大きなカタバミの葉 [写真]

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ちょっと濃いめのピンク色の花の咲く大きめのカタバミの葉を、ネガ加工したものでやす。
特別キョーレツな写真ではありやせんが、一枚一枚の葉の中にも補色同士が共存している美しさや、あえて倒れ込んでいる茎もフレームインさせて、変化のある構図にした所など、あっしとしては、まあまあ気に入っている作品でやす。

みなさんは、この種類のカタバミで、子供の頃、遊びやせんでやしたか?
どういう遊びかというと、葉の真下を爪で切れ込みを入れて、外側の茎から茎の中心部分だけをスーツと抜き取る。
すると、葉の付いた茎の中心部分が出来上がりやすね。
で、茎の根元のほうを持って、二人で茎を絡めて引っ張って、葉が落ちたほうが負け、っていう遊び。
あっしは、おままごとやお人形さん遊びはまったくせずに、庭の隅や空き地でこんな遊びをよくやってやした。
この大きなカタバミを見ると、その頃の事を思い出しやす。




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「都内の人々」と「都下の人々」の違い [比較論]

他地域のかたは「東京」というと、東京都全部であり、全てが都会、と思っておられるかたも少なくないかも知れませんが、東京では、東京都の東の3分の1ほどの部分である23区を通称「都内」と呼び、それ以外の市町村を「都下」と呼びます。
そして、「都内の人々」と「都下の人々」は、言動、思考回路、メンタリティなどに大きな違いがあるのです。
私は約30年近くの間を都下のK市で生活し、今現在は都内のS区に居を構えています。
ですから、その両方で暮らした経験のある私・ぼんぼちは、両者の違いを、火を見るより明らかに解っているので、今日はみなさんに、「都内の人々」と「都下の人々」の比較解説をさせていただきたく思います。


・都内の人々は、イタリア料理のことをイタリアン、フランス料理のことをフレンチと、慣れた調子でこともなげに口にする。
都下の人々は、イタリア料理のことをイタリーの料理、フランス料理のことをパリーの料理と、気取って口に出してみる。

・都内の人々は、テレビで台風情報をやっていて、ヘクトパスカルという言葉が出て来た時に、「へえ、今度のは大きいんだね」とか「それほどの強さでもないね」と、家族で穏やかに話す。
都下の人々は、テレビで台風情報をやっていて、ヘクトパスカルという言葉が出て来た時に、あまりに耳新しい言葉なために、家族全員で目をパチクリさせながら顔を見合わせる。

・都内の人々が、近所の大きな通りに出ると、ザ・フーの◎マークのステッカーを貼ったペスパに乗ってモッズコートをはためかせた若者が、きちんと交通ルールを守って走っているのを見かける。
都下の人々が、近所の大きな通りに出ると、夜露死苦と書かれたステッカーを貼った黒いバイクに乗って紫色の服を着たツッパリが、信号無視をして暴走してゆくのを見かける。

・都内の人々の家庭のパソコンとテレビは、ネズミも走れないくらいに薄い。
都下の人々の家庭のパソコンとテレビは、猫が座れるくらいに分厚い。

・都内の人々は、近所の噂話を、SNSを通じて初めて知る。
都下の人々は、近所の噂話を、口から口へと、SNSより早い速度で知る。

・都内の人々は、隣に誰が住んでいるか判らないので、必ず玄関の鍵をかけて外出する。
都下の人々は、隣人が家族も同然なので、玄関の鍵をかける習慣がなく、外出している時に雨が降ると、隣人が干しておいた布団や洗濯物を取り込んでくれる。

・都内の人々は、街なかで欧米人を見かけるのは、珍しくもなんともないので、無反応。
都下の人々は、町なかで欧米人を見かけると、あまりの珍しさにドキドキと心拍数があがる。

・都内の人々は、俳優や歌手など、知り合いに芸能人が2人くらいはいる。
都下の人々は、梨農家やウド農家など、知り合いに農業の人が2人くらいはいる。

・都内の人々にとって、アマゾンは、ネットで購入できて自宅まで配送してくれるシステムの世界的大企業。
都下の人々にとって、アマゾンは、幼き頃に秘密基地を作った、自宅裏の小山。

