石井隆監督を偲んで「ヌードの夜」 [感想文]

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先日、5月に、映画監督の石井隆氏が、大病のために亡くなっていた事が解った。 享年75才。
という事で、今回は、石井隆監督作品中、私が最も 愛して愛して愛し抜いた作品「ヌードの夜」の感想を つづらせて頂こうと思う。

「ヌードの夜」 1993年製作 脚本も石井隆氏

先ず、シノプシスは、孤独で哀しい女・名美が、夜の世界に生きる男・行方に脅され続け、やむにやまれず殺してしまい、その後処理を、偶然、街で貼り紙を見つけた事により知った 何でも代行屋・村木に だます形で させようとする。
一度はこの理不尽さに逆上した村木だったが、行方の弟分のチンピラに暴力を振るわれ 恐怖の極地に立たされている名美をほっておけず、銃を手に入れ、名美を救い出し、のち、エロティックにむすばれる。ーーーが、実はそれは村木の幻影で、名美は、村木に行方とのいきさつを打ち明けた直後の時点で 車で海にダイブして死んでいた、というものである。

とにかく、映像が美しい。
名美の涙を象徴する 幾多のシーンで使われる雨、クジラの模型や人形や転がるメリーゴーランドの置き物の配置、名美が、サラ金屋に打たれ殺される時に、名美の背後に山と盛られた黄色い向日葵と サラ金屋の片手に下げられた青いビニール傘の補色の対比(この場面も、ラストで幻影だったと判る)等等等、、、

中でも、私がダントツに美しいと感嘆したのは、小雨降る波止場で、名美が村木に、行方とのいきさつを打ち明けるシーンである。
名美は、ケンケンパをしながら、いつの間にか遠くのコンクリートの塊の上に登り 隠れてしまうのだが、これがロングで撮られていて、名美の孤独さ・哀しさが、実に巧く表現されているのである。
私はこの映画のシナリオの決定稿を所有しているが、決定稿にも「名美、ケンパをしながら小さくなってゆく」と ト書きに書かれていて、このシーンは、早い段階から 石井監督の頭の中に明確に描かれていたと判る。
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又、秀逸なのは、映像美のみならず、名優がたの名演技である。
名美役の余貴美子さんの、リアリズムでありながらも、時々フッ!とハズシを入れる事で観客をグッ!と惹きつける計算され尽くした演技、村木役の竹中直人さんの、実直な人柄でありながらも、濡れ場の後で見せるユーモラスさ、行方役の根津甚八さんの、肝の座った底知れぬ怖さ、チンピラ役の椎名桔平さんの、迫力に満ち かつ 預けられた仔犬に重ね合わせる 拾われた自分の哀しみ、、、

映画監督には、一にもニにも映像美重視で、役者さんの演技に関しては、「こういう風貌の人が、ここにいてくれれば、それでいい」くらいに 演技までは細かくこだわらない人がいる。
一方、逆に、「役者さんがいい演技をしてくれれば、キャメラが役者さんに合わせて追うから、とにかくいい演技をして自由に動いて!」ーーーつまり、背景との重なり・構図などは重要ではない、という人もいる。
この様に、どこに重点を置くか にムラがあり、「それでいいんだ!」という監督は、少なからずおられる。

しかしーーー
石井隆監督作品は、映像美にも役者さんの演技にも 両方 寸分たりとも手抜かりがなく、両者を相乗効果で高め合い、見事に成立させているのである。
私は、石井隆監督作品の真骨頂というのは、そこにあると思わずにおれない。

何故、石井監督が、この様な映画を撮れる監督になられたかというとーーー
石井隆氏は、学生時代は、早稲田の映画研究会に在籍しており、早大の映研は、主に 商業の劇映画を研究するハイレベルな研究会だった(否、今現在も進行形だが)というから、そこで商業の劇映画の基本を徹底的に学ばれたのだろう。
そして卒業後は、劇画作家として、自ら絵も描かれていたので、映像の審美眼は、自ずと高められていったのだろう。

この二つの経験が、映像美にも役者さんの演技にも、厳しく高度なものを要求し、スキなく完成させられる原動力になったに違いあるまい。

虎が死して皮を遺す様に、石井隆監督は、完全無欠な映画を遺してくださった。
石井監督、我々映画ファンに、多大な感動をありがとう!
監督の大好きだった雨の彼方の空で、安らかにお眠りください。

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企画展「日本の映画館」を観に行き [感想文]

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先日、国立映画アーカイブス展示室で開催されている企画展「日本の映画館」を観に行った。
タイトル通り、日本の「映画館」の歴史を、時系列で、写真 ポスター パンフレット モニターその他で以って、大規模ではないものの 解りやすく 押さえるべき所はしっかりと押さえた 好感の持てる企画展だった。

