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 ラピュタ阿佐ヶ谷---私の好きな映画館--- [映画・演劇雑記]

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中央線・阿佐ヶ谷駅北口に ラピュタ阿佐ヶ谷という映画館がある。

上映前にスタッフのかたからの 作品名・監督名・制作年などを簡単に説明する口上があったり、飲み物は自動販売機ではなく ティーバックのお茶を入れるようになっていたり、木造りの明る過ぎないロビーからは ガラス越しに池の金魚の行き来する様が眺められたりする 温もりのこもった小さな劇場である。
各国の優れた様々な技法のアニメーションが特集上映される事もあるが、1960年代の日本の商業映画が映られる場合が多い。

私は、家から近い ということと、スタッフのかたの接客・劇場全体の空気感が嗜好に合っている ということと、知人を通じてよく招待券を貰う などの理由から しばしば足を運んでいる。

したがって、どうしても観ておきたい作品でなくとも、シートに埋もれ、無論、真夏の夕立ち後のアスファルトの蒸発のように みるみる忘れてしまう作品もあるが、予想以上の感動の光に包まれ 口角を上げつつ ゆうるりとスローモーションで席を立つことも幾多ある。

そして、テーマは、やはり まだ戦後色を大きく引きずっているこの時代は 前向きな勇気を与えてくれるものが多いな とか、演技のメソッドが現代(いま)と違って どの役者さんも感情と呼吸が連動せず外側にくっつけてゆく構築の仕方をしているな、といった再確認もできる。

どの映画を観るか の選択基準には----
監督で選ぶ、脚本家で選ぶ、役者さんで選ぶ、等々・・・・みな、その時々で それぞれ様々にあるだろう。
「劇場で選ぶ」
これも又 いいものである。
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 歴史を受講する   [映画・演劇雑記]

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映画や演技に興味のある私は、その方面の歴史では、これまで「世界実験映画史」と「日本近現代演劇史」を受講した。
前者は、めったに観ることの出来ない作品そのものの上映、後者は資料映像が多数 テキストに組み込まれ、また 演劇界のゲストのかたがたと講師のダイヤローグもさかんに交された、どちらも、たった一人で書物をひもとくのでは絶対に不可能な 実に実り多き授業だった。

どの分野に於いても、歴史を学ぶと、それまで点と点でしか認識できていなかったものが線でつながり、流れを把握でき、「何故そうなったか」といった理屈が飲み込め、現在(いま)を鳥瞰できるわけであるが、加えて、講座に参加すると、多視点からの具体的な確認がされ、作品観賞時にも 面白さの奥行きがぐっと増し 立体的に愉しめる。

「日本近現代文学史」や「世界演劇史」など、今現在は 書物とネットにて独学しているだけで 今後 受講してみたいものも 幾つもある。

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 ジャンル分け変・映画編  [映画・演劇雑記]

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このソネットブログを始めた当初から思い続けているのだが、選択形式により選択し 私の属することとなったブログテーマ「映画」の置かれている位置がおかしい。
「エンタメ」という集合体の中の一ジャンルに「映画」があるのだ。
エンタメの中に、音楽、演劇・・・・そして、映画 と。
映画の中に幾多あるジャンルの内の一つがエンターティメントなのに。
それは、音楽にしろ演劇にしろ同じである。
これでは、葉っぱの中に枝があると言っているも同然である。
シュールリアリズム植物図鑑である。
-----否、だからといって そのために困っていることは何一つとしてないのだが・・・・。
ソネットさんに改善してほしいところは別にある。
閲覧・書き込み障害を起こさないでいただきたい。

日頃から利用しているレンタルビデオ屋のTUTAYA吉祥寺店に、サスペンス、時代劇、コメディー、ホラー などに混じって 「感動モノ」というコーナーがある。
「感動」というのは、ジャンルではなく 個人個人の主観的感情である。
いくら名作と呼ばれる作品であっても、感動する人もいれば 必ず「ちっとも感動しなかった」という人も存在する。
スーパーの棚で、野菜、肉、魚、調味料、お菓子、おいしいもの と 分けてあるのに等しい。
店長が替わったら おいしいもの棚総入れ替えである。
菓子パンになったり ビールになったり 納豆になったり・・・・。
-----否、だからといって そのために困っていることは何一つとしてないのだが・・・・。
TUTAYAさんに改善してほしいところは別にある。
商業以外のジャンルも豊富に揃えていただきたい。

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                      ※写真は正しい分類の例※



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 神田神保町・矢口書店  [映画・演劇雑記]

