美術科予備校・講習会に来たヌードモデルさんの思ひ出 [独り言]

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私は美術高校の一年二年の時、美術の勉強を学校の授業以外にも学びたくて学びたくて、某美術科の予備校の講習会に、美大を目指す浪人生や他の美術高校の生徒とともに、春休み 夏休み 冬休み と通っていた。

ある 夏休みの講習の日-----
その日は、丸一日かけて 木炭デッサンを一枚仕上げる という課題だった。
モチーフは、女性ヌードである。
二十人ほどの受講生は私も含め、「どんなモデルさんが来てくれるのかな? ルンルン!」と 気分が高揚し、油絵具と木炭とパンの入り混じった匂いの立ちこめる画室の空気は浮き立っていた。

美術の基礎を学ぶにあたっての「良いモデルさん」というのは、決して グラビアモデルやファッションモデルのように 美人でナイスボディである必要はない。
それよりも、先ず第一に、「中肉中背で均整がとれていること」、顔も、「大き過ぎず小さ過ぎず 玉子型であること」が好もしいのだ。
何故なら、基礎勉強では、人間の身体のつくり プロポーションの平均値を頭に叩き込まなければならないので、たとえ多くの人が美しいと感じる容姿であっても、どこかが極端に○○な人 というのは適さないのである。
第二に好もしいのは、ポージングの上手いモデルさんである。
何故、着衣ではなくヌードを基礎勉強として描くかというと、皮膚の下に脂肪があり 脂肪の下に筋肉があり 筋肉の下に骨がある-----という そこまでの構造を、見抜き 熟知し易い状態にするためである。
そのためには、手を頭や腰に置いたり 身体をひねったり 片足に重心をおいてもう片足を流したりしてくれると、筋肉の収縮や骨の曲がりが出来、とても良い学びになるのである。

私達受講生は、ルンルンしながら、モデル台の前に各々イーゼルを立て カルトンを置き 木炭の芯を抜いたりして 授業の準備を整えていた。
ルンルンの空気は、授業開始時刻が近付くにつれ 高まっていっていた。

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-----と、
画室に、明らかに受講生ではないと判る 四十代くらいの女性が入ってきた。
百キロくらいありそうな肉付きだった。
「・・・・・・・えっ!? まっ・・・・まさか!?」
私達約二十人は、嫌な予感が当たらぬことを願った。
しかし・・・・・・・・・
その女性は、ついたての向うに歩いてゆき、ほどなく 全裸で現れ、モデル台の上に立った。
そして、タイマーを自分でセットし、両手を後ろにまわし 足を肩幅に広げ、仁王立ちになった。
でろんと垂れ下がった大きすぎる乳房 五百円玉より遥かに大きい乳輪 三段どころか五段の腹 えくぼだらけの丸太さながらの脚・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ルンルンの空気は、みるみる画室の床を這うが如くに どよ~~んと鈍く重たくなった。

「みんな!おはよう! もうモデルさん いらして・・・・・・」
三十代半ばの男性講師が片手を挙げ画室に入るや、動きと言葉が止まった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
私達受講生は、心の中で揃って、「でしょーーーーー」と 眉をハの字にして口をとがらせた。
「・・・・・・・・・・・・んーーーー、モデルさん・・・・・・えっと・・・・・ポーズをね、・・・・・ちょっと こう・・・・・手を頭に乗せるとか、片足だけに重心をおくとか、身体をひねるとか、・・・・・・そういうの、何かやってもらえませんか?」
講師がやや遠慮がちに指示すると、モデルさんは間髪置かずに「できませんっ」と返した。 「これしかできませんっ」 と。
講師は「はぁ~」と ため息をつき、受講生一同を 申し訳なさそうな目で見やった。
私達は、床を這う空気感で 木炭紙にあたりをつける作業に取り掛かった。
画室は私達が半袖の服を着ていても汗ばばないくらいの室温だったが、モデルさんは、全身に滝のように汗をかき始めた。 はあはあという苦しそうな息使いとともに。
汗は垂れ流れ、陰毛をつたってポタポタと落ち、股の間に直径十五センチくらいの汗だまりができた。
ジリリリリリリッッッッッ!!!
タイマーが鳴り、休憩時間となった。