関東大震災前の幟旗を斜めに数多立てた着色写真は、映画がいかに庶民の娯楽の王道だったかを物語り、震災後の浅草六区の 芋を洗うが如くの人の頭の数から 当時の浅草がいち早く復興し 東京一の大繁華街だったかが手に取る様に見え、戦後、主要な街々に映画館が建ち始めた時代のそれは、いずれも瀟洒な凝った造りの建築で 映画というものが人々にとって どれ程とっておきのお出掛けの場だったかを象徴しており、60年代には ATG作品を主に掛けていたアートシアター新宿で公開された作品ポスターも貼られ ATG好きの私は「あぁ、もう少し早く生まれてさえいれば、アートシアター新宿に、あの作品もこの作品も足を運んで観られたのに!」と唇を噛んだ。

そして私がリアルタイムで体験しているミニシアターの時代のブースに来ると、聴き覚えのある女性のナレーションが流れているのに気がついた。
声を追って近づくとーーー
なんと! 同SSブロガーである事をきっかけに交流させて頂いていたドキュメンタリー映像作家の森田恵子さんの「まわる映写機 めぐる人生」が、モニターに映し出されていたのだ。
「まわる映写機 めぐる人生」は、私も公開時に観に行き、主にミニシアターを運営する方々や、映写技師さんのお仕事ぶりを取材した作品だった。
悲しい事に森田さんは、一年ほど前に、まるで まだみずみずしい果実がぽとりと木から落下してしまった様なあっけなさで、大病のために、この世からいなくなってしまったのだった。
私は観映後、森田さんに、「地方にもミニシアターってあるのかな?って気になっていたんですけど、頑張ってるミニシアターもあるんですね!」と笑顔を向けると、「はい、あるにはあるんですけど、東京に比べると、まだまだ少ないんですよ」と 淋しく笑顔を作られたのが忘れられない。
お育ちの良さが伺える とても品が良く物静かな方だった。

新たな発見と、再認識と、小さな悔しさと、思いもかけぬ懐かしさと悲しさ、といった ごったな感情を胸に、私は会場を後にした。

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さて、では、私にとって 特別に思い入れの深い映画館はどこだろう? と自問してみると、三館浮上した。
アップリンク渋谷 イメージフォーラム シネマ下北沢。
いずれもミニシアターである。

先ず、アップリンク渋谷は、公園通りとファイアーストリートの間の坂道に在った頃からしばしば通っていた映画館で、スタン・ブラッケージやヤン・シュヴァンクマイエルなど、他ではなかなか扱われない作家の作品を上映してくれていて、その度に 勇んで坂道を登ったものだ。
奥渋へ移転してからは、私が最も敬愛し続けている松本俊夫先生の短編実験映画全作品が 何日間にも渡り映られた企画には、大興奮した。
客席は連日、松本俊夫先生ファンで ぎっしり埋めつくされた。

次に、イメージフォーラム。
こちらは劇場の他に研究所の運営も営っていて、私はこの研究所で、「世界実験映画史」と「インスタレーション」の講座を受講し、劇場上映はまず行われない貴重な作品の数々を、先生の詳らかな解説付きで観られた事が、非常に大きな糧となった。
寺山修司の「市街劇ノック」が、記録映像としても遺されており、それを観る事が出来たのも、熱烈な寺山ファンでありながらも まだ子供だったという理由で行けなかった私は、感涙せずにはおれなかった。

そして、シネマ下北沢。
これぞ、私の中で、「こんな映画館があったらいいのになあ!」という夢が具現化された ウッディで温もりに溢れる カフェカウンターも併設された 私の嗜好にパズルがカチッとハマった、私にとって、これ以上はない映画館だった。
経営者の一人で映画スタイリストでもある宮本まさ江さんと、映画にまつわるシンポジウムでダイヤローグを交わす機会もあり、映画スタイリストは、役者さんより早く現場に到着して 役者さんが帰ってからでないと帰れなく、撮影期間中は連日 睡眠時間が2時間という 過酷なスタイリストのお仕事の現実も打ち明けてくださり、物心ついた時から高2の了りで母親の方針で泣く泣く諦めるまで、スタイリストを仕事とするのが夢だった私は、「あぁ、もしも夢が叶ってスタイリストになれたとしても、私だったら、どこかの時点で音を上げていたかも知れないな」と溜め息をついた。
又、せんえつながらも、「シモキタは演劇の街でもあるので、本多さんの劇場全てとシネマ下北沢が提携して、同作品や同テーマの映画・演劇をいっせいにやる企画なんてのも 面白いと思います!」と発したら、宮本さんは、「そうですね、いいですねぇ」と頷いてくださったのも良き思い出である。

この三館のうち、イメージフォーラムを除くニ館は、すでに、無い。
身悶えするほど切ないけれど、街から次々と、ミニシアターが消えてゆきつつある。
ミニシアターの時代も、終わりに向かいつつあるのだ。
しかし、無味乾燥の大手シネコンしか知らないで「映画館を知った」つもりでいる人ばかりの世の中になってほしくはない。
せめて、現存するミニシアターは、遺り続けてほしいと、心の中で手を合わせるばかりである。
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映画「ジャニス・ジョプリン」で、ジャニス降臨! [感想文]

