大駱駝艦・舞踏公演「阿修羅」を観て [感想文]

20231029_133133.jpg

10月28日(土)、座・高円寺にて開催された、舞踏集団・大駱駝艦の「阿修羅」という公演を観に行った。

奈良・興福寺の阿修羅像をテーマとし、神・阿修羅が阿修羅像に至るまでの旅路を表現した作品だった。
舞踏の定義である「土俗的かつ前衛」という条件を守りながらも、古代ギリシャ演劇で使われていた形状のスッポリかぶる仮面を使用し、踊りが進むと、仮面をぬぎ、小道具として持ち踊ったり、白い神が阿修羅像へと変化(へんげ)してゆく様を、脇役の舞踏家さんがたが、手首まで真っ赤な絵の具に浸け染めて登場し、真っ赤な手も鮮やかで斬新な演出効果としつつも、阿修羅役の主役の舞踏家さんを、踊りながらペタペタと全身真っ赤に塗り変えてゆく表現とアイデアには、圧倒され 唸らされた、実に見事に、阿修羅→阿修羅像の歴史を、身体的抽象表現した芸術だと、感動の海に浸った。

大駱駝艦は、唐十郎氏の状況劇場にいた麿赤兒氏が、1972年に創設した、数ある舞踏集団の中でも今以て人気を保ち続けている集団である。
私は舞踏集団の中でもこの大駱駝艦が最も好きで、本公演、アトリエ公演、高円寺大道芸と、幾度もあちこちに足を運んでいる。
そのつど思う事だが、大駱駝艦の人気の理由は、以下のニ点によるものだと、分析している。
先ず一つは、次々と新しいアイデアを持ち込んで来る事。(今回では、仮面や赤い絵の具の使い方)
公演の度に、「わっ!今回は、こんなアイデアで来たか!」と、新鮮に嬉しく驚かされる。
二つ目は、常に世の時代のデムポに合った踊りをしているという事である。
舞踏というと、ゆっくりゆっくり動く、というイメージを抱いている向きも少なくないかも知れないが、大駱駝艦は、勿論、ゆっくりの所もあるが、基本、今の若い人が観ても決して退屈しない早さのテムポで動いているのである。
これも、主宰の麿氏の「一人一派」という、頭ごなしに押し付けない 自由な舞風のたまものだと、感じずにはおれない。
麿氏、その方針の成果として、良き後継ぎを幾多輩出したものである。

「舞踏」というと「何それ?」とポカンとする日本人が、少なからずいる。
むしろ海外、特にフランスで、「Butoh」として知名度が高い様である。
舞踏は、土方巽を始祖とする、日本が生んだ日本の芸術なのだから、個人的にはもっと、日本人の多くに知っていただきたいと願っている。
これからは、学校の芸術鑑賞日などに舞踏を観に行っても良いのではなかろうか?

20231029_133216.jpg

nice!(227)  コメント(41) 
共通テーマ:映画

映画「オオカミの家」ーーー他に類を見ない圧倒的迫力の長編アートアニメーション [感想文]

20230923_110942.jpg
すごい映画を観た!!
これ程、圧倒され 感動の海に浸ったのは、23年前、チェコのアートアニメーションの巨匠・ヤン・シュヴァンクマイエルの短編集を観て以来である。

その映画作品とはーーー
「オオカミの家」
監督・レオン&コシーニャ
国・チリ
製作年・2018年
手法・ペーパークラフトアニメーション、ドローイングアニメーション、オブジェクトアニメーション

シノプシスはーーー
チリ南部に実在した、ドイツ人移民の、表向きは幸せにあふれる理想郷であるコミューンが、実は、コミューンの長をキリストの次に崇め、長には絶対服従せねばならず、大人は奴隷さながらの強制労働、子供達は隔離され、長に性的虐待を受けていた、という、地獄の如きカルト教団であり、そこから、一人の少女が逃亡する所から話しは始まる。
少女は森の中に一軒の家を見つけ、そこに隠れるが、長が少女を探す声はいつまでもついてまわり、家の中に二匹の豚が出現し、少女は豚を人間に変え、三人で幸せに暮らそうとするも、彼女は、豚を自分の絶対的服従者にしてしまう、つまり、自分がコミューンで受けたのと同じ 負の連鎖を起こしてしまう。
豚達は少女に反逆し、少女を食べようとする。
するうち、家の中の食べ物は底をつき、飢えに苦しみ、少女は、哀しいかな、コミューンの長に助けを求め、コミューンに連れ戻されてしまうーーーというものである。

タイトルの「オオカミの家」のオオカミは、言わずもがなコミューンの長の事であり、森の中の家の少女の生活は、安堵、不安、楽しみ、苦しみ、勝利感、恐怖感が混在した 悪夢の様な、留まる事のない不安定な心理が、延々と続く。
それを、主に少女のモノローグを流し、全編80分近い尺を、前述の三種のアニメーション技法で以って、止まる事なく動かし続けるのである。

この作品で最も前に押し出したいのは、少女の不安定な内的心理であり、これが、以下の技術によって巧みに表現され、観る者を取り込んで離さない。

20230923_110834.jpg

先ず、ペーパークラフトアニメーション。
この手法で、少女や豚や人間に化身した豚が作られている訳だが、紙が出っ張ったり凹んでいたりと、一見すると、稚拙なペーパークラフトに見える。
しかし、この無骨さが、少女の不安定さを巧みに表わしているのである。
そして、ドローイングアニメーション。
床に直角に立てられた壁に粘度の低い絵の具でドローイングをすると、塗った先からダラダラと絵の具が垂れ流れてくる訳だが、これもあえて拭いはしていない。 何故なら、血の様に垂れ流れた絵の具が、少女の恐怖心を叫びの如く表す結果となっているのだから。

