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小沢昭一特集上映「昭和の怪優・小沢昭一のすすめ」 [感想文]

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先日の九月七日〜十月四日にかけて、神保町シアターに於いて「昭和の怪優・小沢昭一のすすめ」と題された 故・小沢昭一氏の特集上映が行われたので、小沢昭一ファンの私は、時間の許す限り観られるだけ観に行こうと勇んだ。

上映作品は、以下の十六作品で

1「銀座旋風児 目撃者は彼奴だ」 監督・野口博志 1960年
2「お父ちゃんは大学生」 監督・吉村廉 1961年
3「喜劇 急行列車」 監督・瀬川昌治 1967年
4「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」 監督・須川栄三 1969年
5「どじょっこの歌」 監督・滝沢英輔 1961年
6「競輪上人行状記」 監督・西村昭五郎 1963年
7「『エロ事師たち』より 人類学入門」 監督・今村昌平 1966年
8「痴人の愛」 監督・増村保造 1967年
9「大出世物語」 監督・阿部豊 1961年
10「越後つついし親不知」 監督・今井正 1964年
11「『経営学入門』より ネオン太平記」 監督・磯見忠彦 1968年
12「喜劇 女の泣きどころ」 監督・瀬川昌治 1975年
13「波止場の無法者」 監督・斎藤武市 1959年
14「大当り百発百中」 監督・春原政久 1961年
15「鉄砲犬」 監督・村野鐵太郎 1965年
16「スクラップ集団」 監督・田坂具隆 1968年

うち 私は、「喜劇 急行列車」「『エロ事師たち』より 人類学入門」「痴人の愛」の三作は過去に観ていたので、今回の特集では「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」「『経営学入門』より ネオン太平記」「波止場の無法者」「スクラップ集団」を観映した。

この四作品の中、最も秀作だ!これぞ大傑作だ!!と唸ったのは「『経営学入門』より ネオン太平記」である。
アルサロの支配人・小沢氏が、仕事と私生活に体当たりの命がけで挑む様を 哀しくおかしく描写した大人のコメディである。
小沢氏の人間臭さ溢れるノリにノッた演技のみならず、水っぽくなくかつ説明不足もない 痛快なテムポと巧妙な手法の演出が見事な 非の打ち所のない作品である。

次に出来が良いと思ったのは「スクラップ集団」。
高度成長期真っ只中、世の中が 物質の豊かさ=幸 であり 使い捨てを良しとする方向に邁進する時代、それに逆行する生き方を貫く三人の男が清らかに、邁進こそが正義だと断言する男がヒットラーの如き存在として描かれている、この時代のあり方に疑問符を叩きつけた社会派コメディ。
小沢氏は、清らかな三人の男の一人、ゴミ拾い屋役を担っている。

三番目に面白かったのは、「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」。
しがないサラリーマンが、そうとは知らずに上司の愛人に惚れてしまった事からとんでもない騒動に巻き込まれる というシノプシス。
小沢氏の得意とする 情けなくも利を得ようとする男が、笑いを誘わずにおれない。
ただ、脚本にはちょっと残念な部分があり、起承転結の起承までは吸引力が強烈にあり 観客席にしばしば笑い声を響かせてくれていたが、転の出来事は一つあればいいものを二転三転させ、ごちゃごちゃとした印象を与え、結に相当するシークエンスも一つあればスッと了れるものが二つもあって、もったりしてしまっていた。
この作品、巧く編集し直せば かなりの達作に昇華すること必至である。

そして、順位としては四位にしてしまった「波止場の無法者」。
だがこの作品も、決して駄作というレベルではなく、典型的な五十年代アクション映画で、可もなく不可もなく といったところである。
小沢氏は、ヒーロー役の小林旭の後ろからヒョイ!と顔を出すひょうひょうとした子分役で、作品全体の中での自身の役割を熟知し それを最大限に駆使した計算高い演技で、小林のカッコ良さを巧みに引き立てている。
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以上が、今回の特集上映で観た四作品のおおまかな感想であるが、そもそも 私は何故、小沢昭一氏のファンになったかというとーーー

三年ほど前に「痴人の愛」の譲治役のあまりの名演技に惚れ込んでしまったからである。
ーーー「痴人の愛」以前も、私は、ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」やGS映画の脇役で知っており「面白い役者さんだな」とは感じていたが、譲治役ほど大きな役を演られているのを観たのは初めてだったのだ。

元が実直だからこそ 淫乱で奔放な女に翻弄され、もがけばもがくほど底なし沼の如く足を絡め取られ 全身をうずもれさせ、いつしかそれこそが快感と浸る男の滑稽さを、押し付けがましくなく、巧みに隠した計算を背に、時に笑わせ 時に涙を誘わずにおれなかったのである。

私は、頭の中で考えて考えて考え抜いて 練って練って練り抜いた末に さり気なく「フッ…」と出す演技が好きなのである。
逆説的にいうと、「どうだい!俺は役者中の役者○○だぜ!俺の演技は迫力あるだろ!」と言はむばかりの 脚本全体の中での自身の与えられた位置を考えない自己中心型の演技や、ナルシスティックな演技や、すでにどこかで誰かが何度も演っているでしょう という型芝居は嫌いなのだ。

