第6回第7回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、先日の 5月16日5月23日に行われた 演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、5月16日は、「ハムレット」でした。
前半では、男女がペアになって、極めて短い いかようにも解釈出来る言葉で構成されたダイヤローグを使って 即興劇を作ったり、指定された単語を スタジオ中を動きながら発し、その後をもう一人が影のようにコピーする という事をやりました。
これらのレッスンは、私は以前にいた研究所で、全く同じではないけれど かなり似た様な事を経験していたので、何を要求されているのかが解り、戸惑いや迷いなく実行出来ました。

メインレッスンの「ハムレット」では、この戯曲中、最も有名な「このままでいいのか、いけないのか、、、」のハムレットの独白を、レッスン生一人一人の不得手としている部分を 綿密に指導していただきました。
私は当然の事ながら、言葉が明瞭でない所を、くり返し指摘されました。

やはり今回も「滑舌の悪さ」の話しになり、先生は、「普段しゃべっている時や無感情で下読みする時は、全く滑舌の悪さはないけれど、感情を込めた台詞になると悪くなるね。 それには何か原因があるんだよ。 もしかしたら、今までやってきた事の何かが 引っかかっているのかも知れないね。 その原因が『何か』は、ぼんぼちさんが見つけるしかないんだよ」と仰いました。

私は家に帰って、「何が原因になっているか」を、過去に在籍していた 演技の研究所と朗読の研究所にいた時を思い出し、一晩考え、ある一つの原因が思い当たりました。
それはーーー
今まで演ってきた・読んできたホンは、担当のクラスの先生の書き下ろしだったり、私が中学生の時から慣れ親しんできた近代文学だったり、難しいところでも、アーサー・ミラーだったのです。
対して今度は、「わわわぁ〜! 天下のシェイクスピアだぞ!! 今まで、高尾山(東京の小学生が遠足で登る山)しか登った事しかない者が、エベレスト登山に挑むが如きだ!」と、非常に大きな圧迫感 プレッシャー 緊張感 を覚えずにおれなかったのです。
おそらくは それが原因だ、と自己判断しました。

そして、第7回の「リア王」のテキストが来た時には、「これは、天下のシェイクスピアではなく、無名のしがない劇作家が書いた戯曲だ」と思い込んで自主練しました。

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一週間後の「リア王」レッスン当日ーーー
そう思い込んでいたにも関わらず、何度もトチったり、明瞭に発音出来ない音がありました。
先生に、前述の、思い当たった原因と 自分の中でどういう思い込みをしたかを話したら、「それをやって直るなら、そういう思い込みの方法を取ってもいいけど、原因は違うと思うよ」と言われました。
先生の仰るとおりだと、瞬時に気がつきました。
試した思い込みが正しい解決法であったなら、今回、淀みなく読めた筈なのです。
「何が原因か、また考えてみます」と答えました。
最後に先生は、「(ぼんぼちさんは)ある程度の事は出来てるからね」と仰られ、そのお言葉がとても嬉しく、同時に、自分が、プロやプロを目指しているレッスン生達の中で、ほんとは来てほしくないお荷物になってはいない と解り、ホッとしました。

帰路ーーー
先生にもご指摘を受けたように、私は、無感情で台詞を読むと 淀みなく明瞭に読め、感情を込めると、とたんに滑舌の悪さが露呈する事を思い出しました。
なので原因は、余りにも強く感情に引っ張られて、台詞がそれに追いつかなくなるからではないか?!と思いました。

次のテキストが来た時には、感情に引っ張られないように、常に冷静に、言葉がアップアップフウフウにならないようにキモに命じよう!と、鋼鉄の様に拳を固くしました。
どうか!これが本当の原因で、この解決法が正解でありますように!!

