ぼんぼちが好きな映画監督・ベスト5 [映画・演劇雑記]
映画好きの向きなら、自身の中で一度は、「好きな映画ベスト○」や「好きな監督ベスト○」を挙げてみたことがおありだろう。
以前、私も当ブログで、「好きな映画」については列挙したので、今日は、「好きな監督ベスト5」を、並べてみたいと思う。
「好きな」だから、客観的には優秀だと評価するけれど、ぼんぼちの好みに合わない監督は入れてなく、又逆に、無骨な面もあるけれど、メンタリティとして大きく共感できる監督は入っている。
では、いってみよう!
第1位 松本俊夫監督
ぼんぼちにとって、松本俊夫監督は、映画の神である。
これほど、「映像」というものに、多視点から多実験を試みた監督は、日本には他にいない。
海外でも、特にフランスで高く評価されている、実験映画監督である。
代表作は、赤外線フィルムで撮影された 怒涛の迫力のスチルアニメーション「アートマン」、
1960年代後期の文化・風俗・ニュースを、2スクリーンに3プロジェクターで映写した「つぶれかかった右眼のために」、
劇映画だと、夢野久作の同名小説を、あえてつじつまの合わないシークエンスにつなげ、観客を訳の解らない世界に陥れる「ドグラ・マグラ」、
ゲイボーイの世界を、オイディプス王を下敷きに構成し、劇中に何箇所も、二丁目を歩くゲイや本物のゲイの出演者へのインタビューなど、ドキュメンタリーを入れ込んだ「薔薇の葬列」などである。
第2位 ヤン・シュヴァンクマイエル監督
アートアニメーション映画では、世界一著名な、チェコのアニメーション作家。
スチル、オブジェクト、クレイ、ピクシレーション、カットアウトと、あらゆる技法のアニメーションで、複雑な事情下にあったチェコへの反体制や、食べる事への異常な執着を表現している。
やはり手作りのアニメーションなので、長編より短編作品の方が圧倒的に充実度・密度が濃く、秀逸である。
私があえて、その秀逸な短編作品群から1作選ぶとしたら、無機物で構成された顔と有機物で構成された顔が戦いを重ね、ラストは、粉々に一体化してゆく「対話の可能性」である。
第3位 勅使河原宏監督
原作脚本・安部公房、音楽・武満徹との三者で創り上げた三部作、「砂の女」「他人の顔」「おとし穴」は、安部氏でこその理論的なシナリオといい、斬新な画といい編集といい、前衛的な効果音といい、名優の名演技といい、非の打ち所のない完璧無欠な映画である。
劇映画というジャンルも、このくらい画に拘ってくれると、美術畑出身の私としては、ストレスを感じずに心地よく鑑賞する事が出来る。
この三部作の中でも、個人的には、非現実な病院内セットや、主役の顔を亡くした男が観た映画という設定の劇中劇が挿入された「他人の顔」に、特に惚れ込まずにはおれない。
第4位 塚本晋也監督
「六月の蛇」で世界のtsukamotoとなる以前の、初期塚本純正作品が好きである。
デビュー作「鉄男」の、鉄化してゆくアニメーションは、目眩を覚えるほどに圧巻である。
又、「東京フィスト」は、私にとっての青春映画で、東京に育った者にしか解らない ビル群こそが己れを包み込んでくれる母体だという観念性には、骨の髄から共感する。
私が、全ての映画の中で、一番泣いた映画作品である。
第5位 寺山修司監督
私は、中学生の時に知った寺山修司氏の存在がなければ、映画にも演劇にも短歌にも俳句にもエッセイにも、ここまで興味を持ち、入り込む事はなかったと言い切れる。
辛い事しかなかった思春期の、心の救済者である。
寺山氏がこの世に存在しなければ、今の私は存在しなかったとすら言える。
それほど己れに影響を及ぼした人物でありながらも、何故5位なのかは、寺山氏の全ての表現ジャンルを観、読み込んでゆくと、氏はやはり「書き言葉」の世界の人だと気がついたからである。中でも、短歌は氏の真骨頂だと思う。
映画作品では、劇映画では「田園に死す」短編実験映画では「ニ頭女」が、良くまとまっていると評する。
とまあ、以上が、ぼんぼちの好きな映画監督ベスト5である。
みなさんは、どんな監督がお好きでおられるだろうか?
以前、私も当ブログで、「好きな映画」については列挙したので、今日は、「好きな監督ベスト5」を、並べてみたいと思う。
「好きな」だから、客観的には優秀だと評価するけれど、ぼんぼちの好みに合わない監督は入れてなく、又逆に、無骨な面もあるけれど、メンタリティとして大きく共感できる監督は入っている。
では、いってみよう!