すると、モデルさんは講師に小声で何やら話かけ、ついたての向うに隠れたかと思いきや、服を着て画室から出て行った。
「・・・・・・・・・・・・あのーー、みなさん、モデルさんは この部屋の匂いで気持ちが悪くなられたそうで、帰られました。・・・・・・・・・・・・・・・・んーーー、今日の授業、どうしようか・・・・・・・んーーー、仕方ないから、みんなで交代でモデルになって 一分間クロッキーをしようか。・・・・・・・じゃ、この椅子をモデル台に乗せるから、先ず キミから座って」 
と、一人一分間づつモデルになり、それを何回転もして、その日一日の勉強を了えたのだった。

私が講習会に何度も通った中で、一番 印象強かった思ひ出である。

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青い網 [写真]

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街なかに停めてあったトラックに山積みにされていた 青い網。
何に使用される網なのか あっしには見当もつきやせんでやしたが、青の鮮やかさと 同じ網が同じ調子で積まれている様子が連続模様のようで面白いな と思ったので撮らせていただきやした。

網・・・・・・といえば、現代社会は、うっかりすると ごっそりお金を巻き上げられる結果となってしまう悪い網が そこここに張られてやすね。まるで、虫を待つ蜘蛛の網のように。
最も多く見られるのが、携帯端末に入ってくる なりすましメールでやすね。
銀行や宅配業者や有料サイトやしばらく音信の途絶えていた知人を装っての。
すぐにニセモノだと判りやすけど、中にはカモになってしまう人もいるから こういうメールって後を絶たないのでやしょうね。
みなさん、現代の悪網に足をからめとられないように気をつけたいでやすね。


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風紀委員長をやっていた時の話 [独り言]

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私は高校時代、立候補して風紀委員長をやっていた。
私が通っていた高校での風紀委員の役割りというのは、制服を校則通りに着ているか(学校指定の仕立て屋で仕立てた制服を 自分好みに改造してはいないか、ブレザーのボタンを全部キッチリ留めているか、ネクタイを緩みなく締めているか、校章を正しい位置につけているか) 派手なヘアスタイルをしていないか、化粧やマニキュアをしていないか、を月に一度 校門に立ちチェックすることと、今後の身なりについて 検討・改革してゆくことだった。

私は、仕立て屋で仕立てたままだと 寸胴でバランスが悪く太って見える制服は、身体にフィットさせて 特にウエスト部分を絞ってスタイルが良く見える様に改造し、隙間なく真っ赤にニキビが出来 ブルドッグさながらにぶよぶよに太った顔は、少しでも綺麗に細く小さく見える様に ファンデーションをべったりと塗り 側面にシャドウを入れ、髪は頬をおおい隠し くるんくるんにパーマをかけ腰までのばし、小学生の時に「おばあさんの手みたい」とからかわれたどす黒い指には、血色が良く見えるように淡いピンク色のマニキュアを塗っていた。

そんな私が何故、風紀委員のしかも長に自らすすんでなったかというと----
校則にある身なりの規定は、勉学にいそしむ為に何の意味もなさない無駄なもの----どころか逆に、活き活きと心地良く勉学に邁進する為の意欲をそぐ 負の縛り以外の何物でもないと思わずにおれなかったので、風紀の顧問の教師に抗議をして なくしてしまおうと考えたのだ。
私が通っていたのは美術高校だった。 美術高校の学生は美術を学ぶ為に学校生活を送っているのだから、その背中を押せぬ、逆に足かせにしかならぬ校則など 廃止するべきだ----と。、
現に私は、制服を改造したり そういった化粧やヘアスタイルにすることで、コンプレックスを少しだけれど軽減させられ、美術の勉強に強く打ちこむ事が出来、美術の成績は学年でトップだった。

