歯医者にまつわる思い出 [独り言]

私は小学生の時まで、歯ブラシと歯磨きのチューブと歯磨きをする行為を、全て「ハミガキ」と呼ぶのだと思い込んでいました。

三年生か四年生のある時ーーー
虫歯の治療に、近所の歯医者さんに行きました。
治療が終わるや、女医の先生は優しく、「ぼんぼちちゃん、次は、ハミガキ云々、、、」と仰いました。
私は物心ついた頃からストレス性の難聴だったので、ハミガキまでは聞き取れたのですが、その後が全く聞き取れませんでした。
内向的な子供だったので、解らなくても聞き返すことが出来ませんでした。
私は、先生はおそらく、ハミガキ(その時の私は歯ブラシの方)を持って来るように、とのご指示だと憶測しました。

次の治療の回、私は右手に、毎日使っている歯ブラシを持って、診察台に座りました。
けれど最後まで、「ぼんぼちちゃん、ではここでハミガキしてね」とは言われず、ーーーどころか、先生は、私が手にしている歯ブラシには一言も触れずに終わりました。
私は「何で先生は、あんなことを言っておきながら、ハミガキを使わせなかったのだろう???」と、ずーっと首を傾げていました。

年月は経ち、大人になってふと、初日に先生が仰ったのは、「ぼんぼちちゃん、次からは、歯磨きをしてからここに来てね」だと、ハッ!と、気づきました。

大人だったら、歯医者に行く前に歯磨きをするのは、常識中の常識なわけですが、まだその年齢の私には、それが思い至らなかったのです。
先生は、歯磨きをしないで治療にやって来るわ、言ってもそれを聞かないわ、と、なんてマナーの悪い子供だろう!と思われていたことでしょう。

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デパートの接客態度は最上級 [独り言]

先日、めったに足を運ばない街に、映画を観に出向いた。
ネットの地図で下調べをしたのだが、実際に駅を出てみると、それが、一階の地上の事なのか、二階にあたるペデストリアンデッキの事なのかがよく解らず、駅から一番近いデパートの入り口に設置されている 花屋の店員さんに尋ねる事にした。

「あの、、、ちょっと道をお尋ねしたいのですが、、、。映画館で○○というのは、どちらへ行けばよいのでしょうか?」
すると三十代くらいの女性店員さんは、わざわざカウンターから出て来てくださって、身体全体の向きと両腕で以て、
「まず、二階のペデストリアンデッキにお出になられて下さい。 それで、あちらの方角に進むと△△デパートさんがありますので、その右隣のビルになります」
と、笑顔で教えて下さった。
私が、「どうもありがとうございます」と会釈をすると、その店員さんは、なんと!「映画、楽しくご覧になって下さいね!」と、満面の笑みで頭を下げてくださったのだ。

私は大感激してしまった。
何故なら、そのデパートと私が行く映画館の経営母体は同じでも何でもないのだ。私は花一輪すら買わなかったのだ。それでいながら、ここまでの言葉が、まるで満開の花の様な笑顔で すらすらとお出になるとは、、、!!

このデパートに限らず、私は過去にも、デパートで、最高に気持ちの良くなる接客を受けた事が、何度もある。
デパートの店員さんの接客態度は、完全無欠・最上級である。

最近の若い人は、デパートを「時代遅れ」だとか「古臭い」と言って敬遠する人が少なくない様だが、これから何らかの店を始めようと考えている人、又、今現在、店をやっているけれど、今一つ 接客の仕方が解らない、という人は、デパートに行って、ハンカチ一枚でも買って、その接客態度を学んでみると良いと思う。

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「流行」に乗る必要はないけれど「時代の流れ」には乗った方がいいと思う [独り言]

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私・ぼんぼちは、「流行」には全く興味が無いので、食べ物も服も、流行とはまるで関係の無い所で、自分自身がいいと思った物だけを選んでいます。
流行に乗る事は、別段、かっこいい事でもお洒落な事でも何でもなく、単なるその時時の「多数派」になるだけで、乗らなくとも、生活に何の不便もないし、誰にも迷惑をかけないからです。

