ハロウィンパーティーでアルチューズさんが撮ってくださったポートレート [ポートレート]
先日、我らがSSブロガー・英ちゃんさんの主催で、高円寺の音楽カフェ・Yummyにて、ハロウィンパーティーが開催されやした。
参加者は、主催者である英ちゃんさん、ラガーマンさん、キックドライブさん、アルチューズさん、そして、あっし・ぼんぼちの5名でやした。
英ちゃんさんが様々な仮装グッズやハロウィンライトを持ち込んでくださり、その中の悪魔のカチューシャを着けたぼんぼちを、アルチューズさんが撮影してくださいやした。
アルチューズさん、よい記念になりやした。ありがとうございやす!
パーティーは、皆が互いにお土産を渡し合ったり、Yummyのママさんの案で ロシアンルーレットカナッペがサービスで供されたり、ハロウィンの起源などについても話しをしたりと、とても楽しく盛り上がりやした。
ご参加のみなさん、改めて御礼申し上げやす。
また、今度はクリスマスパーティーでも、盛り上がりやしょうね!
第二次インド風カレーブームが来ていると思う [喫茶店・レストラン・カフェ]
私は単なるカレー大好き人間で、別段、カレーマニアでもカレー研究家でもないのだが、私の個人的主観では、近年、「第二次インド風カレーブーム」が到来していると感じている。
インド風カレーというのは、インドでホンマモンのインドカレーを体験してきた人が、日本人の舌に合わせて作る 限りなくインドカレーに近い日本人カレーの事である。
第一次インド風カレーブームは、1970年代初頭であった。
1970年代初頭というのは、インドを放浪したヒッピーが、続々と帰国し、インドに影響を受けた 雑貨屋や服屋やカレー屋を始めた時代である。
少し、雑貨・衣類に言及するとーーー
今現在は、東京でインド雑貨・衣類の店というと、誰もが仲屋むげん堂を思い起こすと思うが、1970年代初頭は、個人でそういった店を営っている人がそこここにいた。
するうち、吉祥寺に、はるばる屋という ちょっと規模の大きなそれが出店し、後発として、仲屋むげん堂が出現し、今では仲屋むげん堂が、その方面での最大手になっている状況である。
食べ物のほうでは、当然、カレー店を始めた。
私は1970年代初頭は中学生だったので、インド雑貨・衣類の店にもインド風カレーの店にも、学校帰りに足しげく通っていた。
特に私が住んでいた(今も住んでいる)のは中央線沿線で、中央線の西の終点は物理的には高尾だが、文化的にはインドと言われている。 つまり、そのくらい、当時は元ヒッピーが中央線沿線には多くいて、インドにまつわる店も多かったから、私も利用度が高かったのだ。
時代はくだりーーー
元ヒッピー達もかなりのご年齢になり、個人のインド雑貨・衣類の店やインドカレーの店は、激減してしまった。
と! 近年になって、あの頃を彷彿とさせるインド風カレーの店が、ぽつぽつと出来始めているのに気がついた。
すでに、私が現在住む西荻窪のメインストリートには、インド風カレーの店が、二店も在る。 そう大きくはない街にも関わらず。
どうやら、インドに憧れ旅した若者が、「これは美味しい! 日本で僕も、この食文化を、日本人の舌に合わせつつ、日本の街のみなさんに伝えたい!」といった理由で出店されている様なのである。
西荻窪のインド風カレーの二店のうちの一店「フェンネル」は、最近 私のお気に入りで、週に一度はお弁当包みにしていただき、自宅でビールと共にゆっくりと堪能している。
若いマスターも、大変に気遣いに長けていて、気持ち良く注文が出来るのも、嬉しい所である。
私の勝手な憶測では、インド風カレーの店、これからも続々と増えるのではなかろうか、と思っている。
否、増えてほしい!
三個のミラーボール [写真]
服屋のウインドウに飾られていた 三個のミラーボール。
何かしらの加工をする前提で、構図をキメて撮りやした。
単なるハイコントラストでは芸がなさ過ぎるし、色をつけるのは せっかくの無彩色の魅力を潰すことになるし、、、で、結局、このネガ加工に決定しやした。
突飛というほど個性的ではありやせんが、まあまあ面白い画になってくれたと、納得してやす。
みなさんは、ミラーボールというと、何の曲がアタマに流れてきやすか?
あっしは、つのだひろさんの「メリージェーン」でやす!