小沢氏は、私のこれまでの人生で、二人目に惚れ込んだ男優さんである。
ーーーちなみに一人目は山田孝之さんである。活躍時代は前後するが。

それもその筈、小沢氏は、映像や舞台のみならず、俳人としてのお顔をお持ちだったり、落語や大衆芸能 放浪芸などにいたく興味を抱かれ、追究され、著書も多数おありなのだった。
ーーー今 私は、氏の著書を見つけては読破してゆこうと、折ある毎に 神保町古書店通いをしている。

本業に加え それらの研究も実を結ばれたのであろう、放送大学客員教授に招かれたり 紫綬褒章 坪内逍遥大賞 他 多くの賞を受けられていたと知った。

深く観客の心を突き動かす演技というものは、レッスンを受けて 現場の場数を踏み、単純に「上手く」なるだけではないという事を、小沢氏は、その人生全てで以て教えてくださった様に思わずにおれない。
演技というものは、その役者の背景に背負っているものが、どれほど膨大であるかが滲み伝わるものであると頷かずにはおれない。

小沢昭一氏、「虎は死して皮を残し 人は死して名を遺す」まさにこの言葉通りの 偉大なる人物だと痛感している。
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三島由紀夫の自決の真相についての主観的な見解と感情 [感想文]

古書店街を歩くと、カフカと並んで三島由紀夫の研究書が溢れているのが、いやがおうにも目に留まる。
手に取りパラリパラリとやると、内容は、彼の自決の真相を追究したものが圧倒的に多いことが判る。
それだけ彼の自決は、いまだにあれこれと憶測が飛び交い、まるで理解不能だと首をひねったり 気が狂ったのではないかと結論づける知識人も少なくないようである。

しかしーーー
私は、三島が死を選んだ本当の理由が明確に理解が出来るし、そういう行為に及ばずにおれなかった気持ちも痛いくらいに解る。

彼は、表向きは、国を憂いて云々 大義が云々、、、と熱弁していたが、あれは、最も格好良く 称賛を浴びつつ命を了えるための理由付けであったと思う。三島ならではの、ええかっこしいのパフォーマンスであったと思う。

薔薇.JPG本心から皆に解ってほしかったら、一体全体何故、芝居の演出まで手掛けた人間が、市ヶ谷駐屯地で、垂れ幕にチマチマとした小さくて読めない字で訴え文を書き 性能の良いマイクを使わずに届かぬ声を張り上げたのだろう?
あれは、読めてしまっては 聴き取れてしまっては いけなかったのである。
皆が納得して「そうだ!三島の説く通りだ!おー!」となってはいけなかったのである。
つまり、全ては、三島が自身のために書き上げた脚本通りに事が運んでくれたのである。
彼は、その計画が見破られないために、何年も前から周到に、裏付けとなる言動をし 予算も貯めていたのである。

本当の理由はーーー
せっかく多大な努力で手に入れた肉体美が老いによって失われてしまう恐怖と あらゆるテーマであらゆるシノプシスで余りにも幾多の作品を生み出し続けたことで自身の頭蓋が涸れてしまったことである。

元々美しい人なら 老いによる美しさの消失を受け入れられるかも知れないが、三島は、陽の当たらない屋根裏部屋で育ったエノキダケのような貧弱な容姿だった。
その頃のコンプレックス・屈辱感は、尋常ならざるものがあったと察する。
そして、血反吐を吐くほどの努力により、筋肉隆々の肉体美を我が物とするや、胸元を開けたシャツに金のペンダントといったファッションには留まらず、浅草マルベル堂でプロマイドを作ったり 細江英公に薔薇1.JPG写真集「薔薇刑」を撮ってもらったりと、美しさの天国を 花畑を駆け巡るが如くに満喫するのである。
それが「老い」という どうにもならない理由で失われ、肉体美天国の甘露に浸れなくなるのは、彼にとって「死んだほうがよっぽどマシ」なほどの恐怖だったのである。

頭蓋が涸れてしまうことも同様に、彼にとっては「死んだほうがよっぽどマシ」な地獄への転落なわけである。
安部公房氏は見抜いていた側の一人で「彼は書きたいことがなくなってしまったんだよ。作家にとって書くことがなくなるほど辛いことはないからね」と 話している。

多くの反論を百も承知の上で、あくまで私個人の主観的感情を述べさせていただくとーーー
三島の自死は、決して不幸な死ではなかったと思う。
醜く老いた肉体や 書くことがなくなった元作家でいながら生きながらえるより よほど幸せだったのだから。
私は自死というものが全て 不幸のどん底の果てのものだとは限らないと考えている。
三島の母上も、彼の死を知った時、冷静にこう発したという。
「あの子はやりたいことをやったんですよ」ーーーと。


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映画「Checkers in TANTANたぬき」 [感想文]