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先日、映画「ジャニス・ジョプリン」を観に行きました。
この映画は、同名のブロードウェイミュージカルを、キャメラワークを駆使して映像に収め、一本の映画作品として、本場ブロードウェイまで足を運べない日本の演劇ファンを対象に、松竹が仲介役となり 作られた映画です。

先ず、幕が開くとーーー
そこはジャニス・ジョプリンのライブ会場。 ジャニス役の役者さんが、いきなりジャニスの代表曲を熱唱し始めます。
舞台を観に来ている観客は、その時点で、ジャニスのライブを聴きに来ている観客という設定となります。
何曲か歌ったジャニス役は、MC席に掛け、「私が最初に耳にした音楽はね、子供の頃 お掃除していると、いつもお母さんがベッシー・スミスのレコードをかけててね、、、」などと、思い出話しを観客に向かって始めます。
すると、ステージ上方から、当時の扮装をしたベッシー・スミス役の役者さんが、ベッシー・スミスの代表曲を歌いながら階段を降りてきます。
こうして、ベッシーの他に、ニーナ・シモン、オデッタ、エタ・ジェイムス、アレサ・フランクリンと、ジャニスの人生の、その時時で彼女に多大な影響を与えた女性ブルースシンガーが、ジャニスの歌の合間のMC時に 降りて来ては歌い、時に彼女達は、ジャニスと共に歌い 手を取り合い、思い出と劇中の現実が一体化する場面も出てきたりします。
こうしてジャニスを中心に、思い出の歌手達とのライブは盛り上がり、ジャニスは、「私は、これからも頑張って歌っていくわ!」と観客に呼びかけ、幕は閉じます。

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私はこの構成に、「アッパレだ!」と、舌を巻かずにはおれませんでした。
この舞台は、ジャニスの伝記演劇なのですが、ジャニスが幼かった頃は、絵ばかり描いていた孤独な少女だったとか、後期はドラッグに溺れて、そして若くしてドラッグで死んでいったとか、そういった 彼女がどの様な生涯を送ったかという事は、この舞台を観に来ている観客の99.99%は、十二分に知っている訳です。
時系列でジャニスの成長を追ったり、回想場面を用いて、子供だった頃のジャニスを登場させ、たとえその子役が最高に上手かったとしても、観客の99.99%は、「私達が、このミュージカルで観たい聴きたいのは、そんなんじゃない!」と、不満でいっぱいになるのは必至です。
そう!この舞台に足を運んだ客、ひいては この映画に足を運んだ客の99.99%は、ジャニス・ジョプリンの曲を聴きたいのです。
如何に、ジャニス役の役者さんが、ジャニスと寸分違わぬ歌声を聴かせてくれるのか という事に期待を集中させているのです!

ジャニス役の役者さん、期待を遥か遥かに上回る素晴らしさでした。
何の前情報もなく あの役者さんが歌っているのを聴いたら、「あぁ、ジャニスね、いつの録音の?」とみぢんも疑わないほどに、声質から歌い方まで 完璧にジャニス・ジョプリンでした。
ジャニス降臨!とは、まさに こういう事を言うのだ!と、感嘆しました。

又、ラストの台詞が、笑顔で「これからも私は歌っていくわ!」というのも、心憎く 涙を誘わずにはおれませんでした。
あんなに早く逝ってしまうとは、ジャニス本人は思ってもいなかったのですから。
あれを、ジャニスの早逝を表現する演出ーーー舞台上でバタッ!と倒れたり、「薬!薬!薬!」と叫ばせたり、ジャニスに影響を与えたシンガー役達に、「ジャニスはもういない」などと歌わせては、鼻白むというものです。

私は、ジャニス・ジョプリンの熱烈なファンという訳ではありませんが、ロック喫茶を訪れた折には、必ずジャニスのアルバムをリクエストするくらいに好きです。
中でも、サマータイムは、他のどのミュージシャンが歌うのより、聴き入ってしまいます。
勿論、本作品でも歌われ、私を陶酔の極地へといざなってくれました。

日本に居ながらにして、映像化といえども、ブロードウェイミュージカルの達作が観られるなんて、幸せの限りです。
「松竹ブロードウェイシネマ」という企画の一つなのだそうですが、松竹さん、これからもこの企画、是非とも続けていただきたく思います。

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久世光彦著「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」 [感想文]

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久世光彦さんというと、多くの方は、テレビプロデューサーの業績を思い浮かべるかも知れない。
けれど久世さんは、後年は、小説 評論文 私小説 エッセイなど、書くお仕事もされていて、それらも高い評価を受けている。
今回ご紹介する「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」は、文士としての久世さんの、「死ぬ前に何の歌を聴きたいか」というテーマにのっとった 秀逸な 評論文とエッセイの中間あたりに位置する作品集である。