けれど、「時代の流れ」というものには乗らないと、生活に不便ーーーどころか支障が生じ、時に人様に迷惑をかける、と、これまで関わってきた人達を見て、感じています。

二十年くらい前に、Mちゃんという 私と同い年の女性と知り合いになりました。
Mちゃんは、「ぼんぼちちゃんとお友達になりたい!」と、ケータイの電話番号を書いた紙を、渡してくれました。
私は、「あれ? 今時、ケータイは持ってるのに、メールはやらない人なのかな?」と、不思議に思いました。
普通なら、電話番号と共にメアドも教えてくれるものなのにーーーと目をパチクリさせつつも、しばしば電話で連絡を取り合い、遊びに出歩いたり、飲みに行ったり、といった付き合いが始まりました。

お友達付き合いを始めて何ヶ月目かの時ーーー
私はMちゃんに、「Mちゃんはメールはやらないの?」と、尋ねてみました。
すると、「やるよ」と、メアドを書いた紙をくれました。
私はすぐさま、そのアドレスにメールをし、私のメアドも教えました。

後日ーーー
遊びに行くお誘いは、これからはメールで来ると思っていたら、以前と同じに電話で来ました。
私は、忘れたり間違えたりしないためのメモになるので、改めてメールで、待ち合わせの日時と場所を送りました。

すると、その日時・場所に、Mちゃんはいないのです。
どうしたんだろう?とメールで尋ねると、「駅のどっち口か解らないから、○口に出てるよ」と、電話で返ってきました。
私が、「だって、忘れたり間違えたりしない様に、メールに、日時・場所を書いて送ったよね」と言うと、彼女は、「メール? そんなもん、すぐ消しちゃったよ」と答えました。

Mちゃんとメアドを交換してからは、待ち合わせは、必ずこのパターンになり、出逢えるのが、待ち合わせ時刻の三十分から四十分後となってしまうのでした。
私が「どうしてメールわざわざ消去するの? 日時・場所を忘れたり間違えたりしないために送ってるのに」と言うと、彼女はどういう理由なのか、ただ黙っていました。

又、こんな事もありました。
突然、夜、電話がかかってきて、「今、ぼんぼちちゃんにメール書いてるから、ちょっと待っててね」。
私はてっきり、写真添付のメールが来るからだと待っていると、何時間経ってもーーー結局、その日は来ませんでした。
ニ、三日経った頃、再びMちゃんから、「ぼんぼちちゃんへのメール、もうちょっとで書き終わるから、もうちょっと待っててね」と、電話がありました。
ーーーそして、その、ニ、三日後、
書き込める文字数ギリギリいっぱいの、ありていの世間話が、改行なく、ビッシリ書いてあったのです。 写真は付いていませんでした。
ーーーこういうどうでもいい内容なら、逢った時か電話で話せばいいのに???と、彼女のメールの使い方のトンチンカンさに、真横になるほどに首を傾げました。

そう、Mちゃんは、メールというものの常識的な使い方を理解しておらず、完全に時代の流れに乗れていなかったのです。

Mちゃんは、気持ちの優しい人だったけれど、この、余りにも、時代の流れに乗れていない事に辟易し、私は、彼女との友達付き合いを止めました。

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それから、私はその頃、某演技の研究所の日曜クラスに通っていました。
色々あって日曜クラスの先生が研究所をクビになってからは、主に、本科の先生が教えてくださっていました。

ある時、本科の先生は、「役者というものは、ケータイ電話やパソコンを所有してはいけないんです」と仰いました。
私が、「どうしてですか?」と尋ねると、
「役者には想像力が必要なんです。 ケータイ電話やパソコンを持っていると、その大切な想像力が育たなくなってしまうんです。 好きな人がどうしているのか、連絡したくても連絡がつかない。そこで、『あの人は今、何をしているのだろう?』と、あれこれ思いを馳せるのが、役者に必要な想像力なんです。 あと、僕はずっと、月にはウサギがいると、本気で信じていた。 だけど、パソコンがあると、そういう夢が全てぶち壊されて、現実が暴かれてしまう。 それからですね、演劇の舞台に、ケータイ電話とパソコンは出現してはいけないんです。そんな物を出したら、演劇芸術が堕落してしまいます」ーーーと。

