「ドゥ〜〜〜ブゥルですね!」 [独り言]

あれは私が西荻窪に越して来て間もなくの頃だったから、およそ24年前の話しになるのだが、隣街の吉祥寺を散策していて、本格的フランス風のケーキ屋を発見した。
きらびやかではないが、大変に粋な店構えとアンティーク調のシャンデリア、フランス人好みの両端の尖った狸色のバゲット、小ぶりで色とりどりのケーキ、、、

カフェスペースもあったので、私はケーキの中で、ひときわ目に留まった それまで何処のケーキ屋でもお目にかかった事のなかった アニスのタルトというのを食べてみる事にした。
タルトをいただくのだから当然、飲み物も注文する流れとなる。
エスプレッソのダブルがメニューにあったので、それを所望するとした。

ホール係りの女性に、「アニスのタルトとエスプレッソをダブルでお願いします」と発した。
すると彼女は、「ドゥ〜〜〜ブゥルですね!」と、フランス人さながらの巻き舌で復唱したのである。
瞬間、私の腹の底は、湯豆腐がひと煮立ちするくらい微かに、イラッ!と、わだかまった。
何故ならそのホール係りの女性は、紀州の梅干しでも売っていれば実にお似合いな感じの、真っ黒なおかっぱ頭のおばちゃんだったからである。
なにも姿形でホール係りの価値が決まるとは思ってはいないのだが、正直、これがブロンドヘアに青い目の鼻のツンと高いフランス美人だったら、「あっ、、、はいっ!それでお願いします!」と、頬を赤らめて頷いたところなのだが。

アニスのタルトは、さすがに本格的フランス風!と、とびきりに美味だったので、以降、私は毎週の様にその店に通い、アニスのタルトとエスプレッソのダブルを注文した。
が、何回注文しても、それが店の方針なのか、黒髪おかっぱおばちゃんの拘りなのか、「ドゥ〜〜〜ブゥルですね!」と、フレンチ巻き舌で復唱されるのである。
その度に、やはり私の腹の底の湯豆腐は、イライラッ!と、煮え音を立てた。

何回目かにその店の場所に行ってみた時ーーー
店は、消えていた。
いや、決して、「ドゥ〜〜〜ブゥルですね!」が原因ではないとは、思う、が。

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書く事に小さな自信がついたきっかけ [独り言]

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私・ぼんぼちは、2009年からブログを通じて、「書く」という手段で、一人でも多くの方に、自分の身の回りに起こった事、自分の気持ちを吐露している訳ですが、今日は、「書く事で伝わるんだ!」と、私自身の中で小さな自信へつながったきっかけを、お話ししたいと思います。

小学生の時ーーー
作文や詩作の授業は嫌いではありませんでした。
しかし、出来上がった私の作文や詩を読んだ教師の言葉は、決まってこうでした。
「小学生なのに大人びていて、子供らしい天真爛漫さがない」。
私は心も身体も大人になるのが早かったのですが、それは自らの意思でそうしているのではないのだし、そもそも何故、「大人びている」事がいけない事なのだろうか???
私は教師からの負の批評を受ける度に、唇をかんで黙ってうつむいていました。

小学5年の時ーーー
ラジオの深夜番組に、二度投稿したら、ニ通とも読まれました。
ーーーあぁ、ラジオ番組というのは、学校の授業と違って、年令も容姿も関係なく、面白いと判断された作品が取り上げられる実力の世界なのだ! と、一人、心の中で飛び上がって歓喜しました。

中学へ入り、、、
中学受験も終わり時間が出来たので、散文詩を何十作か作って、現国の若い女教師に見せました。
するとその女教師は、パラリと目を通しただけで、「大人の様な詩を書くのね。 だけど、詩作はテストには出ません。テストに出る授業中の勉強だけをやりなさい!」と、ピシャリと会話の門戸を閉じられ、私は、詩作をやめました。

年月は経ち、34才で一度目の結婚をした時ーーー
主婦をやった経験がある方はよく解ると思うのですが、主婦というのは、ハンパな時にチョコッと時間が出来てしまうのですよね。
その時間を何か有効活用は出来ないものかと考えた時、小5でラジオ番組で二度読まれた嬉しさを思い出し、再び、投稿の世界に出場してみようと思いました。

ラジオ番組、週刊誌、映画・コンサート情報誌、ファッション雑誌、漫画雑誌、料理雑誌などのリスナー、読者投稿のコーナーに、ヒマがあると、面白い!と自己判断したネタを送りました。

