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第37回演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、9月19日(火)第37回「マクベス」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、今回の先生の講義は、「物語原型」についてでした。
物語原型というのは、何らかのすでに在る物語を元に立ち上げた 小説なり舞台なり映像なりの事を指すのだそうです。
先生は、日本人なら誰もが知る物語原型の形をとっている作品に、NHKドラマで大ヒットした「おしん」は、シンデレラが物語原型となっているんです、と仰いました。
いじめられていた娘が、後に大成功をおさめる話しは、まさにシンデレラをなぞっているーーーと。
その明らかな裏付けとなっているのは、シンデレラを日本で初めて訳した人物は坪内逍遥で、日本語題は「おしん」だったとーーー。
だから、日本のみならず、アジアのあちこちでもヒットに火がついたのだそうです。

私が知っている作品で物語原型をとっているものはあるのか、考えてみたところーーー
私が最も敬愛する映像作家・松本俊夫先生の映画「薔薇の葬列」は、オイディプス王の物語原型をとっているな、と思いあたりました。
オイディプスが母とは知らずに交わってしまう、逃れたつもりの果てに逃れようのなかった悪夢の運命が待っていたーーーというシノプシスを、ゲイボーイとその父に置き換え、愛する彼氏でありパトロンが、実父だったと知るや、オイディプスさながらに両眼を突いて了、という大傑作です。
私は、「薔薇の葬列」が頭に浮かんだ瞬間に、ドラマ「おしん」を詳しくは知らなくとも、物語原型という形式が、いかに作品を奥深く面白い物にしているかが、納得出来ました。

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そして、実技のお勉強に入りました。
最初に、夢遊病者となってしまったマクベス夫人の長台詞をやりました。
一度目に読んだ時ーーー
先生は、「復習をよくやってきたのが解ります。 で、次の段階として、力が入り過ぎている点、心がリラックスしていない点があるので、結果として、観客に対してのコミニュケーション力が乏しくなっています。 あと、心がリラックスすれば、滑舌もよくなるかも?知れません」と仰いました。
その他には、「早く読む所が早過ぎて、遅く読む所が遅過ぎるので、一人の人物がしゃべっている様に聞こえないし、バランスが悪いです」ーーーとも。
ダメ出しを受けながら、二度、三度と読みました。
最終的なダメ出しとしてはーーー
「太り過ぎている感じがします」
「それは、具体的にはどの様な事なのですか?」と質問すると、
「『太り過ぎ』っていう演劇の専門用語がある訳じゃないんだけどね、僕がイメージとしてそう感じたという事で、要するにーーー」と、詳らかに説明してくださいました。
要するに、一つ一つの言葉に必要以上に意味を持たせ過ぎている。 だから、重たい物をズルズル引きずっている様に感じられる。
自分の内には色んな物を詰め込まなければならないんだけど、それを全部出そうとはしない様に。 もっとスキニーに! という事でした。
先生は、私が昔、画家をやっていた事をご存知なので、私にはしばしば絵画に例えてくださるのですが、今回も絵画に例えてくださった為に、そこで理屈としてスッ!と理解が出来ました。
だけど、筆という手段と声という手段は大きく違います。
理屈で解ったところで、果たして、この難しい課題、私にどこまで出来るだろう?ーーーうーん、大変な課題を与えられてしまった!と思いました。

次に、マクベスとマクベス夫人が、国のお偉さんを集めてパーティーを開く中、マクベスが、自分が殺させた者の幻影を見て錯乱し、パーティーがお開きになってしまう、という場をやりました。
マクベス役をやった時はーーー
マクベスは何の為にこの場にいるのかを忘れずに読む事、これは公式のパーティーである格調の高さを出す事、を主に注意されました。
ぼんぼちさんが一度目に読んだのだと、軽い単なる宴会で、幻影にばかり集中しているーーーと。
二度目は、一つ一つ細かく、「ここは、こういう状況でこういう気持ちだから」と、ご指示を受けながら、なんとか読みました。
マクベス夫人をやった時はーーー
一度目に読んだ時のダメ出しは、公の場であからさまにそんな風に夫にケンカをふっかける様な言い方はしない。もっとこっそり、マクベスにだけ聞こえる様にーーーでした。
夫人役の二度目の時は、一度目のダメ出し通りに読んだら、それほど多くは注意されませんでした。

「太り過ぎない様に、もっとスキニーに!」
この課題、私にいつか、克服出来る時が来るのだろうか???
次回のテキストも「マクベス」なので、とにかく、復習出来るだけ復習しようと、拳を固くしました。
テキスト、読むべし!読むべし!!読むべし!!!

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第35回第36回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」、8月30日(水)第36回「マクベス」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」。
この日は、実技のレッスンが始まる前に、先生の講義がありました。
「エレメンツ」についてでした。
エレメンツとは、当時(シェイクスピアが書いていた16世紀イギリス)では、地、水、風、火、の、この四つの要素のいずれか又は混じり合いで人物が出来ており、したがって、劇の登場人物のキャラクターも、そのどれかに設定していたそうです。
そして、これらが安定した状態をテンパーと呼び、最も不安定なひっちゃかめっちゃかな状態をテンペストと呼ぶのだそうです。

講義の後、ジェークイズという 追放された臣下の長台詞の実技に入りました。
ジェークイズの言っている内容は、「しょせんは人生なんて、、、」といった厭世的、悲観的なものなので、明らかに「地」の人物となります。
長台詞の冒頭の四行は暗記してくる事が宿題となっていたので、この四行を、地の人である事を意識しながら言う様に、とのご指示が出ました。
私には、目をつむって、とっても小さな声で発する様に、との条件付きでのご指示でした。
ダメ出しされたのは、「すべて」の「す」が出過ぎている、「舞台」という語を作り過ぎている、「さまざまな役を演じる」が、意図的になっている、でした。
自分では無意識に言っていたので、ダメ出しをされて初めて「ああ、そう言っていたのか、、、」と気付かされました。

次に、オーランドーとロザリンドという 相思相愛でいながらも、それを互いに言えずにいる 若い男女の恋愛ごっこで、徐々にロザリンドの本音が出てくる、という件りをやりました。

最初に私は、ロザリンドを読みました。
先生は、「幼稚です。年齢が幼な過ぎるという意味の幼稚ではなく、演技が幼稚です。 ロザリンドはもっと落ち着いていて、したたかです。 それから、オーランドーの事を好きで仕方がないのに、その感情が出ていません」と、仰いました。
私は、自主練していた時にも、なんか薄っぺらくて「好き」の感情が出せないなあと思いつつも、そこを克服出来ずにレッスン日が来てしまったので、「やっぱり、、、」と思いました。

その次にはオーランドー役をやりました。
演技をしている人に聞こえるので、現実にそう言っている風に聞こえる様に台詞を読む様に、とダメ出しをされました。
このダメ出しは前回もされたので、「あっ!しまった!」と反省し、「演技をしていない風に読む」というのが、今の私の最大の課題だな。すぐには出来る様にはならないかも知れないけれど、いつかは絶対に出来るようになろう!!と、自分に言い聞かせました。

その後、ここは結婚相談所で、オーランドーは相談しに来た人、ロザリンドは相談所の職員、という設定でお勉強しました。
この設定の時もやはり、ロザリンド役をやった時もオーランドー役をやった時も、「好き」である感情が聞こえて来ない、とダメ出しを受けました。
言葉では、真逆や、軽〜いニュアンスでも、本心はそうではなく、深ーく好きだ、という感情を出すのは難しいな、、、と思いました。

