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老健(介護老人保健施設)「E」の施設内の様子 [リポート]

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私の親友Tさん(60才 男性)は、過去記事「Tさんの脳梗塞発病記」にも記したように、今年の春分の日に 脳梗塞を発症し、中野区江古田のSという病院に入院した。
Tさんは、記憶力や思考力には何の支障も生じなかったが、右半身麻痺となってしまった。

S病院でこれまでリハビリを続けてきたがあまり回復せず、しかしS病院には病院側の決まりとして半年間しか居られないとのことで、S病院の関連施設で かつ地理的にも近い Eという老健(介護老人保健施設)に入所することとなった。
Eは、「在宅介護が困難な65才以上の人」と「40才以上65才未満で特定疾病を患っている人」に入所資格があり、Tさんは後者に当てはまるので、Eに三ヶ月間入所しリハビリを重ねた後に帰宅という運びとなったのだった。
なお、特養(特別養護老人ホーム)と老健はどう違うのかを極めて簡単に説明すると、前者は終の棲家となる施設で、この老健は、利用者各々に合った期間の入所で回復をさせ 最終的には自宅復帰を目指す場所なのだそうだ。

入所したてのTさんから「ここ(E)は、Sのディルームとは様子がぜんぜん違うから 覚悟して来てね。」とメールがあった。

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それから約一週間後、私はEへ Tさんの面会に訪れた。

先ずTさんの部屋へ行き 頼まれていた秋冬物の部屋着と映画のDVD数本を渡し、車椅子のTさんと共に 縦横にテーブルの並ぶ 広々とした共同スペースへと移動した。
一見 S病院のディルームと何ら変わりない 広さ・テーブル・椅子の配置だった。

がーーー
Sのディルームでの面会時と同じように Tさんと 最近観た映画や行きつけのカフェの繁盛ぶりや他の友人の話しを始めた私の耳に入ってきたのはーーー
「クスリ まだぁ〜? クスリ まだぁ〜? クスリ まだぁ〜?」
おじいさんのすっとんきょうな声だった。
「お薬はね、お夕飯が終わった後でしょ」
優しく諭す 職員さんの声が聞こえてきた。
けれど間髪おかず、「クスリ まだぁ〜? クスリ まだぁ〜?、、、」は、同じすっとんきょうさで続いていた。
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共同スペースをじっくりと見渡すとーーー
あちこちにお年寄りが座っていたが、会話をしている人はおらず、おおかたの人が何も考えていない風に ただただ空間をポカンと眺めていた。

共同スペースの出入り口脇にはL字型の受付があり、カウンター内で職員さんがニ、三人、パソコンに向かったり書類の整理をしたりしていた。
職員さんは、カウンター内にいる人も共同スペースで仕事をしている人も、殆どが30代くらいの男性だった。
そのカウンターに直角に付く形で 車椅子のおばあさんが三人、まっすぐに顔を向けていた。
そのうち二人は後ろ頭しか見えなかったので どんな表情をしているのか判らなかったが、一人は私の位置からお顔が見えた。細面の目の大きなおばあさんだった。
そのおばあさんは般若の如き形相で「ぐわぁぁぁ〜〜〜! ぐわぁぁぁ〜〜〜! ぐわぁぁぁ〜〜〜!、、、」と叫んでいた。
カウンターに向いたおばあさん達とカウンター内の職員さん達の物理的距離は、ちょうどバーカウンターの止まり木に掛けた客とバーテンダーくらいの近さだったが、精神的距離は、一億光年くらい離れているように感じられた。

私とTさんの隣りのテーブルの 顔も身体も丸っこいおばあさんは、職員さんの一人に、「今日はどうしちゃったのー? お顔が険しいよ。笑おう!」と 人差し指で眉間をなでなでされていた。
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車椅子で片足だけを使って共同スペース内をぐるぐる廻っている 60代くらいの男性がいた。
男性は廻りながら「あ、初めて見る顔だ」といった感で私を見上げ、再び車椅子を動かしていった。
この男性は、Tさんと同じ理由での入所だと察することができた。
ぐるぐる廻っているのは、車椅子に馴れるためのリハビリだと思われた。

