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第42回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、1月15日(月)に行われた演技のレッスンの、リポート&感想をつづらせていただきたいと思います。

この日は主に、2種類のレッスンをやりました。
先ず1つ目はーーー
3日ほど前に送られてきたテキストにある 3行の文章を暗記してきて、様々な、声を専門職とする人の立場で、テレビのバラエティ番組やラジオ番組のオープニングを務める人、という設定のオーディションに参加している人、というお稽古をやりました。

レッスンは最初、実際のオーディションはこうやります、の通りに、レッスン生一人づつが部屋に入ってゆく所から始めました。
名前を聞かれ、くるりと360度回ってみる事を指示され、それから、何種類かのオープニングをやる人を、それぞれ演じ、最後に趣味を聞かれ、部屋を出る所までをやりました。

レッスン生全員が終わった後、全員がレッスン室に戻り、一人一人もう一度、同じ事を演じさせられ、ダメ出しされてゆきました。

私が指示された中に「バラエティ番組司会者 芸人」というのがあったのですが、私は初めの2回は、「3時になりました」の台詞のところで、両手を客席から観て3時の形になる様に伸ばしたり、「始めてゆきましょう」では、片膝を立てて両手をいっぱいに斜めに広げたりしたのですが、先生に、「番組で、これからもっともっと面白い事を出してゆかなければならないのに、ここでここまでやっちゃ、この芸人は、自分の立場を解ってない、という事になるね」という意味のダメ出しをされました。
なので次に、「3時になりました」で、ほんの軽く両手を広げ、「始めてゆきましょう」で、キャメラがあるであろう方向に向かって真っ直ぐに右手を伸ばし、台詞を言い終わったら、人差し指でトンボの目を回すようにくるくると回転させたら、「こっちのほうがいいよね」と言われ、とても嬉しかったです。
その後に、「顔の高さに指を出すと、自分の顔が映らなくなるから、もう少し下でやった方がいいよね。 この芸人は、そこ、解ってないって事になるよね」というお言葉が付け加えられましたが。

ラジオのディスクジョッキーの設定では、大声で、極めて極端に声の高低をつけ、これ以上はない、というくらいに大げさにやったら、「こういうディスクジョッキーいるよね」と言われ、これもとても嬉しかったです。
今回は、基本、お褒めにならない先生に肯定された事が2つもあって、非常に嬉しい日でした。
ディスクジョッキー役をやった後も、「このディスクジョッキーは、マイクの使い方を解っていないね。 大声でしゃべっているように聞こえるけど、(先生がご自身で声を出してくださり)このくらいの声でしゃべるものなんだよ」とのダメが入りましたが。

今回の様な方向性のお稽古は初めてで、大変、面白く楽しかったです。

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次に、「リア王」の、リアが独白を続けた末に死んでしまう、という場をやりました。
ここで私が主にダメ出しされたのはーーー
・気持ちのスイッチを入れてから、声を出す様に。
・心が変わるスピードに合わせてテンポを変える様に。 平板にならない様に。
・「目がよく見えぬのだ。どうもはっきり見えぬ」を、もっとリアルに読む様に。
などでした。
「リア王」という戯曲の中でもこの場は、最もリアの複雑な感情が爆発する所なので、とてもとても私なんぞには、そこまで感情を持ってゆけずに、難しかったです。

又、今回は、オーディション疑似体験のお稽古もあった為に、レッスンの合間合間に先生が、オーディションの実情や、劇団の内情や、役者ってこういう人が少なからずいる、というお話しをしてくださり、驚いたり、笑ったり、頷いたり、、、
どの職業も、リアルにその世界に入ってみないと解らない事だらけだなぁと、痛感しました。
中、仕事が欲しいが為に、女性側から上の立場の男性に言い寄る事がある、それが私のごく身近でも行われていた、という話しを聞いた時は、あまりの驚きに、鳩がキョトキョトするが如く、「えっ?!」「えっ?!」「えっ?!」、、、と、思わず「えっ?!」を10回くらい繰り返してしまいました。
又、役者にはこういう人が少なからずいる、のお話しには、私には、役者や役者を目指している友達がたくさんいる(今現在、交流を続けている人はわずかなので、正確には『いた』と、過去形か)ので、心の中で、「いるいるいるいるいるーーー!!!」「言う言う言う言う言うーーー!!!」と、大きく頷かずにはおれませんでした。

今回のレッスンは、普段とはちょっと志向の違ったレッスンあり、実際に役者を体験した人でないと知り得ない内情を教えていただいたりと、前回の100倍くらいの強烈な情報が、私の頭の中にドバーーーーッ!!!と入ってきて、これまでレッスンを受けてきた中で、一番、出席した甲斐があったな、と感じられた回でした。

それから、このレッスンのシリーズ、先生に他のお仕事が長期で入ったために、しばらくの間、お休みになります。
で、私は、これを機に、レッスンに通うのをやめようと思います。
理由は、今回のレッスンで、100回分通ったくらいの 自分が欲してた情報が得られたこと、
シェイクスピアについて、自分が知りたい情報を充分に知れたこと、です。
つまり、すっかり、レッスンに通うことに、「気が済んだから」です。

ぼんぼちの人生、この日のレッスンが了った時点から、次の章が始まりました。
これからは、その章に全力投球してゆきます!

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第41回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、12月21日(木)「リア王」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

たいていレッスンが始まる時刻は、13時とか15時なのですが、この日は11時始まりと、案内書きにありました。
この時点で、「あ、、、この日のレッスンは、私、全然まともに出来ない、、、」と、負の確信がありました。
というのは、私は子供の頃から睡眠障害の持病を持っていて、毎晩、4種類6錠の睡眠薬を飲んでいるのですが、午前中は、睡眠薬が身体の中に残っていて、正常な状態でも滑舌が悪いのに、輪をかけて頭がぼーっとしてロレツがまわらないのです。
だけど、一回も休まず出席する!と自分に誓った以上は出席しよう! 全然ダメな日があっても仕方がない、というダメ元の気持ちで臨みました。

案の定、、、
先ず、さっそく滑舌の弱さを指摘されました。
他にも、リアはもうろくしていて言っている事が支離滅裂なのだけれど、ここでは何を言っているのか、次のセンテンスでは何を言っているかを、きちっと線引きして分けて考えて台詞を言う様に、や、ぼんぼちさんはこれだけ長く通っていると、僕(先生)に色々言われて壁にぶち当たる事も出て来ると思うけど、僕の指摘した事と自分(ぼんぼち)の出し方が中途半端で、思いっきり出し切れていない、や、相手の台詞をきちんと受けてから自分の台詞を発する様に、等等等、、、

その後、先生は、「ある程度レッスンを重ねてくると、自分の演技というものが出来上がってくるものです」と仰いました。
そして、「絵を描く人も、そこは同じでしょ?」と。
私が、絵に関しては全く違うので黙っていたら、先生は「え?」と、私の返答をうながしました。
なので私は、今はもう現役の画家ではないし、もう二度と画業に復帰しない為、本音を言っても全く自分の損にはならないので、「いいえ、画学生時代は、教師が良い点をつける画風を狙って描いて、公募展では、審査員受けする画風を狙って描いて大賞を取って、お客さんに売る作品は、お客さん好みの画風を狙って描くんです。 そうしないと、勝ち上がってプロの画家にはなれません。 私は自分が描きたい絵を描いた事は一度もありません」と真実を述べると、先生は「へえ、、、」というお顔をなさいました。

