第26回第27回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今回は、3月8日(水)第26回「ジュリアス・シーザー」、3月26日(日)第27回「から騒ぎ」の、レッスンのリポート&感想を、つづらせていただきます。

先ず、3月8日(水)第26回「ジュリアス・シーザー」。
前半は、アントニーの、一頁半に渡る 群衆を前にした演説(長台詞)を、お勉強しました。
私がダメ出しを受けたのはーーー
「諸君、云々、、、」と、群衆に何度も呼び掛ける台詞があるのですが、その「諸君」を、「自分と同じ者達」という親しみを込めて!という事と、
「貧しい者が飢えに泣くときシーザーも涙を流した」の「涙を流した」は、アントニーが眼前で見ていた事だったのだから、シーザーがどの様に泣いたのか、ーーーポロポロと、とめどなく涙を流したのか、オイオイ声をあげて泣いたのか、悔し涙に歯がみしながら泣いたのか、ーーーアントニーはその泣き様を思い出しながらしゃべっているので、どんな泣き方だったのか、ぼんぼちさんの中で何か一つに決めて、観客に、どの様に「涙を流した」のかが伝わる言い方をしなければならない、
そして、演説の初めの方は、群衆の顔や反応を確認しつつ、冷静にしゃべり、ラストにゆくに従って、群衆のアントニーを賛同する声にあおられて、テンションがあがりにあがって、自分でも もぅ何が何だか解らなくなるくらいまで興奮してしゃべる様に、ーーーちょうど、ロックコンサートで、ミュージシャンとファンのコール&レスポンスで、ミュージシャン自身もテンション最高潮になるが如くにーーーでした。

演説のお勉強了りに、「ぼんぼちさんは、レッスンに通いたての頃よりずいぶん上手くなったね!」と、めったにお褒めにならない先生からお褒めの言葉をちょうだい出来、大変に嬉しかったです。

後半は、ブルータスと彼の愛妻ポーシャのダイヤローグをやりました。
ブルータスとポーシャは、深く愛し合いつつ長年連れ添っている 仲むつまじい夫婦で、そういう夫婦は、何十年も寝起き、生活を共にしているので、「愛し合い続けながら長年連れ添ってる感」が出なければ、ポーシャの声の出し方、しゃべり方は決まってこない。
その「愛し合い続けながら長年連れ添ってる感」を出す様に!とのご指示が出ました。
でも私は、なかなかそれが出来ずに、「あぁ!この課題は、非常〜に難しいな、、、いつかは私にも出来る様になるのだろうか?!」と、エベレストを見上げる様な気持ちになりました。
けれど、先生にご指示を受けた以上は、すぐには出来なくても、いつかは出来る様になりたい!なろう!と、拳を固くしました。

レッスンはたいてい、前半の長台詞に二時間、後半のダイヤローグに二時間費やすのですが、いつも私は、後半の最後の方になってくると、体力が底をついて、元々明瞭ではない発音が、ますます明瞭ではなくなってきて、今回も自分でそう感じながら台詞を読んでいたら、すかさず先生に、「ぼんぼちさん、この時間になって疲れてきたから、言葉が乱れてきてる!」と、注意されました。
私は、「はいっ!頑張りますっ!」と、精一杯、明瞭に発音しようと努力しながら読み了えました。

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次に、3月26日(日)第27回「から騒ぎ」。
この日は、ウォームアップとして、その日に配られた 某映画のシナリオのワンシーンをお勉強しました。
映画の演技ですから、徹底したリアリズム演技を求められました。
私は、演劇より映画のほうが圧倒的に好きなので、出来た出来なかったは別として、理屈抜きに 最高に楽しかったです。

中盤からはシェイクスピアに戻り、ベネディックという貴族の青年の 一頁に渡る独白の長台詞を、素読み(感情を入れない読み方)で、私が最も苦手としている 言葉を明瞭に正確な発音で読む事を、ご指導いただきました。
私自身もこの事が一番出来ていないという自覚があり、どういう言葉が明瞭か が、頭では解っているだけに、口腔内がついてゆけずに、非常にもどかしかったです。

後半は、ベネディックとベアトリス、つまり、若い貴族の男女の恋の駆け引きの場をやりました。
最初に、シェイクスピアが設定した 国や場所通りの読み方をし、次に、もし、この二人が高校生で、ファミレスという場だったら、という設定で読みました。
私はベネディックをやったのですが、先生に、「ぼんぼちさん、ファミレスの高校生男子という雰囲気、出てるね」と褒められ、とても嬉しかったです。
その後で今度は、二人は、仕事のデキる男とキャリアウーマンで、帝国ホテルのバーでマティーニを二杯飲んで 少しだけ酔っている、という設定を与えられました。
私はベアトリスをやったのですが、「キャリアウーマン」のイメージがなかなか掴めずに、難儀をしました。
先生は、「設定を変えられたら、それまで稽古していた台詞の言い方は全て捨てて、パッと瞬時に、新たな設定下での台詞の言い方が出来る様になるのが、目標です。 このお勉強方法は、とてもレベルが高いです」というような内容の事を仰いました。

この日のレッスンは、褒められたのは一箇所だけでしたが、シナリオも読めたし、難しかったけれど、違う設定で、というのも面白く、自分の内から正の感情が、ぱあっと溢れた様な、幸せなレッスン後感でした。

又、私が今の先生について行き続けたい!と深く思える理由の一つに、「映画というジャンルを否定なさらない先生である」事があります。
文中にも書いた様に、27回のレッスンでは映画のシナリオもテキストに組み入れたり、「シェイクスピア作品は幾作品も映画化されているから、映画の方も観ると参考になるよ」とか、「映画だったら、この場面はこう撮る所だよね」とか、「現代人は皆、映画というものをたくさん観てきて、その上で舞台も観るのだから、今作るシェイクスピア舞台は、映画を知っている観客が納得する舞台でなければならない。つまり、昔と同じ事をやっていても観客は少しも面白いと感じない」などと。
否定されないどころか、映画も肯定なさっていらっしゃる。
これは、映画好きの私にとって、個人的に嬉しい事であり、理屈的にも、その通りだと思うからです。

私が過去に出逢ってきた演劇人の人達は、プロアマ先生生徒問わず、「映画なんて下劣なジャンルに興味があるのは、悪い事。舞台だけが演技をやる値打ちのある場なのよ!」とか、「映画が好き?! おーい!邪宗者がいるぞーっ!この間違った根性を叩き直せーっ!」とか、「映画なんてものは、たまーにバカになってハッハッハッハッハッって笑いたい時だけに観ればいいものなんです。小さな劇場で映画みたいな方向性の演技をする役者は、映画に毒されているんですっ!」という考えの持ち主ばかりでした。
私は、それらの発言に、いつも疑問を持ち続け、先生という立場の人がそういう考えだと判った時、私はその研究所を辞めてきました。

ですから、何重もの理由で、今の先生は、心から尊敬出来、ついて行き続けたい!と思えるのです。

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