第1位 松本俊夫監督
ぼんぼちにとって、松本俊夫監督は、映画の神である。
これほど、「映像」というものに、多視点から多実験を試みた監督は、日本には他にいない。
海外でも、特にフランスで高く評価されている、実験映画監督である。
代表作は、赤外線フィルムで撮影された 怒涛の迫力のスチルアニメーション「アートマン」、
1960年代後期の文化・風俗・ニュースを、2スクリーンに3プロジェクターで映写した「つぶれかかった右眼のために」、
劇映画だと、夢野久作の同名小説を、あえてつじつまの合わないシークエンスにつなげ、観客を訳の解らない世界に陥れる「ドグラ・マグラ」、
ゲイボーイの世界を、オイディプス王を下敷きに構成し、劇中に何箇所も、二丁目を歩くゲイや本物のゲイの出演者へのインタビューなど、ドキュメンタリーを入れ込んだ「薔薇の葬列」などである。
第2位 ヤン・シュヴァンクマイエル監督
アートアニメーション映画では、世界一著名な、チェコのアニメーション作家。
スチル、オブジェクト、クレイ、ピクシレーション、カットアウトと、あらゆる技法のアニメーションで、複雑な事情下にあったチェコへの反体制や、食べる事への異常な執着を表現している。
やはり手作りのアニメーションなので、長編より短編作品の方が圧倒的に充実度・密度が濃く、秀逸である。
私があえて、その秀逸な短編作品群から1作選ぶとしたら、無機物で構成された顔と有機物で構成された顔が戦いを重ね、ラストは、粉々に一体化してゆく「対話の可能性」である。
第3位 勅使河原宏監督
原作脚本・安部公房、音楽・武満徹との三者で創り上げた三部作、「砂の女」「他人の顔」「おとし穴」は、安部氏でこその理論的なシナリオといい、斬新な画といい編集といい、前衛的な効果音といい、名優の名演技といい、非の打ち所のない完璧無欠な映画である。
劇映画というジャンルも、このくらい画に拘ってくれると、美術畑出身の私としては、ストレスを感じずに心地よく鑑賞する事が出来る。
この三部作の中でも、個人的には、非現実な病院内セットや、主役の顔を亡くした男が観た映画という設定の劇中劇が挿入された「他人の顔」に、特に惚れ込まずにはおれない。
第4位 塚本晋也監督
「六月の蛇」で世界のtsukamotoとなる以前の、初期塚本純正作品が好きである。
デビュー作「鉄男」の、鉄化してゆくアニメーションは、目眩を覚えるほどに圧巻である。
又、「東京フィスト」は、私にとっての青春映画で、東京に育った者にしか解らない ビル群こそが己れを包み込んでくれる母体だという観念性には、骨の髄から共感する。
私が、全ての映画の中で、一番泣いた映画作品である。
第5位 寺山修司監督
私は、中学生の時に知った寺山修司氏の存在がなければ、映画にも演劇にも短歌にも俳句にもエッセイにも、ここまで興味を持ち、入り込む事はなかったと言い切れる。
辛い事しかなかった思春期の、心の救済者である。
寺山氏がこの世に存在しなければ、今の私は存在しなかったとすら言える。
それほど己れに影響を及ぼした人物でありながらも、何故5位なのかは、寺山氏の全ての表現ジャンルを観、読み込んでゆくと、氏はやはり「書き言葉」の世界の人だと気がついたからである。中でも、短歌は氏の真骨頂だと思う。
映画作品では、劇映画では「田園に死す」短編実験映画では「ニ頭女」が、良くまとまっていると評する。
とまあ、以上が、ぼんぼちの好きな映画監督ベスト5である。
みなさんは、どんな監督がお好きでおられるだろうか?
タグ:好きな映画監督
ぼんぼちが発表会のある所では演技を習いたくない理由 [映画・演劇雑記]
少し前からこのブログを閲覧くださってる方々はご存知の様に、私・ぼんぼち、今、月ニのペースで、演技のレッスンに通っています。
今お習いしている所は、十二分に納得出来、レッスンが開催され続ける限り、通い続けたいと思っています。
理由は先ず、先生が大変に優秀でいらして、「この先生にならついて行きたい!」と、心底思えるからです。
もう一つの理由は、「発表会」なるものがないからです。
これも私にとっては、非常に重要な条件なのです。
何故、私が、発表会がある所では演技をお習いしたくないかというとーーー
20年前、某演劇研究所の日曜クラス(アマチュアのクラス)に在籍していた事がありました。
そこでは半年に一度、研究所内発表会がありました。
ズブの素人ばかりですから、勿論チケット料金は発生せず、観てくださるのは、校長や本科(本格的にプロを目指す人のクラス)の先生や本科生、あとは、日曜クラス生の友人や家族、といった程度でした。
そこで、私が何が嫌だったかというと、発表会そのものが嫌いだった訳ではなく、同じクラスの中に、こんな人が一人いたからですーーー。
ゲネプロの時までは、台本通りの台詞をしゃべっていたのに、本番になると、突然、その人が家で独自に創作してきたらしき台詞を、台本にすると2ページくらい、延々としゃべり始めるのです。
私を含めた他の日曜クラス生は、その人の創作台詞が、いつ始まっていつ終わるのか、皆目解らず、冷や汗タラタラでした。
その人はいつも脇役しかもらえず、いつも主役だった私の4倍くらいの量の長台詞をしゃべらなければ、気が済まない様でした。
創作の長台詞は、ホンの内容には関わらず、必ず、泣き叫ぶものでした。
他の日曜クラスのメンバーが、「はぁ、、、また、やってくれちゃったね」といった呆れ顔を見合わせていると、その人は一人、笑顔で「えへへ〜、台詞、間違えちゃった〜」と、悪びれた様子もなく舌を出すのが常でした。
又、私はその人に、ゲネプロが終わって本番が始まる寸前に、こんな事を言われた事もあります。
「アタシが前を向いて、しゃがんでいる時に、ぼんぼちさんが後ろからそーっと来て、アタシの背中をポンと叩いて『わっ!』って驚かす動きがあるじゃないですか。そこ、そうじゃなくて、アタシのメガネのツルの後ろをガクガクガクってやって、驚かせてもらえませんか?」と。
私は、いきなり先生の演出とは違う、ゲネプロとは別の動きはやりたくなかったので、ゲネプロ通りの、背中を叩いて「わっ!」をやったら、発表会が終わった幕裏で、「ぼんぼちさん!なんで、アタシの言った通りにやらなかったんですかっ!ぼんぼちさんのせいで、アタシが面白く見えなかったじゃないですかっ!!」と、すごい勢いで責められました。
彼女は、自分がやっているこれらの行為が、いけない事だという認識はみぢんもないらしく、「アタシは素直で馬鹿正直だから、人に陥れられるんです」「アタシには何一つとして非がないのに、不当に先生から差別されて、嫌われてるんです」「演劇みたいに集団で何かをやるには、アタシみたいに一人ガマンする人がいないと、成り立たないんですよね」という事を、しょっちゅう吐いてました。
それに対して私が、「、、、えっとねぇ、私が思うにはねぇ、、、」と、原因は彼女自身にあるのだと解らせようとすると、決まって、「あー、はいはいはいはい、ぼんぼちさんのお説教なんて、聞く気ありませんからっ!」と、プイッと横を向いて、話しをシャットアウトしてしまうのでした。
私がそこの研究所の日曜クラスにいたのは三年半の間でしたが、とにかく、発表会でのその人の突然の言動のために、発表会が了ると、いやぁ〜な感情だけが残り、その日の夜は、行きつけのジャズ喫茶で、記憶がなくなるくらいまでしたたか酒をあおらなければ、ストレス解消できませんでした。
これが、私がもう二度と、発表会がある所では演技をお習いしたくない理由です。
無論、どこの発表会のあるクラスにも、こんな人が一人づついるとは限らないとは百も承知ですが、「もしも、もしも、又あんな人がいるとしたら、、、」と、その可能性はゼロではないと思うだけで、私の精神はフリーズしてしまうのです。
もぅ、あんな理不尽な理由でストレスを溜めるのは、こりっごりなので!!
