謎の輪っかとビールケースと金属板 [写真]

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つい先日、かっぱ橋道具街にプリンアラモードの食品サンプルを買いに行った話しを書きやしたが、かっぱ橋へは、浅草駅に出て、そこから西に歩いて、買い物が済んだら 再び浅草の街に戻ってきやした。

で、早めの時間に浅草の街で呑もうとホッピー通りに行ってみたら、シャッターストリートになってるんでやすね。
営ってたのは、もんじゃ焼き屋さん二軒だけで、アルコールは無し。
そんなシャッターストリートのホッピー通りの一角で見つけたのが、今回のモチーフでやす。
構図も色彩のバランスもバッチリキマったので、作品としてアップすることにしやす。
加工は、よりメリハリをつけたかったので、ほんの少しだけコントラストをあげやした。
あっしなりにでやすが、かなり気に入っている作品でやす。

今回のモチーフ、ビールケースと金属板は一目瞭然でやすが、緑の輪っかが何なのか謎でやすね。
この緑の輪っかは、だいぶ前にも写真作品にあげた事があって、その時は、コーンの根元の部分だけが外れたものだろう、と憶測したのでやすが、最近、どうもそうではないように思い始めやした。
というのは、コーンは色んな色があるのに 見かけるのはこのグリーンばかりで、どれもみなギザギザの残っていない綺麗な輪っか状態をしているからでやす。
多く見かける場所は、トラックのバックミラーに引っ掛けられているところでやす。

この謎の輪っか、前々回の記事で書いた 駐車場やビルの上部の文字より、遥かに気になりやす。
どなたかお判りのかたがいらしたら、教えてくださいでやす。


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雑誌「大スター時代」に於ける堀切ミロさんの50Sスタイリング [ファッション]

近現代ファッション史の中でどの時代が一番好きかと問われれば、私は寸分迷う事なく「50S」と答えます。
中でも、ペチコートでスカート部分を思い切り張らせた膝が隠れる丈のワンピースに、ヘッドドレスと呼ぶほうが相応しい様な小さな帽子に、実用性にはほど遠い箱型の装飾性の高いハンドバッグ。

けれど、2年ほど前から髪の色をレッドにした為に 50Sファッションとそぐわなくなってしまったので、しなくなりましたが、それ以前の何十年間かは、高円寺やシモキタなどのお洒落のしがいのある街を歩く時や、ボゥディーズ(3年くらい前までファンだったロックンロールバンド)のライブに行く時には、ヴィンテージや 自分でデザインしスタイル画を描いてお仕立て屋さんに作って頂いた50Sファッションをキメていました。

20210905_122308.jpgそんな、今現在はしなくなった50Sファッション、観ているだけでドキドキするほどに惹かれ続けている事には変わりはないので、50Sの映画やポストカードや雑誌は、しょっちゅう眺めて愉しんでいます。

うち、大のお気に入りだったけれど、今の家に引っ越す際に、ボロボロになってしまったという理由で 処分してしまった50Sテーマの雑誌がありました。
「女には涙があったーーー1950年代ーーー男には情があった・大スター時代」という 昭和59年に発行された マガジンハウスのブルータス増刊の一冊です。

20210905_122415.jpg引っ越してから、「あー、いくらボロになったからといって、処分しなければ良かった。いつかまた買い直そう」と思い続け、先日ようやっと、再入手出来たという訳です。

内容は、50Sの洋邦の映画スター 自動車 バイク 文学 家電 事件 音楽、そしてファッションと、当時の文化全般を柔らかく扱ったものです。
で、私のお気に入りの頁は、70S~80Sに大活躍されていた 当時のお洒落好きなら知らぬ者はいなかった スーパースタイリスト 故・堀切ミロさんがスタイリングを担当された「現代にみる1950年代」と題された 16頁にも及ぶスチルです。
(堀切ミロさんが解らない世代の方は、後の北村道子さんのお仕事を思い浮かべていただけると 解りやすいとお察しします)

一言で感想を述べると、リアル50Sの再現ではなく、あくまでも堀切ミロさんのフィルターを通した、つまり、退廃感に溢れて 心憎くハズシ・クズシを入れたスタイリングなんですね。
二枚目の写真の右の女の子なんて、普通だったら、このワンピースには、ブルー系のジャケットを羽織らせますよ。そして、髪のリボンはオレンジ色。
そこをあえてハズす事で、退廃感や 決して上品ではない雰囲気をかもし出させている。
それでいながら、成立させている。
さすが、プロの中でもスーパーと冠されたほどのプロは違うな!と、感嘆の溜息をつかずにおれません。

