水色のゴミ箱と白いポリタンク [写真]

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繁華街の裏通りで遭遇した 二つの水色のゴミ箱と白いポリタンク。
一発撮りで構図がキマったので、ハイコントラスト加工を施し、水色と白を際立たせ、作品として公開することにしやした。
現代の都会の生々しさのようなものを感じていただけたら、本望でやす。

で、今、あっしが通っている演技のレッスンの場は、某芸能プロダクション主宰のところなので、レッスン時、スタジオにプロデューサーさんも居てらして、レッスンが始まるまで映画談議に花を咲かせることしばしばなんでやすが、先日、プロデューサーさんが薦めてくれたカナダの監督の作品を観に行ったら、登場人物の一人が、プラスチックを食べて消化出来る臓器を持って産まれてきた、という近未来の話しで、「現代のプラスチック問題を材にした面白いアイデアだな。 こういう臓器を持った人間が次々と産まれたら、プラスチック問題は解決できるな」と思いやした。
溢れかえって処理に困っている廃プラスチック、まじなんとかしないと、地球はプラスチックゴミに埋もれてしまいやすね。



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憧れの苗字 [独り言]

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みなさんは、ご自分の苗字、お好きでやすか?
お好きではないかた、好きでも嫌いでもないかた、憧れの苗字ってありやすか?

あっし、ぼんぼちは、二度結婚して二度離婚してるんでやすが、二度とも離婚時に苗字を戻さなかったので、今は人生で三度目の苗字でやす。
元々の苗字と二度目の苗字は、日本人に多い苗字ベスト10の、しかも上位に入る、それはも〜うありきたり中のありきたりな苗字だったので、嫌で仕方がありやせんでやした。
で、今の三度目の苗字は、別段 珍しくも何ともないんでやすが、何とか 多い苗字ベスト10外に抜け出せ、ま〜ぁ、ぼんぼちとしては、妥協出来る範囲に入れ、ようやっと堂々と苗字が言える様になりやした。 苗字で呼ばれるのも嫌ではなくなりやした。
そんなぼんぼちでやすから、苗字に対する憧れというのが、昔から非常に強いわけでやす。

特にダントツ一番に憧れている苗字というのがありやす。
それは、弓削(ゆげ)さん という苗字でやす。
あっしはリアルに、この決して短くはない人生の中で、弓削さんという苗字のかたにお逢いした事も、知り合いの知り合いにいらっしゃった事もないので、かなり珍しい苗字だとお察ししやす。

あっしが弓削さんという苗字に憧れるのは、単に 珍しくて音も字面も美しいというだけでなく、あっしの下の名前とくっつけた時に、リズム的にも良く、そして何より、苗字と名で ちょっと素敵な意味合いが生まれるからでやす。

たぶんあっしは、この先、誰とも結婚しないだろうし、ましてや弓削さんという苗字の男性と巡り合う確率は、宝くじに当たるくらいに低いのは確実なので、「ぼんぼちぼちぼち」の他にどこかでペンネームを使う機会があったら、弓削+あっしの下の名前 を名乗ろうかと目論んでいるほどでやす。

この記事をお読みのかたの中に、もしも弓削さんというかたがいらしたら、一人、優越感にほくそ笑んでくだされ!
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虫食い葉 [写真]

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近所の空き地で遭遇した 大きくて白っぽい葉の雑草。
虫食いになっている様子に面白味を覚え、撮り収め、虫食いが目立つようにと全体的に色鮮やかになるような加工を施しやした。
特別優れた出来でもないんでやすが、あっしの中で、まあ合格点だったので、ここにアップしやす。

虫食い葉、個人的に好きなんでやすよねぇ。
あちこちに不定形に穴の空いた様子が、理屈抜きにユニークで美しいな!と思いやす。
それに虫食い葉って、世界に二つと同じものはないんでやすよ!
唯一無二のものって、どんなジャンルのものでも素敵でやすよね。
押し花というのがあるけれど、押し虫食い葉も作って、何枚か並べて額装したりしたら、とてもいい観賞物になると思ってやす。



タグ:虫食い葉
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憂国忌によせてーーー私の生死観 [独り言]

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今年も憂国忌が近づいてきた。
毎年、憂国忌が近づくと、改めて 己れの生死観について考えるわけだがーーー

