三鷹の中華料理店「さいかん」で「夕顔の煮物」をいただく [料理・ソフトドリンクス]

時々、本ブログにも登場する 私・ぼんぼち行きつけの 三鷹の中華料理店「さいかん」では、お酒類を注文すると、その時々で違ったお通しが提供されます。
中華の王道「キクラゲと玉子炒め」であったり、韓国料理でおなじみの「モヤシのナムル」であったり、大将のお母様が作られた「ハヤトウリの煮物」であったり、大将の息子さんオリジナルの「春雨のエスニック風炒め」であったりと、、、

と、先日訪れた時には、こんな一品がお通しでした。
「夕顔の煮物」。

私は一見した時点では「大根かな?」と思いましたが、大根特有の繊維の筋が見えません。
なら、「たぶん、冬瓜だろうな」と、見当をつけました。
冬瓜は、以前、タイ料理屋さんのスープで、ニ、三度口にした事があったので。
ほおばってみると、くせの無い淡い味わいで、かすかにニシッとする歯応えがありました。
出汁を効かせたしょう油味の、典型的な日本の煮物の味付けでした。
タイのスープの冬瓜よりも歯応えを覚えたものの、これまでの私の食体験からは、冬瓜以外には思い当たらなかったので、大将に こう声を掛けてみました。

「今日のお通し、冬瓜ですか?」
すると大将は、笑顔で、「ううん、夕顔。」
「へえっ! 夕顔って、カンピョウ以外の食べ方を知らなかったんですけど、煮物にしても 美味しいものなんですね!」
「うん、そう。 栃木の人はね、丸い夕顔をくるくるっと剥いてカンピョウにするでしょう。 でも、うちは親父が長野の出身だからね。長野や山梨の夕顔っていうのは、こおんなに(と、両手を60センチくらいに広げて)長い ヘチマみたいな形をしてるの。 それを、煮物や味噌汁にするんですよ」
「お父様のご実家から送られてきたんですか?」
「これはね、いつも行ってる近所の八百屋さんで見つけたの」
「やっぱり、夏野菜なんですか?」
「そうだね。だからもう、今年は今くらいが最後だね」
「とても貴重なものをいただけて良かったです!」

日本にはまだまだ、さして遠くもない地域であっても、東京人には一般的ではない料理というのがあるものだなあ、それにしても、今日は本当に 貴重な食体験をさせていただいたものだ、と、私も笑顔で店を後にした。

本題の夕顔の煮物の写真、食べ了った後で上の会話を交わしたので、残念ながらありません。
新年にいただいていた御年賀の手拭いの写真でお許しをーーー。

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燃えるように赤い木 [写真]

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何という木かは判りやせんが、街路樹をあおりで撮りやした。
で、これは具象的な加工では面白くならないから、とにかく激しく変える加工をしてみようと考えやした。
結果、燃えるような赤を中心とした色相が一番キレイでモチーフにも合っていたので、このような加工に決定しやした。
キレイ!とか、燃えてるみたい!とか思っていただければ本望でやす。

街路樹も、時代とともに流行り廃りがありやすね。
昔は柳がよくありやしたね。
イチョウもキレイだけど、いつか庭師さんが、「イチョウは繊維が強くて、踏むと滑って危ないから、最近は植えないんだよ」と仰ってやした。
あっしは個人的には、ハナミズキの街路樹が好きでやす。
何故なら、花も紅葉も赤い実も楽しめるから。
みなさんは、何か好きな街路樹ってありやすか?



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映画「裸の大将」にみる脚本家・水木洋子氏の力量 [感想文]

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「裸の大将」
監督・堀川弘通
脚本・水木洋子
主演・小林桂樹
1958年製作

かの、放浪のちぎり絵天才画家・山下清氏の生涯の一部を、「山下清の放浪日記」を元に、自在にふくらませた劇映画である。

シノプシスはーーー
戦時中、施設を抜け出した 少し知恵の遅れた清が、放浪の旅へ出かけ、食べ物を恵んでもらったり、めし屋で働いたりする。
徴兵検査に落ち、するうち終戦となり、清は、施設の先生の尽力もあり、天才画家として名をあげる。
が、名誉などには関心のない清は、誰もいない海へと逃げ切り、了、ーーーというものである。

