「流行」に乗る必要はないけれど「時代の流れ」には乗った方がいいと思う [独り言]

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私・ぼんぼちは、「流行」には全く興味が無いので、食べ物も服も、流行とはまるで関係の無い所で、自分自身がいいと思った物だけを選んでいます。
流行に乗る事は、別段、かっこいい事でもお洒落な事でも何でもなく、単なるその時時の「多数派」になるだけで、乗らなくとも、生活に何の不便もないし、誰にも迷惑をかけないからです。

けれど、「時代の流れ」というものには乗らないと、生活に不便ーーーどころか支障が生じ、時に人様に迷惑をかける、と、これまで関わってきた人達を見て、感じています。

二十年くらい前に、Mちゃんという 私と同い年の女性と知り合いになりました。
Mちゃんは、「ぼんぼちちゃんとお友達になりたい!」と、ケータイの電話番号を書いた紙を、渡してくれました。
私は、「あれ? 今時、ケータイは持ってるのに、メールはやらない人なのかな?」と、不思議に思いました。
普通なら、電話番号と共にメアドも教えてくれるものなのにーーーと目をパチクリさせつつも、しばしば電話で連絡を取り合い、遊びに出歩いたり、飲みに行ったり、といった付き合いが始まりました。

お友達付き合いを始めて何ヶ月目かの時ーーー
私はMちゃんに、「Mちゃんはメールはやらないの?」と、尋ねてみました。
すると、「やるよ」と、メアドを書いた紙をくれました。
私はすぐさま、そのアドレスにメールをし、私のメアドも教えました。

後日ーーー
遊びに行くお誘いは、これからはメールで来ると思っていたら、以前と同じに電話で来ました。
私は、忘れたり間違えたりしないためのメモになるので、改めてメールで、待ち合わせの日時と場所を送りました。

すると、その日時・場所に、Mちゃんはいないのです。
どうしたんだろう?とメールで尋ねると、「駅のどっち口か解らないから、○口に出てるよ」と、電話で返ってきました。
私が、「だって、忘れたり間違えたりしない様に、メールに、日時・場所を書いて送ったよね」と言うと、彼女は、「メール? そんなもん、すぐ消しちゃったよ」と答えました。

Mちゃんとメアドを交換してからは、待ち合わせは、必ずこのパターンになり、出逢えるのが、待ち合わせ時刻の三十分から四十分後となってしまうのでした。
私が「どうしてメールわざわざ消去するの? 日時・場所を忘れたり間違えたりしないために送ってるのに」と言うと、彼女はどういう理由なのか、ただ黙っていました。

又、こんな事もありました。
突然、夜、電話がかかってきて、「今、ぼんぼちちゃんにメール書いてるから、ちょっと待っててね」。
私はてっきり、写真添付のメールが来るからだと待っていると、何時間経ってもーーー結局、その日は来ませんでした。
ニ、三日経った頃、再びMちゃんから、「ぼんぼちちゃんへのメール、もうちょっとで書き終わるから、もうちょっと待っててね」と、電話がありました。
ーーーそして、その、ニ、三日後、
書き込める文字数ギリギリいっぱいの、ありていの世間話が、改行なく、ビッシリ書いてあったのです。 写真は付いていませんでした。
ーーーこういうどうでもいい内容なら、逢った時か電話で話せばいいのに???と、彼女のメールの使い方のトンチンカンさに、真横になるほどに首を傾げました。

そう、Mちゃんは、メールというものの常識的な使い方を理解しておらず、完全に時代の流れに乗れていなかったのです。

Mちゃんは、気持ちの優しい人だったけれど、この、余りにも、時代の流れに乗れていない事に辟易し、私は、彼女との友達付き合いを止めました。

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それから、私はその頃、某演技の研究所の日曜クラスに通っていました。
色々あって日曜クラスの先生が研究所をクビになってからは、主に、本科の先生が教えてくださっていました。

ある時、本科の先生は、「役者というものは、ケータイ電話やパソコンを所有してはいけないんです」と仰いました。
私が、「どうしてですか?」と尋ねると、
「役者には想像力が必要なんです。 ケータイ電話やパソコンを持っていると、その大切な想像力が育たなくなってしまうんです。 好きな人がどうしているのか、連絡したくても連絡がつかない。そこで、『あの人は今、何をしているのだろう?』と、あれこれ思いを馳せるのが、役者に必要な想像力なんです。 あと、僕はずっと、月にはウサギがいると、本気で信じていた。 だけど、パソコンがあると、そういう夢が全てぶち壊されて、現実が暴かれてしまう。 それからですね、演劇の舞台に、ケータイ電話とパソコンは出現してはいけないんです。そんな物を出したら、演劇芸術が堕落してしまいます」ーーーと。

私が、「現代のサラリーマン世界の設定の話しでもですか? 社内では書類と黒電話だけで仕事をして、表で電話をする時は公衆電話に走るんですか?」と、目を丸くして質問すると、「そうです!」「どうしてですか?」「どうしてもです!演劇という芸術は、そういうものなのです!」と、当たり前といったお顔で、お答えになられました。
私は心の中では、「それは全て違うんじゃないか? 単に時代の流れに乗れていないという事なんじゃないか?」と思いましたが、相手は本科の先生だったので、黙っていました。
本科生で優等生と言われていた人は、先生の仰せを信じて、「僕は一生を演劇に捧げるので、ケータイもパソコンも、一生持ちません!」と、言い放っていました。

最初は尊敬出来る先生だと思った本科の先生でしたが、そのお考えに、私は大きく失望し、その研究所を辞めました。

それにしても、役者がケータイ電話もパソコンも持たないなんて、オーディションやワークショップのお知らせは、ネット上で告知される事が殆んどなのに、役者の仕事をやってゆくのに、支障や出遅れや知らずにシマッタ!はないのだろうか?!と、この人達に対しても、真横になるほどに首を傾げました。

あれから約二十年ーーー、時代はますますデジタル時代に進みつつあります。
あの人達は、今でも、自身の考えを改めないでいるのか、かなり気になります。

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