Tさんとのひとしきりの近況話しが終わった時、Tさんは「この間、敬老会ってのがあってね」、急に声をひそめた。
「『ふるさと』って歌あるでしょ、あれをみんなで歌ったんだけどね。 僕の正面に座った○○さんっていう90代のおじいさんは『ふるさとはいい歌ですねぇ』って、さかんに感動を伝えてくれてね、穏やかに世間話もいっぱいしてね、『ではまた明日』って、部屋に帰って行ったんだよ。 で、次の日、僕が○○さんに挨拶したら知らんぷりされてね。 『ふるさと』を歌ったことも僕と話しをしたことも、僕という存在じたいも忘れてるんだよ」と言った。
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私は、共同スペースと扉で隔てられている廊下にある 職員さんや面会者用のトイレに立った。
トイレの横のテーブルでは、入所者の家族らしき二人の中年男女と職員さんの一人が、とても深刻そうな張り詰めた空気感で 前のめりに話し合いを行っていた。

私がトイレから戻ると、Tさんの背後に小柄なおばあさんが立っていて、職員さん三人に「今日は帰らないよ。帰るのは明日だよ。 明日になったらご家族の人が迎えに来てくれるからね」と 囲まれていた。
Tさんは再び声をひそめ「本人の意志とは関係なく入れられてる人が大半だからね。帰りたがる人が多いんだよ」と耳打ちした。

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「ぐわぁぁぁ〜〜〜!」と叫んでいたおばあさんは、皆より食事の時間が早いらしく、ずっと車椅子を付けていた受付カウンターで、職員さんに スプーンで以て アーンと食べさせてもらっていたが、一口口に入れてもらう度に「ぐわぁぁぁ〜〜〜!」と やはり般若の如き形相で叫んでいた。
職員さんは、淡々とスプーンを運んでいた。

丸っこいおばあさんが「トイレー!」と 幼児が発するのと同じように 天に向かって声を飛ばした。
すぐに職員さんの一人(なでなでしていた人とは別の人)がやって来て、手を引いて 入所者用のトイレに向かった。
さながら、元気のない幼児が親に手を引かれているようだった。
そして、30代男性職員さんと二人で 当たり前の様子で個室トイレに入って行った。

Tさんと二時間半ほどしゃべり、Tさんも夕飯の時間が近くなったので おいとますることにした。

受付で「ありがとうございました」と礼を言い、扉を開け エレベーターに向かった。
すると 職員さんの一人が足早に追いかけてきて「今日は来てくださってありがとうございました!」と会釈をし、エレベーターの下りボタンを押してくださった。
「また来ます!来週来ます!!毎週来ます!!!」と笑顔を向けると、彼は「ありがとうございます!!」と もう一礼してくださった。

エレベーターの扉が開き、私はEを後にした。

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ーーー衝撃だった。
人間というのは、ここまで深く老いてしまうものなのか!!!ーーーと。

私は、テレビのドキュメンタリー番組やネットの文面や人様の話しでは、老健というのは どのような所でどのようなお年寄りがいるのか 大まかな知識はあった。
しかし私は、父方の祖父母とも母方の祖父母とも一緒に暮らしたことはなく、父は、私が18才の時に母と離婚し 囲っていた愛人さんの一人を本妻にし 今は「よその人」であり、母は、私が27才の時に 52才の若さで突然の病いで死んだので、「深く老いた人」と全くリアルには接点がないままに生きてきたのだ。

映像や文面や話しで情報を得るのと 自分がその空間の中に入って現実に目の当たりにするのとでは、認識の度合いが段違いに違うことを痛感した。

このような 深く老いたお年寄りを持つ家庭の大変さというものに、恥ずかしながら 初めて気づかされた。
同時に 深く老いたお年寄りの介護・看護をする職員さんたちのお仕事も、これまで以上に尊敬せずにはおれなかった。

私はこれからも、深く老いたお年寄りを身内に持つことは ない。
あるとすれば、それは、長生きした場合の自分自身だけだ。
自分自身の今後の人生設計は、自分なりに すでに明確に出来上がっている。

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Tさんの脳梗塞発病記 [リポート]

私にはTさんという友人がいる。
彼は、私より少し年長の60才。 糖尿病の持病を持っている。
Tさんとは5年ほど前に 某所で開かれた徘句のイベントで知り合い、共に 過去に映画の勉強をしていたという共通点があることが判り、意気投合し、今では一番の親友と言えるほどにひんぱんに逢っては 映画談議に花を咲かせている。