・都内の人々にとってウサギは、愛くるしいペット。
都下の人々にとってウサギは、貴重な動物性タンパク源。


以上が、私・ぼんぼちが目にし、耳にし、体験してきた、「都内の人々」と「都下の人々」の違いです。
みなさん、違いをお解りいただけたでしょうか?
K市民からS区民になり早20余年、私もようやっと、都内の人々に馴染めた感がある、今日この頃です。
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鉄板の下から覗くオレンジ色の輪っか [写真]

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今回の1枚、構図といい色調といい明暗といい、あっしなりにとっても気に入ってやす。
ぼんぼちの撮る写真なので、今回も「これは何を撮ったものなのか」という具体性はどうでもいいのでやすが、気になる方もおられると思うので、一応説明しやすと、鉄板の低ーい屋根の下から覗いているオレンジ色のは、「ここより先は入っちゃダメよ」に使われる 棒の両端に輪っかの付いたその輪っか部分でやす。そう、よく工事現場でコーンの咲きっちょに引っ掛けてある。

で、この撮影場所は阿佐ヶ谷駅からほど近いラピュタ阿佐ヶ谷という映画館の前の道なのでやすが、その前の道、何故だか舗装してないんでやすよ。
だから雨が降ると、道に水溜りが出来やす。
そしてこのオレンジ色のは、水溜りが出来た時に「入っちゃダメよ」の役割りに使われる為に、ここに待機させてあるのでやす。
東京の、しかも23区内の、しかも駅近で、しかも映画館前で多くの人が行き来するのに、なんで今どき舗装されてない道があるのか、謎でやす〜





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お気に入りの器のお披露目 [器]

今日は、私・ぼんぼちのブログの読者のかたがたからのリクエストにお応えして、私のお気に入りの器達をお披露目させていただきます。


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①白地に藍色が無造作に散らしてあるところが心憎い 新進の作家物。
吉祥寺のセレクトショップで購入しました。
真上から見ると○ではなく、あえてO状に歪めてあるのも、遊び心が感じられます。
長い方の直径は、13センチほどです。



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②黒い筆さばきがダイナミックな一品。
これも、吉祥寺のセレクトショップで求めました。
直径は15センチ。 ほうれん草のサラダに凝った時、よく出動させていました。



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③古道具屋で目に留まった印判の小皿2枚。 左の方が、直径11センチほどです。
私は魚のモチーフというのが無性に好きで、今回お披露目しなかった物の中にもいくつか所有しています。
右のは、お正月に相応しい柄なので、おせち料理のとりわけ皿として毎年使っています。



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④2品とも織部焼の新進実力派作家・橋口信弘さんの作。 左の方が、高さ12センチあります。
左の方は国分寺の器屋、右は吉祥寺のセレクトショップにての購入です。
最初に左の湯呑に出逢ったのですが、その時、私の織部焼に対する既成概念が良い意味で打ち砕かれました。「こんなに古典を遺しつつも前衛的な織部を作られる作家さんがおられるのか!」と。
他に橋口さんの作品では、直径25センチの大皿を持っていますが、大きくて写真には収まりづらかったので、今回はアップしませんでした。



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⑤これも織部焼っぽいのですが、本物の織部かどうかは不明です。
けれど、私の価値基準として「何焼きか」である事より、私自身がいかに納得出来るかが大事なので、このダイナミックさに惹かれ、迷わず購入しました。 直径は11センチほどです。



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⑥西荻アンティーク街の1店で求めた直径12センチの小皿。
これも、お正月に合う絵柄なので、おせちの取り分け皿として使う事が多いです。
又、赤いお料理が映えるので、イクラやマグロの赤身などを盛ったりもしています。