先ず、何といっても舌を巻かずにはおれないのは、水木洋子氏の脚本である。
知恵の遅れた者でこその、滑稽さ、ぶざまさで笑わせ、かつ同時に、知恵の遅れた者でこそ感ずる純朴な疑問ーーーその疑問が、実に、戦時から戦後へという時代の的を突いており、シリアスな社会派とも成っているのである。
この、一見、真逆の二つの要素を、一作品の中で力強くテーゼしてゆく、これは、お見事!と感嘆せずにはおれない。

主にそれは、清の疑問の台詞によって表現されているのだが、話しが進むにつれ、ぐんぐん核心に迫ってゆく。
冒頭近くのシークエンスでは、「『めし』と『弁当』は、どう違うのかなあ?」という他愛もないものであったのだが、出兵する兵隊を見送ると、「病気で死ぬと『仏様』になるのに、戦争に行って死ぬと『神様』になるのは、どうしてなのかなあ?」となり、戦争末期になると、「みんなは、日本の旗が一番きれいだと言うけど、僕は、日本の旗もアメリカの旗もイギリスの旗もきれいだと思うんだなあ」。
そして終戦後の、自衛隊の行進に対しては、「戦争はもうやらないのに、どうして自衛隊は鉄砲を持っているのかなあ?」と、核心のど真ん中を突く。
本作品では、このシーンがクライマックスとなっていて、つまり、この台詞が、本作品で最も伝えたい 国に対する疑問であり、それを清に代弁させている訳である。
清は、「どうしてーーー?」と、隊列を見る人々に聞いてまわるが、誰も納得できる答えを教えてはくれない。
ついに清は、隊列の中に割り込んで、自衛隊員の肩を掴んで「ーーー鉄砲を持っているのかなあっっっ???」と、その台詞を叫ぶようにぶっつけるが、自衛隊員達は、清が無き物の如くに、隊列を乱さずに進み去ってしまうーーー
圧巻のクライマックスである。

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劇映画の良し悪しの半分は脚本で決まってしまうのであるが、この作品は、水木洋子氏の、秀逸な筆さばきによって、最高水準の映画と成っている。
言うまでもなく、そこには、その脚本を深く正確に解釈し、巧く画に乗せられる監督の手腕と、体現できる役者の技量あってのことであるが。

画として、清を清たらしめている見事な表現だと唸ったのは、めし屋で、じゃがいもと人参を剥いた清が、普通の人だったら、一個剥いたらカゴにポイと入れてゆく所を、大きいから小さいまで二十個くらいを、順にきちんと卓上に並べて置いてゆく所や、風呂に浸かる清が、犬のように湯船のフチに両手をかけて、ボーッとしているショットである。

清役の小林桂樹氏の演技は、ステレオタイプの、「ぼ、ぼ、ぼ、僕は、、、お、お、お、おにぎりが、、、た、た、た、食べたいんだなあ〜」と、吃音で間をあけるしゃべり方ではなく、「、」も「。」も間をあけずに、何行もの長台詞を一気呵成に言い続け、ラストの「なあ」だけをモニョッと泳がせる発し方をされていて、それが、相手の気持ちを考えながらはしゃべらない 知恵遅れの特有さが非常に感じられて、そこも唸らずにはおれなかった。
又、食べるショットや走るショットでは、全身全霊を使われていると解る、他の事は何も考えていない無心さ、寄りの表情では、何を考えているのか解らない所も、小林氏の演技力の高さに、溜息をつかずにおれなかった。

この映画、私は先日、神保町シアターの、山下清・生誕100年を記念しての上映で初観し、あまりにも感動したのでDVDも買おうと探したが、DVD化はされていないと知り、ひどく落胆し、思わず、こう叫んでしまった。
「どうして、こんな大傑作がDVD化されていないのかなあっっっ???」

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シャッター前に置かれた欠けたブロック [写真]

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錆びたシャッター前に置かれた欠けたブロック。
確か、加工は何もしてやせん。
シャッターの水色と地面の茶色が補色になっている所、ブロックがそのまま1個ではなく 欠けて縦横高さの比率がほぼ同じになっている所に惹かれ、構図は迷わずこれで!と、スマホを向けやした。
特別珍しいモチーフではありやせんが、全てがバランス良く成立したので、あっしなりに気に入っている1枚でやす。