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各々の趣味に関する書物を求めて 古書店街・神田神保町に しばしば足を運ぶ人は多いだろう。
私の場合、目指すのは、靖国通り沿い・角地に ひときわ時代がかった面持ちでたたずむ矢口書店である。

矢口書店-------戯曲や映画鑑賞入門や商業映画のパンフレット、学校演劇づくりの教本から メソッド本、評論集、国内外の演劇史・映画史、朗読・アナウンスの基礎を説いたもの、月刊シナリオ イメージフォーラム誌などのバックナンバー、照明・音響・美術・メイクなど 様々なスタッフを志す人のための育成本、そして、書き込みのされている撮影台本までが、そろりそろりと歩を進み入らねば 雪崩をおこしかねない怒涛の冊数で 湿った息をひそめて待ちかまえている 映画・演劇を専門的にあつかう古書店である。

私はまず、外壁面の特価の棚からレジの前まで ベロリと舐めるように表紙を見まわる。
それから、「実験・前衛映画評論」のコーナーに来ると、ことさら念入りに 視線の舌を往復させる。
中でも私の最も尊敬する映像作家・松本俊夫氏の単著書との出逢いを期待しているのだ。
今春は、何年も前から探していた 氏の評論集「映像の探求=制度・越境・記号生成」を発見し、つい、「あっ! あったあったーー!!」と、店中に 歓喜の独白をこだまさせてしまった。

店のホームページから検索することもできるが、必ずしも ホームページ上の情報と在庫が常に一致している訳ではないそうなので、また、私は 出向いて 自らの足で目で探す という行為が好きなので、デジタルの羅針盤も用いながら、定期的に この 文字と写真で構成された映画と演劇の山深くに彷徨い入る。
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 「映像の実験」  [映画・演劇雑記]

ベッドに入り 灯りを落とすまでの小一時間ほどの間は、すでに何度も捲った趣味に関する本を とろとろと反芻する。
それは 自身の心を穏やかな位置に静止させるための 大切なひとときである。
中でも、くり返しくり返し 定期的にパラリパラリとやるのが、この 「映像の実験」である。
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1978年 イメージフォーラムにより出版されたもので、総評にあたる 松本俊夫氏「日本実験映画素描」から始まり、「個人映画年表」、そして 当時 精力的に創作活動を行っていた映像作家20人の映画に対する思い入れが 真正面から語られている 実験映画・個人映画をひととおり観てきた人に向けた 復習的 便覧的一冊である。

20人の作家は、巻頭を担当した松本俊夫氏や寺山修司氏、萩原朔美氏、粟津潔氏といった 当時を代表する表現者は勿論、本誌の編集人でもある かわなかのぶひろ氏、居田伊佐雄氏、鈴木志郎康氏 等々・・・といった顔ぶれである。

自分は、「今日は 眉間にしわをよせてばかりのうちに過ぎてしまったな」という日の夜には、必ずといっていいほど この愛書を書棚から取り出す。
映像2.jpgそして、松本俊夫氏の「アートマン」は、一見 コマを抜いているかのように観えるけれど 実はアニメーションで、図解の480ケ所の撮影点から 2500枚の赤外線写真により構成されているのだなー とか、フィルムに直接キズをつけたり彩色して創られた 大辻清司氏らの「キネカリグラフィー」の元作品は、どこかのテレビ局に貸した時に失くされたので 自分が講座の中で観たのは復元版だったなー とか、寺山氏の文の冒頭の「私が生まれてはじめて観た映画は 太陽の光だったように思われる。 かすかに開けた瞼がスクリーンになって 私のからだ全体が映写機になった」は、何度読んでも舌を巻かずにはおれない名文だなー とか あらためて確認して「気持ちのベッド」に回帰するのが 理屈抜きで心地いい。

自分は元々、映画というものへの興味が、寺山修司氏の実験映画をきっかけに 松本俊夫氏の劇映画で深みに嵌ったクチなので、これは 「己れの心が帰るところ」の一冊なのである。

鉄道好きの人が時刻表を、音楽好きの人がオーディオ機材を 眺めているだけで心安らぐ というのに 非常に近いものがあるかも知れない。


タグ:映像の実験
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 映画について話すときの基準  [映画・演劇雑記]