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⑦高さ8センチの小さな伊万里焼。
黒っぽい料理をほんの少し盛るのが合うので、牛のしぐれ煮や昆布の佃煮などを酒の肴とする時に、出番としてます。
それから、年によっては、これに米を盛って、鏡餅の代わりにしたりもしています。 丁度よい大きさの緋色の正絹の敷物もあるので。



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⑧切子のガラスのグラス3品。 真ん中のグラスが高さ16センチです。
いずれも、近所のお宅の玄関前に「宜しかったら、どうぞお持ちください」と書かれた箱の中からいただいてきました。 3品とも手作業によるもので、かなりクオリティーの高い技術が施されています。
写真では解りづらいですが、左のはキリリとした直線による切子、真ん中と右のは、柔らかなテイストの花とツルがあしらわれています。 真ん中と右のは、同じ方向性の意匠なので、同じ工房で作られたものかも知れません。


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⑨左、高さ11センチの、1950年代のロカビリーファッションテイストのグラス。
国分寺のジャズ喫茶が経営する古道具屋で、非常に安価な価格で売られていたので、日本製だと思います。
中、お馴染みのレトロなかき氷の器。 本物の骨董ではなくレプリカなので、これもずいぶんとお安く購入しました。
右、江戸切子。 これは、かなり腕のいい職人さんの手によるものです。
少々お高かったけれど、赤の鮮やかさと細かな切子の見事さに惚れ込んで、買わずにはおれませんでした。


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⑩左、直径11センチの渋さが魅力の1品。
お茶道具を主に扱う店で見つけたのですが、内側の景色の美しさに、思わず「わあっ!」と声をあげ、即、「これ、下さい!」とレジに直行しました。
右、薄さもマチエールもちょっと金属っぽい、だけどれっきとした焼物の片口。
日本酒を入れるのにもいいですし、炒り豆腐や奴など、白いお料理を盛ると、とても映えてくれます。


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⑪アールヌーボー時代、ガレと双璧だったドームは、今現在もドーム社として工房が引き継がれ、新作が生み出されています。
これは、アールヌーボー時代のドームの作品作りに使われた雌型に、当時と同じくガラスを粉状にして詰めて焼く、という製法で作られた復刻版です。 長い所で20センチあります。
私はドームが好きで好きで、だけど本物のアンティークを買えるほどの大金持ちではないので、この復刻版で満足しています。 確か、新宿の伊勢丹で3万円くらいでした。
この1品が、私が所有している全ての器の中で、ダントツ一番のお気に入りです。



ということで、今回の記事は、私のお気に入りの器達のお披露目でした。
見てくださったかたがた、ありがとうございます。
みなさんは、この中で、「これ、なかなかいいんじゃない?」「アタシはこれが好き!」というの、ありましたか?
忌憚ないご意見、いただけると幸いです。




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色々な色の石 [写真]

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ビミョーに違うマチエール、色彩の石が、まとめてごそっと置いてありやした。
「これ、彩度を引き出す加工を施したら、面白い作品になるかも知れないぞ!」とやってみたら、撮ろうという段階で頭に思い描いた通りの仕上がりとなってくれやした。
まあまあ面白味のある1枚になったと、あっしなりに満悦してやす。

石、、、といえば、石頭という表現、考えてみたら、すでに死語でやすね。
あっしが子供の頃は、「そんな融通もきかせられないのか、このっ石頭がっ!」なんて言葉をよく耳にしたものでやすが、今はまず聞かないし、自分も言わないでやすね。
で、ふと、今の若い人の間で「石頭」に相当する砕けた言い方って何かあるのかな?と思いやしたが、あっしには思い当たりやせん。
「このっ、石頭がっ!」の所、今はなんて言ってるんだろう〜?