このブロック、おそらく駐輪・駐車されたくないから、置かれているのでやしょうね。
自転車・車といえば、、、最近の自転車や車に乗ってる人は、マナーいいでやすね。
あっしが舗道を歩いてると、自転車に乗った人の殆どは、車道に出てあっしが舗道を歩くのを譲ってくださいやす。
横断歩道を渡ろうとすると、車に乗った殆どのかたは、手で「どうぞ、渡ってください」とうながしてくださいやす。
あっしが10代20代の頃なんて、「そこどけ!」とばかりに舗道でチリンチリン暴走、横断歩道では、正面から左折してくる車が数珠つなぎで、赤→青→赤→青→赤→青→赤→青、で、やっと渡れたもんなあ。



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クレジットカードにまつわる些細な雑文 [独り言]

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みなさんは、クレジットカードを持っている派ですか? 持たない派ですか?
私・ぼんぼちは、頑として持たない派です。

理由は二つあります。
先ず、一番大きな理由はーーー
悪質利用される可能性が、とても高いからです。
自分がどれほど気をつけていようと、防ぎようがないからです。
知り合いにも、ヤラれてしまった人が何人もいます。
カードを持たなければ、悪質利用されようがないからです。

二番目の理由はーーー
カードだと、「お金を使った」という実感が、薄れてしまうからです。
ちょっと高価な服などを購入した時に、現金で払えば、「あ〜、万札こんなに出てっちゃった〜! でも、この服、それに見合うだけの価値が私にはあるから、大切に大切に着よう!」と、身に沁みて思えるからです。

カードを持っていなくて困ることが一つもないかというと、時たまあります。
クラウドファンディングの参加やカードでないと購入不可なライブチケットを買う時です。
そんな時は、友人・知人に 代行して払ってもらって、後で私が、その友人・知人に現金を渡すのです。
幸いにして私には、何のちゅうちょもなく代行してくれる人が何人もいるので、本当に助かっています。

ですから私は、もしも法律で「全国民はクレジットカードを所有するべし」とならない限りは、一生 持つ事はありません。
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又、クレジットカードに対して、おかしな思い込みをしていたが為に持たなかった人間を、私は一人知っています。
それは、三十三年前に死んでくれた私の毒母です。
何を根拠にかたくなにそう思い込んでいたのか、今となっては知る由もありませんが、私の毒母は、「クレジットカードは、貧乏人が持つ恥ずかしいもの」と、思い込んでいました。

ですから父にも持たせませんでした。
父が、「クレジットカードを作る」と言った時に、「そんな貧乏人みてーなマネ、みっともねーー!!ギャーーーッ!!!」となって、すぐに父は、「解ったよ。作らないよ。」と、炎上しかかったのをおさめました。
毒母は、「クレジットカードというのは、そういう性質のものではなくて、、、」なんていう説明は、頭から聞く耳を持たない人でしたから。

なので、ホテルのレストランに食事に出向いた折りには、決まってこんな展開でした。
「ほぅら、見てみろ、あっちの客もそっちの客も、カードで払ってやがるよ。貧乏人だぁ。ケッケッケッ!アタシの勝ちだあっ!ケッケッケッ!」と、猿の如くに醜く目をギラつかせ、得意満面でした。

コース料理を、脚を組んでガチャガチャズルズルと大きな音を立てて飲み食いし、食後のコーヒーのソーサーを灰皿代わりに吸い殻でいっぱいにし、ホール係りのかたが、「お支払いは、カードになさいますか?現金になさいますか?」と来た時には、ふんぞり返って、分厚い長財布をドーン!とテーブルに放り投げる様にして、フロア中に響き渡る声で「ゲンキンでっっっ!!!」と、鼻高々でした。
ホール係りのかたは、「最低の客だな」と思っていらっしゃるに違いないと、子供心にも察していました。

現金派であっても、あんな使い方・払い方はしたくないものだと、私は、肝に銘じて育ちました。
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網目のような外壁のビル [写真]

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あっし・ぼんぼち、定期的に麻布十番に用事があって、行く度に用事前の散策の時間と距離を増やしているんでやすが、先日は、こんな個性的な外観のビルを発見しやした。
元は黒一色で、この写真は、画像加工で極端なハイコントラストの白黒にしたものでやす。
大きく菱形に穴が空いている所を、ゴールデンバランスに持ってきて、構図を完結させやした。
これは記録写真ではなくアート写真なので、ビルの外壁だ という概念はとっぱらって、抽象画を観る視点から鑑賞していただけると、本望でやす。

このビル、何のビルなのだろう?と、入り口に回ってみやしたが、何の表示もなく、サラリーマンらしきワイシャツにネクタイの中年男性が出てきやした。
このビル何だ?と思って、立ち尽くす人は多いのでやしょう、そのリーマン風の男性、あっしをチラリとも振り返らずに、スタスタと通りに出てゆかれやした。