この日のレッスンでは、先生は他にも、様々なお話しをされーーー「にせだぬきじる」と「にせたぬきじる」はどう違うのか等ーーーそういった点でも、とても収穫の多かった四時間でした。
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それから、8月30日(水)第36回「マクベス」。
この日は、最初に、マクベスと共に殺人を犯したマクベス夫人が、夢遊病になってしまい、ワンセンテンスワンセンテンス、「今」と「ここにはいないマクベスへの語りかけ」が交互に来る長台詞を、お勉強しました。

私は、「マクベス夫人が、『今』と『夫への語りかけ』の所を、『今』はゆっくり、『夫への語りかけ』は早く、テンポの緩急をパッパッとつけて読むと、夢遊病者の感じが出ます」と、指摘されました。
あー!なるほど!そういうテクニックもあるのか!と、目からウロコでした。

次に、マクベス夫妻が、殺人を犯した後(マクベス夫人が夢遊病になる以前の幕)、地位の高い者達を招待して、宴会を開き、最中、マクベスが、殺したバンクォーという人物の幻影を見てしまい、宴が途中でお開きになる場をやりました。

私は先ず、マクベス役をやりました。
自主練してきた通りにやったら、先生は、「ぼんぼちさん、とてもがんばってくれたと思います。ただ、ぼんぼちさんは、宴会に集まった人達に対して声を大きくして、幻影に対して声を小さくしていたので、その逆の方がいいです」と、仰いました。
ここでも、なるほどー!その方がいいのか!と、目からウロコでしたが、めったにお褒めにならない先生に「がんばった」というお言葉をちょうだい出来て、とても嬉しかったです。
今回のテキストの予習時間は、2日とちょっとと短かかったので、レッスン日当日に体力が底をついてしまわない様に調節しながらも、今の自分自身のマックスの力を出し切れる所まで出来る様にしておきたかったので、バーーーッ!!!とエネルギーを使って、かなりきびしく自身を追い込みました。
それを先生に見抜いて頂けた様で、本当に嬉しかったです。

マクベス夫人をやった時はーーー
夫がこんな風になってしまって、うろたえて、それが増幅する、という読み方をしたら、先生は、「マクベスに対しては怒り、招待客に対しては冷静に笑顔で接する読み方で」とのダメ出しを受けました。
そしてラストの、宴客が帰り、二人だけになった時に、初めて、マクベスへの愛で包み込むーーーさながら、キリスト教画のピエタ(母子像)の如くに、と言われ、ああ、この場のマクベス夫人の台詞はそう多くはないのだけれど、こんなに読み方(心情)に変化をつけるものなのだ!と、やはりまたまた目からウロコでした。

最後に再び、最初にお勉強した、マクベス夫人の夢遊病の台詞をやりました。
一カ所一カ所「ここは早く」「ここはゆっくり」とご指示を受け、又、「血の臭いがする」「嫌な臭いは消えはしまい」を、もっともっともっと、「嫌な」感じを出す様にとのご指導の元、何度も読みました。
あと、その次に「ああ、ああ、ああ」と負の感嘆の言葉が続くのですが、後悔でいっぱいで、地獄に引きずり込まれる様な言い方で、と、ここも何度も読みましたが、難しくて、なかなかその雰囲気が出せなかったです。

次回のレッスンのテキストも「マクベス」で、次回も、今回と同じテキストが使われるようです。
次回のレッスンは、9月19日と、20日間、自主練期間があるので、今回ダメ出しを受けた箇所は、全部出来る様にしておこう! たーーーっぷり自主練しておこう!と、じっ!とカレンダーを見つめました。
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第34回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、7月20日(木)に行なわれた34回目の演技のレッスン、「お気に召すまま」の、リポート&感想を、つづらせていただきたいと思います。

先ず、ジェークイズという 前公爵の廷臣の、一頁の長台詞を、「感情抜きで、目読するとしたら、こういう声が、頭の中に浮かび上がるであろう」という読み方をやりました。
私は一番最初に、「では、ぼんぼちさんから」と指名され、結果、「滑舌の弱さはあるけれど、そういう読み方だよね」と肯定され、ホッとしました。

次に、ロザリンドとオーランドーという 相思相愛であるものの、事情があって、ロザリンドが男のなりをしていて、オーランドーはそれに気づかず(気づいていて気づかぬふりをして、ロザリンドの話しかけに乗る、という解釈もあるそうですが)ロザリンドが仕掛けた恋愛ごっこに興ずる、という件りをお勉強しました。

私は初めに、ロザリンド役をやりました。
主にダメ出しをされたのはーーー
ロザリンドは、自分からこの恋愛ごっこを仕掛け、つねに先頭きって話しを進めてゆくのだから、もっとぐいぐいゆかなければ!という事、
そして、恋し合う若者にありがちな、相手を翻弄して遊ぶ様子や、センテンスセンテンスでどんどん言い方(気持ち)を変えてゆかないと!ーーーという事でした。
先生に、一つ一つそれがどこかを指摘され、初めて「あぁ!ここは、そんなにも深い意味で言っていたのか!」と気づかされ、まだまだ自分の読み込みが浅かったのを反省しました。
先生に、「こういう事は、役者が自分で気づけないとダメよ!」と、これまでの回よりグーンと高いレベルを要求され、難しいけれど、次回からは、自分でそこまで気づけるよう目指そう!と、拳を固くしました。

それから、オーランドー役をやりました。
一つの台詞でも、何種類もの言い方(気持ち)を、「今度は、、、」と、求められました。
その中で、「この私なのだ、その恋の熱病にとりつかれている男というのは。どうかきみの治療法を教えていただきたい。」という台詞を、一度目は、熱くストレートにワアッと言ったら、では今度は、抑えた言い方でとのご指示が出たので、弱々しく頼る様に発したら、「そうじゃない!熱く湧き上がるものを、抑えて抑えて言うの! ぼんぼちさんのは、単に弱くなってるだけ。(先生は、ご自身の片手をグーにしてグーッと出し、もう片手でそれを抑え込むアクションで説明してくださり)この強さを抑え込む言い方しなくちゃ!」
私は、そういう言い方は発想がなかったので、「なるほどー!そういう台詞の言い方もあるのだな!」と、目からウロコだったのと同時にーーー、そういえば、映画「蒲田行進曲」のクライマックスシーンで、風間杜夫さんはこのテクニックを使ってらしたな!と、ハッとしました。

その後、先生は、「ドラマティック・アイロニー」とは何かについて、レッスン生一同に、お話しをされました。
ドラマティック・アイロニーというのは、「登場人物より観客のほうが、劇の仕組みをよく解っている事」を指すのだそうです。
今回お勉強した ロザリンドとオーランドーの件りはまさにそれで、「オイオイ、なんでそこ、気がつかないんだよ!」と、観客を笑わせられなくてはいけない。 だから、役者にとっては、大変難しく、高い力量が求められるーーーと。
日本人にとって非常に解りやすい例えをするなら、ドリフのコントの、「志村!後ろ後ろ!」という、あれです。

今回のレッスンも、とってもお勉強になりました。
次回のテキストも「お気に召すまま」なので、今回ダメ出しされた所は全て出来ているように、又、違う風にやって!とご指示が来た時も、瞬時に求められた事が出来るように、様々なパターンを自主練しておこう!と思いました。

