第32回第33回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、6月15日(木)第32回「オセロー」、6月26日(月)第33回、同じく「オセロー」の、レッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、6月15日(木)第32回「オセロー」。
最初に、イアーゴーというずる賢い家来の、約一ページ近くの長台詞をお勉強しました。
一回目は素読み(感情を入れない読み方)で、二回目は、目の前に人間の言葉が解るアリがいて、そのアリに向かってしゃべる、という想定を与えられました。
自分自身は自覚はなかったのですが、「芝居をしている人に聞こえる。 そんなに声を作らないで、もっと、ぼんぼちさん自身の声としゃべり方で!」と、ダメ出しを受けました。
私は、こういう登場人物はこういう声で、こういうしゃべり方をするのだ、と、無意識のうちに作り込んでしまうきらいがある様で、それはよろしくない事なので、ちゃんと、自分の声、しゃべり方そのままで読める様にしよう、気をつけよう、と思いました。
三回目は、自動販売機に向かって語りかける、という仮定を与えられ、ここでのダメ出しは、「生物ではなく無生物、しかも機械相手にしゃべっている感じが、ちゃんと出るといいんだけどな」というものでした。
この仮定は、私の想像力が働かなくて、どういうしゃべり方をしていいのか、見当がつかず、少し見上げてしゃべるだけになってしまった、と自覚しています。
唯一褒められたのが、「つまり、やつの家来のようで、実はおれ自身の家来なのさ。」という一行で、自販機を説得するように聞こえた、と評されました。

次に、ウォームアップとして、シェイクスピアではない、極めて短い言葉の 全部で九行の、いかようにも解釈出来るダイヤローグを、様々な設定でやりました。
・一つの音を五秒かけて言う。
・逆に、一つの言葉を、非常に短く早く言う。
・小学低学年になって言う。
・90代になって言う。
・突然、目が見えなくなった人になって言う。
・一人が、ナイフを持って言う。
・一人がナイフ、もう一人がピストルを持って言う。
私は、五秒かけて言う の設定の時に、「音が揺らぐので、ずーっと同じ高さと張りで言える様に。 先ず、美しい声を正確に出せる様になる事が、台詞の基本です」と、ダメ出しをされました。
この様な訓練はした事がなかったので、自主練でもやるようにしよう、と思いました。
又、目が突然、見えなくなった人の設定では、ここでも想像力が及ばずに、自分でも「出来ていないなあ」と思っていたら、あんのじょう、「突然、目が見えなくなった、という、恐怖感や不安、内的パニックが出ていないね」と、注意をされました。

そして最後に、オセローが、イアーゴーに巧く丸め込まれて、愛妻が浮気をしていると思い込まされ、家に帰ったところから、愛妻の首を締めて殺すところまでをやりました。
台本で、台詞が、空白があって、下の方に書かれている箇所が何箇所かあるのですが、そこの読み方は、「必ずしもではないけれど、大抵の場合、相手役の前の台詞からひとつながりになる様に、歌に例えると、デュエットの掛け合いの様に言う様に」との事でした。
又、殺す殺されるの場面は、もぅ相手がしゃべっている事を聞いて自分がしゃべるどころではない状況なので、かなり、相手役の前の台詞に、自分の台詞をかぶせる様に、との事でした。
私が愛妻をやった時に、先生は、「そういう殺され方の台詞は、一般的な殺され方の言い方だから、何か違う言い方を見つけられるといいよ」と仰いました。
オセローをやった時に、「もう遅い。」と首を締めるところでは、首を締めながら(実際には、レッスン先は、一人一人椅子に座って読んでいます)「もうー、おーそーいーっ!」と言ったのですが、先生は、「そういう言い方がない訳ではないけれど、ちょっと歌舞伎みたいだから、『もう遅いーーーっ!』と言ってから首を締める方がいいよ」と仰いました。
そして、レッスン了りに、「ぼんぼちさんはやっぱり、感情が高ぶると、台詞が明確でなくなってきて、何を言ってるのか聞き取れなくなるよね」と、一番痛いところを突かれました。

この日のレッスンは、レッスン生の人数が少なかったので、非常に濃密な授業で、他にもたくさんダメ出しはされたのですが、次回のレッスンまでに、特に気をつけて出来る様にしておこう、と心したのは、芝居をやっている、と聞こえない風に、ぼんぼちが自然としゃべっていると聞こえる様に読める様になろう!という事です。
それから、滑舌の悪さは、頭では理解が出来て、十二分に自覚はあっても、口腔内の筋肉の問題も大きいのではないかと思うので、すぐには直せないけれど、少しづつ少しづつでも良くなる様にしよう!、次回のテキストも「オセロー」なので、早めに自主練を始めておこう、と、拳を固くしました。
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次に、6月26日(月)第33回「オセロー」。
「オセロー」ですから、前回と全く同じテキストを使いました。
ただ、前回とは違う方向からのアプローチのご指導も、幾つも受けました。