初対面かそれに近い人は よく 「アナタの趣味は何ですか?」 と 聞いてくる。
自分は正直に 「映画鑑賞です」 と 答える。
すると、相手は 「私も映画は好きで よく観てますよ!」 と 前のめりになるので、「どんな映画が好きですか?」 と 問うと 「ホラー以外なら 何でも観ますよ!」 とか 「洋画は 殆ど全部といっていいくらい 好きで観てます!」 といった類の答えが はずんだ調子でくる。
それを言葉通りに受け取って 「ホラー以外なら観るんですね。 なら 実験映画では何が良かったですか?」 「洋画を殆ど観られるなんて すごいですね。 チェコの映像作家では 誰が嗜好に合いますか?」 などと返すと、十中八九 否 百中 九十八 九十九 の割合で非常に奇妙な顔をされ、「はぁっ? えっ・・・まぁ・・・」 と うやむやのうちに 話のシャッターを ずるずると降ろされてしまう。

自分は 三十歳くらいの頃までは、その度に 「何で あっという間に答えにつまるような嘘をつくのかなぁ」 と 不快な感情でいっぱいになっていた。
きじゅん2.jpgしかし もう少し歳を取り 様々な人間と接し 世の中を俯瞰できるようになった時、そう答えた彼らには 見栄も 強がりも 知ったかぶる気持ちも だまそうという気もなかったのだ と解した。
「ホラー以外は何でも観ます」 という人は、ホラーが 幾多ある映画のジャンルの中の 商業の劇映画の中のホラーである という認識は まず持っておらず、映画というものを考える時の基準が 商業の劇映画だけに無自覚に限定されており、「洋画は殆ど全部 観てます」 という人にとっては 現代 日本で観ることの可能な西洋の映画全てが 「洋画全部」 ではなく たいていは 米国のその中のハリウッドのものと 西ヨーロッパの有名作品が 何の疑問も持たぬままに 「洋画全て」 になっているのだな と。

きじゅん1.jpgだから、かつて自分の返した言葉は、彼らからしてみれば 「意地の悪い 重箱の隅をつつくが如くのへりくつ」 だったのかも知れない。
否、そう思われていたに違いない。
今 思い返すと、頭を下げたい気持ちである。
人間、己れの基準が当たり前と思ってはいけない。

という反省はしてみたものの、自分の好きな趣味の世界は 追求すればするほど 好みに偏りもでき、一般的基準というものが どこにあるのかを見極めるのは 逆に 難しくなるものである。
多くの人達が当たり前に知っている作品や俳優を 自分はまるで知らない ということも 益々増える一方である。

で あるから、最近は 相手を不快な気持ちに陥れてしまう可能性を無くしたいがために、趣味を聞かれたときに 「映画鑑賞です」 とは 絶対に答えないようにしている。


タグ:映画
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 反体制の男・ゴジ!!!  [映画・演劇雑記]

十年近く前、銀座の交差点地下の劇場に 監督であるゴジさん(長谷川和彦氏)の トークショー付き「太陽を盗んだ男」を観に行ったことがある。
その時は、相米慎二監督追悼特集の一作品として再映されたのだった。
相米氏は、若かりし頃「太陽を盗んだ男」の助監督の内の一人だったから という理由だった。

太陽1.jpg虚無に生きる男が原爆を作り 国家に挑戦状を叩きつけ、最後は主人公もろとも吹き飛ぶという シノプシスからして型破りな 今となっては「伝説のカルトムービー」と呼ばれるこの作品が 劇場初公開されたのは、1979年である。
自分は、公開早々 学校帰りに渋谷の劇場に 一人でトコトコと観に行っており、又 その少し前に創られ 氏が全話 脚本を担当した 三億円事件を元に起こされたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」も欠かさず楽しんでいたので、両作品から浮かび上がる 浮遊感 破滅に向かう幻想 そして 何よりも 並々ならぬ反体制のエネルギーに、「この表現者は どんな人物なのだろう?」と 興味を覚えずにはおれないものがあったのだ。

トークショーが行われるのは、その日のラストの上映の前 2、30分程ということであった。太陽2.jpg
舞台には焼酎が置かれ、ゴジさんが登場した。
サングラス姿で ノシノシと巨体を揺らしつつ「おぅ!みんな!!」と 客席に手を挙げた。
我々観客一同は 拍手で迎え、立松和平原作「遠雷」の脚本の荒井晴彦氏が聞き手となり、さっそくトークが始められた。

と、ゴジさんは 本格的にロックでガンガン吞み始めた。
そして、相米氏の想い出話しをちょっとだけし、自身の作品のファン層が気になるのか、観客に 世代や「太陽---」を観るのは何度めかを挙手させ 統計をとっていた。

