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第二次インド風カレーブームが来ていると思う [喫茶店・レストラン・カフェ]

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私は単なるカレー大好き人間で、別段、カレーマニアでもカレー研究家でもないのだが、私の個人的主観では、近年、「第二次インド風カレーブーム」が到来していると感じている。
インド風カレーというのは、インドでホンマモンのインドカレーを体験してきた人が、日本人の舌に合わせて作る 限りなくインドカレーに近い日本人カレーの事である。

第一次インド風カレーブームは、1970年代初頭であった。
1970年代初頭というのは、インドを放浪したヒッピーが、続々と帰国し、インドに影響を受けた 雑貨屋や服屋やカレー屋を始めた時代である。

少し、雑貨・衣類に言及するとーーー
今現在は、東京でインド雑貨・衣類の店というと、誰もが仲屋むげん堂を思い起こすと思うが、1970年代初頭は、個人でそういった店を営っている人がそこここにいた。
するうち、吉祥寺に、はるばる屋という ちょっと規模の大きなそれが出店し、後発として、仲屋むげん堂が出現し、今では仲屋むげん堂が、その方面での最大手になっている状況である。

食べ物のほうでは、当然、カレー店を始めた。
私は1970年代初頭は中学生だったので、インド雑貨・衣類の店にもインド風カレーの店にも、学校帰りに足しげく通っていた。

特に私が住んでいた(今も住んでいる)のは中央線沿線で、中央線の西の終点は物理的には高尾だが、文化的にはインドと言われている。 つまり、そのくらい、当時は元ヒッピーが中央線沿線には多くいて、インドにまつわる店も多かったから、私も利用度が高かったのだ。

時代はくだりーーー
元ヒッピー達もかなりのご年齢になり、個人のインド雑貨・衣類の店やインドカレーの店は、激減してしまった。
と! 近年になって、あの頃を彷彿とさせるインド風カレーの店が、ぽつぽつと出来始めているのに気がついた。
すでに、私が現在住む西荻窪のメインストリートには、インド風カレーの店が、二店も在る。 そう大きくはない街にも関わらず。
どうやら、インドに憧れ旅した若者が、「これは美味しい! 日本で僕も、この食文化を、日本人の舌に合わせつつ、日本の街のみなさんに伝えたい!」といった理由で出店されている様なのである。

西荻窪のインド風カレーの二店のうちの一店「フェンネル」は、最近 私のお気に入りで、週に一度はお弁当包みにしていただき、自宅でビールと共にゆっくりと堪能している。
若いマスターも、大変に気遣いに長けていて、気持ち良く注文が出来るのも、嬉しい所である。

私の勝手な憶測では、インド風カレーの店、これからも続々と増えるのではなかろうか、と思っている。
否、増えてほしい!
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プリンに負けたババロア [喫茶店・レストラン・カフェ]

私がまだ小学生だった1970年になるかならないかという時代ーーー
喫茶店やレストラン喫茶のデザートメニューには、たいていプリンと並んで、ババロアがあった。
私はいつもは、パフェ類やプリンアラモードを好んで食べていたが、一度ババロアというものも試してみたいと思い、注文してみた。
リング状に型抜きされた、サーモンピンクというか肌色というか、そんな色合いの、ツヤツヤと光る、直径10センチくらいの、シンプルなものが運ばれてきた。

口に含むとーーー
ねちっ もちっ ぼよ〜ん とした食感で、ミックスジュースの味だった。
不味いとは思わなかったが、「これならプリンのほうが、1000倍も美味しいな!」という印象で、以降、二度と頼む事はなくなった。

ちょうどその時代、喫茶店には「珈琲専科」と冠した、様々なアレンジコーヒーやストレートコーヒーを提供する店が、雨後の筍の如く出店し、そういう店には必ずといっていいほど「コーヒーババロア」もあったが、私は、「味はコーヒーでも、ねちっもちっぼよ〜ん」は同じに違いないと察し、一度も頼んでみようとは思わなかった。

私が高校卒業間近になった1970年代末期ーーー
ババロアは、喫茶店からも、レストラン喫茶からも、珈琲専科からも、メニューに見る事は殆どなくなっていた。
私と同様に、「これを食べるなら、プリンの方がよっぽどいい!!」と感じた者が、圧倒的に多かったためであろう。