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私は、プロの役者を目指す人やプロの役者さんも、先生や演出家や監督やオーディションの審査員が好んでいる芸風を、その場その場に応じて狙ってやっているものだと、今の今まで思い込んでいたので、「役者さんの世界は違うのですか?」と尋ねると、「違います。 自分の中で出来上がった演技を『私はこれが出来ます!』と見てもらうんです」という様な意味の事を仰いました。
私は、びーーーーーーーっくりしました。
41回レッスンに通っていて、一番驚いた事でした。
これまでは、「解らなかった」「知らなかった」「以前の研究所の先生の教えは間違ってるらしいぞ」との思いで、「はい」「はい」と「自分の意思をゼロにして、これからは、この先生色に染まろう!」と、画業と全く同じ考えでいる事をみぢんも疑わずに思い込んでいたので、とてもとてもとーーーーーっても驚きました。
何回通っても新たな発見があるものだな! 趣味として、演技論の何たるかは机上だけでは身をもって解らないので、実技を体験する事で理解したいと通っている自分には、まだまだ通う必要があるな、と、気持ちがますます前のめりになりました。

それから、レッスンの最後に先生は、「ぼんぼちさんはプロにはならないと言っているけど、滑舌が悪いから、プロになるには10年はかかるね」と仰いました。
私は、これだけ滑舌が悪いのだから、仮定としてプロを目指したとしても、一生なれないと思っていたので、「へっ?!たったの10年で、私なんかがプロになれちゃうの?!」と、拍子抜けしました。
演技の世界って、意外とハードル低いんだなぁ。

だって、絵の世界は、「40、50は鼻垂れ小僧」と言われる様に、通常30年間修行を重ねて、ようやっとプロになれるのが一般的なのに。 私の様なハイスピード者は極めて稀です。
しかも、画家を目指す者誰もが30年修行を積めば画家になれる訳ではなく、100人中98人は、一生かかってもプロになれないのに、、、

ともあれ、今回のレッスンは、これまでで一番大きな驚きがあった回でした。
まあ、いずれにしろ、私はプロの役者を目指す気は1ミクロンもないので、私とは別世界の話しではありますが、演技論の何たるかを一つ知れたのと、これから劇映画を鑑賞する折に、とても参考になるお話しでした。
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第40回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、11月18日(土)第40回「ロミオとジュリエット」のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ずウォームアップとして、短歌14首の中から好きな歌を選び読み、すぐに他のレッスン生が完コピして言う、というお稽古をやりました。
私が先に読み、次に他のレッスン生の完コピをやりました。
完コピをやった時は、「前の人の息づかいまで真似る様に」とのダメ出しを受けました。
先に読んだり完コピしたりを交互にやってゆきながら、歌を2首続けて、3首続けて、4首続けて、それを完コピ、と、どんどんと難易度が高くなってゆき、4首続けての完コピでは、2首目以降、前の人がどう読んだのかが頭からすっ飛んでしまい、案の定、先生に、「ぼんぼちさん、2つ目以降は自分の読み方になっちゃってたね」と、ズバリと指摘されてしまいました。
又、私が選んで私の読み方をした歌の中に、「会いに」という言葉が出て来たのですが、「『あ』が突出して強く張りすぎている。 『あ』という音は、母音で、口腔内に何の障害もかからない音で一番難しいので、意識して抑えて読むように。 喉仏を下げて発する気持ちで読む様に」と、何度も何度も「まだ強い」「まだ強い」と、ダメ出しをされました。
母音は口腔内に何の障害もかからない為に最も難しい音である、という事は、以前にも教わりましたが、改めてその難しさを感じました。

次に、「ロミオとジュリエット」のかの有名なバルコニーシーンのしょっぱなの、ジュリエットがロミオに気づく前の、ロミオの1ページに渡るモノローグをお勉強しました。
ダメ出しを受けたのは主にーーー
1、ムダな息を使っている所がある。
2、「待て」「昇れ」「見ろ」の様な命令の言葉は、短く切らずに、「待てー」「昇れー」「見ろー」に近く、少しだけ伸ばして言う事。
3、1行の中でツイになる言葉をツイになる様に読む事。そうすると、詩的な台詞になるから。
4、今まで自分が観てきた演技、やってきた演技を次々と壊していって、まだ誰もやっていない新しい演技をする事。
でした。
この中で、2と3は、訓練を重ねれば出来るだろうな、という自覚はありましたが、1と4は、今の私にはどうしたら出来るのか、方法論も皆目解らなく、また難しい課題を出されてしまった! とにかく先生のお言葉を頭に自主練するしかないな、、、と、前向きに考えました。
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その次は、ロミオとジュリエットの2人が初めてジュリエットのベッドで夜を共にし、朝になってロミオが帰らねばならない場をやりました。
「湿った感じで!」「次は乾いた感じで!」「今度はタバコを吸いながら!」と、様々な条件下でやりました。
ここで私がダメ出しを受けたのは、「ぼんぼちさんは、静かにしゃべって次にわっ!と大きく出すというパターンの繰り返しになっているから、そのパターンに陥らない事」でした。
私自身はそういうパターンでしゃべっている自覚はなかったので、目からウロコで、「これからは心して、そうならない様にしよう!」と思いました。

それから、2人がパーティー会場で初めて出逢い、互いに一目惚れするシーンをやりました。
ここでは、相手役の人と椅子を向き合わせて近づけて、目を見ながら台詞を読みました。
一度目は、2人の距離は50センチくらいの設定で、ささやく様に。
その後で、パーティーなので周りが騒がしいし皆が見ているという設定で、デパート店員と客くらいの距離感で声を張って、とのご指示の元にやりました。
その中で、ドキドキ感も込めて、という条件も先生は出されたのですが、私は近年ドキドキする事がまるでなかったので、ドキドキ感が全く込められずに、「ああ、もっと瞬時に想像力を働かせられる様にならねば!」と反省しました。

そして最後に、6ページに渡るバルコニーの場全部を読みました。
もぅ、レッスン時間の了りが迫っていたので、先生が細かにダメ出しをなさる時間はなかったのですが、帰り際に、「ぼんぼちさん、前回より長台詞が苦しそうじゃなくなったよ。ほんの何パーセントかね」と先生に言われ、私は、「前回は、ジュリエットは16才だという事にとらわれ過ぎて、自分の声域より無理して高い声域を出していたのですが、今回は16才だという事はあえて考えずに、ふだん自分が歌を歌う時の声域で読みました」と答えました。
ほんの何パーセントかであっても、自分にとって難題だと思っていた課題がそのままではなくなったのが先生にも伝わり、とても嬉しかったです。

次回のレッスンも、今回よりわずかでも上達出来ているように頑張ろう!と、スタジオを後にしました。
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第38回第39回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、10月5日(木)第38回「マクベス」、10月23日(月)第39回「ロミオとジュリエット」の演技のレッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。

先ず、10月5日(木)第38回「マクベス」。
この日はとにかく、徹底的に、マクベス夫妻が主催する 国のお偉方を招いたパーティーで、マクベスが、自分が殺させた者の幻影を見てしまい 翻弄され、パーティーがお開きになる場を、お稽古しました。