する内、劇場の人が 「あの~ 長谷川監督、もうそろそろ 本編上映時刻なので・・・」と 舞台下から呼びかけると、「い~じゃね~か~~」と かまわず続けた。
荒井氏は、聞き手の仕事よりも ゴジさんのグラスを空にしない事に 忙しくなっているようだった。

話しは撮影秘話へ展開し、また劇場の人が 「あのぉ~ 上映終了予定時間から逆算すると、終電に間に合わなくなってしまうお客様が出てしまう可能性があるので、そろそろ・・・」と 来ると、「本編なんて DVDでいつでも観れるだろ~~」と ますます グラスと舌を独走させた。
その後の再三の 劇場側の呼びかけにも応じず、果ては、ゆうに200人以上は居ると思われる観客全員に向かって 「おぅ!おめ~ら!! この後、オレらがどこて吞んでるか ここに電話して教えとっから みんな 後で来いや!!!」 太々とした腕を ブン!と振った。

予定時間を2時間近く過ぎ ゴジさんが舞台からノシノシと去るや、劇場の人は 「大変申し訳ありませんっ! 本日、本編を最後までご覧になれないお客様には、次回 無料でご鑑賞できるチケットをお配りいたしますので お申しつけください。 本当に申し訳ありませんっっっ!!」と 深々と 頭を下げていた。
自分は 何とか終電に間に合いそうなので、ラストまで観て帰ることにした。

本編を観ることを目的に来た人や劇場の人には 気の毒だと思ったが、自分は 素のゴジさんの人となりを目の当たりにできて 何だか とてもラッキーな気持ちでいっぱいだった。
そして、特典映像として 今日のような裏話が延々入っているというDVDを 是非 購入しようと決めた。

ゴジさんの後にくっついていって 夜の銀座の飲み屋に場所を変えた話しの続きを 聞いてみたい気もちょっとあったが、自分には それを実行する勇気はなかった。
実際 ついていったファンは、どのくらいいたのだろう?

と、スクリーン前の暗幕が開かれ ブザーが鳴り 照明が落とされた。

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      ----「太陽を盗んだ男」本編感想は、一つ短歌を挟んで7月28日公開でやす----
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タモリ氏の十八番だった「寺山修司のモノマネ」 [映画・演劇雑記]

もう十年以上も前になるが、タモリ氏の昼の番組の電話のコーナーに 佐野史郎氏が出演した時のことである。

佐野氏は、両手を合わせるような仕草で 12151.jpg
「あのーーー、寺山修司さんのマネを、是非 演っていただきたいのですが・・・・・」
と、体ごとタモリ氏に向いた。
かつて、寺山氏とライバルと称されていた唐十郎氏の劇団に所属していた佐野氏にとって、寺山氏は 特別な存在であるのに違い無かった。

「うーーーん」
しばし 逡巡した後、タモリ氏は
「じゃ、何か質問して」

佐野インタビュアーの 六十年代アングラ演劇に関する早速の問いに 寺山タモり氏は、固めた口角で ネチネチと 粘りつく餅のような青森弁演劇論を 一言二言返した。
自分は、「相変わらず 見事に似せているなぁ・・・・」 と 前のめりになった。

「では・・・・」
佐野インタビュアーは、次の質問を投げようとした。
と 寺山タモリ氏は、突然 大仰に顔をしかめ こうさえぎった。
「そう次々と 矢継ぎ早に聞かれても困るんだよね。 僕は ひとつの質問に対して 十分はしゃべりたいんだよね」
自分は、隣家にまで響き渡るほどに 声を上げて笑った。
口調が 益々そっくりだっただけでなく、その答えは いかにも寺山氏本人が言いそうな、否 言うに違いない答えだったからである。

しかし、テレビからの観客の笑い声は ほとんど聞こえてこなかった。
寺山氏のしゃべる様子を知っている客は、もはや それ程少なくなっていた、ということである。
タモリ氏の逡巡は、「演っても 今のお客さんは解からないから・・・・」 という理由に他ならないのだった。12152.jpg

タモリ氏が昼の顔の人と成って久しい。
けれど、最近でも時折 真夜中の鱗片を チラと かいま見せてくださる瞬間がある。
笑いに於いてもアンダーグラウンド好きな思春期を送った自分には、くすぐったいような嬉しさが こみ上げてくる。

そういえば 「下落合焼とりムービー」 という テカテカの頭の氏が、故 赤塚不二夫氏らと出演している カルトなご当地映画があった。
これも 今 どれくらいの人が知っているのだろう、と思う。


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