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よく、「~らしさが大事」と したり顔で語る人がいる。 高校生は高校生らしい服装や髪形をしなさい。 化粧やマニキュアなんてとんでもない、と。
しかし、ぱっと見が高校生らしいことって、そんなに重要なことなのだろうか?
重要なのは、高校生活で何をやっているかではないだろうか?
ぱっと見が重要だという人がいたら、どういう理由で仰るのだろうか?
説得力のある理由を教えていただきたいものである。
「高校生らしさ」以前に「その人らしさ」の方が、一億倍大事なのではないだろうか?
何故なら人間は誰しも、「自分」という存在があり それが成り立って、初めてその土台の上に高校生なり何なり、何らかの立場でいられるのだから。
自分という存在をつぶされてしまったら、高校生でいられないどころか、精神的に人間として生きることが出来なくなってしまうのではないか。

私は風紀委員長になるや、即刻 これらの内容を、風紀の顧問の教師に切々と訴えた。
けれど、顧問の教師は、「・・・・・・そうよねぇ・・・・・・・その通りよねぇ・・・・・・・」と 頷きながら困った顔でうつむくばかりだった。
----風紀顧問の教師はまだ若い女教師で、校則を変えられる権限を持っていなかったのである。
私は、校長に直訴しようとは考えなかった。
その女教師の言葉や表情から、それは一縷の望みもないほどに無力な行いであると悟ったからだ。

後日----
クラスの担任の中年男性教師が、私にこう吐いた。
「ぼんぼちぃー、ぼんぼちの化粧や髪形や制服改造は、職員会議でも問題になってるぞー!」
注意されたところで、私は自分のスタイルを変えようとはみぢんも思わなかった。 変えてしまうと、私が私でいることが根底から崩れてしまうからだった。
美術でトップの成績を維持できなくなるどころか、登校することすら不可能になってしまうと自分でよく解かっていた。
一体全体何故、アニメや流行歌に夢中になって たいして美術の勉強もしなく成績の良くない生徒が、身なりの校則を守っていれば何のおとがめも受けずに、醜い容姿を少しでも美しく健康的に見せる工夫をして、コンプレックス軽減でアイデンティティを確立し、他の生徒の何倍も努力をして美術の成績でトップを取っていた私が叩かれなければならなかったのか----身なりの校則の重要性が、今以ってサッパリ解からない。
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レンガの外壁 [写真]

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飲食店の入り口脇のレンガの外壁。
ノスタルジックさを強調したかったので、一旦、白黒加工し それから赤味がかったトーンをかけやした。

レンガを使った飲食店・・・・・昔はあっちにもこっちにも見かけやしたね。
あっしが小学生の頃、親に連れられてよく行っていた レンガ作りの飲食店で最も印象強いのは----
国立に在った「ヴィラ」というイタリア料理店でやす。
内壁がレンガでワインの空ボトルが飾ってあって 薄暗く重厚な雰囲気でやした。
そして、あっしと弟のお気に入りのメニューは、カルツォーネでやした。
70年代のその頃、カルツォーネを出している店はめったになく、大きな餃子の様な形が子供心に面白く、いつのまにか二人共 必ず頼むメニューになってやした。

ヴィラはいつしか閉店し、あっしも国立の街を離れ-----
15年くらい前でやしょうか、国立と同沿線の三鷹の「人形の館」というレストランに入り、そこのシェフと世間話をしたら・・・・
なんと!そのシェフはかつてヴィラの厨房にいらした方だということが判り、互いに嬉しく驚きやした。
「あの時、僕の作ったカルツォーネを 小学生の貴女が食べてくださっていたとは!」 と。

けれど、どういう理由でか、人形の館も閉店してしまい、シェフも今はどうされているのか不明でやす。
諸行無常でやすなぁ・・・・・・・


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マジメと不良 [独り言]