マクベス役をやった時の主なダメ出しはーーー
このパーティーが始まる直前に、マクベスは、自分が殺させた者が完全に死んだという知らせを聞いているのだから、パーティー開始時に、すでに少し疲れている。
そして、幻影を見て翻弄される事でますます疲れ、しかし、パーティー参加者には平静をとりつくろわなければならないから、余計に疲れ、場のラストでは、もぅ眠るしかないくらいに疲れ果てている。
その感じを、もっと出す様に!でした。
先生は、「僕がよく言っている どんどん変わってゆかなければいけないっていうのは、こういう事なんだよね」と仰っていました。
つまり、人間は、人格は変わらないけれど感情は変わってゆくものなので、芝居は、その感情が次々と変わるのを演じなければ、芝居は前に進めない、という事です。
私は、第一回目のレッスンで言われた時にはピンと来なかったのですが、今回初めて、「あぁ、『変わってゆく』というのは、こういう事なのか!」と、しかと理解が出来ました。

細部ではーーー
「おい、見ろ、あれを、あれだ、あれでもか?」と、「あれ」が三つ出てくる行の「あれ」は、全て言い方を変える様に、という事。
七行の少し長い台詞の中にも、モノローグ的に言う所と夫人に向かって大きな声で言う所との違いをつける事。
幻影に翻弄された直後、パーティー参加者に、「何ともない。気にかけないでいただきたい」と、平静を装うのだけど、ぼんぼちさんは、いかにも うろたえているのを普通だよと装っていますよ、という芝居です。平静を装う時は、極力 うろたえてる自分の内を悟られない様な言い方をするものです、という事。
ここ、難しくて、自分でも「出来てないなあ」と思いました。
その後で、再び幻影が現れ 幻影に向かっての台詞で、「きさま」が三回出て来る所も、三回とも言い方を変える様にーーーでしたが、前々回、前回と幻影が現れた時よりもっと激しく怯えるということをにばかり集中してしまって、三つ変化をつける事まで気がまわらなくて、シマッタ!と反省しました。

それから、初めて教えていただけたテクニックもありました。
「〜幻め、消えてしまえ!」で、最も声を張って叫び、幻影が消えるのを確認してから、「よし、〜」と台詞が続くのですが、単に間をあけるだけでなく、「〜消えてしまえ!」(はぁ、はぁ)で、三つ目の(はぁ)の息づかいに乗せて、「よし、」と言うと良い、という事でした。
これは、心の動きと身体の動き(このレッスンでは、基本、物理的には動きませんが)は、連動しているので、呼吸の荒さと台詞も一致していないといけない、という事で、「なるほどー!その通りだ!」と、深く頷きました。

マクベス夫人役をやった時のダメ出しはーーー
演技をやっている人に聞こえるので、現実にそう言っている様に台詞を読む事!でした。
途中、先生は、「じゃあ、ぼんぼちさん、過去のダンナさんを怒った様に言ってみて、」とのご指示が出たので、思いっきり大声でののしる様にわめいたら、「やっぱり演じている様に聞こえる。 それに、大きい声を出すばかりが怒りの表出ではないでしょう。 大きい声を出さなくても酷く怒っている表現もあります。 解るでしょ」と言われ、「はい、解ります」と正直に答えたものの、理屈では解っても自分に実際に出来るだろうか? 否、出来るまで努力しよう!と、唇を噛みしめました。

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次に、10月23日(月)第39回「ロミオとジュリエット」。
この日は最初に、短歌を心を込めて読む、という課題をやりました。
私が一度目に、思いっきり感情を表出させて読んだら、先生から、「心では思っていても、口から出すのはもっと抑えて!」という様な意味のダメ出しが入りました。
「意図的にではなく、もっと抑えて。 でも、この歌で言わむとしている事は、ちゃんと伝わる様に!」と、二度、三度、四度と読みました。
この課題はだいぶ前のレッスンでもやったのですが、やはり、表面は抑えつつも気持ちのメリハリや主張を出すのは難しいな、、、と思いました。

その後で、「ロミオとジュリエット」のかの有名なバルコニーの場を勉強しました。
私はジュリエット役をやりました。
主に指摘されたのはーーー
1、ジュリエットはこの作品の中で、太陽の如き存在なので、もっと太陽である感じを出す事。
2、長台詞になると、詰まった様な聞き苦しい声があらわになるので、まず、心をリラックスさせて読む事。 そうすると、身体もリラックスして喉を筋肉が締めつけなくなるから、聞き苦しさの解消に向かえる。
3、素人っぽい読み方を目指す事。
練習すればするほど素人っぽさから離れてゆきがちだけれど、あえて素人っぽく読む事。
意図的、技巧的になってはいけない。

この中で、1は、注意されたらすぐ出来ましたが、2と3は、私に出来るかなあ、、、?と、すごいハードルの高さを感じました。
2は、滑舌同様、アタマではなく筋肉の問題なので、理論的な事を理解するのは私にとってそれほど難題ではないのですが、肉体をどう駆使するか、という事は、アタマで解れば出来る問題ではないので、大変に難しいです。
だけど考えてみると、カラオケでは喉を締めつけずに高音を出せるので、読む時にリラックスさえ出来れば解決出来る筈なので、自覚も大きいだけに、この高いハードル、いつかは越えたいです。
3は、一見、「???」な要求ですが、先生はしばしば、柄本明さんの演技は、演技をしている様に見えない、台本に書かれてある文字を覚えてしゃべっている様に聞こえない、本当に上手い役者さんです、と仰っているのですが、そういう 柄本明さんの様な演技を目指せ!という事だと思いました。

そして最後に、ロミオとジュリエットの二人が初夜を迎え、シーツに包まって抱き合っていて、朝が来て、ロミオは帰らなければならない場をやりました。
ここでも私は、ジュリエット役をやりました。
出だしは耳元で甘くささやく様に、ラストはロミオの胸を突き放す様に、けれど、同じ調子で強く発するのではなく、ラストのラストは、悲しくつぶやく様に、とのご指示を受けました。
一人で下読みした時は、この場がこんなに色っぽい場だとは想像だにしていなかったので、目からウロコでした。

レッスン、回を重ねる毎に、どんどん難しい要求が出されます。
「わー!こういう事、いつか私にも出来るんだろうか?」と思いつつ、たとい出来なくとも、自主練もレッスンも楽しくて仕方がないので、次回もまた、私なりのマックスの力で臨みたい!と、眼(まなこ)をギラギラさせています。

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第37回演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、9月19日(火)第37回「マクベス」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、今回の先生の講義は、「物語原型」についてでした。
物語原型というのは、何らかのすでに在る物語を元に立ち上げた 小説なり舞台なり映像なりの事を指すのだそうです。
先生は、日本人なら誰もが知る物語原型の形をとっている作品に、NHKドラマで大ヒットした「おしん」は、シンデレラが物語原型となっているんです、と仰いました。
いじめられていた娘が、後に大成功をおさめる話しは、まさにシンデレラをなぞっているーーーと。
その明らかな裏付けとなっているのは、シンデレラを日本で初めて訳した人物は坪内逍遥で、日本語題は「おしん」だったとーーー。
だから、日本のみならず、アジアのあちこちでもヒットに火がついたのだそうです。

