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演技のレッスンの後は、カフェ・ヤミーで! [喫茶店・レストラン・カフェ]

少し前の記事をご覧になった方々は すでにお解りのことと思いますが、私・ぼんほち、2月の下旬から演技のレッスンに通っておりまして、マンボウが明けてからは、帰路途中に 高円寺の馴染みの音楽カフェ・ヤミーに立ち寄り、夕飯を摂り 美味しいビールをいただくことにしています。
ヤミーは人気店で、貸し切りや満席になる日もしばしばあるので、マスターに「レッスン終わって来る時は電話してね」と言われたので、スタジオを出たら 電話をして席をリザーブしていただいてます。

レッスンは4時間と決して短くはなく、又、食事直後は、血液が消化器官に集中してしまい、ただでさえ良くない滑舌が最悪になってしまうため、少々小腹が空いた状態でスタジオ入りするので、終了後は非常に空腹になっているのです。
それから、その日のレッスンの模様を高揚した気持ちで誰かに聞いてもらいたい!というのもあり、マスターもママさんも、お忙しい中 耳を傾けてくださるので、とてもスッキリできます。

ヤミーとは、オープン2週間目からの7年以上のお付き合いで、レコードやCDをいただいたり、オフ会会場に使わせていただいたり、クレジットカード払いでしか買えないブルースライブのチケットを代行で買っていただいたり、親友が急病になった時に救急車を呼んでいただいたりと、山のようにお世話になっています。

これらの理由から、レッスンが終わってからの夕飯&飲みはヤミーで!は、私の中で定番のコースとなりつつあります。

先日、食べ切れないほどフードメニューを頼んでしまったら、快く こんなに綺麗にお土産にしてくださいました。
豚の三枚肉を塩とハーブで味付けした 洒落た一品です。
翌日の気の利いた酒の肴になりました。

マスターもママさんも、ありがとう! これからもよろしくね!

尚、第3回第4回のレッスンのリポートは、4月13日に公開する予定です。

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秋葉原に在った喫茶店「古炉奈(コロナ)」の思ひ出 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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あれはまだ、私が朗読のレッスンも受けていて、かつブログも始めていた頃だから、およそ十二年ほど前の事になる。
朗読の自主練に使う為の録音機材を、その方面に明るい友人に見立ててもらう という理由で、二人で秋葉原に出向いた。

機材を買い終わり、どこかで一休しようという話しになった時、友人は、「それなら『古炉奈(コロナ)』がいいよ! ぼんぼちちゃん、絶対気に入るから!」と、寸分の迷いもない口調で提案した。

古炉奈は、秋葉原駅に隣接したアキハバラデパートのニ階に在った。
大きな窓から、贅沢過ぎる程に陽が入り、広々としたフロアには、ぽつり ぽつりと、十二分にプライベート空間を満喫出来る間隔で、焦げ茶色のスマートなテーブルと椅子が配置されていた。
友人は、「ここのテーブルと椅子は、長野の松本民芸家具のなんだよ」と指した。
どおりで、細い造りながらも重厚感のある レトロかつ洒落た 品のいいテーブルと椅子だった。
ーーーという事は、ここは数在る喫茶店ジャンルの中では民芸喫茶になるのだな、と思った。

民芸喫茶は、私はかなり好きなジャンルの喫茶店で、中学一年の時からあちこちの民芸喫茶の扉を押して来た。
有名所だと、新宿の「青蛾」あたりには、学校帰りに 勘定不可能なほど立ち寄っていた。

民芸喫茶というと、大抵、ニスの塗られていない木造りの薄暗い内装に、棟方志功の版画 棚には益子焼きの器というのがお決まりだったが、これほど明るくスタイリッシュで まるで軽井沢の高級ペンションのような民芸喫茶は珍しいな、と見回した。

メニューが運ばれて来るや友人は、「ここは炭火焼きのアイスコーヒーが美味しいよ!」と薦めるので、それを頼んだ。
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運ばれて来たのはーーー
ミスト状態に冷やされたフルート型のシャンパングラスに入れられた 氷の入っていない 真っ黒なアイスコーヒーだった。
一口、口に含むとーーー
濃く 苦く ひんやりと、松本家具同様に、重厚感のある味わいだった。
これなら!
私は、ある飲み方を試してみる事にした。
こういう方向性のコーヒーを出す店は、ミルクは、近年開発された植物性のコーヒーフレッシュではなく 100%純正の生クリームに違いないぞ! だとしたら、グラン・エ・ノアール(琥珀の女王)の様に、生クリームをフロートして飲んでみよう! と。
添えられた長いスプーンにピッチャーのミルクを一垂らし流し入れて確認してみると、やはり100%純正生クリームだった。