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もう何年も以前、私は、江戸川乱歩の短編小説の映画化作品「押絵と旅する男」を観て以来、その作品のあまりの完成度の高さに感動したと同時に、監督をつとめた川島透氏に大変興味を持ち、川島氏の監督作品は 折りある毎に一作づつすべて観てゆこう と決意しました。
そして 何作目かに観たのが、この「Checkers in TANTANたぬき」(1985年製作 脚本も川島透)です。
商業作品中の商業作品なので 予算は潤沢に出るものの 様々な理不尽なダメが出て、妥協の末に仕上げてしまった整合性の取れていない駄作だろう との予測の元 鑑賞を始めたのですが、ところがどっこい! これが、理論構築のガッチリなされた 水っぽさ(無駄にもったりした脚本)も欠落(説明不足)もない 非の打ちどころのない大傑作だったのです。

ジャンルとしては、かつてのGS映画の理論構造をそのまま継承した娯楽音楽映画で、主演のバンドのメンバーの出番が多く いかにカッコ良く描かれているか 主演バンドの楽曲がたくさん巧妙なタイミングで挿入されているか 客層のターゲットである中高生の少女達が「きゃっ!カワイイ!」と喜ぶツボを押さえているか、という このジャンルの映画に必須の条件がすべて 疑問も矛盾も抱かせることなく 精密なパズルのように組み込まれています。
GS映画の中では 私は、「タイガース 世界はボクらを待っている」が突出して優れた作品だと認識していますが、この作品は、「世界は----」と肩を並べるくらいのクオリティの高さです。

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さて、シノプシスは----
チェッカーズは、森の中で平和に暮らす 檻に入れられることが弱点の 超能力を持つ七匹のタヌキ。
夜な夜なタヌキ仲間とダンスパーティーを開いて楽しんでいたが、ふとしたきっかけで、東京へ行き 人間のふりをしてバンドデビューすることとなる。
デビューするや 人気は大沸騰するが、元はオカルト番組に力を注いでいて今もその信念だけは捨てていない歌番組担当のディレクターに メンバーの中の一匹のちょっとしたうっかりが原因で、メンバー全員はタヌキであることが判明してしまい、近くに控えていたコンサートは中止を言い渡されてしまう。
チェッカーズはそのディレクターと交渉し、ファンのいないコンサート会場で テレビカメラを通して 自分達がタヌキであることは事実だと自らの口からも明かし、人間界の音楽活動から身を引き 世間の人々の前から姿を消す。
・・・・・・・・が、メンバーがどこにいるのかを聞きつけた大勢の大勢のファンがメンバーのところに押し寄せ、「タヌキだって人間だって同じ!」と 平等・博愛精神で包み、チェッカーズは幸せに人間界で音楽活動を続けることとなった。
------というものです。

-----このシノプシスを読んで、「プッ!」と吹き出されたかた おられるかと察します。
しかし、作品の出来不出来というのは、設定やモチーフで決まるのではないのです。
いかにガッチリ理論構築がなされていて 整合性がとれているか 無駄または欠落がないか テーマが前面に打ち出せているか、なのです。
解かり易い例を挙げると----
音程もリズムも正確に取れなく感情を乗せることもままならない人の歌うオペラと それらがきっちり豊かにできる人の歌う童謡は、どちらが優れた歌でしょうか。
デッサン力もなく色彩理論も理解していない人の描いた高野フルーツで買ったマスクメロンと それらがしっかり身に付いている人の描いた安売りスーパーで買ったリンゴは、どちらが優れた絵でしょうか。
答えは言わずもがなですよね。
けれど何故だか、映画に関しては、重い高尚な設定・モチーフを扱えば優れた作品だと誤解している人が 少なからずいるように感じています。
ですから、この「Checkers in TANTANたぬき」、特に、映画を勉強している人 将来プロの活動屋を目指している人に観て 勉強していただきたい作品です。
そして、川島透氏の、理論思考に徹底した頭脳 商業の仕事でありながらも作品のクオリティを下げない精神的強さも吸収していただきたいと思います。

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----以上が映画の感想で、ここから先は少々余談になりますが・・・・・
作品本編には、チェッカーズの歌い奏でる曲が12曲入っています。 50Sスタンダードナンバーと シングルカットA面の曲と アルバムの中に入っていると思われるオリジナル曲と。
あくまで、これは私の主観・嗜好ですが-----
シングルカットされた曲より 50Sカバーとアルバムの中の曲のほうが、がぜん良いのです。
もしも、シングルカットされた曲をまったく演らずに 50Sカバーとアルバムの中の曲を半々の割合でテレビで歌ってくれていたら、私はファンになっていたと思います。
しかし、チェッカーズは、日本全国津々浦々の それはもうたくさんの中高生の少女達をファンとして取り込む戦略で仕事をしていたので、ああいった歌謡曲調の楽曲がシングルカット用に作られたのでしょう。 その方針はメンバーご本人達にとっては本意ではなかったかも知れませんが。
実力のあるバンドだったので、個人的には50Sのカバーアルバムを一枚くらいは出していてほしかったな・・・・・そしたら迷わず購入したのに・・・・・・と思いました。

