三個の一斗缶 [写真]

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飲食店の裏口に、三個積み上げられた一斗缶。
どういうふうに切り取ろうかちょっとだけ逡巡し、これに決めやした。
一斗缶であるという説明ではなしに、単に使った素材がたまたま一斗缶だという、図形的な面白さの観点から撮りやした。
なので、観てくださる方々も、単純に図形を観愉しむ感じで鑑賞してくださると、本望でやす。

一斗缶というと、みなさんは、何が入ってるイメージが一番強いでやすか?
あっしは、ラードでやす。
ラードといえば、、、
昔、カクテルラウンジでバイトしてた頃、常連のハンコ屋のおじいさんがみえた時、たまたまラードの話しになって、マスターが、「野菜炒めにラードを使ってる店があるけど、あれは胃もたれして嫌だね」と言ったら、そのおじいさんは、「そうだね〜、餃子の皿に一滴垂らすくらいならいいけどね〜」と、ラー油と勘違いした発言をされやした。
それでマスターは、「それはラー油でしょ。僕が言ってるのはラードですよ。ラー油は云々でラードは、、、」と、両者の違いを丁寧に説明しても、ハンコ屋のおじいさんは、「うん、そうそう、ラードでラー油ね」と、最後まで同一の油(脂)だと思われてて、あっしは内心、ぷぷぷっと笑ってしまいやした。



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ぼんぼちが発表会のある所では演技を習いたくない理由 [映画・演劇雑記]

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少し前からこのブログを閲覧くださってる方々はご存知の様に、私・ぼんぼち、今、月ニのペースで、演技のレッスンに通っています。
今お習いしている所は、十二分に納得出来、レッスンが開催され続ける限り、通い続けたいと思っています。
理由は先ず、先生が大変に優秀でいらして、「この先生にならついて行きたい!」と、心底思えるからです。
もう一つの理由は、「発表会」なるものがないからです。
これも私にとっては、非常に重要な条件なのです。
何故、私が、発表会がある所では演技をお習いしたくないかというとーーー

20年前、某演劇研究所の日曜クラス(アマチュアのクラス)に在籍していた事がありました。
そこでは半年に一度、研究所内発表会がありました。
ズブの素人ばかりですから、勿論チケット料金は発生せず、観てくださるのは、校長や本科(本格的にプロを目指す人のクラス)の先生や本科生、あとは、日曜クラス生の友人や家族、といった程度でした。

そこで、私が何が嫌だったかというと、発表会そのものが嫌いだった訳ではなく、同じクラスの中に、こんな人が一人いたからですーーー。

ゲネプロの時までは、台本通りの台詞をしゃべっていたのに、本番になると、突然、その人が家で独自に創作してきたらしき台詞を、台本にすると2ページくらい、延々としゃべり始めるのです。
私を含めた他の日曜クラス生は、その人の創作台詞が、いつ始まっていつ終わるのか、皆目解らず、冷や汗タラタラでした。
その人はいつも脇役しかもらえず、いつも主役だった私の4倍くらいの量の長台詞をしゃべらなければ、気が済まない様でした。
創作の長台詞は、ホンの内容には関わらず、必ず、泣き叫ぶものでした。
他の日曜クラスのメンバーが、「はぁ、、、また、やってくれちゃったね」といった呆れ顔を見合わせていると、その人は一人、笑顔で「えへへ〜、台詞、間違えちゃった〜」と、悪びれた様子もなく舌を出すのが常でした。

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又、私はその人に、ゲネプロが終わって本番が始まる寸前に、こんな事を言われた事もあります。
「アタシが前を向いて、しゃがんでいる時に、ぼんぼちさんが後ろからそーっと来て、アタシの背中をポンと叩いて『わっ!』って驚かす動きがあるじゃないですか。そこ、そうじゃなくて、アタシのメガネのツルの後ろをガクガクガクってやって、驚かせてもらえませんか?」と。
私は、いきなり先生の演出とは違う、ゲネプロとは別の動きはやりたくなかったので、ゲネプロ通りの、背中を叩いて「わっ!」をやったら、発表会が終わった幕裏で、「ぼんぼちさん!なんで、アタシの言った通りにやらなかったんですかっ!ぼんぼちさんのせいで、アタシが面白く見えなかったじゃないですかっ!!」と、すごい勢いで責められました。