あれ、洋楽かと勘違いするほど、日本離れしていて、カッコイイ曲だなあと、何度聴いても思いやす。
タグ:ミラーボール
映画やドラマの中の画家はやっているけれど現実の画家はやらない事 [映画・演劇雑記]
長くこのブログを読んでくださっている方はもうすでにご存知の様に、私・ぼんぼち、18歳~27歳まで、画家をやって母親を養っていました。
という事で、今日は、映画やドラマの画家役はしばしばやっているけれど、現実のプロの画家は絶対にやらない事を、挙げたいと思います。
・絵筆を縦に持ち、モチーフに向かって「う〜む」と、しかつめらしい顔をする。
これ、画学生の一年生ですらやりません。
ある程度画業を積んだ者が見ると、まるでコントです。
私は、そういうポーズと表情を役者さんにやらせる監督と もしもお話し出来るチャンスがあったとしたら、「あれは、一体全体、役者さんに何をやらせているつもりなのですか?」と問いたい、謎のポーズと表情です。
・プロの画家なのにデッサンをやっている。
劇中で、プロの画家が、木炭デッサンや鉛筆デッサンを描いている、もしくは、描きあげたデッサンが画室にある、という設定を見ますが、プロの画家は、すでに十二分にデッサン力がついているので、もう一切、デッサンはやりません。
デッサンをやるのは、プロを目指している最中の画学生、もしくは、美術学校を卒業してもまだデッサン力がついていない 出足の遅い志望者かアマチュアだけです。
プロの画家の画室には、デッサンなどという過去に学びきった遺物は、捨てているか、画室の奥深くに放り込んであります。
・専門用語や画材の使い方がめちゃくちゃ。
台詞で「デッサン」「スケッチ」「クロッキー」「エスキース」「タブロー」などの専門用語が間違って使われていたり、画用紙に木炭で描いていたり、鉛筆デッサンを指でこすったり、油絵の具を指で画面に乗せたりと、画学生でも、言わないやらないめちゃくちゃが、しばしば見られます。
・個展の時に、画商がその場にいない。
プロの画家の個展会場で、その場に画商がいなくて、画家と客が話しをしている、という場面をよく見ます。
これも、絶対にありえません。
プロの画家には必ず画商がつき、画家の傍らにピッタリと画商が寄り添っているのが現実です。
何故なら、画商が最も恐れているのは、とっぱらいをされる事なので、画家と客が名刺交換をしたりなどして、とっぱらいに至らない様、客の名刺は全て画商が受け取り、直接の仲にならない様に、常に目を光らせています。
とっぱらいをされると、画家と客が大得をして、画商一人が大損をしてしまう結果となってしまいますから。
・画家が、ギャラリーの搬出入などを、一人でやっている。
これをやるのは、趣味で描いている日曜画家、つまりアマチュアだけです。
プロの画家の個展の場合は、搬出入は業者に任せ、搬入日は、画商は画家の自宅に車で迎えに来て、一緒にギャラリー入りし、届いている作品を「この作品はここがいいですね」と二人で話し合って、展示作品の場所を決めて、業者に指示します。
搬出は簡単なもので、業者がサーッと全ての作品を画商の自宅に送り届け、後日、画商がそれぞれの作品を買った客に配りまわります。
どうでしたか?
みなさんがこれまでに、映画やドラマで観てこられた画家像と、大きく違ったのではないでしょうか?