先日の春分の日----
いつものように、高円寺の駅から10分ほど歩いた所に在る 昔ながらの喫茶店Bで待ち合わせ、ひとしきり話した後、駅近くのカフェYで飲もう(といってもTさんはソフトドリンクだが)と約束した。
待ち合わせの時間は3時だったが、2時半くらいにTさんから、「高円寺駅ホームのベンチに座ってます」とのメールが来た。
私は家を早めに出ており 2時半少し過ぎに高円寺駅に着いたので、ベンチを探し Tさんを見つけた。
Tさんは胸に手を当て苦しそうに、「先、Bに行って待ってて。後から行くから。 低血糖か脳梗塞のどっちかかも知れない」と つぶやいた。
「えっ!?脳梗塞かも知れないんですか? 大丈夫ですか?」と驚くと、「いや、まだどっちか判らないから、先 行って待ってて」と 掌を向けた。
私は、Tさんにうながされるままに Bに向かった。

Tさんは、数日前に一緒に出掛けた時にも低血糖を起こし、近くのカフェでココアを飲んだらみるみる回復し、夜には蕎麦屋で、たらふく 蕗の薹の天ぷらやキンピラやポテトサラダやきしめんを食べられていたので、今日もBに来て甘い物を摂れば良くなるかな・・・・と思った。
しかし、「脳梗塞かも・・・・・」という言葉には引っかかった。 そうでなければ良いのだが・・・・・・と。

Bでコーヒーを飲み終えた頃、Tさんからメールが来た。
「Bまでは歩けません。 Yに直接行ってます」
カフェYは、高円寺駅から 徒歩2分の場所に在る。

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私はBを出、Yへと足早に歩いた。
Yに着くと、Tさんは椅子に直角に座っていた。 テーブルのコーヒーは飲み干されていた。
「大丈夫ですか?!」
「ちょっと・・・・様子をみてみる」
Tさんの口はロレツがまわっていなかった。
Tさんは、コーヒー用の砂糖の塊を一つ口に含んだ。 低血糖だったら これで良くなるだろうと考えているようだった。
「大丈夫ですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・右足が・・・・・・・・右足が動かない・・・・・」
ますますロレツのまわらない口調で発した。
「えっ!? 救急車 呼んだほうがいいですよ!」
これは脳梗塞だろうと思った。
「いや・・・・・もうちょっと、様子をみてみる・・・・・・・良くなるかも知れないから・・・・・・・」
「救急車、呼びましょうよ!」
「店に迷惑がかかるから・・・・・」
「だって、足が動かなかったら帰れないでしょ!」
「店に迷惑がかからないように 静かに・・・・・」
「救急車なんだから、ピーポピーポって来ますよ」
Tさんは、ますますロレツがまわらなくなってきていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・あ、右手も動かなくなってきた・・・・・・・」
私は、脳梗塞に間違いないと判断し、救急車を呼ぶことにした。
「Tさんっ!救急車 呼びますよっ!・・・・・Hさん(カフェYのマスターの名) 救急車 呼んでいただけますか?! Tさんが脳梗塞みたいなんです」
カウンターの中のマスターに声を飛ばすと、マスターは嫌な顔一つせず 瞬時に119をしてくれた。

Tさんは私に、かかりつけの病院の診察券を 動くほうの左手で渡してくれた。
5分も経たないうちに ピーポピーポの音が近づいてきた。
途中、店の場所を確認するらしい折り返しの電話があり、ピーポの音が大きくなってきた。
Yはビルの一階に在り、マスターと私は「ここです!」と判るように 並んで店から一歩出て片手をあげ、救急車の到着を待った。
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救急車が店の入り口前に停められるや、救急隊員のかたがたが店の中に入ってきた。 車の付いた担架も、すっと入ってきた。
「こちらです」 
私は片手掌でTさんを示し、もう片手でTさんの診察券を隊員さんの一人に手渡した。
「ご関係は?」
その隊員さんが私に向いた。
「友人です」
間髪置かずに答えた。
そして、「ロレツがまわらなくなって、それから左足が・・・・じゃなくて右足が・・・・」
状態を説明しようとしたが、焦ってしどろもどろになってしまっていると、隊員さんは、「ご本人に聞きますので」と、先ずTさんを担架に乗せた。
「私も一緒に乗るんでしょうか?」
「はい、お願いします」
私はYのマスターにお礼を言い、Tさんのリュックを抱え救急車に乗り込んだ。