他に、見事だ!と唸った技法は、逆回しを何ヶ所も使っている所である。
しおれた花(実物の)が、みるみる生気を取り戻し、開いたり、描かれたドローイングが消えていったりと、この技法を用いる事によって、少女の行きつ戻りつする心理が、抽象的に表現されている。
逆回しという技法は効果的で、リーフェンシュタールの花火の映像や、最近だと、「EO」というロバが主役の映画の、水の流れにも使われている。

全アートアニメーション技法での長尺の作品は、不可能だと言われ続けてきた。
ヤン・シュヴァンクマイエルであっても、長尺の作品の場合、アニメーションは部分部分にしか使用していなかった。
だが、この二人の監督は、それをやり遂げてしまったのだから、アッパレである。
私も、長尺で全アートアニメーションは、製作時間の制約の理由から無理だと思っていた一人なので、そういう点でも、度肝を抜かれた。
「オオカミの家」は、構想から完成まで5年もかかったという。
監督が一人ではなく二人だったというのも、長尺成功の大きな理由になっていると察する。

現在、日本はセル系アニメーション大国である。
日本人で「アニメーション」と聞くと、セル系アニメーションを思い浮かべる向きが殆どであろう。
けれど、世界には、セル系以外のアニメーション技法も幾多存在し、それらのアニメーション技法によって、この映画の様な表現も可能だという現実を、一人でも多くの人に知っていただきたいものである。
20230923_110733.jpg

nice!(248)  コメント(42) 
共通テーマ:映画

ソールライター展を観に行き [感想文]

20230814_092639.jpg

米国を代表する写真家・ソールライターの 生誕100年を記念する氏の個展が、渋谷ヒカリエホールAて開かれていたので、出向く。

私は氏については、代表作を2、3枚、ポスターやポストカードでチラと目にしていただけだったので、ほぼ前情報無しという状況で、ギャラリー入りした。

50S~60Sにかけてのニューヨークの街と人、白黒写真とカラー写真、モード雑誌の仕事、サムホールの抽象画、、、
ダントツに私が感銘を受けたのは、カラーの街写真であった。

何も無い雨で濡れた道路に面積を思い切り費やして、主役の自動車を上のほうに、あえて見切れさせている作品、
フィルムならではの、粒子の細か過ぎない、彩度も高過ぎない、柔らかなマチエールの作品、
ウインドウの反射や夜の光を言はむとしている為に、何のモチーフだか判らない、抽象写真とも言って過言ではない作品、、、

私は、ソールライターという写真家が、ここまで突出した個性の アート系写真を幾多遺している人物だとは思いもしなかったので、嬉しく裏切られ、興奮した。

通常、構図を決める時は、主役を、縦横共に、ゴールデンバランスに近い7対3の位置に持ってくるものである。
カラーで彩度の高いモチーフに出逢ったら、その鮮やかさをこれでもか!と、見せつけたくなるものである。
モチーフが何だか判らない作品は、多数派受けしないので、自分の中でなかなかOKが出せないものである。

氏は、これらの基本的法則を裏切りながらも、見事に作品として、成立させているのである。
さすが、巨匠と名を遺し続けるに値する写真家だ!と、深く頷いた。

街撮り写真家の東の巨匠が、森山大道であるならば、西のそれは、ソールライター以外におるまいと、思わない訳にゆかなかった。

そういえば、以前、森山氏は、「いい作品を作りたい情熱は、撮る枚数に比例する」という意味の事を、氏のドキュメンタリー番組で仰っていた。
ソールライターも、押したシャッターの数というのは、相当なものだったと、察する。
街撮り写真というのは、モデルを組んで、完璧な構図を作って、3、2、1、ハイッ!カシャ!とはゆかず、偶然との遭遇なのだから。

20230814_092639.jpg

nice!(225)  コメント(30) 
共通テーマ:映画

近田春夫著「グループサウンズ」で、GSファンも目からウロコ! [感想文]

20230518_094404.jpg

私はGSが好きで、有名どころの代表曲の他には、特に嗜好に合う スパイダース ゴールデン・カップス タイガース オックスを、少々突っ込んで聴いています。
しかし残念な事に、私は世代的にGSリアルタイム世代ではなく、ネオGS世代なので、GSのコンサートには物理的に行けなかったために、ネオGSの王者・ファントムギフトのライブに甘んじていたので、いくら、前述したGSグループのライブ盤を聴いたところで、音源に収められていない曲は聴く術が無く、又、どのGSグループが先にデビューしたか、や、どの様な理由でGSがこの様な形態の音楽になったのか、など、点々でしか解らなかった事を、この本は、線でつなげてくれ、「何故?」も詳らかに解説してくれているので、目からウロコが何枚も落ち続けました。
さすが、天下の近田春夫さん!と唸った一冊です。