何故、映画やドラマの中で、こんなトンチンカンな間違いばかりが行われているかというと、脚本家と監督が、きちんと画家に取材をしていないからに相違ありません。
漠然とイメージだけでとか、「以前、○○さんが書いた脚本ではこうだったから、なんとなく真似しておこう」とか「☓☓監督と同じ様に作っとけば、たぶん正解だ」とか、そんなあいまいさで作っているからに相違ありません。
これが、突拍子もない非リアリズムの方向性の作品ならいいんですよ、コントめいたポーズも逆に活きてくる。
けれど、プロの画家の現実をリアルを描くなら、プロの画家にしっかり取材すべきです。
勿論、取材期間は、「はじめまして」から20~30分で、自身の職業のホンネを話してくれる人間などいませんからーーー手品師がタネ明かしをするのと同じですからねーーー少なくとも一年は、密着取材をして、何度も食事や呑みを共にすれば、得られます。
職業によっては、みっちり密着取材をしてから作る映画やドラマも多いのに、何故、画家となると、こうもイメージばかりでトンチンカンな事が連綿と続いているのか、元画家として、首を傾げるばかりです。
塗料の一部剥げた高架下の柱 [写真]
駅下再開発のために そこに在った店舗がとっぱらわれ、むき出しになった高架下の柱。
巨大な柱の迫力と、一部 塗料が剥げた様子、その色彩のコントラストが目にとまり、思わずスマホを向けやした。
鮮やかな色彩がそのままに写ってくれた事と、現状のリアルさを伝えたかったために、加工は何もしてやせん。
撮影場所は、悲しいかな、ぼんぼちの日本一愛する街・高円寺でやす。
以下は、あくまでぼんぼちの個人的な感情でやすがーーー
高円寺はすでに、飲食店にしろそれ以外の商店にしろ、個人店がみっしり軒を連ねて活気に充ち充ちている街なんだから、高架下だけであっても 再開発なんてしてほしくなかったな。
この柱の西側は、もぅ、プロン○の経営する小洒落たワインバーになっちまいやした。
そのために、あっしが通い詰めていた中古レコード店レアは閉店し、仲屋むげん堂は移転してしまいやした。
この柱の場所にも、どこかの大手チェーン店が入って、小洒落た雰囲気になっちまう事 必至でやす。
あぁ、一部にしろ、高円寺の信条である泥臭さが消えてしまいつつある、、、
う、う、う、、、せめて再開発、この高架下だけにとどめてくれい〜!!
ぼんぼち、ハンガリー刺繍展を観に行く・の巻 [独り言]
私・ぼんぼち、二年近く前から、麻布十番の某所へ三ヶ月に一度通うというミッションが出来、訪れる度に用事が終わると、色んな道を歩いて散策しています。
二度目に散策した時に、駅からそう遠くないところに「ハンガリー文化センター」なる 名称通りの、ハンガリーの文化を紹介するイベントスペースを発見しました。
その時は、昔のハンガリーの街を撮った写真展が開催されており、係りの日本人女性が、「これは今も遺る建物で、、、」などと、1点1点ていねいに説明してくださいました。
何もイベントが行なわれていない事もしばしばあったのですが、先日訪ねてみた折りには、「ハンガリーの伝統刺繍展」が開かれていたので、お洒落命のぼんぼち、迷わず、センターの扉を押しました。
センタースペースはさほど広くはないので、展示出来る作品数もそう多くはなく、古い時代を再現した民族衣装が三、四点、現代の服に伝統刺繍を施した 現在活躍するハンガリーデザイナーさんの作品が十点ほどありました。
加えて、古い時代の衣装に身を包んだ男女がくるくると民族音楽に合わせて踊っている映像が、モニターに流されていました。
この日に会場にいらした係りのかたは、ハンガリー人と思しき すらりと背高くブルネットの髪で 黒ブチのメガネの知的な雰囲気の、三十歳前後の女性でした。
私は先ず、モニターを観て、彼女に、「この踊りは、いつくらいの時代に出来た踊りなのですか?」と質問してみました。
すると、「ンー、、、ゴーネンマエー」というお答えが返ってきました。
どうやら、この映像が撮影された時と解釈された様でした。
