「アナタとワタシは似た者同士!」と近づいてくる女性には、もうこりごり [独り言]

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今日の話しは、私・ぼんぼちの 心狭き故の愚痴なんだけどさあ、、、

ぼんぼちね、40才を過ぎた頃から最近までの間に ちょっとしたきっかけで出逢った女性に「ぼんぼちさんって、ワタシとすっごく似た者同士ですよ! だから、友達になってください!」って頼まれて 友達付き合いを始めたことがあるんだ。 合計3人の女性に。
私の側は「あー、この人とは何もかも真逆なほどに違うから、距離を置いて『知り合い』程度で接していこう」と思っていたところにだから、仰天するわけ。

似た者同士か否かって、ファッションとかヘアメイクとか なんとなくの「匂い」みたいなもので、口には出さなくても 瞬間的に判るじゃない。
人間、みんな 何かしらの畑にいて、同畑の人と出逢ったら、ピピッ!があると思うんだよね。
で、自分と真逆の人と出逢った時は「距離を置いて『知り合い』程度に留めておこう、そうするのが一番 人間関係 互いに円滑に過ごせるから」ってなると思うんだよね。 フツーは。

このブログを長く読んでくださっているみなさんはご存知のように、ぼんぼちは中学からアート畑にいて、ファッションも自分だけのファッションを貫いてきて、全てに渡っての考えも嗜好も、流行にはなびかない自己を持っている派。
だから、そういう人に出逢った時は、ピピッ!ときて、すぐ仲良しになれるわけ。

でもさ、世の中には、そういう人間観察力が無いというか 嗅覚が狂ってるというか、そんな人がいるんだなあって。

「友達になってください!」って頼まれたからには、一応は「はい、いいですよ」って言って、心の中では「まあ、2、3回も逢えば、全然違って 何一つとして話しも合わないことが十二分に身に染みて解るだろうから、つまりは、彼女のピピッ!は間違いであったと自覚できるだろうから、逢う度に、ぼんぼちがどういう人間かを徐々に出して『単なる知り合い』になってもらおう」と計画するわけ。

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で、次に2人だけで逢った時に、「私、映画は実験映画が好きなんだよね」とか 「演劇は、四季は嫌いで寺山修司が好きなんだよね」とか 「中学から美術学校行ってて、画学生ってみんな変わってて、手作りしたりリメイクしたりして 他人と似た様なファッションは絶対しないんだよね」とかって、アナタとは真逆に違いますよアピールをさり気なくして、距離を取ってもらおうと努めるわけ。

ところが!!
彼女達のリアクションっていうのは、スッと距離を取ってくれるんじゃなくて、「ええっ?!何でワタシと違うの?!そんなの嫌っ!!そんなの認めたくないっ!!」っていう負の感情が内側に グワ〜ッ!と沸き起こるのが、手に取る様に判る表情をするわけ。
プーッ!とふくれっ面をしたり 「げっ!ありえな〜い!」みたいな愕然とした顔したり 「はぁぁ〜〜、テンション下がるわ〜」って感じで顔しかめられたり。

私としては、「えっ?!何そのリアクション、似た者同士だってアナタが一方的に勘違いして『友達になってください』って頼んだんでしょ?」って、矛盾の気持ちでいっぱいになる。
当然のことながら、そういうリアクションをされると、こっちはすっごいストレス感じる。
一緒にいても楽しくないどころか不快感が膨らむばかり。
のみならず彼女達は、そういったリアクションに留まらず、「私達の学生の頃は、こういうの流行ってて みんなこういう格好しましたよねー」とか 「四季の○○さんって、カッコイイですよね!」とか、執拗に「ぼんぼちさんはワタシと同じ」勘違いから醒めようとしないでいる。

まぁ、こっちも、いい歳した大人ですからぁ、ズバッとハッキリ否定してカットアウトするのもなんなんで、「何もかも違う人間ですよアピール」を逢う度にくり返して 解ってもらってフェイドアウトしてもらおうと思うんだけどさ。
ーーーそう、そういうリアクションされたり 執拗に同調を迫って来られたりしたら、もう「単なる知り合い」でもいたくないよね。

違う人間だと 解ってもらおう解ってもらおうとして、ぼんぼちは、母親に虐待されて 今も死んだ母親を憎んでる話しや、ファッションを基礎から勉強した話しをしても、彼女達は、「ふふっ、ぼんぼちさんって、ほんとはお母さんのこと、好きなんだね」と とんでもない明後日の誤釈をして笑ったり、ファッションのいろはの「い」、つまり、「ファッションの基礎は、バランスを取ることである」ということすら解らないままに、ぼんぼちと対等にファッションの話しをしてこようとして、トンチンカンなこと言ったりする。
ーーー彼女達は、相手の気持ちを汲み取る能力も無ければ 自分自身というものすら解っていないらしいんだよね。