加えて、も一つ余談になりますが・・・・・・・
私は、「何て素敵なんだろう!」と思えるルックスの男性有名人がめったにいないのですが、この映画の頃のメインボーカルの藤井フミヤさん(おそらく22~23才くらいでしょぅか?)は、ストライクゾーンど真ん中です。 お顔も体型も。
私がこれまでの人生で、「何て素敵なんだろう!」と思えた二人目の男性有名人です。
ちなみに一人目は、17~18才の頃のあいざき進也さんです。
三人目は、まだいません。
そう、私は、小柄で華奢な体型で ネズミさんみたいなお顔立ちの男性が、好みのルックスなのです。

と、今回はあれこれ余談が過ぎましたが、みなさんも、もしもお時間があってお気がむかれたら、「Checkers in TANTANたぬき」、ご覧になられてみてください。 
ユーチューブでも全編 観ることができます。 尺は117分です。

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ブルースに疎いぼんぼちの語るサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ [感想文]

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私は、きちんと音楽理論を勉強したわけでも マニアというほど明るいわけでもありませんが、「好きな音楽ジャンルは何?」 と問われると 迷わず、「戦前からシカゴ時代までのブルース」 と答えます。
「では、その中で特に好きなミュージシャンは誰?」 と踏みこまれると、やはり迷う事なく 「ミードルクス・ルイスとサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ」 と返します。
ミードルクス・ルイスは、戦前から戦後にかけての代表的なブギウギピアニストで、彼については以前 このブログで紹介させていただいたので、今日は、サニーボーイ・ウィリアムスンⅡについて 綴らせていただこうと思います。

サニーボーイ・ウィリアムスンⅡは、1899年生まれらしく(らしく というのは、この年生まれの説が最も有力で いまだに正確には不明だからです)、そして 主に1950年代初頭から1965年まで活躍し、シカゴブルースの土台を築いた一人と言われている 名ハーピスト(ハーモニカ奏者)&シンガーです。
名前の最後に付いている「Ⅱ」というのは、同姓同名のブルースハーピスト&シンガーがもう一人いて、その人と区別するために 後年になって付けられたものです。
両者の間に血縁関係や師弟関係はなく、Ⅱが「Ⅰのようになりたい!」といった願望から 同名の芸名にしたようです。
ですから、時代がくだってから編集されたものを除くと、発売されているレコードは勿論、CDもレコードのジャケ写を縮小コピーしたものですから、ⅠもⅡも単に、「サニーボーイ・ウィリアムスン」名義になっていて、ご本人の顔写真が印刷されていない盤もあるので、ちょっと調べないと判別しづらいです。

さて、その私の好きなほうのサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ、どんな音を出していた人か というと、とにかく「渋い!」の一言に尽きます。
低めのしゃがれ声で、時に語るように 時に叫ぶように歌う。 けれど決して 腹の底から地面を揺さぶるように吠えたりはしない。
ハープも、肺の空気ありったけを使ってプヒーーーーーーーーーッ!!!とは演らない。 プヒプヒプヒプヒ プヒーーーッ!ってな感じです。
シカゴブルースと一口に言っても様々なわけですが、私は個人的には、彼くらいの「押し過ぎなさ」「引き過ぎなさ」が最も嗜好にしっくり来、至福の心地良さを感じてしまうのです。

後にロック界で世界的にメジャーになるアニマルズやヤードバーズとも 1964年に渡英した際に共演していて、その時のライヴはレコードやCD化されて遺されていますが、若きアニマルズやヤードバーズが いかに当時のブルースにリスペクトしていたかや ブルースからロックへと変遷してゆく様が手に取るように解かって、彼らとの共演も、ブルース史・ロック史に於いて 非常に貴重で有意義なことだったと 思わずにはおれないものがあります。

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サニーボーイⅡは、1965年まで仕事をしていた人でしたから 映像も幾つも遺されていて、それを観ると、聴かせることのみならず「観せる」ということに関しても とても心を砕いていたのが見て取れます。
先ず、お洒落です。
長い手足にバッチリ似合ったスーツに山高帽、肘にはステッキを下げての登場です。
そして、ハープの吹き方には 目が釘付けになります。
ノッてくると、両手をハープから離し、ハープをほぼ口の中に入れてしまい 口をモゴモゴと動かすことで音程を調節するのです。
のみならず、今度は 鼻でも吹き始めたりするのです。
それらの様子が、ユーモラスで楽しくて実に見事!
何というエンターテイメント性の高さ、サービス精神旺盛なアーティストなのでしょう!
私は最初、彼のファンになった時点では 音源だけしか知りませんでしたが、何年か経って映像を観て、「熱烈な」という形容の付く大ファンにならずにはおれませんでした。

彼は又、大の大酒飲みで、「これ以上飲むと死ぬぞ!」と 医者から宣告されていたそうですが 聞く耳持たずに飲み続け、晩年は、ステージの上に空き缶を置いて プレイの合間合間に缶の中に血を吐いてはステージをこなしていたそうです。
何というプロ根性でしょう!