タグ:アマチュア演劇の発表会
シナリオがシーン別に書かれている理由 [映画・演劇雑記]
シナリオを読まれた事のある方は、シナリオというものはシーン別に書かれているのだな、とお気づきになったと思います。
例えばーーー
⑯駅前のカフェ
太郎、スマホを取り出し
太郎「今度の連休なんだけどさあ!」
花子「えっ?」
太郎「こことかー」
花子「、、、、、ごめん」
太郎「え」
花子「、、、仕事なんだ」
太郎「またぁ?」
花子「、、、、、」
太郎「出よっか」
という風に。
シナリオは、この様なシーンをつなぎ合わせて、全体が構成されています。
どうしてシーン別に書くかというとーーー
映画やドラマは、シーン毎にまとめて撮影してゆくからです。
「駅前のカフェ」が、シーン16だけでなく、シーン5にも38にも62にもあったとします。
そうすると、話しの内容の時系列とは関係なしに、「駅前のカフェ」シーンを、まとめて撮影するのです。
特にカフェの様な、他人様に借りる場だと、日時が限定されますし、出逢いの時刻が夕陽の差す時間帯であり、別れの時刻が朝だったとしたら、別れのシーンを先に撮影して、夕刻になったところで、出逢いのシーンを撮影する運びとなります。
又、同じ駅前のカフェの中に、朝時と夕刻のシーンがあるとしても、「⑤夕のカフェ」とか「㊳朝のカフェ」と書いてはいけません。
そうすると、スタッフは、「駅前のカフェ」とは別のカフェを指すのだと判断して、別のカフェの夕刻、別のカフェの朝時を、ロケハンしてしまうからです。
あくまでも、「駅前のカフェ」は「駅前のカフェ」という言葉で統一し、ト書きの冒頭に、「朝」とか「夕陽が差し込む窓辺」と書かなくては、混乱してしまいます。
ちなみに、「駅前のカフェ」の様なシーンのタイトルを「柱」と呼びます。
柱の上に、今回、例で示した様に、シーン順の数字が振られる事もあれば、単に「○駅前のカフェ」と、シーンナンバーは書かれない場合もあります。
そして、シーンはどういった基準で分けるかというとーーー
大きくキャメラをはじめとする撮影機材一式を、移動させるか否かで分けます。
「駅前のカフェの通り」という撮影場所が必要になった場合は、「⑰駅前のカフェの通り」と、別の柱を立てます。
何故なら、カフェの中から表へ、よいしょよいしょと機材を運び出して準備をする訳ですし、今度は、カフェオーナーではなく道路に関しての撮影許可が必要になってくるからです。
したがって、すぐ次のシーンだからといって、同じ日の次の時間帯に撮影するとは限りません。
みなさんも、シナリオを読まれる時、又は、映画やドラマを鑑賞される時、この様な事を頭に思いながらご覧になると、一層、興味深くお楽しみになれるのではないか、とお察しします。
例えばーーー
⑯駅前のカフェ
太郎、スマホを取り出し
太郎「今度の連休なんだけどさあ!」
花子「えっ?」
太郎「こことかー」
花子「、、、、、ごめん」
太郎「え」
花子「、、、仕事なんだ」
太郎「またぁ?」
花子「、、、、、」
太郎「出よっか」
という風に。
シナリオは、この様なシーンをつなぎ合わせて、全体が構成されています。
どうしてシーン別に書くかというとーーー
映画やドラマは、シーン毎にまとめて撮影してゆくからです。
「駅前のカフェ」が、シーン16だけでなく、シーン5にも38にも62にもあったとします。
そうすると、話しの内容の時系列とは関係なしに、「駅前のカフェ」シーンを、まとめて撮影するのです。
特にカフェの様な、他人様に借りる場だと、日時が限定されますし、出逢いの時刻が夕陽の差す時間帯であり、別れの時刻が朝だったとしたら、別れのシーンを先に撮影して、夕刻になったところで、出逢いのシーンを撮影する運びとなります。
又、同じ駅前のカフェの中に、朝時と夕刻のシーンがあるとしても、「⑤夕のカフェ」とか「㊳朝のカフェ」と書いてはいけません。
そうすると、スタッフは、「駅前のカフェ」とは別のカフェを指すのだと判断して、別のカフェの夕刻、別のカフェの朝時を、ロケハンしてしまうからです。
あくまでも、「駅前のカフェ」は「駅前のカフェ」という言葉で統一し、ト書きの冒頭に、「朝」とか「夕陽が差し込む窓辺」と書かなくては、混乱してしまいます。
ちなみに、「駅前のカフェ」の様なシーンのタイトルを「柱」と呼びます。
柱の上に、今回、例で示した様に、シーン順の数字が振られる事もあれば、単に「○駅前のカフェ」と、シーンナンバーは書かれない場合もあります。
そして、シーンはどういった基準で分けるかというとーーー
大きくキャメラをはじめとする撮影機材一式を、移動させるか否かで分けます。
「駅前のカフェの通り」という撮影場所が必要になった場合は、「⑰駅前のカフェの通り」と、別の柱を立てます。
何故なら、カフェの中から表へ、よいしょよいしょと機材を運び出して準備をする訳ですし、今度は、カフェオーナーではなく道路に関しての撮影許可が必要になってくるからです。
