クサカリさん [独り言]

十五年ほど前ーーー
ちょっとした用件があり、某会社に電話をかけた。
電話に出られた方は「ぼんぼち様の担当は、クサカリという男性社員になりますので、弊社へお来しになられた時に、受付窓口で『クサカリ』をお呼び出しくださる様、お願いいたします」と仰った。
クサカリさんという男性社員さん、、、クサカリさんという男性、、、クサカリさんクサカリさん、、、あ!クサカリさん!!
画的なイメージで言葉を記憶する私は、クサカリさんという男性のお名前なら 書きとめずとも覚えていられる、、、と メモをとらなかった。

クサカリさん クサカリさん、、、私は頭の中で、クサカリさんと唱え続けた。

三日後、その会社へ出向いた。
受付窓口で「先日お電話させていただいたぼんぼちと申しますが、担当のクサカリさんはいらっしゃいますか?」
「はい。承知いたしました。すぐにクサカリをお呼びしますので 少々お待ちください」
窓口の方は、快く笑顔を作られた。

「どーもー、クサカリです」
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、」
担当のクサカリさん、お相撲さんの朝潮そっくりのお顔と身体つきで、室温はまったく暑くないのに くしゃくしゃのハンカチで顔じゅうの汗を拭き拭き ずり下がったベルトの腹を突き出し のっしのっしと現れたのだった。
ーーーーーーいえ!いえ!いいえっ!! 私は決して、妙な夢やロマンやましてやドキドキ感など、みぢんも抱いてはいませんでしたよっ! 決して決して決して決して!!!!

担当のクサカリさん、愛想よく とても丁寧かつ手際のよいお仕事ぶりで、私の用件をスイスイと片付けてくださった。
クサカリさん、ありがとう!!

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フタの開いた管と縄 [写真]

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何の管だか解りやせんが、地面に埋められたフタの開いた管と縄。
撮ろうという段階では、とにかく構図に心を砕きつつ「白黒加工にしよう」という事だけを決めて撮りやした。
で、タブレットの画像加工アプリで、どんな白黒が適切か あれこれ試してみて、結果的にこれが一番!と判断したので、このバージョンに決定しやした。
今回は、極端なコントラスト付けよりも、細かなディテールの判るリアリズムが相応しいな、と。

この写真は梅雨前に撮ったものなので、地面が乾いてやすが、いや〜、それにしても、今年の梅雨は長いでやすね〜
何日か前に気づいてビックリしたのでやすが、毎日使っている革の財布にカビがはえてやした。
家に帰ったら、鞄のフタを開けて その上にポンと財布を乗せているーーーつまり、風通しのいい状態にしていたにも関わらず。
風通しのいい所に置いておいたのにカビたなんて、30年近く前に自室の棚に並べておいた革靴以来でやす。
あの年も、ウンザリするほどの長梅雨でやした。
みなさんも、ファッションアイテムやインテリア品など、この長梅雨でカビてしまった物って 何かありやすか?


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学業と部活、どちらが重要? [独り言]

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私は、中高一貫の美術学校に通っていた。
理由は、母親が強く推した事と、その学校にはプールが無くて日焼けせずに済むという事と、私は幼稚園の時から将来は舞台衣裳を作る仕事に就くのが夢で ファッションと美術の基礎は共通しているので 先ず美術中高に通っておいて 高校を卒業したらファッションの専門学校に入り その後 舞台衣裳作りの仕事に就こう、と計画したのだ。

中学に入学すると、学校側から「強制ではありませんが、極力 何らかのクラブに入るように」と言い渡された。
私は、いくら美術学校の学生は美術を学ぶのが本分とは言え、息抜きに趣味を持つのは望ましいだろうと、迷わず映画部を希望した。
けれど残念ながらその学校に映画部は無かったので、演劇部に入った。演劇部で、衣裳係りをやらせてもらおうと考えたのだ。