こんなことが3年は続くんだ。
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で、いいかげん、ぼんぼちもストレスマックスになって、ほんとに大人げ無いんだけど、カットアウト手段に出ざるを得ない感情になってくる。

1人目の女性に対しては、桃1箱の贈り物の受け取りを拒否した。
2人目の女性には、メールでズバッと指摘した後、電話もメールも着拒した。

で、今、3人目の女性と、、、この人とはフェイドアウトできるかな、、、と思ってる。
去年の暮に、もう2人で逢うのは嫌だから、口実を付けて 他の人を交えて3人で逢う提案をして、彼女がその日程が取れなくて、正直ほっとしてる。
今年になってからは、一度もメールは来てない。
このまま永久に来てくれなければいいんだけどな。

だってさ、友達って、ボランティア精神や接客業精神や心療内科医精神でなるものじゃないじゃない。
五分五分の譲り合いは大人の礼儀だけど、自分がその人のために犠牲になる義理はないじゃない。

あ〜、次に「ぼんぼちさんって、ワタシと似た者同士ですよ! 友達になってください!」って来られたら、その時点で断ろう、、、

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黒くて細いテープ [写真]

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黒い箱みたいな物の近くにぐしゃぐしゃっとあった黒くて細いテープ。
アート調の作品にしたかったので、白黒ハイコントラストに加工しやした。
あっしはどうも、何を撮る時にでも 構図をキメ過ぎてしまうきらいがあるので、今のあっしの写真作品を制作するにあたってのテーマというのは、「キメ過ぎずに危うい構図で成立させる事」なんでやす。
で、今回の作品は、あっしなりにでやすが、それに大きく挑戦した作品でやす。
あえて、黒い箱を7対3の3の分量にしやせんでやした。
これでいいのかどうか、あっし自身は不安な作品ではあるのでやすが、まあ、挑戦の一枚ということで。

ところでこの写真のテープ、ちょうどカセットテープくらいの細さでやすね。
あっしのブログを閲覧くださっているかたは、カセットテープ体験世代のかたが多いと思うのでやすが、みなさん、カセットテープでは何を聴かれてやしたか?

あっしは、軟派なGS特選集でやす。
確か中3くらいの時、Rさんという学友の一人に「私はジュリーが好きだから、さかのぼってタイガースも聴いてる」と話したら、彼女は翌日、歳の離れた従姉さんが録音して作ったという 軟派なGS特選集を「GSは、タイガース以外にもいいのいっぱいあるよ!」と、ポンとくれやした。
彼女とは特別仲良しだったわけではなかったのでやすが、物静かで あっしの容姿の悪口を言わない数少ない学友の一人でやした。
彼女は、何の損得勘定もなしに 純粋な気持ちで好意的に、あっしにその1本をくれたのでやした。
それをきっかけに、あっしはタイガース以外の軟派なGSも好きになりやした。

カセットテープを見たり カセットテープという語を聞くと、あのテープに入っていた軟派なGSの楽曲と そこから連鎖して、彼女の存在もふっと思い出しやす。
Rさん、今も元気で幸せでいてくれるといいなあ。



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カラオケの今年の課題「感情表現にたより過ぎない事」 [音楽雑記]

相も変わらず二日に一度のペースで カラオケを愉しんでいる私・ぼんぼちですが、今年は練習する時に 特にこの事に気をつけて前進しようと目標を立てています。
「感情表現にたより過ぎずに、リズムと音程の正確さを目指す」

私は以前、あくまで趣味という範囲でですが、演技のレッスンを受けていた期間があり、よって 声量と感情表現は得る事が出来ました。
けれど歌唱は、専門的にお習いした事がないので、リズムと音程はてんでなっていません。

なので、ブルースとブルースロックだけはーーー元々 最も好きなジャンルだという理由もあってーーーなんとか形がつくくらいには歌えます。 あくまで所詮は素人のレベルですが。
ブルースとブルースロックというのは、リズムや音程よりも感情を前面に出したほうがサマになるジャンルなんです。