53曲の歌ーーー主に流行歌、他には唱歌、軍歌などもーーーを取り上げられ、ご自身のその歌にまつわる直接的な思い出話しや、独自のイメージを膨らませた歌詞の解釈、歌っていた歌い手さんの人となり、そして時代背景についてまで、柔らかでありながらも骨格のしっかりした文体でつづられている。

久世さんは昭和10年のお生まれだから、私は古くて知らない歌が殆どで、53曲中 知っていたのは、「君をのせて」(沢田研二)「赤色エレジー」(あがた森魚)「プカプカ」(西岡恭蔵)「月の砂漠」(唱歌)の4曲だけだった。

しかし、全53曲分を読んでみると、そこに通底した久世さんの、熱く強い思いを感じずにはおれなかった。
それはーーー
これらの、決してクラシックのように高尚ではない歌は、家族の思い出、ひいては絆そのものであり、それらを家庭で口づさんだり、声を揃えて歌った事は、家族の結束の具現化だったーーーという事である。

ここに私は、ハッ!とした。
何故なら、私には、そういった体験がみぢんもなかったからである。

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それは私の家庭が、母親が人格破綻者だったために「家庭」という体をなしていなかった事のみならず、父がクラシック音楽以外は音楽とは認めない、ましてや流行歌などは、オンガクとすら言えないゲレツなものだ、という考えの人だったからである。

父は尊敬できる人だった。
私を育てるために頑張って仕事に邁進してくれ、人を愉しませるために常に明るくハッハと笑い、少しも説教たらしくなく レストランでのカトラリーの扱い方や食前酒の注文の仕方を さりげなく教えてくれた。

だが、この久世さんの一冊を読み了えた時、父の「クラシック以外は音楽とは認めない」という考えだけは間違いだったと 気がついた。
どうして父が、そのような考えの人になってしまっていたかというとーーー
父は、私が3才までクラシックのバイオリニストだったからである。
クラシックというのはなかなか稼ぎにならなくて、しのぐ目的で、歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをしていて、それが耐え難いほど屈辱的だったそうである。
父は優しく寛大な人だったので、私がステージ衣裳観たさに歌番組を張り付くように観ていても、「観るな」とは決して言わなかったが、決まって後ろのソファにふんぞり返って、「けっ!下手っクソな流行歌手がっ!」と 独白していたのである。
だから私も、尊敬する父の言う事だから、流行歌というものは、あえて耳を傾けるに値しないゲレツなジャンルの音楽だと、漠然と信じて育った。

しかし、この著書の中での久世さんの、流行歌というものが人に与える大きさ、そして流行歌の中には、心を揺さぶられる 棺桶に入るその時まで繰り返し聴いていたい名歌詞が幾多ある事を知り、自分がかつては、衣裳目当てに観ていた歌番組で、なんとなく聴き憶えていた流行歌の数々をカラオケで流し、歌詞を追ってみると 十二分に文学になっている 優れた歌詞が、あぁ!あの歌もこの歌も!と気づかされた。

いくら尊敬できる父も、完璧ではなかったのである。
流行歌という部分に関しては、久世さんが私の父となった。

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映画「夜がまた来る」にみる完璧な映像美 [感想文]

世の中には、もっと高評価を受けていい筈なのに 相応しい評価を受けずに 映画史に埋もれている作品というのがある。
今回紹介する「夜がまた来る」も、そんな映画の一つである。

「夜がまた来る」
監督・脚本 石井隆
1994年製作

シノプシスはーーー
麻薬Gメンとして潜入捜査を始めた夫が何者かに殺された妻・名美が、夫殺しの犯人だと目星を付けた某ヤクザの組長に、高級クラブのホステスとなり近づき、組長の女となり、チャンスを見つけるや殺そうとするが、失敗し、組長に、場末の風俗店に売り飛ばされ、シャブ漬けにされてしまう。
そんな名美を探し出し、シャブの後遺症を抜かせるまで献身的に尽くしたのが、その組の幹部・村木であった。
名美は村木と計画的に組長をおびき寄せ、今度こそは抜かりなく組長を殺そうとするが、村木のピストルが、かつて夫が持っていたピストルと同一の物だと気づいた事により、夫を殺したのは組長ではなく村木だったと判り、一度は愛した村木を殺して、了。
村木は、実は、徹底的に組の者のふりをした麻薬Gメンで、意見の対立から、名美の夫を殺し、復讐をきっかけにどこまでも堕ちる名美に対しての自責の念から、あれほど名美に尽くしたのだった。
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このシノプシスからも判るように、物語は、非常に残酷で血生臭く 濡れ場も多い。
しかし、この作品を鑑賞するにあたって 見逃せずにおれないのは、紛れもなく「映像の美しさ」である。
季節の移り変わりを表現する、じっとりと止まない梅雨時の雨や ビル群に舞い落ちる雪や 揺れる桜の大木。
夫が麻薬横流しの疑いをかけられ マスコミに追われた名美に蘇る、数多のフラッシュの発光する白さ。
見せてはいけない部分は見せずに巧く隠しつつも、実にエロティックに 感心するほど様々な構図で展開される 数々の濡れ場。
場末の風俗店で シャブ欲しさに働く、下品なドレスと厚化粧を纏い 自暴自棄になっている名美を、村木が制し、夜の海辺でもつれ合う退廃的な画。
シャブが抜け、どれほど献身的に自分に尽くしてくれたかを悟った名美が、村木と身体を合わせるに至る、ブルーのトーンに玉ボケのゆっくりと落ちる、純粋に愛する心の表現。
村木が舎弟の首にビニール傘を刺し、血まみれのビニール傘が歪んでパッと開き、風に乗って飛んでゆく、おどろおどろしい美。
クライマックスシーン、つまり、名美が村木を殺す場である 夜の廃ビルの屋上に煌々と輝く イエロー オレンジ 黄緑色の、山積みにされたネオン。