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さてーーー
私は、演技のレッスンが終わると、必ず、帰りがけに、10年来行きつけにしている 高円寺の音楽カフェで、飲みながら 空いたお腹を満たすのですが、この日は偶然、飲み仲間である W大で在学中、そしてご卒業後も米文学を研究していらっしゃる男性が、カウンターにおられました。
私が、「今日は演技のレッスンの日だったんです。シェイクスピア勉強してるんですーーー」という声がけをきっかけに、彼は、「僕は、シェイクスピアは専門じゃなくて詳しくはないんですけど、、、」と謙虚につぶやかれながらも、16世紀エリザベス調時代に、現代にも全く通ずる人間の本質が描けているシェイクスピアの天才性や、訳者である小田島雄志さんの名訳の素晴らしさや、彼の在学中に(もしかしたら、今もいらっしゃるかも?と話されてましたが)F先生という シェイクスピアがご専門の女教授がいらして、その先生のゼミは大人気だった事や、小田島雄志さんの息子さんも、シェイクスピアがご専門ではないけれど、彼の在学中にW大で先生をやられていて、酔うとハムレットの真似をされるという噂が、W大生の間にはあったりしたというお話しや、私が、今回のテキストを見せると、興味深げに全て読んでくださり、「やっぱり面白いですねぇ!部分だけを読んでも、これだけ面白いって、すごいですよね! こういうのって、ドラマティック・アイロニーっていうんですよね。」と、昼間、先生がお話ししてくださったのと同じ説明をされました。
なんだか、今日の音楽カフェでのひとときは、いつもの与太話とは違って、二時限目の授業を受けている様に、有意義なものでした。

西荻窪への帰路は暑さも和らぎ、ほおを撫でる風が、とってもとっても心地良かったです。

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20年前の演技の研究所のアマチュアクラスの先生がクビになった話 [リポート]

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アマチュアの趣味のお習い事として演技を学んでいる 私・ぼんぼち、今現在は、大変に素晴らしい先生に就く事が出来て、幸せの限りです。
しかし、それ以前ーーー20年前に在籍していた 某研究所の日曜クラス(アマチュアのクラス)の先生は、矛盾と理不尽とおかしな思い込みに満ち満ちた とんでもない先生でした。
今日は、私がその研究所に入ってから、その先生が研究所をクビになるまでの顛末を つづりたいと思います。

私が入所する際、面接を担当されたのは、本科(本格的にプロを目指す人を対象としたクラス)の先生でした。
物静かでとても感じのいい先生でした。
ですから私は、「こういう先生のおられる研究所なら入りたい!」と、入所手続きをしました。

レッスン初日、初めて日曜クラスの先生と顔を合わせ、第一回目のレッスンが始まりました。
日曜クラスの先生は、M先生という 中年の男性の先生でした。

M先生は開口一番、「演技なんて、カーンタンなものなんだよ。コツを覚えれば、すーぐ出来ちゃうから」と言いました。
私は心の中で、「えっ?!演技って、そんなに簡単なものじゃないと思うんだけどな、、、???」と、首を傾げました。
M先生は、演技とはどういう風にやるものかの説明を始めました。
「先ず、全ての台詞をゆーーーっくりしゃべる。 嬉しいや楽しいの感情は、自分が出せる一番高い声でしゃべる。悲しいや辛いの感情は、自分が出せる一番低い声をでしゃべる。 台詞は、台本と同じ様な意味の事を言いさえすれば、きちんと覚えなくてもいいんだよ。 それから、前に台詞を言った人が言い終わったら、必ず一秒、自分の中で『イチ』とカウントして間を取る。 そうすると、前の人の台詞を聞いたとお客さんに見えるから。 そしたら、上を向いて大きく口を開けて、いっぱい空気を吸って、台詞を言う。 演技って、そのくり返し。 それが出来たら、どこのワークショップに行っても『完璧な演技です!』って褒められるから」
私は、ますます首を傾げました。
話しの展開によっては、早くしゃべったり、前の台詞の後、間無くしゃべる場合もあるんじゃなかろうか? それに、必ず自分が台詞を言う前に、上を向いて大きく口を開けるって、変じゃなかろうか?ーーーと。
けれど、先生たる立場の人の言う事なので、従う事にしました。

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演技の実技のレッスンに入りました。
私が地声で台詞を言ったら、M先生は、「ぼんぼちさん、それはぼんぼちさんの地声じゃない。女の人がそんなに低い声の筈がない。 女性っていうのは、もっと高ーーーい声をしているものなんだよ。 ぼんぼちさんは、自分が女性である事を否定して、男のフリをしてしゃべってるんだよ」とダメが入りました。
私が、「いえ、私、昔から、何のフリもしなくてもこの声です。 この声でしゃべるのが、一番楽な声の出し方なんです」と返すと、「いや、違う!」と、セル系アニメのロリロリ少女の如き声を出す様に、指示されました。
仕方なくロリロリ少女声でしゃべると、「そう!それがぼんぼちさんの地声! あと、笑う時も、さっきは低い声をでハハハ、、、って笑ったけど、それも女性の笑い方じゃない。 女性っていうのは、かん高い声でキャピキャピキャピって笑うものなんだよ。 あのね、男性は色々だけど、世の中の全ての女性は、一種類なんだよ。世の中の全ての女性は、みーーーんな、優しくて思いやりがあって、意地の悪い人や悪人なんていなくて、男性に尽くすものなんだよ。 演技以前に、先ず、そこ、改めて!」
私は、疑問の気持ちでいっぱいになりました。
男性が百人百色であるのと同じに、女性だって百人百色なのに、、、
けれど、これも、指導する人の指導なので、私は毎日、三時間、ロリロリ少女声でしゃべる練習とキャピキャピ笑いの練習をしました。

ある時、研究所にお菓子の差し入れが来ていました。
M先生にすすめられた私は、「私、甘い物苦手なので、けっこうです」と、丁重に断ると、M先生は、「ほらほらまた!ぼんぼちさんは、まだ男のフリをしている! 女性っていうのは、全員、甘い物に目が無いものなんだよ。食べないとしたら、ダイエットしてる時だけだよ」と眉をひそめました。
私は、「私、ほんとに甘い味が好きじゃないんですっ!」と、さすがにムッとして答えると、M先生は、「またまたー、ムリしちゃってー!甘い物食べると太っちゃうもんね!」と、ニヤニヤしていました。

日曜クラスのスタジオ内発表会は、半年に一度づつ行われ、私達日曜クラス生は、仕方なくM先生の指導通りの演技をしていました。
と、三度目の発表会が終わった直後、校長が私の傍に来て、「ぼんぼちさん、M先生の指導、納得してやってる?」と問いました。
私は、「いえ、何から何まで納得していません」と、間髪置かずに返しました。
「でしょ、納得出来なかったら、M先生に、面と向かって、真っ向から抗議しなくちゃダメよ!」
私は校長の言葉に大きく背中を押され、これからはその通りにしよう!と、少し気持ちが楽になりました。

次のレッスンの日、私はM先生に、普段しゃべっている声がぼんぼちの地声である事、女性は一種類ではない事、味覚だって女性それぞれだという事を主張しました。
するとM先生は、「そんな筈はないんだよ!」と、みぢんも聞く耳を持ちませんでした。
以降、M先生と私達日曜クラス生は、完全な敵対関係となり、言い争いの中にレッスンがすすめられ、言い争いの末に発表会が行われるようになりました。

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六回目の発表会ーーーつまり、私が入所して三年経った時の事ですーーー
台本は、「劇作家は演劇を解っていない」と言って、いつもM先生が書いていて、毎回ヘンテコなホンではあったのですが、その時のホンで私が与えられた役は、こんな役でした。
「一人のダンナ相手に、同時に、のちぞえであり二号」。
私が、「私のこの役は、のちぞえですか?二号ですか?どっちなんですか? ホンがめちゃくちゃでつじつまが合ってません!」と言い詰めると、M先生は、「えっ?解らないの??のちぞえで二号。のちぞえで、なおかつ二号だよ」と、当たり前といった顔で、支離滅裂な発言をしました。
私は呆れを通り越して怒り心頭し、「もう我慢ならん!!」と、プチン!ときました。
そして、本科の先生に、今回のホンのめちゃくちゃさや、これまでの、女性は一種類断定やそれを元に構成された演技法に、酷く矛盾と理不尽と憤りを感じていると、打ち明けました。
すると本科の先生は、「ぼんぼちさんの仰る通りです。 それは申し訳無い事をしてしまいました。ほんとうに申し訳無かったです。 でも、来週、また来てくださいね」と、頭を下げてくださいました。