自分では50Sファッションは愉しめない髪色にした今、こうして客観的に「観る」という行為で 50Sファッションを満喫している私です。
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雨上がりの24 [写真]

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24と書かれた雨上がりの駐車場。
元々無彩色だったのでやすが、より無機質感を出したくて 白黒加工し、濡れている所と濡れていない所の差を際立たせるために、少しだけコントラストを上げやした。
ありきたりではない、なかなか面白いモチーフをベストなアングルから撮れた あっしなりに気に入っている一枚でやす。

ところで、この駐車場、24とあるから1~23までも左側にズラリとあるとお思いでやしょ。
でも、それ、どこにも無いんでやす。
両側は普通の住宅で、一個だけ凹になった状態で この駐車場があるんでやす。
あっしは、「何故に24なのか」不思議で仕方がありやせん。

あと、あっしんちの近所のビルの高い位置に、K-1 と書かれているビルもあって、それも、A~Jまで、どこにも見当たりやせん。
他にも、あっしんちから二つ東の駅前に、あ-1 と書かれたビルもあり、やはりこれも、どこを探しても い 以降がありやせん。

トマソンほどの謎というわけではないでやすが、どうも気になってしまいやす。


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プリンアラモードのセルフポートレート [セルフポートレート]

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昔ながらの喫茶店でプリンアラモードを前にしているところを同行者に撮ってもらったスナップ写真、、、、、かのように見せていますが、実際は、プリンアラモードは食品サンプルで、撮影場所は吉祥寺キラリナのパウダールームです。スマホで自撮りしました。
構図をキメるのが意外と難しかったです。
なんせ、片手でプリンアラモードが傾がないように持ちながら、もう片手でスマホのシャッターを押すのですから。
で、この設定なら 表情はやはり歯を見せて楽しげに笑っているのしかないよな、、、と、そういう表情をしました。でも心の中は思いっきり緊張してます。

プリンアラモードの食品サンプルは、かっぱ橋道具街に買いに行きました。
食品サンプル、私はてっきり、今も蝋で作られていると思っていたのですが、今現在は、プラスチックが主流なのだそうです。
なので、この写真を撮影している時も、立ちのぼっていたのはプラスチックの匂いです。
食品サンプル屋さんのご主人、お話し好きで、パフェのほうは、五年くらい前からあの百合型のガラスの器が作られなくなったためにサンプルも作る事ができなくなった話しや、その他、食品サンプル業界の裏話をあれこれしてくださいました。
裏話なので、ここでは書けません。苦笑

一見の客にあんなに笑顔で裏話までしてくださるなんて、下町って、やっぱり気さくで人情味あふれるいい街だな!と思いました。
船箪笥の上に飾る事にしたプリンアラモード、見るたびにあのご主人の笑顔とお話しが思い出されそうです。


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睡蓮鉢代わりに使われている火鉢 [写真]

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裏浅草の住宅街で遭遇した 睡蓮鉢代わりに使われている火鉢。
特別変わった写真ではありやせんが、すだれが変化を出してくれていて 構図もキマったので、作品としてアップすることにしやす。
そろそろこういった夏の物も了りになりやすね。
ということで、実際に撮影したのは八月なのでやすが、九月らしくなるように、ちょっとだけ黄色味がかった柔らかな色調のトーンをかけやした。

ぼんぼち、こういう光景に憧れて、庭に睡蓮鉢を置いてホテイアオイを浮かせて メダカと金魚を飼ったことがありやす。
でも、何度挑戦しても、すぐに全滅してしまいやした。
「何でだろう?、、、ホテイアオイ入れてるから、野良猫から身を隠す所はあるのに、、、」と 理由が判りやせんでやした。
で、ある夏の昼間に、水に指を入れてみたところ、四十度くらいのお湯になってたんでやすね。
「あぁっ!水温が上がり過ぎたためか、、、何度も可哀想なことをしたなあ」
反省の念でいっぱいになりやした。
庭でメダカや金魚を飼うには、この写真のようにすだれで半分隠したり、陽の当たらない場所に置いたりしなければいけないんだ、と学習しやした。
メダカも金魚も儚い生命ではあるものの、合掌でやす。


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銘菓ひよ子に対する極めて個人的な感情 [戯曲]

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ぼんぼち、一人、空舞台で背を向け、ピンスポを浴びている。

