ぼんぼちの主観による現在の古着屋模様 [ファッション]

東京で古着屋の多い街というと、高円寺 下北沢 原宿 吉祥寺 が挙がる。
中学一年の時から、古着を愛して愛して愛し続けている私・ぼんぼちは、しばしば古着屋を物色しているのだが、ここのところのコロナ騒動もあり、日本一好きで古着屋も圧倒的な数を誇っている高円寺以外は、ちょっとご無沙汰をしていた。
吉祥寺は三ヶ月ぶり、シモキタと原宿は一年ぶりに、ごく最近 再訪した。

コロナの影響で、空きテナントが増えていた という理由もあるのだろう、中、シモキタと吉祥寺に、何軒もの新しい古着屋がオープンしているのが目に付いた。
店内を見回してみると、、、新オープンの古着屋は、40S50Sのヴィンテージを扱う店は殆んどなく、古着としては新し目の、そして無難な路線の商品ばかりがい並んでいた。

20211021_090355.jpg以前は、「古着屋」というと、40Sから近年までの様々な時代を扱う個性に溢れた店店が住み分けをしており、「私、古着好きなんです」と言うと、お洒落に無頓着な人には、「変わった人なんだね」「個性的なんですねぇ」と 一億光年も彼方にいる人間を見る様な目つきをされ、お洒落好き相手に発すると、「わぁー!古着、好きなんだ!!おっしゃれだね〜!! どの時代が好きなの?」「50Sですね」「50Sかぁ!50S、私も好きだよ!いいよね〜 50Sなら、やっぱ、アメリカだよね!戦争に勝ってノリノリの時代だったもんね。 で、音楽は、チャックベリー派?プレスリー派?それとも、シナトラとか?」「ヘッドドレスに思いっきりペチコート入れたワンピースで、シナトラ聴いてます」等と、その時代の古着が好きな人は、必ずと言っていいほど、同時代の音楽も好きで、時代背景も勉強していたものである。
ーーーそれが古着の世界だった。

20211021_090331.jpgけれど、新オープンした古着屋の殆んどは、コーディネートセンスさえあれば着こなせる 突飛ではない物ばかりで、おそらく、それらを購入する人の殆んども、その古着が作られた時代の音楽も背景も知らないままに着るのだろうな、、、と思われた。
つまりーーー「古着」というものの敷居が低くなり、門戸が広くなったのである。
おそらくこのご時世では、新品のアパレルを営るよりも、元手も少なく商売が出来、購買者も、ブランドや新品である事に拘らなくなった為であろう。

私はこの現象を、決して憂いている訳ではない。
私の好きな50Sヴィンテージの古着屋がなくなってしまったり、激減してしまったのではないので、私には何も困る事がないからだ。

ただ、これからは、「古着好き」と発言すると、返ってくるリアクションが変わってくるのは明らかであろう。
お洒落に無頓着な人にも 一億光年彼方の人間を見る目では見られなくなり、「へえ、そうなんだ。アタシはユニクロ」と ユニクロと双璧で考えられたり、お洒落好きには、「私、古着好きなんだけど、私が好きなのは50Sヴィンテージでね、、、」といった前置きが必要になりそうだな、と感じた次第である。


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黒と白の輪の一部 [写真]

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黒と白の輪っからしきものの一部。
だいぶ前に撮ったものなので、もはやどこの街で撮ったのか、全体像が何であったのかも忘れてしまいやしたが、とにかく写真作品として成立しているので、ここにアップしやす。
加工はこの感じだと、少しコントラストを強めてメリハリをつけたと思いやす。

これ、やっぱ自転車の一部かな?
まあ、自転車ということで、今日の雑談を始めやしょう。
自転車、みなさん、乗れやすか?
まあ、殆んどのかたはお乗りになれるでやしょうね。
でも、ぼんぼちは乗れやせん。
平衡感覚が悪いのか、どれだけ練習しても乗れるようになれやせんでやした。

