理論派・感覚派  [感想文]

数年前に聴講した 日本・近代演劇史のシンポジウムにて、ビデオの中の唐十郎氏は こう話していた。
「自らアングラ演劇を演ろうと意識したことはありません。 私自身は無自覚に自然に創ってきたものを 周りが それはアングラだ と位置づけたのです。 そうやって 他者に位置づけられることによって 自分が演っているのは アングラである と自覚したのです」

5111.jpgこの理屈は、あらゆる物事にあてはまるであろう。
つまり、それが何であるかは 相対的に 他との比較により浮かび上がり、第三者の目によって 決定される。
当人は、自身を そういう俯瞰的な目で見ることが出来た時に 初めて「自分は何であるか」の一般論的説明が可能と成るのである。

そして、それは言わずもがな 容姿や表層の性格に匹敵する解りやすい部分は 年若い時点で自覚し、「アングラ」の様な専門的分野の方向性は、その仕事を始めてしばらく経ってから 知ることと成る。
 
ましてや、作品を創る過程が 理論的なのか 感覚的なのかとなると、「私は こうこう こういう手順を追って表現に至っています」と発し その反応を確認した後でないと、本人が一番 理論派か感覚派か 解らないでいたりする。

何故なら、人間は誰れでも 根源的に「自分の考え方が当たり前」と思っているので、理論的表現者が理論的構築の元に作品を完成させても 当人にとっては極めて自然ななりゆきなので、余程 冷めた第三者の目を持っていない限り 「私は感覚で創っています」と言ったりする。
また、第三者の言葉を知っている表現者であっても あくまで自分が基準だったり 自身よりも より理論的な表現者しか比較としていない場合は、やはり がんと「感覚だ」と主張する。

自分は、演劇や映像に関しては まるで一観客という立場の素人であるが、かつて 別の分野で 稚拙ながらも 表現のはしくれのような仕事をしていた。
5114.jpgそんな己れを振り返っても それは立証出来る。

自分も 自身が理論派だと認識したのは 仕事を始めてから可成りの年数を経た頃で、それに気付かされた時には 少々驚いた。
「よく皆、大して考えないで進められるものだなぁ」と。

すべての表現分野に於いて 表現のキッカケは、先ず ソーダの泡の如く浮かんでくる感覚である。
そして、それを泡のまま作品にぶつけるか、泡を あれこれ 結合させ 組み立て あるいは壊して構築してゆくかで 理論派か感覚派に分かれる。
-----これが、俯瞰的一般論的分類 と言っていいであろう。

無論、どちらの手法で創ろうが また どう自覚していようが、優れた作品が生み出せれば良いのであるが、自称感覚派の理論派がいるのと同様に「自分は理論派だ」と 何の疑問も抱かずに発する感覚派が存在するのも また 事実である。

そういう表現者についての第三者の評論は 留まる所なく 宇宙の如く 拡張し続ける。
本来 どこにもある筈のない理論を 探し求めることとなるのだから。

5112.jpg

タグ:理論 感覚
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風船かずら

人の意識の働きの中で感覚、感情、思考、直感などなど、どこを使うか、うまく使えるか、本当はすべてを上手に発達させて生活できればよいのでしょうが、わたしは未発達のところや上手く使いこなせないところが眠ったまま出口をもとめているようにも感じたりしています。
by 風船かずら (2010-05-11 09:04) 

スマイル

ぼんぼちぼちぼち さん おはようございます
面白い理論ですね~
私は、創作者、表現者ではありませんので、日常生活、しかも私事でしか語れませんが・・・感覚派です。しかも感覚で生きられる環境に、嬉しいことに今はいます。理論を要求される環境に入ると、途端に混乱します。ぼんぼちぼちぼち さんの記事を読ませていただいて、ふっと思いついたことを書かせていただきました。もう少し思い当たることが出てくるかもしれません。興味深い視点をお持ちなのですね。ありがとうございました。
by スマイル (2010-05-11 10:32) 

にすけん

 おっしゃる通りです。自己評価ほどアテにならないものはない。
 いつか私も書こうと思っていますが、『俺は個性派』『これが俺の個性』というヤツ、盛んにそう言わせようとする今風の教育って…???
by にすけん (2010-05-11 11:33) 

