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上野の喫茶店「coffee shopギャラン」で70年代にレッツゴー!! [喫茶店・レストラン・カフェ]

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JR上野駅周辺は古い喫茶店の宝庫ーーー「古城」「王城」「マドンナー」「純喫茶・丘」「coffee shopギャラン」等々ーーーな訳ですが、その中から今日は、「coffee shopギャラン」をご紹介したいと思います。

coffee shopギャランーーー
JR上野駅・不忍口から大通りを渡って小路に入るや、ギラギラした電球の看板とメニューのサンプルが、上野らしい前時代的匂いを発散させています。
フロアへの階段を上がる途中にも、電球でこさえられた店名がギラギラしており、否が応にも、この店名が脳裏深くに刻み込まれます。

二階フロアにたどり着くと、天井や壁の照明が、やはり 「これでもか!!」と言はむばかりにギラギラしており、この店は「省エネ」という言葉が誕生する遥か以前に誕生した事がうかがえます。

ーーーと、店員さんが現れ、人数を聞かれます。
ウエイトレスさんの制服は、黄色い角襟のブラウスに赤地に黒と黄のチェックのチョッキに同生地のプリーツスカート。
ウエイターさんの制服は、黒いシャツに黒いズボン、ウエイトレスさんと同じ赤地のチェックのチョッキ。
いずれも、左胸の所に「coffee shopギャラン」と、ミシン刺繍がされています。
この時点で、気分はかなり70年代です。

人数によって通される席は違いますが、どの席も 茶色の革張りのゆったりとした椅子で、ここでますます70年代感アップです。
メニューは、定番のコーヒーや紅茶から、昔ながらの盛り付けのパフェまで。
細部に至るまで、70年代をないがしろにしていません。

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そして、極めつけは、何といってもBGMです。
小さすぎず大きすぎずの音量で、次々と流れてくる曲は全て、70年代前後の流行歌なのです!

友人と行った折には「これ歌ってた人は、一発屋だったよねー」とか「この頃、私はまだ中学生で、深夜放送でよく聴いてたよ」等と、おのずとそういった話題になります。
又、一人で入店した時は、100%BGMに浸り込め、「なるほど、当時の自分は子供だったから意味が解らなかったけど、この歌の詞は、こんなに切ない恋心を歌っていたのか」とか「スナック歌謡というのも、今聴くと、なかなか乙なものじゃああーりませんか」と、全身全霊、完全に70年代に持ってゆかれます。

殊に、自分にとって特別に思い入れのある歌い手さんや作家さんの曲になると、「おおっ!」と、革張り椅子から身を起こさずにおれなくなります。

私が前回行った時には、ジュリーの「コバルトの季節の中で」とタイガースの「花の首飾り」がかかり、王子様の様に美しかった頃のジュリーが眼前に浮かび、時の流れの悲しさ・残酷さに涙にむせび、この写真を撮った日は、私の人生に最も大きく影響を及ぼしたマルチ表現者・寺山修司氏作詞の「時には母のない子のように」がフロア中を包み込み、「あぁ、私も もう少し早く産まれてさえいれば、生で寺山さんの舞台を観に行けたのになぁ、、、」と、ちょっと悔しさが湧きいでてしまいました。

次から次へと流れる70年代前後の流行歌、、、その中には、70年代をリアルタイムで生きたアナタの思ひ出の曲もきっと流れる筈です。
ヒデキの「ギャランドゥ」が流れる可能性も、、、勿論 大アリです。
なんせ店名が「ギャラン」ですから。

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バターマルメで形成されたバター [喫茶店・レストラン・カフェ]

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一流ホテルのレストランなど 格のあるレストランへ行くと、パンにつける為のバターが、表面が格子状の凸凹になっていて 直径ニセンチほどの丸型の事がある。
私は小学生の時から「この形はどうやって作るのだろう? 型抜きした感じでもないし、、、」と ずっと不思議に思っていた。

