
つまり、都心で私立の女子中学生をやってゆくには、こんなのは茶飯事なので、免疫がついて、何とも思わなくなるのです。
「怪我させられたり、妊娠させられたりしなかっただけ、運が良かったな」と。

時々、充分に大人になった女性が、やれセクハラだ、やれレイプされたのと、わぁわぁ騒いだり泣いたりしているのを見ると、「は? たかだかそれくらいの事、そんなに大騒ぎするようなショックですか?!」と、異星人を見る気持ちになります。
勿論、セクハラやレイプを肯定している訳ではありませんが、男性として生きてゆくにも女性として生きてゆくにも、それぞれに嫌な事はつきもので、触られたり入れられたりする程度で泣きわめいていたら、幾つ心と身体があっても足らなくなると思います。
前述の理由から、少なくとも私個人は、そう考える人間に、出来上がりました。

ですから、今回のタンクトップ盗難も、「あー、もう一枚、タンクトップ買っとかなきゃな。つぎはピンク系以外でワンピースに合う色にしよう」と、フツーの感情で思ったのでした。
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ぐしゃっと押しつぶされた金網 [写真]

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今回の写真作品は、ご覧の通りの、ぐしゃっと押しつぶされた金網でやす。
金網がペパーミントグリーンで、その色彩から目立っていたので、金網の輪郭がいい位置になるように収めやした。
ただこれだけで、深い意味はない写真なんでやすが、ぼんぼちはこういうモチーフが好きでたまらないので、撮らずにはおれやせんでやした。

なので、映画だと、初期の純正塚本晋也作品とか、大好きなんでやすよね。
特に「鉄男1」。
あの作品のオブジェクトアニメーションやピクシレーションの技術は圧巻でやすね!
塚本さん、あの作品が受け入れられなかったら、映画監督への道を諦めるそうだったというのだから、もぅ命かかってやすよね。
作品観てると、命かかってるの、よく解りやすね。
サンダンスで審査員一同が、いい意味で絶句したというのも、頷ける逸話でやすね。



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第35回第36回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」、8月30日(水)第36回「マクベス」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」。
この日は、実技のレッスンが始まる前に、先生の講義がありました。
「エレメンツ」についてでした。
エレメンツとは、当時(シェイクスピアが書いていた16世紀イギリス)では、地、水、風、火、の、この四つの要素のいずれか又は混じり合いで人物が出来ており、したがって、劇の登場人物のキャラクターも、そのどれかに設定していたそうです。
そして、これらが安定した状態をテンパーと呼び、最も不安定なひっちゃかめっちゃかな状態をテンペストと呼ぶのだそうです。

講義の後、ジェークイズという 追放された臣下の長台詞の実技に入りました。
ジェークイズの言っている内容は、「しょせんは人生なんて、、、」といった厭世的、悲観的なものなので、明らかに「地」の人物となります。
長台詞の冒頭の四行は暗記してくる事が宿題となっていたので、この四行を、地の人である事を意識しながら言う様に、とのご指示が出ました。
私には、目をつむって、とっても小さな声で発する様に、との条件付きでのご指示でした。
ダメ出しされたのは、「すべて」の「す」が出過ぎている、「舞台」という語を作り過ぎている、「さまざまな役を演じる」が、意図的になっている、でした。
自分では無意識に言っていたので、ダメ出しをされて初めて「ああ、そう言っていたのか、、、」と気付かされました。

次に、オーランドーとロザリンドという 相思相愛でいながらも、それを互いに言えずにいる 若い男女の恋愛ごっこで、徐々にロザリンドの本音が出てくる、という件りをやりました。

最初に私は、ロザリンドを読みました。
先生は、「幼稚です。年齢が幼な過ぎるという意味の幼稚ではなく、演技が幼稚です。 ロザリンドはもっと落ち着いていて、したたかです。 それから、オーランドーの事を好きで仕方がないのに、その感情が出ていません」と、仰いました。
私は、自主練していた時にも、なんか薄っぺらくて「好き」の感情が出せないなあと思いつつも、そこを克服出来ずにレッスン日が来てしまったので、「やっぱり、、、」と思いました。

その次にはオーランドー役をやりました。
演技をしている人に聞こえるので、現実にそう言っている風に聞こえる様に台詞を読む様に、とダメ出しをされました。
このダメ出しは前回もされたので、「あっ!しまった!」と反省し、「演技をしていない風に読む」というのが、今の私の最大の課題だな。すぐには出来る様にはならないかも知れないけれど、いつかは絶対に出来るようになろう!!と、自分に言い聞かせました。