しかし、いつまで経ってもブルースとブルースロックだけでは レパートリーが広がらないし、他のジャンルの楽曲にも「歌ってみたいなぁ」と惹かれるものが幾つもあるので、近年は、他ジャンルにも挑戦する様になってはいたのですが、やはりどうも、歌詞の意味、つまりは感情表現にばかりたよって ごまかしていたので、今年こそは徹底して、感情を控えるべき所はぐっと控えて、リズムと音程の正確さを追究しようと決意した訳です。

そもそも、ポップスやロックやフォークや歌謡曲のほとんどは、そういった歌い方をしないと クサいーーーつまり、クドく 押し付けがましく 一人よがりな、聴いている人を鼻白ませる印象になってしまうのです。
ーーーという事で、今年 先ず、選んだ課題曲は、以下の十一曲です。

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「想い出ぼろぼろ」(内藤やす子)
「東京ららばい」(中原理恵)
「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)
「お手やわらかに」(夏木マリ)
「プカプカ」(西岡恭蔵)
「ハイウェイのお月様」(RCサクセション)
「漂泊者(アウトロー)」(甲斐バンド)
「そばかすの天使」(甲斐バンド)
「ちんぴら」(甲斐バンド)
「ポップコーンをほおばって」(甲斐バンド)
「感触(タッチ)」(甲斐バンド)

「想い出ぼろぼろ」は、「♪つくろう〜」「♪よそおう〜」の部分は、本曲で最も高音で声を張るべき所で、そこを感情を込め過ぎると、悲痛になり過ぎ 弱くなってしまうので、そうならない様、気をつけようと思っています。

「東京ららばい」は、歌詞に男女のダイヤローグが入るのですが、ここも、カミシモつける様な調子で歌ってしまうと、テムポあるリズムから外れてしまうし クサくなるので、淡々とやり過ごし、その後の「♪ねんねんころり ねころんで〜」で初めて 遊んでる女ぶって誘うように感情をふうっと出そうと 練習しています。

「恋の季節」は、頭から声を張って響かせて歌うタイプの歌なので、声量を使って「♪忘れ〜」と出、サビ後の「♪死ぬまで私を〜」「♪夜明けのコーヒー〜」で、ふっと弱くする事で緩急をつけるのが相応しいと 考えています。

「お手やわらかに」は、歌謡曲の中では、感情をかなり出してあえてクサく歌ったほうが面白いお色気ソングなので、私にとってはそれほどハードルは高くはないのですが、あくまで リズムと音程をないがしろにしない事を忘れずにいようと心しています。

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「プカプカ」は、のたりんとしたメロディとプカプカプカという擬音に 楽天的な楽曲だと誤釈されがちですが、「♪おいら明日死ぬそうな」の辺りからこの楽曲の本質が見え、実はこの曲は、断崖絶壁ぎりぎりの位置に生を留めて立っている女性の歌だという事が判ります。
ですから、「♪おいら明日〜」以前の部分は感情を抑えて、いわば映画のラストが判らないが如くに歌おうと努めています。

「ハイウェイのお月様」。 これも私にとっては そうハードルは高くなく、感情を出して歌うほうが合うバラードです。
「♪暗い暗い暗い道に」で、ぐーっと声を張り、「♪迷わせないで」を囁くように歌おうと考えています。

そして最後に甲斐バンドの楽曲。
私は甲斐よしひろさんの刹那的な世界観というのが無性に好きで、、、というのは、ロックでありながらも非常に歌謡曲的な要素の強いーーー別の言い方をすると、どの楽曲もメロディと詞が見事に合っていて、一曲一曲がそれぞれに、単なるメッセージソングを超えた「詩」「ドラマ」に仕立てられているからです。
テムポが早かったり 三連符が多かったりと、私にとっては大変ハードルが高いのですが、好きさ故に、なんとか練習を重ねて歌えるようになりたいと 切に願っている次第です。
中でも、不良少女の投げやりな哀しさ溢れる「そばかすの天使」は、何としてもモノにしたいところです。

以上が、今年、先ず 私が課題に選んだ十一曲です。
勿論、「感情を控える」というのは、「感情を入れない」「感情を考えない」とは違う訳で、詞全体をまるっと飲み込んで 正しく解釈し、その上で、控える所は控え 出しても良い所・出すべき所は出す、という意味です。
まあ、こんな心構えで、丑年な事だし、牛歩ほどにも前進出来れば、、、と目論んでいます。
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水道橋駅の橋桁 [写真]