そして三十代半ばのある日、入ったレストランがやはりその形状のバターだったので、思いきってホール係りのかたに「このバターは、どうやって形作るのですか?」と 尋ねてみた。
するとホール係りのかたは笑顔で「これはですね。持ち手の付いた掌サイズの洗濯板みたいなものがありましてね。それを二つ持って サイコロ形にカットしたバターを挟んで こうやって(挟んだバターをコロコロと転がすアクションをしてくださり)作るんですよ」と 教えてくださった。

私は「なるほどー!」と 長年の謎が解け、目からウロコの思いだった。
確かにこの方法なら、四角いバターそのままより 遥かに洒落た見栄えと成り、かつ そう大仰な手間も掛からずに 格のあるテーブルに相応しい見てくれのバターが作れるのだった。

時は経ち、私は西洋料理よりアジア料理を好んで食する様になり、格子柄の丸いバターの事は、頭の片隅に 小さくぼやけてしまっていた。

と、先日、気まぐれにネットサーフィンをしていたら、あの格子柄の丸いバターの話題が出てきた。
連動して、あのバターを形成する 持ち手のある掌サイズの二つでワンセットの洗濯板状の道具は、「バターマルメ」という名称だという事が判った。

ここで再び目からウロコだったが、同時に、あまりにも使用法そのままのネーミングなので、少し笑ってしまった。
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神保町の喫茶店「神田 伯剌西爾(かんだ ぶらじる)」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

今日は、神保町散策の折には是非ともお寄りいただきたい 喫茶店マニア・ぼんぼちイチオシの喫茶店を ご紹介します。

「神田 伯剌西爾(かんだ ぶらじる)」
この喫茶店、何故イチオシかというとーーー

先ず、コーヒーが驚くほど美味です。
「都内でコーヒーの美味しい喫茶店はどこですか?」と問われたら、私は迷うことなく、山谷のバッハと ここ神田 伯剌西爾を挙げます。
看板メニューの「神田ぶれんど」は、苦味が強く 奥行きがあり かつ濃すぎない 完璧な味わいです。
他にも、アイリッシュコーヒーなどのアレンジコーヒーや、又、コーヒー以外には、カルーアコーヒーリキュールの掛かったカルーアアイスクリームやコーヒーゼリー、コーヒーに良く合うタイプのケーキ数種類があります。

20210226_111053.jpg次に、内装が、実に落ち着く和のテイストでまとめられた 焦げ茶色の渋い設えなのです。
奥の一角は、囲炉裏をぐるりと囲んで座る席になっています。
壁に掛けられている額も、圧迫感のない 和に馴染むものばかりです。
そのような内装に合わせて 照明も明る過ぎず、かといって 買ったばかりの古本をぱらりぱらりとやるのにも 全く困らない明度はあります。

そして、喫煙者には嬉しい 今となっては貴重な存在となった 喫煙OKの店でもあるのです。
「あら、それなら私、嫌だわ。 煙、苦手だもの」と思わずつぶやかれた そこのアナタ、ちゃんと禁煙室も別にあるのでご安心を。
階段を降りると すぐ脇にレジがあり、その右手が禁煙室になっていて、喫煙室は、左に向かう通路を歩いてその奥にあるので、禁煙室にまで煙が流れ込んで来ることは、先ずありません。
なお、囲炉裏は喫煙室のほうにあるので、囲炉裏席を愉しみたいかたは、煙に耐えられるのであれば、喫煙室を選ばれると良いかと思います。

20210226_111125.jpg私・ぼんぼちは、リトルシガー(葉巻の中で一番細いサイズのもの)愛煙家なのですが、こちらの神田ぶれんどのブラックとリトルシガーは最高に相性がいいな!と実感しています。
最初に、神田ぶれんどのブラックをカップの半分くらいまで飲み、リトルシガーをくゆらせる。
一本くゆらせ了ったところで、後の半分の神田ぶれんどを干す。
そして、二本目のリトルシガーに火を着ける。
ブラックコーヒーの苦味の残り香のある口の中に リトルシガーの甘い香りが混じり合って、口腔内が 得も言われぬ心地良さでいっぱいになるのです。