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ある時 同世代の女性と話をしていて、ちょっとした流れから、「私は中学生の時、学校帰りにほぼ毎日 喫茶店に寄ってましたよ」と言った。
するとその女性は、「えーーっ! 不良ーーっ! 怖ーーい!」と おびえた表情でいっぱいになり 如何にも恐ろしいものから遠ざかる様なアクションをした。
私は当時も今も、一体全体何故、中学生が学校帰りに喫茶店に寄ることが不良行為なのか サッパリ解からない。
入ったところで、タバコをふかすわけでも ビールやジンフィズを飲るわけでもなく、ただおとなしく、コーヒーやクリームソーダを飲んだり カレーやナポリタンを頬張ったり パフェやサンデーにスプーンをのばしたりして くつろいで帰路につくだけなのに・・・・・・・と。

また別の日、やはり同世代の男性と話をしていたら、「・・・・・で、ぼんぼちさんは、中学生の時は何回くらい補導されたことがあるの? 警棒で叩かれるのって痛いよねー! 少年院には入ったことある?」と 当たり前!といった様子で聞かれた。
私が、「えぇっ! そんなこと一度もないですよっ!」と 眉を険しくして驚くと、「へぇぇー、マジメだったんだねー。 そんなマジメやってて、中学生活 楽しかった?」と さも珍しいものを見る様な目をされた。 

多くの人は自分が基準で、世の中の多数の人間は 自分と似たり寄ったりの学生生活を送ってきたと、無意識のうちに思い込んでいるのだろう。 私もその一人かも知れない。
ちなみに私は自分のことを、マジメでも不良でもなかったと自覚している。
私の定義する「マジメ」は、学生の本分である勉学に勤しむ為にに何ら関係のない 何の意味のない校則を、何一つ疑問を抱かずにキッチリ守る生徒で、「不良」は、万引きや恐喝 傷害など、世間様に迷惑をかける 法律に触れることをやらかす生徒である。
そして、マジメな生徒も不良の生徒も、学校毎に非常にムラはあるものの、統計を取ったら どちらもごくごく一握りで、多くの生徒は、かつての私の様に マジメでも不良でもなかったのではなかろうかと 思っている。
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翼の頁 [写真]

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フリーペーパーに載っていた鳥の写真の翼の部分を撮ったもの。 バックは迷わず「赤でキマリだな!」と思い、赤い紙を置きやした。

鳥の翼といえば・・・・・・・あっしは幼稚園の頃、園庭で、よく「鳥になったごっこ」をやってやした。
自分が鳥になったつもりで両腕をパタパタとやって走るんでやす。
時々、片翼が怪我した設定で、片腕だけ身体にピッタリつけて もう一方の片腕だけでパタパタやって、悲しみと辛さの中にも頑張って飛んでいる鳥を演じたりもしやした。
あとは、泥だんご作り。
みなさんは、幼稚園の園庭では、どんな遊びをされてやしたか?


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中野桜まつりと鮎の塩焼き [独り言]

四月某日、澄み渡った青空となったので、最寄りの駅から四駅離れた中野の街に、一人 ぶらりと桜を観に出掛けた。
中野は、アーケードや飲み屋で賑わう一角の西側に、北へ延々と伸びる桜並木の通りがあり、途中、新井薬師公園という 地元の人がちょっと集まる桜の公園もあるのだ。

私は、桜並木を見上げつつそぞろ歩き、新井薬師公園へ入った。 公園には「桜まつり」と横幕が掲げられ 園内には屋台がずらりと並んでいた。
----おや! 鮎の塩焼きの屋台も出ているではないか!
私は鮎の塩焼きには目がなく、居酒屋やこういった屋台で鮎の塩焼きを見つけると、必ず求め 頬張っているのだ。
屋台では、たいてい五百円である。
が、ここのは七百円と書いてある。
----七百円かぁ、高いなぁ・・・・・・高いから今回はやめようかなぁ・・・・・・・・・・しかも、屋台のおじさんは、口をへの字に曲げてむっつりと目を閉じ 椅子にふんそり返ってて なんだか怖そうだし・・・・・・・

中野桜まつり.JPG串にうねり泳ぐ形で刺さった鮎達を横目にゆき過ぎ、屋台の列が途切れた辺りで足を止めた。
----やっぱり食べたい!!
私は鮎屋の屋台へと戻った。

