映画「変身」にみる映画化の意義  [感想文]

前回記事「カフカ『変身』にみる現実性」での原作の感想に続き、今日は 映画「変身」について述べたいと思います。
この、プラハに生まれた暗喩文学の大傑作は、2002年 ロシアのワレーリィ・フォーキン監督によって実写化されました。
-----1977年に 英・キャロライン・リーフによっても サンドアニメーションで創られていましたが、今回は 実写版であるこちらを取りあげます。-------
かふか3.jpg
日本で公開されるや、期待半分 期待はしないで臨んだほうがいいかなという気持ち半分で劇場に足を運んだ私は、観終わって しばらく席を立ちあがれませんでした。
この、誰れが考えても 映像化が非常に難しいと思われる暗喩小説が、これを超えるものは不可能に違いないと大きく唸らせる 最上級の完成度の映画作品と成っていたからです。

まず、誰れもが観るにあたって最も興味を抱くのは、「虫に成った状態をどのように表現するのか?」ということだと思います。
私もそうでした。
かぶりものやCGを使っては、この原作の何たるかが根底からこっぱみぢんにぶちこわれ 陳腐で稚拙なものになってしまうのは必至です。
虫へと変貌したグレーゴルの内面の細かな感情を 生命ある人間の生々しさでもって伝えないことには、作品は成立しないからです。

かふか2.jpgが、映画版独自にふくらませた「気がかりな夢」から目覚めたベッドの上の「変身したグレーゴル」が映し出された瞬間、私は 「あぁ!なるほど!!」と 心の中で声をあげました。
「なるほど、この作品には この手法以外あるまい」と。
これならラストまで真剣に観続けたい と前のめりになりました。
虫と化したグレーゴルは、前夜、床についたままのグレーゴルの役者さんが、パジャマも頭にかぶったネットもそのままに 手足をうじゃうじゃと動めかし、意のままにならない身体と格闘していたのです。
そして、話の展開とともに、這いまわり、奇声をあげ、四つん這いで 食べ 飲み、頭のネットはズリ落ち、パジャマは無惨に汚れてゆくのでした。
この 極めて演劇的な方法は、台詞なしに、驚愕、焦燥、不安、甘え、希望、諦め、絶望、喜び、悲しみ、怒りを 実に切実に伝えてくれました。

演劇的なのは、虫の表現のみならず、変身以前の 幻想の中のグレーゴルや、家族や会社の上司、下宿人達の動きにも 非常に強くみてとれます。
これらの演劇性の強さが、この暗喩小説のマチエールに 違和感なく融合し、テーマを強烈に後押しします。
-----最近 パンフレットを手に入れ 知ったのですが、監督のワレーリィ・フォーキン氏は、元々 舞台の世界のかたで、「変身」は、氏の舞台作品として 幾度も上演されていたそうです。

かふか4.jpgしかし、何から何までただただ演劇的に押し進めているわけではありません。
「映画でこそ」の魅力も 最大限に駆使されています。
私が この作品について「非の打ちどころのない達作だ」と感じずにはおれない最も大きな理由は ここにあります。

時々、役者さんがいい演技をしていて 脚本にも矛盾がないのに、リズム・緩急のない 構図にも何も心を砕いていない映画がありますが、私は ああいったものは 複数回観たいとは思えません。
何もわざわざ「映画」という手段を選ばなくてもいいだろうに と不快感でいっぱいになってしまうのです。

「変身」の映像世界----- 全体を通して 抑えた彩度、こうだったに違いないと思わせる 霧にけぶる 不安な「気がかりな夢」の立ちあげかた、随所に使われるスローモーション・・・・
また、壁や天井に這い上り手足をプラプラさせる 映像ならではの手法や、グレーゴルの死の妄想に 原作者カフカの墓のある墓地が使われていることも 見逃せません。
それらが、決して 暗黒的ではなく もやもやとした灰色のトーンで まとめ上げられています。

かふか1.jpg原作を読み込むと、この物語は、決して「絶望!絶望!絶望!地獄!!」といった暗黒ではなく、「天井に這い上り 手足をプラプラさせて ドシンと落ちる遊びに享じる」という件りに代表されるように、曖昧な 中間色的な感情が 複雑に内在しています。
そういう灰色の色調の小説です。
ですから、こうすればドラマティックだからと、雷に打たれたようにガーーーーン!!と闇がおとずれて 真っ暗闇をまっさかさまに転がり落ちるように描いてしまっては、それでは 「カフカの『変身』」とは言えないものになってしまいます。