私が知っている作品で物語原型をとっているものはあるのか、考えてみたところーーー
私が最も敬愛する映像作家・松本俊夫先生の映画「薔薇の葬列」は、オイディプス王の物語原型をとっているな、と思いあたりました。
オイディプスが母とは知らずに交わってしまう、逃れたつもりの果てに逃れようのなかった悪夢の運命が待っていたーーーというシノプシスを、ゲイボーイとその父に置き換え、愛する彼氏でありパトロンが、実父だったと知るや、オイディプスさながらに両眼を突いて了、という大傑作です。
私は、「薔薇の葬列」が頭に浮かんだ瞬間に、ドラマ「おしん」を詳しくは知らなくとも、物語原型という形式が、いかに作品を奥深く面白い物にしているかが、納得出来ました。

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そして、実技のお勉強に入りました。
最初に、夢遊病者となってしまったマクベス夫人の長台詞をやりました。
一度目に読んだ時ーーー
先生は、「復習をよくやってきたのが解ります。 で、次の段階として、力が入り過ぎている点、心がリラックスしていない点があるので、結果として、観客に対してのコミニュケーション力が乏しくなっています。 あと、心がリラックスすれば、滑舌もよくなるかも?知れません」と仰いました。
その他には、「早く読む所が早過ぎて、遅く読む所が遅過ぎるので、一人の人物がしゃべっている様に聞こえないし、バランスが悪いです」ーーーとも。
ダメ出しを受けながら、二度、三度と読みました。
最終的なダメ出しとしてはーーー
「太り過ぎている感じがします」
「それは、具体的にはどの様な事なのですか?」と質問すると、
「『太り過ぎ』っていう演劇の専門用語がある訳じゃないんだけどね、僕がイメージとしてそう感じたという事で、要するにーーー」と、詳らかに説明してくださいました。
要するに、一つ一つの言葉に必要以上に意味を持たせ過ぎている。 だから、重たい物をズルズル引きずっている様に感じられる。
自分の内には色んな物を詰め込まなければならないんだけど、それを全部出そうとはしない様に。 もっとスキニーに! という事でした。
先生は、私が昔、画家をやっていた事をご存知なので、私にはしばしば絵画に例えてくださるのですが、今回も絵画に例えてくださった為に、そこで理屈としてスッ!と理解が出来ました。
だけど、筆という手段と声という手段は大きく違います。
理屈で解ったところで、果たして、この難しい課題、私にどこまで出来るだろう?ーーーうーん、大変な課題を与えられてしまった!と思いました。

次に、マクベスとマクベス夫人が、国のお偉さんを集めてパーティーを開く中、マクベスが、自分が殺させた者の幻影を見て錯乱し、パーティーがお開きになってしまう、という場をやりました。
マクベス役をやった時はーーー
マクベスは何の為にこの場にいるのかを忘れずに読む事、これは公式のパーティーである格調の高さを出す事、を主に注意されました。
ぼんぼちさんが一度目に読んだのだと、軽い単なる宴会で、幻影にばかり集中しているーーーと。
二度目は、一つ一つ細かく、「ここは、こういう状況でこういう気持ちだから」と、ご指示を受けながら、なんとか読みました。
マクベス夫人をやった時はーーー
一度目に読んだ時のダメ出しは、公の場であからさまにそんな風に夫にケンカをふっかける様な言い方はしない。もっとこっそり、マクベスにだけ聞こえる様にーーーでした。
夫人役の二度目の時は、一度目のダメ出し通りに読んだら、それほど多くは注意されませんでした。

「太り過ぎない様に、もっとスキニーに!」
この課題、私にいつか、克服出来る時が来るのだろうか???
次回のテキストも「マクベス」なので、とにかく、復習出来るだけ復習しようと、拳を固くしました。
テキスト、読むべし!読むべし!!読むべし!!!

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第35回第36回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」、8月30日(水)第36回「マクベス」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、8月7日(月)第35回「お気に召すまま」。
この日は、実技のレッスンが始まる前に、先生の講義がありました。
「エレメンツ」についてでした。
エレメンツとは、当時(シェイクスピアが書いていた16世紀イギリス)では、地、水、風、火、の、この四つの要素のいずれか又は混じり合いで人物が出来ており、したがって、劇の登場人物のキャラクターも、そのどれかに設定していたそうです。
そして、これらが安定した状態をテンパーと呼び、最も不安定なひっちゃかめっちゃかな状態をテンペストと呼ぶのだそうです。

講義の後、ジェークイズという 追放された臣下の長台詞の実技に入りました。
ジェークイズの言っている内容は、「しょせんは人生なんて、、、」といった厭世的、悲観的なものなので、明らかに「地」の人物となります。
長台詞の冒頭の四行は暗記してくる事が宿題となっていたので、この四行を、地の人である事を意識しながら言う様に、とのご指示が出ました。
私には、目をつむって、とっても小さな声で発する様に、との条件付きでのご指示でした。
ダメ出しされたのは、「すべて」の「す」が出過ぎている、「舞台」という語を作り過ぎている、「さまざまな役を演じる」が、意図的になっている、でした。
自分では無意識に言っていたので、ダメ出しをされて初めて「ああ、そう言っていたのか、、、」と気付かされました。

次に、オーランドーとロザリンドという 相思相愛でいながらも、それを互いに言えずにいる 若い男女の恋愛ごっこで、徐々にロザリンドの本音が出てくる、という件りをやりました。

最初に私は、ロザリンドを読みました。
先生は、「幼稚です。年齢が幼な過ぎるという意味の幼稚ではなく、演技が幼稚です。 ロザリンドはもっと落ち着いていて、したたかです。 それから、オーランドーの事を好きで仕方がないのに、その感情が出ていません」と、仰いました。
私は、自主練していた時にも、なんか薄っぺらくて「好き」の感情が出せないなあと思いつつも、そこを克服出来ずにレッスン日が来てしまったので、「やっぱり、、、」と思いました。

その次にはオーランドー役をやりました。
演技をしている人に聞こえるので、現実にそう言っている風に聞こえる様に台詞を読む様に、とダメ出しをされました。
このダメ出しは前回もされたので、「あっ!しまった!」と反省し、「演技をしていない風に読む」というのが、今の私の最大の課題だな。すぐには出来る様にはならないかも知れないけれど、いつかは絶対に出来るようになろう!!と、自分に言い聞かせました。

その後、ここは結婚相談所で、オーランドーは相談しに来た人、ロザリンドは相談所の職員、という設定でお勉強しました。
この設定の時もやはり、ロザリンド役をやった時もオーランドー役をやった時も、「好き」である感情が聞こえて来ない、とダメ出しを受けました。
言葉では、真逆や、軽〜いニュアンスでも、本心はそうではなく、深ーく好きだ、という感情を出すのは難しいな、、、と思いました。

この日のレッスンでは、先生は他にも、様々なお話しをされーーー「にせだぬきじる」と「にせたぬきじる」はどう違うのか等ーーーそういった点でも、とても収穫の多かった四時間でした。
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それから、8月30日(水)第36回「マクベス」。
この日は、最初に、マクベスと共に殺人を犯したマクベス夫人が、夢遊病になってしまい、ワンセンテンスワンセンテンス、「今」と「ここにはいないマクベスへの語りかけ」が交互に来る長台詞を、お勉強しました。

私は、「マクベス夫人が、『今』と『夫への語りかけ』の所を、『今』はゆっくり、『夫への語りかけ』は早く、テンポの緩急をパッパッとつけて読むと、夢遊病者の感じが出ます」と、指摘されました。
あー!なるほど!そういうテクニックもあるのか!と、目からウロコでした。