先ず、GSの萌芽。
定説では、ビートルズに憧れ 模倣した若者達が、プロダクションに見い出されてデビューした、とされていますね。
けれど私は、この定説には、大きく疑問を覚えていたのです。
まぁ、GSとひとくくりに言っても、方向性は様々でしたから。
ーーーもし、全てのGSグループをごったに一つの大鍋に入れてグツグツ煮て、そこから匂い立つものって、果たして そんなにビートルズビートルズしているだろうか?ーーーと。
その疑問を、近田さんは、ズバリと解明してくれます。
GSの種になったのは、ビートルズじゃなくてアストロノウツの「太陽の彼方に」だよーーーと。
もっと正確に言うと、アストロノウツの、水泡が次から次へと湧きあがるが如くの「♪ポンポヨポンポヨポンポヨポヨポヨ、、、」という音ではなく、それをカバーした寺内タケシとブルージーンズの、柔らかでかつ押しの強い「♪ジャージャジャジャージャジャジャージャジャジャジャジャジャ、、、」のギターサウンドだーーーと。
私は、「あぁ!そうだよ!これだよ! これがGSの種の音だよ!」と、膝を打ちました。

20230518_094404.jpg
次に、繁栄期。
GSというのは、他国にはない、独自のガラパゴス的進化をとげた 日本だけの音楽ジャンルです。
ネット時代になり、世界のあらゆる時代の音楽が自由に聴ける様になった現代では、他国に「GSマニア」が存在するほどです。
何故、種の種はアメリカにあり、多くのGSグループが、ブリティッシュロックをやりたかったにも関わらず、シングルカットされる楽曲は、ロックだか歌謡曲だか判らない、又、歌詞も、舞台はヨーロッパのお城で、メンバーは王子様さながらの衣裳とイメージだったのかというとーーー
メジャーデビューするには、GSのメンバー本人達に主導権は全く無く、それを握っていたのはプロダクションであり、各プロダクションの方針で、殆どのGSグループは、歌謡曲の作詞家・作曲家の先生が、楽曲を作っていたわけです。
当時の作詞家・作曲家の先生方というのは、モダンジャズが好きで、ロックはあまり知らずに、「ロックって、こんなものだろう?」という憶測で作り上げたから、あの様な、悪く言うとへんてこりんな、良く言うと独創的な楽曲になったそうです。
又、お城と王子様のイメージは、まだGSがグループサウンズと命名される以前のGSブーム初期に、ブルーコメッツが「ブルーシャトー」を大ヒットさせ、「ああいった歌詞なら当たるんだ!」といったところから来ており、歌詞に留まらず、衣裳が王子様になり、イメージも、「トイレにも行かない」風を作ったそうです。
この様なシングルカットに不満を抱いていたGSグループは少なくなかった様で、アルバムを聴くと、ストーンズやアニマルズ、そしてビートルズを、ガレージパンク的なノリで何曲も演っています。
カップスに至っては、ステージでは、シングルカットされた曲は、徹底して 一切演らなかったそうです。
シングルカット曲は、あくまで、メジャーでいるための、商業的手段と、割り切っていたんですね。

そして、衰退期。
GSブームというのは、爆発的な大ブームになったにも関わらず、ほんの五年間くらいで、終焉してしまいます。
何故ゆえ、これほど、ブームの終焉が早く来てしまったのか???
私は以前、ムッシュかまやつさんの自伝を読んだ時に、ムッシュは、「GSは金になる!と、ありとあらゆるプロダクションが、実力もないのに王子様の格好だけをさせて、それはもう沢山のGSグループをデビューさせ、結果、まるで戦国時代のようになってしまった。 これが、GSブームがあんなにも早く終わった理由だ」と述べていましたが、近田論によると、それだけではなかったとの事です。
オックスの失神騒動ーーー。
前身としてのグループ活動は以前からあったけれど、オックスは、GS大繁栄期にデビューします。
なので最初から、「お城」であり「王子様」を背負ってスタートします。
その中で、オックスが前身時代からパフォーマンスとして演っていた、ノリにノってくると、ステージを転げ回る、というのを、ストーンズのカバー「テルミー」で、ステージで披露し、失神パフォーマンスにつなげたところ、観客のファンの少女達も、集団トランス状態になり、失神する様になってしまった。
これをPTAが許さなかったから、という事です。
オックスのライブ盤に、演歌やわらべ唄が入っているのは、失神ファンを少しでも抑える目的だったそうです。
それでも失神少女達はいなくはならずに、PTAで、「失神少女達を出すオックスいかん→GSは悪だ!」という図式が成り立ってしまい、GSのコンサートに行かせない学校が増え、みるみると終焉に向かわざるを得なかった様です。

20230518_094404.jpg

GSブームが終わってから、代表的なGSの人気者ばかりがチョイスされたグループPYGが結成されますが、これも長くは続きませんでした。
この理由は、私にもすぐに解りました。
ジュリーとショーケン、それにスパイダースの面々を入れ込んだグループなど、ファンが認めるわけないではありませんか?!
ジュリーファンにとって、ショーケンは敵、ショーケンファンにとっても全く同じ。
本格的ロックファンを自認していたスパイダースファンにとって、元タイガースや元テンプダーズのメンバーなどは、単なるアイドルとして、鼻もひっかけないのですから。

日本で最初のロックブームであったロカビリーブームは、こうして、第二期日本ロックブーム・GSブームに引き継がれ、そして、はっぴいえんどに代表される第三期日本ロックブーム、つまり、ニューロックの時代へと、移行します。
勿論、それぞれのブームとブームの間にはキッチリと縦線が引けるわけではなく、前のフェイドアウトと次のフェイドインは重なっています。
GS後期にも、カップスやモップスは、すでにニューロックを演っていましたから。

ですから、この書籍、リアルGS世代のかたで、「どうしてこうなったのだろう?」と、謎を覚えていた向きにも、私の様な、後追いのGSファンが、GSを構造的に理解するにも、ニューロック以降のロックファンが、自分達が今、夢中になっている時代の前のロックシーンはどの様だったかを知る上でも、多大な知識を与えてくれる一冊です。
値段も大きさもお手頃でありながらも、得るものは非常に大きな一冊です。