私は、スプーンの背をグラスの内側にあて、生クリームを静かに一センチ程の厚さに注ぎ、フロートした。
ーーー私は昔、カクテルラウンジでアルバイトしていた経験があるので、フロートのやり方を知っていたのだ。
しかも、リキュールにリキュールをフロートするなどというのは 比重が近い同士なので難しいのだが、生クリームは非常に比重が軽いので、フロートするのは、訳無い技術なのだ。

ちなみに、生クリームをフロートするカクテルの代表格には「エンゼル・キッス」というのがあるが、あれなどは、見た目は凝ってはいるが、バイト初日から作れる極めて簡単なカクテルなのである。

飲んでみると、予想通り! 生クリームの濃厚さと濃くて苦いコーヒーの力強さが上手く共演し、二種の味を同時に享しめた。

ふとカウンターの方を見やると、三人ほど並んで立っていらっしゃるウエイトレスさん達が、揃って 目を丸くして「驚きを隠せない!」といった面持ちで、私のグラスを凝視していた。

友人は、「あと何年かしたら、アキハバラデパートは取り壊されちゃうから、この店も無くなっちゃうんだよ」と耳打ちした。

あれから十二年ーーー
友人の耳打ち通り、古炉奈も無くなり、私の知る限り、街からは、阿佐ヶ谷の「珈司」を最後に、民芸喫茶も一軒も無くなってしまった。

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純喫茶から早々に消えていったフルーツポンチ [喫茶店・レストラン・カフェ]

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純喫茶(あっしの指す純喫茶とは、最近 流通している「単に古い喫茶店」という意味ではなく、特殊喫茶があった時代の真の意味での「純然と飲食を享しませる喫茶店」という意味での純喫茶でやす)で、1960年代後半に 早々に消えていってしまったメニューがありやす。
それは「フルーツポンチ」でやす。

ここで、純喫茶のフルーツポンチが解らない世代のかたに簡単に説明しやすとーーー
脚の付いた大きめのゴブレットに、あの毒々しい緑色のメロンのコンクを水で割った、いわゆるまがい物のメロンジュースの中に、サイコロよりももっと小さな直方体にカットされた リンゴ 缶詰めパイナップル 缶詰めピーチ のざくざく入った、今思い返すと、パーティー会場でホテルマンさんが注いでくれるのとはまるで別物の、チープで 明らかに幼い子供を対象としたデザートメニューでやした。

1962年生まれのあっしは、最も古い記憶が1965年でやすから、その時代はすでに、パイン缶もピーチ缶も、日常利用するスーパーで安価に売られていて、しょっちゅう茶の間で口にする、別段 嬉しくも何ともないデザートで、飛び上がって喜ぶフルーツは、マスクメロンくらいの時代になっていやした。

加えてその時代、純喫茶にはもう、パフェ アラモード サンデー といった アイスクリームと生クリーム盛り盛りの、派手で美しいデザートメニューがあったので、それらに対してフルーツポンチは、ビジュアル面でも ただただキッチュなだけで、見劣りのする 目にも舌にも魅力に欠ける、イマイチ イマニのメニューでやした。

なので あっしは、フルーツポンチを食べてみたのは、ほんの一、二度ほどで、すぐに デザートの選択肢は、パフェ アラモード サンデー の中から、小さな頭を振りながら嬉しく悩むこととなりやした。

あっしと同じに感じていた同世代の子供達は多かったのでやしょう。
1960年代後半には、メニューにフルーツポンチが記載されている喫茶店は、殆どなくなっていやした。
ーーー唯一、現代までメニューに載せ続けていたのは、近年惜しまれつつ閉店した 浅草のアンヂェラスくらいのものだったと思いやす。

「純喫茶にはフルーツポンチというメニューがあった」という事実、当時を知る人と純喫茶マニアなら当たり前の情報としてご存知のこととお察ししやすが、一喫茶店マニアとして、それを知らないかたがたへ、ささやかに ここから発信しておきたく思う所存でございやす。
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上野の喫茶店「coffee shopギャラン」で70年代にレッツゴー!! [喫茶店・レストラン・カフェ]