大好きな小説が映画化されたというので観てみたら がっかり・・・・どころか、原作が無駄に汚されたような嫌ぁな気持ちだけが残った・・・・という体験は、多くの人にあると思います。
私も、幾多の映画に それを感じてきました。
けれど、この「変身」は、小説を映画にするということの意義、映画という手段を選ぶということの意味とは まさにこれである と深く頷くことのできる 芸術映画史に残り続ける名作だと思います。


タグ:映画 変身
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イヴママ

「変身」ですか・・・すごい映画ですね。
私は変身すると言えば「フライ」も好きでしたが、
2~3日前にDVDで見た「スプライス」も、変身はそませんが
なかなか面白かったです。
禁断の実験で生まれた生き物は、途中でメスからオスになるんですよ~。
by イヴママ (2011-06-08 10:27) 

よいこ

映画化されていたんですね。知りませんでした
by よいこ (2011-06-08 15:44) 

ラック

ロシアの監督というくだりできっと凄い映画だと何故か思いました。
ボンボチボチさんの感性にぴったりときたのですね。
群馬の山の中にいるとアンテナが錆びついてそんなキラリと光る良い映画
がキャッチ出来ません。

by ラック (2011-06-08 16:18) 

elm

ある意味、現実から逃れることができたということでしょうか。
この現実世界から隔絶されるということは、絶望でもありますが密かな喜びでもあり、というか
安堵でもあり、ということなのでしょうか。
by elm (2011-06-08 18:18) 

ake_i

この作品を演劇的に映画化ということ、とても興味ありますね。
舞台で観る濃密な演出、それが映画となると効果も大きくなって表現されたのでしょう。ともあれ、ご覧になられてこういったブログを書かれることも素晴らしいです。
by ake_i (2011-06-08 18:26) 

tomomame

ぼんぼちぼちぼちさんはやっぱり映像&視覚の人ですね^^
映画化されていたの、知りませんでした。興味を持ちました。
この小説、映像化できるんですね。驚き…。
田舎なのでなかなかマイナーな映画は上映されません。
(特に英語圏でないロシアや東欧の映画)
>原作が無駄に汚されたような嫌ぁな気持ちだけが残った
あるあるある。ありますよー。金返せ~な映画。
一例:『SAYURI』(Memoirs of a Geisha)
by tomomame (2011-06-08 20:57) 

ナツパパ

文章で表現する際の想像力と映像のそれとは違うんでしょうねえ。
その違いを乗り越えられる人ってすごいな、と思います。
わたしにはできないけれど、それを愉しむことはできる、と思う。
by ナツパパ (2011-06-08 21:35) 

なぎ猫

カフカの変身が映画化されていたとは、、、全く知りませんでした!
by なぎ猫 (2011-06-08 21:36) 

ぼんぼちぼちぼち

イヴママ さん

メスからオスに・・・
面白そうでやすね。
その生物、アイデンティティの自問に苛まれそうでやすね。
フライは、まだ子供だったころに テレビで映ってたのを観た記憶がありやす。
確か、実験装置のガラス内に一匹の蝿がまぎれこんでたために
蝿男ができてしまう話でやしたね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 21:55) 

ぼんぼちぼちぼち

よいこさん

そーなんでやす。
あっしは、日本初公開時に劇場で観て、その後は 最近になってDVDを購入しやした。
というのは、3月、渋谷でロシア映画特集があったときに再映されたのでやすが
行こうと予定していた日があまりにも地震直後だったために
今回は、劇場には行かずに 家でくり返し観ることにしやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 22:09) 

ぼんぼちぼちぼち

ラックさん

やはりね、こういったマチエールの作品は、
露・東欧が創ってこそ!というのを強く感じやしたね。

群馬の山・・・母親の出身地なので 雰囲気解りやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 22:16) 

masakazoo

確かに難しい。村上龍さんも、小説ではいいんだけど、映像となると随分と違う。
活字は、読み手が勝手に脳内で変換するけれど、映像はそのまま映し出されるのでイメージがズレる。
脳内イメージに勝るものは、そうはないですもの。
一番の美人は、後ろ姿の女性だとも言いますしね!