20230518_094404.jpg

nice!(254)  コメント(47) 
共通テーマ:映画

映画「裸の大将」にみる脚本家・水木洋子氏の力量 [感想文]

20220902_091408.jpg

「裸の大将」
監督・堀川弘通
脚本・水木洋子
主演・小林桂樹
1958年製作

かの、放浪のちぎり絵天才画家・山下清氏の生涯の一部を、「山下清の放浪日記」を元に、自在にふくらませた劇映画である。

シノプシスはーーー
戦時中、施設を抜け出した 少し知恵の遅れた清が、放浪の旅へ出かけ、食べ物を恵んでもらったり、めし屋で働いたりする。
徴兵検査に落ち、するうち終戦となり、清は、施設の先生の尽力もあり、天才画家として名をあげる。
が、名誉などには関心のない清は、誰もいない海へと逃げ切り、了、ーーーというものである。

先ず、何といっても舌を巻かずにはおれないのは、水木洋子氏の脚本である。
知恵の遅れた者でこその、滑稽さ、ぶざまさで笑わせ、かつ同時に、知恵の遅れた者でこそ感ずる純朴な疑問ーーーその疑問が、実に、戦時から戦後へという時代の的を突いており、シリアスな社会派とも成っているのである。
この、一見、真逆の二つの要素を、一作品の中で力強くテーゼしてゆく、これは、お見事!と感嘆せずにはおれない。

主にそれは、清の疑問の台詞によって表現されているのだが、話しが進むにつれ、ぐんぐん核心に迫ってゆく。
冒頭近くのシークエンスでは、「『めし』と『弁当』は、どう違うのかなあ?」という他愛もないものであったのだが、出兵する兵隊を見送ると、「病気で死ぬと『仏様』になるのに、戦争に行って死ぬと『神様』になるのは、どうしてなのかなあ?」となり、戦争末期になると、「みんなは、日本の旗が一番きれいだと言うけど、僕は、日本の旗もアメリカの旗もイギリスの旗もきれいだと思うんだなあ」。
そして終戦後の、自衛隊の行進に対しては、「戦争はもうやらないのに、どうして自衛隊は鉄砲を持っているのかなあ?」と、核心のど真ん中を突く。
本作品では、このシーンがクライマックスとなっていて、つまり、この台詞が、本作品で最も伝えたい 国に対する疑問であり、それを清に代弁させている訳である。
清は、「どうしてーーー?」と、隊列を見る人々に聞いてまわるが、誰も納得できる答えを教えてはくれない。
ついに清は、隊列の中に割り込んで、自衛隊員の肩を掴んで「ーーー鉄砲を持っているのかなあっっっ???」と、その台詞を叫ぶようにぶっつけるが、自衛隊員達は、清が無き物の如くに、隊列を乱さずに進み去ってしまうーーー
圧巻のクライマックスである。

20220902_091408.jpg

劇映画の良し悪しの半分は脚本で決まってしまうのであるが、この作品は、水木洋子氏の、秀逸な筆さばきによって、最高水準の映画と成っている。
言うまでもなく、そこには、その脚本を深く正確に解釈し、巧く画に乗せられる監督の手腕と、体現できる役者の技量あってのことであるが。

画として、清を清たらしめている見事な表現だと唸ったのは、めし屋で、じゃがいもと人参を剥いた清が、普通の人だったら、一個剥いたらカゴにポイと入れてゆく所を、大きいから小さいまで二十個くらいを、順にきちんと卓上に並べて置いてゆく所や、風呂に浸かる清が、犬のように湯船のフチに両手をかけて、ボーッとしているショットである。

清役の小林桂樹氏の演技は、ステレオタイプの、「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、、、お、お、お、おにぎりが、、、た、た、た、食べたいんだなあ〜」と、吃音で間をあけるしゃべり方ではなく、「、」も「。」も間をあけずに、何行もの長台詞を一気呵成に言い続け、ラストの「なあ」だけをモニョッと泳がせる発し方をされていて、それが、相手の気持ちを考えながらはしゃべらない 知恵遅れの特有さが非常に感じられて、そこも唸らずにはおれなかった。
又、食べるショットや走るショットでは、全身全霊を使われていると解る、他の事は何も考えていない無心さ、寄りの表情では、何を考えているのか解らない所も、小林氏の演技力の高さに、溜息をつかずにおれなかった。

この映画、私は先日、神保町シアターの、山下清・生誕100年を記念しての上映で初観し、あまりにも感動したのでDVDも買おうと探したが、DVD化はされていないと知り、ひどく落胆し、思わず、こう叫んでしまった。
「どうして、こんな大傑作がDVD化されていないのかなあっっっ???」

20220902_091331.jpg

nice!(248)  コメント(34) 
共通テーマ:映画

石井隆監督を偲んで「ヌードの夜」 [感想文]

20220612_083554.jpg

先日、5月に、映画監督の石井隆氏が、大病のために亡くなっていた事が解った。 享年75才。
という事で、今回は、石井隆監督作品中、私が最も 愛して愛して愛し抜いた作品「ヌードの夜」の感想を つづらせて頂こうと思う。