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JR総武線・水道橋駅の橋桁。
黄色味の強すぎない若草色がなかなか悪くないな と、足をとめ、どっしりとした感じを前面に出す為と 日常性が出ない様にする為に、あえて背景に街並みは入れず、橋桁だけで画面を埋めてみやした。
傾げ加減など、構図で生きも死にもする方向性の作品なので、そこに心を砕きやした。
今回の作品は、まあ ただそれだけのリアリズム写真で、深いものはありやせん。

水道橋、馴染みのある人は「どばし」と呼びやす。
で、一つ東隣の御茶ノ水は「ちゃみず」と。
あとは、三軒茶屋は「さんちゃ」。
そしてこれは全国約にも有名かも知れやせんが、下北沢は「しもきた」二子玉川は「にこたま」でやす。
ちなみに、あっしが住む西荻窪は「にしおぎ」と、「くぼ」を外しやす。
みなさんがお住いの地域にも、この様な略称・通称のある街ってありやすか?


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気になって夜も眠れないマスク+メガネのかたの謎 [独り言]

あっし・ぼんぼちがメガネを掛けるのは、タブレットに向かう時だけで、タブレットに向かうのは、家の中か 喫茶店でコーヒーを飲みながらのどちらかなので、マスク+メガネという状態にはならないのでやすが、街を歩くと、マスク+メガネのかたが大勢いらっしゃいやす。
あっしはそういう「マスク+メガネ」のかたがたの少なからずに生じている ある現象が、気になって気になって ろくろく夜も眠れない日々を送ってやす。

それはーーー
街ゆくマスク+メガネのかたがたの約ニ割が、何故だか「片目だけのメガネのレンズが曇っている」という事でやす。

マスク+メガネのかたがたを観察していると、(あくまで ぼんぼち個人による統計でやすが)両目とも曇っていないかたが約六割、両目とも曇っているかたがニ割いらっしゃいやす。
それに対して 片目だけが曇っているかたというのが、なんと、両目とも曇っているかたとほぼ同数でいらっしゃるのでやす。

両目とも曇らない、、、これは何なく理解が出来やす。
メガネを掛けても、温かい息が メガネの外に流れるのでやしょう。
両目とも曇っている、、、これも解りやす。
メガネの内側に温かい息が入り込んでいるのでやしょう。

しかし!
片目だけが曇っている、、、ここにかくとうするかたがたは、何故ゆえ、どうして、片目のメガネの内側だけに温かい息が入り込むのでやしょう?
じっと観察してみても、片方のメガネのフレームの下の部分はマスクを押さえ込むようにして 片方はマスクが上に被っている、というアンシンメトリーではなく、押さえ込むかたは押さえ込み マスクが上のかたは上、と どのかたも きちっと揃えられているのでやす。 しかも、メガネもマスクも斜めに傾いでいないのでやす。
それなのに何故、「片目のレンズだけが曇る」のでやしょうか?

あっしは今、睡眠導入剤を毎晩六錠飲んでやすが、それでもこの謎の現象が気になって気になって、なかなか眠りにつけやせん。
お解りのかた、どうかこの謎の理由を教えてくださいでやす!
そしてぼんぼちを、安泰な眠りに導いてくださいでやす!

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ラベルの剥がされた網のゴミ袋 [写真]

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白いラベルの中央部分が破き剥がされた 二つの深緑色の網のゴミ袋。
これは網のゴミ袋です という説明ではなしに、抽象画を完成させるのと同じ考えで、残っている白いラベルの部分だけを浮き立たせる加工をし、網の袋は背景と同化させやした。
なので、観てくださるかたがたも、網のゴミ袋の輪郭を探そうとせずに、白い部分の分量や配置などのバランスに着目していただけたら幸いでやす。

さて、今回の写真関連の余談でやすがーーー
今日は、余りにも当たり前過ぎる怒りをぶちまけやす。

あっしには、二週間に一度くらいのペースで、某住宅街の道を掃くというミッションがあるのでやすが、必ずといっていいほど、道にペタンコになった煙草の吸い殻がニ、三本落ちてやす。
缶飲料の空き缶や棒アイスの袋や菓子パンの袋が落ちている事も 少なくありやせん。
掃く道の距離って、たいした距離じゃないんでやすよ。それなのにこの有り様でやす。

又、あっしが掃く道ならずとも、繁華街の道端に 飲み終えたコーヒーの缶を置いて歩き去って行った初老の男性や、駅のホームの柱の根元に やはり飲み終えた缶を置いて電車に乗って行った中年サラリーマンや、乗用車が停まったな と思うや、車に装着されている灰皿を逆さにドサッとやって 吸い殻をごっそり道に捨てて走って行ったのを見たこともありやす。