掲載されたページを元ダンナに見せると、「えー!また載ったのー! で、打率はどのくらいなの?」と目を丸くされたので、「7割5分だよ」と答えると、「えーーっ!! 7割5分って、ものすごくいい成績だよ!すごいよー!!ぼんぼちちゃん!」と、驚かれ、お褒めの言葉を与えてくれました。
そっか、7割5分って、すごくいい成績なんだ、、、ルンルン!!
私は、何十年かぶりかに、再度、飛び上がって、あの時よりもっと歓喜しました。

そこで得た小さな自信が、今のぼんぼちのブログにつながっている、という訳です。

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「E電」以上に流通しなかった「イチゴ達」 [独り言]

結局、「E電」という言葉は、一般人の間で、流通しないままに死語となった。
私が高校生の頃、それ以上に、公表はされたものの全く以て流通せずに、化石化した造語がある。
それは、「イチゴ達」である。

高校何年生かの時、新聞を開いていたら、文化欄に、どこかのお偉さんか知識人が書いた記事に、こういう旨の文言が掲載されていた。
「これから世間では、10代の少女達を『イチゴ達』と呼ぶ事にした。 理由は、10代の少女達は赤くて可愛い苺の様なフルーティーなイメージであるし、苺と15才を掛けたというのもある。 だが、15才に限らず、10代の少女達みなを、『イチゴ達』と称する。」ーーーと。

しかしーーー
以降、「キミ達、高校生? じゃあ、イチゴ達だね」と大人に声がけされた事も一度もなかったし、自分達でも、「私達はイチゴ達なんだからさぁ」等と話す同級生も一人たりともいなかった。

つまり、「イチゴ達」は、公表されただけで、そのまま死語の世界へまっしぐらだったのだ。

冒頭に記した様に、「E電」もそうだったが、造語というのは、おじさんやおじいさんのお偉さんや知識人が作成すると流通しない、というのはお決まりのパターンの様である。

生命を吹き込まれ、一般人の多くがこぞって使うに至る造語というのは、たいてい、テレビ、特にお笑い芸人さんが発した言葉が殆どだと感じている。

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62才を迎えて思うこと [独り言]

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私・ぼんぼち、6月16日に62才の誕生日を迎えました。
前回の記事では、みなさん、さっそくたくさんのお祝いコメントを、ありがとうございました!
さて、今日は、62という齢を迎え、私なりに思うことを、思いのままに書きつづりたいと思います。

先ず、最初に浮かんだのは、「わー!62才まで生きられちゃったよー!」ということです。
というのは、私の母もそのまた母も、50ちょっと過ぎで脳卒中で亡くなっており、このテの病いは遺伝が強い と、お医者様から聞いていたので、「私もおそらく、、、」との覚悟があったからです。
けれど、母やそのまた母より10年以上も生きて来られた!
嬉しい限りです!

次にーーー
このブログを長く読んでくださっている方はご存知のように、私は物心ついた頃から、母親に、「産みたくもねーのに勝手に産まれてきやがって!!」と、心身共にの虐待を受け続け、私のための人生を出発させられたのは、母親が死んでくれた27才の時からでした。
以来、私は、むさぼるように、疾走するように、生き急ぐように、やりたいことをやり、行きたい所へ行き、着たい物を着て、人生を謳歌して来ました。今、前述のに限らず突然の病いや、不慮の事故で死んだら、私の人生、一体何だんたんだろう?!ってことになる。運悪く、死神なんかの手にかかるものか!と祈りつつ。

そして、ブログを始め、吐露したかった過去を全て吐き出し、精神の膿を絞り出せ、ちょうど10年前の52才の時に、「あー!やりたいことを全部やっちゃったー!幸せー! もぅ、いつ死神がやって来ても悔いは無いー!」という状況に至ることが出来ました。

以来10年間ーーー
私の人生は、桃源郷に住まうが如くの最上級の幸せで満ち満ちています。
毎日毎日が、芳香を発散しながら咲き乱れるお花畑を軽々と駆けている心境です。

だから今はもぅ、いつ死神がやって来ても構わないのです。
ーーーでも、欲を言えば、、、
夏秋モノであと何回も着たい服が何着もあるので、秋までは生きていたいかな。
冬モノは着飽きたので、もぅ着なくてもいいです。
秋まで生きれば、「人生、十二分に愉しみ尽くしたので、みぢんも未練は無いよー!」という感じです。
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口さがない人っているもんだ [独り言]