イブ

こんにちは イブです 黄金休暇も終わり わたくしは また 新たな創作に うちこんでおります…いらして下さり 本当に ありがとうございました。あの阿波踊りの方は 思いの外に評判がよく わたくし自身 驚いております。全く意図せず作ったものは しばしば 己の意思とは別に 鑑賞された方から好評をいたゞくことがあります。変に意識したり 狙ったりして作ると 却って逆効果になってしまったりしますね。自分の意識と鑑賞者の意識 それを介する作品は 見る人の目に映る映り方も千差万別ですから 評価の仕方も解釈のありようも それぞれ異なる化学反応を見せてくれます。今回の記事もやはり表現者のおはなし わたくしも またあれこれ模索しながら 絵を作ってまいりたいと思います。では 長々失礼致しました。
by イブ (2010-05-11 13:01) 

inacyan

ご訪問&nise!ありがとう御座いました(^^)
先ずはご挨拶まで<(_ _)>
by inacyan (2010-05-11 15:14) 

akipon

なんだか核心をつかれたような話で、ちょっと痛いです・・・
by akipon (2010-05-11 18:48) 

ぼんぼちぼちぼち

風船かずらさん

未発達で硬く眠ってしまっている脳の部分は 皆 それぞれに多いようでやす。

一つ具体的な例を挙げると
言語で、日本人には難しい発音というのがありやすね、
また逆に 我々には何ということもないのに外国人にはなかなか発音できない音も。
これは、口腔内のつくりがどこか違うわけではなく
小さい時から発してこなかった音に対しては 脳が「これは必要ないんだ」と判断して その能力を閉ざしてしまうかららしいでやすね。

この理屈は勿論 あらゆる方面に当て嵌まる訳で
ひと昔前まで「男性は理論的で女性は感覚的」などと決まり文句のように言われてやしたが
これは 女性が「女の子が理屈なんて言っちゃいけません!」と教育され 理論的思考の脳を閉ざすことを強いられてきた結果だと思いやす。

幼児期に深い眠りについてしまった脳の部分を目覚めさせるのには かなりのエネルギーが必要なようでやす。
しかし、自身の意識・頑張りで 覚醒可能のようでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 19:27) 

ぼんぼちぼちぼち

スマイルさん

なるほど、理論を求められる環境におかれると混乱してしまうんでやすね。
自分とは違うタイプの人に対して とても知りたいと思っているので興味深く読ませていただきやした。
また何か思い付かれたら何でも書いてくださいでやす(◎o◎)/
ともあれ、ご自身に合った環境で生活できて何よりでやす!
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 19:39) 

musashi

頭の悪い私にはよく分からないのですけど・・

>>それが何であるかは 相対的に 他との比較により浮かび上がり、第三者の目によって 決定される。

激しく同感です!!
by musashi (2010-05-11 19:55) 

ぼんぼちぼちぼち

にすけんさん

まぁ、「ゆとり教育の産物として子供に個性を与えられた」という結果がほしいんでやしょうな。
小さい時から「君は個性的だ」と言われて育つと それを刷り込まれた子供のほうは 何の疑問も持たずにそう思うでやしょうしね。

が、実際 個性的な人間の数というのは、昔も今も比率的に そう変わらないように思いやす。
で、本当に個性的な人間というのは、記事の理屈通りに 元々自分は普通だと思っていたところに「個性的だ」の他者の発言の嵐に見舞われて 初めてそうだと気付く訳でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 19:59) 

ぼんぼちぼちぼち

イブさん

高円人展 お天気にも恵まれ良かったでやすね♪
第三者の反応は とてもいい刺激でやすね。
意外な発見をさせられ勉強になるし 次回作の参考にもなりやす。
それは あっし自身、このブログで実感していることでもありやす。

これからも お互いにそれぞれの分野で頑張りましょうでやす(◎o◎)/ 
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 20:12) 

ぼんぼちぼちぼち

inacyan さん

こちらこそ ありがとーでやす♪
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 20:15) 

ぼんぼちぼちぼち

akipon さん

そーなんでやすか・・・・?
あっしは akipon さんの写真観るの楽しみでやすよ♪

by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 20:22) 

ぼんぼちぼちぼち

musashi さん

そう、世の中 そういう第三者の俯瞰的視点の外側に存在を置くことは不可能だと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-11 20:36) 