「ヌードの夜」 1993年製作 脚本も石井隆氏

先ず、シノプシスは、孤独で哀しい女・名美が、夜の世界に生きる男・行方に脅され続け、やむにやまれず殺してしまい、その後処理を、偶然、街で貼り紙を見つけた事により知った 何でも代行屋・村木に だます形で させようとする。
一度はこの理不尽さに逆上した村木だったが、行方の弟分のチンピラに暴力を振るわれ 恐怖の極地に立たされている名美をほっておけず、銃を手に入れ、名美を救い出し、のち、エロティックにむすばれる。ーーーが、実はそれは村木の幻影で、名美は、村木に行方とのいきさつを打ち明けた直後の時点で 車で海にダイブして死んでいた、というものである。

とにかく、映像が美しい。
名美の涙を象徴する 幾多のシーンで使われる雨、クジラの模型や人形や転がるメリーゴーランドの置き物の配置、名美が、サラ金屋に打たれ殺される時に、名美の背後に山と盛られた黄色い向日葵と サラ金屋の片手に下げられた青いビニール傘の補色の対比(この場面も、ラストで幻影だったと判る)等等等、、、

中でも、私がダントツに美しいと感嘆したのは、小雨降る波止場で、名美が村木に、行方とのいきさつを打ち明けるシーンである。
名美は、ケンケンパをしながら、いつの間にか遠くのコンクリートの塊の上に登り 隠れてしまうのだが、これがロングで撮られていて、名美の孤独さ・哀しさが、実に巧く表現されているのである。
私はこの映画のシナリオの決定稿を所有しているが、決定稿にも「名美、ケンパをしながら小さくなってゆく」と ト書きに書かれていて、このシーンは、早い段階から 石井監督の頭の中に明確に描かれていたと判る。
20220612_083554.jpg

又、秀逸なのは、映像美のみならず、名優がたの名演技である。
名美役の余貴美子さんの、リアリズムでありながらも、時々フッ!とハズシを入れる事で観客をグッ!と惹きつける計算され尽くした演技、村木役の竹中直人さんの、実直な人柄でありながらも、濡れ場の後で見せるユーモラスさ、行方役の根津甚八さんの、肝の座った底知れぬ怖さ、チンピラ役の椎名桔平さんの、迫力に満ち かつ 預けられた仔犬に重ね合わせる 拾われた自分の哀しみ、、、

映画監督には、一にもニにも映像美重視で、役者さんの演技に関しては、「こういう風貌の人が、ここにいてくれれば、それでいい」くらいに 演技までは細かくこだわらない人がいる。
一方、逆に、「役者さんがいい演技をしてくれれば、キャメラが役者さんに合わせて追うから、とにかくいい演技をして自由に動いて!」ーーーつまり、背景との重なり・構図などは重要ではない、という人もいる。
この様に、どこに重点を置くか にムラがあり、「それでいいんだ!」という監督は、少なからずおられる。

しかしーーー
石井隆監督作品は、映像美にも役者さんの演技にも 両方 寸分たりとも手抜かりがなく、両者を相乗効果で高め合い、見事に成立させているのである。
私は、石井隆監督作品の真骨頂というのは、そこにあると思わずにおれない。

何故、石井監督が、この様な映画を撮れる監督になられたかというとーーー
石井隆氏は、学生時代は、早稲田の映画研究会に在籍しており、早大の映研は、主に 商業の劇映画を研究するハイレベルな研究会だった(否、今現在も進行形だが)というから、そこで商業の劇映画の基本を徹底的に学ばれたのだろう。
そして卒業後は、劇画作家として、自ら絵も描かれていたので、映像の審美眼は、自ずと高められていったのだろう。

この二つの経験が、映像美にも役者さんの演技にも、厳しく高度なものを要求し、スキなく完成させられる原動力になったに違いあるまい。

虎が死して皮を遺す様に、石井隆監督は、完全無欠な映画を遺してくださった。
石井監督、我々映画ファンに、多大な感動をありがとう!
監督の大好きだった雨の彼方の空で、安らかにお眠りください。

20220612_083554.jpg

nice!(232)  コメント(32) 
共通テーマ:映画

企画展「日本の映画館」を観に行き [感想文]

20220501_123106.jpg

先日、国立映画アーカイブス展示室で開催されている企画展「日本の映画館」を観に行った。
タイトル通り、日本の「映画館」の歴史を、時系列で、写真 ポスター パンフレット モニターその他で以って、大規模ではないものの 解りやすく 押さえるべき所はしっかりと押さえた 好感の持てる企画展だった。

関東大震災前の幟旗を斜めに数多立てた着色写真は、映画がいかに庶民の娯楽の王道だったかを物語り、震災後の浅草六区の 芋を洗うが如くの人の頭の数から 当時の浅草がいち早く復興し 東京一の大繁華街だったかが手に取る様に見え、戦後、主要な街々に映画館が建ち始めた時代のそれは、いずれも瀟洒な凝った造りの建築で 映画というものが人々にとって どれ程とっておきのお出掛けの場だったかを象徴しており、60年代には ATG作品を主に掛けていたアートシアター新宿で公開された作品ポスターも貼られ ATG好きの私は「あぁ、もう少し早く生まれてさえいれば、アートシアター新宿に、あの作品もこの作品も足を運んで観られたのに!」と唇を噛んだ。

