シナリオを習っていた時の話し [映画・演劇雑記]

20220409_141813.jpg

私は、映画・演劇を様々な観点から勉強し、その方面の造詣を深めたいと思っているので、シナリオ作法の勉強もしてきました。
20年前に 某演劇研究所に入所する少し前、ちょっと通所できる状況になかったので、通信で、某シナリオ研究所で9ヶ月間学び、面談に通える時だけ通い、その間は、週6で1日12時間自主勉強していました。

私が何故、そのシナリオ研究所を選んだかというと、「全てのジャンルをお教えします。 プロを目指す人から趣味として楽しみたい人まで大歓迎!」という謳い文句があったからでした。
私はあくまで アマチュアの趣味として、当時 唯一好きなジャンルだったアート・実験系のシナリオの書き方を知りたくて応募しました。

ところが?!
最初の私のシナリオ作品の先生の添削に、「凝りに凝り過ぎた映像表現で、訳が解らず混乱するばかりです」とありました。
私は、「アート・実験系のシナリオを書いたのだから、映像に凝るのは当然なのになぁ」と理不尽さを感じ、さっそく面談を希望しました。

面談が始まるや、私が「アート・実験系のシナリオを書いたんです」と言うと、先生は、「アートジッケ、、、??? そんなジャンルはありませんっ!!」とヒステリックに否定されました。
どうやら先生は、映画のジャンルに アート・実験系というジャンルがある事を ご存知なかったようでした。
そして先生のお話しを聞いていると、そこの研究所で教えているのは、商業の劇映画だけだという事が判りました。
私は内心、「それならどうして、募集の謳い文句に『全てのジャンルをお教えします』なんてウソを提示するのだろう?!」と 理不尽な気持ちでいっぱいになりました。
けれど、決して安くはない授業料は最初に全額払いだったので、元を取らなければ損!何としても元を取ってやるぞ!と 全く興味のない商業の劇映画のシナリオを書く事にしました。

自分が書きたかったアーティスティックさをゼロにして、ありていの映画のようなシナリオを書いて行ったら、「シナリオというものが解りましたね。 アナタ、是非、城戸賞に応募しなさい!」と強く薦められました。
城戸賞というのは、自分の人生経験を元に起こした商業の劇映画の プロの脚本家の登竜門の賞なのです。
私は、「プロフィールに、『アマチュアの趣味として学びたいです』と書いたのになぁ」と ここでも理不尽な気持ちになりました。

20220409_141813.jpg
けれどーーー
私はそのシナリオ研究所で学んだ9ヶ月間は、決してムダだったとは思っていません。
それまでどういう観方をすれば良いのかかいもく解らなかった商業の劇映画の観方というものが解ったからです。

具体的に例を挙げるとーーー
私はそれまで「親が死んで悲しんでいる」という展開に、何故、何の説明もなく「親が死ぬと悲しい」という感情が出てくるのかが謎でした。
親が死んで悲しい人もいれば、嬉しい人もいるじゃないか、それは個人個人違うじゃないか、どうしてそこを説明する件りがないのだろう?ーーーと。
それが、先生のシナリオ作法の教え、つまり商業の劇映画では、世の中の多数派の人達の立ち位置に立って、世の中の多数派の人が疑問に思わない事は説明しなくて良く、世の中の少数派の人の感情や行動には説明が必要 という事でした。
私は、「あっ!そういう理屈なのか! 商業の劇映画というのは、多数派大前提で書くもの・書かれているものなのか!」と大きく気づかされました。

それからは、自分で 大衆ウケするシナリオを書く事もスラスラとできるようになりましたし、自分が観客として映画を観る時にも、「あぁ、これは多数派の人の話しだから、私にはその感情は理解はできないけれど、そういうものなのだ」と 理論的に理解ができるようになりました。

又、私が最初に書いて行ったアート・実験系のシナリオが何故、映像が凝り過ぎているためにダメだと言われたかというと、商業の劇映画のシナリオ(先生の仰るにはシナリオというもの)は、日本の端っこに住んでいる漁村のおじいさんが観ても解るように書かなければならないのがお約束 なのだという事も知りました。

よって 以来、私は商業の劇映画を観ても、その中に面白さや魅力を見い出せ 楽しめるようになり、観たい映画作品の数、前のめりに観られた映画作品の数がどっと増え、私の中で、映画の造詣の幅が、ぐぐっと広がりました。

20220409_141813.jpg

nice!(225)  コメント(55) 
共通テーマ:映画