私と同じに感じている人は多いらしく、他の喫煙可の喫茶店より、ここ神田 伯剌西爾は、シガレット(紙巻き煙草)や 今流行りの電子タバコを吸う人に対して、世間的にはあまり一般的ではないリトルシガーのお客さんの率が、非常に高いです。

中にはドライシガー(本格的に専用の道具を使って吸う太い葉巻)を咥えているかたもおられます。
又、店員さんも全員がとても愛想が良く 気が利かれて、いつも私が座るテーブル席に空きがなくて カウンター席に座っていたら、しばらくしてベテランの女性ウエイトレスさんが「テーブル席が空きましたので、宜しかったらどうぞ!」とすすめてくださり、いたく感激したこともあります。

今、私は、ここ神田 伯剌西爾で至福のひとときを味わいたいがために、自宅のある西荻窪から神保町まで、週に一度は出向いています。
それほどに、大きな価値を感じずにはおれない 最上級の喫茶店です。



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昭和40年代に定番だったケーキあれこれ [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和40年代、ケーキはまだ 喫茶店では、ケーキ屋併設の喫茶室以外では、どこにもなく、又、ケーキというもの自体が、日常的に食するものではなく、誕生日かクリスマスか 知人が特別感を持った日の土産として買ってきてくれるのみだった。

ケーキのラインナップは、大抵、ショートケーキ モンブラン スワン タヌキ サバラン アップルパイ、そんなところだったと記憶している。

ショートケーキは、苺ショートが出るのは春先だけで、その他の季節は、確か マスクメロンのスライスが乗せられている事が多かった。
当時 苺は、春にしか出回らない食材で、ちなみに クリスマスケーキも誕生日のケーキも、ホールケーキはバタークリームかチョコレートの二択だった。

モンブランは、カステラの土台にトッピングのニョロニョロはきんとんみたいにまっ黄色で、上には これまたまっ黄色な甘露煮の栗が鎮座していた。
味もきんとんそのもので、今思い返すと、あれは「半和菓子」だった。

そして、スワン。
これはシュークリームの上部のシューを半分に切ってスワンの羽の様にクリームに刺して スワンの首を模した「S」の字型のシュー生地をクリームの端っこにつけたものだった。
スワン形にせずに 単に「シュークリーム」という商品名で出していた店も少なくなかったが、私は、一寸工夫して あの美しいスワンに見立てる という意匠に、幼心に惚れ惚れしていた。
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それから、タヌキ。
これもまたカステラの土台に生クリームを雪だるま状に絞り チョコレートでコーティングし 目鼻をチマチマッと描き チョコレートの薄く丸く小さな耳をつけて タヌキの姿にしたもの。
店によっては「タヌ公」「ポン太」「タヌ吉」、そんなネーミングを与えられていたりもしていた。
私はどうも、見た目もネーミングもお洒落度が低いので、このケーキは食べる気にはなれなかった。

あとは、サバラン。
砂糖とホワイトラムを加えた水を熱しラムのアルコールを飛ばし ブリオッシュにたぷたぷに浸し、ブリオッシュの首の所を切って生クリームを少量挟みこんだもの。
私は幼い頃からラムの香りが無性に好きで、このサバランが圧倒的に好みだった。

最後に、アップルパイ。
これが一番 今現在売られているものと違いが少ないように思うが、やはり 現在のと比較すると、パイ生地のサクサク度 焼きリンゴのシャクシャク度が低かったように思う。

以上、昭和40年代に街によく在ったケーキ屋のケーキというのは、こういったものだった。
尤も、横浜や神戸や どこかの一流ホテルで修行をしてきた職人さんが開いた店には、世間一般的にはもっと時代が下ってから登場するケーキが並んでいたのかも知れないが。

だから、当時は、チーズケーキもミルクレープもコーヒーゼリーも無かった。
それらが一般的に市民権を得たのは、1970年代である。
ティラミスなんてのはもっと後で、1980年代バブル期だった。