イアーゴーの長台詞て、最初に素読みをした時、とにかく私は、滑舌が悪いのだから、そこに気をつけよう気をつけようと、コンピューターのアナウンスの様な読み方を目指して読んだら、先生はーーー
「僕は、自分の指導法を反省しています。 あまりにも、『言葉が明瞭ではない』『聞こえない音がある』『美しくない音がある』と、さいさん注意をしてきて、ぼんぼちさんは真面目だから、そこを一生懸命に直そう直そうとしていらっしゃるのが、良く解る。 だけど、滑舌以前に、演技というのは『表現』なのだから、先ず表現ありきで、これからは読んでほしい。滑舌だけが演技ではないのだから。 だけど僕は、滑舌は非常に大事だと考えているので、これからも、そこを注意してはいきますけどね。」という様な内容の事を仰いました。
そのお言葉を聞いた時、「ああ、今の先生って、俯瞰と主観を両方の視点からお考えになれる、ほんとに優秀な先生なのだな。」と思ったのと同時に、気持ちがすっと楽になりました。
まあ私は、プロを目指している訳ではないので、出来なかったら出来なかったで、生活に支障が出る訳でも何でもないのですが、やはり先生に注意された事は、直したいと思っています。
舞台やキャメラの前には立たなくとも、お習いする以上は上達したいと、強く思っています。
なので、今までは、自主練の九割を素読みについやして、とにもかくにも滑舌良くなろう!としていたのですが、これからは、滑舌五、感情五、くらいの配分の自主練でいいのかな、と思いました。
そして先生は、「一音一音を長ーく読んだり、ウィスパーで読むと、全ての音が明瞭に聞こえるんだけど、少し声を大きくして普通のテムポで読むと、明瞭でない音や聞こえない音が出てくる。 何か心理的なカセがかかってしまうんじゃないかな?そのカセが何なのかは、まだ僕にも解らないけど。」と仰いました。
私自身も、その理由は何なのだろう?、、、もしかしたら、中高生の時は、日常生活にも不自由するくらいに滑舌が悪くて、何度言っても聞き取ってもらえなくて、それで相手に一方的に話しをシャットアウトされる事が、数え切れないほどあったので、そのトラウマがよみがえるからかな?とも思いました。

ウォームアップではーーー
・蛇の目の人同士
・蛇の目の人と狸の目の人
・オタマジャクシとカエル
・キツネの目の人同士
・そよ風とネギ
をやりました。
私は、蛇の目の人をやった時に、「いいねぇ!」と、褒められました。
目が蛇なだけでなく、身体も動きも生態も全て蛇になった気持ちでやったのが、正解だったようです。

オセローが愛妻の待つ家に帰り、愛妻の首を締めて殺すダイヤローグではーーー
私は愛妻役をやったのですが、「今日は、ヒマワリの様な人格の愛妻でやってみて!」という条件を出されました。
まだ殺されると知る前の、思いっきりな明るさの読み方は、何のダメ出しもされなかったので、その読み方で良かった様です。
ダメ出しを受けたのはーーー
「オセローからもらった愛の証のハンカチは、貴方が浮気相手だと思いこんでいる相手に贈っていません! あの人には、単に人間としての愛情があるだけです。」という意味の台詞が、懇願の感情だけになっているので、オセローに、一言一言説得しよう!という感情も含める様に、という点と、
殺されてゆく場面ーーー
苦しそうに声を小さくしていったら、「聞いている側も苦しい気持ちになってしまいます。 だからここは、全ての台詞は聞き取れなくていいので、所々、声をぱっと出して、次の瞬間は聞こえないくらいに小さくして、をくり返して」と言われました。
この部分は、前回、「ありきたりでない読み方で」と宿題を出された部分で、自分なりに工夫したつもりだったのですが、あー!なるほど!こういう風に読むといいんだ!と、目からウロコでした。

いつも、レッスンは楽しくて楽しくて、あっ!という間に終了の時刻がきてしまうのですが、今回は特に楽しくて、「えっ?!もう四時間経ったの?!」と疑うほどに短く感じました。
レッスンの最初の方で言われた、「先ず表現ありき」という先生のお言葉に、私自身をしばりつけていた滑舌の悪さのコンプレックスの鎖がゆるめられたのが、大きかったのかも知れません。
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