私が、「現代のサラリーマン世界の設定の話しでもですか? 社内では書類と黒電話だけで仕事をして、表で電話をする時は公衆電話に走るんですか?」と、目を丸くして質問すると、「そうです!」「どうしてですか?」「どうしてもです!演劇という芸術は、そういうものなのです!」と、当たり前といったお顔で、お答えになられました。
私は心の中では、「それは全て違うんじゃないか? 単に時代の流れに乗れていないという事なんじゃないか?」と思いましたが、相手は本科の先生だったので、黙っていました。
本科生で優等生と言われていた人は、先生の仰せを信じて、「僕は一生を演劇に捧げるので、ケータイもパソコンも、一生持ちません!」と、言い放っていました。

最初は尊敬出来る先生だと思った本科の先生でしたが、そのお考えに、私は大きく失望し、その研究所を辞めました。

それにしても、役者がケータイ電話もパソコンも持たないなんて、オーディションやワークショップのお知らせは、ネット上で告知される事が殆んどなのに、役者の仕事をやってゆくのに、支障や出遅れや知らずにシマッタ!はないのだろうか?!と、この人達に対しても、真横になるほどに首を傾げました。

あれから約二十年ーーー、時代はますますデジタル時代に進みつつあります。
あの人達は、今でも、自身の考えを改めないでいるのか、かなり気になります。

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サーモンピンクのタンクトップが盗まれた件について [独り言]

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先日、私・ぼんぼち、サーモンピンクのタンクトップを盗まれました。
私は夏場の部屋着兼寝間着は、濃い紫とグリーンの柄のインド綿のエスニック調のワンピースに、中は濃い紫のタンクトップ、それと交互に、やはりインド綿でエスニック調の若草色と赤とサーモンピンクの柄(写真参照)のワンピースに、中はサーモンピンクのタンクトップを着ていました。
何日か前に、後者のワンピースとタンクトップを他の衣類と一緒に洗濯して干し、取り込む時に、サーモンピンクのタンクトップだけが無くなっているのに気づきました。
「あぁ、女性の衣類を盗む男性というのはピンク色が好きだと聞いてはいたけれど、ホントにホントなんだな」と思いました。
何年か前に、YouTubeで、お笑い芸人の鳥居みゆきさんが、コインランドリーで、下着とピンク色のヘアバンドを洗って、しばらくしてランドリーに戻ったら、ピンクのヘアバンドだけが盗まれていた、という話しも思い出しました。
私は別に、「いやーっ!気持ち悪いーっ!きゃあー!!」なんていう感情は、みぢんも起こりませんでした。

というのはーーー
私は中学から、制服を着て、毎日満員電車で都心まで通学していたのですが、週のうち四度は、チカンに遭い、制服の上から何本も手が延びてくるなんてザラ、下着の中まで男性の指、それ以外の身体の一部が入って来る事も、しばしばありました。
こんな被害に遭うのは私だけでなく、クラスのほぼ全員でした。
チカンに制服のスカートを汚され、下半身は体育着で授業を受ける学友も、何人もいました。
ーーーそう、制服を着て満員電車に乗ると、チカンは制服が好きなので、日常的にそういう目に遭うのです。
つまり、都心で私立の女子中学生をやってゆくには、こんなのは茶飯事なので、免疫がついて、何とも思わなくなるのです。
「怪我させられたり、妊娠させられたりしなかっただけ、運が良かったな」と。

時々、充分に大人になった女性が、やれセクハラだ、やれレイプされたのと、わぁわぁ騒いだり泣いたりしているのを見ると、「は? たかだかそれくらいの事、そんなに大騒ぎするようなショックですか?!」と、異星人を見る気持ちになります。
勿論、セクハラやレイプを肯定している訳ではありませんが、男性として生きてゆくにも女性として生きてゆくにも、それぞれに嫌な事はつきもので、触られたり入れられたりする程度で泣きわめいていたら、幾つ心と身体があっても足らなくなると思います。
前述の理由から、少なくとも私個人は、そう考える人間に、出来上がりました。

ですから、今回のタンクトップ盗難も、「あー、もう一枚、タンクトップ買っとかなきゃな。つぎはピンク系以外でワンピースに合う色にしよう」と、フツーの感情で思ったのでした。
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「じゃんけんぽん」の地域による言い方の違い [独り言]

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みなさんのお住まいの地域では、「じゃんけんぽん」をやる時の掛け声は、何と仰ってますか?