まあ、この類いの記事は、何年かに一度は、憂国忌前後につづっているわけで、私は、三島由紀夫の自死の理由は、国を憂いてだの大義がどうのなどというのは、彼特有の表向きのカッコつけで、せっかく努力して鍛え上げて誇れるまでになった美しい肉体が老いさらばえてゆくのに耐えられなかった事と、小説を書くテーマも材も尽きてしまった、この二つだと思っているのだけれど、今年も私が本記事で言はむとしているのは、三島の死の理由の真相究明ではない。
あくまで、私が思っている前述の二つな理由にからめた 私自身にもいつかは訪れる死についてのモノローグである。
で、あるから、ここまでお読みいただいて興味がなくなったかたは、読むのをやめてくださって構わないし、「ふん、ぼんぼちの生死観とやらは、どんなもんやろ」と覗いてみたい向きは、読み進んでいただければ幸いである。

私は、三島ほど「幸せな死」を遂げた人間は、稀だと思っている。
人間には誰しも老いは訪れる。
見た目の老いがやって来ない人間なんている筈はなく、小説家でなくとも、やりたい仕事への身体的エネルギーや思考力が無限に持続し続ける人間も、いるわけはない。
人間、人によって順序は様々だろうが、見てくれの老い、体力の老い、思考力の老い は、必ずやってくる。
多くの人間は、「あぁ、若い頃は○○だったのに、こんなになっちまって、、、」と言いながらも、妥協の中に生き続けるわけであるが、そこを妥協せずにスパッ!とカットアウトしたのが、三島である。

私も三島の様な最期を遂げたいと考えている。
否、決して、国家や自衛隊を巻き添えにして大立ち回りを演ずる気はさらさらないが、彼の様に、老いさらばえむとする時期が来たら、スパッ!と逝きたい。

「いやいや、今は人生100年時代だよ」という声がいくつもあがってきそうだが、今の見てくれ、今の体力、今の思考力 が100才まで続くのなら、そりゃ100まで生きていたい。
でも、そんな人間、いるわけがない。
私は、自分が鏡を見て笑顔でいられる、自分の思考したい事を思考出来る、自分が行きたい所へ行ける、それが出来なくなったら、その時が私の寿命だと考えている。
しわくちゃな顔になって腰も曲がり、老人ホームに入って、意味不明の言葉を延々繰り返して、そのうち寝たきりになってただ虚空を見上げてフェイドアウトしてゆくなんて、絶対に嫌!!

三島のお母上は、彼の自死の知らせを聞いて、静かにこう仰ったという。
「あの子は、やりたい事をやり遂げたんです」ーーーと。

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ルノアール吉祥寺南口店のペンダントライト [写真]

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ルノアール吉祥寺南口店のペンダントライトを内側から撮ったものでやす。
偶然にも、ブラインドからもれるトワイライトタイムの空が、ベストな位置に入ってくれ、又、色彩的にも笠と補色で、予想以上にバランスの取れた作品となってくれやした。

ルノアール吉祥寺南口店、他のルノアールとは大きく違いやす!
先ず一つ目は、内装・調度品が昭和のまんま、昔はよくあったチョイダサ和風喫茶そのものなのでやす!
大手チェーン店系喫茶には全く興味がなく、古い個人経営喫茶の好きなぼんぼちも、これには萌えやす!
もぅ、何時間でもソファに座って、店内を眺めていたい〜 心は昭和に完全ワープ!!
そして二つ目は、店内の半分は禁煙でやすが、もう半分は喫煙OKなのでやす!
可燃式以外はNGの他のルノアールと違って、紙巻きもシガーもOK!
もぅ、喫煙天国でやす!!
リトルシガー吸いのぼんぼちも、なんぼでも紫煙くゆらせられやす!
昭和の喫茶に浸りたいかた、紙巻きやシガーを席で愉しみたいかた、ここ、超オススメでやすぞ!!!




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大駱駝艦・舞踏公演「阿修羅」を観て [感想文]

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10月28日(土)、座・高円寺にて開催された、舞踏集団・大駱駝艦の「阿修羅」という公演を観に行った。

奈良・興福寺の阿修羅像をテーマとし、神・阿修羅が阿修羅像に至るまでの旅路を表現した作品だった。
舞踏の定義である「土俗的かつ前衛」という条件を守りながらも、古代ギリシャ演劇で使われていた形状のスッポリかぶる仮面を使用し、踊りが進むと、仮面をぬぎ、小道具として持ち踊ったり、白い神が阿修羅像へと変化(へんげ)してゆく様を、脇役の舞踏家さんがたが、手首まで真っ赤な絵の具に浸け染めて登場し、真っ赤な手も鮮やかで斬新な演出効果としつつも、阿修羅役の主役の舞踏家さんを、踊りながらペタペタと全身真っ赤に塗り変えてゆく表現とアイデアには、圧倒され 唸らされた、実に見事に、阿修羅→阿修羅像の歴史を、身体的抽象表現した芸術だと、感動の海に浸った。

