親友というもの [独り言]

親友って、どういうものかな、、、って、ふと、考えてみた。

夕立があった日に、「今日は、夕立があったねー」って、そんな どうでもいい事を、何のためらいもなくメールできる人。
そして、「ほんとにすごい夕立だったねー。 ところで、○○って映画を観たんだけど〜」って、引き続き、今度は映画の話題で延々盛り上がれる人。

「この間、誕生日にくれたお菓子、多すぎたよー」と、平気で言える人。
で、「ははは、、、それは反省してますよ」と、笑い合える人。

具体的な目的がなくても、逢ってて和む人。
会話が途切れても、少しも気まずくならない人。

私には、親友と呼べる人がいる。
何ものにも変えがたい幸せな事だと思う。

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「しょっぱい」と「辛い」の意味の違いを明確にしてほしい [独り言]

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あっし・ぼんぼち、昔から、口をとがらせて文句を言いたい事がありやす。
それはーーー
日本語は、「しょっぱい」と「辛い」の意味が明確ではないので、ハッキリ分けてほしいという事でやす。

あっしは3才~9才まで福岡に暮らし、父も祖母も福岡県人だったので、味覚は福岡味覚なのでやす。
つまり、しょっぱい物は大の苦手で、辛い物は大好物なのでやす。

けれど、東京に来て51年ーーー
こんなやり取りがしょっちゅうなのでやす。
「ぼんぼちちゃん、辛いの大丈夫?」
「はい!辛い物、大好きです!」
「じゃあ、このお漬物、アナタの好みに合う筈だわ。すっごく辛いから」
「いただきまーす!」(うっっっ、、、しっしっしょっぱい!!!、、、食べられない。そして、みぢんも辛くない。ウギャーーーー!!!)
「うーんと塩で漬け込んで、塩っ辛くしたのよ。、、、、、あら、ぼんぼちちゃん、食べないの?」
「、、、、、、、」

要するに、日本語では、「しょっぱい」の事を「塩っ辛い」とも言うので、その「塩っ」を抜いて「辛い」だけで「しょっぱい」という意味に使う人が、大変に多いという訳でやす。
まあ、これは、あながち間違った使い方でもない様で、「甘味噌」に対しての「辛味噌」は、辛いのではなくしょっぱいのであり、「塩辛」は、しょっぱくはあっても、全く辛くはありやせん。

「ぼんぼちちゃん、辛いの大丈夫?」と聞かれた時点で、「しょっぱいのは苦手ですが、辛いのは大好きです」と、誤解されない様に説明的に答えていた時期もあったのでやすが、決まって、相手に首を傾げられ、「釈然としない」「訳が解らない」といった疑問の表情をされたり、「何ておかしな屁理屈を言う人なのだろう?」といった不快な顔をされるので、そうは答えない方が人間関係上いいんだな、と学習しやした。

一方、タイ料理屋さんやインド料理屋さんに行くと、ホール係りのあちら出身の方々は、きちんと「しょっぱい」と「辛い」の意味の違いを明確に分けて使っておられて、「辛くしてください!」とお願いした時に、しょっぱいだけの料理が出てきた事など、一度たりともありやせん。

つまりは、昔から日本人が使って来た言葉のあいまいさが、「しょっぱい」と「辛い」にも表出しているという事なのでやしょう。

日本人のあいまいさの文化は、悪いばかりではないとは思いやすが、あっしの味覚上、この二つの味の形容の違いについてだけは、明確にハッキリキッパリ分けていただきたいと、思い続けている次第でありやす。
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「派閥争い」についての些細な雑文 [独り言]

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私は会社員の経験はないのですが、少なからずの会社では、「派閥争い」なるものがある様ですね。
否、会社組織に限らず、人間が集団となり、くり返しくり返し顔を突き合わせていれば、どこでも「派閥」なるものが発生し、そして「争い」へと、負の発展に至るでしょう。
画壇も同じでしたから。

「派閥争い」は、いずれも、馬鹿馬鹿しく くだらなく 低レベルのものです。
ですから、賢く無駄な時間とエネルギーを消費せずにいようと思ったら、「どの派閥にも属さずに、一匹狼でいよう」と考える方もおられるかと思います。