入部してから判ったのだが、衣裳係りだけというのはやらせてはもらえず、日頃は部員全員が演技の基礎レッスンをし、学芸会の折には キャストに選ばれた生徒のお母さんがそれぞれ衣裳を作るならいになっていた。
落胆したが、他に入ってもいいと思えるクラブは無かったので、演劇部に在籍し、そこの方針に従う事にした。

部員は中高合わせて三十余人。
コーチも呼ばなければ学生演劇コンクールに出場する事もない 井の中の蛙ならぬ学校内の蛙クラブだった。
しかし何故だか、部員は、私以外の全員が「将来はプロの役者になるんだ!」と息巻いていた。

部長とそれに準ずるクラブ運営の中心となる幹部は、通常高二がやる事になっていたが、私達の代が高一になった時、高二には部員が一人しかいなかったので、幹部は私達高一が務める事になった。

部長はYさんという クラスも私と同じ人がやる事になった。
そして何故だか、私も幹部の一人に選ばれ、主に部長となったYさんと二人三脚で演劇部をまわしてゆく運びとなった。

Yさんとは、好きな演技の方向性も好きな劇作家も性格も何一つとして合わなかったけれど「しかたがないなぁ」と 二人三脚を続けていた。

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とーーー
高一の夏の合宿が近づいてきた時ーーー
私は、美術科予備校の夏期講習会期間と合宿の日程が三日間重なってしまう事に気づいた。
みぢんの迷いもなく夏期講習を優先させて、合宿には三日遅れて参加する事にした。
その旨をYさんに伝えると「幹部が合宿に遅れて参加するなんて!!」と酷く怒った。
私は、夏期講習会と重なるという理由なんだから、といくら説明しても、彼女にはその理由がまるで納得できないようだった。
勿論私は、三日遅れての参加を 強行突破した。

そして冬休み間近のある日ーーー
今度は、美術科予備校の冬期講習会期間と校内講堂を使っての部活の日が 完全に重なる事が判った。
私はみぢんの迷いなく、演劇部をプツリと辞めた。
私が務めていた幹部の役割りに残務整理など何もなかったし、私が担っていた役割りなど他の部員が昇格してやれば済むだけに過ぎなかった。
が、Yさんは烈火の如く怒った。
のみならず私を裏切り者呼ばわりした。
裏切り者呼ばわりは、何日も何日も執拗に続いた。

私は自分の「部活よりも美術学生の本分である美術の勉強のほうが大事」という考えが、正しく当たり前だ、そんなの敢えて言うまでもないじゃないか!と思っていたので、彼女の態度に矛盾とうっとうしさを感じ、こう返した。
「じゃあ、Yさんは、学校生活、全力投球してるわけ?」
私が言ったこの意味は「Yさんは、本分である美術の勉強をどれほどしているの?まともにしてないじゃない。部活は、本分をクリアした上で余力でやるものでしょ」であった。
しかしYさんは、そうとは受け取らなかったらしく、「えぇっ?!アタシが学校生活に全力投球してないって?!」と鬼の如き形相になった。
私は今でも、あの鬼の如き形相を忘れることができない。
人間って、他人に対しても、あんなに怒りをあらわにする事があるのだ、、、と。
その怒りの度合いから、どうやらYさんにとっての「学校生活」というのは、美術の勉強ではなく、部活であると信じて疑っていないのだと見て取れた。
私はこれ以上、何を話してもダイヤローグが成立しないと、私の思う正論を理解してもらおうとするのを諦めた。

以来、高一で同じクラスでいた間中、Yさんとは口もきかないどころか 目も合わせなかった。
高二高三は別のクラスになったが、廊下や階段ですれ違っても、互いに完全無視を続けていた。
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高校を卒業し、私は母親の強い意思で、永年の希望のファッションの専門学校には行かせてもらえず、画家をやって母親を養う事となった。