なので、30代40代の頃は、キックボードのお世話になってやした。
キックボードは、重心が低いので、楽々乗れやしたね。
ハンドルの所に荷物も掛けられるし、たたんで電車やバス移動もできるし、なかなか重宝してやした。
ハンドルの真ん中に亀のシールを貼って「亀号」と固有名詞を付けた、我が人生唯一の愛車でやした。


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タブレットケースをペーパーコラージュしやした [独り言]

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先日、アップリンク吉祥寺に「素晴らしききのこの世界」というアメリカ製作のドキュメンタリー映画を観に行きやして、いやはや、これが内容・映像ともに素晴らしい出来の作品で、、、と書き始めやしたが、これは話しのマクラであって、今回の本題はここではなく、この映画のチラシもあまりにも秀逸なデザインだったので、このチラシを使って、かねてから何か貼りたいと考えていたタブレットケースに、ペーパーコラージュをした、というわけでやす。

チラシの背景の色がタブレットケースの紅色と補色になって映えてくれるし、主役のきのこの色が赤系同士で呼応してくれるし、大きさ的にも、文字の部分を切り落とすと、上下がぴったしに収まってくれるので、これは、このタブレットケースにペーパーコラージュするのにベストな素材だぞ!と。

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で、仕上がったのが、これでやす。
ほんのちょっと右に傾いでしまいやしたが、ヨレたりボンドがはみ出すことなく貼れたので、まあ、合格かな。

あっしは昔からペーパーコラージュが大好きで、ガラケーもガラホも、ペーパーコラージュで、世界でただ一つだけの端末の表面を作ってやしたし、今、家の中では、冷蔵庫とベッドとトイレットスペースに、ペーパーコラージュを施してやす。
古いところでは、二十代後半の頃は、アルミの箱型鞄にペーパーコラージュをして持ち歩いてやした。
なので、あっしの人生に於いて、ペーパーコラージュは、もはや欠くことの出来ない 自分だけの世界作りの大きな担い手になってやす。

あ、ちなみに、今持ってるスマホケースの裏表紙もペーパーコラージュしていて、これも、きのこの写真でやす。
偶然にも、きのこつながりになってくれやした。


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水中の流木 [写真]

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カワスイ(川崎水族館)で撮った一枚。
元はここまで彩度が高くなく、自然の山中の清流の再現のブースだったのでやすが、画的に美しくさせるために、脱リアルで、思いっきり加工してみやした。
構図もキマったし、いい場所に彩度の高い色味が出てくれたので、納得のできる作品となってくれやした。

山中の清流に住む生き物の一つに、沢蟹がいやすね。
あっしは15年ほど前に、スーパーの鮮魚売り場で、1パック5匹で売られていた沢蟹を飼ったことがありやす。
平たい形の金魚鉢に、苔玉を飾りに入れて飼ってやした。
買ったのが4月で、最後の一匹が虹の橋を渡ったのが、ちょうど今くらいの、10月半ばの ぐっと気温が低くなった頃でやした。

蟹は悪食とは聞いてはいやしたが、いや、あれは想像以上でやしたね。
苔玉の苔を食べてボロボロにするなんてのは序の口で、ふと、「あれ?何か長いもの咥えてる、、、何食べてるんだろう?」と覗き込むと、他の蟹の脚を両チョキではさみ抱えて食べてるんでやすね。
餌は乾燥イトミミズを千切ってあげてたんでやすが、金魚鉢の中にポロポロ入れると、すばしこい蟹ばかりが食べて 動きの鈍い蟹は何も食べられなくなる状況になってしまうので、共食いしないでも済むくらいに、一匹一匹に、「はいっ! はいっ!」って、チョキに挟ませてやした。
そのうちあっしの影が金魚鉢上に現れると 乾燥イトミミズをもらえると学習して、全員の蟹が両チョキをブンブン振り回すようになりやした。

天然物の沢蟹は警戒心が強いから、こんな動作は絶対にしないのでやしょうが、養殖で育てられて安く売られている蟹は、恐れというものを知りやせんでやした。

半年間のお付き合いでやしたが、こちらも色々学習させてもらえた 楽しい思ひ出でやす。


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純喫茶から早々に消えていったフルーツポンチ [喫茶店・レストラン・カフェ]