あっしには、どうしてその様な 社会の基本中の基本のマナー違反が出来るのか、理解に苦しみやす。
たとい誰にも見られていなかったとしても、そういう行為をすれば街が汚れるのは、解りきっているでやしょう。
街を汚すの、平気なんでやすか???
良心が痛まないんでやすか???
今、このブログをお読みのかたの中には、そのような非常識なかたは 一人もいらっしゃらないことを願いやす。


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画家をやっていた事は不本意だったけれど、美術を学んだ事は良かったと思っています [ファッション]

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私のブログ記事を永く読んでくださっている方々は、私は自分の意志には反して 母親の強制力によって 18才から27才までの間、画家をやって母親を養っていた事をご存知だと思います。
あの9年間は、今思い返しても「青春」と呼べる様な自由さや楽しさなど一片も無く、すっぽり別の「人並みの青春期」と入れ替えられたらどんなにかいいだろう!と恨めしく思っている程です。

で、18才からプロの画家になったのですから、当然、それ以前に 美術の勉強を専門的に学んでいた訳です。
中学高校と、某美術学校に通っていました。
その美術学校を受験するのは、嫌ではありませんでした。
何故なら、その中高にはプールが無く、肌の色がどす黒かったのもコンプレックスの一つだったので、その中高に入れば日焼けしないで済むから、という理由でした。
別段、美術が好きだった訳ではありませんでした。

美術学校の学生の一人となった私は、日々、美術の勉強を熱心に学びました。
「美術学校の学生は美術の勉強をするのが本分」と、何の疑いもなく考えていたからです。
その学校は、美術の教師達と一般教科の教師達の対立や 美術教師同士の派閥争いばかりが盛んで、美術教師はろくに生徒に教える事をしませんでした。

「このままではまともに美術が身に付かない! 本分を貫けない!」と学校を見限った私は、予備校の美術科コースを受講したり 専門書を買い自主的な勉強を、自分の意識では「当たり前」の熱心さでやっていました。
その頃の私は顔が酷く醜かったので、学友に、顔に関しての屈辱的なあだ名を幾つもつけられていましたが、その中に「ガリ勉ブス」というあだ名も与えられていました。

高2から高3に進級する時、高校卒業後の進路を明確に学校側に提出して、各々に合った学校生活を送る事となりました。
私は寸分の迷いも無く「ファッションの専門学校に進みたい!」と希望しました。
ファッションの専門学校へ入学し、卒業後は舞台のスタイリストになるのが、物心ついた頃からの 強く熱い変わらぬ夢だったからです。(勿論、幼かった時には「スタイリスト」という語は知りませんでしたが)

が、しかし、学校側と母親は、猛烈に反対しました。
学校側の言い分としては(当時はまだ、芸術と称される絵画や彫刻がトップクラス、デザインは次点、ファッションなんぞは横道にそれたまっとうではないあぶれ者がやる分野、という古い差別的な考えの時代だったので)美術の成績がトップの生徒が絵画に進まないなんて、学校側は金の卵をドブに捨てる事になる。 ましてやファッションの専門学校なんぞに行かれたら 我が学校の汚点になる。という理由でした。

母親は、私が美術の成績が良かったのを巧く利用しようと「おめーが高校を卒業すると同時にパパとは離婚するから、卒業したら次の日から月々100万稼いでアタシを養え!」と強要してきました。
私は「どうしてもファッションに進みたい!」と嘆願しましたが、まだその頃は、母親は私にとって絶対的強者だったので、「じゃー、おめー、そのファッションとやらで、高校卒業した次の日からアタシを養えんのかっ!」の一撃に、「、、、いいえ、、、養えません、、、」と、泣く泣くファッションを諦め、画家になる為の土台作り(上野の展覧会で大きな賞を取り画歴を作り、画商と契約する事)を、高3の一年間でやりました。

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時は経ち、私が27才になった時、母親は突然の病で死に、私は完全に自由の身となれました。
もう27才になってしまったので、ファッションの専門学校に入学するのは諦めましたが、画家を辞め、気ままにアルバイトをしながら、人生の最重要項目にファッションを置いて、プライベートで自分のファッションを愉しむ、つまり、自分のスタイリストをやる事で、叶えられなかった夢の疑似体験をして、自分を幸せに導きました。