ある日、自室で仕事をしていて筆洗を洗いに行く途中、リビングの前を通ると、歌番組の公開録画でYさんが笑い屋のバイトをしているのが映った。
何故、単なる客ではなく笑い屋のバイトだと判ったかというと、彼女は素で笑う時には決してしない 片手をパッと広げて口に当てプハッとやる 演技の時でだけやる笑い方をしていたからだ。
「好きな方面に進ませてもらえて幸せな奴だ、、、」と思った。

約十年が過ぎーーー
私にも自由な生活が来、あらゆる舞台・映画・テレビ番組を観たが、彼女の姿も名前も どこにも観る事はなかった。

彼女が今どこで何をして生きているのか知る由もないが、学業よりも部活を優先させていた自身を正しいと思い続け、私の事を、冷血な裏切り者だと憎み続けていると思う。
私も又、私がやった行動は、当然の正当な事であり、Yさんが履き違えた学校生活概念者だったと思っている。

あれから四十年以上の時が経ったが、今もしYさんと会ったとしても、互いにあの時の感情は変わらぬままに違いない。
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ダイヤル式電話と葉 [写真]

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過去記事「割れた鏡」「夜の重機」と同じく、近所の住宅解体現場で撮ったものでやす。
あっしなりに、構図に心を砕きつつ撮り、観てくださるかたがたそれぞれに ドラマ性を感じていただけたら本望だなあと思っておりやす。
加工は、電話の水色と葉っぱのグリーンを活かしたかったのでカラーにし、あまり元の色味を変えない範囲で 昭和のフィルム写真のようなバージョンにしやした。

電話といえばーーー
今はみなさん、留守電にメッセージを入れるのって慣れていらっしゃると思いやすが、留守電機能が開発されたばかりの頃って、とまどいやせんでやしたか?
相手が出てくれると思い込んでかけると メッセージを吹き込んでくださいとのガイダンスが流れて、メッセージ用に整理した言葉を用意してなくて、しどろもどろになってしまったり と。
あっしなんて「あっ?! えっ!、、、えっと、、、、すいません」ガチャン、なんて何度やってしまったことか、、、トホホ



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昭和のレストラン喫茶の定番メニューだった「イタリアンサラダ」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和の時代は、街のそこここに喫茶店が在ったのみならず、まとまった西洋料理もゆったりと食せて 飲み物やスイーツだけでくつろぐことも出来る レストラン喫茶もあちこちで賑わっていた。
我が家は外食中心の家庭だったので、それはもう何店ものレストラン喫茶の扉を押してきた。

父はハンバーグにコーヒー 母はステーキにコーヒー 弟はピザにプリンアラモード 私はビーフカレーにフルーツパフェ。
だいたいそういったメニューを各々の前に並べ、加えて四人で一つ注文するサイドメニューが 必ずあった。
それは、イタリアンサラダであった。

当時のレストラン喫茶には、大抵サラダが、グリーンサラダ コンビネーションサラダ イタリアンサラダと三種類あるのがお決まりだった。
グリーンサラダは、レタスとキュウリとトマトにパセリが飾られただけのオーソドックスなもの。
コンビネーションサラダは、グリーンサラダにホワイトアスパラの缶詰めが添えられた ちょっとバージョンアップしたもの。
で、イタリアンサラダというのは、グリーンサラダに、プロセスチーズとチェダーチーズがスティック状にカットされたものと オリーブ色とブラックのオリーブのスライスと サラミの千切りが一面に散らされた、豪勢な 価格も三種の中で一番高いサラダだった。

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我が家が何故、イタリアンサラダばかりをテーブルの真ん中に置いてきたかというと、別段 トッピングされた具材が気に入っていた訳ではなく、母の「安いモンを頼むと貧乏人だと思われてみっともねーーーっ!!」というポリシーからだった。
そのくせ母は、マナーについての「貧乏人だと思われては、、、」という発想はみぢんも無かったらしく、カレーやピラフを食べる時はスプーンをグーで握り持ち、煙草を吸う時、手の届く距離に灰皿が無い場合は、食べ了えた食器を灰皿がわりに使って、椅子の背もたれに片腕をもたせ掛け 脚を組んでふんぞり返って プハーッとやっていた。