鮎屋のおじさんはスマホを耳に当て、酷く不機嫌そうに何やら話をしていた。
私が鮎屋に正面向いて立つと、おじさんは人差し指を立て「一?」と示した。
私も人差し指で「一」と応えた。
おじさんは不機嫌そうに話を続けながら、スマホを持っていないほうの手で 鮎の一匹を炭の上の網に乗せ 私が差し出した千円を受け取り 三百円を私の掌に乗せた。

おじさんはスマホを置いた。
と、先までとは別人の如く満面の笑みとなり、「今日は花見に来たの?」「どこから来たの?」「あー、あっちのほうなら井の頭公園が近いよねー」などと、鮎を丁寧に何度も裏返しながら話かけてきた。
私も笑顔で話に応じた。
「くれぐれも食べる時、やけどしないでねー! 気をつけてねー!」
串の端の部分をティッシュで丹念に包んで 絶妙に焦げ目のついた鮎を「ハイッ!」と手渡してくれた。

私は公園内で座って食べられる場所を探した。
ベンチもあったが、園内にはお年寄りがたくさんいたので、背もたれのあるベンチはお年寄りのために空けておこう と、花壇の縁のコンクリートの上に腰掛けた。

私が鮎をかじっていると、私の両側に 園内をぶらぶら歩いていたお年寄りが、一人・・・また一人と座り、花壇の縁はお年寄り達でびっしりになった。
首からネームプレートを下げた介護師さんらしき中年の男性に押された車椅子のお年寄りも、わらわらと花壇の縁付近に集まってきた。
お年寄りは全部で二十人くらいいた。
私はいつの間にやら、お年寄り達の輪の中にぽつねんと居る形となった。
「○○さんーん! 写真、撮ってもらいましたかー!」
「△△さんも、写真、撮ってもらいましたかー!」
「これで、全員 撮りましたねー!」
介護師さんは、お年寄り達に声を飛ばした。
「では みなさんに、これからおしぼりとお茶を配りまーす!」
私より左側の端に腰掛けているお年寄りから順に、「はい!××さん、おしぼり!」「はい!◎◎さん、おしぼり!」、私を抜かして「はい!◇◇さん、おしぼり!」・・・・・・
紙おしぼりがお年寄り全員に配られ渡ると、今度は、紙コップに注がれた緑茶が用意された。
「はい!××さん、お茶!」「はい!◎◎さん、お茶!」、私を抜かして「はい!◇◇さん、お茶!」・・・・・・
ベンチは空いたままだったのでベンチに移動しようか・・・・・とも考えたが、今 移動すると、いかにもお年寄り達が来たことが迷惑だと思っていると受け取られても悪いな と思ったので、そのままコンクリートに座って 鮎をかじり続けていた。

「それ、おいくらでしたか?」
私の右隣に腰掛けていた 上下青のジャージの痩せこけたおじいさんが、私の鮎を指差した。
「七百円です」
中野桜まつり1.JPG「そりゃあ高い! ワタシにはとても買えない! とてもとても」
顔の前で 縦にした掌を左右に振り 笑った。
「あらぁ! お魚も売ってるのぉ?!」
そのまた右隣の、くしゃっと寸の詰まった しわくちゃの顔のおばあさんが、ひょいと顔を出した。
「鮎ですよ、そこで売ってますよ」
屋台のほうを指した。
「あらぁ~ そう! 美味しそうだこと!」
ますます顔をくしゃっとさせた。
「鮎、売ってるのね」
今度は左から声が聞こえた。
薄紫色のスプリングコートをまとい 白髪をポニーテールにした 若い頃はさぞかし美人だったろうと思われるおばあさんだった。
「アタシはね、相模川から四里の所に昔 住んでましてね、その頃 相模川では鮎がよく釣れたのよ。 釣り人が季節になるとたくさん来て、ここまで(腰の辺りに手をやり)水に浸かって釣ってたの。 でもね、アタシ達 地元の者は、鮎が減っちゃうといけないからっていうんで、他所から来る釣り人にゆずってあげて釣らなかったのよ・・・・・・」
私は、柔らかな陽を浴びながら 情景を思い浮かべた。