Tさんはすでに左人差し指に血圧計を挟まれ、担架に固定されていた。
上方の血圧表示の横にある無機質な黒文字の時計が、ちょうど5時を指していた。
隊員さんの一人がTさんに、「舌がまわりづらくなってきた自覚症状を感じ始めたのは いつくらいからですか?」と質問すると、Tさんは、「昨日の夜から」。
私は心の中で、「えっ!? そんなに早くから!!」と驚愕すると同時に、高円寺駅のホームの段階で Tさんの意思に反して駅員さんを通して救急車を呼べばよかった・・・・と強く悔やんだ。
隊員さんはTさんに、「今日は何月何日ですか?」「生年月日は?」「既往症は?」「昨夜から今までの身体の状態は?」と尋ね、Tさんは、ロレツこそまわっていなかったが、間なく考えこむことなく答えていた。
その後の「高円寺にはお仕事で来られたんですか?」の質問には、「いいえ」と言った後に 何故だか「んふふ~」と 口角をあげて笑っていた。
私の横に座った先とは別の隊員さんが、「ご関係は?」と こちらに顔を向けた。
「友人です」
「・・・・・・・・では、ここにお名前を・・・・」と、間柄の欄に隊員さんの手で「友人」と書かれた書類を渡された。
「はいっ!」
「フルネームでお願いします」
「名前だけでいいですか?」
「はい、結構です」

Yの営業の邪魔になってはいけないという理由から 救急車はYから少し離れた道の傍に停められ、前方に座っている隊員さんが電話で、搬送先の病院の交渉にかかった。 「脳卒中・・・・・男性・・・・・・60才・・・・・」
Tさんのかかりつけの病院は高円寺からかなり遠くに在るため、極力 近くで受け入れてくれる病院を探すとのことだった。

「江古田の病院に行きます」
江古田は、高円寺から北東に位置する別沿線の街で、おそらく15分から20分くらいで着くだろうと思った。
「救急車、乗るの初めて?」
Tさんは、私に目を向けた。
「うん、初めて」
「僕、4度目」
血圧計の付いた指で四と掲げ トホホ・・・・と笑った。
私は救急車というものが 想像以上にかなりガタゴト揺れるということを初めて知った。
救急車は北東へ北東へと進んだ。
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約、15分後----
救急車は、大きな病院であるらしき建物の脇に横付けされるや、前方に乗っていた隊員さんがすかさず降り 後方にまわり、後ろの扉を押し上げた。
「お気をつけてお降りください」
私はリュックを抱え 駆け降りた。
Tさんの担架は、救急搬送用らしき扉にスーーッと入れられ、隊員さんの一人が「付き添いのかたはこちらへ」と 正面入り口へと誘導した。
私は小走りで入った。

正面受付で「たった今 搬送されたTの友人です」と申し出ると、書類に Tさんの氏名と電話番号を書くように言われた。
書き終え顔をあげると、誘導してくれた隊員さんが脇で待っており、「付き添いのかたはこちらへ」と、救急患者付き添い者用であるらしいソファに案内された。 病院内は、祝日のためであろう、がらんとしていた。

先の隊員さんが再び来て、「これから検査に入りますのでお待ちください」と仰った。
「おおよそどのくらい時間がかかりますか?」と尋ねると
「解かりません。 お帰りでしたら(Tさんの)お荷物をお預かりします」
「いえ、待ってます」
私はどれほど時間がかかろうとも 待っておらずにはいられなかった。

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2時間ほど経った頃だろうか----
引き継がれたのであろう 今度は看護師さんが、「Tさんの付き添いのかた!」と呼び、看護師さんについて行くと、車の付いているベッドに寝かされているTさんがいた。
Tさんはそれまでの服ではなく、胸から下をガーゼのような布で包まれ点滴をされていた。 顔には血の気がなかった。
私はぜんぜん大丈夫ではないのは判っていたのに、「大丈夫?」という言葉しか出なかった。
Tさんは、「あぁ」といった様子で 私の顔を認めた。

Tさんのベッドはエレベーターを使って、あんのじょう高度治療室に運ばれて行った。
看護師さんのベッドを動かす速度や落ち着きはらった態度から 命に別状はないだろうとは予測したが、頭の片隅で「このままTさんが死んでしまったらどうしよう・・・・」との不安も僅かばかりよぎった。
帰り際に、高度治療室の受付窓口で、ダメ元で「今の病状を教えていただけますか?」と頼んだが、やはり、「申し訳ありません。 お身内のかた以外には何もお教えできません。面会もできません」とのことだった。
廊下に貼られている「院内地図」により、ここがSという病院であると この時知った。