大駱駝艦は、唐十郎氏の状況劇場にいた麿赤兒氏が、1972年に創設した、数ある舞踏集団の中でも今以て人気を保ち続けている集団である。
私は舞踏集団の中でもこの大駱駝艦が最も好きで、本公演、アトリエ公演、高円寺大道芸と、幾度もあちこちに足を運んでいる。
そのつど思う事だが、大駱駝艦の人気の理由は、以下のニ点によるものだと、分析している。
先ず一つは、次々と新しいアイデアを持ち込んで来る事。(今回では、仮面や赤い絵の具の使い方)
公演の度に、「わっ!今回は、こんなアイデアで来たか!」と、新鮮に嬉しく驚かされる。
二つ目は、常に世の時代のデムポに合った踊りをしているという事である。
舞踏というと、ゆっくりゆっくり動く、というイメージを抱いている向きも少なくないかも知れないが、大駱駝艦は、勿論、ゆっくりの所もあるが、基本、今の若い人が観ても決して退屈しない早さのテムポで動いているのである。
これも、主宰の麿氏の「一人一派」という、頭ごなしに押し付けない 自由な舞風のたまものだと、感じずにはおれない。
麿氏、その方針の成果として、良き後継ぎを幾多輩出したものである。

「舞踏」というと「何それ?」とポカンとする日本人が、少なからずいる。
むしろ海外、特にフランスで、「Butoh」として知名度が高い様である。
舞踏は、土方巽を始祖とする、日本が生んだ日本の芸術なのだから、個人的にはもっと、日本人の多くに知っていただきたいと願っている。
これからは、学校の芸術鑑賞日などに舞踏を観に行っても良いのではなかろうか?

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夕暮れのブロック [写真]

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近所のお宅の外壁にもたせかけられていた一個のブロック。
下の砂利にレンガ色のがあったので、画面に統一感を出そうと、レンガ色のトーンをかけ、夕暮れ時のブロックという設定にしやした。
あっしなりにでやすが、この極めて単純な構図と色彩が気に入ってやす。

ブロックといえばーーー
お宅によっては、所々に青海波の形に穴が開けられたブロック塀がありやすね。
で、たまにそこから、庭に植えた植物が元気余ってニョキニョキ手足を伸ばしている所も。
この写真を撮ったすぐ近くのお宅も、紅白のセージがそんな状態になってやした。
ぼんぼち、こういう光景、好きなんだなぁ。
庭の植物なんだから庭からはみ出してはいけません!ってチョンチョン切ってしまうよりも、植物の生命力の自由に任せるおおらかさ。
見るたびに、思わず、「セージくん、頑張ってるな! いいお宅に植えられたな!」と、心の中で微笑んでやす。



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映画作りに関する些細な雑文 [映画・演劇雑記]

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もしも私・ぼんぼちが、映画に関われるとしたら、松本俊夫先生の「アートマン」や伊藤高志さんの「スペイシー」の様な、短尺のスチルアニメーションを作りたいです。

スチルアニメーションがピンと来ないかたはーーー
今記事に付けた3枚の写真が、入れ替わりつつ微妙にアングルを変えながらパパパパパッと映り、間に時折、真っ白な画面がパッ!パッ!と挿入されたものーーーつまり、アート写真作品に時間軸が加えられた表現ジャンル、と解していただくと、解りやすいかと思います。

タイトルは「水面」とし、水面に反射する光や水草の揺れが、半抽象的に訴えかけてくる、美しいアートアニメーションに仕上がると想像します。

私がスチルアニメーションを最初に作りたいと色めき立ったのは、中学1年になろうという時でした。
映画部に入ってそこで作ろう、と、中学受験合格時から、楽しみにしていたのです。
けれど残念な事に、私の入った中学には映画部がなく、仕方なく他の部に入りました。

そして、自分に自由な時間が出来た38才の時ーーー
私は、せっかく潤沢に時間が出来たのだから、先ず映像理論から学ぼうと、イメージフォーラム映像研究所の夏期講習会で、世界実験映画史を学び、あくる年、世界インスタレーション史を受講しました。
どちらも、たくさんの、テキストとされた秀逸な映像作品を観せていただき、講師の講義が詳らかに1作毎に入った、大変に得る所の大きな納得出来る濃密な授業でした。

