風紀委員長をやっていた時の話 [独り言]

校則.jpg

私は高校時代、立候補して風紀委員長をやっていた。
私が通っていた高校での風紀委員の役割りというのは、制服を校則通りに着ているか(学校指定の仕立て屋で仕立てた制服を 自分好みに改造してはいないか、ブレザーのボタンを全部キッチリ留めているか、ネクタイを緩みなく締めているか、校章を正しい位置につけているか) 派手なヘアスタイルをしていないか、化粧やマニキュアをしていないか、を月に一度 校門に立ちチェックすることと、今後の身なりについて 検討・改革してゆくことだった。

私は、仕立て屋で仕立てたままだと 寸胴でバランスが悪く太って見える制服は、身体にフィットさせて 特にウエスト部分を絞ってスタイルが良く見える様に改造し、隙間なく真っ赤にニキビが出来 ブルドッグさながらにぶよぶよに太った顔は、少しでも綺麗に細く小さく見える様に ファンデーションをべったりと塗り 側面にシャドウを入れ、髪は頬をおおい隠し くるんくるんにパーマをかけ腰までのばし、小学生の時に「おばあさんの手みたい」とからかわれたどす黒い指には、血色が良く見えるように淡いピンク色のマニキュアを塗っていた。

そんな私が何故、風紀委員のしかも長に自らすすんでなったかというと----
校則にある身なりの規定は、勉学にいそしむ為に何の意味もなさない無駄なもの----どころか逆に、活き活きと心地良く勉学に邁進する為の意欲をそぐ 負の縛り以外の何物でもないと思わずにおれなかったので、風紀の顧問の教師に抗議をして なくしてしまおうと考えたのだ。
私が通っていたのは美術高校だった。 美術高校の学生は美術を学ぶ為に学校生活を送っているのだから、その背中を押せぬ、逆に足かせにしかならぬ校則など 廃止するべきだ----と。、
現に私は、制服を改造したり そういった化粧やヘアスタイルにすることで、コンプレックスを少しだけれど軽減させられ、美術の勉強に強く打ちこむ事が出来、美術の成績は学年でトップだった。

校則1.jpg

よく、「~らしさが大事」と したり顔で語る人がいる。 高校生は高校生らしい服装や髪形をしなさい。 化粧やマニキュアなんてとんでもない、と。
しかし、ぱっと見が高校生らしいことって、そんなに重要なことなのだろうか?
重要なのは、高校生活で何をやっているかではないだろうか?
ぱっと見が重要だという人がいたら、どういう理由で仰るのだろうか?
説得力のある理由を教えていただきたいものである。
「高校生らしさ」以前に「その人らしさ」の方が、一億倍大事なのではないだろうか?
何故なら人間は誰しも、「自分」という存在があり それが成り立って、初めてその土台の上に高校生なり何なり、何らかの立場でいられるのだから。
自分という存在をつぶされてしまったら、高校生でいられないどころか、精神的に人間として生きることが出来なくなってしまうのではないか。

私は風紀委員長になるや、即刻 これらの内容を、風紀の顧問の教師に切々と訴えた。
けれど、顧問の教師は、「・・・・・・そうよねぇ・・・・・・・その通りよねぇ・・・・・・・」と 頷きながら困った顔でうつむくばかりだった。
----風紀顧問の教師はまだ若い女教師で、校則を変えられる権限を持っていなかったのである。
私は、校長に直訴しようとは考えなかった。
その女教師の言葉や表情から、それは一縷の望みもないほどに無力な行いであると悟ったからだ。

後日----
クラスの担任の中年男性教師が、私にこう吐いた。
「ぼんぼちぃー、ぼんぼちの化粧や髪形や制服改造は、職員会議でも問題になってるぞー!」
注意されたところで、私は自分のスタイルを変えようとはみぢんも思わなかった。 変えてしまうと、私が私でいることが根底から崩れてしまうからだった。
美術でトップの成績を維持できなくなるどころか、登校することすら不可能になってしまうと自分でよく解かっていた。
一体全体何故、アニメや流行歌に夢中になって たいして美術の勉強もしなく成績の良くない生徒が、身なりの校則を守っていれば何のおとがめも受けずに、醜い容姿を少しでも美しく健康的に見せる工夫をして、コンプレックス軽減でアイデンティティを確立し、他の生徒の何倍も努力をして美術の成績でトップを取っていた私が叩かれなければならなかったのか----身なりの校則の重要性が、今以ってサッパリ解からない。
校則2.jpg

nice!(220)  コメント(46) 
共通テーマ:映画