この一言により、私は彼女がどのくらいまで日本語を解しているかたなのか察しがついたので、彼女の解るであろう範囲の事を、いくつか聞いてみました。 又、彼女の方からも、積極的に、ハンガリーの刺繍、衣装のみならず、場所、気候、観光目玉などについても、カタコトで、あれこれ教えてくださいました。
モニターのハンガリー舞踊は、誰にでもこう踊れる訳ではなく、訓練を積んだプロだけだという事。
けれど、自国の文化を学ぶために、小学生の時に、全員、一度は踊らされるそうです。
刺繍はいずれも、丸っこい花が連なる可憐なデザインでしたが、昔は勿論、現在も、ミシンではなく手作業で施されているそうです。
写真のように、鮮やかな色どりのものが殆どでしたが、中にはモノトーンでまとめられた大人っぽい意匠のもありました。
又、ハンガリーはヨーロッパ中部に位置し、近年の日本の夏の様に恐ろしく暑くなる夏もなければ、冬は、年に一、二度、雪がちらつく程度の寒さなのだそうです。
そして、観光の目玉は、なんと!温泉なのだそうです。
ハンガリーは温泉大国で、国のあちこちに温泉が湧き、高級ホテルのプールさながらの 豪華でかつ品の良い温泉場が、数多あるそうです。
ひととおり、展示物を観終わり、私が「ありがとうございました」とセンターを出ようとすると、ハンガリーについての分厚い案内パンフレットを二冊もくださいました。
私が、「わ!こんなに立派なパンフレット、いただいちゃっていいんですか?」と小さく驚くと、黒ブチメガネの彼女は、「イイヨ」と、笑顔を向けてくださいました。
ハンガリーの伝統刺繍をはじめとして、ハンガリーの諸々が知れたのみならず、ハンガリーのかたと直接お話しが出来たなんて貴重な体験だったな!と、私の内は充実感でいっぱいになりました。
さらに、日本語がカタコトの外国人のかたには、どういう言葉を選んで、どういうテンポで話せば通じ易いかも、とても勉強になりました。
ハンガリー文化センター、次回、麻布十番へ来る時も、是非とも覗いてみたいと思いました。
ズラリとい並ぶジャックダニエルの空瓶 [写真]
バーの裏口で見つけた ズラリとい並ぶジャックダニエルの空瓶。
同じ物がいっぱいっていうのは、画になるパターンの一つなので、迷わず撮り収めやした。
角っとした瓶がキッチリ整列しているところも、整合性があって、画になりやすかったでやす。
これ、白黒加工してないんでやすよ。 実物のフレームインしている全てが無彩色。
のみならず、コントラスト加工も、加工と名のつくものは、一切してやせん。
現実のものが、この切り取り方にしただけで、作品として成立してくれやした。
ある意味、ちょっとした奇跡のような偶然でやす。
ジャックダニエル、、、あっしが昔、カクテルラウンジでバイトしてた頃、「ダックジャニエル」と仰るお客様がたまにいらっしゃいやした。
他に似たような間違いだと、バランタインをバレンタインとか、ハバナクラブをバナナクラブとか、シンガポールスリングをシンガポールスリリングとか。
まあ、これくらいの些細な認識違いなら、そのお客様が何を指していらっしゃるのかすぐ解るので、あえて訂正はせずに、お客様のご希望通りのものをお出し出来たんでやすが、まるで察しのつかない認識違いをなさってるお客様も時々おられやした。
ジンライムをジンラムとか、スピリタス(世界で一番強いロシアのウォッカ)をスピリッツ(蒸留酒全般)とか、「ステアしてください」を「ブレンドしてください」とか、「カクテル何か作って!」を「リキュール何か作って!」とか、「彼女に何か」ばかりを繰り返して、それ以上何も言わないカップルの男性とか。(ずーっと後になって、『彼女のイメージカクテルを作ってほしい』と要望していたと解りやした)
ここまで間違った認識で物を言われると、バーテンダーは誰も察することが出来やせん。
ショットバーやカクテルラウンジでは、ハンパな知ったか専門用語を使わずに、「こうでこうでこういうもの、、、」と、ご自身が確実に知っている言葉で説明するほうがよほどスマートで恥をかきやせん。
映画「オオカミの家」ーーー他に類を見ない圧倒的迫力の長編アートアニメーション [感想文]
すごい映画を観た!!