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陽の当たっているゴミ網 [写真]

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繁華街の舗道で、ゴミが回収された後の、わやわやっとなっているゴミ網。
画面中、ぎゅっと濃く締まってほしいところが適切な位置と分量になっていて成立したので、作品として公開しやす。
5月の明るい陽を受けているリアル感もそのまま出したかったので、あえて加工はしやせんでやした。

それにしても、近年のゴミの量は、ものすごいでやすね。
理由は、何でもかんでもプラスチックの器を使うようになったから。
プラスチックは、人類史上、最高かつ最悪な材質と言われてやすね。
あっしもその通りだと思いやす。
あっしは個人的に、プラスチック素材が視覚的に嫌なので、ジャンプー&コンディショナーは綺麗なボトルに移し替え、乳液のボトルはマグカップの中に入れて、フェイスマスクの箱は 机の下の見えない場所に置いて、極力 プラスチックが視界に入らない生活をしてやす。



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企画展「日本の映画館」を観に行き [感想文]

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先日、国立映画アーカイブス展示室で開催されている企画展「日本の映画館」を観に行った。
タイトル通り、日本の「映画館」の歴史を、時系列で、写真 ポスター パンフレット モニターその他で以って、大規模ではないものの 解りやすく 押さえるべき所はしっかりと押さえた 好感の持てる企画展だった。

関東大震災前の幟旗を斜めに数多立てた着色写真は、映画がいかに庶民の娯楽の王道だったかを物語り、震災後の浅草六区の 芋を洗うが如くの人の頭の数から 当時の浅草がいち早く復興し 東京一の大繁華街だったかが手に取る様に見え、戦後、主要な街々に映画館が建ち始めた時代のそれは、いずれも瀟洒な凝った造りの建築で 映画というものが人々にとって どれ程とっておきのお出掛けの場だったかを象徴しており、60年代には ATG作品を主に掛けていたアートシアター新宿で公開された作品ポスターも貼られ ATG好きの私は「あぁ、もう少し早く生まれてさえいれば、アートシアター新宿に、あの作品もこの作品も足を運んで観られたのに!」と唇を噛んだ。

そして私がリアルタイムで体験しているミニシアターの時代のブースに来ると、聴き覚えのある女性のナレーションが流れているのに気がついた。
声を追って近づくとーーー
なんと! 同SSブロガーである事をきっかけに交流させて頂いていたドキュメンタリー映像作家の森田恵子さんの「まわる映写機 めぐる人生」が、モニターに映し出されていたのだ。
「まわる映写機 めぐる人生」は、私も公開時に観に行き、主にミニシアターを運営する方々や、映写技師さんのお仕事ぶりを取材した作品だった。
悲しい事に森田さんは、一年ほど前に、まるで まだみずみずしい果実がぽとりと木から落下してしまった様なあっけなさで、大病のために、この世からいなくなってしまったのだった。
私は観映後、森田さんに、「地方にもミニシアターってあるのかな?って気になっていたんですけど、頑張ってるミニシアターもあるんですね!」と笑顔を向けると、「はい、あるにはあるんですけど、東京に比べると、まだまだ少ないんですよ」と 淋しく笑顔を作られたのが忘れられない。
お育ちの良さが伺える とても品が良く物静かな方だった。

新たな発見と、再認識と、小さな悔しさと、思いもかけぬ懐かしさと悲しさ、といった ごったな感情を胸に、私は会場を後にした。

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さて、では、私にとって 特別に思い入れの深い映画館はどこだろう? と自問してみると、三館浮上した。
アップリンク渋谷 イメージフォーラム シネマ下北沢。
いずれもミニシアターである。

先ず、アップリンク渋谷は、公園通りとファイアーストリートの間の坂道に在った頃からしばしば通っていた映画館で、スタン・ブラッケージやヤン・シュヴァンクマイエルなど、他ではなかなか扱われない作家の作品を上映してくれていて、その度に 勇んで坂道を登ったものだ。
奥渋へ移転してからは、私が最も敬愛し続けている松本俊夫先生の短編実験映画全作品が 何日間にも渡り映られた企画には、大興奮した。
客席は連日、松本俊夫先生ファンで ぎっしり埋めつくされた。

次に、イメージフォーラム。
こちらは劇場の他に研究所の運営も営っていて、私はこの研究所で、「世界実験映画史」と「インスタレーション」の講座を受講し、劇場上映はまず行われない貴重な作品の数々を、先生の詳らかな解説付きで観られた事が、非常に大きな糧となった。
寺山修司の「市街劇ノック」が、記録映像としても遺されており、それを観る事が出来たのも、熱烈な寺山ファンでありながらも まだ子供だったという理由で行けなかった私は、感涙せずにはおれなかった。