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何年か前、複数人でカラオケに行った時、その中に私と同い年の女性がいた。
みなが歌い了って、帰ろう!という段になると、彼女はツカツカと私の真正面に歩み寄り、顔を思い切り近づけ、怒りに満ち満ちた口調と表情で、こう発した。
「ぼんぼちさんが歌った曲、ぜんっぶ知らなかったっ!!」
「はぁ?それ、私が怒られる様な失礼な事ですか? 知らなかったら知らなかったで、ふつーに何気に『全部知らなかったー』って言えばいいだけの話しじゃないですか? それはアナタが歌をあまり知らなかったという事じゃないですか。私は大ヒット曲だって歌ったのに。 しかも、対等な立場で歌いに来たのであって、私がアナタのホステス役をやる義理など、何一つとしてないでしょうが」
そう言い返してやりたかったが、場の空気が悪くなるので、黙っていた。

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これも何年か前の事ーーー
「ぼんぼちさんって、ワタシと似た者同士だから、友達になってください!」と、初対面でいきなり急接近してきた 私よりワンジェネレーション下の女性と、「似た者同士と判断される論拠などどこにもないのに、変な人だな」と思いつつも、仕方がないので、友達付き合いをしていた。
何度目かに逢った時、彼女は何の脈絡もなく唐突に、「ぼんぼちさんって、規則を守らない人ですよねっ!!」と、声を飛ばしてきた。
そんな事を言われる根拠はどこにも見当たらなかったので、何故、彼女がそう思い込んでいるのか、不思議でならなかった。
私は、信号無視もせずに街を歩いているし、待ち合わせの時間には毎回きっちり待ち合わせ場所に着いているし。
逆に彼女の方が、いつも遅刻してきたり、居酒屋に行った時、私が店員さんに案内された席に座ろうとすると「店員の言うことなんか聞いちゃダメよ!」と、違う席に座ったり、会話の中でしじゅう、「アタシは70代になっても、履歴書に年齢を詐称して書いて、働き続けてやるっ!」と発言しているのに。
私が、呆れ顔でため息混じりに、「校則くらいは守らなかったけどね」と吐くと、
「ほら〜〜〜〜っ!!やっぱり、ぼんぼちさんって、規則を守らない人じゃないですかあーーーっ!!!」と、勝ち誇った調子で返して来た。
「じゃあ校則、アナタは守ってたの? 真夏の暑すぎる日にも、ブラウスの第一ボタンすら外さなかったというの? 同級生とハンバーガーショップに寄った事もないというの? 色付きのリップクリーム一つ着けたことがないというの? 校則を守らなかった生徒なんて、クラス50人中の2人くらいの、勉強だけがとりえのクソ真面目なガリ勉だけじゃないのよ。アナタはその2人だったというの?」と反論してやりたかったが、逆ギレされそうだったので、言葉をこらえた。
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カクテルラウンジでバイトをしていた30才くらいの時、よく来る中年男性の客に、「アンタさぁ、将来どういう生き方したいの?」と尋ねられたので、「結婚はしてみたいですけど、子供を産む気はありません」と答えると、その中年男性の客は、「子供なんて、猫でも豚でも産めるんだよっ!!アンタは豚以下だっっっ!!!」と、私を怒鳴りつけた。
客じゃなければ頭っから冷やタンの水をぶっかけてやるところだったが、どんな客も「お金を払ってくださるお客様」なので、唇をかんでうつむいてやり過ごした。

世の中にはこの様に、相手の気持ちをまるで考えないで、相手が不快に感じると解りきっている事を、ズケズケと言う人間がいる。
こういう口さがない人には、自分はなるまい、と、こういう人に出逢う度に心する自分である。
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永久に来なかった打ち上げメンバー [独り言]

もう20年以上前のことになるが、私は、自分が住んでいる区の主催する「ビデオ編集のワークショップ」なるものに参加した経験がある。
確か、毎日曜日の開催で、約一ヶ月をかけての講習だった。

参加者は数人と少なく、映画好き・映像作り好きという共通の趣味も相まって、よって、私を含めた数人は、すぐに意気投合した。
そして、「じゃあ、全講習が了ったら、後日、みんなで居酒屋で打ち上げでもやりましょう!」という話しになった。