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JR上野駅周辺は古い喫茶店の宝庫ーーー「古城」「王城」「マドンナー」「純喫茶・丘」「coffee shopギャラン」等々ーーーな訳ですが、その中から今日は、「coffee shopギャラン」をご紹介したいと思います。

coffee shopギャランーーー
JR上野駅・不忍口から大通りを渡って小路に入るや、ギラギラした電球の看板とメニューのサンプルが、上野らしい前時代的匂いを発散させています。
フロアへの階段を上がる途中にも、電球でこさえられた店名がギラギラしており、否が応にも、この店名が脳裏深くに刻み込まれます。

二階フロアにたどり着くと、天井や壁の照明が、やはり 「これでもか!!」と言はむばかりにギラギラしており、この店は「省エネ」という言葉が誕生する遥か以前に誕生した事がうかがえます。

ーーーと、店員さんが現れ、人数を聞かれます。
ウエイトレスさんの制服は、黄色い角襟のブラウスに赤地に黒と黄のチェックのチョッキに同生地のプリーツスカート。
ウエイターさんの制服は、黒いシャツに黒いズボン、ウエイトレスさんと同じ赤地のチェックのチョッキ。
いずれも、左胸の所に「coffee shopギャラン」と、ミシン刺繍がされています。
この時点で、気分はかなり70年代です。

人数によって通される席は違いますが、どの席も 茶色の革張りのゆったりとした椅子で、ここでますます70年代感アップです。
メニューは、定番のコーヒーや紅茶から、昔ながらの盛り付けのパフェまで。
細部に至るまで、70年代をないがしろにしていません。

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そして、極めつけは、何といってもBGMです。
小さすぎず大きすぎずの音量で、次々と流れてくる曲は全て、70年代前後の流行歌なのです!

友人と行った折には「これ歌ってた人は、一発屋だったよねー」とか「この頃、私はまだ中学生で、深夜放送でよく聴いてたよ」等と、おのずとそういった話題になります。
又、一人で入店した時は、100%BGMに浸り込め、「なるほど、当時の自分は子供だったから意味が解らなかったけど、この歌の詞は、こんなに切ない恋心を歌っていたのか」とか「スナック歌謡というのも、今聴くと、なかなか乙なものじゃああーりませんか」と、全身全霊、完全に70年代に持ってゆかれます。

殊に、自分にとって特別に思い入れのある歌い手さんや作家さんの曲になると、「おおっ!」と、革張り椅子から身を起こさずにおれなくなります。

私が前回行った時には、ジュリーの「コバルトの季節の中で」とタイガースの「花の首飾り」がかかり、王子様の様に美しかった頃のジュリーが眼前に浮かび、時の流れの悲しさ・残酷さに涙にむせび、この写真を撮った日は、私の人生に最も大きく影響を及ぼしたマルチ表現者・寺山修司氏作詞の「時には母のない子のように」がフロア中を包み込み、「あぁ、私も もう少し早く産まれてさえいれば、生で寺山さんの舞台を観に行けたのになぁ、、、」と、ちょっと悔しさが湧きいでてしまいました。

次から次へと流れる70年代前後の流行歌、、、その中には、70年代をリアルタイムで生きたアナタの思ひ出の曲もきっと流れる筈です。
ヒデキの「ギャランドゥ」が流れる可能性も、、、勿論 大アリです。
なんせ店名が「ギャラン」ですから。

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バターマルメで形成されたバター [喫茶店・レストラン・カフェ]

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一流ホテルのレストランなど 格のあるレストランへ行くと、パンにつける為のバターが、表面が格子状の凸凹になっていて 直径ニセンチほどの丸型の事がある。
私は小学生の時から「この形はどうやって作るのだろう? 型抜きした感じでもないし、、、」と ずっと不思議に思っていた。

そして三十代半ばのある日、入ったレストランがやはりその形状のバターだったので、思いきってホール係りのかたに「このバターは、どうやって形作るのですか?」と 尋ねてみた。
するとホール係りのかたは笑顔で「これはですね。持ち手の付いた掌サイズの洗濯板みたいなものがありましてね。それを二つ持って サイコロ形にカットしたバターを挟んで こうやって(挟んだバターをコロコロと転がすアクションをしてくださり)作るんですよ」と 教えてくださった。