あれらのケーキ、カステラを使ったものはパサパサでキメが粗く、生クリームを使ったものは、どへっと重たい食感がした。
したがって今食べると、決して「美味しい!」とは声を上げられない代物だと思うが、懐かしい「気分」先行で、も一度口にしてみたい気もしないでもない。

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昭和の喫茶店の王道デザート・パフェ サンデー アラモード [喫茶店・レストラン・カフェ]

私が子供だった昭和四十年代、街街に在る喫茶店のデザートメニューといえば、パフェ サンデー アラモード アイスクリーム シャーベット プリン フルーツポンチ クリームソーダ でした。

お若い方はご存じないかとお察ししますが、その頃はまだ 喫茶店にケーキというメニューはなかったんです。
あるとすれば、ケーキ屋併設の喫茶店だけでした。
現在も遺っている「喫茶」と冠した店には、今 当たり前の様にケーキメニューがありますが、これは、時代がくだってから加えられたメニューなんです。

昭和四十年代の喫茶店では、冒頭に列挙したものがデザートメニューだった訳ですが、その中でも特に子供達に人気だったのは、豪華で華のある パフェ サンデー アラモード でした。
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パフェは、フルーツパフェ チョコレートパフェ バナナパフェ、春にはストロベリーパフェも仲間入りしていました。
ゆりの花の様な縦長の縁のひらひらっとしたガラス器に、これでもか!というほどに、素材が、それはもう美しく盛り付けられていました。
中でもフルーツパフェの極彩色の華やかさは、群を抜いていました。
底に沈められたメロンコンク、たっぷりと詰められたバニラアイスクリーム、うず高く絞られた生クリーム、缶詰めのとりどりのフルーツ、横から見ると五〜六段のVの字にカットされ ずらし重ねられ長々と延びるリンゴの飾り切り。
そして、斜めにスライスされたアンゼリカ。
アンゼリカは、今では菓子材料店くらいでしかお目にかかれなくなってしまいましたが、当時 パフェにアンゼリカがちょこんと鎮座している確率は とても高かったと記憶しています。
ジャリジャリと甘いだけで、別段美味しい素材ではありませんでしたが、あのキッチュな緑色は、子供心をテンションアップさせる名脇役でした。

次に、サンデー。
これは、バナナサンデーとチョコレートサンデーがありました。
脚の付いた横長のガラス器に、いずれも横長にデコレーションされていました。
チョコレートサンデーの場合、チョコレートのアイスクリームとバニラアイスクリームが二つ並んでいるので、どちらを先に攻めるのか 嬉しく悩んだものです。

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そして、アラモード。
アラモードといえば、必ずどこの喫茶店にもあったのが、プリンアラモードでした。
アラモードも又、サンデーと同じ横長のガラス器で登場しました。
メインのプリンは、ほろ苦いカラメルがプリン本体に馴染んだ 硬めのカスタードプリンで、あのほど良い硬さを 舌と上顎を使って潰すのが、何とも心地良かったものです。
私と同世代の方は、「プリンといえば、あの硬いカスタードプリンこそがプリンである!」と譲れない向きも多いのではないでしょうか?

これらが、昭和四十年代の喫茶店の人気デザートメニューです。
時代が進み、運送技術・冷凍技術・解凍技術も進んだ近年、マスター一人で営られている小さな喫茶店でも、仕入れのケーキを出す事は非常に安易になり、又 客も、喫茶店にはケーキがある事を当然と認識する様になり、作る手間と技術を要する パフェ サンデー アラモード は、次々と喫茶店のメニューから姿を消してしまいました。
唯一 生き残っているのは、大人仕様に高級化されたパフェだけでしょうか。

私は年を取って 甘い物が好きではなくなりましたが、喫茶店は数少なくも遺ってはいるものの、これらのデザートがほぼ絶滅と言っても過言ではない状態になってしまった事に、一抹の寂しさを覚えずにはおれない次第です。

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渋谷のロック喫茶「B.Y.G」で至福の音楽タイムを過ごす [喫茶店・レストラン・カフェ]