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映画というものは、この様に、時間軸の移行や登場人物の心情を、「画」で以て表現するものである。しかも、そこには美しさがあってこそ魅せるに値するものである。それでこそ「映画」だ。と、改めて 深く納得させられずにはおれない。

中でも特に「心憎いなあ」と嘆息したのは、冒頭のショットとラストシーンとのつながりである。
冒頭のショットは、黒とピンクの幾何学模様が画面いっぱいに広がっている。
観客は、「はて? これは何だろう?」と、否が応でも前のめりになる。
するうち、キャメラがぐんぐん引きになり、それはピストルの持ち手部分に、名美が、自分と夫との絆の証として ピンクのマジックペンでハートを描いているのだと明確になる。
その段階まで観ている限りは、「ふうん、こういう冒頭のショットもあるのね」くらいの気持ちでいるのだが、ラストの屋上のシーンで、村木が持っていたピストルが、そのピンクのハートのピストルであったが為に 名美は瞬時に全てを知り、村木にピストルを向けるのである。
何という見事な、起と結の繋げ方だろう!! アッパレである。

であるから、この作品、家庭の小さな画面ではなく、是非とも機会を待って、劇場のスクリーンでご鑑賞いただきたい。
私は、去年の秋冬に神保町シアターで開催されていた「夜の映画たち」特集で鑑賞した。
余りにも感動したので、翌々日に、も一度足を運ばずにおれなかった。

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作・朗読 山田孝之「心に憧れた頭の男」を読み聴いて [感想文]

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10月20日に、私・ぼんぼちの最も敬愛する俳優・山田孝之氏の38回目のバースデーを記念して、氏の 作・朗読によるCD付き書籍「心に憧れた頭の男」が発売されたので、迷わず購入した。
「心にーーー」は、山田氏が13年間に渡り 月刊誌「プラスアクト」に隔月で掲載されていた詩を、一冊の本と一枚のCDにまとめたものである。

先ず、書籍を読んでの感想であるがーーー
一作の中で 同時に真逆の事を発していたり、壮大とも極めて個人的とも受け取れる意味の事を述べていたり、読む者一人一人によって それぞれどうとも受け止められる意味の言葉を使われていたりとーーーつまりは、作品のおおかたが「抽象詩」なのである。
どの作品も、テーマは深く、山田氏の心の底の底の澱の部分を 正直過ぎるくらいに正直に吐露したもの、と感じた。
あくまでも個人的にであるが、私はこれらの詩に、哲学を感じた。
「哲学抽象詩」だと感じた。

私の如き者がこんな事を書くと、上から目線的で失礼かもしれないがーーー
数々の演技を拝見し、「こういう演技は理論と感性の両方に長けている役者さんにしか出来ない演技だ!」と目を見張り、5年前に発売された随筆集「実録山田」を読み、「ユニークかつ自由な発想と文章構成力に、文才もある人なのだ!」と、再度 感心し、そして今回、詩という表現形態を通して 氏の頭の良さと思考の奥深さに、再々度 感服した。
「この人は、何の表現手段を使っても、自在に操れ、表現しきれる人なのだ!」と、唸りに唸った。
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紙面に於いての表現にしてもーーー
普通だったら、風景写真などを折り折りに入れ込みたくなる所を、氏は、文字だけで、それぞれの作品個性を、より強く押し出している。
例えば、見開きの左側が右側の鏡面状になっていたり、極めて短い作品では その作品中 重要な一文字が頁いっぱいに大きく印刷されていたり、黒い頁に あえてグレーの小さな文字で 一語一語を指でなぞりながら大切に読み進まないと読めない工夫がなされていたり、と。
私は、「無彩色の文字だけで、作品に合わせてこんなにも多彩な表現方法があるのか!」と、驚かされた。

さて次に、それらの詩を自らが朗読されているものの感想に移りたいと思う。
山田氏の「読む」というお仕事は、NHKのドキュメンタリー番組でナレーションを聴いており、ナレーションのお仕事も見事にこなされる人なのだと感服していたが、詩のほうも、期待をみぢんも裏切らない、聴いていて非常に心地良い読まれかただった。