したがって、すぐ次のシーンだからといって、同じ日の次の時間帯に撮影するとは限りません。
みなさんも、シナリオを読まれる時、又は、映画やドラマを鑑賞される時、この様な事を頭に思いながらご覧になると、一層、興味深くお楽しみになれるのではないか、とお察しします。
シナリオを習っていた時の話し [映画・演劇雑記]
私は、映画・演劇を様々な観点から勉強し、その方面の造詣を深めたいと思っているので、シナリオ作法の勉強もしてきました。
20年前に 某演劇研究所に入所する少し前、ちょっと通所できる状況になかったので、通信で、某シナリオ研究所で9ヶ月間学び、面談に通える時だけ通い、その間は、週6で1日12時間自主勉強していました。
私が何故、そのシナリオ研究所を選んだかというと、「全てのジャンルをお教えします。 プロを目指す人から趣味として楽しみたい人まで大歓迎!」という謳い文句があったからでした。
私はあくまで アマチュアの趣味として、当時 唯一好きなジャンルだったアート・実験系のシナリオの書き方を知りたくて応募しました。
ところが?!
最初の私のシナリオ作品の先生の添削に、「凝りに凝り過ぎた映像表現で、訳が解らず混乱するばかりです」とありました。
私は、「アート・実験系のシナリオを書いたのだから、映像に凝るのは当然なのになぁ」と理不尽さを感じ、さっそく面談を希望しました。
面談が始まるや、私が「アート・実験系のシナリオを書いたんです」と言うと、先生は、「アートジッケ、、、??? そんなジャンルはありませんっ!!」とヒステリックに否定されました。
どうやら先生は、映画のジャンルに アート・実験系というジャンルがある事を ご存知なかったようでした。
そして先生のお話しを聞いていると、そこの研究所で教えているのは、商業の劇映画だけだという事が判りました。
私は内心、「それならどうして、募集の謳い文句に『全てのジャンルをお教えします』なんてウソを提示するのだろう?!」と 理不尽な気持ちでいっぱいになりました。
けれど、決して安くはない授業料は最初に全額払いだったので、元を取らなければ損!何としても元を取ってやるぞ!と 全く興味のない商業の劇映画のシナリオを書く事にしました。
自分が書きたかったアーティスティックさをゼロにして、ありていの映画のようなシナリオを書いて行ったら、「シナリオというものが解りましたね。 アナタ、是非、城戸賞に応募しなさい!」と強く薦められました。
城戸賞というのは、自分の人生経験を元に起こした商業の劇映画の プロの脚本家の登竜門の賞なのです。
私は、「プロフィールに、『アマチュアの趣味として学びたいです』と書いたのになぁ」と ここでも理不尽な気持ちになりました。
けれどーーー
私はそのシナリオ研究所で学んだ9ヶ月間は、決してムダだったとは思っていません。
それまでどういう観方をすれば良いのかかいもく解らなかった商業の劇映画の観方というものが解ったからです。
具体的に例を挙げるとーーー
私はそれまで「親が死んで悲しんでいる」という展開に、何故、何の説明もなく「親が死ぬと悲しい」という感情が出てくるのかが謎でした。
親が死んで悲しい人もいれば、嬉しい人もいるじゃないか、それは個人個人違うじゃないか、どうしてそこを説明する件りがないのだろう?ーーーと。
それが、先生のシナリオ作法の教え、つまり商業の劇映画では、世の中の多数派の人達の立ち位置に立って、世の中の多数派の人が疑問に思わない事は説明しなくて良く、世の中の少数派の人の感情や行動には説明が必要 という事でした。
私は、「あっ!そういう理屈なのか! 商業の劇映画というのは、多数派大前提で書くもの・書かれているものなのか!」と大きく気づかされました。
それからは、自分で 大衆ウケするシナリオを書く事もスラスラとできるようになりましたし、自分が観客として映画を観る時にも、「あぁ、これは多数派の人の話しだから、私にはその感情は理解はできないけれど、そういうものなのだ」と 理論的に理解ができるようになりました。
又、私が最初に書いて行ったアート・実験系のシナリオが何故、映像が凝り過ぎているためにダメだと言われたかというと、商業の劇映画のシナリオ(先生の仰るにはシナリオというもの)は、日本の端っこに住んでいる漁村のおじいさんが観ても解るように書かなければならないのがお約束 なのだという事も知りました。
よって 以来、私は商業の劇映画を観ても、その中に面白さや魅力を見い出せ 楽しめるようになり、観たい映画作品の数、前のめりに観られた映画作品の数がどっと増え、私の中で、映画の造詣の幅が、ぐぐっと広がりました。
演技のワークショップの審査に通りました!! [映画・演劇雑記]
私・ぼんぼち、先日 応募していた某演技のワークショップ(一回完結のレッスン)の審査に通りました!!