けれど、実は、一匹狼で孤立しているというのは、その集団にいる限り、決して生きていきやすいものではありません。
予想以上に、流れ弾に当たったり 理不尽な攻撃を受けたりするものです。

本当に賢く立ち回ろうと思うのであれば、心の中では馬鹿馬鹿しいと嘲笑しながらも、いずれかの派閥に属して、「やいのやいの」と争いに参加するのが、最も 楽で賢い生き方なのです。

様々なご意見がおありかと察しますが、私・ぼんぼちは、ある程度人生経験を積んだ年齢になった時に、これが一番、賢く楽な生き方なのだと、自分の中で答えが出ました。

ぼんぼち、お局様に、巧くゴマを擦りまくって可愛いがられるの、得意技ですよ〜(笑)

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クレジットカードにまつわる些細な雑文 [独り言]

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みなさんは、クレジットカードを持っている派ですか? 持たない派ですか?
私・ぼんぼちは、頑として持たない派です。

理由は二つあります。
先ず、一番大きな理由はーーー
悪質利用される可能性が、とても高いからです。
自分がどれほど気をつけていようと、防ぎようがないからです。
知り合いにも、ヤラれてしまった人が何人もいます。
カードを持たなければ、悪質利用されようがないからです。

二番目の理由はーーー
カードだと、「お金を使った」という実感が、薄れてしまうからです。
ちょっと高価な服などを購入した時に、現金で払えば、「あ〜、万札こんなに出てっちゃった〜! でも、この服、それに見合うだけの価値が私にはあるから、大切に大切に着よう!」と、身に沁みて思えるからです。

カードを持っていなくて困ることが一つもないかというと、時たまあります。
クラウドファンディングの参加やカードでないと購入不可なライブチケットを買う時です。
そんな時は、友人・知人に 代行して払ってもらって、後で私が、その友人・知人に現金を渡すのです。
幸いにして私には、何のちゅうちょもなく代行してくれる人が何人もいるので、本当に助かっています。

ですから私は、もしも法律で「全国民はクレジットカードを所有するべし」とならない限りは、一生 持つ事はありません。
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又、クレジットカードに対して、おかしな思い込みをしていたが為に持たなかった人間を、私は一人知っています。
それは、三十三年前に死んでくれた私の毒母です。
何を根拠にかたくなにそう思い込んでいたのか、今となっては知る由もありませんが、私の毒母は、「クレジットカードは、貧乏人が持つ恥ずかしいもの」と、思い込んでいました。

ですから父にも持たせませんでした。
父が、「クレジットカードを作る」と言った時に、「そんな貧乏人みてーなマネ、みっともねーー!!ギャーーーッ!!!」となって、すぐに父は、「解ったよ。作らないよ。」と、炎上しかかったのをおさめました。
毒母は、「クレジットカードというのは、そういう性質のものではなくて、、、」なんていう説明は、頭から聞く耳を持たない人でしたから。

なので、ホテルのレストランに食事に出向いた折りには、決まってこんな展開でした。
「ほぅら、見てみろ、あっちの客もそっちの客も、カードで払ってやがるよ。貧乏人だぁ。ケッケッケッ!アタシの勝ちだあっ!ケッケッケッ!」と、猿の如くに醜く目をギラつかせ、得意満面でした。

コース料理を、脚を組んでガチャガチャズルズルと大きな音を立てて飲み食いし、食後のコーヒーのソーサーを灰皿代わりに吸い殻でいっぱいにし、ホール係りのかたが、「お支払いは、カードになさいますか?現金になさいますか?」と来た時には、ふんぞり返って、分厚い長財布をドーン!とテーブルに放り投げる様にして、フロア中に響き渡る声で「ゲンキンでっっっ!!!」と、鼻高々でした。
ホール係りのかたは、「最低の客だな」と思っていらっしゃるに違いないと、子供心にも察していました。

現金派であっても、あんな使い方・払い方はしたくないものだと、私は、肝に銘じて育ちました。
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傷痍軍人の思い出 [独り言]

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私は9才の時、福岡の米軍基地にかこまれた町から 東京郊外の国立に越して来た。1971年だった。