鮎を食べ了え、新井薬師公園を出、再び桜の通りを北へ歩いた。
今日の七百円の鮎は、七百円の値打ちがあったな・・・・・と思いつつ・・・・・・・


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道路の端の黄色と水色 [写真]

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道路の端で発見した 水道の蛇口が入っていると思われる水色のフタと その上に乗っかっている段差をなだらかにする為の黄色い金属板。
両者の色が鮮やかだったことと フタの見え方が絶妙だったために、これは作品になるぞ!と判断し、撮り帰りやした。

この写真、なんだか平面構成みたいだなぁ・・・・と感じてやす。
平面構成・・・・・・・美術関係の勉強や仕事に携わったことのないかたはご存じないと思うので、簡単に説明すると-----
その時々で与えられた条件を守りながら ケント紙にデザイナースカラーで色を塗る デザインの基礎勉強の一つでやす。
例えば、丸を二つと直線を三本使って 色は5色で無彩色はNG、以上の条件で構成すること----などと。
あっしは、70年代、中学高校と美術学校の学生だったので、ケント紙にデザイナースカラーの平面構成の勉強をさんざんやりやしたが、現在はデザイナーさんの仕事がパソコンを使っての仕事にすっかりかわっているので、学校の平面構成の勉強も、パソコン使用になっているのかな?と、ちょっと気になってやす。

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Tさんの脳梗塞発病記 [リポート]

私にはTさんという友人がいる。
彼は、私より少し年長の60才。 糖尿病の持病を持っている。
Tさんとは5年ほど前に 某所で開かれた徘句のイベントで知り合い、共に 過去に映画の勉強をしていたという共通点があることが判り、意気投合し、今では一番の親友と言えるほどにひんぱんに逢っては 映画談議に花を咲かせている。

先日の春分の日----
いつものように、高円寺の駅から10分ほど歩いた所に在る 昔ながらの喫茶店Bで待ち合わせ、ひとしきり話した後、駅近くのカフェYで飲もう(といってもTさんはソフトドリンクだが)と約束した。
待ち合わせの時間は3時だったが、2時半くらいにTさんから、「高円寺駅ホームのベンチに座ってます」とのメールが来た。
私は家を早めに出ており 2時半少し過ぎに高円寺駅に着いたので、ベンチを探し Tさんを見つけた。
Tさんは胸に手を当て苦しそうに、「先、Bに行って待ってて。後から行くから。 低血糖か脳梗塞のどっちかかも知れない」と つぶやいた。
「えっ!?脳梗塞かも知れないんですか? 大丈夫ですか?」と驚くと、「いや、まだどっちか判らないから、先 行って待ってて」と 掌を向けた。
私は、Tさんにうながされるままに Bに向かった。

Tさんは、数日前に一緒に出掛けた時にも低血糖を起こし、近くのカフェでココアを飲んだらみるみる回復し、夜には蕎麦屋で、たらふく 蕗の薹の天ぷらやキンピラやポテトサラダやきしめんを食べられていたので、今日もBに来て甘い物を摂れば良くなるかな・・・・と思った。
しかし、「脳梗塞かも・・・・・」という言葉には引っかかった。 そうでなければ良いのだが・・・・・・と。

