第24回第25回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、2月13日(月)第24回「リチャード三世」、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」の、演技のレッスンのリポート&感想をつづらせていただきます。

先ず、2月13日(月)第24回「リチャード三世」。
最初に、グロスター(のちのリチャード三世)の、まるまる一頁に渡るモノローグの長台詞を勉強しました。
私は、これまでのレッスンを全回出席していて、「リチャード三世」をお習いするのは四度目だったので、とにかく前三回でダメ出しを受けた箇所は もう二度と同じ指摘はされない様にと、そこに全神経を使い、ちょっと緊張しながら読みました。
読み了えると先生は、「何かカセにハメられている様に感じられるね」と仰いました。
私が前述の理由を打ち明けると、「じゃあ、今度は、自由に好きに読んでみて!」
二度目に読んだらーーー
「おれは悪党となって、この世のなかのむなしい楽しみを憎んでやる。」の「悪党」と「憎んでやる」を両方同じくらい強く言っているから、「悪党」の方を少し弱めるように、と、ラストの「おはようございます、兄上、これはどういうことです?」の「これはーーー」以下を、意図的に変え過ぎているので、声の響きは変えずに 感情だけ変えるように、とのご指摘を受けました。

グロスターが殺した王の夫人アンとグロスターのダイヤローグではーーー
「アンは夫を殺されて最大限に怒っているのだけれど、グロスターの口説き文句によって 怒り方がどんどん変わってゆかなければいけない。それをぼんぼちさんは、ずーっと同じ怒り方で読んでいる」とダメ出しされました。
どういうふうに怒りが変わってゆくのかーーー、これが次回にまた「リチャード三世」がテキストになった時の私の課題となったので、もっと何度も何度も読み込んで、正確にアンの心情を表現出来るようになろう、と思いました。

素読み(感情を入れない読み方)に関しては、先生は、「実は、素読みと本番読みは、全く別の位置にあるものではなく、素読みの延長線上に本番読みがあり、『別の読み方で』と言われたら、いつでも一旦 素読みに立ち戻って来られなければいけない。又、感情が抑えきれなくなったら、いつでもどこでも感情を入れていいんだよ。ぼんぼちさんは、そろそろそこに気づいてもいい頃だよ」という様な内容の事を仰いました。
私は、今まで、素読みはデッサンと同じものと解釈していたので(デッサンというのは、何千枚同じモチーフを描こうが、一ミクロンも感情を入れてはいけなく、無感情で完成させるものなので)目からウロコでした。

最後に先生は、「ぼんぼちさん、前回の時の方が良かったね。今日は台詞が団子になってるし。(明瞭ではないという意) まあ、一番いいと言われた時のを常に維持するのは難しいけどね」と仰いました。
内心、自分でも感じていただけに、この日は少し残念な出来となってしまった一日でした。

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次に、2月27日(月)第25回「から騒ぎ」。
この日は、レッスン生の人数が少なかったために、非常に非常に濃密な授業を受ける事が出来ました。

先ず、何度も「まだまだ!」と口酸っぱく注意をされたのは、私の場合、言葉より感情が前に出過ぎてしまって、何を言っているのかが明瞭に伝わらない。あくまで、感情く言葉 なので、もっと巧く自分でコントロールする様に!でした。
特に、三行、五行くらいの長さの台詞で、感情が高ぶっている所だと、感情がうわあ〜っ!と湧き上がってきて、言葉がとても明瞭でなくなってしまうので、もっともっと言葉優先で、と。
自分でも、頭では解っていて自覚があるだけに、もどかしく、先生の仰った様に、これからは「巧くコントロール」する事を、心して台詞を読む様にしよう!と、自分に言い聞かせました。
これは、今の私の大きな課題です。

この回のレッスンでは、ワンセンテンスの「、」の所やダイヤローグの相手への受け渡しで、如何になめらかに、ブツッ!と途切れないで、音はつながっていなくとも空気はつながっている様に読めるか、も稽古しました。
先生は書道を例えに出してくださり、「氵」は、点三つだけど、空気はつながっているでしょ?と。
こういうつながりを「気脈」というのだそうです。
それを言葉で演るのはとても難しいな、と思いましたが、いつかは出来るようになりたい技術です。

又、「没入感」ーーーいわゆる、演者が役に入り込んでゆく事ですが、どうすれば没入できるのかの練習法は、台詞の中の一つ一つの言葉を何度も何度も、それはもう何度も、ありとあらゆる言い方で発してみて、トランス状態になるくらいまで言ってみる、のだそうです。
次の回のテキストが来たら、試してみようと思いました。

あと、細かな発音では、「つ」が「つっ!」になってしまっていて、聞いていて美しく感じられない、
「剣(けん)を」の「ん」が短く詰まってしまっているので、「けんを」と、三音とも同じ長さで発音する、
「わ」というのは半母音で「あ」にとても近い音なので、ワンセンテンスの中に「わ」と「あ」がある時は、韻を踏む様に読むと、聞いていて心地が良い、という事を指摘されました。
そして、「ぼんぼちさんは発音が美しくないから、ぼんぼちさんがこれまで生きてきた上に言葉を積み上げる感覚ではなく、赤ちゃんになって、そこから言葉を覚え始める気持ちで向かうと良いよ」という様な内容の事を、先生は仰いました。
これも難解な課題だと感じましたが、そういう意識を持って自主練&レッスンに臨もう!と拳を硬くしました。

それから、レッスン了りには、前々回の回で、先生がチラとお話しをされた「高文脈言語」(詳らかに説明しなくても通じる、日本語に代表される言語)と「低文脈言語」(ハッキリと説明しなければ伝わらない、英語に代表される言語)について、今一つ私の中で、具体的に見えて来なかったので、そこを質問しました。
すると先生は、「ここで言う『言語』は、『社会』と置き換えたほうが解りやすいね。要するに、国でスッパリ分けられる訳ではなく、例えば、映画というジャンルは、国を問わずに高文脈社会になるね。言葉で全てを説明するジャンルではないから。対して、吉本新喜劇は、ぜーんぶ言葉で説明しているから、低文脈社会だね」と、大変解りやすい例えを挙げてくださいました。
私はシナリオ作法も勉強していた事があり、映画がどれほど、台詞以外の手段で諸々を観客に伝えるかをよく知っていたので、大きく頷けました。

今回のレッスンでも、勿論たくさんダメ出しはされましたが、先生の貴重なお話しもたっぷり聞かせて頂けて、充実度120%の授業でした。
次回のレッスンも、頑張って臨みたいと、今から心の準備をしています。

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