「変身」観てみたくなりました。
by masakazoo (2011-06-08 22:27) 

ぼんぼちぼちぼち

elm さん

そうでやすそうでやす。
その辺りが特に この原作の非常にリアリズムを感じるところでやすね。
そして、映画も そういったグレーゴルの感情を
実に詳らかに描写していやす。
しかし最後は、ずるずると絶望に堕ちていって 死を選びやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 22:29) 

ぼんぼちぼちぼち

ake_i さん

ワンショットワンショットの構図もとても美しくて
あっし的に 気持ちの良さに浸れる映画でやす。
この ワレーリィ・フォーキン氏演出の舞台版のほうも
資料映像として残されているものでいいから
どんな感じなのか観てみたいでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 22:44) 

ぼんぼちぼちぼち

tomomame さん

役者さんに「自由に動いて演っていいよ、演技に応じてキャメラで追うから」
という監督もおられるようでやすね。
勿論、そういう方向性を否定はしやせんが
あっしは、そういう考えで創られた作品は 好きにはなれやせん。
多くの制約の中で演技を成り立たせる ということも
役者さんの実力のうちだと思いやすし。

by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 23:04) 

ぼんぼちぼちぼち

ナツパパさん

そうでやすね。
テーマとシノプシスさえなぞればいいという問題ではないでやすよね。
この作品の「虫の形は具現化しない」というようなことのほかには
マチエールも大事だと思いやす。
どろどろしたマチエール、ぱきぱきしたマチエール、ガンガンガンッとしたマチエール・・・
で、この原作は、もやもやもやっとしている・・・
それを映像化している。
見事でやす\(◎o◎)/
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 23:19) 

ぼんぼちぼちぼち

なぎ猫さん

こういう方向性の作品は、あまり大々的には宣伝されないので
知らずに過ぎてしまいがちでやすよね。
機会があったら 観てみられてくださいでやす(◎o◎)/
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 23:24) 

ぼんぼちぼちぼち

masakazoo さん

是非、観てみられてくださいでやす(◎o◎)/
あっしの思う「これこそが映画!」といった作品であり そして
国外で好きな長編の劇映画を3本挙げてください と言われたら必ず入れる作品でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-08 23:32) 

藤並 海

映画化されていたとは、知りませんでした!
原作の優れた作品が映像化されるときに
表現上の違いが起こるのは仕方がないと思うのですが
時折、初期設定から弄られて台無しにされているのを見ると
何のための映画化なのかと思ってしまいます
大人の事情ってやつなのでしょうっけどね(・・;
by 藤並 海 (2011-06-09 00:22) 

rtfk

ぜひ観てみたいです(^m^)
映画に対する価値観が一変しそう^^)
by rtfk (2011-06-09 09:20) 

ぼんぼちぼちぼち

藤並 海さん

そうそう、言葉と映像では表現方法が違うので
まるで同じになるわけがないでやすよね。
逆に 表層を忠実になぞると おかしな うすっぺらなものになってしまったりしやすね。
この作品は、そういったことのテキストのような映画でやすね。

>初期設定から弄られて台無しにされているのを見ると・・・
中でも、主演の役者のイメージにそぐわないからという理由のものには もうがっかりを通りして呆れるものを感じやす。
それでいて 予告のコピーだけは 原作に忠実なように謳っている。
まぁ、創るのは自由だから せめて看板に偽りなくしてほしい。
「○○という原作をきっかけにした○○のカッコよさを観れる映画」と正しく宣伝してほしい。
そしたらがっかりも呆れもしない。
最初から期待もしないし観にも行かないから。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-09 11:38) 

ぼんぼちぼちぼち

rtfk さん

是非是非~!
元々演劇の世界にいたかたが創った映画は少なくないけれど
ここまで演劇的で なおかつ映像という手段の魅力も最大限に引き出している映画は 貴重だと思いやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-09 11:47) 

じゅりあん

小説は中学生くらいの時に読みましたが
映画になっていたのは知りませんでした。
今でもこの作品は観られるのでしょうか?
by じゅりあん (2011-06-09 17:44) 