Bでコーヒーを飲み終えた頃、Tさんからメールが来た。
「Bまでは歩けません。 Yに直接行ってます」
カフェYは、高円寺駅から 徒歩2分の場所に在る。

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私はBを出、Yへと足早に歩いた。
Yに着くと、Tさんは椅子に直角に座っていた。 テーブルのコーヒーは飲み干されていた。
「大丈夫ですか?!」
「ちょっと・・・・様子をみてみる」
Tさんの口はロレツがまわっていなかった。
Tさんは、コーヒー用の砂糖の塊を一つ口に含んだ。 低血糖だったら これで良くなるだろうと考えているようだった。
「大丈夫ですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・右足が・・・・・・・・右足が動かない・・・・・」
ますますロレツのまわらない口調で発した。
「えっ!? 救急車 呼んだほうがいいですよ!」
これは脳梗塞だろうと思った。
「いや・・・・・もうちょっと、様子をみてみる・・・・・・・良くなるかも知れないから・・・・・・・」
「救急車、呼びましょうよ!」
「店に迷惑がかかるから・・・・・」
「だって、足が動かなかったら帰れないでしょ!」
「店に迷惑がかからないように 静かに・・・・・」
「救急車なんだから、ピーポピーポって来ますよ」
Tさんは、ますますロレツがまわらなくなってきていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・あ、右手も動かなくなってきた・・・・・・・」
私は、脳梗塞に間違いないと判断し、救急車を呼ぶことにした。
「Tさんっ!救急車 呼びますよっ!・・・・・Hさん(カフェYのマスターの名) 救急車 呼んでいただけますか?! Tさんが脳梗塞みたいなんです」
カウンターの中のマスターに声を飛ばすと、マスターは嫌な顔一つせず 瞬時に119をしてくれた。

Tさんは私に、かかりつけの病院の診察券を 動くほうの左手で渡してくれた。
5分も経たないうちに ピーポピーポの音が近づいてきた。
途中、店の場所を確認するらしい折り返しの電話があり、ピーポの音が大きくなってきた。
Yはビルの一階に在り、マスターと私は「ここです!」と判るように 並んで店から一歩出て片手をあげ、救急車の到着を待った。
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救急車が店の入り口前に停められるや、救急隊員のかたがたが店の中に入ってきた。 車の付いた担架も、すっと入ってきた。
「こちらです」 
私は片手掌でTさんを示し、もう片手でTさんの診察券を隊員さんの一人に手渡した。
「ご関係は?」
その隊員さんが私に向いた。
「友人です」
間髪置かずに答えた。
そして、「ロレツがまわらなくなって、それから左足が・・・・じゃなくて右足が・・・・」
状態を説明しようとしたが、焦ってしどろもどろになってしまっていると、隊員さんは、「ご本人に聞きますので」と、先ずTさんを担架に乗せた。
「私も一緒に乗るんでしょうか?」
「はい、お願いします」
私はYのマスターにお礼を言い、Tさんのリュックを抱え救急車に乗り込んだ。

Tさんはすでに左人差し指に血圧計を挟まれ、担架に固定されていた。
上方の血圧表示の横にある無機質な黒文字の時計が、ちょうど5時を指していた。
隊員さんの一人がTさんに、「舌がまわりづらくなってきた自覚症状を感じ始めたのは いつくらいからですか?」と質問すると、Tさんは、「昨日の夜から」。
私は心の中で、「えっ!? そんなに早くから!!」と驚愕すると同時に、高円寺駅のホームの段階で Tさんの意思に反して駅員さんを通して救急車を呼べばよかった・・・・と強く悔やんだ。
隊員さんはTさんに、「今日は何月何日ですか?」「生年月日は?」「既往症は?」「昨夜から今までの身体の状態は?」と尋ね、Tさんは、ロレツこそまわっていなかったが、間なく考えこむことなく答えていた。
その後の「高円寺にはお仕事で来られたんですか?」の質問には、「いいえ」と言った後に 何故だか「んふふ~」と 口角をあげて笑っていた。
私の横に座った先とは別の隊員さんが、「ご関係は?」と こちらに顔を向けた。
「友人です」
「・・・・・・・・では、ここにお名前を・・・・」と、間柄の欄に隊員さんの手で「友人」と書かれた書類を渡された。
「はいっ!」
「フルネームでお願いします」
「名前だけでいいですか?」
「はい、結構です」

Yの営業の邪魔になってはいけないという理由から 救急車はYから少し離れた道の傍に停められ、前方に座っている隊員さんが電話で、搬送先の病院の交渉にかかった。 「脳卒中・・・・・男性・・・・・・60才・・・・・」
Tさんのかかりつけの病院は高円寺からかなり遠くに在るため、極力 近くで受け入れてくれる病院を探すとのことだった。