次に、マクベス夫妻が、殺人を犯した後(マクベス夫人が夢遊病になる以前の幕)、地位の高い者達を招待して、宴会を開き、最中、マクベスが、殺したバンクォーという人物の幻影を見てしまい、宴が途中でお開きになる場をやりました。

私は先ず、マクベス役をやりました。
自主練してきた通りにやったら、先生は、「ぼんぼちさん、とてもがんばってくれたと思います。ただ、ぼんぼちさんは、宴会に集まった人達に対して声を大きくして、幻影に対して声を小さくしていたので、その逆の方がいいです」と、仰いました。
ここでも、なるほどー!その方がいいのか!と、目からウロコでしたが、めったにお褒めにならない先生に「がんばった」というお言葉をちょうだい出来て、とても嬉しかったです。
今回のテキストの予習時間は、2日とちょっとと短かかったので、レッスン日当日に体力が底をついてしまわない様に調節しながらも、今の自分自身のマックスの力を出し切れる所まで出来る様にしておきたかったので、バーーーッ!!!とエネルギーを使って、かなりきびしく自身を追い込みました。
それを先生に見抜いて頂けた様で、本当に嬉しかったです。

マクベス夫人をやった時はーーー
夫がこんな風になってしまって、うろたえて、それが増幅する、という読み方をしたら、先生は、「マクベスに対しては怒り、招待客に対しては冷静に笑顔で接する読み方で」とのダメ出しを受けました。
そしてラストの、宴客が帰り、二人だけになった時に、初めて、マクベスへの愛で包み込むーーーさながら、キリスト教画のピエタ(母子像)の如くに、と言われ、ああ、この場のマクベス夫人の台詞はそう多くはないのだけれど、こんなに読み方(心情)に変化をつけるものなのだ!と、やはりまたまた目からウロコでした。

最後に再び、最初にお勉強した、マクベス夫人の夢遊病の台詞をやりました。
一カ所一カ所「ここは早く」「ここはゆっくり」とご指示を受け、又、「血の臭いがする」「嫌な臭いは消えはしまい」を、もっともっともっと、「嫌な」感じを出す様にとのご指導の元、何度も読みました。
あと、その次に「ああ、ああ、ああ」と負の感嘆の言葉が続くのですが、後悔でいっぱいで、地獄に引きずり込まれる様な言い方で、と、ここも何度も読みましたが、難しくて、なかなかその雰囲気が出せなかったです。

次回のレッスンのテキストも「マクベス」で、次回も、今回と同じテキストが使われるようです。
次回のレッスンは、9月19日と、20日間、自主練期間があるので、今回ダメ出しを受けた箇所は、全部出来る様にしておこう! たーーーっぷり自主練しておこう!と、じっ!とカレンダーを見つめました。
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第34回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、7月20日(木)に行なわれた34回目の演技のレッスン、「お気に召すまま」の、リポート&感想を、つづらせていただきたいと思います。

先ず、ジェークイズという 前公爵の廷臣の、一頁の長台詞を、「感情抜きで、目読するとしたら、こういう声が、頭の中に浮かび上がるであろう」という読み方をやりました。
私は一番最初に、「では、ぼんぼちさんから」と指名され、結果、「滑舌の弱さはあるけれど、そういう読み方だよね」と肯定され、ホッとしました。

次に、ロザリンドとオーランドーという 相思相愛であるものの、事情があって、ロザリンドが男のなりをしていて、オーランドーはそれに気づかず(気づいていて気づかぬふりをして、ロザリンドの話しかけに乗る、という解釈もあるそうですが)ロザリンドが仕掛けた恋愛ごっこに興ずる、という件りをお勉強しました。

私は初めに、ロザリンド役をやりました。
主にダメ出しをされたのはーーー
ロザリンドは、自分からこの恋愛ごっこを仕掛け、つねに先頭きって話しを進めてゆくのだから、もっとぐいぐいゆかなければ!という事、
そして、恋し合う若者にありがちな、相手を翻弄して遊ぶ様子や、センテンスセンテンスでどんどん言い方(気持ち)を変えてゆかないと!ーーーという事でした。
先生に、一つ一つそれがどこかを指摘され、初めて「あぁ!ここは、そんなにも深い意味で言っていたのか!」と気づかされ、まだまだ自分の読み込みが浅かったのを反省しました。
先生に、「こういう事は、役者が自分で気づけないとダメよ!」と、これまでの回よりグーンと高いレベルを要求され、難しいけれど、次回からは、自分でそこまで気づけるよう目指そう!と、拳を固くしました。

それから、オーランドー役をやりました。
一つの台詞でも、何種類もの言い方(気持ち)を、「今度は、、、」と、求められました。
その中で、「この私なのだ、その恋の熱病にとりつかれている男というのは。どうかきみの治療法を教えていただきたい。」という台詞を、一度目は、熱くストレートにワアッと言ったら、では今度は、抑えた言い方でとのご指示が出たので、弱々しく頼る様に発したら、「そうじゃない!熱く湧き上がるものを、抑えて抑えて言うの! ぼんぼちさんのは、単に弱くなってるだけ。(先生は、ご自身の片手をグーにしてグーッと出し、もう片手でそれを抑え込むアクションで説明してくださり)この強さを抑え込む言い方しなくちゃ!」
私は、そういう言い方は発想がなかったので、「なるほどー!そういう台詞の言い方もあるのだな!」と、目からウロコだったのと同時にーーー、そういえば、映画「蒲田行進曲」のクライマックスシーンで、風間杜夫さんはこのテクニックを使ってらしたな!と、ハッとしました。

その後、先生は、「ドラマティック・アイロニー」とは何かについて、レッスン生一同に、お話しをされました。
ドラマティック・アイロニーというのは、「登場人物より観客のほうが、劇の仕組みをよく解っている事」を指すのだそうです。
今回お勉強した ロザリンドとオーランドーの件りはまさにそれで、「オイオイ、なんでそこ、気がつかないんだよ!」と、観客を笑わせられなくてはいけない。 だから、役者にとっては、大変難しく、高い力量が求められるーーーと。
日本人にとって非常に解りやすい例えをするなら、ドリフのコントの、「志村!後ろ後ろ!」という、あれです。

今回のレッスンも、とってもお勉強になりました。
次回のテキストも「お気に召すまま」なので、今回ダメ出しされた所は全て出来ているように、又、違う風にやって!とご指示が来た時も、瞬時に求められた事が出来るように、様々なパターンを自主練しておこう!と思いました。

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さてーーー
私は、演技のレッスンが終わると、必ず、帰りがけに、10年来行きつけにしている 高円寺の音楽カフェで、飲みながら 空いたお腹を満たすのですが、この日は偶然、飲み仲間である W大で在学中、そしてご卒業後も米文学を研究していらっしゃる男性が、カウンターにおられました。
私が、「今日は演技のレッスンの日だったんです。シェイクスピア勉強してるんですーーー」という声がけをきっかけに、彼は、「僕は、シェイクスピアは専門じゃなくて詳しくはないんですけど、、、」と謙虚につぶやかれながらも、16世紀エリザベス調時代に、現代にも全く通ずる人間の本質が描けているシェイクスピアの天才性や、訳者である小田島雄志さんの名訳の素晴らしさや、彼の在学中に(もしかしたら、今もいらっしゃるかも?と話されてましたが)F先生という シェイクスピアがご専門の女教授がいらして、その先生のゼミは大人気だった事や、小田島雄志さんの息子さんも、シェイクスピアがご専門ではないけれど、彼の在学中にW大で先生をやられていて、酔うとハムレットの真似をされるという噂が、W大生の間にはあったりしたというお話しや、私が、今回のテキストを見せると、興味深げに全て読んでくださり、「やっぱり面白いですねぇ!部分だけを読んでも、これだけ面白いって、すごいですよね! こういうのって、ドラマティック・アイロニーっていうんですよね。」と、昼間、先生がお話ししてくださったのと同じ説明をされました。
なんだか、今日の音楽カフェでのひとときは、いつもの与太話とは違って、二時限目の授業を受けている様に、有意義なものでした。

