「ようりょうの良さ」を「不正」のように言う人 [画家時代]

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少し前に、「私は、裏口 不正 縁故を嫌悪します」という内容の記事を書いたのですが、今日は、ようりょうの良さを あたかも不正の如くに言った人がいたので、その顛末について、持論を述べさせていただきたく思います。

ある時、一作も絵が売れたことがない「画家」だと名乗る人に、「金を稼ぐ画家っていうのは、ずる賢いんだよね」と、あたかも 絵が売れることが不正であるかの如き言い方と表情を向けられたことがありました。
長くこのブログを読んでくださっている方はご存知のように、私は、18才から26才まで、母親を養うために画家をやって、月々30万稼いでいました。
なので私はムカッ!として、「ずる賢いって何ですかっ?!どこが『ずる』なんですかっ?! 理由を説明してくださいっ!!!」と詰め寄ると、その人は、「あー、はいはいはいはいはいはいーーーっ、アナタの生き方は否定はしませんよーっ、じゃっ」と、ほうほうのていといった様で去ってゆきました。
それを「ずる」だと私を論破出来る正論を 何一つとして持っていなく、単なる感情論、ハッキリ言ってしまうと 負け犬の遠吠え だったからです。

プロの、つまり月々安定した収入を得られる画家になるには、画力が高いだけでは、まずなれません。
そこに ようりょうの良さ 計算高さ 的を見抜き射られる能力が必要となります。

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具体的にいうとーーー
日本はブランド志向の国ですから、「優秀な画歴」がないと画商がついてくれませんし、お客さんも、それ相当の値を出して買いたいと思ってはくれません。
ですから、優秀な画歴を作るには、名のある美術団体で大賞やそれに準ずる賞を幾つも取るのです。
名のある美術団体で賞を取るには、そこの美術団体の審査員(特に審査員長である会長)好みの画風を描かねば、大賞・それに準ずる賞は取れません。
そこを狙って描くのです。 その的がどこにあるのかを見極め ウケる画風を技術を駆使して描くのです。
そして、美術団体は、団体ごとに「良い」とされている画風がそれぞれ違います。
Aという団体で大賞を取れる画風の作品が、Bという団体では落選したりします。
よって、A団体に出品するにはA団体にウケる作品を、B団体に出品するにはB団体にウケる作品を見極め、描き分けられるようりょうが必要となります。
又、小さな美術団体でいくら大賞を取ろうが、それはたいした画歴になりませんから、時間のムダ と判断するのが賢明です。

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もう一つはーーー
美術団体で賞を取れる画風と客ウケする画風というのも、又違ってくるので、お客さんに売る用には、客ウケする画風も描けなければ、安定した生活収入は得られない ということです。
画商はたいてい、何十人か顧客を抱えていますから、その顧客ウケする画風を狙って描くのです。
美術作品の顧客というのは、必ずしも美術を見る眼に長けているとは限らないので、注文をしてくる顧客顧客それぞれの好みに合った モチーフや色使いや構図を把握して、クオリティの高さよりも 如何に好みにバッチリ合っているかを狙って描けなければなりません。

そして個展の時には、画商を介して顧客や新規のお客さんと話しをする訳ですが、その時に、「お客さんが思い描いている画家像」の演技ができなければなりません。
お客さんというのは美術畑の人ではないので、たいてい、「絵描きさんというのは、朴訥で話し下手で、純粋に好きな方向性の絵だけを無心に描いている」と思っていらっしゃいます。
饒舌でロックを聴きながら描いている、などというのは、お客さんの画家への夢を壊すことになります。
ましてや、「安定した生活収入を得るために、売れ線を狙って描いています」などという金銭面の話しは、口が裂けても言ってはなりません。

以上のことができなければ、安定した生活収入の得られるプロの画家にはなれません。
ーーーまあ、稀に、奇跡的な確率で、自分の描きたいものと賞ウケ客ウケ 人となりが一致する画家もいるでしょうが。
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これらのことをやるのは、果たして「ずる」でしょうか?
「ようりょうが良い」ということではないでしょうか?
言い換えると、「画家の実力」というのは「画力」だけでなく、ようりょうの良さも大きな実力の要素であって、「画力」は、実力の一部だと思うのです。

ですから、前述の、絵が売れることをあたかも不正であるかの如くに吐いた自称画家は、「画力」は持っているのかも知れませんが、「ようりょうの良さ」という部分の実力を持ち合わせていないのです。

私は決して、自分が売れていたからといって、「ようりょうの良さ」を持ち合わせていない自称画家を見下すつもりはありません。
好きな画風の絵だけを描いて、生活収入は他で得てゆく、、、それはそれで、恥ずことなき一つの人生ではないでしょうか?
だからといって、売れた画家を「ずる賢い」と 歪曲させた解釈で己れのアイデンティティを保守するのは、お門違いというものだと、不快さを覚えずにはおられません。

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