第5回目の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、4月16日に行われた 第5回目のレッスン「リア王2」の、リポート&感想をつづらせていただきます。

前半は、主に、日本語のどの音は口腔内や鼻腔や声帯がどの様な状態になるか、という先生のお話しでした。
理屈では解っても、台詞を発しながら これらの状態で明確な音を出すのは難しそうだぞ! でも、出来る様にならなければ!と思いました。

後半は、メインレッスンで、「リア王」の、前回でやった 娘二人とリアの会話と、リアが死に至るラストの場の一部の長台詞を勉強しました。

先生に、「一度目にやった緩急の付け方と逆の緩急でやってみて!」と指示されてやったら、「そのほうが良い」と言われ、なるほど、パッ!と一度目に浮かんだ台詞の読み方を 自分の中で決定してしまわないで、あれこれ幾通りもやってみる事が必要なのだ と学びました。
それから、またしても滑舌の悪さを指摘されたのと(これはおおいに自覚があったので、「やっぱり!」と思いました。)「役になり切って感情大放出で陶酔してはいけない。 あやつり人形を動かす様に、自分は一歩引いた位置から演技をする様に」とのダメ出しを受けました。
この瞬間、私は、あーーーーーーっっっ!!!と、心の中で叫ばずにおれませんでした。

それはーーー
以前、演技論の講義を机上で学んでいた時、「陶酔型の演技は宜しくない。 役者は、あやつり人形を動かすが如くに 一歩後ろに下がって冷静に演技をしなければならない。」と教えられ、「あぁ、なるほど なるほど、その通りだ!」と頷き、それをスラスラとノートに書き記していたのです。

今回 自分がやった読み方が陶酔型だったと、先生に指摘された時点で初めて、「あっ!ほんとだ! 今、自分、陶酔していた、、、陶酔型の演技というのは、こういう事なのだ!」と、ハッ!としました。
同時に、ゆっくり無感情で台詞を読むと、滑舌の悪さは出ないのに、昂ぶった感情になると悪さが露呈してしまうのは、感情が、うわーーーーーーっっっ!!!と湧き上がってくるにまかせて台詞を発しようとするから、つい台詞が早くなって滑舌が追いつかなくなるのではないか、とも先生は分析され、先生の仰る通りだと気づかされました。

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これからは先生のご指示通り、そして机上の演技論でも学んでいた「あやつり人形を動かす様に、自分は一歩引いた位置に立って冷静に」台詞を読む事を目指そうと心しました。
しかし、これ、ものすごくハードル高そうだなあ、、、
でもとにかく、おいそれとは出来ないかも知れないけれど、そこに向かう心づもりで、何度も何度も自主練しようと、拳を硬くしました。
それが出来る事によって、滑舌の悪さも露呈しなくなれば、そちらの問題も解決される訳だし、、、

今回のレッスンほど、「言うは易し 行うは難し」を身に沁みて感じた事は、これまでの私の人生経験で 他にありません。
そういえば、だいぶ前のブログの過去記事でも、机上の理論で習った通りに「陶酔型の演技は宜しくない。 あやつり人形をあやつるが如くに、、、」と、偉そうな演技論を書いていたのです。
自分が出来もしない事を偉そうに書き連ねていた自分を 恥じました。
そして、かつて自分がプロの画家だった時、美術業界誌に美術評論家に、私の作品について(決して否定的な評ではなかったのですが)あれこれ書かれた事に、「評論家ってヤツは、自分が描けもしないくせに、偉っそうな事ばかり書きおって! けっ!」と、不快に感じていたのを、演技の世界に於いては、自分が全く同じ事をしていたのに気づき、二重に恥じました。

又、この一連のレッスンを受けに来るレッスン生は、私の他は、プロを目指している方や すでにプロとして活躍されている方ばかりです。
特にベテランのプロの方の台詞を聴いていると、「すっごいなぁ!」と、それだけでも とてもとても勉強になります。
私のような一アマチュアが、このような方々と一緒にレッスンを受けられるなんて、おそれおおい限りです。 ありがたい限りです。
そういった観点からも、このレッスンのシリーズは、大変に有意義であります。

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