タクシーと電車を乗り継ぎ 高円寺まで戻り、Yにお礼と報告かたがた寄った。
と、Tさんからメールが入った。
「やっぱり、脳梗塞と診断されました」-----と。
Y店内の小洒落た白い時計は、ほぼ8時を指していた。

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 前庭神経炎病状記  [リポート]

ある朝 目を覚ますと・・・・目に見えるもの全てがぐるぐると物凄い速度で回転し 立ちあがれず、するうち吐き気も・・・・
----これは、私・ぼんぼちが、昨年末から今年頭にかけて患った 前庭神経炎(ぜんていしんけいえん)という病気の体験記です。
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12月27日、朝 目が覚めて上半身を起こすと、非常に強い回転性のめまいに襲われ ガクリとふとんに肘をつきました。
すぐにまた仰向けになりましたが、ぐるぐるめまいは変わらず。
---何という気持ちの悪さ!!
と、加えて吐き気が!
家具のあちこちに身体をぶつけながらトイレにころがり 吐きました。
めまいは治まりません。
---三半規管に異常が生じているに違いない! そう直感しました。
---とにかく、自分の身体に何が起きているのか きちんと知ろう!
グラリグラリとパソコンの前まで這って行き、気持ちの悪さの渦に飲み込まれながら キーボードを叩きました。
「めまい 吐き気 原因」 「回転性めまい 吐き気」 「回転性めまい 病気」・・・・

突然の回転性めまいと吐き気を出現させる最も多い原因は、「良性発作性頭位めまい症」と出ました。
しかし、この疾病の症状項目に、「頭をある一定の方向に向けた時に起こり 別の向きに変えるとピタリと治まる」とあったので、私の場合 これではないかも知れない・・・と思いました。
それ以上はとてもパソコン画面に向かっていられなかったので、「また明日 調べよう」と グラグラとベッドに這い行きました。

ずっと身体を横たえていても 回転性めまいは何時間も続きました。
が、夜になると 若干弱まりました。
頭全体がどんよりと重たく 非常に不快な感じで、掌にべったりと汗をかいていました。

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12月28日、朝 目を覚まし上体を起こすと・・・・とたんに再び ぐるぐると回転性めまいに襲われました。
けれど、昨日の朝ほどの強さではありませんでした。
吐き気は全くありませんでした。
不快な頭の重さも、昨日より ほんの少しだけ和らいでいました。
しかし、まだとても 立って歩ける状態ではありませんでした。
グラリとパソコン前に這い、検索をかけると----
---「前庭神経炎」
この病名が、私の前に立ちあがりました。
内耳の中の前庭神経という部分が炎症を起こすために 平衡感覚が保てなくなってしまう病気です。
突発的に一度 強い症状が現れはするものの 日一日と弱まり、安静にしていれば 一週間ほどで日常生活に復帰できる、悲感するような大病ではなく、炎症によって失われた前庭の機能も 周囲の他器官が補ってくれるようになるので、長くとも6カ月位で残存するふらつきも消失する。
また、先行して感冒にかかっている場合が約半数なので、風邪のウィルスによる炎症説が有力である----と。
----私も12月半ばあたりに 風邪を引いていたことを思い出しました。

いくつもいくつも 前庭神経炎にまつわる情報を引っ張り出しました。
前庭神経炎に間違いないだろう と思いました。
前庭神経炎なら このまま時間とともに回復の一途をたどるので安心だ と思いました。
しかし、いくらネットで念入りに確認したからといって、素人の自己判断だけでは、もしも重病が隠れていた時に取り返しのつかないことになったら大変なので、年が明けたら早々に 耳鼻科またはめまい科を受診しようと考えました。
パソコンから離れると、ベッドに倒れ込みました。

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12月29日~1月5日、時折かすかにぶり返しながらも 日に日に明らかに回復してゆきました。
辛い回転性めまいは完全になくなり、フラフラとした不安定感へ。
頭全体の不快感はじょじょに範囲が狭まり、右耳奥の 弱い痛み 違和感へ。
そして、横になっていなければいられなかった時間も少しづつ減り、机周りの片付けをしたり 近所のスーパーにふらつきながらも出向いたりできるまでになりました。

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1月6日、午前中、徒歩12分ほどの所に在る耳鼻咽喉科が本日から診療開始なので 受診に行きました。