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純喫茶(あっしの指す純喫茶とは、最近 流通している「単に古い喫茶店」という意味ではなく、特殊喫茶があった時代の真の意味での「純然と飲食を享しませる喫茶店」という意味での純喫茶でやす)で、1960年代後半に 早々に消えていってしまったメニューがありやす。
それは「フルーツポンチ」でやす。

ここで、純喫茶のフルーツポンチが解らない世代のかたに簡単に説明しやすとーーー
脚の付いた大きめのゴブレットに、あの毒々しい緑色のメロンのコンクを水で割った、いわゆるまがい物のメロンジュースの中に、サイコロよりももっと小さな直方体にカットされた リンゴ 缶詰めパイナップル 缶詰めピーチ のざくざく入った、今思い返すと、パーティー会場でホテルマンさんが注いでくれるのとはまるで別物の、チープで 明らかに幼い子供を対象としたデザートメニューでやした。

1962年生まれのあっしは、最も古い記憶が1965年でやすから、その時代はすでに、パイン缶もピーチ缶も、日常利用するスーパーで安価に売られていて、しょっちゅう茶の間で口にする、別段 嬉しくも何ともないデザートで、飛び上がって喜ぶフルーツは、マスクメロンくらいの時代になっていやした。

加えてその時代、純喫茶にはもう、パフェ アラモード サンデー といった アイスクリームと生クリーム盛り盛りの、派手で美しいデザートメニューがあったので、それらに対してフルーツポンチは、ビジュアル面でも ただただキッチュなだけで、見劣りのする 目にも舌にも魅力に欠ける、イマイチ イマニのメニューでやした。

なので あっしは、フルーツポンチを食べてみたのは、ほんの一、二度ほどで、すぐに デザートの選択肢は、パフェ アラモード サンデー の中から、小さな頭を振りながら嬉しく悩むこととなりやした。

あっしと同じに感じていた同世代の子供達は多かったのでやしょう。
1960年代後半には、メニューにフルーツポンチが記載されている喫茶店は、殆どなくなっていやした。
ーーー唯一、現代までメニューに載せ続けていたのは、近年惜しまれつつ閉店した 浅草のアンヂェラスくらいのものだったと思いやす。

「純喫茶にはフルーツポンチというメニューがあった」という事実、当時を知る人と純喫茶マニアなら当たり前の情報としてご存知のこととお察ししやすが、一喫茶店マニアとして、それを知らないかたがたへ、ささやかに ここから発信しておきたく思う所存でございやす。
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安物のウイッグ [写真]

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裏浅草の瓢通りで売られていた 異常に安いウイッグ。
撮ろうという段階から、このモチーフなら森山大道先生の影響を大きく受けた作風で制作するのがベストだ!と判断し、金髪のウイッグを主役に持ってきつつ 俗っぽさが出るように、あえて値札をフレームインさせやした。
加工は勿論、白黒で、コントラストを極端にしやした。
真似っこ作品ではあるものの、成立度が高いので、あっしなりにでやすが、納得している一枚でやす。

それにしても、2500円に3500円って、安いでやすね〜
ウイッグって、こんな価格で販売して元が取れちゃうんでやすね。
まあ、ウイッグもピンキリのようで、頭皮にあたる部分がメッシュになっていて メッシュの隙間隙間から地毛を出して「ウイッグを着けてます感」を感じさせないようなのは、何十万円もするらしいでやすね。

あっし個人は、髪の量が多くて多くて ボリュームを抑えるのにあれこれ工夫してるほどなので、一生ウイッグのお世話にはなりそうもないでやす。


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ブログを始めて12年が経ちました [独り言]

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私・ぼんぼち、このSSブログ(旧So-netブログ)を始めて、今年の10月14日で 丸12年となります。
先ず、2009年9月にブログを始める旨の予告を一記事書いて、2009年10月14日から本格的にスタートさせたので。

何故 私がブログを始めたかというと、「吐露」したかったからなんですね。
私は、小遣い稼ぎでも日々の記録でもなく、過去の鬱屈や 昨今 胸中にわだかまった事 嬉しかった事を、とにかく吐露して、一人でも多くの人に それを知っていただきたかった。