プリンは今以って、喫茶店デザートの王道をゆく一品である。
1980年代くらいから、プッチンプリン系の、とろりと柔らかなプリンが主流になった時代もあったが、近年のレトロブームで、再び、1970年前後の、トテトテとした固めのプリンが人気を呼んでいる。
しかし、このレトロブームの真っ只中でありながらも、ババロアが復興する気配は、みぢんも、ない。
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ぽえむ・三鷹下連雀店が2023年5月下旬で閉店 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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先日、行きつけの喫茶店の一つ、ぽえむ・三鷹下連雀店が、2023年5月下旬で閉店してしまう旨を知った。
私の大のお気に入りの喫茶店の一店だったので、大変にショックである。
マスターのお話しによると、ぽえむが入っているビルが建て替えになる事となり、閉店を余儀なくされたためだという。
なお、場所を変えて、また、同新ビルでの復興は、ないという。

ぽえむは、阿佐ヶ谷を皮切りに、1970年代に大増殖したフランチャイズのチェーン喫茶である。
フランチャイズだったので、チェーン喫茶であっても、限りなく個人店に近い個性と温もりがあり、私もあちこちのぽえむを渡り歩いていたものだった。

三鷹下連雀店は、1978年12月にオープンしたので、45年間、経営されていた事になる。
私はこちらのぽえむには、三鷹駅南口から徒歩20分という立地の理由もあり、三鷹より二駅東の西荻窪に越して来た22年前から通っていた。
22年間通っていた、といっても、生活の事情から、通えない期間もあったりして、ほんの2年ほど前から、ひんぱんに扉を押せる状況になったばかりだった。

ダビンチ、カフェオロム、シナモンミルクティー、アイスコーヒー、、、いずれも美味だったが、私が特に最近ハマって、入店すると、二杯は堪能していたのが、ウインナーコーヒーであった。
ほんわりとした上質の半立ての生クリームと 苦味の効いた力強いコーヒーと 底に沈められ徐々に溶けて甘さが増してゆくザラメの、トリオの奏でる味わいは、他の何処のコーヒーに特化した喫茶店よりも、頭抜けていた。
ワイングラスで供される、というのも、カクテルを飲んでいる如き気分になり、乙だった。

閉店は25日くらいを予定されているらしいが、正確な日にちが決まったら、またお知らせします、との事だった。

私なんぞは、たかだか22年間のお付き合いだったが、お客さんの中には、45年間、毎日のように通い詰められた方もいらっしゃるに違いない。
残り少ない ぽえむ・三鷹下連雀店での至福のひととき、味わえるだけ味わって、一客の私も、一つの喫茶店史を了らせよう。
あぁ、また一つ、名喫茶店が消えてゆく、、、

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今はなき国立スカラ座併設の喫茶店 [喫茶店・レストラン・カフェ]

昔はどんな小さな町にも名画座が在ったように、東京郊外・国立の町にも、国立スカラ座というそれが在った。

私は、小学生の時、国立スカラ座には、一度だけ入った事がある。
学校の夏休みの課題として「鯉のいる村」という、宇野重吉さん主演の文化映画を観に行く事が出されたからである。

以来、国立スカラ座は素通りするだけになってしまったが、中学に入ってから高校卒業までの六年間、私は必ず、学校帰りにどこかの喫茶店に寄るのをならいとしていたので、国立スカラ座にも併設の喫茶部がある事を思い出し、しばしば、喫茶部には、足を運び入れていた。

内装は、焦げ茶色の木造りで、昼間でも薄暗く、カウンター中心の横長の店だった。
店の奥には、洋画のパンフレットが雪崩れていた。
私はいつもカウンターの真ん中に陣取り、ブラックコーヒーを所望した。
そして、カウンター中央の一段高い所にある 山と盛られた食べ放題の塩茹でのジャガイモを、二つばかり頬張るのだった。
今思い返すと、フードメニューがあまりない喫茶店で、ジャガイモ食べ放題とは面白いシステムなのだが、食べ盛りの当時の私は、何の疑問も抱かずに、ペロペロと皮を剥き、小腹を満たしていた。