大きな眼鏡のような機具を使っての 眼振の検査。
園児のお遊戯にも似た動きを指示されるままに行う 身体を使っての脳の機能の検査。
片足で立ち 目をつむる、平衡感覚の検査。
問診による消去法 等々・・・。
---により、私はやはり、前庭神経炎であると判明しました。
そして 自覚通り、おおかた既に治りかけている とのことでした。
原因は、風邪か心身のストレスでしょう と言われました。
---風邪が治ったと思われた24日25日に昼夜出歩き ぐったり疲れてしまっていたことを思い出しました。

自転車・車の運転 飲酒は、完全にふらつきが消えるまで控えるように言われました。
検査の中でも行った、指先を上下左右斜めに動かし それを目で追うことや、仰向けになり 首をグッと右に左にと動かすことがリハビリになり ふらつきが早く取れるようになるので やると良いですよ、とアドバイスいただきました。
また、症状が似ているので、この病気を 良性発作性頭位めまい症と誤診する医者もいるそうです。

自身でほぼ確実に 前庭神経炎であると認識できていたとはいうものの やはり専門家の明確な診断をいただけて一安心しました。

松飾りで化粧をした家家の並ぶ路をかすかにフラフラとしつつ 晴れやかな気持ちで ちょっと遠回りして家路につきました。 
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※追記・その後の病状
まっすぐ歩けていないと自覚するほどのふらつきは、この後 幾日もしないうちに消えました。
そして、右耳奥の違和感も 2月半ばには完全になくなりました。
ふらつきにかわって、時折 ほんの微かに頭の中がクワンとする感じがありましたが、これも、2月下旬には殆ど覚えなくなり、
非常に疲れやすく、集中力が低下していた点も、3月第一週には、ぐっと回復しました。


タグ:前庭神経炎
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 静脈麻酔の体感覚  [リポート]

私・ぼんぼち、約一カ月ほど前に、身体のある部分に出来ていた良性ポリープを、ごく簡単な内視鏡手術により 切除しました。
自覚症状はまるで無く、誕生月であることを理由に検診を受けた折りに発見されました。
担当の先生の術前診断の段階で、「少なからずの人に発生する良性のものにほぼ間違いないでしょう」 とのことでした。

朝 病院にゆき、午後には 付き添いの者と一緒に徒歩で帰宅。
後、5日間は 処方された化膿止めの抗生物質を飲み、近所の喫茶店で読書する程度におとなしくしていました。
それから2日後、つまり術後1週間後には、「切除痕は確実に回復しています」 とのお墨付きと 「ポリープは100%良性でした」 との結果を頂き、その夜からは、繁華街のライヴハウスで酒を飲んだりと 完全に普段通りの生活に戻りました。

と まぁ、このように、心身共に 何も憂いの尾を引くことなく今日に至っている訳ですが、この手術によって 私は、どうしても書き記しておかずにはおれない摩訶不思議な感覚を体験しました。
「静脈麻酔」というものの体感覚です。
私は 生まれてこのかた手術と名の付くものは何一つ受けたことが無く、麻酔は、歯の治療の局所麻酔しかありませんでした。
ですから、全身麻酔の一つである静脈麻酔は、無論 初めてでした。

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全身麻酔を体験したことの無いかたの多くは、「何秒間か経て ぐぅーーーーーっと深海に沈み消えるように意識を失うのだろう」 と想像されているのではないか と思います。
その間、声に出して数を勘定させられたり と。
そして 目覚める時も、視えるもの・聞こえるもの・脳内の意識が、じょじょに ぼんやりから鮮明になってゆく・・・と。
私も そう考えていました。
一体、その間は何秒くらいなのだろう・・・と。

しかし、実際は------
手術をするベッドに横になるや、看護婦さんが私の右脇にしゃがみ 点滴の針を刺しました。
1秒・・・2秒・・・3秒・・・この間に、「○○のお薬が入りまーーーす」 とのお声と共に、確か、2種類くらいの薬が 手際よく 管の途中に加えられてゆきました。
4秒・・・次の薬を注入しつつ、「頭がぼーーっとしてきますよーー」
聞き終わらないうちに、上顎の奥のほうが ビリッとしました。
ぼーーっとはせず、視えるもの・聞こえるもの・頭の中は クリアな状態でした。
すぐに続いて、「これは脳の底辺の部分ではないだろうか」と思われる辺りに 同質のビリッを感じました。