ーーーというのは、
長くこのブログを読んでくださっている方は すでにお解りの様に、私は物心ついた頃から毒母によって心身共に虐待を受けていた為に、自分の好きなものや考えを全否定されていたので、自分の内だけに込めてとどめておく人間に育ってしまったんです。

例えばーーー
幼稚園生の時に 家にお客さんがいらして、子供らしく会話をすると、後で「幼稚園にもあがって、まともに敬語が使えないなんて! なんて恥っさらしなヤツだ! その甘チャンの根性を叩き直してくれるわー!!」と、記憶がなくなるまで殴られ続けられました。
次にお客さんが来た時に、正しい敬語を一生懸命に使うと、「子供のくせに敬語なんか使いやがって、子供らしい天真爛漫さがねぇー! 気分わりぃー!!」と、また記憶がなくなるまで殴られ続けられました。
「このあいだは『敬語を使え』って言ったじゃない」などと抗議しようものなら、「おめー、親に向かって口答えすんのかっ! この親不孝モンがあっ!!」と、これも記憶がなくなるまで殴られ続けることになりました。
全ての物事に関してそうで、A〜Zまで、何をやっても何を言っても、母親にとっては「正解」というものがなかったんです。
大人になってから気付きましたが、母親は、うっぷん晴らしに私を殴っていたので、殴る理由というのは「躾け」と称した その時々で捻り出した「理由付け」に過ぎなかったんです。

少しでも 悔しい顔をしたり 疑問を感じた顔をしたりしても、やはり「なんだ、その目つきはぁーっ!!」と、同じ様に殴られました。
媚びへつらおうと笑顔を作っても、「なんだぁ〜?!反省してないのかあーっ!!」と、やっぱり殴られて、冷たい廊下の海に沈む事になるのがお決まりでした。

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毎日毎日そういう目に合ってきた子供というのは、自分を「無」にするんです。
何も言わない、何の表情も見せない、、、傍から見ると 一体何を考えているのか皆目解らない無感情の物体と化す。
しかし、当然 人間ですから、心の中では、それはそれは様々な感情が日々沸き起こっている。
ーーーこういう体験をした事のない人には、実感としてピンと来ないかも知れませんが、自分の中にだけ感情をおしとどめて毎日毎日生きるって、尋常ならざるストレスになるんです。
そして、物心ついた頃からそういう生き方以外を体験した事がないと、それが刷り込まれてしまうんです。

これも何度も過去記事につづってきましたが、私が27才の時に毒母は突然の病いで死んでくれたのですが、その瞬間から 物理的には完全に自由になれても、どう自分の感情を出していいのか、方法が見当がつかなかったんですね。

やはりこれも体験した事のない人は、「えっ?!そんなの、思った事を口に出して 笑いたい時に笑って 怒りたい時に怒ればいいだけじゃん。 それのどこが解らないの???」と思われるでしょうが、自分の感情を口に出す事も笑う事も怒る事もおしとどめて27年もの間を生きて来た人間には、まさに未知の世界に足を踏み出す事だったんですね。

好きな分野のアルバイトをしたり やりたくてもやらせてもらえなかった勉強をしたり 友達になりたい人と友達になったりと、階段をおぼつかなく不器用に 一段 また一段と登り、少しづつ ほんの少しづつ、感情を出せる 喜怒哀楽の表情の出来る人間になってゆきました。
ーーー40才くらいで、そこに到達出来たでしょうか。

ただ一つだけ、友達にも延々と話せないけれど、どうしても吐露したい事がありました。
ーーーそう、物心ついた頃から27才まで虐待され続けていた事です。
その虐待の中には、画家をやらされ、描きたくもない画風の作品を毎日18時間描かされ、個展時に、お客さんに 嘘でかためた 私の実像と真逆の自分を演じ 話さなければならなかった苦しみも含まれます。
だから、ブログをやるにあたって、これが一番言いたかった。