そして、シネマ下北沢。
これぞ、私の中で、「こんな映画館があったらいいのになあ!」という夢が具現化された ウッディで温もりに溢れる カフェカウンターも併設された 私の嗜好にパズルがカチッとハマった、私にとって、これ以上はない映画館だった。
経営者の一人で映画スタイリストでもある宮本まさ江さんと、映画にまつわるシンポジウムでダイヤローグを交わす機会もあり、映画スタイリストは、役者さんより早く現場に到着して 役者さんが帰ってからでないと帰れなく、撮影期間中は連日 睡眠時間が2時間という 過酷なスタイリストのお仕事の現実も打ち明けてくださり、物心ついた時から高2の了りで母親の方針で泣く泣く諦めるまで、スタイリストを仕事とするのが夢だった私は、「あぁ、もしも夢が叶ってスタイリストになれたとしても、私だったら、どこかの時点で音を上げていたかも知れないな」と溜め息をついた。
又、せんえつながらも、「シモキタは演劇の街でもあるので、本多さんの劇場全てとシネマ下北沢が提携して、同作品や同テーマの映画・演劇をいっせいにやる企画なんてのも 面白いと思います!」と発したら、宮本さんは、「そうですね、いいですねぇ」と頷いてくださったのも良き思い出である。

この三館のうち、イメージフォーラムを除くニ館は、すでに、無い。
身悶えするほど切ないけれど、街から次々と、ミニシアターが消えてゆきつつある。
ミニシアターの時代も、終わりに向かいつつあるのだ。
しかし、無味乾燥の大手シネコンしか知らないで「映画館を知った」つもりでいる人ばかりの世の中になってほしくはない。
せめて、現存するミニシアターは、遺り続けてほしいと、心の中で手を合わせるばかりである。
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タンポポのわたぼうし [写真]

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都会の道端でもそこここに見かけるタンポポ、すでに今はどれも こんなふうなわたぼうしになってやすね。
ひょろっと茎が伸び、花がなくてわたぼうしだけになったタンポポも面白いな、とスマホを向けやした。
撮ろうという段階から、「これは白黒加工でキマるな」と確信しやした。
わたぼうしの儚さを伝えるために 細かなデティールがつぶれないようにと、ハイコントラストではなく 通常の白黒加工にしやした。

タンポポのわたぼうし、ほんとに儚くて、丸い形になったな と思いきや、風が一吹きすると、もう飛ばされて ハゲチャビンになっちゃいやすね。
そんな儚さを永久のものに!という作家さんの願いからか、先日、タンポポのわたぼうしを何らかの薬品で固めてガラスのケースに入れたものが売られているのを見やした。
多少のテリ感はあったものの、ホワホワの状態がかなり忠実に残されていて「わぁ!今はこんな技術もあるのか!」と感心してしまいやした。



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鼻ピアスにまつわる些細な雑文 [ファッション]

リアルに私と対面した方や 私のブログのセルフポートレートをご覧になった方はお気づきかと思うが、私は左小鼻の付け根にピアスを開けている。

何故、鼻にピアスを開けているかーーー
それは、インドが好きだからである。
中学一年の時にインド文化にハマり、私の中学時代は、吉祥寺のはるばる屋というインド雑貨店に足しげく通ったり、インド料理店で週二回は夕飯を摂ったりと、かなりの割合でインド色に染まっていた。

そして、「ピアス解禁の高校卒業時には、絶対に インド女性のように小鼻の付け根にピアスを開けよう! そして、くだけたパーティーの折には、インドの民族衣装をまとい 鼻ピアスと耳ピアスがチェーンでつながったアクセサリーを着けよう!」と思い続けていた。

しかし、実際に鼻ピアスを開けたのは、高校卒業直後ではなく、四十才の時と、ずいぶん遅かった。
理由は、それまで、肌に対して安全性の高い金属の鼻ピアスが売られていなかったからである。
はるばる屋などに売られていたのは、よくよく見てみると、いずれもアルミニウムのような ともするとかぶれたり ただれたりと、肌トラブルを起こしてしまうのではないか?!と 不安を覚える材質ばかりだったのだ。