次の瞬間-----
「ぼんぼちさん! ぼんぼちぼちぼちさーーん!!」
同じ看護婦さんが私の左脇に立ち、私をほぼ真上から見下ろしていました。
私への呼びかけは、頭の1音の「ぼ」から明確に聞こえ、看護婦さんのお顔も ハッキリ視界に飛び込みました。
頭の中もハッキリでした。
ビリッは あとかたもなく消えていました。

看護婦さんに促され、隣室のベッドへと移動しました。
歩きながら、点滴の管は腕に無く その場所にバンソウコウが貼られていることに気付きました。
身体がだるくて歩くのが難儀だとは思いましたが、やはり 頭の中はクリアな感じでした。
ベッドに横になると同時に、看護婦さんが 脇にかがんで毛布を掛けてくださいました。

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そして又 次の瞬間-----
「ぼんぼちさん! ぼんぼちぼちぼちさーーん!!」
やや小さく耳に入った1音目の「ぼ」とほぼ同時に、目を開きました。
二音目の「ん」以降は、ハッキリ大きく聞こえました。
「あぁ、自分は今 意識を取り戻したのだ」 という自覚が 明確にありました。
同看護婦さんが 1メートルほど離れた場所から見下しているのが クッキリ目に入りました。
1音目の「ぼ」の発せられている約1秒弱の間、普段は全く鼾をかかない自分の鼻の奥が 微かに「ぐぅ~」と鳴っているのが解りました。

しばし、私は どの段階で手術が行われたのか 把握できませんでした。
ポリープがあると言われていた体内の部分にも、痺れや痛みや違和感といった今までとは違う感覚は まるでありませんでした。
さぞかしキョトンとしていたらしく、看護婦さんに、「もう終わったのー?ってお顔されてますね。 ぜーーんぶ終わりましたよー」 と 優しく微笑まれました。

通常、意識を失い そして目覚める時というのは、一寸うつらうつらするにしろ ゆっくりと眠りに滑り込むにしろ 急激に深い眠りに落ちるにしろ、或いは 殴られて気絶するにしろ、その時間が10数時間であろうと数秒であろうと、「あー、自分は今 意識を失っていたな」 という空白感・タイムラグが 体内・脳内にあるものです。
しかし、それが微塵も無かった。
加えて、「今 意識を失いつつあるな」 という自覚も まるで無かった。
目覚めの自覚は、2度目に起こされた 術後休憩用のベッドの時だけです。
あとは全て、視えるもの・聞こえるもの ともに、鮮明なフィルムを切って貼り付けた如きでした。
----よく映画で、同シーン内の時間経過の説明で、固定されたキャメラの前を 人が右端にいたと思ったら パッと瞬間 左端で違う動きをしていて またパッと・・・という映像がありますが、まさに あのような感じでした。
別の例えをすると----
目の調子が良好の時に日常生活の中でしている類いの あの無意識のまばたきの間に 時間を飛び越えていた-----といった所です。

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術前の説明や術後の時計の確認から、私の1度目の眠り(手術の為の眠り)は 約20分、2度目(術後休みの為の眠り)は 約1時間半くらいだと計算できます。
又、私の名を呼ぶ声が頭の1音から聞こえていたからといって、それが それぞれ1度目の呼びかけだったという確証はありません。
帰りがけに 看護婦さんに確認すれば良かった と思いました。

そして----
だるさにフラフラしつつ会計を済ませ、迎えに来てくれていた付き添いの者に与太話をいつものペースでしながら、ただ 歩調は ややゆっくりに、掌をガードレールに乗せ乗せ、普段なら20分で歩ききる距離を 25分くらいかけて帰りました。

何故 タクシーを使わなかったか というと、私は、日頃体調のいい時でも ちょっと乗るだけで車酔いしてしまうからです。
術前の注意事項に 「当日 帰る時に、車・バイク・自転車の運転は禁止」 とあったのを思い出し、「なるほど、これだけだるさが残るなら当然だ」 と頷きました。
私は元々、自転車には乗れず、車・バイクは免許すら持っていないので およそ他人ごとではありましたが。

以上は、あくまで 私・ぼんぼち個人の体感覚です。
静脈麻酔を体験した他のかたはどうだったのか、とても知りたいと思っています。
又、全身麻酔には 吸入法 という方法もある と聞いています。
それは、静脈麻酔とどう体感覚が違うのかも 非常に興味があります。

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タグ:静脈麻酔
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