世の中にブログというものが出来る少し前、私は、半自費出版で、自分の27才までの体験を本にして出したいと考えていました。
けれど、出版社の人の説明を聞いてみると、多大な費用がかかるわりには読んでもらえる可能性が非常に低く、割りに合わない事が解った。
どうしたものか、、、と逡巡しているうちに、デジタルに疎くても簡単に運営が出来るブログというものが登場し、日記形式だけでなく 何でも自分の書きたい事を書いていいツールなのだ、と知ったので、迷う事なく始めた、という訳です。

だから、私のブログ記事は、人気取り目的で思ってもいないような事は、一つも書いていません。
虐待記事や画家時代の実情以外も全て、私の心の奥底から真に湧きい出た 純粋な感情ばかりです。
おふざけの記事もありますが、それは、私がそういう風にふざけたかったからです。

丸12年ともなると、吐露したかった事はもう全て吐露出来た感があり、悪夢の27才までの人生の埋め合わせは、すっかり了えられましたね。
ですから、私は今、最高に幸せです。
こんなに幸せな人生が世の中にあったのか!!と自分で自分に驚くほどに幸せです。
本当に、ブログを始めて良かったです。

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真っ赤な幌 [写真]

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煙草だったかジュースだったかの自販機の幌を、真下から見上げるアングルで撮った一枚。
八月の炎天下の時に撮影したので、元はどんよりと鈍い赤色がまばゆい真紅に撮れやした。
幌が幌であるという説明ではなしに、完全にデザイン的視点から撮っているので、観てくださるかたがたも、デザイン画を鑑賞する姿勢で観ていただけると幸いでやす。

今年の残暑は長引いているようでやすが、十月ともなると、ファッションは、薄手でも秋を感じさせるものをまといたいでやすね。
そして、これからは真冬のアイテムを考える時期になりやすね。

あっしは、今真冬は、もう一着ぶ厚いコートが欲しくて、先日、さっそく納得できる一着に出逢えたので 購入しやした。
裏地が起毛素材のカーキ色のミニタリーのロングコートでやす。
これに、手拭いをアクセント的に縫い付けて、世界でただ一つだけの和風ミニタリーコートにリメイクする予定でやす。

みなさんは、今冬のファッション、どう計画されてやすか?


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映画・演劇を勉強していた頃 [映画・演劇雑記]

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私は38才で一度目のダンナと離婚をし、42才で二度目のダンナと結婚したのですが、その間の4年間は、ごっそりと自分に自由な時間が出来たので、中学一年の時からしたくてしたくてたまらなかった 映画と演劇についての専門的な勉強を、むさぼるようにしていました。

それらの分野を学びたかった理由というのはーーー
先ず、私は、大人になったら舞台衣裳を作る仕事をするのが幼い頃からの夢で、その夢は中1で演劇のスタイリストに絞られ、結果的には家庭の事情で叶わなかったものの、予備知識として、演劇全般に関する知識を得たかった、という欲求を強く持ち続けていた事。
第二に、中1から高1まで演劇部に所属しており、その演劇部は、コーチを呼ばずに先輩が後輩を指導する、という形を取っていたのですが、どうも 先輩達の教えは間違いだらけなんじゃないか?と、その疑問を解明したかった事。
そして第三には、私自身が、映画・演劇を観客という立場で鑑賞する時に、専門的な知識を動員して、より深く詳らかに 楽しみ 理解し 分析したかったからです。

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先ず理論では、日本近現代演劇史 劇作家の代表作や思想・生涯の探究 演出論 演技論 舞踏の何たるか、映像理論 世界実験映画史 舞台メイク法 を、それぞれの研究所に通って、必死に 資料映像を観たり 講師の話しにうなづいたりしながら、ノートを取りました。

実践では、演技とシナリオ作法を学びました。(朗読も学びましたが、これは二度目のダンナが自由にさせてくれる人だったので、二度目の結婚期間中に通っていました。)

シナリオ作法は、某その分野の最大手の研究所の通信のコースで学んだので、その間の、確か9ヶ月は、週6で、一日12時間、近所の喫茶室ルノアールにこもって、その時々の課題のシナリオ作りに、鉛筆を何度も削りながら 原稿用紙に向かっていました。