役者さんの朗読というのは、感情過多になり過ぎて 聴く者の想像力を失わせてしまったり、押し付けがましさのあまり 鼻白んでしまう事が少なからずあるのだが、山田氏の朗読は、重い内容の詩が多いにも関わらず、否、だからこそ、サラサラッと軽めに読まれていて、聴いていて圧迫感を感じず、救われる気持ちがした。
ラストに自問するようなモノローグ調の読みかたの作品が幾つかあった所は、思わず ぐっと惹き込まれ、自分に置き換えて考えてみずにはおれなかった。

山田氏は、私がこれまで思っていたより 遥かに偉大な人物なのだと認識した。
冒頭に、「俳優・山田孝之氏」と書いたが、訂正したい。
「表現者・山田孝之氏」である。


(所属プロダクションから購入した特典なのか、山田氏のお顔写真のポストカードが一緒に送られてきました)
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「今日から俺は!!」第6話の山田孝之さんの演技を観て [感想文]

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福田雄一 脚本・演出のテレビドラマ「今日から俺は!!」の第6話に、私の最も好きな役者さん・山田孝之さんがゲスト出演されているのを DVDにて観た。

「今日から俺は!!」は、八十年代のツッパリ高校生が主役の連続モノで、第6話の冒頭シーンは、ソープランドの待合室で、主役のツッパリ高校生の担任教師とツッパリ高校生のお父さんがハチ合わせをしてしまうのだが、待合室でお客さんを案内するボーイを演じているのが、山田孝之さんだった。

山田さんはそのワンシーンのみの出演だったのだが、テレビドラマのゲストでワンシーンのみの出演というと、やっつけ仕事で役作りもたいしてせずに ちゃちゃっと片付ける役者が多い中、山田さんは間違いなく、このボーイの履歴書までスラスラとお書きになれるに違いない!と思わずにおれないほどに、綿密に深く掘り下げた演技をなさっていた。
客である教師とお父さんとの案内係としてのゆるい会話を交わす台詞だけで、そのボーイがどういう人物であるかの説明となる台詞は 何一つとしてなかったにも関わらず、このボーイの背景というのが、ふわーーーっと 全て見えてきたのである。

とにかくギラギラしている。
ギラギラしている中年男の中でも これ以上はいないんじゃないか?!というくらいにギラギラしている。
お客さんの立場に立って、「これからパラダイスの世界に行けますぜ〜!」と イヤらしい笑みを絶やさず、なおかつ自身もエッチな事が大好きで、店の女の子に「○○ちゃ〜ん、今日もいいオッパイしてるね〜! そのオッパイでお客さん、悩殺しちゃってぇ〜〜!!」とか何とか、ニヤニヤ言いそうである。
地元のキャバクラに、やたら詳しそうである。
日サロに通うのが拘りの趣味そうである。
三日に一度は、焼肉屋に行ってそうである。
中、必ず、ニンニク焼きを注文していそうである。
私服の趣味は、ベルサーチ。好きな腕時計はロレックス。

そんなプロフィールが、緊張感のない立ち方や 骨の髄からのニヤニヤ笑いとギラギラした眼差しと 意味なく口をツァッ!とやる癖などから、それはもう詳らかに見えてくるのである。

私は、映画「クローズZERO」での不良役で山田さんを知って以来、これぞ私が探しあぐねていた演技の役者さんだ!と熱烈な山田孝之さんファンになったのだが、今回の「今日から俺は!!」のソープのボーイ役で、改めて、何て 優秀かつ真面目な役者さんなのだろう!と 敬愛の念を抱かずにおれなかった。
「惚れ直す」とは、まさにこういう事である。

山田さんは演じる人物の数だけ、とてもたくさんの物を詰め込んだ深い引き出しを作っておられる。
山田さんの演じる人物に、二人と同じ細胞の人間はいない。
これが演技というもの、これが役者というものだと、つくづく痛感させられる。

私は観る事を急がないタチなので、話題の「全裸監督」は、まだSeason1も観ていないので、ここではどんな細胞を持った山田孝之さんと出逢えるのか、こちらも大変愉しみにしている。
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映画「押絵と旅する男」 [感想文]

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1994年、江戸川乱歩・生誕100周年記念に、川島透監督によって作られた 乱歩の同名短編小説を劇場上映尺に膨らませた大達作である。

原作は、「私」が、列車内で偶然出逢った老人に、八百屋お七と彼女の愛しい人である吉三さながらに寄り添う老人の 古びた押絵を見せられ、この押絵の老人は自分の兄だと言う老人の 奇妙極まりない話しに了る 極めて短い物語なのだが、映画では、主人公は老人であり、半ばボケかけた現在の老人と 彼の少年時代の、兄とのやり取り 兄が惚れた押絵のお七と一緒になりたくて押絵の中に入ってゆく件りなどが、シークエンス毎に交互に出現し、ラストのシークエンスのワンシーンで、老人と少年、つまり同一人物が、行き交い 一言会話を交わす という心憎く計算され尽くした脚本になっている。
脚本は、川島監督と薩川昭夫氏の共同。 