私は三才から小二まで福岡県に住んでおり、父も祖母も福岡県人だったので、「じゃんけんぽん」の掛け声は、「じゃん けん ぽん!」でした。
幼稚園や小学校で、じゃんけんぽんをする時、園友・学友達も、やはり「じゃん けん ぽん!」と言っていました。

ところがーーー
私は、小三から東京・郊外の国立市に越して来、国立市の公立の小学校に通う事となりました。

ある時、確か、ホームルームの何かで、教師が、「では、クラス全員でじゃんけんぽんをして決める事にしましょう!」と促し、クラス全員が一斉にじゃんけんぽんをする流れになりました。
私はみぢんの迷いもなく、「じゃん けん ぽん!」と、大きな声を発しました。
すると、クラス中は大爆笑したのです。
「じゃんけんぽんの掛け声が、じゃんけんぽんだってー!ハハハ、、、」と。
私以外のクラスメイトは全員、「チーレッタ!」という、私がそれまでの人生で、耳にしたことのない掛け声を、揃って発していました。

私は、酷く戸惑いました。
じゃんけんぽんの言い方が、地域によって様々なのは、子供心にも知ってはいたけれど、チーレッタ!という掛け声をするのなら、何で、じゃんけんぽんの行為を指す言葉もチーレッタで、「チーレッタしましょう、、、チーレッタ!」ではないのだろう?!
「じゃんけんぽんしましょう、、、チーレッタ!」では、つじつまが合わないではないかーーーと。

私は転校してきた時、それまで当たり前に慣れ親しんでいた福岡弁を、クラス中の学友にからかわれ 嘲笑されたので、以降、福岡弁をしゃべるのは止めて、東京言葉をしゃべる様にしていますが、この、チーレッタだけは、つじつまが合わないという理由で、今も、口が裂けても言いたくはありません。
齢六十一になっても、「じゃんけんぽんしましょう、、、じゃん けん ぽん!」です。

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口内炎だらけの口腔内から口内炎なしの口腔内へ [独り言]

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みなさんの中に、口内炎がしょっちゅう出来て、辛くて悩んでいる、というかた、おられますか?
私・ぼんぼちは、物心ついた時から40才近くまで、常に口腔内に口内炎が三つも四つも出来ていたのですが、40才を迎える辺りから、たまに一つ出来る程度になり、50才になった頃からは、一つも出来なくなり、以降、10年余経った61才の今現在まで、一つたりとも出来ておらず、完全に、口内炎地獄から解放されました。

そこで、何故、自分は、口内炎地獄から解放されたのか、ちょっと気になったので、ネットで調べてみました。
先ず、口内炎が出来る主な原因は、ストレスと睡眠不足とビタミンB2不足なのだそうです。
たしかに私は、物心ついてから40才近くまで、多大なストレスを抱えて生きていました。
睡眠に関しても、物心ついた時から睡眠障害を持っていて、一晩眠れないなんてザラ、まるまる二晩眠れない日も、少なくありませんでした。
ビタミンB2を多く含む食品は豚肉なのだそうですが、豚肉を日常的に食べる習慣もありませんでした。

そしてーーー
40才を迎える頃から、ストレスの少ない環境下に生活出来る事となり、50才くらいから、それまで睡眠障害の為に飲んでいてあまり効かなかったデパスという 精神と筋肉の緊張を和らげる薬から、専門医にかかって、熟睡に充分な量の睡眠薬を処方していただく事にしました。
すると、充分に熟睡出来る様になっただけでなく、些細な事では殆どストレスも感じなくなり、毎日がハッピーの連続になりました。
気がつくと、あんなに酷かった口内炎が、全く、出現しなくなっていました。
又、豚肉に関しては、栄養素的な理由からではなく、単純に、「豚肉って、こんなにも美味しいものなのだ!」と、やはり50才くらいの時に自己発見し、毎日の様に摂る様になっていました。