その後、ここは結婚相談所で、オーランドーは相談しに来た人、ロザリンドは相談所の職員、という設定でお勉強しました。
この設定の時もやはり、ロザリンド役をやった時もオーランドー役をやった時も、「好き」である感情が聞こえて来ない、とダメ出しを受けました。
言葉では、真逆や、軽〜いニュアンスでも、本心はそうではなく、深ーく好きだ、という感情を出すのは難しいな、、、と思いました。

この日のレッスンでは、先生は他にも、様々なお話しをされーーー「にせだぬきじる」と「にせたぬきじる」はどう違うのか等ーーーそういった点でも、とても収穫の多かった四時間でした。
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それから、8月30日(水)第36回「マクベス」。
この日は、最初に、マクベスと共に殺人を犯したマクベス夫人が、夢遊病になってしまい、ワンセンテンスワンセンテンス、「今」と「ここにはいないマクベスへの語りかけ」が交互に来る長台詞を、お勉強しました。

私は、「マクベス夫人が、『今』と『夫への語りかけ』の所を、『今』はゆっくり、『夫への語りかけ』は早く、テンポの緩急をパッパッとつけて読むと、夢遊病者の感じが出ます」と、指摘されました。
あー!なるほど!そういうテクニックもあるのか!と、目からウロコでした。

次に、マクベス夫妻が、殺人を犯した後(マクベス夫人が夢遊病になる以前の幕)、地位の高い者達を招待して、宴会を開き、最中、マクベスが、殺したバンクォーという人物の幻影を見てしまい、宴が途中でお開きになる場をやりました。

私は先ず、マクベス役をやりました。
自主練してきた通りにやったら、先生は、「ぼんぼちさん、とてもがんばってくれたと思います。ただ、ぼんぼちさんは、宴会に集まった人達に対して声を大きくして、幻影に対して声を小さくしていたので、その逆の方がいいです」と、仰いました。
ここでも、なるほどー!その方がいいのか!と、目からウロコでしたが、めったにお褒めにならない先生に「がんばった」というお言葉をちょうだい出来て、とても嬉しかったです。
今回のテキストの予習時間は、2日とちょっとと短かかったので、レッスン日当日に体力が底をついてしまわない様に調節しながらも、今の自分自身のマックスの力を出し切れる所まで出来る様にしておきたかったので、バーーーッ!!!とエネルギーを使って、かなりきびしく自身を追い込みました。
それを先生に見抜いて頂けた様で、本当に嬉しかったです。

マクベス夫人をやった時はーーー
夫がこんな風になってしまって、うろたえて、それが増幅する、という読み方をしたら、先生は、「マクベスに対しては怒り、招待客に対しては冷静に笑顔で接する読み方で」とのダメ出しを受けました。
そしてラストの、宴客が帰り、二人だけになった時に、初めて、マクベスへの愛で包み込むーーーさながら、キリスト教画のピエタ(母子像)の如くに、と言われ、ああ、この場のマクベス夫人の台詞はそう多くはないのだけれど、こんなに読み方(心情)に変化をつけるものなのだ!と、やはりまたまた目からウロコでした。

最後に再び、最初にお勉強した、マクベス夫人の夢遊病の台詞をやりました。
一カ所一カ所「ここは早く」「ここはゆっくり」とご指示を受け、又、「血の臭いがする」「嫌な臭いは消えはしまい」を、もっともっともっと、「嫌な」感じを出す様にとのご指導の元、何度も読みました。
あと、その次に「ああ、ああ、ああ」と負の感嘆の言葉が続くのですが、後悔でいっぱいで、地獄に引きずり込まれる様な言い方で、と、ここも何度も読みましたが、難しくて、なかなかその雰囲気が出せなかったです。

次回のレッスンのテキストも「マクベス」で、次回も、今回と同じテキストが使われるようです。
次回のレッスンは、9月19日と、20日間、自主練期間があるので、今回ダメ出しを受けた箇所は、全部出来る様にしておこう! たーーーっぷり自主練しておこう!と、じっ!とカレンダーを見つめました。
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白壁に映っている木の枝 [写真]

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住宅街の白い外壁に映っている木の枝(たぶん枝垂れ梅)の影でやす。
夜に撮ったので、後で明るさ調節をする必要があるかな?と思いつつスマホを向けたのでやすが、黒く出た所と白く抜けた所の位置も分量もバッチリで、「よしっ!」と頷きやした。
一発撮りの加工無しで、あっしなりにここまで納得できる作品が出来たので、一人、喜んでやす。

この作品、上記したように、白壁に映る木の枝の影なわけでやすが、記録写真ではなくアート写真なので、この正体が一体何か、全く判らなくて構わないのでやす。
観てくださるかた各々に、自由に感じていただければ。
着物の柄みたいだな、でも、抽象の水墨画みたいだな、でも、ただ、涼しい感じがするな、でも何でも。



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