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みちさんとめりーさんが撮ってくださったポートレート [ポートレート]

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先日の9月21日、高円寺の音楽カフェ・ヤミーにて、リンさん、みちさん、めりーさん、そして私・ぼんぼちの4人で、女子会をやりました。
午前の11時半からスタートして、お酒も飲み、美味しいお料理も食べ、いろんな話しもして、お店を出る時は夕方の5時になってました。
この4人で集まるのは2度目なので、最初からリラックスした雰囲気で、まったりゆる〜く楽しい時間が流れて行った、という印象でした。

そんな宴のさなか、みちさんとめりーさんが、ぼんぼちが気づかないうちに、ほろ酔いのぼんぼちを撮っていてくださいました。 上がみちさんが撮ってくださったもので、下がめりーさんが撮ってくださったものです。
「ハイ!撮るよ!」とカメラを向けられると、ついキメの笑顔を作ってしまうのですが、自分が知らないうちに、しかもほろ酔いのところを撮っていただくのは、貴重なので、とても良い記念となりました。

リンさん、みちさん、めりーさん、楽しいひとときをありがとうございました!
またいつか、この4人で集まれると嬉しいです!

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重ねられた青いペンキの剥げかかった鉄板 [写真]

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近所の工事現場に積まれていた、青いペンキが剥げかかった鉄板。
ちょっといいかげんに凸凹に積まれている所と、青いペンキがたくさん残っていたり殆んど剥げていたりする所に面白味を感じ、迷わず撮り収めやした。
加工は、青の鮮やかさと暗い部分を強調するために、少しコントラストを強めやした。
この写真も、これが何であるか、という事は判らなくていっこう構わないので、図案的なバランスを観ていただけると本望でやす。
記録写真ではなくアート写真なので。

ここの工事現場、あっしんちからほんのすぐなので、毎日通る道沿いにあるのでやすが、先日、「わあ、日に日に変わってゆくなあ」と見ながら歩いていたら、作業員さん達と目が合っちゃいやした。
すると作業員さん達は、満面の笑顔で「お姉さん、こんにちは!」とおっしゃいやした。
外でのお仕事って、夏は暑いし冬は寒いしで、ついしかめっ面で作業をすすめてしまいそうでやすが、通りすがりの近所の者にも笑顔で挨拶してくださるなんて、なんて素敵な作業員さん達なんだろう!と、尊敬の念を抱かずにおれやせんでやした。




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人間として最低だったデザイン教師Y [独り言]

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私の通っていた中高は美術学校だったので、美術の教師の数が最も多かった。 絵画教師三名、デザイン教師三名、美術理論教師一名、美術史教師一名、と。
そして、他の教科の教師よりも美術教師達のほうが権限を持っており、美術教師同士の間では、派閥争いが、生徒の目から見ても凄まじいものがあった。

中、私が高一になった時、Yという四十代独身のデザインの女教師が、担任となった。
Yは、水商売を生業とする女性を執拗に軽蔑したり、毎日、そうじ当番と一緒にせっせと教室のそうじに励んで、生徒の人気取りに懸命だったりと、私達生徒に、特に評判の悪い教師だった。

又、登校中に、最寄り駅から学校までの道すがら、私を見つけるとまるで影のようにぴったりと貼り付いてきて、学友の事や家庭の事を根掘り葉掘り聞いてきたり、夏季旅行の時のパジャマは派手で宜しくなかったとか、制服のベストがタイト過ぎるとか、学校に到着するまでひっきりなしに、ヒソヒソ声で一方的に話し続け、私は何か、この教師に狙われている感を覚え、Yと遭遇する度に、嫌あな気持ちになっていた。

と、そんなある日ーーー
Yから突然、自宅に手紙が送られてきた。
内容は、、、
「この手紙はぼんぼちさんにだけ出しています。 ぼんぼちさん、他の美術教師の言う事なんて聞いてはダメです! 私の言う事だけを聞いて、私だけに着いて来なさい。 先生は誰よりもぼんぼちさんの事を思いやっています。、、、、、」
そしてその後は、自分は戦時中に食べる物も食べられなくて如何に苦労したかが、長々と書かれていた。
私の中の嫌あな気持ちは、コップの水が溢れ出す様に、誰かに吐かねば精神が治まらないところまで来てしまった。
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翌日、一番仲良しのクラスメートのKさんという子に、手紙の顛末を打ち明けた。
するとKさんは、目を丸くして声をあげた。
「えぇっ!!それとまったく同じ文面の手紙、うちにも来たよ!」
私達二人は顔を見合わせて呆れ、ため息をついた。