つまり、私は、ネットに書かれていた原因と解決法を、そうとは知らずに実践していた訳です。

私は医学の専門家ではないので、あくまで、「私の場合はーーー」としか言えませんが、もしも今、口内炎でお悩みのかたに、少しでも参考になれば、幸いです。

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「投げ銭」にまつわる些細な雑文 [独り言]

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近年は日本でも、投げ銭方式のフェスやライブが、全国各地で開催される様になりましたね。
ここ3~4年の間、コロナのために中止になっていたそれらも、あちこちで復活の兆しを見せています。
私も先日、コロナ以前は毎年行われていた「高円寺びっくり大道芸」に、久々に行く事が出来、大感激のうちに 賑わう高円寺の街を後にしました。

そこで、私が、演目が終わり、投げ銭用の缶の中を覗く度に、悲しく感じる事があります。
それは、缶の中に、10円玉や5円玉や1円玉が、幾つも入っているという事です。

私はどの演目を観ても、必ず1000円は入れています。
これが、プロの演者さんに対する最低限の礼儀の金額ではないでしょうか?
どう考えても、10円5円1円は、失礼過ぎると思います。
演者さん達は、ずいぶん前から稽古を重ね、全身全霊でパフォーマンスを披露し、投げ銭も生活の糧にされているのですから。

この事を行きつけの音楽カフェのママさんに話したところ、ママさんも全く同じ考えで、そして、こう付け加えていました。
「うちの店で投げ銭ライブを演る時は、1人1000円以上は入れて下さいって、お客さんに言ってますね。、、、投げ銭って、「銭」って言葉も、誤解を招く一因になってるのかも知れませんね。 今の時代は「投げ札」が相応しいかと。投げ札って言葉、うちから広めていこうかと思ってるんですよね。」
私はビールグラスを片手に、大きく頷いたのでした。

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ぼんぼち誕生会を開いていただきました! [独り言]

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私・ぼんぼちの誕生日は6月16日なのですが、その少し前の6月3日に、去年に続いて、我らがSSブロガー・ラガーマンさんが発起人となり、同じくSSブロガーのアルチューズさんもご参加くださり、ぼんぼちの61回目の誕生日を祝う会を開催していただきました。

場所は、お馴染みの高円寺の音楽カフェ・Yummyさん。
私が開催時間の30分も前に着いてしまい、「これは、早く着すぎたな」と思いつつ、入り口ドアを開けようとすると、ラガーマンさんが背後から「ぼんぼちさん、こんにちは!」。
早々に店内に入れていただき、ラガーマンさんは、少し前にぼんぼちが記事にした 近田春夫さん著の「グループサウンズ」という本を早速買われたとのことで、「いやあ、逸話や裏話満載で、あの本は面白かったですねぇ!」と、GSの話題に花を咲かせました。
と! お仕事了りにギリで駆けつけるとお聞きしていたアルチューズさんも、意外と早くお越しになられ、宴の始まりとなりました。

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乾杯するや、ラガーマンさんからは、カマンベール&黒胡椒味のおかきと鶏の炭火焼きの缶詰めを、アルチューズさんからは、両さんどら焼きと両さんサブレをいただきました。
そして、Yummyさんのマスターからは、ぼんぼちの大好きな浅川マキさんのLPをいただきました。
みなさん、ありがとうございます!
美味しく、また、愉しく、堪能させていただきます!