合否結果待ちの間は、夜も眠れないくらいにドキドキで、こんなに緊張したのは、中学受験の合否待ち以来で(私は受験は、中学受験しかしていないので)審査が通った通知を見た瞬間、思わず「やったーーー!!!」と 両手を天に向けてバンザイしてしまいました。
今回のワークショップで教えてくださる講師は、某劇団の団員を経て、その劇団の幹部になられ、舞台や声のお仕事で活躍されている プロ中のプロのかたです。
私はあくまでアマチュアというスタンスではありますが、これまでに、演技の研究所に3年半、朗読の研究所に3年半 在籍していた経験があります。
私の強固な意思として、アマチュアの域を出るつもりは毛頭無いけれど、自己満足サークルの様な場ではなく、プロ中のプロの先生に、正しいメソッドを厳しく指導していただきたい、という気持ちがあります。
今回のワークショップは、私の理想とするキャリアの講師で、又、応募書類記入項目に、プロダクションに所属している人はプロダクション名も書き込む欄があったりと、プロの人達に混じってのレッスンとなります。
この点も、私の望んでいた事です。
私はここ何年か、何処か本格的な演技のワークショップで勉強したい勉強したいと熱望しながらも、私の望むスタンスのワークショップが見つからずに、演技をする事に対して 非常に飢えた状態でした。
今は、砂漠を彷徨った末に湖を前にしたラクダさながらの気持ちです。
今回のワークショップ、テキストは、演劇に興味の無い人でもご存知の「ロミオとジュリエット」です。
私はこれまで、シェイクスピアを勉強する機会が無かったので、シェイクスピアに関して詳らかな知識も無ければ、「ロミオとジュリエット」を黙読した事すらありません。
ですから、前もって、そこを勉強しておかねば!と思っています。
ワークショップ当日が2月28日で、その4、5日前に テキストとなる「ロミオとジュリエット」の部分戯曲が送られてきます。
予習出来る日にちは、僅か4、5日ですから、その間、1日6時間は自主練しておこうと思います。
さあ! これから28日まで忙しくなります!
コーヒーを飲みに行ったり、カラオケに行ったり、外飲みをする時間などありません。
先ずは、ブログ記事の予約投稿を、今月末までまとめてやっておいて、(普段はたいてい3、4記事くらいの予約投稿で更新しています)神保町の古本屋で、シェイクスピアについて書かれた本と、「ロミオとジュリエット」が収録されている1冊を買い、熟読し、そしてテキストが送られてきたら予習に邁進するーーーと。
なお、ブログのコメント返しや、みなさんへのブログ訪問は、独学や予習の休憩時間や、夜 家飲みしながらと、合間を見つけられるので、これまで通りに出来ると思います。
今、私の身体の全細胞が、熱く燃えています!!
私って、ほんとに骨の髄から、演技が好きなんだなあ。
義務教育の科目に「演技」を! [映画・演劇雑記]
私は、三十代後半から四十代前半にかけて、某演劇研究所で演技のレッスンを受けていました。
現代の演技のレッスンというものを受けて、強く思った事があります。
それはーーー
「演技」を義務教育の科目の一つに入れるべきだ。
です。
何故そう思ったかというとーーー
現代の演技の基礎レッスンというのは、発声練習をしたり 台詞を読んだり 柔軟体操をしたり という以前の段階で、人間として生きるに必要な 基本的な事を培う事をやるからです。
具体的な例を挙げるとーーー
一人づつ、他のレッスン生の前に立って、他のレッスン生は、前に立っているレッスン生を取り囲んでじーーーっと見る。
立っているレッスン生は、目を伏せたり 腰が引けたりせずに、堂々と前を向いたまま立っていられるか、を試す。
二人が椅子に座って他愛もない話しをして、後、他のレッスン生に、「この人は、どういう人格・性格に感じられましたか?」「こちらの人は?、、、」と問い、自分が他者からどう見えているか、を知る。
二人で向き合い、先ず、三十センチ離れて呼びかけ合う、次に一メートル離れて呼びかけ合う、その次にはニメートル、その又次には、レッスン室の端と端から呼びかけ合い、距離に相応しい声が出ているか、を確認する。
ーーーなどです。
よく買い物をしていると、会計時に、不機嫌顔で目を伏せたまま、聞き取れない小声でボソボソと、客に伝えなければならない事を発する店員がいます。
接客の基本は、笑顔でお客様の目を見て、お客様に伝わる声の大きさと滑舌で言わなければなりません。
又、客側の立場として、酷く店員さんに失礼な態度を取る人がいます。
以前 友達になりかけていた人は、私には優しい言葉使いと態度なのに、中華料理屋さんでビールを追加注文した時に、私に顔と身体を向けたまま、ビール瓶を持った片手を背中のほうに伸ばして、「ビールーっ!!!」と、怒鳴りつける様な口調で注文していました。
私はその態度が余りにも礼儀に欠けるものだったので、結局、その人と友達になるのを止めてしまいました。
こういった言動は、小中学生の時点で、前述の、コミニュケーション能力を培う学びをしていれば、起こす人は殆どいなくなると思われます。
コミニュケーション能力を培うレッスンが了ったら、「誰か別の人物になってみる」レッスンに入ります。
他者を疑似体験するという事は、他者の感情を理解する事です。
つまり、それには先ず、他者の、目の色や動きや 口調や 身体の動きや 呼吸で、他者が今、どういう感情になっているか、を読み取れなくてはなりません。
人の中には、他者の感情が、ハッキリキッパリ言葉で伝えないと、何一つとして察する事が出来ない人がいます。
相手が大激怒して初めて、「えっ?、、、怒ってたの?」と驚いたり、大号泣して初めて、「そんなに辛かったなんて、ちっとも解らなかった、、、」と ポカンと言ったり。(私の一度目のダンナが、まさにそういう人でした)
これも、他者の感情を読む訓練をやっておけば、こんな大人は出来上がらずに済む訳です。
これらの理由から、「演技のレッスン」は、人間としての基本中の基本の、人間として生きるに必要不可欠の、大切な学びだと思わずにおれないのです。
文部省さん、義務教育の科目に「演技」を、どうか導入して下さい!!