私は「なるほどー!」と 長年の謎が解け、目からウロコの思いだった。
確かにこの方法なら、四角いバターそのままより 遥かに洒落た見栄えと成り、かつ そう大仰な手間も掛からずに 格のあるテーブルに相応しい見てくれのバターが作れるのだった。

時は経ち、私は西洋料理よりアジア料理を好んで食する様になり、格子柄の丸いバターの事は、頭の片隅に 小さくぼやけてしまっていた。

と、先日、気まぐれにネットサーフィンをしていたら、あの格子柄の丸いバターの話題が出てきた。
連動して、あのバターを形成する 持ち手のある掌サイズの二つでワンセットの洗濯板状の道具は、「バターマルメ」という名称だという事が判った。

ここで再び目からウロコだったが、同時に、あまりにも使用法そのままのネーミングなので、少し笑ってしまった。
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神保町の喫茶店「神田 伯剌西爾(かんだ ぶらじる)」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

今日は、神保町散策の折には是非ともお寄りいただきたい 喫茶店マニア・ぼんぼちイチオシの喫茶店を ご紹介します。

「神田 伯剌西爾(かんだ ぶらじる)」
この喫茶店、何故イチオシかというとーーー

先ず、コーヒーが驚くほど美味です。
「都内でコーヒーの美味しい喫茶店はどこですか?」と問われたら、私は迷うことなく、山谷のバッハと ここ神田 伯剌西爾を挙げます。
看板メニューの「神田ぶれんど」は、苦味が強く 奥行きがあり かつ濃すぎない 完璧な味わいです。
他にも、アイリッシュコーヒーなどのアレンジコーヒーや、又、コーヒー以外には、カルーアコーヒーリキュールの掛かったカルーアアイスクリームやコーヒーゼリー、コーヒーに良く合うタイプのケーキ数種類があります。

20210226_111053.jpg次に、内装が、実に落ち着く和のテイストでまとめられた 焦げ茶色の渋い設えなのです。
奥の一角は、囲炉裏をぐるりと囲んで座る席になっています。
壁に掛けられている額も、圧迫感のない 和に馴染むものばかりです。
そのような内装に合わせて 照明も明る過ぎず、かといって 買ったばかりの古本をぱらりぱらりとやるのにも 全く困らない明度はあります。

そして、喫煙者には嬉しい 今となっては貴重な存在となった 喫煙OKの店でもあるのです。
「あら、それなら私、嫌だわ。 煙、苦手だもの」と思わずつぶやかれた そこのアナタ、ちゃんと禁煙室も別にあるのでご安心を。
階段を降りると すぐ脇にレジがあり、その右手が禁煙室になっていて、喫煙室は、左に向かう通路を歩いてその奥にあるので、禁煙室にまで煙が流れ込んで来ることは、先ずありません。
なお、囲炉裏は喫煙室のほうにあるので、囲炉裏席を愉しみたいかたは、煙に耐えられるのであれば、喫煙室を選ばれると良いかと思います。

20210226_111125.jpg私・ぼんぼちは、リトルシガー(葉巻の中で一番細いサイズのもの)愛煙家なのですが、こちらの神田ぶれんどのブラックとリトルシガーは最高に相性がいいな!と実感しています。
最初に、神田ぶれんどのブラックをカップの半分くらいまで飲み、リトルシガーをくゆらせる。
一本くゆらせ了ったところで、後の半分の神田ぶれんどを干す。
そして、二本目のリトルシガーに火を着ける。
ブラックコーヒーの苦味の残り香のある口の中に リトルシガーの甘い香りが混じり合って、口腔内が 得も言われぬ心地良さでいっぱいになるのです。

私と同じに感じている人は多いらしく、他の喫煙可の喫茶店より、ここ神田 伯剌西爾は、シガレット(紙巻き煙草)や 今流行りの電子タバコを吸う人に対して、世間的にはあまり一般的ではないリトルシガーのお客さんの率が、非常に高いです。

中にはドライシガー(本格的に専用の道具を使って吸う太い葉巻)を咥えているかたもおられます。
又、店員さんも全員がとても愛想が良く 気が利かれて、いつも私が座るテーブル席に空きがなくて カウンター席に座っていたら、しばらくしてベテランの女性ウエイトレスさんが「テーブル席が空きましたので、宜しかったらどうぞ!」とすすめてくださり、いたく感激したこともあります。