そんなサニーボーイⅡ、1965年に ついに心臓発作で亡くなってしまいます。
精神的に 酒を飲まずにはおれないものが彼の中にとぐろを巻いていたのでしょうが、こういった点からも、如何にもブルースマンらしいブルースマンであったと、私は、ブルースに疎い者ながらも 深く頷いてしまいます。
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「ベスト&ノンストップ フィンガー5」を聴いて [感想文]

今日は、70S前半 日本中を席巻したジャパニーズソウル・チルドレングループ フィンガー5のデビュー40周年を記念したアルバム「ベスト&ノンストップ フィンガー5」の感想をつづりたいと思います。
フィンガー5のCDは現在 幾枚も発売されているのですが、何故 私がこのアルバムを選んだかというと、カバー曲がたくさん収録されているからです。
カバーは、その歌い手さんの実力が如実に反映されるので、どの歌い手さんのアルバムを求める時も、私は「カバーが一曲でも多く入っていること」を目安に選んでいます。

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フィンガー5がTVに登場するようになった頃、私は確か小学四年くらいでしたが、彼らの歌にまともに耳を傾けてみたことはありませんでした。
理由は----
私の父は若い頃 バイオリンニストで、クラシックだけでは食えずに、TVの歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをしてしのいでいました。
が、それでも生活が出来なくなり、私が三才になった時に 音楽の仕事そのものも辞めたのですが、その後も、「クラシック以外は音楽じゃない! 特に流行歌の歌い手なんてみんな下手クソだ!」と憮然と言い放っており、私はそれを刷り込まれて育ったからです。
歌番組は観ていましたが、歌を聴くのではなく、ステージ衣裳のきらびやかさと好きなお顔の歌い手さんを観ることだけが目当てでした。

時が経ち 十八才になった時----
私は、FENから流れるチャック・ベリーと邦楽ではスパイダースとゴールデンカップスに衝撃を受け、父の流行歌全否定発言は、自身が本意ではないアルバイトをせねばならなかった事の屈辱感からくるやっかみであり 間違いだったと気づきました。
以降、ジャンル 時代 洋邦問わず、自分の嗜好に合いそうな音楽は 次々と聴いてゆくようになりました。
そして ふとしたきっかけで、最近 耳に留まったのがフィンガー5だったというわけです。

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アルバム全体の印象としては----
想像していたより遥かにソウルフルで、さすが沖縄出身で米軍基地を巡って歌っていたキャリアのあるグループだと感服しました。
それから、何よりも心をわしづかみにされたのは、変声期を迎える前の晃くんの 歌唱力の高さと素晴らしくよく通る声質の美しさです。
殊に、ルイス・ウィリアムズのカバー「ステッピン・ストーン」は、非常に黒っぽく、マイナーコードでありながらもノリが良く、冒頭近くの何小節かを次に繰り返す時に 表声で一オクターブ高く歌っている事に驚かされました。 「表声でここまで高音が出るのか!」と。
メッセンジャーズのカバー「気になる女の子」も、アップテムポでゴキゲンな曲調で、「アアン・アアン・ア~アアアアン・・・・」というスキャットが何とも可愛らしいです。
他には、ジャクソン5のカバー「愛はどこへ」、カーペンターズのカバー「イエスタディ・ワンスモア」などが、まっすぐに美声が伸び、聴いていてとても心地が良かったです。

「世の中で最も美しい声は、変声期前の少年の声・ボーイソプラノだ」と昔から言われ、ウィーン少年合唱団などはそれを証明し続けている存在ですが、ジャンル 発声法は違えど、今回 私は改めて そう言われ続けている事に深く共鳴しました。
ウイーン----がクラシック界の「天使の歌声」であるなら、変声期前の晃くんは ジャパニーズソウル界のそれだと唸らずにおれません。

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又、変声期というものについて このアルバムを聴いて初めて気付かされた事があります。
私は、変声期というのは、ある時 突然、小声でしゃべるのもままならないくらいにカラカラに声が出なくなり 何カ月かすると突如として出来あがった大人の男の声が出現するものだと思い込んでいたのですが、そうではないのですね。
じょじょに出る音域が下がっていって 最終的に大人の声に落ち着くのですね。
私は中学高校と女子校だったので、恥ずかしながらそういう事を全く知りませんでした。
ディスク1がほぼ時系列に沿った形で収録されていた事とDVDが付いていた事で よく解かりました。
変声期中の声だと オリジナルのバラード曲「悲しみの十字路」のあたりになると思うのですが、これは 少年とも青年ともつかず 中性的な魅力に溢れ、「何とセクシーな声なのだろう!」と惹きこまれてしまいました。
この時期の声も 寿命が短いだけに非常に貴重なものだと思いました。

シングルカットされたオリジナル曲にも 少し触れたいと思います。
「個人授業」 「恋のダイヤル6700」 「学園天国」 「恋のアメリカン・フットボール」 「バンプ天国」
これら一連の楽曲は、誰にも解かりやすくて 思わず一緒に口ずさみながらリズムをとりたくなる様 巧みに計算されて作られていて、歌謡ソウルの名曲といったところですね。
阿久悠氏 都倉俊一氏 井上忠夫氏といった 当時の売れっ子作詞家作曲家の起用によって、「この作品は売るぞ!」といったエネルギー 意気込みが伝わってきます。