派手な遊び好きの母は、父が帰って来る日曜日、父に車を出させ、新宿まで出向き、伊勢丹の駐車場に車を入れ、伊勢丹であれやこれや買い物をして、一旦、車に買い物袋を押し込み、そして、父と母と私と まだヨチヨチ歩きの弟は、現・アルタ前から、現・思い出横丁の間をつなぐ 西口地下通路を通り、その頃 出来立てだった京王プラザホテルで コース料理をとり、再び、西口地下通路を歩いて、伊勢丹の駐車場に戻り、帰路につくのをならいとしていた。

その時、西口地下通路に必ずいたのが、傷痍軍人だった。
白い着物をまとった片脚の痩せこけた 目ばかりギョロついた初老の男が、ハーモニカで短調の曲を吹いていた。
戦争が終わって何十年も経って、いくら片脚を失ったからといって、傷はもうとうに治っている筈なのに、すりこぎの様な片脚に真っ白い包帯が巻かれているのが、子供心に不思議だった。
その様は、哀れでもあり、不気味でもあり、恐怖の念を抱かずにはおれず、完全に高度成長期が熟成しきった華々しい新宿の中で、切り取られたが如くに異質であった。

その白装束の男の前には空き缶が置かれていて、小銭が数えるほどに入っていた。
母は、「アタシは金持ちの夫人なんだっ!」と ひけらかしたくて、京王プラザホテルに入ると、ふんぞり返ってピラピラとチップをホテルマンに渡していたのに、その男の人には 何故渡さないのだろう?と思っていた。
ハーモニカの音に振り返って見たりすると、父に小声で、「見んでよか」と たしなめられた。

母が、伊勢丹と京王プラザホテルに飽きたのと、父が日曜日も帰らない日が多くなったのがきっかけで、我が家の新宿通いは、一年ほどで了ってしまった。

そして、私は、中学は新宿にほど近い所に通う事になったので、しばしば放課後、新宿の繁華街をうろつき、西口地下通路も何度もくぐったが、その時には、あの白装束も 痩せこけたギョロリとした目も すりこぎに巻かれた包帯も 通路に響き渡る湿ったハーモニカの音もなかった。

30代になりーーー
私は、塚本晋也監督の映画のファンになり、塚本監督の書かれた書物やインタビューを、むさぼり読んだ。
うちーーー
「子供の頃の思い出ではですねぇ、新宿に傷痍軍人がいましてね、それが恐くて恐くて、強烈に脳裏に焼き付いてますね。 傷痍軍人を見たのは、僕らの世代が最後ではないでしょうか?」とあった。
塚本氏は、私より2才上の、1960年生まれである。

塚本氏の映画作品を初めて観た時、「この監督は、私と同世代で、東京育ちに違いない!」と直感し、プロフィールを調べたら、その通りだった。
そして、傷痍軍人への恐怖感というのも同じで、それは、表だって表現されてこそいないが、塚本作品の奥底を流れ、観る側の私も、無意識的に共通認識を覚え、それが、塚本作品群に惹かれた一因だったのだと、気がついた。

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カメの散歩 [独り言]

ある雨の日ーーー
我が街・西荻窪のメインストリート、ピンクの象さんが吊るされているアーケードの端っこの方の、雨水がチョロチョロ流れる場所を、直径十五センチほどの黒いカメが、ノコノコと歩いていた。
私は「へっ?!」と思い、周囲を見回すと、カメのすぐ後ろに、おばさんとおばあさんの中間くらいの年代のご婦人が、カメを見守るがごとくに、ニコニコと立っておられた。
思わず「ペットですか? お散歩させてあげてるんですか?」と尋ねると、ご婦人はますますのニコニコ顔で「はい、そうなんです」と仰った。
私は、「あらあ、幸せなカメさんですねぇ」と、こちらもニコニコ顔になり、アーケードを抜け切り 帰路に着いた。