「みなさん、、、みなさんには、おありでやしょうか? 理屈では理解出来ても感情ではそれが許せない ということが」

ぼんぼち、顔を半分だけ客席に向け、横目で客席を見る。

「あっしにはありやす。、、、、、それは、、、」

身体ごと完全に向き直り、仁王立ちになる。

「銘菓ひよ子は、東京銘菓なぞではなく、福岡のみの銘菓なのでやす!!!」

懐からひよ子を一つ取り出し、声を落とし

「えぇ、あっしだって、理屈では百も承知なんでやすよ。理屈ではね、、、、、ひよ子の製造会社『吉野堂』の社長さん自らが、元々 福岡のみで銘菓として販売していたひよ子を、第一回東京オリンピックで東京に進出させ、その後の東北新幹線開通の折りには『東京土産ひよ子』として売り出した事を。、、、、、しかし、(徐々に 声、荒いでくる)あっしら、昭和四十年代を福岡に過ごした子供達にとって、ひよ子は、福岡銘菓以外の何者でもなく、福岡一の人気菓子だったのでやす! その刷り込みは、今以て、みぢんも薄れていないのでやす!!」

ひよ子の袋をはぐり、ひよ子の背を あたかも生きているひよこを愛でるが如くに撫で

「このひよ子愛、東京人には解らないでやしょうねぇ。 東京人のそこのアナタ!そこのアナタ!!中でも江戸っ子のそこのアナタなんぞには!!!」

次々と客席にいる東京人を指差す。

「えぇ、解る筈なんぞありやしぇん。じぇんじぇん解る筈なんぞ、、、、、なんせ、東京には、昔から 数え切れないほどの それはそれは美味しい銘菓がありやすからねぇ。、、、東京ばな奈、雷おこし、人形焼き、舟和の芋ようかん、梅園の豆かん、銀座ウエスト、資生堂パーラーのクッキー、何故か回文のごまたまご、、、、、、、しかし、昭和四十年代の福岡には、たったの五つ(片手で五と示す)の銘菓しかなかったのでやす。、、、鶴乃子、にわかせんべい、チロリアン、梅が枝餅、そして、、、(ひよ子をもう片手に乗せかかげ)ひよ子。、、、この五つの福岡銘菓の中で、ひよ子はあっしら子供達にとって、ダントツ一番人気のお菓子だったのでやす。 父親や親戚のおじさんや近所の人がひよ子を土産にくれた時は、それはもぅモミジのような小さな手を天に向けて『嬉しかー!!』と 部屋中を跳ね回ったものでやす。、、、土産が鶴乃子だった時の『何でマシュマロと黄身餡なんてありえない組み合わせするんだー』的な違和感。 にわかせんべいと対面した時の、あの 人を小馬鹿にした様なタレ目の焼き印の恐怖感。 チロリアンという商品名でありながらも『これのどこがチロル地方なんだー?』的な疑問。 今、思い返すと『グリコのコロンと同じぢゃないかー』的な懐疑感。 梅が枝餅は美味しいには美味しかったけれど、日持ちがしない為に『早く食べなきゃー』的な焦燥感。 食べたら食べたで『そんなに食べると夕ご飯のがめ煮が食べられなくなるけんねー』というばあちゃんからの忠告。、、、それにひきかえ、ひよ子は、『日持ちがする』『類似商品がない』『単純明快に美味しい』、、、そして何より、この愛らしい姿でやす! どこぞの巨大テーマパークのキャラクターのようには少しも媚びを売らない、素朴かつシンプルな姿でやす。(ひよ子の口先に、あたかも愛しい者にするが如くキッスをする)、、、フッ、、、東京人のみなさんに、この ひよ子愛はありやすか?、、、、、(ニヤリと含み笑いをし)東京人のみなさんは、ひよ子を食する時に、流儀というものはお持ちでやしょうか?、、、、、昭和四十年代の福岡の子供達は皆、各々がひよ子を食べる時には『自分の流儀』というのを持っていたのでやす。、、、アタマからかじる派、お尻からかじる派、外側の焼き皮だけを剥いて先に食べておいて、中の黄身餡を最後のお楽しみに取っておく派、、、ちなみにあっしは、アタマからかじるのが忍びなくて、お尻からかじる 優しさと慈悲に満ちた派でやした。(と、ひよ子のお尻をひとかじりする)、、、、、それに、東京人のみなさんは、ちゃぶ台に背を向け 座布団を腹に敷いた体勢で マンガを読みながら、ちゃぶ台の上のひよ子を取る事が出来やすか? ワン ツー スリー のスリー目で、あたかも掌にひよ子キャッチレーダーがあるようにひよ子を手中に収めることができやすか? 東京人のそこのアナタ!そこのアナタ!!中でも江戸っ子のそこのアナタなんぞに!!!、、、フフッ、できないでやしょう。なんせ、東京人の掌には、ひよ子キャッチレーダーが着いていないでやすからねぇ。 昭和四十年代の福岡っ子の掌には、全員、ひよ子キャッチレーダーが着いていたのでやすっ!!!」