映画・演劇を勉強していた頃 [映画・演劇雑記]
私は38才で一度目のダンナと離婚をし、42才で二度目のダンナと結婚したのですが、その間の4年間は、ごっそりと自分に自由な時間が出来たので、中学一年の時からしたくてしたくてたまらなかった 映画と演劇についての専門的な勉強を、むさぼるようにしていました。
それらの分野を学びたかった理由というのはーーー
先ず、私は、大人になったら舞台衣裳を作る仕事をするのが幼い頃からの夢で、その夢は中1で演劇のスタイリストに絞られ、結果的には家庭の事情で叶わなかったものの、予備知識として、演劇全般に関する知識を得たかった、という欲求を強く持ち続けていた事。
第二に、中1から高1まで演劇部に所属しており、その演劇部は、コーチを呼ばずに先輩が後輩を指導する、という形を取っていたのですが、どうも 先輩達の教えは間違いだらけなんじゃないか?と、その疑問を解明したかった事。
そして第三には、私自身が、映画・演劇を観客という立場で鑑賞する時に、専門的な知識を動員して、より深く詳らかに 楽しみ 理解し 分析したかったからです。
先ず理論では、日本近現代演劇史 劇作家の代表作や思想・生涯の探究 演出論 演技論 舞踏の何たるか、映像理論 世界実験映画史 舞台メイク法 を、それぞれの研究所に通って、必死に 資料映像を観たり 講師の話しにうなづいたりしながら、ノートを取りました。
実践では、演技とシナリオ作法を学びました。(朗読も学びましたが、これは二度目のダンナが自由にさせてくれる人だったので、二度目の結婚期間中に通っていました。)
シナリオ作法は、某その分野の最大手の研究所の通信のコースで学んだので、その間の、確か9ヶ月は、週6で、一日12時間、近所の喫茶室ルノアールにこもって、その時々の課題のシナリオ作りに、鉛筆を何度も削りながら 原稿用紙に向かっていました。
演技の実践は、本格的には舞台に立たないスタンスで、プロ中のプロの講師にみっちりと基礎からお習いさせていただける研究所というのが意外となくて、探しに探し、最初は詐欺めいた素人講師に引っ掛かってしまったりしたのですが、後、大ヒット映画の端役も務めた経験がおありの 信用の出来る先生の主宰する研究所に落ち着く事が出来ました。
本格的に舞台に立たないとなると週一のコースだったので そこを選びましたが、毎日3時間自主練してきたりと、私があまりに熱心に学ぶので、「本科(本格的に舞台に立ってプロの役者を目指すコース)に変更しなさいよ」と何度も推されましたが、私はあくまで、演技というものの「構造」を知りたく、それには、机上の空論では骨の髄からは理解不可能なので、身を以て解りたい、という理由で、みぢんも演者を目指す気持ちはなかったので、お断りし続けました。
あの研究所であの先生にお習いした事は「これが本当の演技というものだ」と納得出来、後に 自分が映画や演劇を鑑賞する時にも、役者の力量や演技の方向性が手に取るように解って、おおいに役立っています。
また一方、ある程度 それらの勉強が身についてからは、某街に在った「映画・演劇関係者が集まるバー」(決して、映画・演劇ファンの集うバーではなく)によく飲みに行き、マスターをはじめ 商業映画のスタッフさんや プロの女優を目指している無名のモデルさんや 某映画でそうそうたるデビューを果たしたものの、現在は鳴かず飛ばずの俳優さん達と、口角泡飛ばしつつ、映像理論や演劇論を交わした事も楽しい思い出であり、かつ現場の空気を伝えてもらえて、これも私にとっては、かけがえのない学びとなりました。
関係者ばかりが集まる店ですから、話しをする時は専門用語(いわゆる業界用語とは違います)を使います。 例えば、監督名は、苗字+サン付け 助監督は、ジョカン もったりと無駄に長い脚本は、「水っぽいホン」といったように。
それらをものすごい勢いとテムポでやり取りし合う訳ですから、たまに興味本位で、単なる「映画ファン 演劇ファン」がカウンターに座ると、我々が何をしゃべっているのかまるきし解らないらしく、「ポカン、、、」とするのがお決まりでした。
マスターもいちいち解説などしてくれずに、話しのちょっとした切れ目に一言、「どちらからいらしたんですか?」と顔を向けるのが、唯一のお愛想でした。
この4年間は、私はこうやって、殆どの日々を費やしていました。
非常に濃密で 非常に重みのある、心底 この生き方をして正解だった4年間でした。
長年夢だった勉強を、思い切り学べるという事は、こんなにも幸せなのか!!と、自分で自分に驚いたりもしました。
それから、その4年間では学びきれなかった朗読の勉強を許してくれた 二度目のダンナにも感謝しています。
毎晩、3時間もぶつぶつ自主練をしているのが耳に入るのは、うっとうしかったでしょうに、、、
「バミる」とは [映画・演劇雑記]
今日は、演劇用語の中の「バミる」という言葉について、解説したいと思います。
バミるとはーーー
役者の立ち位置や小道具の置き位置を解りやすくするために、舞台にカラーテープや発光テープを貼って目印にする事を言います。
舞台を観に行って、ひな壇式の客席の後ろの方や 二階席に座ると、舞台を上から見下ろす形になり、舞台上に小さな四角やT字型がテンテンと 何ヶ所も貼られているのに気づかれた事のある方は多いかとお察しします。
そのテンテンが「バミり」なのです。