今、私は、ここ神田 伯剌西爾で至福のひとときを味わいたいがために、自宅のある西荻窪から神保町まで、週に一度は出向いています。
それほどに、大きな価値を感じずにはおれない 最上級の喫茶店です。



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昭和40年代に定番だったケーキあれこれ [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和40年代、ケーキはまだ 喫茶店では、ケーキ屋併設の喫茶室以外では、どこにもなく、又、ケーキというもの自体が、日常的に食するものではなく、誕生日かクリスマスか 知人が特別感を持った日の土産として買ってきてくれるのみだった。

ケーキのラインナップは、大抵、ショートケーキ モンブラン スワン タヌキ サバラン アップルパイ、そんなところだったと記憶している。

ショートケーキは、苺ショートが出るのは春先だけで、その他の季節は、確か マスクメロンのスライスが乗せられている事が多かった。
当時 苺は、春にしか出回らない食材で、ちなみに クリスマスケーキも誕生日のケーキも、ホールケーキはバタークリームかチョコレートの二択だった。

モンブランは、カステラの土台にトッピングのニョロニョロはきんとんみたいにまっ黄色で、上には これまたまっ黄色な甘露煮の栗が鎮座していた。
味もきんとんそのもので、今思い返すと、あれは「半和菓子」だった。

そして、スワン。
これはシュークリームの上部のシューを半分に切ってスワンの羽の様にクリームに刺して スワンの首を模した「S」の字型のシュー生地をクリームの端っこにつけたものだった。
スワン形にせずに 単に「シュークリーム」という商品名で出していた店も少なくなかったが、私は、一寸工夫して あの美しいスワンに見立てる という意匠に、幼心に惚れ惚れしていた。
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それから、タヌキ。
これもまたカステラの土台に生クリームを雪だるま状に絞り チョコレートでコーティングし 目鼻をチマチマッと描き チョコレートの薄く丸く小さな耳をつけて タヌキの姿にしたもの。
店によっては「タヌ公」「ポン太」「タヌ吉」、そんなネーミングを与えられていたりもしていた。
私はどうも、見た目もネーミングもお洒落度が低いので、このケーキは食べる気にはなれなかった。

あとは、サバラン。
砂糖とホワイトラムを加えた水を熱しラムのアルコールを飛ばし ブリオッシュにたぷたぷに浸し、ブリオッシュの首の所を切って生クリームを少量挟みこんだもの。
私は幼い頃からラムの香りが無性に好きで、このサバランが圧倒的に好みだった。

最後に、アップルパイ。
これが一番 今現在売られているものと違いが少ないように思うが、やはり 現在のと比較すると、パイ生地のサクサク度 焼きリンゴのシャクシャク度が低かったように思う。

以上、昭和40年代に街によく在ったケーキ屋のケーキというのは、こういったものだった。
尤も、横浜や神戸や どこかの一流ホテルで修行をしてきた職人さんが開いた店には、世間一般的にはもっと時代が下ってから登場するケーキが並んでいたのかも知れないが。

だから、当時は、チーズケーキもミルクレープもコーヒーゼリーも無かった。
それらが一般的に市民権を得たのは、1970年代である。
ティラミスなんてのはもっと後で、1980年代バブル期だった。

あれらのケーキ、カステラを使ったものはパサパサでキメが粗く、生クリームを使ったものは、どへっと重たい食感がした。
したがって今食べると、決して「美味しい!」とは声を上げられない代物だと思うが、懐かしい「気分」先行で、も一度口にしてみたい気もしないでもない。

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昭和の喫茶店の王道デザート・パフェ サンデー アラモード [喫茶店・レストラン・カフェ]

私が子供だった昭和四十年代、街街に在る喫茶店のデザートメニューといえば、パフェ サンデー アラモード アイスクリーム シャーベット プリン フルーツポンチ クリームソーダ でした。

お若い方はご存じないかとお察ししますが、その頃はまだ 喫茶店にケーキというメニューはなかったんです。
あるとすれば、ケーキ屋併設の喫茶店だけでした。
現在も遺っている「喫茶」と冠した店には、今 当たり前の様にケーキメニューがありますが、これは、時代がくだってから加えられたメニューなんです。