TanTan

こんばんわ。
 面白い意見で楽しめました。

 少し失礼ながら突っ込ませていただきますが、
>何故なら、人間は誰れでも 根源的に「自分の考え方が当たり前」と思っているので

 のエビデンスは何でございましょうか?
 根源的に他人に考え方を指摘されると当たり前のように何食わぬ顔をして修正される方もいます。特に上下関係の厳しい演劇やらスポーツやらの世界では、自分の考え方を否定されるのが当然でもあるかと言う世界も最高を求めるためにあるような気もします。すると、このお話しは、一般的な生活上の話? かともおもったりして、十郎さんが飛んで行ってしまう。

 切磋琢磨でここは面白いかとは思うのですが、創作の世界になると創り手も嘘つきで、評価されると迎合して、裏ではえへへと笑ってもいますので、しかも特にマスコミのインタビューとかは、意図せず話しているところを重点的に編集されて、言いたいこととは全く違う興味本位なところに仕上げられていることもありまして、もうなんと言いますかやっぱり商業なのですね。
 商業がなければ、生活は成り立たないわけですが、その商業と第三者的評価は、どう違うのだろうかと言語規定が明確に無いだけに微妙に読んでおりました。

by TanTan (2010-05-12 01:46) 

部長

わたしがやっていたこと(やろうとしていること)は明らかに理論派の仕事です(仕事って言うのも変だけど)。
何もないところから生み出す作業ではありますが、感覚派のように自然にわきあがってくるものではないと思います。ですが、実は両方のベクトルが必要で、感覚でとらえ、理論武装するような、ちょっと職人っぽいところもあります。
示唆に富んだ理論でなるほどと、考えさせられました。
by 部長 (2010-05-12 05:17) 

muzik

いつもこちらのブログの文章読んでまして、ヒラヒラとした言葉の中に
えらく深い部分をいつも触っておられると感心していましたが
こーいうことだったんですね。
ジャズで言えばスタンゲッツみたいです

by muzik (2010-05-12 07:31) 

じぃじぃ

おはようございます、応援になります。
(^▽^)/
唐十郎さんは天才だと思ってます。
その言葉は聴くことができても、
私には理解できないことが多かったです。
これから先も理解できないかも、と思うと寂しい気持ちになります。
残されている作品を見るしかないなぁと思っています。

by じぃじぃ (2010-05-12 08:14) 

ぼんぼちぼちぼち

TanTan さん

「人間は誰れでも自分の考えが当たり前だと思っている」という根拠は あっしの人生経験・人間観察によるものでやす。
多くの人は 歳を経るにしたがって「人間ってこういうものだな」と理解するものでやす。
人間は 成長の過程で 自分一人の世界→母親と二人の世界→家族という集団→幼稚園という集団→学校という集団→社会という集団
と、その中で少しづつ少しづつ自分とは何であるかを知る訳でやすね。
ここは、書くまでもなく読み手は解っているという前提で始めているので説明しておりやせん。
で、奥のほうにある部分は なかなか自覚しにくいと。

「根源的に他人に考え方を指摘されると当たり前のように何食わぬ顔をして修正されるかたもいる」
と仰ってやすが、他人に指摘をされる段階というのは すでに根源的ではないでやすね。
TanTan さんは、「根源的なその人の気質」というようなことを仰っているのかも知れやせんが
あっしが言っているのは誰れにも指摘される前の その考えが他者との関わりの前に置かれる以前の段階 という意味の根源的でやす。

でやすから 唐氏の話は飛びやせんし、これは主に芸術全般について書いているものでやす。

商業との関係性については、ここではテーマから外れるので一切ふれておりやせん。

by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 10:11) 

ぼんぼちぼちぼち

部長さん

あっしにとても近いタイプのかたでやすね(◎o◎)/
仰っていること あっしにもそのまま当てはまりやす。
そう、両方をどう巧く駆使するか でやすよね!
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 10:17) 

ぼんぼちぼちぼち

muzik さん

こーーーいうことだったんでやすーーー\(◎o◎)/
スタンゲッツでやすか~
嬉しいでやす・・・というかおそれおおいでやすなぁ・・・
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 10:20) 