彼女は、自分がやっているこれらの行為が、いけない事だという認識はみぢんもないらしく、「アタシは素直で馬鹿正直だから、人に陥れられるんです」「アタシには何一つとして非がないのに、不当に先生から差別されて、嫌われてるんです」「演劇みたいに集団で何かをやるには、アタシみたいに一人ガマンする人がいないと、成り立たないんですよね」という事を、しょっちゅう吐いてました。
それに対して私が、「、、、えっとねぇ、私が思うにはねぇ、、、」と、原因は彼女自身にあるのだと解らせようとすると、決まって、「あー、はいはいはいはい、ぼんぼちさんのお説教なんて、聞く気ありませんからっ!」と、プイッと横を向いて、話しをシャットアウトしてしまうのでした。

私がそこの研究所の日曜クラスにいたのは三年半の間でしたが、とにかく、発表会でのその人の突然の言動のために、発表会が了ると、いやぁ〜な感情だけが残り、その日の夜は、行きつけのジャズ喫茶で、記憶がなくなるくらいまでしたたか酒をあおらなければ、ストレス解消できませんでした。

これが、私がもう二度と、発表会がある所では演技をお習いしたくない理由です。
無論、どこの発表会のあるクラスにも、こんな人が一人づついるとは限らないとは百も承知ですが、「もしも、もしも、又あんな人がいるとしたら、、、」と、その可能性はゼロではないと思うだけで、私の精神はフリーズしてしまうのです。
もぅ、あんな理不尽な理由でストレスを溜めるのは、こりっごりなので!!

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黄色いガチャ [写真]

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洒落たカフェの前に設置されていた ちょっと珍しいフォルムのガチャのケース。
黄色いガチャの鮮やかさと巧く緩急がつくように、ガチャのケースの下の方を、ぐっと暗くしやした。
あっしなりにでやすが、こう加工する事によって、バランスが取れ、納得の一枚となりやした。
背後の外壁の葉のないツタやガチャケースに映った裸の街路樹も、真冬に撮った季節感を醸し出していて、プラスの効果に働いてくれたな、と思ってやす。

ガチャ業界、ますます繁盛しているようでやすね。
最近は、店そのものがガチャ専門の所とかありやすもんね。
やはり勝因は、大人向きのガチャやマニアックなガチャをあれこれたくさん作ったことでやしょうね。
「えぇっ?!こんなガチャがあるの?!」と、驚くことしばしばでやす。
考案する人の発想と、それにOKを出す上層部の賭け精神に、アッパレでやす。



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今はなき国立スカラ座併設の喫茶店 [喫茶店・レストラン・カフェ]

昔はどんな小さな町にも名画座が在ったように、東京郊外・国立の町にも、国立スカラ座というそれが在った。

私は、小学生の時、国立スカラ座には、一度だけ入った事がある。
学校の夏休みの課題として「鯉のいる村」という、宇野重吉さん主演の文化映画を観に行く事が出されたからである。

以来、国立スカラ座は素通りするだけになってしまったが、中学に入ってから高校卒業までの六年間、私は必ず、学校帰りにどこかの喫茶店に寄るのをならいとしていたので、国立スカラ座にも併設の喫茶部がある事を思い出し、しばしば、喫茶部には、足を運び入れていた。

内装は、焦げ茶色の木造りで、昼間でも薄暗く、カウンター中心の横長の店だった。
店の奥には、洋画のパンフレットが雪崩れていた。
私はいつもカウンターの真ん中に陣取り、ブラックコーヒーを所望した。
そして、カウンター中央の一段高い所にある 山と盛られた食べ放題の塩茹でのジャガイモを、二つばかり頬張るのだった。
今思い返すと、フードメニューがあまりない喫茶店で、ジャガイモ食べ放題とは面白いシステムなのだが、食べ盛りの当時の私は、何の疑問も抱かずに、ペロペロと皮を剥き、小腹を満たしていた。

その喫茶店も本体の国立スカラ座も、もうとうになくなってしまった。
名画座も喫茶店も、哀しいかな、絶滅の一途を辿るばかりである。

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外壁のたくさんの四角 [写真]

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裏ぶれた小路の外壁の下の方に付いていた たくさんの角砂糖くらいの縦横の四角。
元の色は、外壁が灰色で、四角は黄土色だったのでやすが、この四角は何なのか、さっぱり謎でやす。
謎は謎なんでやすが、アート写真のナイスなモチーフなので、迷わず撮りやした。
加工は、成立する色合いは何種類もあったのでやすが、個人的に好きな 赤が感じられる色合いに決定しやした。
観てくださる方も、この四角の正体が何なのか気になるところでやしょうけど、抽象画を鑑賞する感覚で 軽く楽しんでいただけると幸いでやす。