西荻窪への帰路は暑さも和らぎ、ほおを撫でる風が、とってもとっても心地良かったです。

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20年前の演技の研究所のアマチュアクラスの先生がクビになった話 [リポート]

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アマチュアの趣味のお習い事として演技を学んでいる 私・ぼんぼち、今現在は、大変に素晴らしい先生に就く事が出来て、幸せの限りです。
しかし、それ以前ーーー20年前に在籍していた 某研究所の日曜クラス(アマチュアのクラス)の先生は、矛盾と理不尽とおかしな思い込みに満ち満ちた とんでもない先生でした。
今日は、私がその研究所に入ってから、その先生が研究所をクビになるまでの顛末を つづりたいと思います。

私が入所する際、面接を担当されたのは、本科(本格的にプロを目指す人を対象としたクラス)の先生でした。
物静かでとても感じのいい先生でした。
ですから私は、「こういう先生のおられる研究所なら入りたい!」と、入所手続きをしました。

レッスン初日、初めて日曜クラスの先生と顔を合わせ、第一回目のレッスンが始まりました。
日曜クラスの先生は、M先生という 中年の男性の先生でした。

M先生は開口一番、「演技なんて、カーンタンなものなんだよ。コツを覚えれば、すーぐ出来ちゃうから」と言いました。
私は心の中で、「えっ?!演技って、そんなに簡単なものじゃないと思うんだけどな、、、???」と、首を傾げました。
M先生は、演技とはどういう風にやるものかの説明を始めました。
「先ず、全ての台詞をゆーーーっくりしゃべる。 嬉しいや楽しいの感情は、自分が出せる一番高い声でしゃべる。悲しいや辛いの感情は、自分が出せる一番低い声をでしゃべる。 台詞は、台本と同じ様な意味の事を言いさえすれば、きちんと覚えなくてもいいんだよ。 それから、前に台詞を言った人が言い終わったら、必ず一秒、自分の中で『イチ』とカウントして間を取る。 そうすると、前の人の台詞を聞いたとお客さんに見えるから。 そしたら、上を向いて大きく口を開けて、いっぱい空気を吸って、台詞を言う。 演技って、そのくり返し。 それが出来たら、どこのワークショップに行っても『完璧な演技です!』って褒められるから」
私は、ますます首を傾げました。
話しの展開によっては、早くしゃべったり、前の台詞の後、間無くしゃべる場合もあるんじゃなかろうか? それに、必ず自分が台詞を言う前に、上を向いて大きく口を開けるって、変じゃなかろうか?ーーーと。
けれど、先生たる立場の人の言う事なので、従う事にしました。

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演技の実技のレッスンに入りました。
私が地声で台詞を言ったら、M先生は、「ぼんぼちさん、それはぼんぼちさんの地声じゃない。女の人がそんなに低い声の筈がない。 女性っていうのは、もっと高ーーーい声をしているものなんだよ。 ぼんぼちさんは、自分が女性である事を否定して、男のフリをしてしゃべってるんだよ」とダメが入りました。
私が、「いえ、私、昔から、何のフリもしなくてもこの声です。 この声でしゃべるのが、一番楽な声の出し方なんです」と返すと、「いや、違う!」と、セル系アニメのロリロリ少女の如き声を出す様に、指示されました。
仕方なくロリロリ少女声でしゃべると、「そう!それがぼんぼちさんの地声! あと、笑う時も、さっきは低い声をでハハハ、、、って笑ったけど、それも女性の笑い方じゃない。 女性っていうのは、かん高い声でキャピキャピキャピって笑うものなんだよ。 あのね、男性は色々だけど、世の中の全ての女性は、一種類なんだよ。世の中の全ての女性は、みーーーんな、優しくて思いやりがあって、意地の悪い人や悪人なんていなくて、男性に尽くすものなんだよ。 演技以前に、先ず、そこ、改めて!」
私は、疑問の気持ちでいっぱいになりました。
男性が百人百色であるのと同じに、女性だって百人百色なのに、、、
けれど、これも、指導する人の指導なので、私は毎日、三時間、ロリロリ少女声でしゃべる練習とキャピキャピ笑いの練習をしました。

ある時、研究所にお菓子の差し入れが来ていました。
M先生にすすめられた私は、「私、甘い物苦手なので、けっこうです」と、丁重に断ると、M先生は、「ほらほらまた!ぼんぼちさんは、まだ男のフリをしている! 女性っていうのは、全員、甘い物に目が無いものなんだよ。食べないとしたら、ダイエットしてる時だけだよ」と眉をひそめました。
私は、「私、ほんとに甘い味が好きじゃないんですっ!」と、さすがにムッとして答えると、M先生は、「またまたー、ムリしちゃってー!甘い物食べると太っちゃうもんね!」と、ニヤニヤしていました。

日曜クラスのスタジオ内発表会は、半年に一度づつ行われ、私達日曜クラス生は、仕方なくM先生の指導通りの演技をしていました。
と、三度目の発表会が終わった直後、校長が私の傍に来て、「ぼんぼちさん、M先生の指導、納得してやってる?」と問いました。
私は、「いえ、何から何まで納得していません」と、間髪置かずに返しました。
「でしょ、納得出来なかったら、M先生に、面と向かって、真っ向から抗議しなくちゃダメよ!」
私は校長の言葉に大きく背中を押され、これからはその通りにしよう!と、少し気持ちが楽になりました。

次のレッスンの日、私はM先生に、普段しゃべっている声がぼんぼちの地声である事、女性は一種類ではない事、味覚だって女性それぞれだという事を主張しました。
するとM先生は、「そんな筈はないんだよ!」と、みぢんも聞く耳を持ちませんでした。
以降、M先生と私達日曜クラス生は、完全な敵対関係となり、言い争いの中にレッスンがすすめられ、言い争いの末に発表会が行われるようになりました。

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六回目の発表会ーーーつまり、私が入所して三年経った時の事ですーーー
台本は、「劇作家は演劇を解っていない」と言って、いつもM先生が書いていて、毎回ヘンテコなホンではあったのですが、その時のホンで私が与えられた役は、こんな役でした。
「一人のダンナ相手に、同時に、のちぞえであり二号」。
私が、「私のこの役は、のちぞえですか?二号ですか?どっちなんですか? ホンがめちゃくちゃでつじつまが合ってません!」と言い詰めると、M先生は、「えっ?解らないの??のちぞえで二号。のちぞえで、なおかつ二号だよ」と、当たり前といった顔で、支離滅裂な発言をしました。
私は呆れを通り越して怒り心頭し、「もう我慢ならん!!」と、プチン!ときました。
そして、本科の先生に、今回のホンのめちゃくちゃさや、これまでの、女性は一種類断定やそれを元に構成された演技法に、酷く矛盾と理不尽と憤りを感じていると、打ち明けました。
すると本科の先生は、「ぼんぼちさんの仰る通りです。 それは申し訳無い事をしてしまいました。ほんとうに申し訳無かったです。 でも、来週、また来てくださいね」と、頭を下げてくださいました。

