ぼんぼちが好きな映画監督・ベスト5 [映画・演劇雑記]

映画好きの向きなら、自身の中で一度は、「好きな映画ベスト○」や「好きな監督ベスト○」を挙げてみたことがおありだろう。
以前、私も当ブログで、「好きな映画」については列挙したので、今日は、「好きな監督ベスト5」を、並べてみたいと思う。
「好きな」だから、客観的には優秀だと評価するけれど、ぼんぼちの好みに合わない監督は入れてなく、又逆に、無骨な面もあるけれど、メンタリティとして大きく共感できる監督は入っている。
では、いってみよう!


第1位 松本俊夫監督
ぼんぼちにとって、松本俊夫監督は、映画の神である。
これほど、「映像」というものに、多視点から多実験を試みた監督は、日本には他にいない。
海外でも、特にフランスで高く評価されている、実験映画監督である。
代表作は、赤外線フィルムで撮影された 怒涛の迫力のスチルアニメーション「アートマン」、
1960年代後期の文化・風俗・ニュースを、2スクリーンに3プロジェクターで映写した「つぶれかかった右眼のために」、
劇映画だと、夢野久作の同名小説を、あえてつじつまの合わないシークエンスにつなげ、観客を訳の解らない世界に陥れる「ドグラ・マグラ」、
ゲイボーイの世界を、オイディプス王を下敷きに構成し、劇中に何箇所も、二丁目を歩くゲイや本物のゲイの出演者へのインタビューなど、ドキュメンタリーを入れ込んだ「薔薇の葬列」などである。


第2位 ヤン・シュヴァンクマイエル監督
アートアニメーション映画では、世界一著名な、チェコのアニメーション作家。
スチル、オブジェクト、クレイ、ピクシレーション、カットアウトと、あらゆる技法のアニメーションで、複雑な事情下にあったチェコへの反体制や、食べる事への異常な執着を表現している。
やはり手作りのアニメーションなので、長編より短編作品の方が圧倒的に充実度・密度が濃く、秀逸である。
私があえて、その秀逸な短編作品群から1作選ぶとしたら、無機物で構成された顔と有機物で構成された顔が戦いを重ね、ラストは、粉々に一体化してゆく「対話の可能性」である。


第3位 勅使河原宏監督
原作脚本・安部公房、音楽・武満徹との三者で創り上げた三部作、「砂の女」「他人の顔」「おとし穴」は、安部氏でこその理論的なシナリオといい、斬新な画といい編集といい、前衛的な効果音といい、名優の名演技といい、非の打ち所のない完璧無欠な映画である。
劇映画というジャンルも、このくらい画に拘ってくれると、美術畑出身の私としては、ストレスを感じずに心地よく鑑賞する事が出来る。
この三部作の中でも、個人的には、非現実な病院内セットや、主役の顔を亡くした男が観た映画という設定の劇中劇が挿入された「他人の顔」に、特に惚れ込まずにはおれない。


第4位 塚本晋也監督
「六月の蛇」で世界のtsukamotoとなる以前の、初期塚本純正作品が好きである。
デビュー作「鉄男」の、鉄化してゆくアニメーションは、目眩を覚えるほどに圧巻である。
又、「東京フィスト」は、私にとっての青春映画で、東京に育った者にしか解らない ビル群こそが己れを包み込んでくれる母体だという観念性には、骨の髄から共感する。
私が、全ての映画の中で、一番泣いた映画作品である。


第5位 寺山修司監督
私は、中学生の時に知った寺山修司氏の存在がなければ、映画にも演劇にも短歌にも俳句にもエッセイにも、ここまで興味を持ち、入り込む事はなかったと言い切れる。
辛い事しかなかった思春期の、心の救済者である。
寺山氏がこの世に存在しなければ、今の私は存在しなかったとすら言える。
それほど己れに影響を及ぼした人物でありながらも、何故5位なのかは、寺山氏の全ての表現ジャンルを観、読み込んでゆくと、氏はやはり「書き言葉」の世界の人だと気がついたからである。中でも、短歌は氏の真骨頂だと思う。
映画作品では、劇映画では「田園に死す」短編実験映画では「ニ頭女」が、良くまとまっていると評する。


とまあ、以上が、ぼんぼちの好きな映画監督ベスト5である。
みなさんは、どんな監督がお好きでおられるだろうか?

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