角砂糖ーーー
近年、すっかり目にしなくなりやしたね。
だから、アレンジコーヒーのある喫茶店からも、カフェロワイヤルがメニューから無くなりやしたね。
カフェロワイヤル、あのちょっと気取ったパフォーマンスが好きで、中高生の頃、よく飲んでやした。
今考えると、お酒は、ブランデー以外にも、ダークラムでも美味しかっただろうな、、、と思いやす。




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悲しかったプレゼント [画家時代]

このブログを長く読んでくださっている方は、ご存知のように、私は、18才~27才まで、毒母を養う為に、画家をやっていた。
そして、テレビの美術番組や美術誌に私の作品が紹介されると、調べて、私の所に「絵を習いたい」という人が、何人もやって来たので、日曜の午後は、自宅アトリエで、絵を教えていた。

それとなく私の誕生日を聞かれたのか、クリスマスだったのか、中元歳暮の時期だったのか、そこは失念してしまったが、ある時、生徒一同が、私にプレゼントをくれた。
「先生!これを着けて、毎日お仕事してください!」
「みんなで相談して、選んだんですよ!」
「そうなんですよ!先生、絶対、お似合いになりますよ!」
と、一筋の濁りもない笑顔とともに。

教室が終わって箱を開けるとーーー
出てきたのは、40才代~60才代の主婦が着ける様な、いわゆるオバチャンエプロンだった。
私は確かにその頃、ほうれい線があご先までくっきり深々とあり、頬全体がブヨンと垂れ下がった、いわゆるギョウジのウチワ型の顔で、老けて見られている事は百も承知だったのだが、改めて鏡を突き付けられた様で、悲しさがこみ上げ、泣いてしまった。
生徒達には、いちるの悪意も無いと解っていたから、よけいに悲しかった。
悲しくて悲しくて、身体を二つに折り、一人、アトリエの真ん中で、わんわん泣いた。
それはもうアトリエ中響き渡る声で、わんわん泣き続けた。

ーーーその時、私は、19才だったのだ。

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閉店SALEのチラシを貼られたメンズマネキン [写真]

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ビジネススーツ店のウインドゥで閉店SALEのチラシを貼られたメンズマネキン。
窓に映り込むビル群などもあえて見えるように撮り、ここが賑やかな街の駅前であることが解る様に、リアリズムを大切にしやした。
なので、加工は何もしてやせん。

コロナ騒動になってから3年、時代は完全に変わりつつあるのを実感しやすね。
この様な大手ビジネススーツ店が閉店したり、デパートやレンタルビデオ店が閉店したり、大繁華街の1階でありながらも、空きテナントが出ていたり、、、
以前は、繁華街って、具体的な目的はなく家を出てウインドゥショッピングをしたりするだけでも、1日楽しめたのに、もうそういう時代は終わりでやすね。
まあ、時代は変わるものだから仕方がないとしても、街歩きが好きなあっしとしては、一抹の寂しさを覚えずにはおられないものがありやす。



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第24回第25回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、2月13日(月)第24回「リチャード三世」、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、2月13日(月)第24回「リチャード三世」。
最初に、グロスター(のちのリチャード三世)の、まるまる一頁に渡るモノローグの長台詞を勉強しました。
私は、これまでのレッスンを全回出席していて、「リチャード三世」をお習いするのは四度目だったので、とにかく前三回でダメ出しを受けた箇所は もう二度と同じ指摘はされない様にと、そこに全神経を使い、ちょっと緊張しながら読みました。
読み了えると先生は、「何かカセにハメられている様に感じられるね」と仰いました。
私が前述の理由を打ち明けると、「じゃあ、今度は、自由に好きに読んでみて!」
二度目に読んだらーーー
「おれは悪党となって、この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる。」の「悪党」と「憎んでやる」を両方同じくらい強く言っているから、「悪党」の方を少し弱めるように、と、ラストの「おはようございます、兄上、これはどういうことです?」の「これはーーー」以下を、意図的に変え過ぎているので、声の響きは変えずに 感情だけ変えるように、とのご指摘を受けました。

グロスターが殺した王の夫人アンとグロスターのダイヤローグではーーー
「アンは夫を殺されて最大限に怒っているのだけれど、グロスターの口説き文句によって 怒り方がどんどん変わってゆかなければいけない。それをぼんぼちさんは、ずーっと同じ怒り方で読んでいる」とダメ出しされました。
どういうふうに怒りが変わってゆくのかーーー、これが次回にまた「リチャード三世」がテキストになった時の私の課題となったので、もっと何度も何度も読み込んで、正確にアンの心情を表現出来るようになろう、と思いました。