当日、決められた居酒屋に決められた時刻に行った。
中、一人だけ、何十分待っても来ない顔があった。
「○△さん、どうしたんだろ?」
「あの人、時間にルーズな人でしたっけ?」
「いや、講習には毎回、きっちり時間通りに来てましたよ」
「なんかあったのかな?」
「幹事さん、電話してみたら?」
「それがいいと思う。あの人、私達の中で一番年長だし、ちょっと気難しい感じだから、気楽な口調でヘラヘラッと」
「うん、そうだね」

幹事役の50才くらいの男性は、○△さんのケータイに電話をかけた。
「、、、、、、あ!もしもし〜、ビデオ編集のワークショップの参加者の打ち上げの時間が始まってるんですけどぉ〜、○△さん、今日、どうしちゃったんですかぁ〜?ハッハッハッ」

ケータイを通して聴こえてきたらしい声に、幹事さんの表情が一変した。
「えええっ?!!、、、、、あっ、、、あ、、、そうでしたか。、、、そっそっそれは御愁傷様です。、、、、では、、、失礼します、、、」
幹事さんは、黙って虚空を見つめた。
「えっ?何かあったの?」
「風邪で寝込んでるとか?」
「ケガしちゃったとか?」
「身内に不幸があったとか?」
「、、、、、、本人」
「???」
「へっ?」
「は?」
「えぇっ?!」
幹事さんは、焦点の合わない目で、私達一同を見渡し
「奥様らしき人が出てね、『主人は先日、脳卒中で亡くなりました。 今、葬式の最中です』って」
一同「えーーーーーーーっっっ!!!!!」

打ち上げが、一瞬にして、弔い酒となったのだった。

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優しく気遣いの行き届いたリーマンのお兄さん・2 [独り言]

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その日、私・ぼんぼちは、神保町の行きつけの喫茶店で、コーヒーを愉しんでいました。
が、近年、良くなっていたはずの花粉症が、若干、復活してしまって、片手で鼻先をつまみ、「ぐしゅ」「ぐしゅ」と、鼻水をすすりあげていました。

と、私の隣のテーブルのトイメンの位置に、三十代前半くらいのリーマンと思われるお兄さんが、掛けました。
お兄さんも花粉症らしく、ちょっと鼻をすすりながら、テーブルにポケットティッシュを出していました。

何分かしてーーー
突然、お兄さんがこちらを向き、ーーートイメンに座っているので、私と真正面から顔を合わせる形となりーーー「良かったら、使ってください!」、にこやかにポケットティッシュを差し出してくださったのです!
わ!見ず知らずの他人にこんなに笑顔で優しく気遣いの行き届いた言動をしてくださるなんて、何て出来た人だろう!しかも、イケメーン!!
私は、鼻水をすすりあげていたのを見られ聞かれていた恥ずかしさと、お兄さんの思いやりの心への嬉しさで、心がいっぱいになりました。
鼻水は、ティッシュを使うほどは出ていなかったので、「いえ、大丈夫です。ありがとうございます!ありがとうございます!」と、こちらも思いきりの笑顔で返しました。
お兄さんは、ティッシュを引っ込めつつ、やはり笑顔で、「花粉症の季節ですもんね」とおっしゃり、開いていたパソコンに向かれました。

あぁ、こういうリーマンのお兄さんって、会社でも、上司に忠実に仕事をこなし、部下には適切な指導をし、女性社員には全員、平等に優しくふるまうのだろうな!しっかし、モテるだろうな〜!と、想像しないわけにはゆきませんでした。

三十代のリーマンのお兄さんに具体的に気遣いの言動を取っていただいたのは、これで二度目です。
他にも、狭い路をゆずってくださったり、喫茶店の隣の席でタブレットをいじり始めると、うるさくないように声を落として会話をなさった二人組のかたなどなど、、、
三十代リーマンのかたは、人間的に出来たかたが多い様に感じている、今日この頃です。

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ぼんぼち・人生の新章 [独り言]

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一月の演技のレッスンを最後にすっかり気が済んで、レッスンに通う事をやめた私・ぼんぼち、早くも次にやりたい事が浮上し、これからは、それに邁進したいと思っています。