本作の最も優れている点というのは、原作には登場しない人物を登場させたり 原作にはない逸話を挿入したりしつつも、かの怪奇幻想文学の第一人者・江戸川乱歩の世界感ーーーマチエール 空気感 匂い、、、そういったものを みぢんも減少させたり変質させたりしていない所である。

私は以前、映画に関する諸々の勉強をしてきた中で、脚本作法も某研究所にて学んだ経験があるのだが、研究所の講師によると、「原作モノがある場合、テーマさえ変えなければ あとは何を変えたっていいんです」との教えだったが、当時から 私は「それはちょっと違うんじゃないか?」と 疑問を抱いていた。

よく、小説が原作にしろ マンガが原作にしろ 戯曲が原作にしろ、原作ファンを失望させる、、、どころか怒りを買わせる映画化作品というのがある。
あれらは、テーマは変えずとも、原作の世界感というものを ないがしろにしているのである。
作品に於いて「世界感」というのは、そのくらい大切な要素なのである。
そこを川島監督は、熟知しておられる。流石である。

あと、これは少々余談になるが、川島監督が作られた映画には「チェッカーズ In TANTANたぬき」という作品もある。
観客層の求める要素を全て 緻密なパズルの如く埋め込み構築した 理論思考の監督にしか作れない 娯楽大傑作なのだが、あの作品中 ワンショット、スタジオ内を チェッカーズのメンバーがファンから逃げる背景に「押絵と旅する男」で重要なモチーフとなっている十二階(浅草・凌雲閣)の書き割りが出てくるのである。
「TANTANたぬき」の製作は1985年である。
通常、撮影はその一年前になるので、あのショットが撮られたのは1984年と推測できる。
川島監督は、1984年、つまり「押絵と旅する男」製作の10年も前から「押絵と旅する男」を撮る構想があったのではないか?、、、否、そうに違いない、と思わずにおれない。

ーーーいつかどこかの劇場で、川島監督のトークショーの機会があったら、是非とも質問してみたい 気になっている事である。

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映画「グレン・ミラー物語」 [感想文]

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映画「グレン・ミラー物語」
監督・アンソニー・マン
1954年 米

スウィングジャズの帝王グレン・ミラーの、愛妻となる女性との久しぶりの再会から結婚、音楽界の荒波を愛妻の内助の功もあって乗り越え大成功をおさめるが、戦時、グレンの乗った飛行機が行方不明になり、彼は帰らぬ人となってしまう、というシノプシスの伝記映画。

グレンが、売れない一トロンボーン奏者から全米の求める大人気楽団長になる経緯が、テムポ良く詳らかに判るのみならず、グレン・ミラーの代表曲9曲が、その曲の作られた所以と共に楽しめるところも、大きな観どころ聴きどころである。
又、サッチモが本人役として登場しており、彼の歌と演奏の挿入も、嬉しいはからいである。
心憎く計算された演出として、グレンの妻が、「私、何かこう ピン!と来ることがあると、髪の毛の後ろのほうが逆立つ感じがするのよ」と 再会間もなくのシークエンスで台詞として説明されるのだが、それが、グレンのステップアップや新たなアイデアが沸くたびに、片手をうなじに持っていって微笑む、というアクションと表情で表現されている。

そしてラストシーン、グレンの死に顔をおおって涙するも、友人の「彼の音楽は、これから先も引き継がれ、末永くたくさんの人を踊り楽しませる事になるよ。 彼の音楽は不滅だよ」という言葉に、再び そのアクションと笑みで、現実を受け入れ、自分の気持ちを整理しきる、というところが、絶望ではなく明るい光を感じさせ、その通りになっている現在に、観客も、彼女同様に、微笑み 頷かずにおれなくなる、実に見事な了りの付け方である。
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実はこの「グレン・ミラー物語」、私の記憶の中で、最も古い映画なのである。
自宅のリビングのテレビで映っていたのを観た。 幼稚園児の時だった。
後年 再観してみるまで、憶えているのは、冒頭の質屋のシーン(勿論、当時はそれが質屋だと解かろう筈もなく、坂の途中にラッパが売られている、と思っていた)と、ラストの 大きなクリスマスツリーの下に、奥様や友人がいるショットだけだったが、横で一緒に観ていた父が、「この時代の人達が、白人で初めてジャズを始めた人達なんだよ」と解説してくれたのは、ハッキリと脳裏に焼き付いている。

何故なら父は、私が3才までクラシックのバイオリニストをやっていたが、クラシックだけでは食えなくて、テレビの歌番組のバックのオーケストラや、キャバレーやクラブのジャズオーケストラのアルバイトもしていたからだ。
私が大きくなるにつれて、それでも生活できなくなったので、結局、父は、音楽の世界から足を洗ってしまったが、私は「パパ、こういう音楽もやってたんだ」と 子供心なりに、感慨深いものがあった。
同時に私の中には、ジャズといえばスウィングジャズ、という刷り込みがなされた。
私は1962年生まれなので、他の 私と同世代のかた達にとってのジャズは、モダン後期からフリーのかたが多いのだろうが、こういう理由で、私にとってのジャズは、スウィング、中でもグレン・ミラーなのである。