これ程、圧倒され 感動の海に浸ったのは、23年前、チェコのアートアニメーションの巨匠・ヤン・シュヴァンクマイエルの短編集を観て以来である。
その映画作品とはーーー
「オオカミの家」
監督・レオン&コシーニャ
国・チリ
製作年・2018年
手法・ペーパークラフトアニメーション、ドローイングアニメーション、オブジェクトアニメーション
シノプシスはーーー
チリ南部に実在した、ドイツ人移民の、表向きは幸せにあふれる理想郷であるコミューンが、実は、コミューンの長をキリストの次に崇め、長には絶対服従せねばならず、大人は奴隷さながらの強制労働、子供達は隔離され、長に性的虐待を受けていた、という、地獄の如きカルト教団であり、そこから、一人の少女が逃亡する所から話しは始まる。
少女は森の中に一軒の家を見つけ、そこに隠れるが、長が少女を探す声はいつまでもついてまわり、家の中に二匹の豚が出現し、少女は豚を人間に変え、三人で幸せに暮らそうとするも、彼女は、豚を自分の絶対的服従者にしてしまう、つまり、自分がコミューンで受けたのと同じ 負の連鎖を起こしてしまう。
豚達は少女に反逆し、少女を食べようとする。
するうち、家の中の食べ物は底をつき、飢えに苦しみ、少女は、哀しいかな、コミューンの長に助けを求め、コミューンに連れ戻されてしまうーーーというものである。
タイトルの「オオカミの家」のオオカミは、言わずもがなコミューンの長の事であり、森の中の家の少女の生活は、安堵、不安、楽しみ、苦しみ、勝利感、恐怖感が混在した 悪夢の様な、留まる事のない不安定な心理が、延々と続く。
それを、主に少女のモノローグを流し、全編80分近い尺を、前述の三種のアニメーション技法で以って、止まる事なく動かし続けるのである。
この作品で最も前に押し出したいのは、少女の不安定な内的心理であり、これが、以下の技術によって巧みに表現され、観る者を取り込んで離さない。
先ず、ペーパークラフトアニメーション。
この手法で、少女や豚や人間に化身した豚が作られている訳だが、紙が出っ張ったり凹んでいたりと、一見すると、稚拙なペーパークラフトに見える。
しかし、この無骨さが、少女の不安定さを巧みに表わしているのである。
そして、ドローイングアニメーション。
床に直角に立てられた壁に粘度の低い絵の具でドローイングをすると、塗った先からダラダラと絵の具が垂れ流れてくる訳だが、これもあえて拭いはしていない。 何故なら、血の様に垂れ流れた絵の具が、少女の恐怖心を叫びの如く表す結果となっているのだから。
他に、見事だ!と唸った技法は、逆回しを何ヶ所も使っている所である。
しおれた花(実物の)が、みるみる生気を取り戻し、開いたり、描かれたドローイングが消えていったりと、この技法を用いる事によって、少女の行きつ戻りつする心理が、抽象的に表現されている。
逆回しという技法は効果的で、リーフェンシュタールの花火の映像や、最近だと、「EO」というロバが主役の映画の、水の流れにも使われている。
全アートアニメーション技法での長尺の作品は、不可能だと言われ続けてきた。
ヤン・シュヴァンクマイエルであっても、長尺の作品の場合、アニメーションは部分部分にしか使用していなかった。
だが、この二人の監督は、それをやり遂げてしまったのだから、アッパレである。
私も、長尺で全アートアニメーションは、製作時間の制約の理由から無理だと思っていた一人なので、そういう点でも、度肝を抜かれた。
「オオカミの家」は、構想から完成まで5年もかかったという。
監督が一人ではなく二人だったというのも、長尺成功の大きな理由になっていると察する。
現在、日本はセル系アニメーション大国である。
日本人で「アニメーション」と聞くと、セル系アニメーションを思い浮かべる向きが殆どであろう。
けれど、世界には、セル系以外のアニメーション技法も幾多存在し、それらのアニメーション技法によって、この映画の様な表現も可能だという現実を、一人でも多くの人に知っていただきたいものである。
これ程、圧倒され 感動の海に浸ったのは、23年前、チェコのアートアニメーションの巨匠・ヤン・シュヴァンクマイエルの短編集を観て以来である。
その映画作品とはーーー
「オオカミの家」
監督・レオン&コシーニャ
国・チリ
製作年・2018年
手法・ペーパークラフトアニメーション、ドローイングアニメーション、オブジェクトアニメーション
シノプシスはーーー
チリ南部に実在した、ドイツ人移民の、表向きは幸せにあふれる理想郷であるコミューンが、実は、コミューンの長をキリストの次に崇め、長には絶対服従せねばならず、大人は奴隷さながらの強制労働、子供達は隔離され、長に性的虐待を受けていた、という、地獄の如きカルト教団であり、そこから、一人の少女が逃亡する所から話しは始まる。