それは何かというとーーー
「写真作品として完成度の高いセルフポートレートを月一のペースでアップする事」です。
なんだ、セルフポートレートなんて、今までも何枚も挙げてきたじゃん、って思われたかたも多いと察しますが、今までは、「もっと引きで撮りたいけど、これ以上引くとスマホの影が入っちゃうー」とか、部屋の場所によっては、薄暗ーい仕上がりになってしまって、それでも「まっ、いっか」と、イマイチ イマニ イマサンの、とても「作品」と言えるようなものではなく、単なる個人の記録レベルのセルフポートレートが多かったんです。
ーーー「作品」と自分で言えるのは、三枚くらい。
なのでこれからは、自分の中での合格レベルを厳しくして、「作品」と呼べるものだけを公開してゆこうと決めました。
そのために、スマホ自撮り時にスマホに装着するリング状のライトを購入しました。

何故、新章の課題がこれかというとーーー
ぼんぼちは、若い頃の写真って、殆どないんですよ。
若い頃は、顔中のニキビとブルドックさながらにたるんだ顔で、「こんな自分の顔、嫌っ!!!」と、泣きながら破り捨ててしまっていたんです。
遺してあるのは、画家時代、個展を開いた時に、作品とともに画商が写した記録写真だけ。
それに人間って誰しも、明日どうなるか判らないじゃないですか。
今日と同じ自分が明日も存在していられる保証なんて、どこにもない。
だから、ニキビ&ブルドックでなくなった今、「ぼんぼちが生きた証」を、自分なりの最上級の状態で、一枚でも多く遺しておきたいんです。

自撮りライト、まだ試していませんが、これまで公開したお粗末な数々よりは、間違いなくクオリティーの高いものが撮れるでしょう。
堂々と、「これは写真作品です!」と言えるセルフポートレートが撮れるように、頑張るぞっ!!!
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もう一度、大阪に行きたかったけど [独り言]

大阪って、ぼんぼちにとっては聖地なんだよね。
何故かというと、ぼんぼちは、憂歌団や上田正樹さんらのナニワブルースが大好きだから。

で、三十代半ばに、憧れの大阪に行ったんだけどね。
それはもぅ、イメージと寸分たがわぬ良き地だったよ。
繁華街を流れる幾筋もの川、コリアンタウン、悲しい色をした海、、、

で、死ぬまでにもう一度、大阪に旅したいと思い続けてたんだけどね。
残念だけど、無理、、、、、
理由は、何日間も連続で一日中街を歩き回る体力がなくなってしまったから。
せっかく行ったなら、毎日、朝から晩まで遊びまわりたいじゃない?
でももぅ、とてもとても、、、

どのくらい体力がなくなってしまったかというと、都内の一時間以内で到着できる街に行って、二十分歩いて喫茶店に寄って、また二十分歩いて喫茶店で休憩して、また二十分歩いて早い時間から営ってる飲み屋さんでビール二本で終了。
次の日、ダウン。
ね、これじゃ、大阪行きは無理でしょ。

思ってたより早く、身体の老い、来ちゃったな。
五十代のうちに、大阪再訪しておけば良かったな。
今は、三十代の時に巡った 主にミナミの街街を、頭蓋の中で反芻して、「あー、満喫したなー」と目をつむるばかりだよ、、、、、

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「けっこう」は死語になりつつあるようだ [独り言]

私は喫茶店やカフェでコーヒーを飲む時はブラックで飲むので、一緒に持って来ていただいた砂糖とミルクはお断りしている。
その時、「いらないです」「大丈夫です」「けっこうです」のいずれかの言い方を使っているのだが、どうやら、最近の若い店員さんには「けっこうです」は、通じにくくなりつつあるのを感じている。

掌を押し出すアクションをしながら「けっこうです」
一瞬、戸惑った表情をされ
「、、、、? いらない、、、ですか?」
「、、、、あ、、大丈夫、、、ですか?」と。
「いらないです」や「大丈夫です」と言った時には すんなりと「はい!」と笑顔で盆に戻してくださる。

確かに「けっこう」という言葉はややこしい語ではある。
「けっこうなご趣味ですね」という時の様な「良い」「素晴らしい」という意味と、「いらない」という意味との二種類があるからである。
昭和人間の私は、「けっこうです」は、最も丁寧な断り方だと思っているのだが、今の若者には、通じなかったり、あるいは、冷たい突き放す様な印象を与えてしまう様だ、と、彼らのリアクションから読み取れる。

言葉は生き物なので、日々 変化をし続けている。
で、あるから、私はこれからは、店員さんが若い人だった場合は、「けっこうです」は使わずに、「いらないです」「大丈夫です」のどちらかを使って、若い店員さんとも円滑なコミニュケーションが取れる様にしようと考えている。

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