その喫茶店も本体の国立スカラ座も、もうとうになくなってしまった。
名画座も喫茶店も、哀しいかな、絶滅の一途を辿るばかりである。

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レモンスカッシュの思い出 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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我が家は、家では殆ど食事をしない家庭だったので、私は子供の頃、ほぼ毎日、レストランか喫茶店に連れて行かれた。

小五の時の事だったーーー
私は喫茶店で、レモンスカッシュを初めて頼んだ。
すると、普段から、口の端をピクピクけいれんさせて、不機嫌な母親は、それに輪をかけて、ピクピクを激しくさせ、「このっ!親不孝モンがあっ!」「アタシに恥をかかせやがって!」「帰ったら、テメーを許さねーかんな!」と、私をののしった。
私は、一体全体、何が母親の逆鱗に触れたのか「???」のまま、レモンスカッシュを飲み干した。

家に着くなり母親は、「ごらぁ!レモンスカッシュなんか飲みやがって!! 周りの男の客やウエイターに『この娘は、妊娠してるから、酸っぱいもんが飲みたいんだ』って、誤解されたに違いあんめぇ! このっ!恥っさらしめがっ!! アタシは、妊娠してる娘と一緒にいる女だと思われたに違いねぇ!! 親不孝モンがあっ!!」と、ボッコボコに私を殴り、私は、冷たい廊下に記憶を失った。

母親にボコボコにされ、冷たい廊下に記憶を失うのは、毎日の事だったが、いつもは、「テストが100点じゃなかった!」とか、「ピアノの練習が5分足りなかった!」とか、「都営住宅に住んでる貧乏人の子と仲良くしてるそーじゃねーか!」とか、そういった理由だったが、その時からは、「レモンスカッシュを飲んだ」という新しい理由が加わった。

そして、私の記憶が薄れる頃には、「産みたくもねーのに、勝手に産まれてきやがって!!」という本音が必ず出るので、その前の言葉は、今思い返すと、そこにたどり着かせて、私を冷たい廊下に沈める為の理由づけだったと判断できるのだが。
だから、何をしようとしまいと、必ず一日一度は、私を冷たい廊下に沈めてウサを晴らす理由を、常に探していたと判断できるのだが。
当時の私は、母親の逆鱗に触れてボコボコにされる日がない事を祈りつつ、目の色を伺い、呼吸をするのにも怯えながら、生きていたのだ。

それにしても、小五の少女が、「レモンスカッシュを頼む→ふしだらな性行為をした→妊娠をしている→いやらしい」、こんな飛躍した理由を、よくも考えついたものだと、呆れ返る現在である。
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「映画カフェ」と冠していながら、、、 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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もうだいぶん前だが、私の住む街に、「映画カフェ」と冠したカフェが出来た。
ガラスのドアに大きく、「映画カフェ○○」と書かれていた。

映画好きの私は、早々に映画カフェ○○の扉を押した。
「、、、、、、、?????」
ここのどこが映画カフェなのだろう???
映画のポスターが貼られている訳でも、モニターに映画が映されている訳でも、映画音楽が流れている訳でもなかった。
店内をくまなく観察すると、棚に、西ヨーロッパのメジャーどころの映画関係の本が、十冊ほど並んでいた。

実験映画好きの私は、明らかにオーナー店主であると判る中年女性に、「実験映画の本のコーナーは、どこにありますか?」と尋ねた。
するとオーナー女性は、「ジッ、、、ジッケン???」
眉間にシワを寄せ、首を傾げた。
どうやらこのオーナー女性は、実験映画というジャンルの存在そのものからして、知らない様だった。

「あの、、、映画関係の本は、ここ(西ヨーロッパのメジャーどころの十冊を指し)の他には、どこにありますか?」
と聞くと、あからさまに不快な表情になり、「ここだけですけどっ!」
つっけんどんに言い放った。

私は呆れ返ってしまった。
「映画カフェ」と冠していながら、実験映画というジャンルすら知らずに、映画らしいところといえば、一般の映画ファンの読む、つまり、専門書とはいえない 大衆向けの、映画本の十冊を並べているだけなんて、、、

映画に限らず、何かに特化したカフェなり喫茶なりバーなりを営るのなら、店内は、その方面の関係グッズで溢れかえっており、店主は、その方面に於いては、百科事典の如くに詳しくあるのが当然であろう。
それで以て、客からお金を取れる、つまり、客側は、それで以て、金を払い時間を費やす価値を覚え、通おうという気持ちが沸くものなのに。