それが、私が四十才くらいになった時、ボデイピアスが一般的になり、身体のそこここにピアスを開ける人が増え、チタンやステンレスといった 安全面も考慮された鼻ピアスが、ピアス専門店に並び始めたのである。

私は迷わず、ピアスを開けてくれる事を得意分野の一つとする病院へ行き、開けていただいた。

五十三才の時には、仮装忘年会で、念願だった インドの民族衣装&鼻ピアスと耳ピアスがつながったアクセサリーで、いっときのインド女性にも変身できた。

そういえばーーー
コロナ禍になる以前のマスクをしないで皆が街を歩いていた頃、八十才くらいのおばあさんに道を尋ねられたのでお教えしたら、「ありがとう。 貴女はここ(ご自身の小鼻の付け根に人差し指をあて)にイボがあるねぇ」と仰った。
私は、おかしくて、心の中で笑い転げてしまった。
あの世代の方には、鼻にピアスを開けるなど、想像もつかないのだろう。

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昭和な窓辺 [写真]

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雨戸の閉じられた いかにも昭和ちっくな窓辺。
雨戸袋寄りの雨戸がナイスなバランスで茶色く汚れていたので、それを強調してアートとして成立させる目的と、昭和な窓辺は夕暮れ時がよく似合うので、夕暮れ感も感じていただけるようにとの目的とで、ハイコントラストにして茶系を強めやした。

この雨戸がゴトゴトと開くと、畳敷きの殺風景な部屋の中で、長髪にベルボトムの青年が、フォークギターを爪弾きながら、一人つぶやくように歌っていそうでやすね。

みなさん、フォークシンガーといえば、誰を一番最初に思い浮かべやすか?
あっしは、高田渡さんでやす。
そう、「自衛隊に入ろう」の。
あの歌は、自衛隊を揶揄した歌でやすよね。
それなのに、なんと!当時、自衛隊上層部は、「我々を後押ししてくれている歌だ!」と解釈したのだとか。
揶揄表現が解らないなんて、自衛隊上層部って、、、と、正直、失笑してしまいやした。



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映画「ジャニス・ジョプリン」で、ジャニス降臨! [感想文]

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先日、映画「ジャニス・ジョプリン」を観に行きました。
この映画は、同名のブロードウェイミュージカルを、キャメラワークを駆使して映像に収め、一本の映画作品として、本場ブロードウェイまで足を運べない日本の演劇ファンを対象に、松竹が仲介役となり 作られた映画です。

先ず、幕が開くとーーー
そこはジャニス・ジョプリンのライブ会場。 ジャニス役の役者さんが、いきなりジャニスの代表曲を熱唱し始めます。
舞台を観に来ている観客は、その時点で、ジャニスのライブを聴きに来ている観客という設定となります。
何曲か歌ったジャニス役は、MC席に掛け、「私が最初に耳にした音楽はね、子供の頃 お掃除していると、いつもお母さんがベッシー・スミスのレコードをかけててね、、、」などと、思い出話しを観客に向かって始めます。
すると、ステージ上方から、当時の扮装をしたベッシー・スミス役の役者さんが、ベッシー・スミスの代表曲を歌いながら階段を降りてきます。
こうして、ベッシーの他に、ニーナ・シモン、オデッタ、エタ・ジェイムス、アレサ・フランクリンと、ジャニスの人生の、その時時で彼女に多大な影響を与えた女性ブルースシンガーが、ジャニスの歌の合間のMC時に 降りて来ては歌い、時に彼女達は、ジャニスと共に歌い 手を取り合い、思い出と劇中の現実が一体化する場面も出てきたりします。
こうしてジャニスを中心に、思い出の歌手達とのライブは盛り上がり、ジャニスは、「私は、これからも頑張って歌っていくわ!」と観客に呼びかけ、幕は閉じます。