昭和四十年代の喫茶店では、冒頭に列挙したものがデザートメニューだった訳ですが、その中でも特に子供達に人気だったのは、豪華で華のある パフェ サンデー アラモード でした。
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パフェは、フルーツパフェ チョコレートパフェ バナナパフェ、春にはストロベリーパフェも仲間入りしていました。
ゆりの花の様な縦長の縁のひらひらっとしたガラス器に、これでもか!というほどに、素材が、それはもう美しく盛り付けられていました。
中でもフルーツパフェの極彩色の華やかさは、群を抜いていました。
底に沈められたメロンコンク、たっぷりと詰められたバニラアイスクリーム、うず高く絞られた生クリーム、缶詰めのとりどりのフルーツ、横から見ると五〜六段のVの字にカットされ ずらし重ねられ長々と延びるリンゴの飾り切り。
そして、斜めにスライスされたアンゼリカ。
アンゼリカは、今では菓子材料店くらいでしかお目にかかれなくなってしまいましたが、当時 パフェにアンゼリカがちょこんと鎮座している確率は とても高かったと記憶しています。
ジャリジャリと甘いだけで、別段美味しい素材ではありませんでしたが、あのキッチュな緑色は、子供心をテンションアップさせる名脇役でした。

次に、サンデー。
これは、バナナサンデーとチョコレートサンデーがありました。
脚の付いた横長のガラス器に、いずれも横長にデコレーションされていました。
チョコレートサンデーの場合、チョコレートのアイスクリームとバニラアイスクリームが二つ並んでいるので、どちらを先に攻めるのか 嬉しく悩んだものです。

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そして、アラモード。
アラモードといえば、必ずどこの喫茶店にもあったのが、プリンアラモードでした。
アラモードも又、サンデーと同じ横長のガラス器で登場しました。
メインのプリンは、ほろ苦いカラメルがプリン本体に馴染んだ 硬めのカスタードプリンで、あのほど良い硬さを 舌と上顎を使って潰すのが、何とも心地良かったものです。
私と同世代の方は、「プリンといえば、あの硬いカスタードプリンこそがプリンである!」と譲れない向きも多いのではないでしょうか?

これらが、昭和四十年代の喫茶店の人気デザートメニューです。
時代が進み、運送技術・冷凍技術・解凍技術も進んだ近年、マスター一人で営られている小さな喫茶店でも、仕入れのケーキを出す事は非常に安易になり、又 客も、喫茶店にはケーキがある事を当然と認識する様になり、作る手間と技術を要する パフェ サンデー アラモード は、次々と喫茶店のメニューから姿を消してしまいました。
唯一 生き残っているのは、大人仕様に高級化されたパフェだけでしょうか。

私は年を取って 甘い物が好きではなくなりましたが、喫茶店は数少なくも遺ってはいるものの、これらのデザートがほぼ絶滅と言っても過言ではない状態になってしまった事に、一抹の寂しさを覚えずにはおれない次第です。

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渋谷のロック喫茶「B.Y.G」で至福の音楽タイムを過ごす [喫茶店・レストラン・カフェ]

喫茶店マニアであれば外せない喫茶店ジャンルに「ロック喫茶」がある。
東京でロック喫茶といえばーーー
そう、今は無き国分寺の「ほら貝」と、渋谷・円山の「B.Y.G」である。
今回は、先日久しぶりにB.Y.Gを訪れたので、その時の様子を記したいと思う。

pm5:30 早々に、ステッカーがびっしり貼られた扉を押し、落書きで埋め尽くされた薄暗いウッディな一階席に陣取る。
一階スペースには、既に 他に二組の客が入っていた。

20200818_165954.jpg一応メニューを確認し、ハイネケンとナポリタンを注文する。
同時に、卓上のリクエストカードに「初期のヤードバーズ」と書き、フロア係りの女の子に「アルバムの指定はしませんが、とにかく初期のヤードバーズをかけて下さい」と渡す。

ハイネケンにグラスは付いて来ない。
ラッパ飲み。
他の店であれば、私はグラスを所望するところだが、この店では ちょっとお行儀の悪いラッパ飲みがよく似合う。

ヤードバーズが流れ始める。
まだカバーを演っていた頃の 極く極く初期のアルバムである。
レコード盤をかけているので、針音がアナログ感を盛り立てていて それも心地良い。
ハイネケンのボトルを片手にリズムを取り、軽く酔いがまわるのを享しむ。

