第22回第23回の演技のレッスンを受けて [リポート]

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今日は、1月16日(月)第22回「リチャード三世」、1月30日(月)第23回「から騒ぎ」の、レッスンのリポート&感想を、つづらせて頂きます。

先ず、1月16日(月)第22回「リチャード三世」。
この日は、レッスン生の人数が少なかったというのもあり、非常に非常に綿密で濃厚な授業を、受けさせて頂けました。
テキストは、グロスター(のちのリチャード三世)の、まるまる一頁に渡る独白で、様々な読み方をお勉強しました。

最初に素読み(感情を入れない読み方)で、でいながらも、これは喜劇なのか悲劇なのか はたまた別の方向性の芝居なのかを判断し、それをきちんと含ませながら読むように、とのご指示が出ました。
「リチャード三世」は明らかに悲劇なので、その様に読みました。
一度目は、ゆっくり読む読み方で、二度目は早いテンポでと、二度、素読みをしました。
先生からのダメ出しは、私も自覚していた通り、言葉が明瞭でない所がある(特にら行)、五行くらいの長いセンテンスの台詞だと、疲れてきてますます明瞭でなくなってくるので、一行毎に 気持ちと呼吸をリセットして読む様に、でした。

唯一 褒められたのは、ラストの一行にある「(兄に向かって)おはようございます」という台詞で、「ここは声が響いてるね。全ての台詞がこのくらい響くと良いよ」との事で、三度目は、一頁全部を「おはようございます」と同じ響きで、なおかつ その時時の感情が損なわれないように、とのご指示でした。
けれど、負の感情の所になると、どうしても声がこもってしまって、ご指示通りに出来ませんでした。
出来なかったものの、声を響かせる為の大きなヒント・方法論を頂けたので、家で何度も この練習をしようと思いました。

又、「明瞭に台詞を発するには、下あごを大きく下に動かすだけでなく、前後に動かす事もやってみるといいよ」とも。
これは、あからさまに下あごを出したり引いたりするのではなく、そういう心掛けで読むと、口腔内の奥の方も変化するので、あらゆる発音が出来るようになるから、という事でした。

そしていよいよ、感情を込めた様々な読み方に入りました。
箇所箇所で次々と心情が変化してゆく様に重点を置いた読み方では、グロスターが、己れの醜い容姿を自虐する台詞の所で、「ここは、自虐を自ら笑う様に」と言われたので、思いっきり鼻で笑いながら、「俺って、こっけいでしょ?」といった読み方をしたら、「そういう説明的な読み方をしてはいけない。形から入っている。先ず、感情が湧き出て、その感情が伝わればいいのだから。現実で、自分の感情を説明的に表現する人はいないでしょ?」と、即、ダメ出しが出ました。
このダメ出しは、以前の他の戯曲の回でも、かつて注意された事なので、「しまった!またやってしまった!改めなければ!」と、二度とくり返さない様に、と心しました。

笑いがこらえ切れなくなって 笑いながらも 笑いをこらえようとする、という読み方のご指示では、「何を言ってるのか解らない。だから成立していない」と、ペケをつけられました。

そして、「じゃあ今度は、一言言う毎に、紙ヤスリで肌をゾリッと削ぐ様な、自傷を重ねてゆく読み方で」と、今の先生ならではの、抽象的でありながらも、とても解りやすい例えのご指示が出されました。
その読み方をした時には、何のダメ出しも出されなかったので、まぁ、なんとか出来ていた様です。

それから細かい事では、ラストの「これは、どういうことです?」の「これは」だけで、今現在、芝居上で何が起こっているかを、観客に解らせる言い方が出来なければいけない。
「思わせておいたからな」の「な」の方向性が定まっていない、など、前回のレッスンにも増して、難易度の高い要求を出されました。
難しいけれど出来る様になろう!と、拳を固くしました。

レッスン了りに先生は、「今年のぼんぼちさんの課題は、発音を明瞭にする事と、声の響きを獲得する事だね」と、私が思っていたのと全く同じ事を仰いました。

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次に、1月30日(月)第23回「から騒ぎ」。
私は、一回目の「から騒ぎ」の授業では、からきし出来なかったので、前回の「リチャード三世」のレッスンが終わってからこの日までの二週間、毎日 欠かさず「から騒ぎ」のテキストを読んで、今回の授業に臨みました。

モノローグの長台詞の素読みでは、やはり、「ら行」や、漢字で書いてある熟語が明瞭でない事を注意されたものの、「少〜し良くなったね。 ここまで出来るようになったので、次のステップとして、ワンランク上の素読みをしてみましょう」と、先生が仰いました。
今まで教わってきた素読みは、例えば「まず行ってまいります、と言え、それから、ただいまだ。」は、「まず 行ってまいります と言え それから ただいまだ」と、言葉の切れ目をハッキリキッパリくぎって読む様にと、指示されていたのですが、今度は、ハッキリキッパリをボンヤリさせて、なおかつダラーと続けない素読みを、指示されました。
私は、「こういう事かな?」と思いつつ読んだら、何もダメ出しされなかったので、ボンヤリ度が合っていた様です。

ダイヤローグのレッスンでは、「何も考えないで、ただ読んで」と言われて読んだら、「ぼんぼちさん、すっごくいいね!」と、めったにお褒めにならない先生が、声高らかに満面の笑顔で褒めてくださいました。
私が、「第一回目の『から騒ぎ』では、グダグダだったので、この二週間、毎日 自主練してましたっ!」と言うと、「やっぱり努力の成果は出るもんだねー」という様な内容のお言葉が、ますますの笑顔とともに返ってきました。
私は、「努力はしますっ!!」と、強く言い切りました。
先生の隣に座っておられたプロデューサーさんも、「ほほぅ」といった表情で、笑んでくださっていました。

ダイヤローグの感情を込めた授業では、まず、一部を、動きをつけながら台詞を読み、椅子に座って読む時も、そのように動くのだという事を 常に頭に入れつつ読む事、
「では、殺してちょうだい!クローディオを。」を、もっと真に迫ったリアルな言い方をする事、
「え!いや、それはできない。」も、やはり、真に迫ったリアルな「そんな、、、友人を殺すなんて、できない、、、」という感情で発する事と、「それは」の「それ」は、「友人クローディオを殺す事」なのだと 観客に解る様な言い方をしなければならない事、
自分では作り声をしているつもりはなくても、作り声になってしまっている部分がある事、
感情が先行してしまって、言葉が綺麗ではない(明瞭ではない)部分がある事、、、等々々を、ダメ出しされました。

そして、レッスン了りに先生は、「日本語というのは、高文脈言語といって、具体的に説明しなくても伝わる言語であり、対して英語は、低文脈言語で、具体的に説明しないと伝わらない言語なんです。 だから、低文脈言語を訳した戯曲を高文脈言語の文化圏の人達が演るには、それ相当のテクニックが必要なんです」と、大変 高度で貴重で専門的な理論を教えてくださいました。
それが実例として、どのようなテクニックか、まではご説明にならなかったので、後日、人数が少ないレッスン日にでも質問してみようと、思いました。

この日は、大変に褒められたし、ダメ出しされた箇所も一度で直せた所が多かったので、非常に達成感の大きな一日でした。
帰路、夜空を仰ぐと、オリオン座がきらめいてました。
「星が綺麗に見える夜」って、こういう日のことを言うんだな、、、と、生まれて初めて実感しました。
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