ぼんぼちぼちぼち

じゅりあんさん

へい、今現在 観ることができやす。

原作は 100年前でやすが この映画が創られたのは2002年でやすし
こういったシビアなテーマを扱ってやすが 検閲には引っ掛かっていないので。
東京にての一番最近の公開は、渋谷のアップリンクファクトリーでの 今年3月のロシア映画特集の中に入ってやした。

こういった非商業の名作は、これからも 何年かに一回 再映されると思いやす。
DVDでも売られていて しかも今現在 廃版になっていないので いつでも購入できやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-09 22:04) 

nony

ご来訪&nice有り難う御座います。
映画は好きです。
これからも宜しくお願いします。
by nony (2011-06-09 23:25) 

ぼんぼちぼちぼち

nony さん

こちらこそありがとでやす(◎o◎)/
いい映画たくさん観て愉しみやしょうでやすっ(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-09 23:51) 

スー吉☆ミ

文学作品が原作にある映画で、「商品」としての
製作ではなさそうなのはロシア人監督という要素が
強いのでしょうか。原作が穢されない地域がまだ
残っていたのかと、ちょっとビックリしてホッとします。
まだ「変身」は観ていませんが、「風と共に去りぬ」
みたいな風格のある映画を久々に観たい気がしてきました☆!。
by スー吉☆ミ (2011-06-10 17:53) 

モッズパンツ

面白そうですね。いつか見てみたいです。w (^ω^)b

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2011-06-10 21:28) 

ぼんぼちぼちぼち

スー吉☆ミさん

ロシアであるという国民性や民族性というより
国の体制によるものが大きいと思いやす。

米国やそれにならう我が国のような資本主義国家だと、
全国ロードショーのような商業モノは、
まずとにかく売れるもの を第一に考えるようになって
結果、芸術面がないがしろにされるのは いたしかたないと思いやす。

けれど、映画って 商業作品が全部じゃないでやすよね。
文学が原作で 原作を穢してない芸術性の高い映画は 日本でも 幾つも創られてやす。
例えば----
「押し絵と旅する男」江戸川乱歩原作・川島透監督
「ドグラマグラ」夢野久作原作・松本俊夫監督
「砂の女」安部公房原作・勅使河原宏監督
「双生児」江戸川乱歩原作・塚本晋也監督 等々・・・

また、多くの人は 米国の映画=ハリウッドの商業モノ というのが思い浮かぶのかも知れやせんが
マヤ・デレンもスタン・ブラッケージも米国でやす。
つまり、大資本主義国家米国でも 非商業の映画は沢山創られていやす。

勿論、今ここで こういったことを羅列しているからといって、
あっしは 商業映画というものを頭ごなしに否定しているわけでは 決してありやせん。
商業の劇映画っていうのは、数多ある映画のジャンルの中の一ジャンルなんだよ
という事実を ちょっとだけ知ってほしいのでやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-11 00:27) 

ぼんぼちぼちぼち

モッズパンツ さん

へい、機会があったら是非~(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-11 00:32) 

そらへい

興味深く読ませていただきました。
私が小説「変身」に出会ったのは、高校生の時で
その日、演劇「変身」を観に行くことになっていたので
その前に読んでいったのでした。
ところが、演劇はパントマイムでした。
ドイツだったかフランスの国の劇団でした。
原作がカフカの「変身」だったのか、劇団名も何もかも失念してしまったのですが、セリフを発しない動きだけで表現するパントマイムの雄弁さと
カフカの「変身」の饒舌さに共通するものを感じました。
いろいろな意味で痺れました。
by そらへい (2011-06-11 19:50) 

ぼんぼちぼちぼち

そらへいさん

あぁ、なるほど! マイムという表現手段は
この作品にとても違和感なく融合するように思いやすね。
あっしも観てみたかったでやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-11 21:48) 

ちゃーちゃん

解説?を読んでいると難しそうですネ。まぁ映画を見る機会の無い私にはTVで韓流ものでも見ます・・・(^^; 
by ちゃーちゃん (2011-06-12 19:50) 

ぼんぼちぼちぼち

ちゃーちゃんさん

そうでやすね。 暗喩作品・その表現方法になじみのないかたは難しいと思われるかも知れやせんね。

この記事は、感想文・評論文 といわれるものでやす。
概要、解釈、感想 の三大柱から成り立っています。
これらの三つから構成されるものを そう呼びやす。

by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-12 21:37) 

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