少女は森の中に一軒の家を見つけ、そこに隠れるが、長が少女を探す声はいつまでもついてまわり、家の中に二匹の豚が出現し、少女は豚を人間に変え、三人で幸せに暮らそうとするも、彼女は、豚を自分の絶対的服従者にしてしまう、つまり、自分がコミューンで受けたのと同じ 負の連鎖を起こしてしまう。
豚達は少女に反逆し、少女を食べようとする。
するうち、家の中の食べ物は底をつき、飢えに苦しみ、少女は、哀しいかな、コミューンの長に助けを求め、コミューンに連れ戻されてしまうーーーというものである。
タイトルの「オオカミの家」のオオカミは、言わずもがなコミューンの長の事であり、森の中の家の少女の生活は、安堵、不安、楽しみ、苦しみ、勝利感、恐怖感が混在した 悪夢の様な、留まる事のない不安定な心理が、延々と続く。
それを、主に少女のモノローグを流し、全編80分近い尺を、前述の三種のアニメーション技法で以って、止まる事なく動かし続けるのである。
この作品で最も前に押し出したいのは、少女の不安定な内的心理であり、これが、以下の技術によって巧みに表現され、観る者を取り込んで離さない。
先ず、ペーパークラフトアニメーション。
この手法で、少女や豚や人間に化身した豚が作られている訳だが、紙が出っ張ったり凹んでいたりと、一見すると、稚拙なペーパークラフトに見える。
しかし、この無骨さが、少女の不安定さを巧みに表わしているのである。
そして、ドローイングアニメーション。
床に直角に立てられた壁に粘度の低い絵の具でドローイングをすると、塗った先からダラダラと絵の具が垂れ流れてくる訳だが、これもあえて拭いはしていない。 何故なら、血の様に垂れ流れた絵の具が、少女の恐怖心を叫びの如く表す結果となっているのだから。
他に、見事だ!と唸った技法は、逆回しを何ヶ所も使っている所である。
しおれた花(実物の)が、みるみる生気を取り戻し、開いたり、描かれたドローイングが消えていったりと、この技法を用いる事によって、少女の行きつ戻りつする心理が、抽象的に表現されている。
逆回しという技法は効果的で、リーフェンシュタールの花火の映像や、最近だと、「EO」というロバが主役の映画の、水の流れにも使われている。
全アートアニメーション技法での長尺の作品は、不可能だと言われ続けてきた。
ヤン・シュヴァンクマイエルであっても、長尺の作品の場合、アニメーションは部分部分にしか使用していなかった。
だが、この二人の監督は、それをやり遂げてしまったのだから、アッパレである。
私も、長尺で全アートアニメーションは、製作時間の制約の理由から無理だと思っていた一人なので、そういう点でも、度肝を抜かれた。
「オオカミの家」は、構想から完成まで5年もかかったという。
監督が一人ではなく二人だったというのも、長尺成功の大きな理由になっていると察する。
現在、日本はセル系アニメーション大国である。
日本人で「アニメーション」と聞くと、セル系アニメーションを思い浮かべる向きが殆どであろう。
けれど、世界には、セル系以外のアニメーション技法も幾多存在し、それらのアニメーション技法によって、この映画の様な表現も可能だという現実を、一人でも多くの人に知っていただきたいものである。
ボロボロの幌 [写真]
金属棒から外れ、風にあおられ、もぅボロッボロになってしまった店先の幌。
無論、この店ーーーたぶん、かつては洒落た飲食店だった?ーーーは、今はシャッターがおりたままでやす。
記録写真ではなくアートとして撮ったので、寄りに寄って、これが店頭の幌だという説明はしやせんでやした。
夏の日ざかりに撮ったので、そのままでハイコントラストになってくれ、加工の必要なく、あっしの求める作品として成立してくれやした。
退廃とか時の移ろいの残酷さとか、そんなものを感じていただけたら、幸いでやす。
この写真の撮影場所は、東京都下の西武線沿線の小川という駅の近くでやす。
ぼんぼちは、小川駅は、用事があって、月に一度くらいの頻度で利用するのでやすが、駅付近に時間調節の出来る喫茶店やカフェがないんでやすよね。
あるのは、夜だけ営っている待夢っていうカオスな喫茶店だけ。
と!、何ヶ月か前から、小川駅前、開発工事が始まりやした。
おそらく、大手チェーン店ばかりがズラリと顔を揃えるのでやしょう。
あっしは大手チェーン店の飲食店は画一的で好きではないのでやすが、昼間 時間調節出来る店が一店もないのは不便で仕方がないので、この際、ワガママ言いやせん。
スタ○でもドトー○でもプロン○でもなんでもいい! 早う出来てくれい!