喫茶店マニアであれば外せない喫茶店ジャンルに「ロック喫茶」がある。
東京でロック喫茶といえばーーー
そう、今は無き国分寺の「ほら貝」と、渋谷・円山の「B.Y.G」である。
今回は、先日久しぶりにB.Y.Gを訪れたので、その時の様子を記したいと思う。

pm5:30 早々に、ステッカーがびっしり貼られた扉を押し、落書きで埋め尽くされた薄暗いウッディな一階席に陣取る。
一階スペースには、既に 他に二組の客が入っていた。

20200818_165954.jpg一応メニューを確認し、ハイネケンとナポリタンを注文する。
同時に、卓上のリクエストカードに「初期のヤードバーズ」と書き、フロア係りの女の子に「アルバムの指定はしませんが、とにかく初期のヤードバーズをかけて下さい」と渡す。

ハイネケンにグラスは付いて来ない。
ラッパ飲み。
他の店であれば、私はグラスを所望するところだが、この店では ちょっとお行儀の悪いラッパ飲みがよく似合う。

ヤードバーズが流れ始める。
まだカバーを演っていた頃の 極く極く初期のアルバムである。
レコード盤をかけているので、針音がアナログ感を盛り立てていて それも心地良い。
ハイネケンのボトルを片手にリズムを取り、軽く酔いがまわるのを享しむ。

客がもう一組入店。
ナポリタン運ばれて来る。
ピーマンたっぷりで、私好みのナポリタンである。

20200818_170041.jpg他の客はリクエストをしていない様なので、ではもう一つと、今度はカードに「ジャニスジョプリン」と書き、「これも、アルバムは指定しないので」と 先の女の子に。

唇を朱く染めつつ、ブルージーで破滅的なジャニスに舌鼓を打つ。

〆めにはティオぺぺ。
フィッとあおり、唇を整え、焦げ茶色の席を立つ。

会計カウンターで会計を済ませると、厨房&レコード&会計係りのお兄さんが、「ありがとうございました。是非また いらして下さいね」と 笑顔で会釈して下さった。

目にも舌にも、そして何より耳に、至福のひとときであった。
ヤードバーズとジャニスを頭蓋に回転させながら、円山の町の坂をゆらゆらと下った。
次回は、初期のホリーズとアニマルズをリクエストしようかな、などと思いつつ、、、



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昭和のレストラン喫茶の定番メニューだった「イタリアンサラダ」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和の時代は、街のそこここに喫茶店が在ったのみならず、まとまった西洋料理もゆったりと食せて 飲み物やスイーツだけでくつろぐことも出来る レストラン喫茶もあちこちで賑わっていた。
我が家は外食中心の家庭だったので、それはもう何店ものレストラン喫茶の扉を押してきた。

父はハンバーグにコーヒー 母はステーキにコーヒー 弟はピザにプリンアラモード 私はビーフカレーにフルーツパフェ。
だいたいそういったメニューを各々の前に並べ、加えて四人で一つ注文するサイドメニューが 必ずあった。
それは、イタリアンサラダであった。

当時のレストラン喫茶には、大抵サラダが、グリーンサラダ コンビネーションサラダ イタリアンサラダと三種類あるのがお決まりだった。
グリーンサラダは、レタスとキュウリとトマトにパセリが飾られただけのオーソドックスなもの。
コンビネーションサラダは、グリーンサラダにホワイトアスパラの缶詰めが添えられた ちょっとバージョンアップしたもの。
で、イタリアンサラダというのは、グリーンサラダに、プロセスチーズとチェダーチーズがスティック状にカットされたものと オリーブ色とブラックのオリーブのスライスと サラミの千切りが一面に散らされた、豪勢な 価格も三種の中で一番高いサラダだった。

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我が家が何故、イタリアンサラダばかりをテーブルの真ん中に置いてきたかというと、別段 トッピングされた具材が気に入っていた訳ではなく、母の「安いモンを頼むと貧乏人だと思われてみっともねーーーっ!!」というポリシーからだった。
そのくせ母は、マナーについての「貧乏人だと思われては、、、」という発想はみぢんも無かったらしく、カレーやピラフを食べる時はスプーンをグーで握り持ち、煙草を吸う時、手の届く距離に灰皿が無い場合は、食べ了えた食器を灰皿がわりに使って、椅子の背もたれに片腕をもたせ掛け 脚を組んでふんぞり返って プハーッとやっていた。