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ディスク2は、DJリミックスという形がとられていましたが、面白くリミックスされていると感じる箇所と 「耳ざわりが良くないなぁ、元のフィンガー5の楽曲をもっと尊重してほしいなぁ」と眉をひそめてしまう箇所があり、個人的にはプラスマイナスの両面を感じました。

そういった点はあるものの、総じて言えば、私はこのアルバムを購入して本当に良かったと実感しています。
フィンガー5の歌う楽曲、当アルバムに収められていないものも これから積極的に聴いてゆきたいと考えています。


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「横浜ホンキートンクブルース」聴きくらべ [感想文]

「横浜ホンキートンクブルース」-----1980年に、俳優の藤竜也氏・作詞 元ゴールデンカップスのエディ潘氏・作曲で作られ、エディ潘氏の歌唱によりヒットした イエローブルースの大傑作である。
過ぎ去った恋のみれんにブルージィに溺れる大人の男が、エディ氏の 上顎にカーンと軽く響かせる声の出しかたにより、心地良く 重過ぎないタッチで表現されている。

この「横浜----」、その後 幾人ものかたによってカバーされており、聴きくらべてみると、同じ歌詞でありながら それぞれ歌い手さんの個性・歌い方によって 微妙に違う主人公像・違う心情・違う情景が浮かびあがってきて 実に面白い。
よって今日は、その中で特に私が心を突き動かされた 数人のカバー作品を紹介してみることにする。

先ず、松田優作氏。
荒くれ者が路傍の空き缶を蹴飛ばしながら 自暴自棄になっている情景が浮かばずにはおれない。
ブルースというジャンルは、歌詞・感情を前面に出して メロディも音程も自分なりに崩して歌うのに相応しいので、役者が歌うのによく似合う。

ヨコハマ1.jpg同じく役者の原田芳雄氏もカバーしている。
力強さを備えながらもひょうひょうとした ふられ男の滑稽さに ついにんまりとしてしまう。
崩しかたは松田氏以上で、殆ど台詞のように歌っている。
「♪たとえばブルースなんて 聴きたい夜は・・・・」という一節があるのだが、「ブルース」の部分を モダンブルースの王者「BBキング」と歌っているところも興味深い。
私は個人的には、松田氏も原田氏も 日本を代表する名優だったとは認めているが、自身の個性をこれでもかと前に出す強烈な演技は嗜好に合わなく 役者としては好きにはなれない。
しかし、ブルース歌唱ではこれくらい自身に引き寄せて自身を出して表現することに 違和感を覚えず魅力を感ずる。

又、宇崎竜童氏も、二種類のバージョンで歌いあげている。
この歌は元々がスローテムポなのだが、元歌とほぼ同じテムポで歌っているものと かなりのスローで弾き語っているものとがある。
「♪たとえばブルースなんて・・・・・」の部分は、前者バージョンは「ジョンリー・フッカー」 後者は「エルモア・ジェイムス」と変えているところも、宇崎氏の敬愛するブルースミュージシャンがうかがえて楽しい。
さすが 本業がミュージシャンのかただけあって、音程に忠実で 根の張った底力が感じられる。
私は、数人の好きなカバー作品の中でも特に、この宇崎氏の 元歌とそう変えていないテムポのバージョンが気に入っている。
歌詞の世界観が 独自の世界観としてはなれ過ぎずに、---つまり、自身の個性を巧く出しつつも 元歌への敬意というものが伝わってくるからである。

そして、歌詞を作った藤竜也氏も歌っている。
ヨコハマ.jpgこの歌は元々違う歌詞が付いていたところに、「曲はいいけど詞は良くないから 俺が書き変えてやるよ」といった調子で、横浜を愛する藤氏によって今の詞に決定され、売り出されたらしい。
軽々と頓狂な男 といった像で表現されている。
「♪ブルースなんて・・・・」は、「♪トム・ウェイツなんて・・・・」である。
あえて王道のブルースミュージシャンでないところが意表をついていて心憎い。
又、間奏中に長々と台詞を入れているので、情景や主人公の心情が具体化されている。
ここまで説明されてしまうと、観客にゆだねる世界が少なくなって 好き嫌いが極端に分かれてしまうかもしれないが、たくさんの「横浜----」主人公像のある中では こんな像もあっていいのではないかと 私は思う。

この名曲、女性歌手も歌ってはいるのだが、やはり男の歌だと痛感する。
男でこその喜びと悲しさをめいっぱい経験してきた大人の男が歌って 初めて立ち上がり成立する世界である。
女性で歌ってサマになるのは、和田アキ子さんくらいではないだろうか?
一度、和田アキ子さんの歌う「横浜----」も聴いてみたいものである。

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映画「三沢川いきものがたり」を観て [感想文]

我らがSo-netブロガーのsigさんが、「三沢川いきものがたり」という映画を作られたので 観てまいりました。

sigさんは、本名・島倉繁夫さんとおっしゃり、長年 映像のお仕事に携わってこられた 映像ディレクターです。
私もこれまでに、島倉氏の映画史考察の講演の場などに しばしばお邪魔してきました。
そして今回は、氏が監督・編集をされたドキュメンタリー映画が完成し試写会が催されるというので、ちょっとしたご縁もあり 招待された次第です。