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「おじさま」と「おっさん」の違い [比較論]

・おじさまは、ワインボトルのコルクを慣れた手つきで スマートに開ける。
・おっさんは、ワンカップのフタを、慣れた手つきで、一滴もこぼさずに開ける。

・おじさまは、自室で クラシックを聴きながら、パイプをくゆらせる。
・おっさんは、駅前の喫煙所で、騒音を聴きながら、ハイライトをふかす。

・おじさまは、神楽坂の小路に やたらと詳しい。
・おっさんは、錦糸町の裏通りに やたらと詳しい。

・おじさまのカラオケの十八番は、「マイウェイ」。
・おっさんのカラオケの十八番は、「金太の大冒険」。

・おじさまは、ネクタイは、高島屋のシルクと決めている。
・おっさんは、歌舞伎町で、ネクタイを引っ掴まれて ビンタをキメられる。

・おじさまは、「貝」というワードが出た時に、静かに微笑んで 銀座の寿司屋の話しに移行する。
・おっさんは、「貝」というワードが出た時に、ノリノリで大口開けて シモネタに移行する。

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タイルの外壁に吊るされたドライフラワー [写真]

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よく行く街のよく通る道沿いに在る 美容室のタイルの外壁にディスプレイされていた 大きなドライフラワーのブーケ。
通る度に、「どう切り取っれば画としてキマるかなあ?」と何ヶ月も思案していたのでやすが、先日、「あっ!この切り取りが、ぼんぼち的にベストだ!」と思いついたので、ついにスマホを向けやした。
そして、ドライフラワーと包まっている紙の色と馴染ませるために、真っ白だったタイルの色を、若干セピア調にしやした。
特別奇をてらった写真ではありやせんが、モチーフの分量とタイルの分量、これで良し!と、あっしなりに納得してやす。

ドライフラワー、みなさん、お作りになられやすか?
あっしは、バラの花を頂いたり買ったりすると ドライに挑戦して、キッチンスペースの端っこに吊るしておくんでやすが、何故だかいつも、全体がきっちゃな〜い茶色になってしまいやす。
と、この初春に買った黄色とオレンジ色のバラだけは、どういうわけだか 色がそんなに失われずに仕上がりやした。
なので、今は、部屋に飾ってやす。
どういうわけで今回だけ綺麗に仕上がったのか、謎でやす。
理由が解るかた、いらしたら、教えてくださいでやす。



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第12回第13回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、第1回目から定期的につづらせていただいている シェイクスピアの台詞のレッスンの、第12回「マクベス」(8月8日)第13回「夏の夜の夢」第2幕後半(8月29日)の、リポート&感想を書きたいと思います。

先ず、第12回「マクベス」。
以前、同戯曲をテキストとした時と同じく、現・王の暗殺を決行すべきかせざるべきかを思い悩むマクベスを、マクベス夫人が、入れ知恵をし 巧く誘導し、マクベスの決意を固くさせる、という場を勉強しました。 

主にダメ出しをされた所はーーー
「人間というのは、あらゆる時々で、複数の感情が同居していてしゃべるものだから、台詞を言う時にも、少なくとも2つ、出来れば5つくらいの感情を入れ込んで発するように」でした。
「わぁ、、、難しいテクニックを要求されたなぁ」と思いましたが、理屈として、先生の仰る通りだと大きく頷けましたし、これまで、舞台や映像で 巧い役者さんの演技を観ていて「何と、深み・厚みのある演技なのだろう!!」と感嘆できたのは、それは、役者さんがこのテクニックを使われているからだと、理論的に理解ができました。
とても難易度の高いテクニックだと直感したので、すぐにはできなくても、いつかは私でもできるようになりたい!目指そう!と、心の空の上方を見上げました。

それから、またしても今回も、「慌てるな」と、注意されました。
そして先生は、「台詞が早過ぎる。 何か強迫観念にせっつかれているような読み方をしている」と、ご指摘されました。
まさにその通りだったので、私は、「はい、すごく『早く読まなければ!』という強迫観念に追われています。 以前、教わっていた先生(20年前の研究所の日曜クラスの先生で、あまりにもメチャクチャでトンチンカンな指導をしているのが校長にバレ、研究所の講師をクビになった先生)に、歌舞伎のようにゆっくり読まされていたので、それではいけないと思って 必死に早く読んでいます」と打ち明けると、先生は、「(その先生に教わってた事を)忘れれば?」と仰いました。
私は間髪おかずに、「はい!忘れます!!」と答え、20年前の日曜クラスの先生に教わっていた事は、何一つとして吸収して良い事が無かった と改めて感じ、キレイサッパリ忘れる事にしました。
同時に、毎回注意されていた「慌てるな」は、「早く読み過ぎている」という事なのだと、ようやっと気づき、次回のレッスン日までに、適切なテンポで読めるようにしておこう、これは 何が何でも絶対に掴んでおこう!!と 拳を固くしました。