素読み(感情を入れない読み方)に関しては、先生は、「実は、素読みと本番読みは、全く別の位置にあるものではなく、素読みの延長線上に本番読みがあり、『別の読み方で』と言われたら、いつでも一旦 素読みに立ち戻って来られなければいけない。又、感情が抑えきれなくなったら、いつでもどこでも感情を入れていいんだよ。ぼんぼちさんは、そろそろそこに気づいてもいい頃だよ」という様な内容の事を仰いました。
私は、今まで、素読みはデッサンと同じものと解釈していたので(デッサンというのは、何千枚同じモチーフを描こうが、一ミクロンも感情を入れてはいけなく、無感情で完成させるものなので)目からウロコでした。

最後に先生は、「ぼんぼちさん、前回の時の方が良かったね。今日は台詞が団子になってるし。(明瞭ではないという意) まあ、一番いいと言われた時のを常に維持するのは難しいけどね」と仰いました。
内心、自分でも感じていただけに、この日は少し残念な出来となってしまった一日でした。

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次に、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」。
この日は、レッスン生の人数が少なかったために、非常に非常に濃密な授業を受ける事が出来ました。

先ず、何度も「まだまだ!」と口酸っぱく注意をされたのは、私の場合、言葉より感情が前に出過ぎてしまって、何を言っているのかが明瞭に伝わらない。あくまで、感情く言葉 なので、もっと巧く自分でコントロールする様に!でした。
特に、三行、五行くらいの長さの台詞で、感情が高ぶっている所だと、感情がうわあ〜っ!と湧き上がってきて、言葉がとても明瞭でなくなってしまうので、もっともっと言葉優先で、と。
自分でも、頭では解っていて自覚があるだけに、もどかしく、先生の仰った様に、これからは「巧くコントロール」する事を、心して台詞を読む様にしよう!と、自分に言い聞かせました。
これは、今の私の大きな課題です。

この回のレッスンでは、ワンセンテンスの「、」の所やダイヤローグの相手への受け渡しで、如何になめらかに、ブツッ!と途切れないで、音はつながっていなくとも空気はつながっている様に読めるか、も稽古しました。
先生は書道を例えに出してくださり、「氵」は、点三つだけど、空気はつながっているでしょ?と。
こういうつながりを「気脈」というのだそうです。
それを言葉で演るのはとても難しいな、と思いましたが、いつかは出来るようになりたい技術です。

又、「没入感」ーーーいわゆる、演者が役に入り込んでゆく事ですが、どうすれば没入できるのかの練習法は、台詞の中の一つ一つの言葉を何度も何度も、それはもう何度も、ありとあらゆる言い方で発してみて、トランス状態になるくらいまで言ってみる、のだそうです。
次の回のテキストが来たら、試してみようと思いました。

あと、細かな発音では、「つ」が「つっ!」になってしまっていて、聞いていて美しく感じられない、
「剣(けん)を」の「ん」が短く詰まってしまっているので、「けんを」と、三音とも同じ長さで発音する、
「わ」というのは半母音で「あ」にとても近い音なので、ワンセンテンスの中に「わ」と「あ」がある時は、韻を踏む様に読むと、聞いていて心地が良い、という事を指摘されました。
そして、「ぼんぼちさんは発音が美しくないから、ぼんぼちさんがこれまで生きてきた上に言葉を積み上げる感覚ではなく、赤ちゃんになって、そこから言葉を覚え始める気持ちで向かうと良いよ」という様な内容の事を、先生は仰いました。
これも難解な課題だと感じましたが、そういう意識を持って自主練&レッスンに臨もう!と拳を硬くしました。

それから、レッスン了りには、前々回の回で、先生がチラとお話しをされた「高文脈言語」(詳らかに説明しなくても通じる、日本語に代表される言語)と「低文脈言語」(ハッキリと説明しなければ伝わらない、英語に代表される言語)について、今一つ私の中で、具体的に見えて来なかったので、そこを質問しました。
すると先生は、「ここで言う『言語』は、『社会』と置き換えたほうが解りやすいね。要するに、国でスッパリ分けられる訳ではなく、例えば、映画というジャンルは、国を問わずに高文脈社会になるね。言葉で全てを説明するジャンルではないから。対して、吉本新喜劇は、ぜーんぶ言葉で説明しているから、低文脈社会だね」と、大変解りやすい例えを挙げてくださいました。
私はシナリオ作法も勉強していた事があり、映画がどれほど、台詞以外の手段で諸々を観客に伝えるかをよく知っていたので、大きく頷けました。