三沢川いきものがたり.JPG「三沢川いきものがたり」は----
タイトルが示す通り 三沢川に生息する様々な生物の生態系を観察したもので、三沢川というのは、東京郊外の稲城市と神奈川県川崎市の 住宅と梨畑のひしめき合う 「街なか」を流れる川です。
島倉氏は、この三沢川の近くにお住まいだそうで、映画では、主に川の「中流域」と呼ばれる 京王よみうりランド駅から稲城駅の間付近までの様子が 描写されています。

今まで数々のドキュメンタリー映画を観てきた私は、「この作品もおそらく、多くのそれのように 淡々と生物の生態を追っているだけの 緩急に乏しい映画だろう」くらいに想像しながら 会場の椅子にかけました。
ところが----!
引きあり寄りあり遥か彼方に広がる風景あり、よくこんなシーンに遭遇出来たな!と舌を巻かずにおれない カラスと蛇の格闘や 亀やスッポンの縄張り争いや サギやカワセミがトカゲや魚を捕っては飲みこむところや 腹を膨らませた蛇が飲んだばかりの餌をぐいぐいと長い腹の奥へ押しやる様子などが、テムポ溢れる鮮明な画で描写されていたのです!
しかも、付けられている音楽が、いかにもその場その場に相応しい効果的なもので、より映像に惹きこまれ 呼吸(いき)もつかずに見入ってしまいました。
又、全編に流れるナレーションも、解かり易いだけでなく とてもユーモラスで、思わず手を叩いて笑いたくなるセンテンスが幾つもありました。

三沢川いきものがたり1.JPG私はこれまでも、講演やブログを通じて島倉氏を尊敬してきましたが、この作品を観たことによって 尊敬の度合いは100倍に膨れあがりました。
終映直後にお話を伺うと、なんと! 撮影に6年 編集に2年費やされたのだとか!
感嘆の溜息とともに深く頭が下がりました。
そして同時に、映画を作るということは、ここまでも 辛抱と執念と努力の結晶なのだと、鑑賞と研究ばかりで現場を知らない私は、思い知らされました。

「三沢川いきものがたり」、生物に興味のある人や三沢川周辺の人達には勿論、それだけでなく、小中高校の芸術観賞会や ドキュメンタリー映画を多く扱う映画館「ポレポレ東中野」での上映など、これから一人でも多くの人に観てほしい! と願わずにはおれない 素晴らしいドキュメンタリー映画です。

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映画「あしたはどっちだ、寺山修司」 [感想文]

あしたはどっちだ.JPG

寺山修司のドキュメンタリー映画「あしたはどっちだ、寺山修司」が公開されるというので、早々に劇場に足を運んだ。
監督・相原英雄氏 製作・2017年

私は観映前、いわゆるありきたりのパターンのドキュメンタリー映画だと思っていた。
つまり、近しかった人達の寺山を誉めちぎるインタビューが次々と流れ 昔の映像が挿入され、寺山を神のように礼賛して了る映画だ---と。
しかし、この作品はそれを大きく嬉しく裏切ってくれた。
映画は、一人の少女が寺山の謎を追究するという形で進行し、短歌作品が部分盗作だと騒がれた事や 作品上であたかも現実のように表現されている事が実は虚構だったという事や ノゾキで逮捕された事などの マイナスイメージに受け取られる諸々も 隠されることなく取り上げられていたのである。
インタビューも、天井桟敷に在籍していたかたがたの話のみならず、それまで表に出て来ることのなかった寺山の親戚のかたにマイクを向け、幼かった頃の寺山がリアルに語られる。
そして、寺山の母は、米兵のオンリーさんだったという これまで表向きにされなかった事実が明かされるのである。

又、寺山の仕事全般をまんべんなく追うのではなく、市街劇ノックに特にズームし、どれほど寺山が市街劇にエネルギーを注いでいたかが説かれ、当時の資料映像も長時間流された。
私は、ノックの映像は、以前イメージフォーラムの講座の中で観たものが全てだと思っていたのだが、他にも多数遺されている事が解かり、非常に興味深く吸引された。

あしたはどっちだ.JPG

もう一つ、この作品が達作と成っている大きな要因がある。
青森の美しい風景の映像を巧く取り入れ、それがリズムと変化をもたらし、ありきたりの人物ドキュメンタリーの枠を大きく越境しているのである。
人物を扱うドキュメンタリー映画も、映画作品の一つに他ならないのだから、このくらい映像に拘ってくれると、観客も観ていて気持ちがいいものである。

最後に、この作品を観た個人的主観的推察を述べると----
寺山が何故あれほど 現実かと思わせる虚構に執着したかというと、それは、母がオンリーさんをやっていた後ろめたさ・悲しさと そうやって自分を養ってくれている という憎と愛の二律背反にゆきつくのではなかろうか、と思わずにおれない。
二律背反の中に置かれて 身動きの出来ない寺山少年は、嘘を吐くことで せめて虚構の中で母を殺すことで 自身の精神を保っていたのではなかろうか。
そしてその嘘が、寺山個人を突き破り、他者を街を国家を巻き込むことで アイデンティティを勝ち取ろうとしていたのではなかろうか。