ぼんぼちぼちぼち

じぃじぃさん

唐氏は 戯曲を三日くらいで書きあげるそうでやすしね~(◎o◎)
アングラの世界自体 やはり少し解り辛かったりしやすね。

これは、あっしが勝手に感じていることでやすが
寺山氏が前に前に向かっていたのに対して 唐氏は過去へ戻るんでやすね。
だから、あのノスタルジーに共感できる人が 唐氏の芝居に吸引されるのかな・・・と。

唐氏の創った作品であっしが印象に残っているのは
佐野史郎一人芝居「マラカス」でやすね。
あと、6月に 梁山泊で演る「ベンガルの虎」を観にいきやす。


by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 10:38) 

bluesky

niceありがとうございました。
by bluesky (2010-05-12 15:23) 

つなみ

私の場合は・・うう~ん、全身で表現するのだけど、
理論性に基づいて、踊りの基本があり、
それにそってのアイデンティティと理論的終結を
身体で表現できればと思うような・・、。
そして、観る人に、踊る自分も、周りの人も、
そこから消化される感動を、と。
だから、ぼんぼちぼちぼちさんのお考えも
感性や理論性も、また、感覚としても理論的整合性としても
肌で感じられる部分があるような・・。
生意気でご無礼いたしました^^
好きデス♪
by つなみ (2010-05-12 15:27) 

かずっちゃ

「それが何であるかは 相対的に 他との比較により浮かび上がる・・・」、ナルホドと感心しました。
by かずっちゃ (2010-05-12 16:00) 

yuka

面白かったです。仕事以外でも私としてはどうしたいのか、どう見られたいのか、周りはどのように思っているのか、のバランスを考えるようにしています。

by yuka (2010-05-12 17:52) 

ぼんぼちぼちぼち

bluesky さん

こちらこそ ありがとうございやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 23:12) 

ぼんぼちぼちぼち

つなみさん

やはり 何らかの表現という作業をしていると 分野の違いはあれど通底するものってありやすよね♪
今回のつなみさんのコメントを読んでも実感しやした。

あっしは 体を動かすことって大の苦手なので 身体表現の出来るかたってとても尊敬しやす。

好きでやすか・・・・てっ照れやす・・・・・・ポッ!
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 23:24) 

ぼんぼちぼちぼち

かずっちゃさん

そうなんでやすよね。
何か一つ あるいは幾つかのものと比較していないから何とも比較していないようであっても 無意識に過去に出逢った物らと相対的に比較しているんでやすよね。


by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-12 23:56) 

ぼんぼちぼちぼち

yuka さん

yukaさ んのお仕事は 人一倍客観的視点を必要とされるのだろうなぁとお察しいたしやす。
プライベートでも こう見られたかったらこうしよう という意識 大事だと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-13 00:05) 

よいこ

そんなに大した創作をしているわけではないのですが、アイデアがある年齢からは降って落ちてくるのを感じることがあります。無意識のゼロから、いきなり100だけど、もうそれ以上はないので、忘れて逃げないよう捕まえて実行するだけです。同様の感覚を「泡のように沸いてくる」と表現された ぼんぼちぼちぼちさんは、その時点でもう、頭の中で少しずつ組み立てて構成して形を作っているから理論派なんじゃないかと感じました。出なければ、そもそも こんな複雑なものの考え方は出来ませんもの。^^
by よいこ (2010-05-13 00:14) 

ruriokuno

そうですね。自分の評価は人がつけるものだし、他人の評価によって自己評価も付いてくるのですよね。つまり、「人とのかかわりの中に生きている」と言うことですね。だから、コミュニケーションが大切なのですね。
また、最近とても思うのは、誰かに自分の気持ちや考えを、話すことではっきり自覚できる、のですね。離す相手がいなかったり、話すことが下手だったりすると、自信ももてないのですね。
ありがとうございました。
by ruriokuno (2010-05-13 05:38) 

ぼんぼちぼちぼち

よいこさん

ゼロからいきなり100なんでやすね!
感覚派のかたの感覚というのをとても知りたいと思っているので 興味深く読ませていただきやした。
ある年齢から というところも、生活の変化とか読む本が変わったとかあったのかな?と思ったりしやした。