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私はこの構成に、「アッパレだ!」と、舌を巻かずにはおれませんでした。
この舞台は、ジャニスの伝記演劇なのですが、ジャニスが幼かった頃は、絵ばかり描いていた孤独な少女だったとか、後期はドラッグに溺れて、そして若くしてドラッグで死んでいったとか、そういった 彼女がどの様な生涯を送ったかという事は、この舞台を観に来ている観客の99.99%は、十二分に知っている訳です。
時系列でジャニスの成長を追ったり、回想場面を用いて、子供だった頃のジャニスを登場させ、たとえその子役が最高に上手かったとしても、観客の99.99%は、「私達が、このミュージカルで観たい聴きたいのは、そんなんじゃない!」と、不満でいっぱいになるのは必至です。
そう!この舞台に足を運んだ客、ひいては この映画に足を運んだ客の99.99%は、ジャニス・ジョプリンの曲を聴きたいのです。
如何に、ジャニス役の役者さんが、ジャニスと寸分違わぬ歌声を聴かせてくれるのか という事に期待を集中させているのです!

ジャニス役の役者さん、期待を遥か遥かに上回る素晴らしさでした。
何の前情報もなく あの役者さんが歌っているのを聴いたら、「あぁ、ジャニスね、いつの録音の?」とみぢんも疑わないほどに、声質から歌い方まで 完璧にジャニス・ジョプリンでした。
ジャニス降臨!とは、まさに こういう事を言うのだ!と、感嘆しました。

又、ラストの台詞が、笑顔で「これからも私は歌っていくわ!」というのも、心憎く 涙を誘わずにはおれませんでした。
あんなに早く逝ってしまうとは、ジャニス本人は思ってもいなかったのですから。
あれを、ジャニスの早逝を表現する演出ーーー舞台上でバタッ!と倒れたり、「薬!薬!薬!」と叫ばせたり、ジャニスに影響を与えたシンガー役達に、「ジャニスはもういない」などと歌わせては、鼻白むというものです。

私は、ジャニス・ジョプリンの熱烈なファンという訳ではありませんが、ロック喫茶を訪れた折には、必ずジャニスのアルバムをリクエストするくらいに好きです。
中でも、サマータイムは、他のどのミュージシャンが歌うのより、聴き入ってしまいます。
勿論、本作品でも歌われ、私を陶酔の極地へといざなってくれました。

日本に居ながらにして、映像化といえども、ブロードウェイミュージカルの達作が観られるなんて、幸せの限りです。
「松竹ブロードウェイシネマ」という企画の一つなのだそうですが、松竹さん、これからもこの企画、是非とも続けていただきたく思います。

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グリーンのたわし [写真]

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ケミカルの極地といった色合いのたわし、他に彩度が高い物がなかったので、これを主役に撮ってみやした。
加工の段階で、ブルーのトーンをかすかにかけたら、下のほうにあるアルミのバケツがブルーになってくれ、グリーンのたわしと色彩的に呼応の形を取ってくれ、まとまり感があがりやした。
あっしなりにでやすが、とても気に入っている作品でやす。

たわしって、亀の子たわしって言われるように、現在のたわしは、両端をくくって丸っこくして売られてやすね。
でやすが、元々のたわしというのは、両端がくくられていなくて、毛虫のようにビヨーンと長かったそうでやすね。
それを、一主婦のかたが、両端をくくって丸くした方が使いやすいです!という発案から、現在の亀の子たわしが誕生したのだそうでやすね。
ネットはおろか、女性が社会進出する以前の時代の話しだそうで、それがここまで流通することになったなんて、どれほどの名案かを物語ってやすね。
やはり何事も、現場で実際に使う人が、一番解っているんでやすよね。


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第5回目の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、4月16日に行われた 第5回目のレッスン「リア王2」の、リポート&感想をつづらせていただきます。

前半は、主に、日本語のどの音は口腔内や鼻腔や声帯がどの様な状態になるか、という先生のお話しでした。
理屈では解っても、台詞を発しながら これらの状態で明確な音を出すのは難しそうだぞ! でも、出来る様にならなければ!と思いました。

後半は、メインレッスンで、「リア王」の、前回でやった 娘二人とリアの会話と、リアが死に至るラストの場の一部の長台詞を勉強しました。

先生に、「一度目にやった緩急の付け方と逆の緩急でやってみて!」と指示されてやったら、「そのほうが良い」と言われ、なるほど、パッ!と一度目に浮かんだ台詞の読み方を 自分の中で決定してしまわないで、あれこれ幾通りもやってみる事が必要なのだ と学びました。
それから、またしても滑舌の悪さを指摘されたのと(これはおおいに自覚があったので、「やっぱり!」と思いました。)「役になり切って感情大放出で陶酔してはいけない。 あやつり人形を動かす様に、自分は一歩引いた位置から演技をする様に」とのダメ出しを受けました。
この瞬間、私は、あーーーーーーっっっ!!!と、心の中で叫ばずにおれませんでした。