演技の実践は、本格的には舞台に立たないスタンスで、プロ中のプロの講師にみっちりと基礎からお習いさせていただける研究所というのが意外となくて、探しに探し、最初は詐欺めいた素人講師に引っ掛かってしまったりしたのですが、後、大ヒット映画の端役も務めた経験がおありの 信用の出来る先生の主宰する研究所に落ち着く事が出来ました。

本格的に舞台に立たないとなると週一のコースだったので そこを選びましたが、毎日3時間自主練してきたりと、私があまりに熱心に学ぶので、「本科(本格的に舞台に立ってプロの役者を目指すコース)に変更しなさいよ」と何度も推されましたが、私はあくまで、演技というものの「構造」を知りたく、それには、机上の空論では骨の髄からは理解不可能なので、身を以て解りたい、という理由で、みぢんも演者を目指す気持ちはなかったので、お断りし続けました。
あの研究所であの先生にお習いした事は「これが本当の演技というものだ」と納得出来、後に 自分が映画や演劇を鑑賞する時にも、役者の力量や演技の方向性が手に取るように解って、おおいに役立っています。

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また一方、ある程度 それらの勉強が身についてからは、某街に在った「映画・演劇関係者が集まるバー」(決して、映画・演劇ファンの集うバーではなく)によく飲みに行き、マスターをはじめ 商業映画のスタッフさんや プロの女優を目指している無名のモデルさんや 某映画でそうそうたるデビューを果たしたものの、現在は鳴かず飛ばずの俳優さん達と、口角泡飛ばしつつ、映像理論や演劇論を交わした事も楽しい思い出であり、かつ現場の空気を伝えてもらえて、これも私にとっては、かけがえのない学びとなりました。

関係者ばかりが集まる店ですから、話しをする時は専門用語(いわゆる業界用語とは違います)を使います。 例えば、監督名は、苗字+サン付け 助監督は、ジョカン もったりと無駄に長い脚本は、「水っぽいホン」といったように。
それらをものすごい勢いとテムポでやり取りし合う訳ですから、たまに興味本位で、単なる「映画ファン 演劇ファン」がカウンターに座ると、我々が何をしゃべっているのかまるきし解らないらしく、「ポカン、、、」とするのがお決まりでした。
マスターもいちいち解説などしてくれずに、話しのちょっとした切れ目に一言、「どちらからいらしたんですか?」と顔を向けるのが、唯一のお愛想でした。

この4年間は、私はこうやって、殆どの日々を費やしていました。
非常に濃密で 非常に重みのある、心底 この生き方をして正解だった4年間でした。
長年夢だった勉強を、思い切り学べるという事は、こんなにも幸せなのか!!と、自分で自分に驚いたりもしました。
それから、その4年間では学びきれなかった朗読の勉強を許してくれた 二度目のダンナにも感謝しています。
毎晩、3時間もぶつぶつ自主練をしているのが耳に入るのは、うっとうしかったでしょうに、、、
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うっそうと茂るヨウシュヤマゴボウ [写真]

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近所の空き地に うっそうと茂っていたヨウシュヤマゴボウ。
影の部分を青くなるように加工したら、茎の赤といい対比が出来てくれて成立したので、作品としてアップすることにしやす。

このヨウシュヤマゴボウ、言わずもがな雑草でやすよね。
でも、あっしは先日、吉祥寺の駅ビルの中のお洒落で高級な花屋さんに、これが売られているのを見て、酷く驚きやした。
ちょうど今回の写真くらいに大きく育ったのを根元から切って、ガラスの器にどーん!と。
あっしは、雑草でも、スミレやススキが売られているのを見ても 少しも驚きはしやせんが、このヨウシュヤマゴボウが売られているのは、さすがに、、、
何故なら、この植物、今までの人生で一度も「可愛い」とか「綺麗」だとか「風情がある」と感じたことがなかったので。

けれど、家に帰って あれこれ想像力を巡らすとーーー
コンクリート打ちっぱなしの内壁にどっしりとした船箪笥が置かれたすっきりした部屋に、備前の壺などに投げ入れられていたりすると、なかなか画になるかもしれないな、、、と気づいた次第でやす。


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