そして私がリアルタイムで体験しているミニシアターの時代のブースに来ると、聴き覚えのある女性のナレーションが流れているのに気がついた。
声を追って近づくとーーー
なんと! 同SSブロガーである事をきっかけに交流させて頂いていたドキュメンタリー映像作家の森田恵子さんの「まわる映写機 めぐる人生」が、モニターに映し出されていたのだ。
「まわる映写機 めぐる人生」は、私も公開時に観に行き、主にミニシアターを運営する方々や、映写技師さんのお仕事ぶりを取材した作品だった。
悲しい事に森田さんは、一年ほど前に、まるで まだみずみずしい果実がぽとりと木から落下してしまった様なあっけなさで、大病のために、この世からいなくなってしまったのだった。
私は観映後、森田さんに、「地方にもミニシアターってあるのかな?って気になっていたんですけど、頑張ってるミニシアターもあるんですね!」と笑顔を向けると、「はい、あるにはあるんですけど、東京に比べると、まだまだ少ないんですよ」と 淋しく笑顔を作られたのが忘れられない。
お育ちの良さが伺える とても品が良く物静かな方だった。

新たな発見と、再認識と、小さな悔しさと、思いもかけぬ懐かしさと悲しさ、といった ごったな感情を胸に、私は会場を後にした。

20220501_123106.jpg

さて、では、私にとって 特別に思い入れの深い映画館はどこだろう? と自問してみると、三館浮上した。
アップリンク渋谷 イメージフォーラム シネマ下北沢。
いずれもミニシアターである。

先ず、アップリンク渋谷は、公園通りとファイアーストリートの間の坂道に在った頃からしばしば通っていた映画館で、スタン・ブラッケージやヤン・シュヴァンクマイエルなど、他ではなかなか扱われない作家の作品を上映してくれていて、その度に 勇んで坂道を登ったものだ。
奥渋へ移転してからは、私が最も敬愛し続けている松本俊夫先生の短編実験映画全作品が 何日間にも渡り映られた企画には、大興奮した。
客席は連日、松本俊夫先生ファンで ぎっしり埋めつくされた。

次に、イメージフォーラム。
こちらは劇場の他に研究所の運営も営っていて、私はこの研究所で、「世界実験映画史」と「インスタレーション」の講座を受講し、劇場上映はまず行われない貴重な作品の数々を、先生の詳らかな解説付きで観られた事が、非常に大きな糧となった。
寺山修司の「市街劇ノック」が、記録映像としても遺されており、それを観る事が出来たのも、熱烈な寺山ファンでありながらも まだ子供だったという理由で行けなかった私は、感涙せずにはおれなかった。

そして、シネマ下北沢。
これぞ、私の中で、「こんな映画館があったらいいのになあ!」という夢が具現化された ウッディで温もりに溢れる カフェカウンターも併設された 私の嗜好にパズルがカチッとハマった、私にとって、これ以上はない映画館だった。
経営者の一人で映画スタイリストでもある宮本まさ江さんと、映画にまつわるシンポジウムでダイヤローグを交わす機会もあり、映画スタイリストは、役者さんより早く現場に到着して 役者さんが帰ってからでないと帰れなく、撮影期間中は連日 睡眠時間が2時間という 過酷なスタイリストのお仕事の現実も打ち明けてくださり、物心ついた時から高2の了りで母親の方針で泣く泣く諦めるまで、スタイリストを仕事とするのが夢だった私は、「あぁ、もしも夢が叶ってスタイリストになれたとしても、私だったら、どこかの時点で音を上げていたかも知れないな」と溜め息をついた。
又、せんえつながらも、「シモキタは演劇の街でもあるので、本多さんの劇場全てとシネマ下北沢が提携して、同作品や同テーマの映画・演劇をいっせいにやる企画なんてのも 面白いと思います!」と発したら、宮本さんは、「そうですね、いいですねぇ」と頷いてくださったのも良き思い出である。

この三館のうち、イメージフォーラムを除くニ館は、すでに、無い。
身悶えするほど切ないけれど、街から次々と、ミニシアターが消えてゆきつつある。
ミニシアターの時代も、終わりに向かいつつあるのだ。
しかし、無味乾燥の大手シネコンしか知らないで「映画館を知った」つもりでいる人ばかりの世の中になってほしくはない。
せめて、現存するミニシアターは、遺り続けてほしいと、心の中で手を合わせるばかりである。
20220501_123106.jpg

nice!(229)  コメント(41) 
共通テーマ:映画

映画「ジャニス・ジョプリン」で、ジャニス降臨! [感想文]

20220419_102843.jpg

先日、映画「ジャニス・ジョプリン」を観に行きました。
この映画は、同名のブロードウェイミュージカルを、キャメラワークを駆使して映像に収め、一本の映画作品として、本場ブロードウェイまで足を運べない日本の演劇ファンを対象に、松竹が仲介役となり 作られた映画です。

先ず、幕が開くとーーー
そこはジャニス・ジョプリンのライブ会場。 ジャニス役の役者さんが、いきなりジャニスの代表曲を熱唱し始めます。
舞台を観に来ている観客は、その時点で、ジャニスのライブを聴きに来ている観客という設定となります。
何曲か歌ったジャニス役は、MC席に掛け、「私が最初に耳にした音楽はね、子供の頃 お掃除していると、いつもお母さんがベッシー・スミスのレコードをかけててね、、、」などと、思い出話しを観客に向かって始めます。
すると、ステージ上方から、当時の扮装をしたベッシー・スミス役の役者さんが、ベッシー・スミスの代表曲を歌いながら階段を降りてきます。
こうして、ベッシーの他に、ニーナ・シモン、オデッタ、エタ・ジェイムス、アレサ・フランクリンと、ジャニスの人生の、その時時で彼女に多大な影響を与えた女性ブルースシンガーが、ジャニスの歌の合間のMC時に 降りて来ては歌い、時に彼女達は、ジャニスと共に歌い 手を取り合い、思い出と劇中の現実が一体化する場面も出てきたりします。
こうしてジャニスを中心に、思い出の歌手達とのライブは盛り上がり、ジャニスは、「私は、これからも頑張って歌っていくわ!」と観客に呼びかけ、幕は閉じます。