又、後半、嬉しいお言葉もいただけました。
「ぼんぼちさん、初回からすると、ずいぶん良くなったよ」ーーーと。
納得できる指導法の先生に「良くなった」と褒められるほど嬉しいものはありません。
これからも、このペースで頑張って、アマチュアなりにも上達してゆこう!と、より、前向きな気持ちになれました。
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次に、第13回目「夏の夜の夢」第2幕後半。
女の子は片思いで男の子は嫌っている場と、男女とも両想いの場をやりました。

中、先生に、ジェスチャーを使って事細かに指摘されたのは、「どの場面でも、相手役との身体的な距離感や動き、手はどういう状態になっているか、そこまで明確にイメージして、そのような台詞の発し方をするように」でした。
このシリーズのレッスンは、台詞に特化したレッスンなので、レッスン生達は、各々が椅子に座って1列になって、ある程度離れて読むのです。
現実にはその身体の状態であっても、口から出てくる台詞は、「いかにも投げ飛ばされた直後のように」であったり「いかにも顔を接近させているように」であったりしなければならない、と教わりました。
これからは、もっとよく考えて、明確にイメージしてから予習しよう、と思いました。

そして、前回、この日のレッスンまでにはできるようにしておこう!と自分に課した 「適切なテンポで読めるようにしておく事」に関しては、できるようになっていました。
先生から一度も、「慌てるな」「早過ぎる」というダメ出しは受けませんでしたし、そのテンポだと、つっかえたりトチったりが一度もありませんでした。
「あぁ、適切なテンポというのは、このくらいなのだ、これを身体に染み込ませよう」と思いました。
他の部分はたくさんダメ出しされましたが、この回の私の課題は「とにかく適切なテンポを掴んでおく事」だったので、本望でした。

ーーー以上が、第12回第13回のレッスンのリポート&感想です。
が、少なからずのかたがた、今回の記事を読まれて、こういう疑問を持たれているのではないでしょうか?
「20年前の研究所の日曜クラスの先生がクビになった後、日曜クラスはどうなったの?」ーーーと。
以降は、本科(本格的にプロを目指す人のクラス)の先生と校長が、交代で教えてくださってました。
この二人の先生のレッスンでは、「台詞(戯曲)を読む」という事は一度もなく、エチュード、無対象、ストラスバーグのメソード演技に基づいた課題を教わっていました。
このお二人の先生に教わった事は、吸収しておいて良かったな、と実感しました。
何故なら、今の先生のレッスンが始まってから、何度目かのレッスンの時に、ダイヤローグを円滑にする為の 身体も使った基礎勉強をした回があったのですが、その時に私は、かつてそのお二人の先生に教わった方法論を記憶の中から引っ張り出して演ったら、今の先生にも肯定的に言われたので。

ですから、私・ぼんぼち、台詞(戯曲)を読む事に関しては、ピッカピカの1年生!です。

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謎の瓶 [写真]

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これ、秘密めいた実験室か病院に、飲んだら死にそうな薬瓶が置いてある様に見えるでやしょ?
で、垂れている水色のも、触ったらヤバそうな液体に見えるでやしょ?
あ、勿論、どう見て何を感じて、どう解釈してくださるかは、鑑賞してくださる方々千差万別でいいんでやすけどね、寒色系の加工を施したら、あっしにはそんなイメージのする写真になりやした。

この写真、元は、神保町の裏通りの雑多な空間で撮った なんてことない写真なんでやす。
瓶は高さが7センチくらいで、アルファベットの読めないあっしには、なんて書いてあるか解りやせんでやした。
で、瓶が置かれているのは、金属の横柱で、水色になっている部分は錆でやす。
どう加工するかは家に帰って色々やってみようと、ただただ瓶をゴールデンバランスの位置に撮り収めやした。

加工次第でこんなにも実物からかけ離れたイメージの写真が作れるなんて、つくづく画像加工アプリって面白いな!と実感した1枚でやす。




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