次の週、研究所に行くとーーー
M先生はいませんでした。
本科の先生が、私が本科の先生に打ち明けた事を、洗いざらい校長に話し、校長がM先生をクビにした、との事でした。

私は、M先生がクビになって当然だと、ホッとしましたが、同時に、なんであんな、演技指導以前に、人間の何たるかや日本語を理解していない人が、アマチュアクラスといえども、それまで講師として雇われていたのかが不思議でした。
アマチュアといえども、きちんと、月々、お月謝を払っていたのだから、それ相応の指導をしていただきたかったものです。
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第32回第33回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、6月15日(木)第32回「オセロー」、6月26日(月)第33回、同じく「オセロー」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、6月15日(木)第32回「オセロー」。
最初に、イアーゴーというずる賢い家来の、約一ページ近くの長台詞をお勉強しました。
一回目は素読み(感情を入れない読み方)で、二回目は、目の前に人間の言葉が解るアリがいて、そのアリに向かってしゃべる、という想定を与えられました。
自分自身は自覚はなかったのですが、「芝居をしている人に聞こえる。 そんなに声を作らないで、もっと、ぼんぼちさん自身の声としゃべり方で!」と、ダメ出しを受けました。
私は、こういう登場人物はこういう声で、こういうしゃべり方をするのだ、と、無意識のうちに作り込んでしまうきらいがある様で、それはよろしくない事なので、ちゃんと、自分の声、しゃべり方そのままで読める様にしよう、気をつけよう、と思いました。
三回目は、自動販売機に向かって語りかける、という仮定を与えられ、ここでのダメ出しは、「生物ではなく無生物、しかも機械相手にしゃべっている感じが、ちゃんと出るといいんだけどな」というものでした。
この仮定は、私の想像力が働かなくて、どういうしゃべり方をしていいのか、見当がつかず、少し見上げてしゃべるだけになってしまった、と自覚しています。
唯一褒められたのが、「つまり、やつの家来のようで、実はおれ自身の家来なのさ。」という一行で、自販機を説得するように聞こえた、と評されました。

次に、ウォームアップとして、シェイクスピアではない、極めて短い言葉の 全部で九行の、いかようにも解釈出来るダイヤローグを、様々な設定でやりました。
・一つの音を五秒かけて言う。
・逆に、一つの言葉を、非常に短く早く言う。
・小学低学年になって言う。
・90代になって言う。
・突然、目が見えなくなった人になって言う。
・一人が、ナイフを持って言う。
・一人がナイフ、もう一人がピストルを持って言う。
私は、五秒かけて言う の設定の時に、「音が揺らぐので、ずーっと同じ高さと張りで言える様に。 先ず、美しい声を正確に出せる様になる事が、台詞の基本です」と、ダメ出しをされました。
この様な訓練はした事がなかったので、自主練でもやるようにしよう、と思いました。
又、目が突然、見えなくなった人の設定では、ここでも想像力が及ばずに、自分でも「出来ていないなあ」と思っていたら、あんのじょう、「突然、目が見えなくなった、という、恐怖感や不安、内的パニックが出ていないね」と、注意をされました。

そして最後に、オセローが、イアーゴーに巧く丸め込まれて、愛妻が浮気をしていると思い込まされ、家に帰ったところから、愛妻の首を締めて殺すところまでをやりました。
台本で、台詞が、空白があって、下の方に書かれている箇所が何箇所かあるのですが、そこの読み方は、「必ずしもではないけれど、大抵の場合、相手役の前の台詞からひとつながりになる様に、歌に例えると、デュエットの掛け合いの様に言う様に」との事でした。
又、殺す殺されるの場面は、もぅ相手がしゃべっている事を聞いて自分がしゃべるどころではない状況なので、かなり、相手役の前の台詞に、自分の台詞をかぶせる様に、との事でした。
私が愛妻をやった時に、先生は、「そういう殺され方の台詞は、一般的な殺され方の言い方だから、何か違う言い方を見つけられるといいよ」と仰いました。
オセローをやった時に、「もう遅い。」と首を締めるところでは、首を締めながら(実際には、レッスン先は、一人一人椅子に座って読んでいます)「もうー、おーそーいーっ!」と言ったのですが、先生は、「そういう言い方がない訳ではないけれど、ちょっと歌舞伎みたいだから、『もう遅いーーーっ!』と言ってから首を締める方がいいよ」と仰いました。
そして、レッスン了りに、「ぼんぼちさんはやっぱり、感情が高ぶると、台詞が明確でなくなってきて、何を言ってるのか聞き取れなくなるよね」と、一番痛いところを突かれました。

この日のレッスンは、レッスン生の人数が少なかったので、非常に濃密な授業で、他にもたくさんダメ出しはされたのですが、次回のレッスンまでに、特に気をつけて出来る様にしておこう、と心したのは、芝居をやっている、と聞こえない風に、ぼんぼちが自然としゃべっていると聞こえる様に読める様になろう!という事です。
それから、滑舌の悪さは、頭では理解が出来て、十二分に自覚はあっても、口腔内の筋肉の問題も大きいのではないかと思うので、すぐには直せないけれど、少しづつ少しづつでも良くなる様にしよう!、次回のテキストも「オセロー」なので、早めに自主練を始めておこう、と、拳を固くしました。
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次に、6月26日(月)第33回「オセロー」。
「オセロー」ですから、前回と全く同じテキストを使いました。
ただ、前回とは違う方向からのアプローチのご指導も、幾つも受けました。

イアーゴーの長台詞て、最初に素読みをした時、とにかく私は、滑舌が悪いのだから、そこに気をつけよう気をつけようと、コンピューターのアナウンスの様な読み方を目指して読んだら、先生はーーー
「僕は、自分の指導法を反省しています。 あまりにも、『言葉が明瞭ではない』『聞こえない音がある』『美しくない音がある』と、さいさん注意をしてきて、ぼんぼちさんは真面目だから、そこを一生懸命に直そう直そうとしていらっしゃるのが、良く解る。 だけど、滑舌以前に、演技というのは『表現』なのだから、先ず表現ありきで、これからは読んでほしい。滑舌だけが演技ではないのだから。 だけど僕は、滑舌は非常に大事だと考えているので、これからも、そこを注意してはいきますけどね。」という様な内容の事を仰いました。
そのお言葉を聞いた時、「ああ、今の先生って、俯瞰と主観を両方の視点からお考えになれる、ほんとに優秀な先生なのだな。」と思ったのと同時に、気持ちがすっと楽になりました。
まあ私は、プロを目指している訳ではないので、出来なかったら出来なかったで、生活に支障が出る訳でも何でもないのですが、やはり先生に注意された事は、直したいと思っています。
舞台やキャメラの前には立たなくとも、お習いする以上は上達したいと、強く思っています。
なので、今までは、自主練の九割を素読みについやして、とにもかくにも滑舌良くなろう!としていたのですが、これからは、滑舌五、感情五、くらいの配分の自主練でいいのかな、と思いました。
そして先生は、「一音一音を長ーく読んだり、ウィスパーで読むと、全ての音が明瞭に聞こえるんだけど、少し声を大きくして普通のテムポで読むと、明瞭でない音や聞こえない音が出てくる。 何か心理的なカセがかかってしまうんじゃないかな?そのカセが何なのかは、まだ僕にも解らないけど。」と仰いました。
私自身も、その理由は何なのだろう?、、、もしかしたら、中高生の時は、日常生活にも不自由するくらいに滑舌が悪くて、何度言っても聞き取ってもらえなくて、それで相手に一方的に話しをシャットアウトされる事が、数え切れないほどあったので、そのトラウマがよみがえるからかな?とも思いました。

