ぼんぼちにとって命より大事なもの、それは「お洒落」 [独り言]

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みなさんは、命より大事なものって、何かある?
別の言い方をすると、○○が出来なくなってまで生きていたくはない、っていうもの。
ぼんぼちの場合は、「お洒落」なんだ。
何らかの事情で お洒落が出来なくなった、あるいは、お洒落映えしない見てくれになったーーーそうなってまでは生きていたくないんだ。

ここまで読んで、大多数の方は、「えーっ?!たかがお洒落が、何でそんなに大事なの??」って思われただろうけど、何がその人にとって大事かって、一億人一億通りじゃない。

例えば、美味しい物を美味しく食べられなくなってまでは生きていたくはない、っていう人は、けっこうおられると思うんだ。
鼻から栄養をチューブで注入される、それが食事になってまでは、生きていたくないよ、っていう。
ぼんぼちの場合は、鼻チューブ=お洒落が出来なくなる って事なんだ。

ぼんぼちは、物心ついてから若い頃までは、土砂降りの下、泥沼の中でもがきながら必死に生きてきた。 いつかは、こんな地獄から這い出られる時が来る事だけを信じて。
命がけで、血を吐く努力をして、逃れ逃れて、そしてようやっと今では、太陽のさんさんと降り注ぐお花畑の中を、満面の笑顔で くるくると回りながら走ってる。
せっかく、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、苦渋の果てに手に入れた 太陽とお花畑、失いたくないんだ。
失われる様なら、失う前に 生を了えたいんだ。

これは決して、負の思考じゃないんだよね。
アンハッピーになる前に、最上級のハッピーの時点で、我が人生に終止符を打ちたいってこと。

人によっては、「与えられた命は、どんなに辛かろうが、最期のひと這いずりまで全うすべきだ!」という向きもおられるだろうけど、それは、その人がそういう生き方をすればいいのであって、他人に強要する事じゃないよね。
強要の言を発しても、何の責任も取れないでしょ?
言うなら、責任取らなくちゃ 言う資格ないよ。

だって、人間の考えって、一億人一億通りでいいんだからさ。
ぼんぼちが、これまでの60余年の人生で、どんな体験をしてどんな感情を持ってきたかなんて、ぼんぼちの細胞を持って ぼんぼちの体験をした人にしか解らないんだからさ。
60余年の体験と感情があって、今のこの生死観に辿り着いた訳だから。
つまり、ぼんぼち以外の人間には、ぼんぼちの生死観なんて、誰にも解る訳がない。
だから、誰にも しのごの言われる筋合いは無い。
同時に、ぼんぼちは、自分以外の人の生死観についても、一言も何も言わないしね。 言う権利なんて無いんだから。

人間、生まれる事に関しては、何一つとして選べない。
時代も国も地域も、そして親も。
だから、生を了える事については、自分で決めてもいいと思うんだよね。

ぼんぼち、生の始まりは、地獄からスタートしたから、せめてラストは、天国で〆めたいんだ。
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タグ:生死観
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