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3年目にはいよいよーーー私は、実験映画を自ら作る、というコースに臨もうと、研究所のパンフレットのそのコースの欄を熟読しました。
すると、「3人ひと組になって1作を作る」とあったので、参加するのをやめました。

私は、自分の映画作りに対する絶対条件として、「スチルアニメーションである事」の他に「たった1人きりで作りあげる事」があったからです。
大好きな映画制作に、自分以外の人間の考えや技術が入って来られるのは、私にとって耐えがたい事なのです。
3人で作らねばならないのなら、何も作らない方を、迷わず選びます。

時はくだりーーー
今現在、スマホとパソコンがあれば、スチルアニメーションは、1人でなんぼでも制作可能な時代になりました。
公開も、YouTubeでなんぼでも出来ます。

けれど今、私はそれをやっていません。
何故かというとーーー
ブログを始めて何年かしてから、アート写真を撮り公開する様になったのですが、時間軸の加わらないアート写真という表現に、まだまだ飽き足らなく、もっともっとたくさんのアート写真作品を生み出したい、という気持ちが強くなったからです。

そうこうしているうちに、私の寿命は尽きるでしょう。
それでもいっこうに構わないと、思っています。
それはそれで、運命の様なものなのでしょうから。

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紫色の水草 [写真]

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近所の商店の表に置かれていた睡蓮鉢に浮かぶ、睡蓮の葉より遥かに小さな水草の葉。
あえて葉が混み合っている所と空いている所と両方入る部分を切り取り、緩急がつく構図にしやした。
加工は、撮ろうという段階から、「この濃い緑の葉は、ネガ加工したら美しい紫色になるに違いないぞ!」と予測し、加工したら、予測通りの色が出てくれやした。
そしてこの写真、左を上に、右を下にと、半回転させていやす。
理由は、左が明るく右が暗いより、上が明るく下が暗いほうが、バランスの取れた安定した構図になるからでやす。
半回転の結果も、予測通りになりやした。
あっしなりにでやすが、とても気に入っている一枚でやす。
みなさんには、単に「綺麗!」と感じていただければ、それで本望でやす。



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第38回第39回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、10月5日(木)第38回「マクベス」、10月23日(月)第39回「ロミオとジュリエット」の演技のレッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。

先ず、10月5日(木)第38回「マクベス」。
この日はとにかく、徹底的に、マクベス夫妻が主催する 国のお偉方を招いたパーティーで、マクベスが、自分が殺させた者の幻影を見てしまい 翻弄され、パーティーがお開きになる場を、お稽古しました。

マクベス役をやった時の主なダメ出しはーーー
このパーティーが始まる直前に、マクベスは、自分が殺させた者が完全に死んだという知らせを聞いているのだから、パーティー開始時に、すでに少し疲れている。
そして、幻影を見て翻弄される事でますます疲れ、しかし、パーティー参加者には平静をとりつくろわなければならないから、余計に疲れ、場のラストでは、もぅ眠るしかないくらいに疲れ果てている。
その感じを、もっと出す様に!でした。
先生は、「僕がよく言っている どんどん変わってゆかなければいけないっていうのは、こういう事なんだよね」と仰っていました。
つまり、人間は、人格は変わらないけれど感情は変わってゆくものなので、芝居は、その感情が次々と変わるのを演じなければ、芝居は前に進めない、という事です。
私は、第一回目のレッスンで言われた時にはピンと来なかったのですが、今回初めて、「あぁ、『変わってゆく』というのは、こういう事なのか!」と、しかと理解が出来ました。

細部ではーーー
「おい、見ろ、あれを、あれだ、あれでもか?」と、「あれ」が三つ出てくる行の「あれ」は、全て言い方を変える様に、という事。
七行の少し長い台詞の中にも、モノローグ的に言う所と夫人に向かって大きな声で言う所との違いをつける事。
幻影に翻弄された直後、パーティー参加者に、「何ともない。気にかけないでいただきたい」と、平静を装うのだけど、ぼんぼちさんは、いかにも うろたえているのを普通だよと装っていますよ、という芝居です。平静を装う時は、極力 うろたえてる自分の内を悟られない様な言い方をするものです、という事。
ここ、難しくて、自分でも「出来てないなあ」と思いました。
その後で、再び幻影が現れ 幻影に向かっての台詞で、「きさま」が三回出て来る所も、三回とも言い方を変える様にーーーでしたが、前々回、前回と幻影が現れた時よりもっと激しく怯えるということをにばかり集中してしまって、三つ変化をつける事まで気がまわらなくて、シマッタ!と反省しました。