ウォームアップではーーー
・蛇の目の人同士
・蛇の目の人と狸の目の人
・オタマジャクシとカエル
・キツネの目の人同士
・そよ風とネギ
をやりました。
私は、蛇の目の人をやった時に、「いいねぇ!」と、褒められました。
目が蛇なだけでなく、身体も動きも生態も全て蛇になった気持ちでやったのが、正解だったようです。

オセローが愛妻の待つ家に帰り、愛妻の首を締めて殺すダイヤローグではーーー
私は愛妻役をやったのですが、「今日は、ヒマワリの様な人格の愛妻でやってみて!」という条件を出されました。
まだ殺されると知る前の、思いっきりな明るさの読み方は、何のダメ出しもされなかったので、その読み方で良かった様です。
ダメ出しを受けたのはーーー
「オセローからもらった愛の証のハンカチは、貴方が浮気相手だと思いこんでいる相手に贈っていません! あの人には、単に人間としての愛情があるだけです。」という意味の台詞が、懇願の感情だけになっているので、オセローに、一言一言説得しよう!という感情も含める様に、という点と、
殺されてゆく場面ーーー
苦しそうに声を小さくしていったら、「聞いている側も苦しい気持ちになってしまいます。 だからここは、全ての台詞は聞き取れなくていいので、所々、声をぱっと出して、次の瞬間は聞こえないくらいに小さくして、をくり返して」と言われました。
この部分は、前回、「ありきたりでない読み方で」と宿題を出された部分で、自分なりに工夫したつもりだったのですが、あー!なるほど!こういう風に読むといいんだ!と、目からウロコでした。

いつも、レッスンは楽しくて楽しくて、あっ!という間に終了の時刻がきてしまうのですが、今回は特に楽しくて、「えっ?!もう四時間経ったの?!」と疑うほどに短く感じました。
レッスンの最初の方で言われた、「先ず表現ありき」という先生のお言葉に、私自身をしばりつけていた滑舌の悪さのコンプレックスの鎖がゆるめられたのが、大きかったのかも知れません。
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第31回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、5月25日(木)第31回「オセロー」の、演技のレッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。
(なお、第29回第30回のレッスンは、参加希望者が私1人だったという理由で、中止になりました。)

先ず、ウォームアップとして、いかようにも解釈出来る 1行の極めて短い9行のダイヤローグを、ありとあらゆるシチュエーションで、お勉強しました。
・同窓会の立食パーティー会場で、30年ぶりに出逢った二人。
・お互いに、やたら、い〜い香りがしている二人。
・揺れる吊り橋の上で、出逢った二人。
・都会のドブネズミの2匹。
・象に踏まれつつ、会話をするネズミ2匹。
・1人がろくろ首になって、会話をする二人。
・1人が豚鼻、もう1人がアヒル口になって、会話をする二人。
等々々、、、
進む毎に、どんどん難易度が上がり、先生に「そうじゃない!そんな程度じゃ、そのシチュエーションに聞こえない!」と、バシバシダメ出しを受けました。
でも、難しかったけれど、とても面白い課題でした。

次に、イアーゴーという、ずる賢い家来の登場人物の、1ページ近くの長台詞を、素読み(感情を入れない読み方)でやりました。
私は、いつもの様に、滑舌の悪さを指摘され、特に、家来の「け」、利用の「り」、主人の「しゅ」、カラスの「カ」、突っつかせるの「つっ」、ロダリーゴー、イアーゴー、ムーアなどの、人名、人種名を、もっと明確に言うようにとの事でした。
私自身、滑舌は、最も苦手とするところで、その悪さは十二分に自覚しているので、案の定、、、といったご指摘でした。
そして先生は、「富士山でいうと、5~6合目辺りまで来たところだね」と仰いました。
滑舌、悪いながらも、少しは進歩しているんだなあと思いつつ、自主練で、もっともっと鍛えなければいけないな、頑張ろう!と、拳を固くしました。

最後は、オセローと彼の愛妻・デスデモーナのダイヤローグの、オセローが、イアーゴーが仕組んだ罠だと気づかずに、デスデモーナが浮気をしたと思い込み、家に帰り、デスデモーナに「殺す!」と詰め寄る件りをやりました。
私は、オセロー役もデスデモーナ役もやったのですが、両役とも、これから殺してやる!これから殺される!の、緊迫感が薄い!と、ダメ出しをされました。
自分が過去に体験していない事、実体験ではなくとも目の前で観察した事のない出来事を、リアリティを持って、その感情になり、発するのは、難解だな、と感じました。
でも、先々、またこのテキストが来た時は、少しでも、今回の先生のご指示に近づける様にしたい!と思いました。
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又、家で1人でテキストを読んだだけでは気づけずに、先生のご説明で、目からウロコだった所も、何箇所もありました。

私はてっきり、オセローが家に帰ってきた辺りはゆっくりで、徐々に早くなり、クライマックスの殺人シーンで、最もテムポが早くなるのだと解釈していたら、先生は、「逆!逆! だって、観客は、一番どこが観たいの?殺人シーンでしょ。 だから、殺人シーンにたっぷり時間を使って、それ以前は、トントントンと早くやらなくちゃ」と。
なるほどー!確かに、一番観たいシーンは、たっぷり時間を取って観せてほしいぞ! その前がもったりしていると、退屈するよな、と、大きく頷きました。

それから、オセローの「今夜の祈りはすませたか、デスデモーナ?」という台詞があるのですが、この「今夜の祈り」は、普段の日日の祈りと殺される前の懺悔とのダブルミーニングであるので、ダブルミーニングだという事を観客に解らせる様な言い方をしなければならない事。
ここも、私1人で読んだ時は、前者の祈りしか読み取れませんでした。

あと、やはりオセローの台詞で、「黙れ!静かにするのだ!」の「黙れ!」の意味には、しのごの言ってないで早く懺悔をしろ! 早く殺させろ! 外に人がいるから聞こえてはまずい、等、幾つもの意味が込められているので、「黙れ!」の一言で、その全ての意味を表すように言う事。
これも、私は単に、その前のデスデモーナの5行の台詞を打ち切るだけの意味だと解していたので、あー、まだまだ読み込みが浅かったな、これだけ(1ページ)の件りにも、こんなに深い意味が幾つも詰め込まれていたのか! やはり、プロを教えるプロ中のプロの先生というのは凄いな!と、改めて尊敬し直しました。

今回のレッスンは、非常に難易度の高い事ばかりを求められた様に思います。
だけど、久しぶりのレッスンだったし、わくわくでスタジオ入りして、爽やかな気持ちでスタジオを後にした一日でした。
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第28回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、4月13日(木)第28回「ジュリアス・シーザー」のレッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。

最初にウォームアップとして、当日配られた、某映画のシナリオのワンシーンを読みました。
ト書きがなく、いかようにも受け取れるダイヤローグだったので、相手役の人と私とがそれぞれに思い描いた設定をやりました。
相手役の人は、女医と男性患者という設定でした。
私は女医役をやったのですが、自分のことを相手が好きか、尋ねる台詞で、その前に、迷う気持ちや勇気を出す気持ちとして、充分に間を取ってから尋ねたら、「その間は良いね」と褒められました。

私は、二人は大学生で、同サークルに所属している 友達以上恋人未満という設定を思い描いたので、次にその設定でやりました。
私は、ラストの方の二つの台詞、「ふつう」「変な人」が、どこかで誰かが使ったような言い方なので、そういう言い方はしない方がいい。ぼんぼちさんオリジナルの言い方をする様に、とのダメ出しを受けました。