次の週、研究所に行くとーーー
M先生はいませんでした。
本科の先生が、私が本科の先生に打ち明けた事を、洗いざらい校長に話し、校長がM先生をクビにした、との事でした。

私は、M先生がクビになって当然だと、ホッとしましたが、同時に、なんであんな、演技指導以前に、人間の何たるかや日本語を理解していない人が、アマチュアクラスといえども、それまで講師として雇われていたのかが不思議でした。
アマチュアといえども、きちんと、月々、お月謝を払っていたのだから、それ相応の指導をしていただきたかったものです。
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第32回第33回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、6月15日(木)第32回「オセロー」、6月26日(月)第33回、同じく「オセロー」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、6月15日(木)第32回「オセロー」。
最初に、イアーゴーというずる賢い家来の、約一ページ近くの長台詞をお勉強しました。
一回目は素読み(感情を入れない読み方)で、二回目は、目の前に人間の言葉が解るアリがいて、そのアリに向かってしゃべる、という想定を与えられました。
自分自身は自覚はなかったのですが、「芝居をしている人に聞こえる。 そんなに声を作らないで、もっと、ぼんぼちさん自身の声としゃべり方で!」と、ダメ出しを受けました。
私は、こういう登場人物はこういう声で、こういうしゃべり方をするのだ、と、無意識のうちに作り込んでしまうきらいがある様で、それはよろしくない事なので、ちゃんと、自分の声、しゃべり方そのままで読める様にしよう、気をつけよう、と思いました。
三回目は、自動販売機に向かって語りかける、という仮定を与えられ、ここでのダメ出しは、「生物ではなく無生物、しかも機械相手にしゃべっている感じが、ちゃんと出るといいんだけどな」というものでした。
この仮定は、私の想像力が働かなくて、どういうしゃべり方をしていいのか、見当がつかず、少し見上げてしゃべるだけになってしまった、と自覚しています。
唯一褒められたのが、「つまり、やつの家来のようで、実はおれ自身の家来なのさ。」という一行で、自販機を説得するように聞こえた、と評されました。

次に、ウォームアップとして、シェイクスピアではない、極めて短い言葉の 全部で九行の、いかようにも解釈出来るダイヤローグを、様々な設定でやりました。
・一つの音を五秒かけて言う。
・逆に、一つの言葉を、非常に短く早く言う。
・小学低学年になって言う。
・90代になって言う。
・突然、目が見えなくなった人になって言う。
・一人が、ナイフを持って言う。
・一人がナイフ、もう一人がピストルを持って言う。
私は、五秒かけて言う の設定の時に、「音が揺らぐので、ずーっと同じ高さと張りで言える様に。 先ず、美しい声を正確に出せる様になる事が、台詞の基本です」と、ダメ出しをされました。
この様な訓練はした事がなかったので、自主練でもやるようにしよう、と思いました。
又、目が突然、見えなくなった人の設定では、ここでも想像力が及ばずに、自分でも「出来ていないなあ」と思っていたら、あんのじょう、「突然、目が見えなくなった、という、恐怖感や不安、内的パニックが出ていないね」と、注意をされました。

そして最後に、オセローが、イアーゴーに巧く丸め込まれて、愛妻が浮気をしていると思い込まされ、家に帰ったところから、愛妻の首を締めて殺すところまでをやりました。
台本で、台詞が、空白があって、下の方に書かれている箇所が何箇所かあるのですが、そこの読み方は、「必ずしもではないけれど、大抵の場合、相手役の前の台詞からひとつながりになる様に、歌に例えると、デュエットの掛け合いの様に言う様に」との事でした。
又、殺す殺されるの場面は、もぅ相手がしゃべっている事を聞いて自分がしゃべるどころではない状況なので、かなり、相手役の前の台詞に、自分の台詞をかぶせる様に、との事でした。
私が愛妻をやった時に、先生は、「そういう殺され方の台詞は、一般的な殺され方の言い方だから、何か違う言い方を見つけられるといいよ」と仰いました。
オセローをやった時に、「もう遅い。」と首を締めるところでは、首を締めながら(実際には、レッスン先は、一人一人椅子に座って読んでいます)「もうー、おーそーいーっ!」と言ったのですが、先生は、「そういう言い方がない訳ではないけれど、ちょっと歌舞伎みたいだから、『もう遅いーーーっ!』と言ってから首を締める方がいいよ」と仰いました。
そして、レッスン了りに、「ぼんぼちさんはやっぱり、感情が高ぶると、台詞が明確でなくなってきて、何を言ってるのか聞き取れなくなるよね」と、一番痛いところを突かれました。

この日のレッスンは、レッスン生の人数が少なかったので、非常に濃密な授業で、他にもたくさんダメ出しはされたのですが、次回のレッスンまでに、特に気をつけて出来る様にしておこう、と心したのは、芝居をやっている、と聞こえない風に、ぼんぼちが自然としゃべっていると聞こえる様に読める様になろう!という事です。
それから、滑舌の悪さは、頭では理解が出来て、十二分に自覚はあっても、口腔内の筋肉の問題も大きいのではないかと思うので、すぐには直せないけれど、少しづつ少しづつでも良くなる様にしよう!、次回のテキストも「オセロー」なので、早めに自主練を始めておこう、と、拳を固くしました。
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次に、6月26日(月)第33回「オセロー」。
「オセロー」ですから、前回と全く同じテキストを使いました。
ただ、前回とは違う方向からのアプローチのご指導も、幾つも受けました。

イアーゴーの長台詞て、最初に素読みをした時、とにかく私は、滑舌が悪いのだから、そこに気をつけよう気をつけようと、コンピューターのアナウンスの様な読み方を目指して読んだら、先生はーーー
「僕は、自分の指導法を反省しています。 あまりにも、『言葉が明瞭ではない』『聞こえない音がある』『美しくない音がある』と、さいさん注意をしてきて、ぼんぼちさんは真面目だから、そこを一生懸命に直そう直そうとしていらっしゃるのが、良く解る。 だけど、滑舌以前に、演技というのは『表現』なのだから、先ず表現ありきで、これからは読んでほしい。滑舌だけが演技ではないのだから。 だけど僕は、滑舌は非常に大事だと考えているので、これからも、そこを注意してはいきますけどね。」という様な内容の事を仰いました。
そのお言葉を聞いた時、「ああ、今の先生って、俯瞰と主観を両方の視点からお考えになれる、ほんとに優秀な先生なのだな。」と思ったのと同時に、気持ちがすっと楽になりました。
まあ私は、プロを目指している訳ではないので、出来なかったら出来なかったで、生活に支障が出る訳でも何でもないのですが、やはり先生に注意された事は、直したいと思っています。
舞台やキャメラの前には立たなくとも、お習いする以上は上達したいと、強く思っています。
なので、今までは、自主練の九割を素読みについやして、とにもかくにも滑舌良くなろう!としていたのですが、これからは、滑舌五、感情五、くらいの配分の自主練でいいのかな、と思いました。
そして先生は、「一音一音を長ーく読んだり、ウィスパーで読むと、全ての音が明瞭に聞こえるんだけど、少し声を大きくして普通のテムポで読むと、明瞭でない音や聞こえない音が出てくる。 何か心理的なカセがかかってしまうんじゃないかな?そのカセが何なのかは、まだ僕にも解らないけど。」と仰いました。
私自身も、その理由は何なのだろう?、、、もしかしたら、中高生の時は、日常生活にも不自由するくらいに滑舌が悪くて、何度言っても聞き取ってもらえなくて、それで相手に一方的に話しをシャットアウトされる事が、数え切れないほどあったので、そのトラウマがよみがえるからかな?とも思いました。