私はこのままでは治まりがつかないので、Y宅に「私に出したのと全く同じ文面の手紙、Kさんにも出しましたよね。 私は、そのような事をするY先生を信頼出来ません。 憤りの気持ちでいっぱいです。」と返信した。

何日か経ってーーー
夜、うちの電話が鳴った。
Yからだった。
Yは、「こんな手紙を先生に送りつけて来るなんて、警察に訴えますっ!! 云々、、、」と、ヒステリックで理論に欠けた文句をわめき散らし、ガチャン!と電話を切った。
私はあまりの呆れ返りに、もぅ返す言葉もなかった。

以来、Yは、学校でも登校時でも、私を透明人間の如き無き者として扱った。

私がデザイン教師Yから学んだのは、「人間とは、どれほど汚いものか」であった。

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自転車の影 [写真]

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車のヘッドライトを光源として、白い建物の外壁に映る自転車の影。
こういう写真って、すでに何人ものかたがどこかで何枚も撮られていると思う、つまり、ぼんぼちの個性のない写真なのでやすが、完成度高く仕上がったので、ここに公開しやす。
個性がないので、あっしとしてはイマサンくらいの作品でやす。

自転車、みなさんお乗りになれやすか?
あっしは乗れやせん。
小5の時に買ってもらって、家の脇の私道で猛特訓したんでやすが、いつまで経ってもぐらぐら揺らいでしまって、少しもまともに走れやせんでやした。
そうこうしてるうちに6年生になり、中学受験の勉強を始めなければならなかったので、自転車の猛特訓は了りとなりやした。
でやすから、ぼんぼちは、最寄り駅や近所に買い物に行くのに、歩いてやす。
それしかない人生を歩んできたので、つまり自転車の便利さを知らないので、別に不便だとは感じてやせん。




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ゴールデンカップスは「混血グループ」として売り出されていた [音楽雑記]

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私はあと追いのゴールデンカップスのファンである。
ブルース、R&Bからニューロックまでを、非常にクオリティ高くこなす音には、何度、CDやレコードを聴いても、ノリノリにのめり込んでしまう。
そしておのずと、カップスのメンバーやプロフィールについても興味が湧いたので、調べた。

なんと!彼らは、メジャーデビューするにあたって「全員がアメリカ人との混血である」というプロフィールとともに売り出されていたのである!

現実には、メジャーデビュー時のメンバーは、デイヴ平尾さん、エディ藩さん、ルイズルイス加部さん、マモル・マヌーさん、ケネス伊東さんなのであるが、唯一、ルイズルイス加部さんだけがアメリカ人との混血で、ケネス伊東さんは日系アメリカ人二世、エディ藩さんは華僑、あとの二人は純粋な日本人なのである。
つまり、アメリカ人の「血」が入った「混血」は、一人しかいないのである。
ジャケ写を見ても、「はて? 全員が混血??? いやいやいや」と、一目瞭然だ。

しかし、当時、1960年代後半の芸能界好きの若者にとって「アメリカ人との混血」というのは、憧れの対象であり、メジャーとして売り出させるにはうってつけの戦略だったのだろう。
実際、「キャーッ!全員、混血なのね!イカしてるぅー!」と、それを理由に飛び付いた若者も、少なからずいたことだろう。

それにしても「混血」って呼び方には時代を感じるね。 ハーフじゃなくて混血。
だがしかし、カップスの音には、少しも古さを感じない。
あの時代の日本で、あれだけ日本人離れした音を出せていたとは、舌を巻かずにおれない。
理由は、ケネス伊東さんが出身国柄、アメリカの音楽に精通していて、カップスにはアメリカの音が流れ込みやすかった事、メジャーデビューする前は、横浜のしかも本牧で活動をしていた事、に他ならない。

「全員混血のグループ」は偽りだったが、「混血的音楽グループ」なら、実に正しいプロフィールだと、大きく頷けるところである。
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