この、自称映画カフェ、私と同じに、期待を胸にワクワクと扉を押し、すぐさま、落胆と憤りでいっぱいになり、仕方なくコーヒーの一杯もすすり、「あぁ!なんて、時間と金の無駄遣いをしてしまったのだろう!!!」と、心の足で砂をかけまくり、二度とは訪れない映画好きが、何人も何人もいたのだろう。

映画カフェ○○、二年たらずで無くなった。
あまりにも当たり前過ぎる展開である。
店主は、今頃、己れの店の敗因に気づいているだろうか?

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吉祥寺「ブックス ルー・エ」は、昔、喫茶店だった [喫茶店・レストラン・カフェ]

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今日の話しも、喫茶店マニア諸氏なら 当たり前の事実としてご存知の事に違いないと察するが、吉祥寺駅北口アーケード内に在る 書店「ブックス ルー・エ」は、昔、喫茶店だった。

私は中高と、家庭教師の来る日以外、つまり、週に5日は、外で夕飯を摂り、その後、喫茶店でくつろいでおり、喫茶「ルー・エ」も、行きつけの店の一つだった。

キャパは、現在の書店面積と同じで、二階フロアも同面積で、大バコの 白っぽい明るい感じの 当時(1970S後半)よく街街に在った 典型的な喫茶店だった。
メニューは、これも典型的な喫茶店メニューで、コーヒー 紅茶 クリームソーダ パフェ アラモード トースト サンドイッチ、唯一、お腹にたまるものとしては、冷たいサラダスパゲティのような一品があった。
喫茶店としては、わりに夜遅くまで営っており、夜になると、照明がほの暗くなり、ちょっと雰囲気が変わるのも 一興だった。

私が通っていた中高は、校庭が狭かったため、運動会は、井の頭公園南のグランドで開催されていたのだが、運動会がはねると、我が校の生徒のほぼ全員は、20人づつくらいのグループに分かれて、吉祥寺の繁華街で、打ち上げと称して、飲み食いするのがならいになっていた。
学校の規則では、下校途中に飲食店に立ち寄るのは禁止とされていたが、学校の規則を忠実に守る輩なんて、クラス50人中クソ真面目だけが取り柄の2人くらいだったので、吉祥寺の街は、年一度は必ず、我が校の生徒達で、夕から夜にかけて溢れかえった。

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確か高2の年ーーー
あるグループはシェイキーズへ、又あるグループはチャチャハウスへ、そして私達のグループは、一次会はお好み焼き屋、、、盛り上がりに盛り上がり、いざ二次会へ!という流れになった。

「お腹はいっぱいになったから、今度は喫茶店に行こうよ!」
「この人数で入れる喫茶店、知ってるヤツいる?」
「私、知ってるよ!」
私は迷わず、ルー・エに皆を導いた。
二階席のテーブルをいくつも占拠し、「お腹いっぱい」と言いながらも、ほぼ全員が、パフェやサンデーを頬張った。

高校を卒業し、10年近くの間、私は仕事が、食べるヒマも眠るヒマもないくらいに忙しくなったので、ルー・エへ、、、どころか、繁華街に出掛ける事も出来なくなった。

30才近くになった時ーーー
仕事を辞め、久しぶりに吉祥寺へ遊びに行き、ルー・エの前に来たら、なんと!店名は同じで書店になっていたので、驚いた。
店名が同じだから、経営者は同じか親族だろうと思った。

最近、ふと気になって、ブックス ルー・エのHPを覗いてみたら、1991年に、喫茶店から書店にくら替えしたという。
近年、毎年、カレンダーは、ブックス ルー・エで求めているのだが、ブックス ルー・エを訪れる度に、私の脳裏には、喫茶ルー・エ時代のあれやこれやが、紗のかかったフィルムのように回るのである。
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ナポリタンに負けたミートソース [喫茶店・レストラン・カフェ]

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今回書いてある内容は、喫茶店マニアの人は、当たり前に知っている知識であるがーーー