決して、舞台の割れ目を補修しているのではありません。
使用例としてはーーー
「Aさんは二場でここに板付きにしたから、ここ、バミっておけ」
「装置が入ったら、次はバミるの 忘れないように」
「あぁ〜、テープが古くてくっついちゃっててバミれませーん!」
等です。
尚、「バミる」の語源は、「場を見る」から来ている との説が有力ですが、明確ではないようです。
みなさんも、これから舞台を見下ろせる席にあたって、バミってあるのを見つけたら、劇中のどこかで必ずその位置に、役者が立つか座るか 小道具が置かれるかするので、それはいつなのかを楽しみにしながら観劇するのも、また一興かと思います。
バミるとはーーー
役者の立ち位置や小道具の置き位置を解りやすくするために、舞台にカラーテープや発光テープを貼って目印にする事を言います。
舞台を観に行って、ひな壇式の客席の後ろの方や 二階席に座ると、舞台を上から見下ろす形になり、舞台上に小さな四角やT字型がテンテンと 何ヶ所も貼られているのに気づかれた事のある方は多いかとお察しします。
そのテンテンが「バミり」なのです。
決して、舞台の割れ目を補修しているのではありません。
使用例としてはーーー
「Aさんは二場でここに板付きにしたから、ここ、バミっておけ」
「装置が入ったら、次はバミるの 忘れないように」
「あぁ〜、テープが古くてくっついちゃっててバミれませーん!」
等です。
尚、「バミる」の語源は、「場を見る」から来ている との説が有力ですが、明確ではないようです。
みなさんも、これから舞台を見下ろせる席にあたって、バミってあるのを見つけたら、劇中のどこかで必ずその位置に、役者が立つか座るか 小道具が置かれるかするので、それはいつなのかを楽しみにしながら観劇するのも、また一興かと思います。
アップリンク渋谷が2021年5月20日で閉館 [映画・演劇雑記]
関東圏在住の映画ファンなら「知らなければモグリ!」と言い切れる 他館ではめったに上映されない クオリティの高い珠玉の映画作品を次々と上映していた 渋谷の映画館「アップリンク渋谷」が、2021年5月20日で以て閉館してしまう事を、映画好きの親友伝で知った。
やはりコロナ禍に因するものだという。
私がアップリンク渋谷で、感動のカウンターパンチをくらい クラクラと昂揚しながら劇場を後にした数は 知れない。
アップリンク渋谷、最初は、同渋谷の街の中でも、公園通りとファイアーストリートの間の坂の途中に、「アップリンクファクトリー」という劇場名で在った。
「ここが映画館?」と目を丸くせずにはおれないほどの、ほんとうに小ぢんまりとした空間で、特に面白味を感じたのは、座席がてんでバラバラの意匠の ソファや椅子が寄せ集められ 並べられているところだった。
まるで友人宅の屋根裏部屋で、近隣の人にすら気づかれずに 自主上映会を開催する様な、そんな ミニマムで温もりを感ずる空間だった。
私はアップリンクファクトリー時代には、スタン・ブラッケージの一連の作品を観た事が、記憶に強い。
中でも「思い出のシリウス」は、死んでしまった愛犬シリウスに対する 哀しくてやりきれない情感が、さながら キャメラが身体の一部、つまり「目」そのものになったが如きストレートさで伝わってきた。
後に奥渋ーーー東急デパート渋谷本店を代々木方面の小路に入った イマドキのミーハーな渋谷とは別世界の 静かな大人の通りへと移館し、そこでも私は、数々の感動や発見や映像理論の何たるかの再認識をさせていただいた。
殊 歓喜せずにはおれなかったのは、私が日本で最も尊敬する映像作家・松本俊夫先生の短編実験作品が、何日間にも渡って 全て上映された事である。
既にDVDにて所有している作品が多かったが、近年の より抽象的理論的になった作品には、改めて 松本先生の偉大さを痛感した。
海外で一番好きなアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエルの諸作品が映られたのも、忘れられない。
これも自宅でDVDで勘定不可能なほど再観している作品が殆どだったものの、やはり スクリーンで観る オブジェクト クレイ ピクシレーション等の様々な技法のアニメーションには、息を飲まずにおれなかった。
他には、ロシアの大傑作暗喩映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」や、やはりロシアが製作した カフカ原作の「変身」も、完璧な完成度で、芸術先進国ロシアの 理論・技術・エネルギーを目の当たりにできた。
それから、奥渋に移館し スクリーン数が増えても変わらなかったのが、座席のセンスだった。
スクリーンによっては、アップリンクファクトリー時代そのままに、ソファや椅子の寄せ集めだったり、別のスクリーンでは、座席がずらりとディレクターズチェアだった。
つまり、観客全員が、監督気分で鑑賞ーーーなのである。
「そこ違う!」と思ったら、思わず「カーーーット!!テイク2!」と叫びそうになってしまいそうであった。
そんな貴重な文化を飽和した映画館が、一つ消えてしまうとは、ここでも「コロナ憎し!」と恨まずにおれない。
尚、近年出来た 同経営者によるアップリンク吉祥寺とアップリンク京都は、これからも存続してゆくそうなので、今後は それら二館に、この独自の文化を継承していただきたいものである。