20220419_102843.jpg

私はこの構成に、「アッパレだ!」と、舌を巻かずにはおれませんでした。
この舞台は、ジャニスの伝記演劇なのですが、ジャニスが幼かった頃は、絵ばかり描いていた孤独な少女だったとか、後期はドラッグに溺れて、そして若くしてドラッグで死んでいったとか、そういった 彼女がどの様な生涯を送ったかという事は、この舞台を観に来ている観客の99.99%は、十二分に知っている訳です。
時系列でジャニスの成長を追ったり、回想場面を用いて、子供だった頃のジャニスを登場させ、たとえその子役が最高に上手かったとしても、観客の99.99%は、「私達が、このミュージカルで観たい聴きたいのは、そんなんじゃない!」と、不満でいっぱいになるのは必至です。
そう!この舞台に足を運んだ客、ひいては この映画に足を運んだ客の99.99%は、ジャニス・ジョプリンの曲を聴きたいのです。
如何に、ジャニス役の役者さんが、ジャニスと寸分違わぬ歌声を聴かせてくれるのか という事に期待を集中させているのです!

ジャニス役の役者さん、期待を遥か遥かに上回る素晴らしさでした。
何の前情報もなく あの役者さんが歌っているのを聴いたら、「あぁ、ジャニスね、いつの録音の?」とみぢんも疑わないほどに、声質から歌い方まで 完璧にジャニス・ジョプリンでした。
ジャニス降臨!とは、まさに こういう事を言うのだ!と、感嘆しました。

又、ラストの台詞が、笑顔で「これからも私は歌っていくわ!」というのも、心憎く 涙を誘わずにはおれませんでした。
あんなに早く逝ってしまうとは、ジャニス本人は思ってもいなかったのですから。
あれを、ジャニスの早逝を表現する演出ーーー舞台上でバタッ!と倒れたり、「薬!薬!薬!」と叫ばせたり、ジャニスに影響を与えたシンガー役達に、「ジャニスはもういない」などと歌わせては、鼻白むというものです。

私は、ジャニス・ジョプリンの熱烈なファンという訳ではありませんが、ロック喫茶を訪れた折には、必ずジャニスのアルバムをリクエストするくらいに好きです。
中でも、サマータイムは、他のどのミュージシャンが歌うのより、聴き入ってしまいます。
勿論、本作品でも歌われ、私を陶酔の極地へといざなってくれました。

日本に居ながらにして、映像化といえども、ブロードウェイミュージカルの達作が観られるなんて、幸せの限りです。
「松竹ブロードウェイシネマ」という企画の一つなのだそうですが、松竹さん、これからもこの企画、是非とも続けていただきたく思います。

20220419_102843.jpg

nice!(250)  コメント(45) 
共通テーマ:映画

久世光彦著「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」 [感想文]

20220419_102923.jpg

久世光彦さんというと、多くの方は、テレビプロデューサーの業績を思い浮かべるかも知れない。
けれど久世さんは、後年は、小説 評論文 私小説 エッセイなど、書くお仕事もされていて、それらも高い評価を受けている。
今回ご紹介する「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」は、文士としての久世さんの、「死ぬ前に何の歌を聴きたいか」というテーマにのっとった 秀逸な 評論文とエッセイの中間あたりに位置する作品集である。

53曲の歌ーーー主に流行歌、他には唱歌、軍歌などもーーーを取り上げられ、ご自身のその歌にまつわる直接的な思い出話しや、独自のイメージを膨らませた歌詞の解釈、歌っていた歌い手さんの人となり、そして時代背景についてまで、柔らかでありながらも骨格のしっかりした文体でつづられている。

久世さんは昭和10年のお生まれだから、私は古くて知らない歌が殆どで、53曲中 知っていたのは、「君をのせて」(沢田研二)「赤色エレジー」(あがた森魚)「プカプカ」(西岡恭蔵)「月の砂漠」(唱歌)の4曲だけだった。

しかし、全53曲分を読んでみると、そこに通底した久世さんの、熱く強い思いを感じずにはおれなかった。
それはーーー
これらの、決してクラシックのように高尚ではない歌は、家族の思い出、ひいては絆そのものであり、それらを家庭で口づさんだり、声を揃えて歌った事は、家族の結束の具現化だったーーーという事である。

ここに私は、ハッ!とした。
何故なら、私には、そういった体験がみぢんもなかったからである。

20220419_102923.jpg

それは私の家庭が、母親が人格破綻者だったために「家庭」という体をなしていなかった事のみならず、父がクラシック音楽以外は音楽とは認めない、ましてや流行歌などは、オンガクとすら言えないゲレツなものだ、という考えの人だったからである。

父は尊敬できる人だった。
私を育てるために頑張って仕事に邁進してくれ、人を愉しませるために常に明るくハッハと笑い、少しも説教たらしくなく レストランでのカトラリーの扱い方や食前酒の注文の仕方を さりげなく教えてくれた。