そんな理由・思い出と連結している一品なので、特別 感慨深さも懐かしさもないメニューなのだが、今現在 喫茶店が限りなく絶滅の方向に向かっているのと同様、レストラン喫茶も絶滅の一途に突き進んでいるのは、火を見るより明らかである。
しかも たとい今でも、レストラン喫茶と冠し、同店名で同一のオーナーシェフが営っていたとしても、アラモードやサンデーがパフェに収斂された様に、サラダも、当時の様にはあれこれ出なくなってしまい、グリーンサラダだけになり、単に「サラダ」としてメニューに載せられているのではないかと察する。
だから、「かつて、昭和のレストラン喫茶には、イタリアンサラダというメニューがあった」という歴史的事実をここに記しておきたかったのだ。

それから、この記事を書こうと 頭の中で構成を練っている時に ふと気がついたのだが、イタリアンサラダのトッピングの具材は、いずれも当時のピザのそれである。
それらの具材を使い回すことで「一品バリエーションが増やせるぞ!」と発案され 生まれたメニューではなかろうか?と思った。
よって、本場イタリアには、イタリアンサラダは無いのではないか?とも思った次第である。
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「新しい生活様式」に喫茶店は乗れるのか? [喫茶店・レストラン・カフェ]

私は少し前の過去記事「人間、明日はどうなるか解らない」の中で「美容への全力投球」と「ファッションの満喫」、この二つが出来なくなってまで生きていたいとは思わない と書いたのだが、後日、もう一つ有る事に気がついた。
「喫茶店でくつろぐ事」である。
私は、喫茶店でくつろぐ事が出来なくなってまで、つまり、気軽に行ける街々から喫茶店がなくなってまで 生きていたいとは思わないのである。
(私の言う喫茶店とは、古くから在る個人経営の喫茶店のみを指すのであって、大手チェーン店のコーヒーショップやイマドキのカフェやホテルのティーラウンジは入れられない。)

コロナ騒動が収束した後、我々は「新しい生活様式」を築いてゆかねばならない。
その生活様式の中に、喫茶店は乗る事が出来るのか?乗り続ける事が出来るのか?
非常に不安である。

「たかだか喫茶店くらいでそんな大仰な」とか「他に楽しみを見つければいいじゃない。ぼんぼちさんは、映画も音楽も好きじゃないの」と仰るかたがいるかも知れない。
けれど、私にとって喫茶店というのは、代替のきかない 特別な至福の空間なのである。

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中学一年から現在までの間、忙しく画家をやっていた九年間以外は、毎日、一店ないしは二店、一人で必ず通っていた場所。
学友に、顔がおすもうさんだのニキビが気持ち悪いだのとからかわれても、家の中で母親に「産みたくもないのに勝手に産まれてきやがって!」と存在を全否定されても、避難出来た場所。
もっとさかのぼると、物心ついた時から小六までは、しょっちゅう親に連れられて行っていた場所。
父と二人で行った時は、父は母の前では見せた事のない笑顔で いつも使い切れないほどの小遣いをくれた 二人の秘密の思ひ出詰まる場所。
母親と弟と三人で行った時は、母はふんぞり返って煙草片手にウエイトレスを怒鳴りつけるのに夢中で 私は殴られなかった唯一の場所。
私にとって喫茶店というのは、私の最も古い記憶から今に至るまでの、つまり、私の人生の貫通した桃源郷なのである。

「そんなの甘ったれよ!世の中には生きたくても生きられない人がたくさんいるんだから!」「私達は生かされているんだから 心臓が動く限り生き続けるべきよ!」と 叱りたい人もいるだろう。
叱っていただいて一向に構わない。
どうせ私は、融通のきかない頑なで偏屈な変わり者だから。
そんな事、自分自身が一番良く解っている。
齢五十七になって、今さら自分を変えられるわけがない。