やはりコロナ禍に因するものだという。
私がアップリンク渋谷で、感動のカウンターパンチをくらい クラクラと昂揚しながら劇場を後にした数は 知れない。
アップリンク渋谷、最初は、同渋谷の街の中でも、公園通りとファイアーストリートの間の坂の途中に、「アップリンクファクトリー」という劇場名で在った。
「ここが映画館?」と目を丸くせずにはおれないほどの、ほんとうに小ぢんまりとした空間で、特に面白味を感じたのは、座席がてんでバラバラの意匠の ソファや椅子が寄せ集められ 並べられているところだった。
まるで友人宅の屋根裏部屋で、近隣の人にすら気づかれずに 自主上映会を開催する様な、そんな ミニマムで温もりを感ずる空間だった。
私はアップリンクファクトリー時代には、スタン・ブラッケージの一連の作品を観た事が、記憶に強い。
中でも「思い出のシリウス」は、死んでしまった愛犬シリウスに対する 哀しくてやりきれない情感が、さながら キャメラが身体の一部、つまり「目」そのものになったが如きストレートさで伝わってきた。
後に奥渋ーーー東急デパート渋谷本店を代々木方面の小路に入った イマドキのミーハーな渋谷とは別世界の 静かな大人の通りへと移館し、そこでも私は、数々の感動や発見や映像理論の何たるかの再認識をさせていただいた。
殊 歓喜せずにはおれなかったのは、私が日本で最も尊敬する映像作家・松本俊夫先生の短編実験作品が、何日間にも渡って 全て上映された事である。
既にDVDにて所有している作品が多かったが、近年の より抽象的理論的になった作品には、改めて 松本先生の偉大さを痛感した。
海外で一番好きなアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエルの諸作品が映られたのも、忘れられない。
これも自宅でDVDで勘定不可能なほど再観している作品が殆どだったものの、やはり スクリーンで観る オブジェクト クレイ ピクシレーション等の様々な技法のアニメーションには、息を飲まずにおれなかった。
他には、ロシアの大傑作暗喩映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」や、やはりロシアが製作した カフカ原作の「変身」も、完璧な完成度で、芸術先進国ロシアの 理論・技術・エネルギーを目の当たりにできた。
それから、奥渋に移館し スクリーン数が増えても変わらなかったのが、座席のセンスだった。
スクリーンによっては、アップリンクファクトリー時代そのままに、ソファや椅子の寄せ集めだったり、別のスクリーンでは、座席がずらりとディレクターズチェアだった。
つまり、観客全員が、監督気分で鑑賞ーーーなのである。
「そこ違う!」と思ったら、思わず「カーーーット!!テイク2!」と叫びそうになってしまいそうであった。
そんな貴重な文化を飽和した映画館が、一つ消えてしまうとは、ここでも「コロナ憎し!」と恨まずにおれない。
尚、近年出来た 同経営者によるアップリンク吉祥寺とアップリンク京都は、これからも存続してゆくそうなので、今後は それら二館に、この独自の文化を継承していただきたいものである。
「板付き(いたつき)」とは [映画・演劇雑記]
今日は、演劇用語の中の「板付き(いたつき)」という言葉について解説させていただこうと思います。
「板付き」とは、幕が開いたり場が始まった時に、既に舞台の上に役者がいることを言います。
例えばーーー
第三場
タロウ、木にもたれて腕組みをして天を仰いでいる。
ジロウ、上手より小走りに登場。
ジロウ「ああ、ごめんごめん、待たせちゃったね」
この場合、タロウが板付きです。
板(舞台)に、最初から付いている(居る)から、そう呼ばれます。
勿論、その作品全般に於いてタロウが「板付き」なのではなく、あくまで、上記の例では第三場でだけです。
もしかしたら、他の場でもタロウが板付きの設定があるかも知れませんし、他の場ではジロウが板付きかも知れません。
又、誰も板付きではなく、装置だけがある所に次々と役者が登場してくる事もあります。
この様な演劇用語を知っておくと、観劇の愉しみが若干上がるかも知れませんね。
「あっ!私の好きな役者さん、この場では板付きなんだ。、、、ってことは、暗転の間にずっとスタンバってたのね!」などと。
「板付き」とは、幕が開いたり場が始まった時に、既に舞台の上に役者がいることを言います。
例えばーーー
第三場
タロウ、木にもたれて腕組みをして天を仰いでいる。
ジロウ、上手より小走りに登場。
ジロウ「ああ、ごめんごめん、待たせちゃったね」
この場合、タロウが板付きです。
板(舞台)に、最初から付いている(居る)から、そう呼ばれます。
勿論、その作品全般に於いてタロウが「板付き」なのではなく、あくまで、上記の例では第三場でだけです。
もしかしたら、他の場でもタロウが板付きの設定があるかも知れませんし、他の場ではジロウが板付きかも知れません。
又、誰も板付きではなく、装置だけがある所に次々と役者が登場してくる事もあります。
この様な演劇用語を知っておくと、観劇の愉しみが若干上がるかも知れませんね。
「あっ!私の好きな役者さん、この場では板付きなんだ。、、、ってことは、暗転の間にずっとスタンバってたのね!」などと。