それはーーー
以前、演技論の講義を机上で学んでいた時、「陶酔型の演技は宜しくない。 役者は、あやつり人形を動かすが如くに 一歩後ろに下がって冷静に演技をしなければならない。」と教えられ、「あぁ、なるほど なるほど、その通りだ!」と頷き、それをスラスラとノートに書き記していたのです。

今回 自分がやった読み方が陶酔型だったと、先生に指摘された時点で初めて、「あっ!ほんとだ! 今、自分、陶酔していた、、、陶酔型の演技というのは、こういう事なのだ!」と、ハッ!としました。
同時に、ゆっくり無感情で台詞を読むと、滑舌の悪さは出ないのに、昂ぶった感情になると悪さが露呈してしまうのは、感情が、うわーーーーーーっっっ!!!と湧き上がってくるにまかせて台詞を発しようとするから、つい台詞が早くなって滑舌が追いつかなくなるのではないか、とも先生は分析され、先生の仰る通りだと気づかされました。

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これからは先生のご指示通り、そして机上の演技論でも学んでいた「あやつり人形を動かす様に、自分は一歩引いた位置に立って冷静に」台詞を読む事を目指そうと心しました。
しかし、これ、ものすごくハードル高そうだなあ、、、
でもとにかく、おいそれとは出来ないかも知れないけれど、そこに向かう心づもりで、何度も何度も自主練しようと、拳を硬くしました。
それが出来る事によって、滑舌の悪さも露呈しなくなれば、そちらの問題も解決される訳だし、、、

今回のレッスンほど、「言うは易し 行うは難し」を身に沁みて感じた事は、これまでの私の人生経験で 他にありません。
そういえば、だいぶ前のブログの過去記事でも、机上の理論で習った通りに「陶酔型の演技は宜しくない。 あやつり人形をあやつるが如くに、、、」と、偉そうな演技論を書いていたのです。
自分が出来もしない事を偉そうに書き連ねていた自分を 恥じました。
そして、かつて自分がプロの画家だった時、美術業界誌に美術評論家に、私の作品について(決して否定的な評ではなかったのですが)あれこれ書かれた事に、「評論家ってヤツは、自分が描けもしないくせに、偉っそうな事ばかり書きおって! けっ!」と、不快に感じていたのを、演技の世界に於いては、自分が全く同じ事をしていたのに気づき、二重に恥じました。

又、この一連のレッスンを受けに来るレッスン生は、私の他は、プロを目指している方や すでにプロとして活躍されている方ばかりです。
特にベテランのプロの方の台詞を聴いていると、「すっごいなぁ!」と、それだけでも とてもとても勉強になります。
私のような一アマチュアが、このような方々と一緒にレッスンを受けられるなんて、おそれおおい限りです。 ありがたい限りです。
そういった観点からも、このレッスンのシリーズは、大変に有意義であります。

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シャッターの錆 [写真]

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シャッターの一部が、ちょうどシャッターの水色と補色で かつ面白い感じに錆びていたので、切り取り方に心を砕きつつ 撮り収めやした。
これがシャッターの錆であるという理屈抜きに、抽象画を愉しんでくださるように観ていただけると幸いでやす。

みなさんのお家の窓は、シャッターでやすか?それとも昔ながらの雨戸でやすか?
あっしが今住んでいるところはシャッターで、ガラガラガラーと下ろせて簡単なんでやすが、国立に住んでいた頃の家は、昔ながらの雨戸でやした。
なので、出したり入れたりが、とても力が必要で 滑りも悪くガタガタで、そのうち面倒になって、雨戸閉めないで 出かけたり就寝するようになりやした。
あと、駐車場の鉄柵も、重くてゴロゴロ開けたり閉めたりするのが難儀でやした。
だから、それもいつしか開けっ放しにて生活してやした。
今考えると、よく泥棒が入らなかったものだ、と思いやす。


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