そんな理由・思い出と連結している一品なので、特別 感慨深さも懐かしさもないメニューなのだが、今現在 喫茶店が限りなく絶滅の方向に向かっているのと同様、レストラン喫茶も絶滅の一途に突き進んでいるのは、火を見るより明らかである。
しかも たとい今でも、レストラン喫茶と冠し、同店名で同一のオーナーシェフが営っていたとしても、アラモードやサンデーがパフェに収斂された様に、サラダも、当時の様にはあれこれ出なくなってしまい、グリーンサラダだけになり、単に「サラダ」としてメニューに載せられているのではないかと察する。
だから、「かつて、昭和のレストラン喫茶には、イタリアンサラダというメニューがあった」という歴史的事実をここに記しておきたかったのだ。

それから、この記事を書こうと 頭の中で構成を練っている時に ふと気がついたのだが、イタリアンサラダのトッピングの具材は、いずれも当時のピザのそれである。
それらの具材を使い回すことで「一品バリエーションが増やせるぞ!」と発案され 生まれたメニューではなかろうか?と思った。
よって、本場イタリアには、イタリアンサラダは無いのではないか?とも思った次第である。
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乱雑に置かれた窓枠 [写真]

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住宅建設中、道端に乱雑に重ね置かれていた たくさんの窓枠。
「これは作品になる!」と迷わずスマホを取り出し、撮ろうという段階から「窓枠が窓枠であるという説明ではなしに、抽象画を描くのと同じ計算で切り取ろう。そして加工は、最も強烈な白黒コントラストで間違いなくキマる!」と思い、その様にしたら、計算通りの結果となってくれやした。
なので、この作品を観てくださるみなさんは、「窓枠である」という概念を取っ払って、自由に何かを感じていただければ幸いでやす。

あっしは、このたくさんの窓枠を見た時、やはり元の職業柄、一瞬 額縁に見えてしまいやした。
額縁といえば、飲食店などに その店の店主が趣味で描いたらしい絵が飾られているのをしばしば目にしやすが、作品に額縁が合っていない場合が多く「残念だなあ」と その度に思いやす。
絵に対しての額縁は、人の顔に対しての髪型と同じで、合うか合わないかで、作品が生きも死にもしやす。
描いたかたは「所詮は自分なんて趣味のお遊びで描いてるんだから、額縁なんてなんだっていい」というお気持ちなのかも知れやせんが、決して高価な額でなくて構わないので、額にも明るい画材屋さんに作品を持って出向いて、一番 その絵が映える額に入れていただき、せっかく描かれた作品を最上級に輝かせていただきたいと思いやす。


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「ハズシ」のお洒落について [ファッション]

ふんわりしたガーリーなワンピースにメンズのガチッとした腕時計・アクセサリーやスニーカーを合わせたり、ハードな革ジャン&革パンツに小花柄のブラウスを合わせたり、、、つまり、部分的に全体とは真逆の方向性のファッションアイテムを入れ込みつつも コーディネートを成立させることを、ファッション用語で「ハズシ」「ハズシを入れる」と言います。

ハズシを入れるお洒落の効果というのは、見た人に「うぅむ、心憎いなあ。意表を突かれたなあ」と唸らせずにはおれない 当たり前・ありきたりでない ワンランク上のお洒落上級者になれることです。
食べ物に例えるなら、お汁粉にシソの実を合わせることと似ているかも知れません。
甘さが主役の中に しょっぱい物を少々摂ることによって、より甘い汁粉が美味しく感じられる、というーーー

20200704_154058.jpgハズシのお洒落。このテクニックが出現したのは、1980年代中頃だったと記憶しています。
最初はファッション雑誌による提案やファッションリーダー的な有名人ーーー戸川純ちゃん辺りから日本では始まり、その何年か後には、街をゆくお洒落な若者達が、ハズシを取り入れたファッションで闊歩するようになったーーーと。