最近、やたらと イマドキのカフェなどで、「喫茶店のナポリタン」「昔ながらのナポリタン」と謳ったメニューに出くわす事がある。
けれど、「喫茶店のミートソース」「昔ながらのミートソース」というメニューを出しているカフェは、皆無といっていいほどに 無い。

それは何故かーーー
結論を先に言うと、ミートソースはナポリタンに負けたからである。
60年代70年代の喫茶店黄金時代、(日本で喫茶店が最も多かったのは、70年ちょうどである)スパゲッティを置いている喫茶店の殆どには、ミートソースとナポリタンは「双璧」といった形で在った。
私などは、「今日はスパゲッティにしよう!」という日は、ミートソースにするかナポリタンにするか、さんざん嬉しく悩んだものだった。
そして結果、7対3くらいの比率で、ミートソースに決定していた。
理由は、「ミートと麺を混ぜる」という行為が享しかったからである。
つまり、私はミートソース派だった。

しかしーーー
世の中から喫茶店文化が衰退してゆきつつあった80年代、少なからずの喫茶店が、「スパゲッティは一種類でいい、そのほうが、減った客足に対してロスが少なくて済む」という負の選択で 生き残らせたのが、人気のあったナポリタンで、少数派のミートソースは メニューから消されてしまったのである。
ーーーちょうど、パフェとサンデーが双璧だったが、パフェを生き残らせてサンデーを淘汰させたのと同じに。

だから本当は、ミートソースだって ナポリタンと同じくらいに、「喫茶店のーーー」であり、「昔ながらのーーー」な一品なのである。
私はナポリタンも好きなので、決して、ナポリタンを否定したり ナポリタンよりミートソースのほうが上質な食物だとか 美味しいとか主張する訳ではないが、この過去は、一喫茶店マニアとして、皆に忘れずにいてほしいと、強く思わずにはおれない。
又、60年代70年代をリアルタイムで知らない 若いレトロ好きの人達には、この事実は、喫茶店史の勉強として必須なので、認識しておいていただきたい。

今でもかたくなに、ナポリタンと双璧にミートソースを提供している喫茶店も、在るには在る。
例えば、新宿東南口の「タイムス」のように。

懐かしさ・レトロ感を味わいたくてナポリタンで口を朱くしている諸氏、たまには「稀な」懐かしさ・レトロ感のミートソースのある喫茶店に行って、ミートと麺を混ぜ混ぜする享しさに浸ってみられては如何だろうか?

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演技のレッスンの後は、カフェ・ヤミーで! [喫茶店・レストラン・カフェ]

少し前の記事をご覧になった方々は すでにお解りのことと思いますが、私・ぼんほち、2月の下旬から演技のレッスンに通っておりまして、マンボウが明けてからは、帰路途中に 高円寺の馴染みの音楽カフェ・ヤミーに立ち寄り、夕飯を摂り 美味しいビールをいただくことにしています。
ヤミーは人気店で、貸し切りや満席になる日もしばしばあるので、マスターに「レッスン終わって来る時は電話してね」と言われたので、スタジオを出たら 電話をして席をリザーブしていただいてます。

レッスンは4時間と決して短くはなく、又、食事直後は、血液が消化器官に集中してしまい、ただでさえ良くない滑舌が最悪になってしまうため、少々小腹が空いた状態でスタジオ入りするので、終了後は非常に空腹になっているのです。
それから、その日のレッスンの模様を高揚した気持ちで誰かに聞いてもらいたい!というのもあり、マスターもママさんも、お忙しい中 耳を傾けてくださるので、とてもスッキリできます。

ヤミーとは、オープン2週間目からの7年以上のお付き合いで、レコードやCDをいただいたり、オフ会会場に使わせていただいたり、クレジットカード払いでしか買えないブルースライブのチケットを代行で買っていただいたり、親友が急病になった時に救急車を呼んでいただいたりと、山のようにお世話になっています。

これらの理由から、レッスンが終わってからの夕飯&飲みはヤミーで!は、私の中で定番のコースとなりつつあります。

先日、食べ切れないほどフードメニューを頼んでしまったら、快く こんなに綺麗にお土産にしてくださいました。
豚の三枚肉を塩とハーブで味付けした 洒落た一品です。
翌日の気の利いた酒の肴になりました。

マスターもママさんも、ありがとう! これからもよろしくね!