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一方、私と同じ様に「○○が出来なくなってまで生きていたくはない」という人も 意外と多いのではないかと察する。
「認知症になってまで生きていたくはない」とか「美味しい物を飲み食い出来なくなってまで生きていたくはない」とか「ジャズが聴けなくなってまで生きていたくはない」というジャズファンとか「電車に乗ったり撮ったり出来なくなってまで生きていたくはない」という鉄道マニアとか、、、。

要するに私達人間は、半分は肉体で出来ているけれど、あとの半分は精神で出来ているわけである。
その精神が生きられなくなってまで 肉体だけで生きていたいとは思わない人は、少なくないのではないか?、、、と推測するのである。

人生、生まれる事に関しては、何一つとして選べない。
だから、了える事については選択肢があったっていいのではないか? と思うのである。
私は「辛い辛い不幸だ不幸だ、こんな生活どん底だ」という中で生命を了えるより「わぁ!今日も幸せな一日だった!」というさなかに 笑って人生の幕を閉じたい。

新しい生活様式が始まり 人々の間に浸透した後も、「美容」と「ファッション」は、自分の努力と工夫次第で続けられそうだ。
けれど喫茶店の存在は、第三者である私個人の尽力だけではどうにもならない。
新しい生活様式浸透後、何軒の喫茶店が遺ってくれるのだろうか、、、???

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「純喫茶」の「純」とは何か [喫茶店・レストラン・カフェ]

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この答えはすでに 私のブログの「喫茶店・レストラン・カフェ」のカテゴリーの過去記事の中の何記事かで補足として必要だったので書いていますが、今回はここだけに焦点をあてて、改めて 簡潔に解りやすく述べたいと思います。

「純喫茶」の「純」とは何か?
ーーーそれは、「女性のお色気サービスは一切しないで、純粋に飲食を愉しんでもらう事を目的とした喫茶店」の「純」です。
1960年代後半までは、街街に ロングドレスの女性が横に座り酌をしてくれる お色気サービスをウリにする「特殊喫茶」が在り、それに対して「ウチはそういう喫茶店ではありません!」という事を判らせる為の「純」です。
稀に「アルコール類を出さないのが純喫茶でしょ」と思っておられるかたがいらっしゃいますが、それは間違いです。

事実 殆どの純喫茶にアルコールドリンクスはありました。
瓶ビール ウイスキーの水割り フィズ類(ジンフィズ バイオレットフィズ カカオフィズ等)ーーーそれらには大抵 ピーナッツの小皿が付いてきました。
ですから私が幼かった60年代、日曜日の純喫茶では、パパはジンフィズ ママはコーヒー 子供達はフルーツポンチにプリンアラモードなんていう構図が定番でした。
又 フードメニューでは、サンドイッチにバターと和辛子を練ったものが塗ってあったり、蟹缶をポン!と一缶 キャベツのせん切りの中央に乗せた蟹サラダがある店も 少なくありませんでした。

時代は下り 60年代後半、特殊喫茶は減少、そしてついには消滅し、したがって純喫茶は「純」と冠する必然が無くなり、それ以前に出来ていた純喫茶は「純」を付けた看板をそのままに営っていましたが、以降に開店した純粋に飲食を愉しませる喫茶店は、「喫茶」とだけ名乗る様になった、という訳です。

同時にこの時代には、お色気サービス無しの喫茶店は様々な個性をまとう様になり、純喫茶とほぼ同時代から在った名曲喫茶に加え、ジャズ喫茶 ロック喫茶 民芸喫茶 和風喫茶 「珈琲専科」等と冠する幾種類ものストレートコーヒーやアレンジコーヒーを供する喫茶店、、、と百花繚乱、70年には喫茶店黄金期となります。