メインのシェイクスピアのお勉強ではーーー
ブルータスと彼の愛妻ポーシャのダイヤローグの方から読みました。

私はポーシャをやったのですが、ポーシャは長台詞が多く、21行の長台詞の21行目で 一番言いたい事を言うので、それ以前の、ブルータスの昨夜の言動を思い出して言ったり、比喩表現の台詞は、あまり高低をつけすぎずに、「通底音」(音楽でいうと、ドミソ ドファラ の、ドに相当する、ずっと流れ続ける音)を守りつつ、20行を言い切らなければ、何を目的としている長台詞なのか解らなくなってしまう、とダメ出しを受けました。
そうダメ出し受けた事を念頭に置いて次に読んだら、「出来ましたね。通底音、守れましたね」と肯定され、あぁ、この20行は、このくらい幅の狭い高低でいいんだ、と思いました。

次の長台詞のところでは、「こうしてひざまずいてお願いします」と言って、ひざまずきながら そこから又延々と台詞を言う設定で、(レッスンでは、終始、椅子に座ったままの体勢です)私は、当たり前の様に、ここは小さく声を落として発するところだな、と判断したのですが、先生に、「一般の人は皆そういう言い方をするんだけど、理屈をよく考えてみて! ひざまずいてでもお願いしたい事でしょ。だから、声を強くしなくちゃ。 だけどその後に、何をお願いしたいのかを言うのだから、それよりかは大きな声にならない様に。 それから、ひざまずきながら台詞を言うというのは、声が出しにくい体勢になるのだから、そういう事までちゃんと頭に入れておかないと!」と指摘され、なるほどー!まだまだ私は、解釈が浅かったな、と、目からウロコでした。

又、「『でも』等の接続詞は、テコとして使える言葉だから、そろそろ自分一人でそこに気づいて、使える様になってもいい頃だよ」と、難易度の高い事を求められましたが、先生の仰る通り、これから、自分一人で気づいてゆけるようにしよう!と、拳を固くしました。

最後は、アントニーの演説である 1ページ半の長台詞をお勉強しました。

私が読むと、先生は先ず、「前回、このテキストで、僕が注意した事を守って、よく復習してきたのが解ります。その頑張りは良かったと思います」と仰いました。

ダメ出しされたのは、重要な言葉として、「野心」という語が何度も出てくるのですが、「や」だけが極端に強くなっているので、「やしん」と同じ強さで発するように、と、感嘆の「ああ」は、小さく濁らせずに、大きく美しく張って言うように、それから、一行一行の中でも 何が特に重要な言葉なのかを、もっとよく考えて、その言葉を強く言う様に、でした。

加えて、アントニーは政治家なのだから、政治家らしいしたたかさが、言葉のはしばしに出てくるといいよね、という事も言われました。

この回のレッスンは、ダメ出しもたくさんされましたが、褒められたところも幾つもあり、「ああ!自分、進歩してるんだな!」という実感を得られた回でした。

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第26回第27回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今回は、3月8日(水)第26回「ジュリアス・シーザー」、3月26日(日)第27回「から騒ぎ」の、レッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。

先ず、3月8日(水)第26回「ジュリアス・シーザー」。
前半は、アントニーの、一頁半に渡る 群衆を前にした演説(長台詞)を、お勉強しました。
私がダメ出しを受けたのはーーー
「諸君、云々、、、」と、群衆に何度も呼び掛ける台詞があるのですが、その「諸君」を、「自分と同じ者達」という親しみを込めて!という事と、
「貧しい者が飢えに泣くときシーザーも涙を流した」の「涙を流した」は、アントニーが眼前で見ていた事だったのだから、シーザーがどの様に泣いたのか、ーーーポロポロと、とめどなく涙を流したのか、オイオイ声をあげて泣いたのか、悔し涙に歯がみしながら泣いたのか、ーーーアントニーはその泣き様を思い出しながらしゃべっているので、どんな泣き方だったのか、ぼんぼちさんの中で何か一つに決めて、観客に、どの様に「涙を流した」のかが伝わる言い方をしなければならない、
そして、演説の初めの方は、群衆の顔や反応を確認しつつ、冷静にしゃべり、ラストにゆくに従って、群衆のアントニーを賛同する声にあおられて、テンションがあがりにあがって、自分でも もぅ何が何だか解らなくなるくらいまで興奮してしゃべる様に、ーーーちょうど、ロックコンサートで、ミュージシャンとファンのコール&レスポンスで、ミュージシャン自身もテンション最高潮になるが如くにーーーでした。

演説のお勉強了りに、「ぼんぼちさんは、レッスンに通いたての頃よりずいぶん上手くなったね!」と、めったにお褒めにならない先生からお褒めの言葉をちょうだい出来、大変に嬉しかったです。

後半は、ブルータスと彼の愛妻ポーシャのダイヤローグをやりました。
ブルータスとポーシャは、深く愛し合いつつ長年連れ添っている 仲むつまじい夫婦で、そういう夫婦は、何十年も寝起き、生活を共にしているので、「愛し合い続けながら長年連れ添ってる感」が出なければ、ポーシャの声の出し方、しゃべり方は決まってこない。
その「愛し合い続けながら長年連れ添ってる感」を出す様に!とのご指示が出ました。
でも私は、なかなかそれが出来ずに、「あぁ!この課題は、非常〜に難しいな、、、いつかは私にも出来る様になるのだろうか?!」と、エベレストを見上げる様な気持ちになりました。
けれど、先生にご指示を受けた以上は、すぐには出来なくても、いつかは出来る様になりたい!なろう!と、拳を固くしました。

レッスンはたいてい、前半の長台詞に二時間、後半のダイヤローグに二時間費やすのですが、いつも私は、後半の最後の方になってくると、体力が底をついて、元々明瞭ではない発音が、ますます明瞭ではなくなってきて、今回も自分でそう感じながら台詞を読んでいたら、すかさず先生に、「ぼんぼちさん、この時間になって疲れてきたから、言葉が乱れてきてる!」と、注意されました。
私は、「はいっ!頑張りますっ!」と、精一杯、明瞭に発音しようと努力しながら読み了えました。

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次に、3月26日(日)第27回「から騒ぎ」。
この日は、ウォームアップとして、その日に配られた 某映画のシナリオのワンシーンをお勉強しました。
映画の演技ですから、徹底したリアリズム演技を求められました。
私は、演劇より映画のほうが圧倒的に好きなので、出来た出来なかったは別として、理屈抜きに 最高に楽しかったです。

中盤からはシェイクスピアに戻り、ベネディックという貴族の青年の 一頁に渡る独白の長台詞を、素読み(感情を入れない読み方)で、私が最も苦手としている 言葉を明瞭に正確な発音で読む事を、ご指導いただきました。
私自身もこの事が一番出来ていないという自覚があり、どういう言葉が明瞭か が、頭では解っているだけに、口腔内がついてゆけずに、非常にもどかしかったです。

後半は、ベネディックとベアトリス、つまり、若い貴族の男女の恋の駆け引きの場をやりました。
最初に、シェイクスピアが設定した 国や場所通りの読み方をし、次に、もし、この二人が高校生で、ファミレスという場だったら、という設定で読みました。
私はベネディックをやったのですが、先生に、「ぼんぼちさん、ファミレスの高校生男子という雰囲気、出てるね」と褒められ、とても嬉しかったです。
その後で今度は、二人は、仕事のデキる男とキャリアウーマンで、帝国ホテルのバーでマティーニを二杯飲んで 少しだけ酔っている、という設定を与えられました。
私はベアトリスをやったのですが、「キャリアウーマン」のイメージがなかなか掴めずに、難儀をしました。
先生は、「設定を変えられたら、それまで稽古していた台詞の言い方は全て捨てて、パッと瞬時に、新たな設定下での台詞の言い方が出来る様になるのが、目標です。 このお勉強方法は、とてもレベルが高いです」というような内容の事を仰いました。