飲み物は、各々が好きな物を飲み、お料理はアラカルト。
先ず、Yummyさんのサービスで出していただいた前菜・トマトのジュレが、トマト感凝縮!という感じで 美味しかったこと!
アラカルトでは、スペアリブのコンフィ、塩豚とトマトのグリル、タコスピザなどを注文しましたが、さすがYummyさん、いつもながらに、どれも美味な品々でした。

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話題にも事欠かなく、三人がそれぞれ住んでいた(住んでいる)街の話し、地域によって雑煮や醤油が異なる話し、アルチューズさんは、ブルーコメッツの井上さんに憧れてフルートを自主練されていた話しなどが、次々と出、あっという間に3時間が経過していました。
「では、二次会は、ダングッド(よくYummyさんでの飲み会の後で行く、仙人の様なマスターがお一人で営られているカラオケスナック)で、GS特集といきますか!」とラガーマンさん。
賛同するアルチューズさんとぼんぼち。

そんなタイミングの中、Yummyさん特製の甘くないブルーチーズのケーキが運ばれてきました。
今回も、お味のみならず、マスターのセンスと器用さが活きる 素敵なデコレーションです!
二人に「おめでとう!」と拍手されながら、一本立てられたロウソクをフーしたのですが、何故か今年は何回フーしても消えない!
てっきり、Yummyさんに、消えないロウソクでイタズラされたのかと思っていると、アルチューズさんがフーーーーッ!!!とやったら、一発で消えました。
アルチューズさん、さすが、フルートやってただけのこと、あるなあ。

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ケーキを食べ了え、いざ、ダングッドへ!
入店すると、カウンターに男性のお客さんが一人、いらっしゃいました。
我々は先の話し通りに、GSの楽曲を次から次に歌いました。
マスターや男性のお客さんにも、「今日は私達、GS特集なんでーす!」と、声を飛ばしました。
すると、カウンターの男性のお客さんは、合わせて、タイガースやスパイダースを何曲も歌ってくださいました。
いいお客さんだなあ。

そんなこんなで、二次会もみるみる時間が過ぎ、お開きとなりました。
ラガーマンさん、アルチューズさん、Yummyさん、ダングッドのマスター、カウンターの見知らぬお客さん、みなさんのお陰で、ぼんぼち、ベリーハッピーな一日となりました。
ほんとに、心より御礼申し上げます。
みなさん、ありがとう!!!
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「実力」とは [独り言]

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今日は、「実力」とは何なのか、「実力がある」とはどういう事なのかについて、お話しさせていただきます。

長くこのブログを読んでくださっている方々はご存知のように、私は、毒母を養うために、18才~27才まで、画家をやっていたので、私の実体験から、画家という仕事を例に取って、説明したいと思います。

画家として月々安定した生活収入を得るには、画力が素人さんとはケタ外れに高くある事は、言うまでもありません。
しかし、画力が高ければ高いほど稼げる画家になれるか、というと、そういうものではないのです。
というのは、画力は、画家の実力の一つに過ぎなく、画家として月々安定した生活収入を得続けてゆくには、他にも必須要因があるからです。

プロの画家としてやってゆくには、先ず、画商がつかなければなりません。
(画商のイメージが掴めないかたは、「マネージャー」という言葉に置き換えて考えてくださると、解りやすいと思います。)
自分に画商をつけるには、ステイタスのある公募美術展で、大きな賞をいくつも取れば、つきます。
ですから、自分の表現したい方向性か否かはど返しして、出品する公募展の審査員受けする作品を、100%狙いで描いて、何としても、大きな賞を取らなければなりません。

そして画商がついたら、その画商と、良好な人間関係を築き、保ち続けてゆかなければなりません。
画商は、顧客から要望を聞いてきて、「先生!こういう色合い、モチーフの作品を○号で描いてください」と、画家に注文します。
その時、「そんな方向性の作品は、私の世界観の作品ではないっ!」などと、本音を言って断わったら、他に画商についてほしい受賞歴のある画家はいくらでもいるので、画商はそっちへ行ってしまいます。
勿論、遠い地の風景画などの、利益率の低いモチーフを、画商が「先生!それは先生の仰るとおりですね!」と納得させられる口八丁の理屈をつけて、笑顔で断るのは、より効率的に稼げる結果につながるテクニックとなるので、おおいに使いたい事ですが。

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つまり、画商は、完全なマネジメントと ある程度のプロデュースはしてくれますが、画家自身も、セルフプロデュース力を持っていなければ、いくらクオリティの高い絵を描いても、稼ぎ続けられる画家にはなれないのです。