そういえば、以前、国立に住んでいた頃、大学通りという 緑道もあるメインストリート沿いに、サラブレッドを飼っているお宅があった。
馬小屋は、緑道に向けて建てられていたので、サラブレッドはいつも、舗道から 穏やかに顔を出していた。
前たてがみをオカッパのようにパッツンにされ、可愛がられているであろう事が よく伺えた。
そして時折、夜更けの車の少なくなった大学通りを、飼い主の男性がまたがり、ポコポコとお散歩させてもらっていた。

このように、稀に、ペットとしては目をむくほどではないが、一瞬 振り返らずにはおられない ありきたりではない散歩をさせている飼い主さんというのは、おられる。

しかし、私の遭遇などは、このかたに比べれば序の口も序の口、カッパの屁である。
フォークシンガーであり語りべでもある なぎら健一さんは、なんと!鯉を散歩させているおじさんに遭遇した、というのである!
出来事そのものも珍妙である上に、なぎらさんの語りっぷりが流石で、笑い転げてしまった。

なぎら健一さんの「鯉の散歩」の話し、YouTubeで聞けるので、もし、お時間とご興味のあるかたがいらしたら、聞いてみられると、珍・驚・楽 の感情で 溢れんばかりになるのは、必至である。
もしかしたら、「縄文土器」の話しと抱き合わせになっているかも知れないので、そのどちらかで検索をかけていただけると ヒットするとお察しする。

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頼み込んでおいて、そのリアクションはないだろう? [独り言]

自称・映画好きという人に、「ぼんぼちさんの好きな映画って何ですか?」と問われたので、私の中のベスト1とベスト2を答えると、「わぁ!アタシ、それ二本とも観た事がないです。是非観たいです! DVD貸してもらえますか?観たいです!是非貸して下さい!」と頼まれたので、貸す事にした。
二本ともVHSからDVDに焼いた唯一無二の版だったので、本当は貸したくなかったけれど、余りに執拗に頼み込まれたので。

後日、その人は私に逢うなり、鞄から二枚のDVDを取り出し、不機嫌いっぱいといった表情と低いトーンで、「はいっ!観たから!観たからっ!」と、グーッと私に押し付ける様な仕草で返してきた。 まるでこちらが、「観て!」と無理強いした様な返し方だった。
それからすぐに、全く別の関係のない話しを始め、一切 私の貸した映画の話しには触れなかった。
観てみたら、その人好みの映画ではなかったという事なのだろうが、あれだけ頼み込んでおいて、人から大切な物を借りたのだから、「ありがとう。せっかくお借りしたけど、でも、私の好みとは合いませんでした」くらい言うのが礼儀というものではなかろうか?

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別の人に、「吉祥寺の小洒落たイタリアンに行きたいんです! ぼんぼちさん、連れてって下さいよ!小洒落たイタリアン、大好きなんです!連れてって下さいよー!」と頼まれた事もある。
私の家は吉祥寺から近いが、私は小洒落たイタリアンというものには興味がないので、吉祥寺の小洒落たイタリアンは一軒も知らず、ネットであれこれ調べたり、人に聞いたりして、「ここなら、この人が満足してくれるに違いない」という店を探し出した。

当日、カフェでコーヒーを飲み、「では、これから小洒落たイタリアンの店、行きましょう」と私が席を立つと、なんとその人は、「居酒屋行きたい!気取りのない居酒屋がいいっ! 居酒屋どこですか?」と強い口調で圧してきた。
私に頼み込んでいた「吉祥寺の小洒落たイタリアン」は何だったのだろう?!と、首を真横にするほど傾げないわけにはゆかなかった。
そしてその人は、「居酒屋どこー?居酒屋まだ着かないのー?」と、今度は頭の中をフル回転させて「気取りのない居酒屋」を探す私をせかし続けた。

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また別の人は、一緒に食事をしている時に、「ぼんぼちさんは、二十歳くらいの時って、何をなさってたんですか? 聞きたいなぁ。聞かせて下さいよ!」と、目を輝かせてきた。
私は、二十歳前後の頃は、楽しくもいい思い出もなんにもない生活だったので、「私の二十歳くらいの時の事なんて、聞いて楽しいもんじゃありませんよ」と口をつむった。
しかしその人は、「いやぁ、楽しくなかったら楽しくなかったでいいじゃありませんか! 聞きたいなぁ。知りたいなぁ。教えて下さいよ!」と粘るので、そこまでして知りたいのならーーーと、「画家をやって母親を養っていました。次から次へと注文が来て、毎日 十八時間描いていて、眠る時間も食べる時間もありませんでした。 高校時代の友人とは一切付き合いを絶たねばならず、、、」と打ち明けるや、その人は窓の外を見て、「あー、あの人、何してるんだろう?待ち合わせかな? 空、曇ってきたなー、、、」などと、私の話しを聞くのを、あからさまに途中から一方的にシャットアウトしてしまったのだ。