今回のレッスンでも、勿論たくさんダメ出しはされましたが、先生の貴重なお話しもたっぷり聞かせて頂けて、充実度120%の授業でした。
次回のレッスンも、頑張って臨みたいと、今から心の準備をしています。

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錆びた鎖 [写真]

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かなり年月が経ったと思われる、錆びた鎖。
鎖の力強さと錆びた退廃性をより前に出すために、コントラストを強めてみやした。
単純な構図であるだけに、どう感じてくださるか、観てくださるかた各々に委ねやす。

鎖って、、、人を束縛する例えによく使われやすよね。
みなさんは、束縛されるの好きでやすか?苦手でやすか?
あっしは、束縛は、まっぴらゴメンでやす。

そうそう、一度目のダンナがねぇ、何かと束縛する人だったんでやすよ。
例えば、ジャズは、あっしは、ラグタイムとスウィングだけが好きなのに、元ダンナはフリーが好きで、フリーのフェスとか連れて行かれたり。
で、延々3時間半、地獄のような時間を作り笑いで付き合ったり、、、
自分の趣味は、自分一人で楽しめばいいのにさ。
でも、あっちに言わせると、「ぼんぼちちゃんは、『人は人、自分は自分』の冷たい人だね」って言ってやしたけどね。



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お洒落をするのに、まず一番初めに買うべき物 [ファッション]

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私はお洒落命の人間なので、しばしば「ねぇ、ぼんぼちさん、アタシもお洒落な人になりたいんだけど、最初に何を買えばいい?」というようなことをよく聞かれます。
私は迷わず「姿見、持ってる?」と尋ねると、そういう方は、ほぼ100%の割合で「持ってない」とお答えになります。
私は、「ではまず、姿見を買いましょう。150cm×60cmくらいの、全身が余裕で映る大きさのを。それで、鏡の縁にぐるりと電球をつけましょう。正しい色彩が解るために」(写真参照)と言い切ります。
お洒落とは、何かをポンと身につければそれで成立する訳ではなく、頭のてっぺんからつま先までのコーディネートのバランスが完璧に取れて、初めて成立するからです。

ファッションアイテムは、「自分が愛して愛して愛し抜ける」と「客観的に、自分の体型や肌色や雰囲気に合っている」、その二つの要素が交わる物を選びましょう。
お洒落は、精神と肉体の両方の重なりでするものだからです。

そういったファッションアイテムを何か一つ手に入れたら、姿見の前で、合わせる服をつけ、アクセサリーもつけ、靴も履き、鞄も持ち、メイクをする人は、そのファッションに合ったメイクをしてみて、コートを着る場合は、コートを着た時と脱いだ時の両方で成立しているかを、確認します。
又、着方一つでも大きく印象が変わりますから、例えば、このカーディガンは、いくつボタンを外すのがベストか、このコートは、抜き襟でズルッと羽織る方がかっこいいなど、「どう着るか」も決めてゆきます。
丈詰めなど、お直しした方がバランスがキマる場合は、大きめの目玉クリップで、「どの丈が自分にとってベストバランスな丈か」を、あれこれ試してみて、ベストな丈に直しましょう。
髪型や髪の色も、計算に入れなければなりません。
ロングで、垂らしたりまとめたり縛ったりする人は、このコーディネートにはどのヘアスタイルがベストバランスか、髪の色を染めている人は、アイテムに髪色が合っているか、を確かめます。
それから、「自分は背が低いんだけど、もっと高く見せたい」などの願望がある人は、背が低い場合は、ボトムスにポイントがあるアイテムは選ばない、や、大きめのペンダントトップを短めの長さでつける、といった、目の錯覚を起こさせるテクニックを使います。

又、流行モノは、常にチェックしておきましょう。
これは、「いいな!自分に着こなせるぞ!」と思っても、流行ってる物だった場合、街を歩くと、あっちにもこっちにも、似たようなアイテムの人を見る結果を招きます。
流行モノをうっかり買ってしまわない為に、流行チェックをするのです。
流行モノを身につけると、「お洒落な人」になるのではなく、「よくいる人」になるだけです。
お洒落で大事なのは、世界で唯一無二の見た目と心の自分を、最大限に映えさせる事なので、流行モノをつけると、自らそれを潰してしまう事となるからです。
長いスパンでのクセのない定番モノなら、自分ならではのアレンジが可能なので、取り入れても、唯一無二の自分を失わずにいられて良いでしょう。

以上、簡単ではありましたが、お洒落をするには、何故、まず姿見が必要か、を述べさせていただきました。
これからお洒落な人になりたいとお考えの方は、是非、試されてくださいませ。

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