いつしか、ぼんぼちの周囲には、ひよ子のお尻の破片が散らばっている。
ぼんぼち、残ったひよ子の身体もほおばり始める。

「ひよ子は、、、ひよ子は、、、吉野堂の社長さんが何と仰ろうが、全東京人にどれほど否定されようが、、、うぐっ、、、むぐっ、、、福岡銘菓なのでやすっ!!、」

ぼんぼち、懐から次々と銘菓ひよ子を取り出し、袋をはぐっては尻から食べ、をくり返す。

「銘菓ひよ子は、、、んぐっ、、、銘菓ひよ子は、、、ほぐっ、、、福岡、、、んがっ、、銘菓、、、げほっ、、、以外の、、、ぐぐっ、、、お菓子では、、、ぐむっ、、、、、」

台詞、しだいにモノローグめいてきて、客席に観客がいる事など、ぼんぼちの頭から消えている。
なおかつ、ひよ子をほおばり、ぼんぼちの周囲は、ひよ子の袋と破片でいっぱいに汚れ、
ピンスポ絞られ、点となり、暗転。
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オレンジ色と黒とブルーの抽象 [写真]

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東京駅構内で遭遇したポスターの一部分。
切り取り方に心を砕いて、一つの作品にしやした。加工は全くしてやせん。
なので、この作品は99%がポスターを制作されたデザイナーのかたの力でやす。

ここまで抽象的だと、もうほとんど平面構成でやすね。
平面構成、中高と美術学校の学生だったあっしは、デザインの時間にさんざん勉強しやした。
平面構成という勉強は、その時その時で必ず何らかの条件が出やす。
例えば、「○を三つと△を二つと□を一つで」とか「色数は五色使うこと。ただし無彩色は使ってはいけない」とか「カラス口だけで構成すること」などと。
これを、いくらパッと見の完成度が高くても、○を四つ使ったり、色を六色使ったり、筆で線を引いたりしたら、0点になるんでやす。
何故かというと、将来、デザイナーになった時に、クライアントの要求に全てきっちり忠実に応えなければならないので、その時々の条件を守る事は、その為の訓練でもあるのでやす。

あっしは結局、毒母の強要で、毒母を養う為に画家になりやしたが、画家の仕事でも同じ事が言えやした。
自分から売れ線を狙って描いた作品を画商が買い取り 顧客をまわる、という場合もありやしたが、画商を通じて先に顧客から条件付きで注文が来る事も少なくありやせんでやした。
「F6でテッポウユリを」とか「真っ赤なバラでバックはクリーム色で」とか。
これを、いくらこうした方が完成度の高い作品に仕上がるからと、F8で描いたり、バックを薄緑にしたりしたら、顧客は怒って もうその画家の作品は一切買わなくなりやす。

「私の芸術的感性がこの方がいいと抑えきれなかった!!」なんていうのは、非リアリズムのドラマや映画や小説や漫画の世界だけでやす。
現実には画家だって他の職業と同じく、資本主義社会の外側では生きてゆけないのでやすから、ましてやあっしは毒母を養う為に画家をやっていたので、月々ある一定以上の収入は稼ぎ続けないと許されなかったのでやした。

個展の時にお客さんに「私が表現したかったものを解っていただけて嬉しいです」なんてのは、100パーリップサービスでやした。


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あいざき進也さんのポスターを貼り、、、 [独り言]

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先日、11才の時からずーーーっと理想の男性のタイプナンバーワンの あいざき進也さんのポスター2枚を、自室に貼った。(画像は、お顔の部分だけを撮ったもので、ポスターなので2枚共 ひざ下くらいまで写っている)

ちょうど1年ほど前から、あいざきさんのレコードを買い、少し前の記事でも綴ったようにプロマイドも買い、そして今度は、ポスター2枚を入手した。

11才の時から熱烈に好きなのに、何故 今になってこういう事やってるの? リアルタイムの11才には、なんでやらなかったの?とのお声が多数聞こえてきそうだが、
それはーーー