ウォームアップではーーー
・蛇の目の人同士
・蛇の目の人と狸の目の人
・オタマジャクシとカエル
・キツネの目の人同士
・そよ風とネギ
をやりました。
私は、蛇の目の人をやった時に、「いいねぇ!」と、褒められました。
目が蛇なだけでなく、身体も動きも生態も全て蛇になった気持ちでやったのが、正解だったようです。

オセローが愛妻の待つ家に帰り、愛妻の首を締めて殺すダイヤローグではーーー
私は愛妻役をやったのですが、「今日は、ヒマワリの様な人格の愛妻でやってみて!」という条件を出されました。
まだ殺されると知る前の、思いっきりな明るさの読み方は、何のダメ出しもされなかったので、その読み方で良かった様です。
ダメ出しを受けたのはーーー
「オセローからもらった愛の証のハンカチは、貴方が浮気相手だと思いこんでいる相手に贈っていません! あの人には、単に人間としての愛情があるだけです。」という意味の台詞が、懇願の感情だけになっているので、オセローに、一言一言説得しよう!という感情も含める様に、という点と、
殺されてゆく場面ーーー
苦しそうに声を小さくしていったら、「聞いている側も苦しい気持ちになってしまいます。 だからここは、全ての台詞は聞き取れなくていいので、所々、声をぱっと出して、次の瞬間は聞こえないくらいに小さくして、をくり返して」と言われました。
この部分は、前回、「ありきたりでない読み方で」と宿題を出された部分で、自分なりに工夫したつもりだったのですが、あー!なるほど!こういう風に読むといいんだ!と、目からウロコでした。

いつも、レッスンは楽しくて楽しくて、あっ!という間に終了の時刻がきてしまうのですが、今回は特に楽しくて、「えっ?!もう四時間経ったの?!」と疑うほどに短く感じました。
レッスンの最初の方で言われた、「先ず表現ありき」という先生のお言葉に、私自身をしばりつけていた滑舌の悪さのコンプレックスの鎖がゆるめられたのが、大きかったのかも知れません。
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第31回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、5月25日(木)第31回「オセロー」の、演技のレッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。
(なお、第29回第30回のレッスンは、参加希望者が私1人だったという理由で、中止になりました。)

先ず、ウォームアップとして、いかようにも解釈出来る 1行の極めて短い9行のダイヤローグを、ありとあらゆるシチュエーションで、お勉強しました。
・同窓会の立食パーティー会場で、30年ぶりに出逢った二人。
・お互いに、やたら、い〜い香りがしている二人。
・揺れる吊り橋の上で、出逢った二人。
・都会のドブネズミの2匹。
・象に踏まれつつ、会話をするネズミ2匹。
・1人がろくろ首になって、会話をする二人。
・1人が豚鼻、もう1人がアヒル口になって、会話をする二人。
等々々、、、
進む毎に、どんどん難易度が上がり、先生に「そうじゃない!そんな程度じゃ、そのシチュエーションに聞こえない!」と、バシバシダメ出しを受けました。
でも、難しかったけれど、とても面白い課題でした。

次に、イアーゴーという、ずる賢い家来の登場人物の、1ページ近くの長台詞を、素読み(感情を入れない読み方)でやりました。
私は、いつもの様に、滑舌の悪さを指摘され、特に、家来の「け」、利用の「り」、主人の「しゅ」、カラスの「カ」、突っつかせるの「つっ」、ロダリーゴー、イアーゴー、ムーアなどの、人名、人種名を、もっと明確に言うようにとの事でした。
私自身、滑舌は、最も苦手とするところで、その悪さは十二分に自覚しているので、案の定、、、といったご指摘でした。
そして先生は、「富士山でいうと、5~6合目辺りまで来たところだね」と仰いました。
滑舌、悪いながらも、少しは進歩しているんだなあと思いつつ、自主練で、もっともっと鍛えなければいけないな、頑張ろう!と、拳を固くしました。

最後は、オセローと彼の愛妻・デスデモーナのダイヤローグの、オセローが、イアーゴーが仕組んだ罠だと気づかずに、デスデモーナが浮気をしたと思い込み、家に帰り、デスデモーナに「殺す!」と詰め寄る件りをやりました。
私は、オセロー役もデスデモーナ役もやったのですが、両役とも、これから殺してやる!これから殺される!の、緊迫感が薄い!と、ダメ出しをされました。
自分が過去に体験していない事、実体験ではなくとも目の前で観察した事のない出来事を、リアリティを持って、その感情になり、発するのは、難解だな、と感じました。
でも、先々、またこのテキストが来た時は、少しでも、今回の先生のご指示に近づける様にしたい!と思いました。
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又、家で1人でテキストを読んだだけでは気づけずに、先生のご説明で、目からウロコだった所も、何箇所もありました。

私はてっきり、オセローが家に帰ってきた辺りはゆっくりで、徐々に早くなり、クライマックスの殺人シーンで、最もテムポが早くなるのだと解釈していたら、先生は、「逆!逆! だって、観客は、一番どこが観たいの?殺人シーンでしょ。 だから、殺人シーンにたっぷり時間を使って、それ以前は、トントントンと早くやらなくちゃ」と。
なるほどー!確かに、一番観たいシーンは、たっぷり時間を取って観せてほしいぞ! その前がもったりしていると、退屈するよな、と、大きく頷きました。

それから、オセローの「今夜の祈りはすませたか、デスデモーナ?」という台詞があるのですが、この「今夜の祈り」は、普段の日日の祈りと殺される前の懺悔とのダブルミーニングであるので、ダブルミーニングだという事を観客に解らせる様な言い方をしなければならない事。
ここも、私1人で読んだ時は、前者の祈りしか読み取れませんでした。

あと、やはりオセローの台詞で、「黙れ!静かにするのだ!」の「黙れ!」の意味には、しのごの言ってないで早く懺悔をしろ! 早く殺させろ! 外に人がいるから聞こえてはまずい、等、幾つもの意味が込められているので、「黙れ!」の一言で、その全ての意味を表すように言う事。
これも、私は単に、その前のデスデモーナの5行の台詞を打ち切るだけの意味だと解していたので、あー、まだまだ読み込みが浅かったな、これだけ(1ページ)の件りにも、こんなに深い意味が幾つも詰め込まれていたのか! やはり、プロを教えるプロ中のプロの先生というのは凄いな!と、改めて尊敬し直しました。

今回のレッスンは、非常に難易度の高い事ばかりを求められた様に思います。
だけど、久しぶりのレッスンだったし、わくわくでスタジオ入りして、爽やかな気持ちでスタジオを後にした一日でした。
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