そんな喫茶店黄金期もみなさんご存じの通り、徐々に衰退、今でも頑張っている店も何店も在るには在りますが、開店した時代の古かった純喫茶は、フィズやポンチや蟹サラダといった余り注文の来なくなったメニューは排除してゆき、それでもその他の理由も加わり存続が難しくなり、現在では絶滅危惧状態となりつつあります。

目の前の父のジンフィズの真っ赤な缶詰めチェリーも 淡い緑のキャベツに赤白だんだらの蟹の身のコントラストも チューリップ型の大ぶりのグラスのグリーンのソーダ水の中から掬いあげたキューブ状のフルーツも、もはや過去完了、、、
喫茶店マニアとして歩み始める前身が純喫茶だった私・ぼんぼちにとっては、一抹もニ抹も寂しさを覚えずにはおれないものがあります。

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喫茶店常連客として敗北を感じたとき [喫茶店・レストラン・カフェ]

あっし・ぼんぼち、中学1年の時から喫茶店マニアをやっておりやして、中高の6年間は、家庭教師の来る日以外は必ず、1日に一度ないしはニ度、あちこちの喫茶店の扉を押してまいりやした。

あっしが中高生だった時代は喫茶店全盛期で、街じゅうに喫茶店が溢れていた というのもあり、それはもう様々な喫茶店に行く事が、マニアとしての目標であり、これ以上はないという享しみでやした。
けれど数年前から、街から喫茶店が激減してしまったことや 自分好みの喫茶店の雰囲気が極めて明確になった事から、ほんの10店ばかりの特別お気に入りの店ばかりに通うようになり、そこで店主から「アナタは常連客です」と認められ、常連度を高めてゆくことに、喫茶店マニアとしての至福と誇りを覚えるようになっておりやした。
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過去記事「喫茶店で自分は常連だと実感するとき」にも綴ったように、あっしが喫茶店で、店主から暗黙のうちに「アナタは常連です」と認定されたと認識するのは、あっし一人を店に残し 店主が買物や両替へ行って お留守番を頼まれる事でやした。
それが 喫茶店常連客としての最高峰、山でいうと富士山の頂上だ と、それ以上の常連度の高さというのはあるワケがない と、信じてやみやせんでやした。
過去にお留守番を頼まれた店は4店あり、あっしは4店の店から、富士山の頂上に立てる旗を頂いたのだと 悦にいってやした。

ーーーところが!でやす!
これまでに2度ほどお留守番を頼まれたお気に入りの店の一店で、あっしがいつもどおりにコーヒーをすすっていると、開けられたままのレジ前に立った しょっちゅう顔を見る40代のリーマンと思われる男が、こんな言葉を発したのでやす。
「1000円入れとくから、250円の釣り 貰っとくね。まいどっ!」
男は慣れた手付きで札を入れ硬貨を摘み取りスタスタと店を出、マスターはカウンターの奥のそのまた向こうのガス台で、背中を向けてフライパンを振りながら、チラと振り向きもせずにこう返しやした。
「へぃ〜〜〜 まいどぉ〜〜〜」。
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あっしは手にしたカップがカチャカチャと震え あまりのめまいにソファに倒れ込みそうになりやした。
ーーーこっこっこんな高さの常連度があったとは!!!
マスターは、あっしが金を払う時は、いつもレジ前に出て来てくださって、「ハイ、○○円のお預りですから○○円のお返しです。毎度ありがとうございます。」と、丁寧に確認をし 丁寧に会釈をし あっしを見送ってくださるのでやす。
あっしが富士山の頂上だと思いこんでいた山は、実は高尾山(東京の小学生が必ず遠足で登る山)に過ぎなかったのだと 火を見るより明らかに眼前に見せつけられたのでやす。

しかーし!
キャリア45年もの喫茶店マニア・ぼんぼち、このままソファに倒れ込んで泡を吹いて気を失うワケにはいきやせん。
あっしは姿勢を立て直しやした。
真の喫茶店常連としての標高が、一瞬にして 霧が晴れたが如く判明した今、今日からは真の喫茶店常連の富士山の頂上を目指し、いつの日か 富士山頂上に旗を立てるのでやす!
がむばるぞ!おー!!

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