学業と部活、どちらが重要? [独り言]

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私は、中高一貫の美術学校に通っていた。
理由は、母親が強く推した事と、その学校にはプールが無くて日焼けせずに済むという事と、私は幼稚園の時から将来は舞台衣裳を作る仕事に就くのが夢で ファッションと美術の基礎は共通しているので 先ず美術中高に通っておいて 高校を卒業したらファッションの専門学校に入り その後 舞台衣裳作りの仕事に就こう、と計画したのだ。

中学に入学すると、学校側から「強制ではありませんが、極力 何らかのクラブに入るように」と言い渡された。
私は、いくら美術学校の学生は美術を学ぶのが本分とは言え、息抜きに趣味を持つのは望ましいだろうと、迷わず映画部を希望した。
けれど残念ながらその学校に映画部は無かったので、演劇部に入った。演劇部で、衣裳係りをやらせてもらおうと考えたのだ。

入部してから判ったのだが、衣裳係りだけというのはやらせてはもらえず、日頃は部員全員が演技の基礎レッスンをし、学芸会の折には キャストに選ばれた生徒のお母さんがそれぞれ衣裳を作るならいになっていた。
落胆したが、他に入ってもいいと思えるクラブは無かったので、演劇部に在籍し、そこの方針に従う事にした。

部員は中高合わせて三十余人。
コーチも呼ばなければ学生演劇コンクールに出場する事もない 井の中の蛙ならぬ学校内の蛙クラブだった。
しかし何故だか、部員は、私以外の全員が「将来はプロの役者になるんだ!」と息巻いていた。

部長とそれに準ずるクラブ運営の中心となる幹部は、通常高二がやる事になっていたが、私達の代が高一になった時、高二には部員が一人しかいなかったので、幹部は私達高一が務める事になった。

部長はYさんという クラスも私と同じ人がやる事になった。
そして何故だか、私も幹部の一人に選ばれ、主に部長となったYさんと二人三脚で演劇部をまわしてゆく運びとなった。

Yさんとは、好きな演技の方向性も好きな劇作家も性格も何一つとして合わなかったけれど「しかたがないなぁ」と 二人三脚を続けていた。

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とーーー
高一の夏の合宿が近づいてきた時ーーー
私は、美術科予備校の夏期講習会期間と合宿の日程が三日間重なってしまう事に気づいた。
みぢんの迷いもなく夏期講習を優先させて、合宿には三日遅れて参加する事にした。
その旨をYさんに伝えると「幹部が合宿に遅れて参加するなんて!!」と酷く怒った。
私は、夏期講習会と重なるという理由なんだから、といくら説明しても、彼女にはその理由がまるで納得できないようだった。
勿論私は、三日遅れての参加を 強行突破した。

そして冬休み間近のある日ーーー
今度は、美術科予備校の冬期講習会期間と校内講堂を使っての部活の日が 完全に重なる事が判った。
私はみぢんの迷いなく、演劇部をプツリと辞めた。
私が務めていた幹部の役割りに残務整理など何もなかったし、私が担っていた役割りなど他の部員が昇格してやれば済むだけに過ぎなかった。
が、Yさんは烈火の如く怒った。
のみならず私を裏切り者呼ばわりした。
裏切り者呼ばわりは、何日も何日も執拗に続いた。

私は自分の「部活よりも美術学生の本分である美術の勉強のほうが大事」という考えが、正しく当たり前だ、そんなの敢えて言うまでもないじゃないか!と思っていたので、彼女の態度に矛盾とうっとうしさを感じ、こう返した。
「じゃあ、Yさんは、学校生活、全力投球してるわけ?」
私が言ったこの意味は「Yさんは、本分である美術の勉強をどれほどしているの?まともにしてないじゃない。部活は、本分をクリアした上で余力でやるものでしょ」であった。
しかしYさんは、そうとは受け取らなかったらしく、「えぇっ?!アタシが学校生活に全力投球してないって?!」と鬼の如き形相になった。
私は今でも、あの鬼の如き形相を忘れることができない。
人間って、他人に対しても、あんなに怒りをあらわにする事があるのだ、、、と。
その怒りの度合いから、どうやらYさんにとっての「学校生活」というのは、美術の勉強ではなく、部活であると信じて疑っていないのだと見て取れた。
私はこれ以上、何を話してもダイヤローグが成立しないと、私の思う正論を理解してもらおうとするのを諦めた。

以来、高一で同じクラスでいた間中、Yさんとは口もきかないどころか 目も合わせなかった。
高二高三は別のクラスになったが、廊下や階段ですれ違っても、互いに完全無視を続けていた。
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高校を卒業し、私は母親の強い意思で、永年の希望のファッションの専門学校には行かせてもらえず、画家をやって母親を養う事となった。

ある日、自室で仕事をしていて筆洗を洗いに行く途中、リビングの前を通ると、歌番組の公開録画でYさんが笑い屋のバイトをしているのが映った。
何故、単なる客ではなく笑い屋のバイトだと判ったかというと、彼女は素で笑う時には決してしない 片手をパッと広げて口に当てプハッとやる 演技の時でだけやる笑い方をしていたからだ。
「好きな方面に進ませてもらえて幸せな奴だ、、、」と思った。

約十年が過ぎーーー
私にも自由な生活が来、あらゆる舞台・映画・テレビ番組を観たが、彼女の姿も名前も どこにも観る事はなかった。

彼女が今どこで何をして生きているのか知る由もないが、学業よりも部活を優先させていた自身を正しいと思い続け、私の事を、冷血な裏切り者だと憎み続けていると思う。
私も又、私がやった行動は、当然の正当な事であり、Yさんが履き違えた学校生活概念者だったと思っている。

あれから四十年以上の時が経ったが、今もしYさんと会ったとしても、互いにあの時の感情は変わらぬままに違いない。
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