だが、この久世さんの一冊を読み了えた時、父の「クラシック以外は音楽とは認めない」という考えだけは間違いだったと 気がついた。
どうして父が、そのような考えの人になってしまっていたかというとーーー
父は、私が3才までクラシックのバイオリニストだったからである。
クラシックというのはなかなか稼ぎにならなくて、しのぐ目的で、歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをしていて、それが耐え難いほど屈辱的だったそうである。
父は優しく寛大な人だったので、私がステージ衣裳観たさに歌番組を張り付くように観ていても、「観るな」とは決して言わなかったが、決まって後ろのソファにふんぞり返って、「けっ!下手っクソな流行歌手がっ!」と 独白していたのである。
だから私も、尊敬する父の言う事だから、流行歌というものは、あえて耳を傾けるに値しないゲレツなジャンルの音楽だと、漠然と信じて育った。

しかし、この著書の中での久世さんの、流行歌というものが人に与える大きさ、そして流行歌の中には、心を揺さぶられる 棺桶に入るその時まで繰り返し聴いていたい名歌詞が幾多ある事を知り、自分がかつては、衣裳目当てに観ていた歌番組で、なんとなく聴き憶えていた流行歌の数々をカラオケで流し、歌詞を追ってみると 十二分に文学になっている 優れた歌詞が、あぁ!あの歌もこの歌も!と気づかされた。

いくら尊敬できる父も、完璧ではなかったのである。
流行歌という部分に関しては、久世さんが私の父となった。

20220419_102923.jpg

nice!(234)  コメント(36) 
共通テーマ:映画

映画「夜がまた来る」にみる完璧な映像美 [感想文]

世の中には、もっと高評価を受けていい筈なのに 相応しい評価を受けずに 映画史に埋もれている作品というのがある。
今回紹介する「夜がまた来る」も、そんな映画の一つである。

「夜がまた来る」
監督・脚本 石井隆
1994年製作

シノプシスはーーー
麻薬Gメンとして潜入捜査を始めた夫が何者かに殺された妻・名美が、夫殺しの犯人だと目星を付けた某ヤクザの組長に、高級クラブのホステスとなり近づき、組長の女となり、チャンスを見つけるや殺そうとするが、失敗し、組長に、場末の風俗店に売り飛ばされ、シャブ漬けにされてしまう。
そんな名美を探し出し、シャブの後遺症を抜かせるまで献身的に尽くしたのが、その組の幹部・村木であった。
名美は村木と計画的に組長をおびき寄せ、今度こそは抜かりなく組長を殺そうとするが、村木のピストルが、かつて夫が持っていたピストルと同一の物だと気づいた事により、夫を殺したのは組長ではなく村木だったと判り、一度は愛した村木を殺して、了。
村木は、実は、徹底的に組の者のふりをした麻薬Gメンで、意見の対立から、名美の夫を殺し、復讐をきっかけにどこまでも堕ちる名美に対しての自責の念から、あれほど名美に尽くしたのだった。
20220115_125335.jpg

このシノプシスからも判るように、物語は、非常に残酷で血生臭く 濡れ場も多い。
しかし、この作品を鑑賞するにあたって 見逃せずにおれないのは、紛れもなく「映像の美しさ」である。
季節の移り変わりを表現する、じっとりと止まない梅雨時の雨や ビル群に舞い落ちる雪や 揺れる桜の大木。
夫が麻薬横流しの疑いをかけられ マスコミに追われた名美に蘇る、数多のフラッシュの発光する白さ。
見せてはいけない部分は見せずに巧く隠しつつも、実にエロティックに 感心するほど様々な構図で展開される 数々の濡れ場。
場末の風俗店で シャブ欲しさに働く、下品なドレスと厚化粧を纏い 自暴自棄になっている名美を、村木が制し、夜の海辺でもつれ合う退廃的な画。
シャブが抜け、どれほど献身的に自分に尽くしてくれたかを悟った名美が、村木と身体を合わせるに至る、ブルーのトーンに玉ボケのゆっくりと落ちる、純粋に愛する心の表現。
村木が舎弟の首にビニール傘を刺し、血まみれのビニール傘が歪んでパッと開き、風に乗って飛んでゆく、おどろおどろしい美。
クライマックスシーン、つまり、名美が村木を殺す場である 夜の廃ビルの屋上に煌々と輝く イエロー オレンジ 黄緑色の、山積みにされたネオン。

20220115_125335.jpg

映画というものは、この様に、時間軸の移行や登場人物の心情を、「画」で以て表現するものである。しかも、そこには美しさがあってこそ魅せるに値するものである。それでこそ「映画」だ。と、改めて 深く納得させられずにはおれない。

中でも特に「心憎いなあ」と嘆息したのは、冒頭のショットとラストシーンとのつながりである。
冒頭のショットは、黒とピンクの幾何学模様が画面いっぱいに広がっている。
観客は、「はて? これは何だろう?」と、否が応でも前のめりになる。
するうち、キャメラがぐんぐん引きになり、それはピストルの持ち手部分に、名美が、自分と夫との絆の証として ピンクのマジックペンでハートを描いているのだと明確になる。
その段階まで観ている限りは、「ふうん、こういう冒頭のショットもあるのね」くらいの気持ちでいるのだが、ラストの屋上のシーンで、村木が持っていたピストルが、そのピンクのハートのピストルであったが為に 名美は瞬時に全てを知り、村木にピストルを向けるのである。
何という見事な、起と結の繋げ方だろう!! アッパレである。

であるから、この作品、家庭の小さな画面ではなく、是非とも機会を待って、劇場のスクリーンでご鑑賞いただきたい。
私は、去年の秋冬に神保町シアターで開催されていた「夜の映画たち」特集で鑑賞した。
余りにも感動したので、翌々日に、も一度足を運ばずにおれなかった。

20220115_125223.jpg

nice!(252)  コメント(38) 
共通テーマ:映画