「聞かせて下さい!知りたいんだ!楽しい話しでなくたっていい!」と頼み込んでおいて、そのリアクションは何だ?!と、私はその人の無礼さに呆れ返った。

ここに挙げた三人と、今現在、友人付き合いをしていないのは、言うまでもない。
こんな、相手の負担や手間や気持ちを何一つ考えないで、自分のきまぐれで相手を振り回す人とは、人間関係を続けたくないからだ。
大人なら少しは、自分の発言に責任を持ち、相手の事を考えてのリアクションをするのが、常識ではないだろうか?
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ぼんぼち還暦祝いパーティーを開いていただきました! [独り言]

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私・ぼんぼち、先日の6月16日に60才になったわけですが、我らがSSブロガー仲間のラガーマンさんが発起人となり、同SSブロガーのアルチューズさん、キックドライブさんにもお越しいただき、「ぼんぼち還暦祝いパーティー」を開いていただきました!

日にちは、ちょうど誕生日から1ヶ月経った7月16日、場所は、私もラガーマンさんも馴染みとしている高円寺の音楽カフェ・yummyさんでした。

私は、せっかくみなさんにお集まりいただくのだし、誕生日当日にyummyのマスターからタイガースのLPレコードをプレゼントしていただいていたので、この4名の方に、あっしが少し前にブログ記事にも「美味しい」と書いた「鮭の中骨缶詰め」を、お配りしようと持参してきました。

yummyさんに、次々と、みなさんが入店され、ラガーマンさんからは、缶入りの柿の種を、アルチューズさんからは、フルーツジェリーと大人可愛いハリネズミの小銭入れを、キックドライブさんからは、トムヤムクン味の揚げ餅と、そしてなんと!鮭の中骨缶詰めを2個いただきました。
しかもそのうちの1個は、私がみなさんにお配りしたのと全く同じ商品で、大爆笑のうちに、笑顔いっぱいでのパーティースタートとなりました。

前菜は、yummyさんにおまかせで、あとはアラカルトで、スペアリブやチーズ盛り合わせやポテトフライや焼きドライカレーなどを、いずれも美味しい美味しいとつまみつつ、各々が好きなドリンクを注文しました。
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そして、宴もたけなわとなった頃ーーー
yummyさんオリジナルの、ぼんぼちへのメッセージ入のお洒落なバースデーケーキ2種が運ばれてきました。
改めてみなさんとママさんに「おめでとう!」とお声掛けいただき、キャンドルをフーしました。
ーーーキャンドルをフーしたのなんて、何年ぶりだろう? と感無量となったと同時に、還暦を迎えたことを十二分に実感しました。
一つは、yummyさんにふだんからあるチーズケーキで、もう一つは、この日のために考案してくださったという、ブルーチーズとクルミとデーツの甘くないケーキでした。
これが最高に美味しかった!
ブルーチーズの香りが効いていて、クルミも相性良く、デーツという初めて出逢ったドライフルーツも、干し柿のような味と食感で、この二者にぴったりなお味でした。

楽しい時間ほどあっという間に過ぎてしまうもの、、、6時から飲んで食べて話しに花を咲かせているうちに、早くも9時過ぎとなりました。
ここで、yummyさんはお開き、アルチューズさんとキックドライブさんは、遅くまで高円寺にはいられない、ということで、駅前でサヨナラしました。

なので、ラガーマンさんと私は、高円寺駅南口のダングウッドという、仙人のようなマスターがお一人で営られているカラオケスナックに出向きました。
仙人マスターや他のお客さんと和気あいあい、しゃべったり歌ったりで、お店を後にしたのは12時過ぎでした。
仙人マスターは、出口までお見送りくださり、「また来てね〜!」と長くて白いヒゲを揺らしておられました。

ラガーマンさん始め、アルチューズさん、キックドライブさん、yummyさん、そして仙人マスターと一期一会のダングウッドのお客さん達、最上級の一夜を、ほんとにどうもありがとうございました!
おかげ様で、ぼんぼち、佳き記念となる還暦を迎えることができました!