客がもう一組入店。
ナポリタン運ばれて来る。
ピーマンたっぷりで、私好みのナポリタンである。

20200818_170041.jpg他の客はリクエストをしていない様なので、ではもう一つと、今度はカードに「ジャニスジョプリン」と書き、「これも、アルバムは指定しないので」と 先の女の子に。

唇を朱く染めつつ、ブルージーで破滅的なジャニスに舌鼓を打つ。

〆めにはティオぺぺ。
フィッとあおり、唇を整え、焦げ茶色の席を立つ。

会計カウンターで会計を済ませると、厨房&レコード&会計係りのお兄さんが、「ありがとうございました。是非また いらして下さいね」と 笑顔で会釈して下さった。

目にも舌にも、そして何より耳に、至福のひとときであった。
ヤードバーズとジャニスを頭蓋に回転させながら、円山の町の坂をゆらゆらと下った。
次回は、初期のホリーズとアニマルズをリクエストしようかな、などと思いつつ、、、



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昭和のレストラン喫茶の定番メニューだった「イタリアンサラダ」 [喫茶店・レストラン・カフェ]

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昭和の時代は、街のそこここに喫茶店が在ったのみならず、まとまった西洋料理もゆったりと食せて 飲み物やスイーツだけでくつろぐことも出来る レストラン喫茶もあちこちで賑わっていた。
我が家は外食中心の家庭だったので、それはもう何店ものレストラン喫茶の扉を押してきた。

父はハンバーグにコーヒー 母はステーキにコーヒー 弟はピザにプリンアラモード 私はビーフカレーにフルーツパフェ。
だいたいそういったメニューを各々の前に並べ、加えて四人で一つ注文するサイドメニューが 必ずあった。
それは、イタリアンサラダであった。

当時のレストラン喫茶には、大抵サラダが、グリーンサラダ コンビネーションサラダ イタリアンサラダと三種類あるのがお決まりだった。
グリーンサラダは、レタスとキュウリとトマトにパセリが飾られただけのオーソドックスなもの。
コンビネーションサラダは、グリーンサラダにホワイトアスパラの缶詰めが添えられた ちょっとバージョンアップしたもの。
で、イタリアンサラダというのは、グリーンサラダに、プロセスチーズとチェダーチーズがスティック状にカットされたものと オリーブ色とブラックのオリーブのスライスと サラミの千切りが一面に散らされた、豪勢な 価格も三種の中で一番高いサラダだった。

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我が家が何故、イタリアンサラダばかりをテーブルの真ん中に置いてきたかというと、別段 トッピングされた具材が気に入っていた訳ではなく、母の「安いモンを頼むと貧乏人だと思われてみっともねーーーっ!!」というポリシーからだった。
そのくせ母は、マナーについての「貧乏人だと思われては、、、」という発想はみぢんも無かったらしく、カレーやピラフを食べる時はスプーンをグーで握り持ち、煙草を吸う時、手の届く距離に灰皿が無い場合は、食べ了えた食器を灰皿がわりに使って、椅子の背もたれに片腕をもたせ掛け 脚を組んでふんぞり返って プハーッとやっていた。

そんな理由・思い出と連結している一品なので、特別 感慨深さも懐かしさもないメニューなのだが、今現在 喫茶店が限りなく絶滅の方向に向かっているのと同様、レストラン喫茶も絶滅の一途に突き進んでいるのは、火を見るより明らかである。
しかも たとい今でも、レストラン喫茶と冠し、同店名で同一のオーナーシェフが営っていたとしても、アラモードやサンデーがパフェに収斂された様に、サラダも、当時の様にはあれこれ出なくなってしまい、グリーンサラダだけになり、単に「サラダ」としてメニューに載せられているのではないかと察する。
だから、「かつて、昭和のレストラン喫茶には、イタリアンサラダというメニューがあった」という歴史的事実をここに記しておきたかったのだ。

それから、この記事を書こうと 頭の中で構成を練っている時に ふと気がついたのだが、イタリアンサラダのトッピングの具材は、いずれも当時のピザのそれである。
それらの具材を使い回すことで「一品バリエーションが増やせるぞ!」と発案され 生まれたメニューではなかろうか?と思った。
よって、本場イタリアには、イタリアンサラダは無いのではないか?とも思った次第である。
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