「江古田の病院に行きます」
江古田は、高円寺から北東に位置する別沿線の街で、おそらく15分から20分くらいで着くだろうと思った。
「救急車、乗るの初めて?」
Tさんは、私に目を向けた。
「うん、初めて」
「僕、4度目」
血圧計の付いた指で四と掲げ トホホ・・・・と笑った。
私は救急車というものが 想像以上にかなりガタゴト揺れるということを初めて知った。
救急車は北東へ北東へと進んだ。
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約、15分後----
救急車は、大きな病院であるらしき建物の脇に横付けされるや、前方に乗っていた隊員さんがすかさず降り 後方にまわり、後ろの扉を押し上げた。
「お気をつけてお降りください」
私はリュックを抱え 駆け降りた。
Tさんの担架は、救急搬送用らしき扉にスーーッと入れられ、隊員さんの一人が「付き添いのかたはこちらへ」と 正面入り口へと誘導した。
私は小走りで入った。

正面受付で「たった今 搬送されたTの友人です」と申し出ると、書類に Tさんの氏名と電話番号を書くように言われた。
書き終え顔をあげると、誘導してくれた隊員さんが脇で待っており、「付き添いのかたはこちらへ」と、救急患者付き添い者用であるらしいソファに案内された。 病院内は、祝日のためであろう、がらんとしていた。

先の隊員さんが再び来て、「これから検査に入りますのでお待ちください」と仰った。
「おおよそどのくらい時間がかかりますか?」と尋ねると
「解かりません。 お帰りでしたら(Tさんの)お荷物をお預かりします」
「いえ、待ってます」
私はどれほど時間がかかろうとも 待っておらずにはいられなかった。

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2時間ほど経った頃だろうか----
引き継がれたのであろう 今度は看護師さんが、「Tさんの付き添いのかた!」と呼び、看護師さんについて行くと、車の付いているベッドに寝かされているTさんがいた。
Tさんはそれまでの服ではなく、胸から下をガーゼのような布で包まれ点滴をされていた。 顔には血の気がなかった。
私はぜんぜん大丈夫ではないのは判っていたのに、「大丈夫?」という言葉しか出なかった。
Tさんは、「あぁ」といった様子で 私の顔を認めた。

Tさんのベッドはエレベーターを使って、あんのじょう高度治療室に運ばれて行った。
看護師さんのベッドを動かす速度や落ち着きはらった態度から 命に別状はないだろうとは予測したが、頭の片隅で「このままTさんが死んでしまったらどうしよう・・・・」との不安も僅かばかりよぎった。
帰り際に、高度治療室の受付窓口で、ダメ元で「今の病状を教えていただけますか?」と頼んだが、やはり、「申し訳ありません。 お身内のかた以外には何もお教えできません。面会もできません」とのことだった。
廊下に貼られている「院内地図」により、ここがSという病院であると この時知った。

タクシーと電車を乗り継ぎ 高円寺まで戻り、Yにお礼と報告かたがた寄った。
と、Tさんからメールが入った。
「やっぱり、脳梗塞と診断されました」-----と。
Y店内の小洒落た白い時計は、ほぼ8時を指していた。

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豹柄のカーディガンのセルフポートレート [セルフポートレート]

ぼんぼちぼちぼち・豹柄.JPG

お気に入りの豹柄のカーディガンを着たセルフポートレートでやす。
セルフポートレートとカッチョよく書いてしまいやしたが、ようはスマホの自撮りでやす。
イマドキの流行りの自撮り法は嫌いで 極力客観的に撮りたかったので、あえてセルフポートレートと書きやした。

「豹柄」のイメージを意識して 挑戦的な強気目線のショットも撮ってみたのでやすが、どうも自分らしくなく感じられたために、そちらはボツにしやした。
人と話をしていると いろんな感情になって、挑戦的な強気目線になっていることもあるとは思うのでやすが、やはりセルフポートレートは、「自分が観て自分らしさが出ていること」も大事な要素の一つだと考えるので、こちらを決定にしやした。
セルフポートレートも奥が深いかも・・・・と気づき始めた 今回の撮りでやした。


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