11才から昨年まで、延々と「あいざき進也さんを好きだ」という事に背徳感を抱いていたからである。
何故 背徳感を抱いていたかというと、「異性という対象として好き」だったからに他ならない。
それも、私の中の複雑な形のジグソーパズルの「理想の男性のタイプ」の空白の部分に、ピタリと一致したピースだったからだった。
「、、、えっ?! こんな理想にピタリの男性って、世の中に存在するの?! いいの?いいの?好きになっても、、、」と 戸惑ってしまって、結局「いけない」という感情が、己れの中で勝ってしまったのだった。

で、それが何故ゆえ、昨年 背徳感が解けたかというとーーー
お洒落命の私は、お洒落映えしなくなってまで生きていたくはない と思っているので、まぁ 私の余生も もういくばくもないだろうと予測しており、それなら 自分の気持ちに自分自身くらいは正直になってあげよう、一生 気持ちを抑え込んで生を了えるのは自分が可哀想ぢゃないか! と自分を解放した という訳である。

背徳感を抱いていた年月、、、11才から58才までなので、47年間 という計算になる。
47年間の間、お小遣いはいっぱいあったのに、レコードを買ったり、プロマイドを集めたり、ポスターを貼ったり、したくてしたくて仕方がなかったのに その行為を抑え込んでいた。
それが今、ダムの水が決壊するように 大放出されている。

好き好き!大好き!!あいざきさん!!!
涼しげな目も、高すぎないお鼻も、ネズミさんみたいな口元も、白い肌も、ふわふわのロングヘアも、小柄で華奢で小鹿みたいに細い肢体も、高いトーンの柔らかく甘いお声も、、、
奇跡の神様に、なんて完璧に こんなに素敵な男性をお創りになってくださったのか!!と感謝している。
ナベプロさんに、あいざきさんをデビューさせてくださった事に、感謝している。

そして、、、
あいざきさんのお顔写真を観る時、私の心は11才の少女になる。
初潮が始まるか始まらないか という年令の11才。
性欲処理のおかずなんていう生臭い事を何も知らなかった11才。
私の中のあいざきさんは、今でも17才。
だから、私にとってのあいざきさんは、私よりちょっとだけ年上の 壊れやすそうな優しいお兄さん。

頭の中で考える事は自由だから、私はくり返しくり返し こんな妄想をする。

午下りの白い喫茶店の窓辺の席。
背もたれと脚が、細くくるるんとした華奢な白い椅子に、17才のあいざきさんと11才の私は、向かい合って掛けている。
小柄で細いあいざきさんは、女物の白いシャツ。
私は、現実の11才だった 満面ドロドロのニキビに豚っ鼻にブルドック顔ではなしに、今の私がそのまま少女になった顔。
あいざきさんはレモンティー。私はカフェオレ。
窓から吹き込む軽い風に、あいざきさんのふわふわの髪が揺れる。
午後の柔らかな陽に、ネズミさんみたいな歯が光る。
私は、恥ずかしさと嬉しさのあまり、あいざきさんをチラと一瞬、見上げるしか出来ない。
ちょっと強い風が吹き込み、伝票が飛びそうになる。
「アッ!」二人揃って抑えようとするせつな、指と指のほんの先っちょが触れ合う。
それだけ、ただそれだけなのに、私はよりいっそうの恥ずかしさと嬉しさで、頬を真っ赤にして俯いてしまう。
あいざきさんは、涼しげな澄んだ瞳で 優しく笑っているーーー

人間が死に至る過程では、脳内快感物質が大量に放出され、今までの人生で体験した事もない様な「幸せ感」に包まれ、非常にリアルな幻視を視るという。
たいていは、まばゆい光や、一面のお花畑や、キラキラ光る川だという。

私の場合は、この あいざきさんとの白い喫茶店での妄想を、幻視として視たい。
そうやって、人生最高の幸せ感に包まれて 生を了えたい。
、、、絶対に!!!
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三枚のカタバミの葉 [写真]

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近所のお宅の玄関先で見つけた 敷きグリーンの中にひょっこりと生えた 三枚のカタバミの葉。
敷地と道との境目も入れたら構図として完成したものになったので、ストックしやした。
撮った段階では、カラーで作品にしよう、という事くらいしか、加工については考えていなかったのでやすが、あれこれ色んなバージョンを試した結果、この 彩度をぐっと抑えた 昔のフィルム写真のようなバージョンが最もあっしに納得できるものだったので、これを作品として公開しやす。