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勝手に脳内変換される言葉 [独り言]

子供の頃、旅行で 下呂温泉に行った事がある。
まだ小学生だった私は、吐瀉物のゲロを連想しないわけにいかなく、「なんて汚い温泉名を付けるのだろう?!」と 眉をひそめたものだった。 今思い返すと、その地域のかたには 大変失礼な話しだが。

中学で、スケルトンという英語を初めて知った時は、瞬時に脳内で「透ける豚」と変換されてしまった。
「透けてるからスケルで、でも何故 トンなのだろう?」と。
単なる偶然の一致なのだが、そう思わずにいられなかった。

一度目の結婚をしていた頃、テレビを観ていたら、群馬県に在る「殖蓮中学」というのが、ドキュメンタリー番組で出て来て、私は思わず「ウエハス中学〜〜!!」と 大爆笑してしまった。
隣で観ていた元ダンナも同じ連想をしたらしく、「サクサクしてそうだね」と笑った。
私が、「校章は、もぅあれしかないじゃん!」と笑い転げたら、元ダンナも、「そうそう、銀の足付きの器にアイスクリームがポコッて乗ってて、そこにウエハースが添えられてるの」と便乗した。

ブログを始めてまだそう経たない頃、私の写真記事に、「カレイドスコープみたいに綺麗ですね。 私、カレイドスコープって華麗どスコープって思っちゃいます。 だって、『ど』って強調するくらいに華麗だから」というコメントをいただいた事もある。
私も内心 感じていた事なので、「あっしもそう思ってやした!」と 迷わずお返事コメントを入れた。

先日、大好きな 元TBSテレビプロデューサーで後年は文士として活躍されていた 久世光彦さんのエッセイを読んでいたら、エロール・フリンという昔の役者を、久世さんはお若かった頃、「エロ〜る不倫」だとイメージせずにおれずに、「何ていやらしい名前の俳優がいるものだろう!」と 驚かれたと書かれていた。

このように、理屈では単なる偶然だと解っていても、勝手に頭の中で、自分の中の日本語の意味に置き換えてイメージが出来上がってしまう、というのは、多くの人にある様だ。
みなさんは、何かおありだろうか?
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錦糸町のかっこいいオッサン [独り言]

ゆるい空気感が好きで、しばしば訪れている錦糸町ーーー

その日、私は、いつもの馴染みの中華料理屋さんが定休日なので、別の中華屋さんを探していた。
と、駅前通りに、私好みの、本場・中国人のかたが営っているに違いない 小皿料理の幾多ある中華屋さんを発見した。

「今日は、ここにしようかな? どうしようかな、、、」
私が店頭に立てられたメニューをはぐっていると、店内から五十代後半と思われる 一見 何の変哲もない普段着のオッサンが出て来た。
そして、メニューを前に立つ私をニ歩ほど行き過ぎ、背中を向けたまま立ち止まり、ポケットに両手を突っ込んで、首をほんの微かに、二十度ほどこちらに向けて、低く こうつぶやいた。
「この店、美味しいですよ」
言い了るや、私を振り返りもせずに、足早にスタスタと歩き去り 人混みに紛れて行った。

「おお!なんというかっこいいオッサンだろう!」
私は、余りに 粋で気取りない心遣いに感激してしまった。
さすが、パチ屋の多い町!
さすが、JRAで賑わう町!!
さすが、東の大阪と称される町!!!

無論、私がその中華屋さんに入店したのは、言うまでもない。
オッサンに偽り無しの、美味しさだった。

かっこいいオッサン!
またいつか錦糸町で、私が入る店に迷っていたら、あの日の様に さり気なく教えてくれ!
そうして、私はますます 錦糸町という町が好きになったのだった。

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