この日のレッスンは、褒められたのは一箇所だけでしたが、シナリオも読めたし、難しかったけれど、違う設定で、というのも面白く、自分の内から正の感情が、ぱあっと溢れた様な、幸せなレッスン後感でした。

又、私が今の先生について行き続けたい!と深く思える理由の一つに、「映画というジャンルを否定なさらない先生である」事があります。
文中にも書いた様に、27回のレッスンでは映画のシナリオもテキストに組み入れたり、「シェイクスピア作品は幾作品も映画化されているから、映画の方も観ると参考になるよ」とか、「映画だったら、この場面はこう撮る所だよね」とか、「現代人は皆、映画というものをたくさん観てきて、その上で舞台も観るのだから、今作るシェイクスピア舞台は、映画を知っている観客が納得する舞台でなければならない。つまり、昔と同じ事をやっていても観客は少しも面白いと感じない」などと。
否定されないどころか、映画も肯定なさっていらっしゃる。
これは、映画好きの私にとって、個人的に嬉しい事であり、理屈的にも、その通りだと思うからです。

私が過去に出逢ってきた演劇人の人達は、プロアマ先生生徒問わず、「映画なんて下劣なジャンルに興味があるのは、悪い事。舞台だけが演技をやる値打ちのある場なのよ!」とか、「映画が好き?! おーい!邪宗者がいるぞーっ!この間違った根性を叩き直せーっ!」とか、「映画なんてものは、たまーにバカになってハッハッハッハッハッって笑いたい時だけに観ればいいものなんです。小さな劇場で映画みたいな方向性の演技をする役者は、映画に毒されているんですっ!」という考えの持ち主ばかりでした。
私は、それらの発言に、いつも疑問を持ち続け、先生という立場の人がそういう考えだと判った時、私はその研究所を辞めてきました。

ですから、何重もの理由で、今の先生は、心から尊敬出来、ついて行き続けたい!と思えるのです。

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第24回第25回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、2月13日(月)第24回「リチャード三世」、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、2月13日(月)第24回「リチャード三世」。
最初に、グロスター(のちのリチャード三世)の、まるまる一頁に渡るモノローグの長台詞を勉強しました。
私は、これまでのレッスンを全回出席していて、「リチャード三世」をお習いするのは四度目だったので、とにかく前三回でダメ出しを受けた箇所は もう二度と同じ指摘はされない様にと、そこに全神経を使い、ちょっと緊張しながら読みました。
読み了えると先生は、「何かカセにハメられている様に感じられるね」と仰いました。
私が前述の理由を打ち明けると、「じゃあ、今度は、自由に好きに読んでみて!」
二度目に読んだらーーー
「おれは悪党となって、この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる。」の「悪党」と「憎んでやる」を両方同じくらい強く言っているから、「悪党」の方を少し弱めるように、と、ラストの「おはようございます、兄上、これはどういうことです?」の「これはーーー」以下を、意図的に変え過ぎているので、声の響きは変えずに 感情だけ変えるように、とのご指摘を受けました。

グロスターが殺した王の夫人アンとグロスターのダイヤローグではーーー
「アンは夫を殺されて最大限に怒っているのだけれど、グロスターの口説き文句によって 怒り方がどんどん変わってゆかなければいけない。それをぼんぼちさんは、ずーっと同じ怒り方で読んでいる」とダメ出しされました。
どういうふうに怒りが変わってゆくのかーーー、これが次回にまた「リチャード三世」がテキストになった時の私の課題となったので、もっと何度も何度も読み込んで、正確にアンの心情を表現出来るようになろう、と思いました。

素読み(感情を入れない読み方)に関しては、先生は、「実は、素読みと本番読みは、全く別の位置にあるものではなく、素読みの延長線上に本番読みがあり、『別の読み方で』と言われたら、いつでも一旦 素読みに立ち戻って来られなければいけない。又、感情が抑えきれなくなったら、いつでもどこでも感情を入れていいんだよ。ぼんぼちさんは、そろそろそこに気づいてもいい頃だよ」という様な内容の事を仰いました。
私は、今まで、素読みはデッサンと同じものと解釈していたので(デッサンというのは、何千枚同じモチーフを描こうが、一ミクロンも感情を入れてはいけなく、無感情で完成させるものなので)目からウロコでした。

最後に先生は、「ぼんぼちさん、前回の時の方が良かったね。今日は台詞が団子になってるし。(明瞭ではないという意) まあ、一番いいと言われた時のを常に維持するのは難しいけどね」と仰いました。
内心、自分でも感じていただけに、この日は少し残念な出来となってしまった一日でした。

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次に、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」。
この日は、レッスン生の人数が少なかったために、非常に非常に濃密な授業を受ける事が出来ました。

先ず、何度も「まだまだ!」と口酸っぱく注意をされたのは、私の場合、言葉より感情が前に出過ぎてしまって、何を言っているのかが明瞭に伝わらない。あくまで、感情く言葉 なので、もっと巧く自分でコントロールする様に!でした。
特に、三行、五行くらいの長さの台詞で、感情が高ぶっている所だと、感情がうわあ〜っ!と湧き上がってきて、言葉がとても明瞭でなくなってしまうので、もっともっと言葉優先で、と。
自分でも、頭では解っていて自覚があるだけに、もどかしく、先生の仰った様に、これからは「巧くコントロール」する事を、心して台詞を読む様にしよう!と、自分に言い聞かせました。
これは、今の私の大きな課題です。

この回のレッスンでは、ワンセンテンスの「、」の所やダイヤローグの相手への受け渡しで、如何になめらかに、ブツッ!と途切れないで、音はつながっていなくとも空気はつながっている様に読めるか、も稽古しました。
先生は書道を例えに出してくださり、「氵」は、点三つだけど、空気はつながっているでしょ?と。
こういうつながりを「気脈」というのだそうです。
それを言葉で演るのはとても難しいな、と思いましたが、いつかは出来るようになりたい技術です。

又、「没入感」ーーーいわゆる、演者が役に入り込んでゆく事ですが、どうすれば没入できるのかの練習法は、台詞の中の一つ一つの言葉を何度も何度も、それはもう何度も、ありとあらゆる言い方で発してみて、トランス状態になるくらいまで言ってみる、のだそうです。
次の回のテキストが来たら、試してみようと思いました。

あと、細かな発音では、「つ」が「つっ!」になってしまっていて、聞いていて美しく感じられない、
「剣(けん)を」の「ん」が短く詰まってしまっているので、「けんを」と、三音とも同じ長さで発音する、
「わ」というのは半母音で「あ」にとても近い音なので、ワンセンテンスの中に「わ」と「あ」がある時は、韻を踏む様に読むと、聞いていて心地が良い、という事を指摘されました。
そして、「ぼんぼちさんは発音が美しくないから、ぼんぼちさんがこれまで生きてきた上に言葉を積み上げる感覚ではなく、赤ちゃんになって、そこから言葉を覚え始める気持ちで向かうと良いよ」という様な内容の事を、先生は仰いました。
これも難解な課題だと感じましたが、そういう意識を持って自主練&レッスンに臨もう!と拳を硬くしました。

それから、レッスン了りには、前々回の回で、先生がチラとお話しをされた「高文脈言語」(詳らかに説明しなくても通じる、日本語に代表される言語)と「低文脈言語」(ハッキリと説明しなければ伝わらない、英語に代表される言語)について、今一つ私の中で、具体的に見えて来なかったので、そこを質問しました。
すると先生は、「ここで言う『言語』は、『社会』と置き換えたほうが解りやすいね。要するに、国でスッパリ分けられる訳ではなく、例えば、映画というジャンルは、国を問わずに高文脈社会になるね。言葉で全てを説明するジャンルではないから。対して、吉本新喜劇は、ぜーんぶ言葉で説明しているから、低文脈社会だね」と、大変解りやすい例えを挙げてくださいました。
私はシナリオ作法も勉強していた事があり、映画がどれほど、台詞以外の手段で諸々を観客に伝えるかをよく知っていたので、大きく頷けました。