それ以前は、ロマンティックならロマンティックなファッションアイテムで統一、スポーティーならスポーティーで頭の先から爪先まで、それ以外はメチャクチャな着方と考えられていた訳ですが、ハズシという考え方が出現したことにより、コーディネートの自由度が増えたのみならず、身体的にも自由度がぐんと跳ね上がり、日々のお洒落生活が別世界の如く楽になりました。

それを代表するアイテムは、何と言ってもスニーカーです。
今は、ガーリーなワンピースにスニーカーは、多くの女性がしている組み合わせです。
最近の若い人は、ハズシのお洒落が選択肢の一つとして存在する時代に生まれたので、あえて「ここはハズシを入れて」という意識なく、「このワンピにはこのスニーカーが可愛いな!」と 直感的に合わせている場合も少なくないとすら察します。

20200704_154032.jpgけれど、ハズシの無かった時代に ロマンティックなワンピースを着るとなると、ストッキングにヒールのある靴、それ以外はあり得なかったのです。
男性陣は解らないと思いますが、ストッキングの締め付け感と暑さによる苦しさと ヒールのある靴を一日中履いていなければならない足の痛みは、並大抵のものではありません。
真夏の炎天下に分厚いマスク に匹敵する苦痛と想像されるとご理解いただけるかも知れません。
ハズシの時代が来る以前は、ロマンティックなワンピースをお洒落に着るには、必然 それらの苦痛に耐えねばならなかったのです。

が、ハズシが定着した今、私達女性は、ガーリーなワンピースをふんわりとまといつつも 歩幅も大きくスタスタと 何の苦痛を覚えることなくお洒落上級者になることが出来ます。
いい時代になったものだと 痛感します。
ハズシのお洒落、、、かつてコルセットから解放された時の次くらいに、女性をお洒落でいさせつつも 健康を損なうことなく 心身ともに自由にしてくれた 優れたファッション論法だと、ありがたく活用させていただいてます。


※写真は、どちらも、私がこの夏 ガーリーなワンピースに素足で合わせているスニーカーです。
一枚目がナイキのエアリフトという商品で、二枚目がリーボックのインスタポップです。


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古びたシャッター [写真]

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ポスターだかチラシだかが貼られては剥がされてを繰り返して 古びていったシャッター。
営業時間の文字も、もはや解読できなくなってやす。
特別奇をてらった写真ではありやせんが、こんな古びた様に面白味を感じたので、ブルーの営業時間が書かれていた部分を主役に撮ってみやした。
加工は全くしてやせん。

シャッター、、、ぼんぼち、個人的にとても好きなモチーフでやす。
店店が何処もシャッターを下ろした夜更けのアーケードをコツコツ一人歩くのとか、とても心地良さを覚えやす。
てか、シャッターに限らず、硬質な金属のモチーフって、昔から好きかも。
高圧線を見上げるのとか、線路が枝分かれしているのを陸橋から見下ろすのとか、、、
そういえば、子供の頃は、ガスのチューブを留める輪っかに留め具の付いた金具がお気に入りで、あれを指輪にしてやした。
今は、ガチッとした大ぶりのメンズのシルバーアクセなどを、よく着けてやす。


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6月24日(水)の新宿の様子 [リポート]

6月24日(水)、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観に行くために、若干早起きをして、新宿・歌舞伎町に在るゴジラビルに向かう。

am10時。
新宿東口は、自粛期間以前とほぼ同じほどの人出。
歌舞伎町に一歩足を踏み入れると、やはり以前と同じく 危険な匂い立つ怪しげな特有の空気感に瞬時に変わる。さながら異界である。
明け方まで呑んでいたらしき若者達数人が、解散しがたくハイテンションで立ち話をしている様が、あちらこちらに見受けられる。