要するに、画家に必要なのは、「画力」+「人間関係を良好にやりこなす力」+「セルフプロデュース力」なのです。
将来プロの画家を目指している画学生や素人さん達は、画家に必要なのは「画力」だけだと思われている人が少なくないようですが、それは違います。
プロとして必要な画力がついて、他の二者が不足していたら、今度は、画力を高める事は一旦置いておいて、他の二者に長ける事にエネルギーを注ぐのが賢く、稼げる画家になれる道なのです。

私は会社組織に属した経験はないので、憶測になりますが、会社員さんの世界でも、全く同じ事が言えるのではないでしょうか?

いくらパソコンに向かっての作業能力があっても、上司が途中で、「君、こっちの仕事、先にやってくれる?」と割って入って来た時に、「いやです。今、この仕事を夢中でこなしている最中ですから」と、突っぱねたり、上司や同僚と仲良くやっていけなかったり、部下に仕事の教え方がまともに出来なかったりしたら、果たしてその人は、「パソコン作業能力のある人」なだけであって、「仕事全体の実力のある人」とは言えないでしょう。出世の望みもないでしょう。

みなさんも、それぞれに、様々なお仕事を経験されている、されてきた、とお察しします。
みなさんのお仕事に関しても、同じ事が言えるのではないでしょうか?

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人に物を教える時のコツ [独り言]

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長くこのブログをお読みの方はご存知の様に、私は18才から27才まで、画家をやっており、私の画歴を知った人達が、「絵を教えてほしい」と、後から後からやって来たので、日曜日は、自宅アトリエで絵を教えていました。
27才で画家を辞めてからも、今まで教えていた人に「続けて教えてほしい」と頼まれ、又、新たにも、次から次へと、教えてほしいという人が門を叩いたので、教える仕事は私にとってそれほど辛くはないというのもあり、ほんの2、3年前まで、ずっと教える仕事は、途切れなくやってきました。

そんな中で、経験値として学んだのが、「教えるには、高い専門的技術を持っていて、それをただ伝えれば良いという訳ではない。教えるには、しかも、『長くこの先生に教わりたい』と思ってもらうには、あるテクニックが必要だ」という事です。

そのテクニックとはーーー
「生徒さん生徒さんそれぞれの、得意としている分野をさり気なく聞き出し、褒め、そして、その分野が自分はいかに出来ないか、をアピールする」という事です。

教えていると、当然ながら、注意をします。
「影は黒を使うのではなく、モチーフの色に補色を混ぜた色を使いましょう」等と。
どんなに優しく注意をしても、注意をされると、人間の心というのは凹みます。
ですから、その凹んだ部分を、雑談の時間を使って巧く補うのです。

「○○さんは、何をなさるのがお好きなんですか?」
「そーうですねー、主婦ですから、お料理くらいのものですねー」
「お料理は、何がお得意なんですか?」
「主人が煮魚が好きなので、煮魚をよく作りますね」
「ええっ!すごいですね!煮魚がお得意だなんて! 私なんて、煮魚作ろうとすると、いつもビシャビシャの汁に魚が浮いてるって感じになっちゃうんですよー」
「あら〜、先生! それは、お水をお入れになっているんではないですか?」
「はい、入れてます」
「ふふふ、先生〜! 煮魚には、お水、入れちゃいけないんですよ。 先ず、お酒を入れるんです。それで火加減はですね、、、」
と、その生徒さんは、「自分は、絵は素人で下手だけど、先生より遥かに出来るものがあるのだ!」と、満面の笑みになり、心を開いてくださり、結果、良好な人間関係が築けます。
本当はビシャビシャの煮魚なんて作っていなくても、失敗談、いかに自分はその人が得意としている分野が出来ないか、をアピールするのです。

私が教えていたのは、絵の私塾だった訳ですが、このテクニックは、会社組織その他、あらゆる「教える」場面で使えるのではないでしょうか?
「教える立場にあり、教わる人がどんどん離れていってしまう。信頼を得られない」、この様なお悩みを抱えている方は、ひとつ、試してみられては如何でしょうか?

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