今回のレッスンでも、勿論たくさんダメ出しはされましたが、先生の貴重なお話しもたっぷり聞かせて頂けて、充実度120%の授業でした。
次回のレッスンも、頑張って臨みたいと、今から心の準備をしています。

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第22回第23回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、1月16日(月)第22回「リチャード三世」、1月30日(月)第23回「から騒ぎ」の、レッスンのリポート&感想を、つづらせて頂きます。

先ず、1月16日(月)第22回「リチャード三世」。
この日は、レッスン生の人数が少なかったというのもあり、非常に非常に綿密で濃厚な授業を、受けさせて頂けました。
テキストは、グロスター(のちのリチャード三世)の、まるまる一頁に渡る独白で、様々な読み方をお勉強しました。

最初に素読み(感情を入れない読み方)で、でいながらも、これは喜劇なのか悲劇なのか はたまた別の方向性の芝居なのかを判断し、それをきちんと含ませながら読むように、とのご指示が出ました。
「リチャード三世」は明らかに悲劇なので、その様に読みました。
一度目は、ゆっくり読む読み方で、二度目は早いテンポでと、二度、素読みをしました。
先生からのダメ出しは、私も自覚していた通り、言葉が明瞭でない所がある(特にら行)、五行くらいの長いセンテンスの台詞だと、疲れてきてますます明瞭でなくなってくるので、一行毎に 気持ちと呼吸をリセットして読む様に、でした。

唯一 褒められたのは、ラストの一行にある「(兄に向かって)おはようございます」という台詞で、「ここは声が響いてるね。全ての台詞がこのくらい響くと良いよ」との事で、三度目は、一頁全部を「おはようございます」と同じ響きで、なおかつ その時時の感情が損なわれないように、とのご指示でした。
けれど、負の感情の所になると、どうしても声がこもってしまって、ご指示通りに出来ませんでした。
出来なかったものの、声を響かせる為の大きなヒント・方法論を頂けたので、家で何度も この練習をしようと思いました。

又、「明瞭に台詞を発するには、下あごを大きく下に動かすだけでなく、前後に動かす事もやってみるといいよ」とも。
これは、あからさまに下あごを出したり引いたりするのではなく、そういう心掛けで読むと、口腔内の奥の方も変化するので、あらゆる発音が出来るようになるから、という事でした。

そしていよいよ、感情を込めた様々な読み方に入りました。
箇所箇所で次々と心情が変化してゆく様に重点を置いた読み方では、グロスターが、己れの醜い容姿を自虐する台詞の所で、「ここは、自虐を自ら笑う様に」と言われたので、思いっきり鼻で笑いながら、「俺って、こっけいでしょ?」といった読み方をしたら、「そういう説明的な読み方をしてはいけない。形から入っている。先ず、感情が湧き出て、その感情が伝わればいいのだから。現実で、自分の感情を説明的に表現する人はいないでしょ?」と、即、ダメ出しが出ました。
このダメ出しは、以前の他の戯曲の回でも、かつて注意された事なので、「しまった!またやってしまった!改めなければ!」と、二度とくり返さない様に、と心しました。

笑いがこらえ切れなくなって 笑いながらも 笑いをこらえようとする、という読み方のご指示では、「何を言ってるのか解らない。だから成立していない」と、ペケをつけられました。

そして、「じゃあ今度は、一言言う毎に、紙ヤスリで肌をゾリッと削ぐ様な、自傷を重ねてゆく読み方で」と、今の先生ならではの、抽象的でありながらも、とても解りやすい例えのご指示が出されました。
その読み方をした時には、何のダメ出しも出されなかったので、まぁ、なんとか出来ていた様です。

それから細かい事では、ラストの「これは、どういうことです?」の「これは」だけで、今現在、芝居上で何が起こっているかを、観客に解らせる言い方が出来なければいけない。
「思わせておいたからな」の「な」の方向性が定まっていない、など、前回のレッスンにも増して、難易度の高い要求を出されました。
難しいけれど出来る様になろう!と、拳を固くしました。

レッスン了りに先生は、「今年のぼんぼちさんの課題は、発音を明瞭にする事と、声の響きを獲得する事だね」と、私が思っていたのと全く同じ事を仰いました。

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次に、1月30日(月)第23回「から騒ぎ」。
私は、一回目の「から騒ぎ」の授業では、からきし出来なかったので、前回の「リチャード三世」のレッスンが終わってからこの日までの二週間、毎日 欠かさず「から騒ぎ」のテキストを読んで、今回の授業に臨みました。

モノローグの長台詞の素読みでは、やはり、「ら行」や、漢字で書いてある熟語が明瞭でない事を注意されたものの、「少〜し良くなったね。 ここまで出来るようになったので、次のステップとして、ワンランク上の素読みをしてみましょう」と、先生が仰いました。
今まで教わってきた素読みは、例えば「まず行ってまいります、と言え、それから、ただいまだ。」は、「まず 行ってまいります と言え それから ただいまだ」と、言葉の切れ目をハッキリキッパリくぎって読む様にと、指示されていたのですが、今度は、ハッキリキッパリをボンヤリさせて、なおかつダラーと続けない素読みを、指示されました。
私は、「こういう事かな?」と思いつつ読んだら、何もダメ出しされなかったので、ボンヤリ度が合っていた様です。

ダイヤローグのレッスンでは、「何も考えないで、ただ読んで」と言われて読んだら、「ぼんぼちさん、すっごくいいね!」と、めったにお褒めにならない先生が、声高らかに満面の笑顔で褒めてくださいました。
私が、「第一回目の『から騒ぎ』では、グダグダだったので、この二週間、毎日 自主練してましたっ!」と言うと、「やっぱり努力の成果は出るもんだねー」という様な内容のお言葉が、ますますの笑顔とともに返ってきました。
私は、「努力はしますっ!!」と、強く言い切りました。
先生の隣に座っておられたプロデューサーさんも、「ほほぅ」といった表情で、笑んでくださっていました。

ダイヤローグの感情を込めた授業では、まず、一部を、動きをつけながら台詞を読み、椅子に座って読む時も、そのように動くのだという事を 常に頭に入れつつ読む事、
「では、殺してちょうだい!クローディオを。」を、もっと真に迫ったリアルな言い方をする事、
「え!いや、それはできない。」も、やはり、真に迫ったリアルな「そんな、、、友人を殺すなんて、できない、、、」という感情で発する事と、「それは」の「それ」は、「友人クローディオを殺す事」なのだと 観客に解る様な言い方をしなければならない事、
自分では作り声をしているつもりはなくても、作り声になってしまっている部分がある事、
感情が先行してしまって、言葉が綺麗ではない(明瞭ではない)部分がある事、、、等々々を、ダメ出しされました。

そして、レッスン了りに先生は、「日本語というのは、高文脈言語といって、具体的に説明しなくても伝わる言語であり、対して英語は、低文脈言語で、具体的に説明しないと伝わらない言語なんです。 だから、低文脈言語を訳した戯曲を高文脈言語の文化圏の人達が演るには、それ相当のテクニックが必要なんです」と、大変 高度で貴重で専門的な理論を教えてくださいました。
それが実例として、どのようなテクニックか、まではご説明にならなかったので、後日、人数が少ないレッスン日にでも質問してみようと、思いました。

この日は、大変に褒められたし、ダメ出しされた箇所も一度で直せた所が多かったので、非常に達成感の大きな一日でした。
帰路、夜空を仰ぐと、オリオン座がきらめいてました。
「星が綺麗に見える夜」って、こういう日のことを言うんだな、、、と、生まれて初めて実感しました。
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