12:40開演のチケットを、券売機にて購入する。
ゆうに300は入るであろう客席は、残り3席しかなく かなり驚く。
おそらく 客席を一席おきに閉鎖しているためだと憶測する。
券売機のある広々としたロビーに、人は殆どいなかった。

20200630_101551.jpgブランチを摂るためと尺合わせのために、東南口の喫茶店タイムスへ。
自粛以前と同じ人の多さ。ほぼ満卓。
密接して置かれた席は、まびかれてはいなかった。
ブラックコーヒーとホットドッグ。
この店のホットドッグは、ソーセージの下に挟み込まれているキャベツがザワークラウトである所が個性的である。

開演時間近くになったので、ゴジラビルへーーー。
早足で歩いたので、開演20分前に着いてしまったが、既に開場していた。ーーー以前は10分前開場だった。
自粛前はひしめく様に開場待ちの客がいたロビーに殆ど人がいなかった理由が、この時 判った。

指定席に掛け、次々と入る客を観察していると、案の定 席は一つおきに開放され、つまり 千鳥格子状に客を入れていると判った。

本編、始まる。
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は、タイトルからも解る様に、1969年に東大内で開催された 三島と東大全共闘によるシンポジウムのドキュメンタリーであった。
TBSテレビが所蔵していたこのシンポジウムの映像に、かつて 楯の会や全共闘に在籍していた人達へのインタビューを織り込んだものであったが、サブタイトルの「50年目の真実」は、客寄せ目的の無理矢理のこじつけとしか感じられなかった。

20200630_101405.jpg三島は、いかにも三島らしいしゃべり口調で 三島なら言うに違いない内容を発しており、この一年半後の自死を予感させる発言もしているのだが、監督は、この部分を「ほら!この時、つまり一年半もの前から、彼は自死を考えていたんですよ!新発見でしょう!!」とテーゼしたかったらしく、ラスト近くでその部分の映像だけを再びまわしているのだが、三島が周到に自死を計画していたのは何年も前からの事だったと、その直後から多くの人物によって いとも簡単に解き明かされていた。
今さら「何が、これが『50年目の真実』なのだ?!」と 失笑しない訳にはゆかなかった。
まあ、三島と東大生達の血気溢るるダイヤローグは、観ていてなかなか面白かったが。

再度 東南口へ戻り、自粛以前 タイムス同様行きつけにしていた名曲喫茶らんぶるで、カフェオレで一休。
天井が高く広い地下席は、先の映画館同様 千鳥格子状にだけ卓を活かしていた。
活かされた客席はほぼ埋まっており、以前通りに 買い物途中に立ち寄り談笑する人や商談で前のめりに向き合う人達で、控え目なクラシック音楽とともに温かな空気が流れていた。

5時近くになり小腹も空いたので、中野の一人でも寛げる居酒屋へ向かうべく、紅色のソファを立った。


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都会の炭 [写真]

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ベランダでバーベキューでもした後の炭を第二次利用する予定なのでやしょうか。とにかく 炭が金属のボウルに入れられ マンションの玄関先に置かれていやした。
モチーフが全て無彩色で なんだかスタイリッシュな雰囲気を感じたので、それに相応しい切り取り方をして作品としやした。加工は全くしてやせん。

バーベキューといえばーーー
あっしは、20代後半の頃、バイトしていた飲食店のイベントで一度だけバーベキューを体験したことがあるのでやすが、始まるや酷く落胆してしまいやした。
何故ならーーー
あっしは、バーベキューというものは、短くとも30センチくらいの金属の串に、肉 野菜 肉 野菜 肉 と刺して焼かれたものをバーベキューと呼び、豪快にかじりつくものだと、それまでの生涯 何の疑いも無く信じ込んでいたのでやすが、当日そこで調理されたのは、鉄板の上に 肉や野菜が個別にコロコロと焼かれただけの料理でやした。
「な〜んだ、これって、ただの鉄板焼きじゃん」って。
みなさんは、バーベキューに対して、体験する以前 どのような認識をされていらっしゃいやしたか?


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