尚、第3回第4回のレッスンのリポートは、4月13日に公開する予定です。

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秋葉原に在った喫茶店「古炉奈(コロナ)」の思ひ出 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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あれはまだ、私が朗読のレッスンも受けていて、かつブログも始めていた頃だから、およそ十二年ほど前の事になる。
朗読の自主練に使う為の録音機材を、その方面に明るい友人に見立ててもらう という理由で、二人で秋葉原に出向いた。

機材を買い終わり、どこかで一休しようという話しになった時、友人は、「それなら『古炉奈(コロナ)』がいいよ! ぼんぼちちゃん、絶対気に入るから!」と、寸分の迷いもない口調で提案した。

古炉奈は、秋葉原駅に隣接したアキハバラデパートのニ階に在った。
大きな窓から、贅沢過ぎる程に陽が入り、広々としたフロアには、ぽつり ぽつりと、十二分にプライベート空間を満喫出来る間隔で、焦げ茶色のスマートなテーブルと椅子が配置されていた。
友人は、「ここのテーブルと椅子は、長野の松本民芸家具のなんだよ」と指した。
どおりで、細い造りながらも重厚感のある レトロかつ洒落た 品のいいテーブルと椅子だった。
ーーーという事は、ここは数在る喫茶店ジャンルの中では民芸喫茶になるのだな、と思った。

民芸喫茶は、私はかなり好きなジャンルの喫茶店で、中学一年の時からあちこちの民芸喫茶の扉を押して来た。
有名所だと、新宿の「青蛾」あたりには、学校帰りに 勘定不可能なほど立ち寄っていた。

民芸喫茶というと、大抵、ニスの塗られていない木造りの薄暗い内装に、棟方志功の版画 棚には益子焼きの器というのがお決まりだったが、これほど明るくスタイリッシュで まるで軽井沢の高級ペンションのような民芸喫茶は珍しいな、と見回した。

メニューが運ばれて来るや友人は、「ここは炭火焼きのアイスコーヒーが美味しいよ!」と薦めるので、それを頼んだ。
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運ばれて来たのはーーー
ミスト状態に冷やされたフルート型のシャンパングラスに入れられた 氷の入っていない 真っ黒なアイスコーヒーだった。
一口、口に含むとーーー
濃く 苦く ひんやりと、松本家具同様に、重厚感のある味わいだった。
これなら!
私は、ある飲み方を試してみる事にした。
こういう方向性のコーヒーを出す店は、ミルクは、近年開発された植物性のコーヒーフレッシュではなく 100%純正の生クリームに違いないぞ! だとしたら、グラン・エ・ノアール(琥珀の女王)の様に、生クリームをフロートして飲んでみよう! と。
添えられた長いスプーンにピッチャーのミルクを一垂らし流し入れて確認してみると、やはり100%純正生クリームだった。

私は、スプーンの背をグラスの内側にあて、生クリームを静かに一センチ程の厚さに注ぎ、フロートした。
ーーー私は昔、カクテルラウンジでアルバイトしていた経験があるので、フロートのやり方を知っていたのだ。
しかも、リキュールにリキュールをフロートするなどというのは 比重が近い同士なので難しいのだが、生クリームは非常に比重が軽いので、フロートするのは、訳無い技術なのだ。

ちなみに、生クリームをフロートするカクテルの代表格には「エンゼル・キッス」というのがあるが、あれなどは、見た目は凝ってはいるが、バイト初日から作れる極めて簡単なカクテルなのである。

飲んでみると、予想通り! 生クリームの濃厚さと濃くて苦いコーヒーの力強さが上手く共演し、二種の味を同時に享しめた。

ふとカウンターの方を見やると、三人ほど並んで立っていらっしゃるウエイトレスさん達が、揃って 目を丸くして「驚きを隠せない!」といった面持ちで、私のグラスを凝視していた。

友人は、「あと何年かしたら、アキハバラデパートは取り壊されちゃうから、この店も無くなっちゃうんだよ」と耳打ちした。

あれから十二年ーーー
友人の耳打ち通り、古炉奈も無くなり、私の知る限り、街からは、阿佐ヶ谷の「珈司」を最後に、民芸喫茶も一軒も無くなってしまった。

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