そう言われてみれば、あっしは 泡を湧き出るさきからすでに あれこれ無意識のうちに結合・構築してるなーと気づきやした。
するどいご指摘でやす!
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-13 19:34) 

ぼんぼちぼちぼち

ruriokuno さん

そう、誰れかに 自分の気持ちを話すことで自分自身の気持ちが整理でき明確になる というの大きいと実感してやす。
あと、こういうブログのようなもので文字にする ということも同様に。
たぶん、同じ物事についてであっても、「話す」「書く」という行為に移すことで
漠然ともやもやと頭の中で考えていた時とは別の脳の部分が働くからだと思いやす。

こちらこそ ありがとうございやす・ぺこりっ。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-13 19:46) 

carotte

こんばんは。初めまして。
本日はご訪問ありがとうございました。
クリエイティブなことはしていませんが、私もご多分に漏れず「自分の考え方が当たり前」と思っているタイプで、とても理論派ですとは言えませんね〜(^^;
by carotte (2010-05-13 22:02) 

ぼんぼちぼちぼち

carotte さん

こちらこそ ありがとーでやす。
そーなんでやすか・・・・・
あっしのほうは 海外の知識に疎かったりするので
その辺り詳しい carotte さんってすごいなーと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-14 10:38) 

tochimochi

仰るとおりだと思います。ただ日々仕事に終われる身には何か自己表現しようと思ってもなかなか思いつかないので、いまだに理論派か感覚派か分かりません。強いて言えばロマン追求派かなと・・・
by tochimochi (2010-05-14 20:13) 

ぼんぼちぼちぼち

tochimochi さん

そうなんでやすか・・・・
お仕事が忙しいと なかなか難しいでやすよね。
ロマン追求派でやすか~
なるほど、癒されそうでやす♪
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-14 22:33) 

マンチ軍団

ご訪問&nise!ありがとう御座いました.
お勉強させて戴いちゃいました!
by マンチ軍団 (2010-05-16 20:14) 

ぼんぼちぼちぼち

マンチ軍団さん

こちらこそ ありがとーでやす・ぺこりっ。
あっしが 勝手に自己満足で書いているものに そんな風に言っていただけるなんて痛みいりやすでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-16 20:21) 

rari

[水槽]ー ̄)ふっ・・・ぼんぼちさんのコトバ・・・すんなり脳に浸透するんですよ~
以前に「どんな人が好み?」と聞かれて「コトバの通じる人」って言ったら
相手の方が「???」ってw
コトバの選び方、並べ方、日本語だとひらがな・カタカナ・漢字等
人それぞれに違うから 小説なんかでも作家さんによって 文章の相性が
あったり・・・(話がそれてるなw

オレはどっちなんだろう~?
そもそも、オレの中には沢山の「オレ」がいて大概のコトは「一人脳内座談会」によって判断してるカンジ
もう記憶にない位昔から「変わり者」「変人」と言われ続けてたけど
「ってか、他者と違わない人間なんて1人もいないじゃんか」とココロでおもいつつ 笑顔で「そっか~」と流し続けてたような~
あまりにも沢山の「オレ」が それぞれに違う視点から見てたり考えてたり
だから 今となってはどれが本当の「オレ」なのかワカラナイw
ってなコトを、以前にふと思って「本当の自分はどれ?」と数日脳内座談会をした結果、「どれもオレ」で解決したのであった~

さて、オレはどっちですかな?判断をお願いいたしやす^^
(長文失礼でやすぅ~~)
by rari (2010-05-17 04:52) 

ぼんぼちぼちぼち

rari さん

判断でやすか~
んーー、やはり理論派ではないかと思いやす。
色んな方向から考えておられて あっしに似ているなー と感じる部分も多いでやす。

あっしも 大昔から 変わり者とか変人とかひねくれてるとか それはもうミミタコに言われやした。
当時は また言われたらいけないってびくびく言動して でも
「あっ! また言われた 自分って駄目人間・・・・」とますますそんな自分か嫌いになったりしてやした。
今は あっしはあっしでやすよ~ へっへっへーー でやす・笑。

まぁ、「個性とは何か」「変人とは」については 先々一つの記事にしたいと考えておりやす。

あ、あっしも 好きな文体・苦手な文体というのがすごくあって 作家さんの好き嫌いも かなり そこで決まったりしやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-05-17 10:36) 

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