それから、初めて教えていただけたテクニックもありました。
「〜幻め、消えてしまえ!」で、最も声を張って叫び、幻影が消えるのを確認してから、「よし、〜」と台詞が続くのですが、単に間をあけるだけでなく、「〜消えてしまえ!」(はぁ、はぁ)で、三つ目の(はぁ)の息づかいに乗せて、「よし、」と言うと良い、という事でした。
これは、心の動きと身体の動き(このレッスンでは、基本、物理的には動きませんが)は、連動しているので、呼吸の荒さと台詞も一致していないといけない、という事で、「なるほどー!その通りだ!」と、深く頷きました。

マクベス夫人役をやった時のダメ出しはーーー
演技をやっている人に聞こえるので、現実にそう言っている様に台詞を読む事!でした。
途中、先生は、「じゃあ、ぼんぼちさん、過去のダンナさんを怒った様に言ってみて、」とのご指示が出たので、思いっきり大声でののしる様にわめいたら、「やっぱり演じている様に聞こえる。 それに、大きい声を出すばかりが怒りの表出ではないでしょう。 大きい声を出さなくても酷く怒っている表現もあります。 解るでしょ」と言われ、「はい、解ります」と正直に答えたものの、理屈では解っても自分に実際に出来るだろうか? 否、出来るまで努力しよう!と、唇を噛みしめました。

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次に、10月23日(月)第39回「ロミオとジュリエット」。
この日は最初に、短歌を心を込めて読む、という課題をやりました。
私が一度目に、思いっきり感情を表出させて読んだら、先生から、「心では思っていても、口から出すのはもっと抑えて!」という様な意味のダメ出しが入りました。
「意図的にではなく、もっと抑えて。 でも、この歌で言わむとしている事は、ちゃんと伝わる様に!」と、二度、三度、四度と読みました。
この課題はだいぶ前のレッスンでもやったのですが、やはり、表面は抑えつつも気持ちのメリハリや主張を出すのは難しいな、、、と思いました。

その後で、「ロミオとジュリエット」のかの有名なバルコニーの場を勉強しました。
私はジュリエット役をやりました。
主に指摘されたのはーーー
1、ジュリエットはこの作品の中で、太陽の如き存在なので、もっと太陽である感じを出す事。
2、長台詞になると、詰まった様な聞き苦しい声があらわになるので、まず、心をリラックスさせて読む事。 そうすると、身体もリラックスして喉を筋肉が締めつけなくなるから、聞き苦しさの解消に向かえる。
3、素人っぽい読み方を目指す事。
練習すればするほど素人っぽさから離れてゆきがちだけれど、あえて素人っぽく読む事。
意図的、技巧的になってはいけない。

この中で、1は、注意されたらすぐ出来ましたが、2と3は、私に出来るかなあ、、、?と、すごいハードルの高さを感じました。
2は、滑舌同様、アタマではなく筋肉の問題なので、理論的な事を理解するのは私にとってそれほど難題ではないのですが、肉体をどう駆使するか、という事は、アタマで解れば出来る問題ではないので、大変に難しいです。
だけど考えてみると、カラオケでは喉を締めつけずに高音を出せるので、読む時にリラックスさえ出来れば解決出来る筈なので、自覚も大きいだけに、この高いハードル、いつかは越えたいです。
3は、一見、「???」な要求ですが、先生はしばしば、柄本明さんの演技は、演技をしている様に見えない、台本に書かれてある文字を覚えてしゃべっている様に聞こえない、本当に上手い役者さんです、と仰っているのですが、そういう 柄本明さんの様な演技を目指せ!という事だと思いました。

そして最後に、ロミオとジュリエットの二人が初夜を迎え、シーツに包まって抱き合っていて、朝が来て、ロミオは帰らなければならない場をやりました。
ここでも私は、ジュリエット役をやりました。
出だしは耳元で甘くささやく様に、ラストはロミオの胸を突き放す様に、けれど、同じ調子で強く発するのではなく、ラストのラストは、悲しくつぶやく様に、とのご指示を受けました。
一人で下読みした時は、この場がこんなに色っぽい場だとは想像だにしていなかったので、目からウロコでした。

レッスン、回を重ねる毎に、どんどん難しい要求が出されます。
「わー!こういう事、いつか私にも出来るんだろうか?」と思いつつ、たとい出来なくとも、自主練もレッスンも楽しくて仕方がないので、次回もまた、私なりのマックスの力で臨みたい!と、眼(まなこ)をギラギラさせています。

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