「あしたはどっちだ、寺山修司」
相原監督の手腕によって 寺山の深い闇の奥底まで考え至り着地せずにはおれない 人物ドキュメンタリーの大傑作である。
あしたはどっちだ.JPG

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映画「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」 [感想文]

GS映画作りは、緻密なパズルを完成させるが如きものである とつくづく痛感する。
何故なら、GS映画を観に来る客というのは、主演のGSのメンバーが 数多く登場し カッコよく活躍し 楽曲を何曲も披露するのを観たい訳で、これらの、客を納得させる条件を全て満たしながら 矛盾・疑問を感じさせない劇映画を作らなければならないからである。
今回紹介する「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」(監督・和田嘉訓 脚本・田波靖男 製作・1968年)は、それを見事なまでにクリアした作品である。

世界はボクらを待っている.JPG
シノプシスは----
彼らのヒット曲「銀河のロマンス」の歌詞を元に起こしたもので、地球に不時着した異星の王女を ふとしたきっかけで人気絶頂で日々ステージをこなすタイガースがかくまうこととなり、するうち王女はジュリーに恋をし、円盤に騙し乗せ自星に連れ帰ろうとするものの、ジュリーは、自身やメンバーやファン達や町の人々の歌のエネルギーによって 無事ステージに戻りつく というものである。
究極の非リアリズムである。
これが少しも、違和感に首を傾げることなく ラストまで運ぶのである。
理由は、異星の王女にまつわるシーン以外の部分も 全て非リアリズムに徹底させている事である。
地方巡業へ向かうバスの中でも メンバーはステージ衣裳を着ていたり、メンバーの住む部屋は まるで舞台装置さながら というように。
半端にリアリズムを取り入れていたら マチエールにズレが生じ、異星の王女の登場が非常にトンチンカンなものに感じられていた筈だ。

メンバーのカッコイイ見せ方も巧い。
メンバーは全員が、ボーヤに化けてかくまわれている王女に対して 妹へのように優しく、王女の追手の宇宙ロボットを バッタバッタと鮮やかになぎ倒すのである。
又、メンバーの女装も上手に取り入れられている。
群がるファンをまいて どうやって楽屋から出よう というシーンである。
タイガースのファンの大半は10代から20代前半の少女達だった訳で、少女達は好きな男性の女装姿に 異様な興奮を見せる。
その心理をしっかりと把握しているのである。
世界はボクらを待っている.JPG

そして何といっても天晴れなのは、クライマックスシーンである。
王女の住む異星へ連れ去られようという円盤の中、タイガースの歌の爆発するようなエネルギーが円盤の調子を狂わせ不時着させると知ったジュリーは、ステージ上のメンバーやファンや町の人と一緒にエネルギッシュに 円盤のマイクに向かって歌う。
そして「映画館でご覧のみなさんもご一緒にお願いします!」と スクリーンから劇場の観客に向かって呼びかけるのである。
これ以上はない虚と実の融合である。
当時、劇場を埋め尽くしていたファンの少女達は いっせいに「ゴー!パウンド!」と 円盤落ちろとばかりに黄色い声を張り上げていたに違いない。
この作品は、それ位 非リアリズムでありながらもシラケさせる事なく観客を引き込む計算に成功している という事である。

成功の要因にはもう一つテクニックが見て取れる。
テムポである。
脚本が水っぽくなく----つまり、もったりする事なく 次から次へと むしろめまぐるしいほどに展開するのである。
ワンショットワンショットの終わりも、潔く短めに切られている。

「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」
GS映画の条件を十二分に満たし 余りある吸引力を備えた、GS映画を代表する 否、日本娯楽映画を代表する と言っても過言ではない大傑作である。

世界はボクらを待っている.JPG

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森山大道氏の写真 [感想文]

好きな写真家は誰れですか?と問われたら、私は迷うことなく「森山大道氏」と答える。
森山大道氏は、写真を撮ったり鑑賞したりすることを趣味としている人には言わずもがなよく知られている 日本を代表する巨匠である。
氏の作品は、主に うらぶれた街やそこをゆききする人々をモチーフとした 粒子の粗いハイコントラストの どんよりとした白黒である。
それが、上辺の美しさではなく、魂の奥底に訴えかけるような 底力のある迫力で迫って来るのである。

----先日も、新宿で氏の個展が開かれたので 足を運んだ。
今回は、開催期間の中ほどの日にトークショー+サイン会が催されるということで、それにも参加した。
トークショーでは、昔 親交の深かった寺山修司氏との思い出話を語られたり、今回の撮影場所となった新宿の街での裏話を披露されたりしていた。
サイン会では、私が「お願いします」と購入した写真集の巻頭頁を開くと、森山さんは「(サインをする場所)ここでいい?ここでいいの?」と細かく確認してくださった。
私は今まで以上に氏のファンになった。

これからも折りある毎に、森山氏の写真に触れ、魂を揺さぶられたいと思う次第である。

森山大道.JPG

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