このお宅、敷きグリーンは勿論 意図して植えられたものだと思いやすが、カタバミは予想外に出てきたけれど可愛いから抜かずにそのままにしておこう、というお考えだと察しやす。
あっしは個人的に、こういう感覚って大好きでやす。
本来 雑草に分類される植物でも、可愛いければそのまま大事に生やしておくっていう。

以前、あっしがガーデニングに凝ってた時も、派手な花は植えずに、ハーブ数種類を主に、他には自然と庭に生息し始めた、スミレやカタバミやミズヒキソウを大切に育ててやした。

最近は、ビルのガーデンスペースでも、改良され尽くした派手な花が整然と並んでいるのではなく、ハーブや可愛い雑草が植わっている所が増えつつありやすね。
とても癒やされやす。


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東大に落ちたコンプレックス [独り言]

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私の一度目のダンナは、大学は、第一志望に東大、すべり止めに早稲田を受け、東大は落ち 早稲田は受かったので、仕方なく早稲田に入学・卒業した人だった。

四年の結婚生活の間、それはもう事あるごとに、「僕は東大を落ちたから、、、」「東大に入れなかった落ちこぼれだから、、、」と 眉間にしわを寄せて唇を噛み、東大に落ちたコンプレックスを全身全霊で発していた。

社会人になって世の中を俯瞰出来る年齢になったら、世間一般では早稲田が恥ずべき大学ではないことくらい 周囲の反応から認識できたと思うのだが、彼の 東大落ちたコンプレックスは、少しも変わることがなかった様だった。
私との結婚生活の時に、彼はすでに四十代だったにも関わらず。
性格的に、かたくなな人ではなかったが、唯一、この事だけは、彼につきまとって わずかにも薄らいだり 縮小したりしない様だった。

いつだったか、結婚生活中に、本郷の三四郎池(東大キャンパス内に在る、うっそうとした木立に囲まれた 景観の良い池)に二人で散策に行った折りなどは、キャンパスを行き交う東大生達を見ては「こいつら、みんな頭いいんだろうな、、、」と つむじのてっぺんから足の底まで萎縮し切り、三四郎池を泳ぐ鴨を見ても「あぁ、鴨までが知的に泳いでいく、、、」とつぶやき うつむいていた。

今、私の友人に 偶然 早稲田卒の人がいるのだが、一度目のダンナも早稲田だったよ、という話題になった時、「元のダンナさん、学部と学科はどこだったの?」と聞かれ 答えると、友人は、「そこは、優秀な学生しか進めない難しい学科だよ」と言われ、「へえ」と驚いた。
一度目のダンナは、「早稲田の中では難しい学科に進めた」というような事は、一言も口にした事がなかったからだった。
つまり、一度目のダンナにとっては、「東大を落ちた」という事実が、彼全体をおおい尽くす 穴や隙間のない完全なコクーンとなっていたのだった。

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正直言って、私には、学校に対するコンプレックスというものが何もないので、まるでピンと来ない。
そもそも、人間の価値は、卒業学校で決まるなどとは全く思っていない、というのもあって。

私は、某私立の美術中学を、そこ一校だけ受験し合格し、美術中学生となった訳で、その時点で 将来進むのは、美術かそれに近隣した分野に限られた。
そして美術高校の二年の了りに、高校卒業後の進路を決める 親と教師と私の三者面談で、私は幼い頃から憧れていたスタイリストになりたいので、文化服装学院(日本でトップのファッションの専門学校)を受験したいと強く主張したが、結局、毒母が、「この子には、高校卒業と同時に画家をさせて私を養わさせます!!」の一点張りで、毒母は私にとって絶対的強者・支配者だったので、逆らう訳にはゆかなかった。

だから私は、文化服装学院を受験もしていないし、入学願書を取り寄せる事すら許してもらえなかったので、文化に行けた人に対して、強烈な「羨ましさ」はあるが、コンプレックスというのは、みぢんもない訳である。

今、一度目のダンナがどうしているのか、まるで解らない。
おそらく彼は、どれだけ早稲田を肯定され続けようと、人間、出身大学が全てじゃないよと なぐさめられようと、東大落ちたコンプレックスを、同じ強さで抱えて生きているに違いない。
きっと、棺桶に入るその瞬間まで、抱き続ける事だろう。

何がコンプレックスか、というのは、外見や履歴書を見ても 傍目からは想像もつかない、その本人にしか解らない、根の深い問題なのだと、一度目のダンナとの結婚生活で、つくづく思い知らされた私である。
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