時間的にも金銭的にも存分にファッションを満喫出来る境遇になって初めて気づいたのですが、ファッショントータルコーディネートを完結させる事は、美術の作品を完成させる事と、論法が全く同じなんですね。
色と色との配分 アイテムの分量と分量の配分 自分という元を最大に映えさせる色合いや丈、、、つまりは、ファッションも最も大切なのは「バランスが取れているか否か」なんですね。
ですから私は、どこをどうやったら自分に最適なコーディネートが出来るのか、みぢんも 解らなかったり 悩んだり 迷ったり しませんでした。
必要を感じてあえて勉強したのは、近現代ファッション史と 布地や革などの材質に関してくらいでしょうか。
オーダーでワンピースを仕立てていただいた事もあるのですが、お仕立て屋さんに「こんなに解りやすいスタイル画を描いて来てくださったお客様は初めてです!」と、嬉しく驚かれました。

中高生時代、自分では当たり前の勉強をしているつもりだけだったのに「ガリ勉ブス」と揶揄された事や 美術の成績が良かった事が災いして ファッション畑に進ませてもらえなかった事は 確かに辛く理不尽だったけれど、それが今、こうして役に立っているのには ちょっと苦笑してしまいます。

「ガリ勉ブス」の「ブス」は、40才過ぎた頃から誰にも言われなくなりました。
これも、高校時代に 自主的に「美術解剖学」を勉強し、顔のどこにどういった筋肉が通っているかを熟知していたので、顔の筋肉を意識的に鍛える訓練で、ずいぶん自分の顔を変える事に成功したからです。
その話しは、また近く公開の記事にて、、、

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ハイサワーの空き瓶 [写真]

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たくさんのハイサワーの空き瓶。
色数が少なくまとまって独特の面白味が出るので、ハイサワーの瓶だらけで画面を埋めるように撮りやした。
加工は、今どき瓶も珍しい存在になったことだし、、、という事で、ここはレトロ調の加工を施すことにしやした。
あっしなりにでやすが、まあまあ気に入っている1枚でやす。

ハイサワー、80年代初頭に、若いサラリーマンや学生の間で大流行したそうでやすね。
そして今では、○○サワーと名の付くアルコールドリンクスが、居酒屋には何種類もあるのが当たり前になりやしたね。

単に「サワー」と言われると、あっしは、カクテルラウンジでアルバイトしていた経験から、ショットバーで提供される カクテルのサワーを浮かべやす。
カクテルのサワーは、ハイサワーや居酒屋の○○サワーとは全く別物で、各スピリッツとレモンジュースとシュガーシロップをシェイクして、サワーグラス(フルート型のシャンパングラスがちょっと小ぶりになった様なグラス)に入れたもので、氷は入れやせん。
注文する時は、自分が所望するスピリッツ名を頭に付けて指定しやす。 ブランデーサワー ラムサワー ジンサワー テキーラサワー などと。
まあ、最もメジャーなサワーはブランデーサワーなので、バーテンダーさんに「サワーください」と言うと、お決まりの如く「ブランデーサワーで宜しいですか?」と返されやす。

で、ハイサワーやそこから派生したサワー類とカクテルのサワーが混同されて行き違いは生じないか、というと、これが生じないんでやすね。
何故なら、居酒屋には、ハイサワーやハイサワーから派生したサワー類はあっても カクテルのサワーは絶対に無く、ショットバーでは、カクテルのサワーは作っても、ハイサワーやハイサワーから派生したサワー類は絶対に作らないから、でやす。


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「板付き(いたつき)」とは [映画・演劇雑記]

今日は、演劇用語の中の「板付き(いたつき)」という言葉について解説させていただこうと思います。

「板付き」とは、幕が開いたり場が始まった時に、既に舞台の上に役者がいることを言います。
例えばーーー

第三場
タロウ、木にもたれて腕組みをして天を仰いでいる。
ジロウ、上手より小走りに登場。
ジロウ「ああ、ごめんごめん、待たせちゃったね」

この場合、タロウが板付きです。
板(舞台)に、最初から付いている(居る)から、そう呼ばれます。

勿論、その作品全般に於いてタロウが「板付き」なのではなく、あくまで、上記の例では第三場でだけです。
もしかしたら、他の場でもタロウが板付きの設定があるかも知れませんし、他の場ではジロウが板付きかも知れません。
又、誰も板付きではなく、装置だけがある所に次々と役者が登場してくる事もあります。

この様な演劇用語を知っておくと、観劇の愉しみが若干上がるかも知れませんね。
「あっ!私の好きな役者さん、この場では板付きなんだ。、、、ってことは、暗転の間にずっとスタンバってたのね!」などと。

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