昭和のレストラン喫茶の定番メニューだった「イタリアンサラダ」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和の時代は、街のそこここに喫茶店が在ったのみならず、まとまった西洋料理もゆったりと食せて 飲み物やスイーツだけでくつろぐことも出来る レストラン喫茶もあちこちで賑わっていた。
我が家は外食中心の家庭だったので、それはもう何店ものレストラン喫茶の扉を押してきた。

父はハンバーグにコーヒー 母はステーキにコーヒー 弟はピザにプリンアラモード 私はビーフカレーにフルーツパフェ。
だいたいそういったメニューを各々の前に並べ、加えて四人で一つ注文するサイドメニューが 必ずあった。
それは、イタリアンサラダであった。

当時のレストラン喫茶には、大抵サラダが、グリーンサラダ コンビネーションサラダ イタリアンサラダと三種類あるのがお決まりだった。
グリーンサラダは、レタスとキュウリとトマトにパセリが飾られただけのオーソドックスなもの。
コンビネーションサラダは、グリーンサラダにホワイトアスパラの缶詰めが添えられた ちょっとバージョンアップしたもの。
で、イタリアンサラダというのは、グリーンサラダに、プロセスチーズとチェダーチーズがスティック状にカットされたものと オリーブ色とブラックのオリーブのスライスと サラミの千切りが一面に散らされた、豪勢な 価格も三種の中で一番高いサラダだった。

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我が家が何故、イタリアンサラダばかりをテーブルの真ん中に置いてきたかというと、別段 トッピングされた具材が気に入っていた訳ではなく、母の「安いモンを頼むと貧乏人だと思われてみっともねーーーっ!!」というポリシーからだった。
そのくせ母は、マナーについての「貧乏人だと思われては、、、」という発想はみぢんも無かったらしく、カレーやピラフを食べる時はスプーンをグーで握り持ち、煙草を吸う時、手の届く距離に灰皿が無い場合は、食べ了えた食器を灰皿がわりに使って、椅子の背もたれに片腕をもたせ掛け 脚を組んでふんぞり返って プハーッとやっていた。

そんな理由・思い出と連結している一品なので、特別 感慨深さも懐かしさもないメニューなのだが、今現在 喫茶店が限りなく絶滅の方向に向かっているのと同様、レストラン喫茶も絶滅の一途に突き進んでいるのは、火を見るより明らかである。
しかも たとい今でも、レストラン喫茶と冠し、同店名で同一のオーナーシェフが営っていたとしても、アラモードやサンデーがパフェに収斂された様に、サラダも、当時の様にはあれこれ出なくなってしまい、グリーンサラダだけになり、単に「サラダ」としてメニューに載せられているのではないかと察する。
だから、「かつて、昭和のレストラン喫茶には、イタリアンサラダというメニューがあった」という歴史的事実をここに記しておきたかったのだ。

それから、この記事を書こうと 頭の中で構成を練っている時に ふと気がついたのだが、イタリアンサラダのトッピングの具材は、いずれも当時のピザのそれである。
それらの具材を使い回すことで「一品バリエーションが増やせるぞ!」と発案され 生まれたメニューではなかろうか?と思った。
よって、本場イタリアには、イタリアンサラダは無いのではないか?とも思った次第である。
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