第37回演技のレッスンを受けて [リポート]
今日は、9月19日(火)第37回「マクベス」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。
先ず、今回の先生の講義は、「物語原型」についてでした。
物語原型というのは、何らかのすでに在る物語を元に立ち上げた 小説なり舞台なり映像なりの事を指すのだそうです。
先生は、日本人なら誰もが知る物語原型の形をとっている作品に、NHKドラマで大ヒットした「おしん」は、シンデレラが物語原型となっているんです、と仰いました。
いじめられていた娘が、後に大成功をおさめる話しは、まさにシンデレラをなぞっているーーーと。
その明らかな裏付けとなっているのは、シンデレラを日本で初めて訳した人物は坪内逍遥で、日本語題は「おしん」だったとーーー。
だから、日本のみならず、アジアのあちこちでもヒットに火がついたのだそうです。
私が知っている作品で物語原型をとっているものはあるのか、考えてみたところーーー
私が最も敬愛する映像作家・松本俊夫先生の映画「薔薇の葬列」は、オイディプス王の物語原型をとっているな、と思いあたりました。
オイディプスが母とは知らずに交わってしまう、逃れたつもりの果てに逃れようのなかった悪夢の運命が待っていたーーーというシノプシスを、ゲイボーイとその父に置き換え、愛する彼氏でありパトロンが、実父だったと知るや、オイディプスさながらに両眼を突いて了、という大傑作です。
私は、「薔薇の葬列」が頭に浮かんだ瞬間に、ドラマ「おしん」を詳しくは知らなくとも、物語原型という形式が、いかに作品を奥深く面白い物にしているかが、納得出来ました。
そして、実技のお勉強に入りました。
最初に、夢遊病者となってしまったマクベス夫人の長台詞をやりました。
一度目に読んだ時ーーー
先生は、「復習をよくやってきたのが解ります。 で、次の段階として、力が入り過ぎている点、心がリラックスしていない点があるので、結果として、観客に対してのコミニュケーション力が乏しくなっています。 あと、心がリラックスすれば、滑舌もよくなるかも?知れません」と仰いました。
その他には、「早く読む所が早過ぎて、遅く読む所が遅過ぎるので、一人の人物がしゃべっている様に聞こえないし、バランスが悪いです」ーーーとも。
ダメ出しを受けながら、二度、三度と読みました。
最終的なダメ出しとしてはーーー
「太り過ぎている感じがします」
「それは、具体的にはどの様な事なのですか?」と質問すると、
「『太り過ぎ』っていう演劇の専門用語がある訳じゃないんだけどね、僕がイメージとしてそう感じたという事で、要するにーーー」と、詳らかに説明してくださいました。
要するに、一つ一つの言葉に必要以上に意味を持たせ過ぎている。 だから、重たい物をズルズル引きずっている様に感じられる。
自分の内には色んな物を詰め込まなければならないんだけど、それを全部出そうとはしない様に。 もっとスキニーに! という事でした。
先生は、私が昔、画家をやっていた事をご存知なので、私にはしばしば絵画に例えてくださるのですが、今回も絵画に例えてくださった為に、そこで理屈としてスッ!と理解が出来ました。
だけど、筆という手段と声という手段は大きく違います。
理屈で解ったところで、果たして、この難しい課題、私にどこまで出来るだろう?ーーーうーん、大変な課題を与えられてしまった!と思いました。
次に、マクベスとマクベス夫人が、国のお偉さんを集めてパーティーを開く中、マクベスが、自分が殺させた者の幻影を見て錯乱し、パーティーがお開きになってしまう、という場をやりました。
マクベス役をやった時はーーー
マクベスは何の為にこの場にいるのかを忘れずに読む事、これは公式のパーティーである格調の高さを出す事、を主に注意されました。
ぼんぼちさんが一度目に読んだのだと、軽い単なる宴会で、幻影にばかり集中しているーーーと。
二度目は、一つ一つ細かく、「ここは、こういう状況でこういう気持ちだから」と、ご指示を受けながら、なんとか読みました。
マクベス夫人をやった時はーーー
一度目に読んだ時のダメ出しは、公の場であからさまにそんな風に夫にケンカをふっかける様な言い方はしない。もっとこっそり、マクベスにだけ聞こえる様にーーーでした。
夫人役の二度目の時は、一度目のダメ出し通りに読んだら、それほど多くは注意されませんでした。
「太り過ぎない様に、もっとスキニーに!」
この課題、私にいつか、克服出来る時が来るのだろうか???
次回のテキストも「マクベス」なので、とにかく、復習出来るだけ復習しようと、拳を固くしました。
テキスト、読むべし!読むべし!!読むべし!!!