この映画のみならず、今でも、CDやレコードでも、しばしばグレン・ミラーをかけてはスウィングし、父のアルバイトやグレンの生き様に思いを馳せる私である。

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年末年始にDVDで観た映画5本の感想 [感想文]

今日は、この年末年始に自宅にてDVDで鑑賞した映画5作の感想を、それぞれ簡潔に綴りたいと思います。


○「青春残酷物語」 監督・大島渚氏 1960年製作

多くの若者が60年安保闘争に熱く憤りをぶつける中、ふとした事から知り合った二人の男女は、美人局まがいの不良行為をする事によって、若さ故のやるせない負のエネルギーを噴出させる という概要。

大島監督ならではの理屈っぽい説明台詞が全編にちりばめられていて、テーマをいやがおうにも納得させられる。
ロケ地に建設現場を使用している所などには、時代の変革の暗喩の巧さを感じる。


○「舟を編む」 監督・石井裕也氏 2013年製作

辞書作りに生命を掛ける編集部の、地味でありながらも熱意溢るる模様。そして、新人から主任にまで昇格した 一見まじめだけが取り柄の主人公の仕事ぶりと恋愛を描いた作品。

何といっても、主人公役の松田龍平さんのスキのない演技力には、息を飲まずにおれない。
たいてい、キレのいい役者が、この様なボーッとした不器用な人物を演る時は、つい 所々で「キッ!」と強い素の目つきが出てしまうものだが、松田さんは一分の抜かりもなく、終始 ボーッとした 焦点の合わない目を演り通している。
又、何かを指す時 走る時も、この主人公なら絶対にこういう動きをするに違いない という事を、細胞の一つ一つから駆使して演り切っていてアッパレである。

一方、脚本も、「この人物ならこういう言葉を使うよね」といった 一言一句までも生命が吹き込まれていて、さすが辞書作りを主題とした映画に相応しいホンである。


○「乾いた花」 監督・篠田正浩氏 1964年製作

日本中がザッザッザッザッと、経済及び精神の前進する高度成長期真っ只中、ヤクザの男が賭場で謎の美女と出逢う。
男は恋とは別物の、自分と同じ 刹那的で世の中に退屈している匂いを美女から感じ、惹かれてゆくが、男にとっても観客にとっても、謎の美女が最後まで何者だったのかが明かされないラストが心憎い。

世の中全体の向かおうとする方向と逆行する人物がここにいる というテーゼが、白黒の映像効果によって、観念的に巧妙に打ち出されている。

謎の美女役に 最も美しかった頃の加賀まりこさんがあてられているのだが、ここも実に ミステリアスで適役である。


○「るろうに剣心」 監督・大友啓史氏 2012年製作

幕末から明治初期が舞台の大娯楽活劇。
見所は、劇中 幾度も繰り広げられる派手な殺陣シーンと、主役のるろうに・佐藤健さんの美しさと身体能力の高さにある。

又、大金持ちの悪党役の香川照之さんの、非リアリズムの本作に合わせたデフォルメした憎たらしい演技も、思わず笑ってしまうほどに見事である。


○「万引き家族」 監督・是枝裕和氏 2018年製作

実は全員が他人だが、寄る辺がなかったり放置されていたりというきっかけで、一つ屋根の下に、万引きを副業として 身を寄せ合って、時にケンカをし 時に溢れんばかりの愛情を注ぎ注がれして生きている6人の物語。

キャスト全員の徹底したリアリズム演技により、「家族って何なんだろうね?」というテーマが、グーッと強烈な波の如くに押し寄せてくる。
こういったテーマを演る時は、一人でも様式的な演技の役者がいると、鼻白んでしまうものだが、脇役や子役に至るまで完璧にリアリズムでハズレた所がなく、中でも 家の中でのお母さん的立場の安藤サクラさんの演技には、目を見張るものがある。

又、テーマのテーゼの仕方も、「家族って、こういうものなんだよ!」と明確に結論付けずに、ポーンと「何なんだろうね?」と放り上げて、観客一人一人に考えさせる仕組みにした所も、この深いテーマに最良の選択である。

この作品に於いての「万引き」は、放置されていた他人の子供を連れ帰り家族にする事の暗喩であるが、是枝監督は、万引きという手段を暗喩に使う事をよくぞ発想したものだと 唸らずにおれない。

カンヌでパルムドール賞を受賞したのに相応しい 現代の「家庭が崩壊した時代」を象徴する 世界映画史上に遺り続ける大傑作である。


以上が、私がこの年末年始にDVDで鑑賞した映画5作です。
幸い、観た事を後悔した作品は1作もありませんでした。
もしもお気が向かれたら、みなさんも この5作のうちのいずれかをご鑑賞ください。

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