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溶明と溶暗 [映画・演劇雑記]

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溶明と溶暗。
溶明は、画面や舞台が、暗い状態からじょじょに明るくなり最大の明るさになる事。 溶暗は逆に、明るい所からだんだん暗くなって真っ暗になる、という映画・演劇の専門用語である。
どちらの言葉も、脚本・戯曲を捲っていると何度となく現れるので、映画や演劇がお好きなかたにとっては 馴染み深い言葉である。

この溶明と溶暗という言葉、私は個人的に非常に好きである。
同じ意味でも、横文字でF.I(フェード・イン) F.O(フェード・アウト)と書くのと まるで趣が違ってくる。
そこには、そこはかとなく文学の香りが立ちのぼってくるからである。
尤も戯曲は昔から 文学の一ジャンルとして認められているが、単なる設計図・指示書としてしか見なされていない脚本にも、これらの文字を見つけると、ぐっと奥行きと深みの色を感じずにはおれなくなる。

この二つの言葉、散文の中でも 文学的マチエールでまとまっているものであれば、入れ込むことによってキラリと輝く効果を得られるのではないか と思う。
例えば----
「私の中から不安の要因が一つまた一つと消えてゆき、そしてついには一つもなくなり、私の心は溶明した」というように----。
試しに今度一度 使ってみようと考えている。

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タグ:溶明 溶暗
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ぼんぼち選・寺山修司監督映画作品ベスト5 [映画・演劇雑記]

私・ぼんぼちは中学生の時からの寺山修司の熱烈なファンなので、寺山が監督した映画作品も殆ど観ています。
寺山映画は、私の人生の映画鑑賞観に深く大きく影響を及ぼしています。
というわけで、今日は、あくまで主観的にですが、私の選んだ寺山監督映画作品ベスト5を挙げてみたいと思います。


一位 書を捨てよ町へ出よう

やはり寺山映画ベストワンと言えば、この作品をおいて他にないのではないでしょうか?
劇映画でありながらメタシアター的な要素をふんだんに取り入れた寺山初の長編作品。
虚構と現実をゆききする自由さに圧倒されつつ 映画というものの何たるかを根元的に考えさせられます。


二位 田園に死す

執拗に追いすがる母を殺したくても殺せない 寺山の自伝とも受け取れる作品。
「記憶とは捏造されるものである」というテーマが、非リアリズムの手法によってリアルに迫ります。
主人公の青森の家の室内のセットが屋台崩しされるとそこは新宿の雑踏である というラストショットも衝撃的。


三位 二頭女

私は寺山の短編実験映画では、この作品が突出して優れていると解しています。
実像とは別の動きをしてゆく影というものを用いて、過ぎ去った時の虚しさが美しく表現されています。


四位 ローラ

スクリーンの中の女達の挑発に乗り 観客の一人(仕込まれた役者)がスクリーンの中に飛び込んでしまう という 何ともユニークな作品。
ここでも寺山は、映画の根元的なありかたに疑問符をつきつけています。


五位 トマトケチャップ皇帝

五位に関しては、どの作品を入れるか 非常に悩みました。
結果この作品に決定した理由は、ここには他のどの劇映画監督にもどの実験映画作家にも創ることができないに違いない 寺山ならではの発想と理論があるからです。
ユーモラスかつエロティックな映像がテムポよく展開します。


みなさんもご存じのように 寺山は、ありとあらゆる表現形態で以って我々観客を驚愕させ吸引しましたが、日本映画史を語る上でも欠くことのできない存在でした。
映画は演劇と違って こうして没後も作品を観ることができるので(ローラに関しては例外となりますが)機会ある毎に堪能反芻したいものです。
それにしても、現在の日本映画界、寺山修司のみならず 勅使河原宏も松本俊夫も過去の人となってしまいました。
なんとも寂しいかぎりです。
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ぼんぼち選・優良映画館ベスト5 [映画・演劇雑記]

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私・ぼんぼちは映画観賞が趣味なので、自室でDVDを鑑賞する以外にも しばしば劇場に足を運んでいます。
ということで、今回は、あくまで主観的にですが 私が優良だと感じている映画館のベスト5を挙げさせていただきたいと思います。


1位 シアター・イメージフォーラム

劇場経営だけでなく、映像研究所の運営やダゲレオ出版としてDVDや書籍の販売も行う 多方面から映画とは何かを教えてくれる映画館です。
私はこちらの研究所で「世界実験映画史」など 映画の何たるかを知る上で大変重要かつ有意義な講義を受けました。


2位 アップリンクファクトリー

松本俊夫短編全作品上映やチェコアニメーション特集など 上映作品の選別に優れています。
以前はファイヤーストリートから一本入った坂の途中に在りましたが、現在は奥渋の落ち着いた場所です。 


3位 東京国立近代美術館フィルムセンター

荻野茂二の文化映画や東ドイツ映画特集など、他ではなかなか観ることのできない貴重な作品が上映される国立の劇場。
機材の歴史やポスターなどが展示されている展示室も併設されており、常設展や企画展にて、楽しみながら映画を学べます。


4位 ラピュタ阿佐ヶ谷

1950年代~1970年代の日本の商業映画が上映されることが多いですが、世界アニメーション特集が組まれ ありとあらゆる技法のアニメーションが公開されたこともありました。
ウッディーなロビーでは、昔の映画スターのプロマイドや映画関連の書籍も販売されています。


5位 ユーロスペース

「不思議惑星キン・ザ・ザ」や勅使河原宏×安部公房特集など、大きなスクリーンで今一度観たい達作を扱ってくれる劇場です。
以前は渋谷区桜丘に在りましたが、同区内の円山に移転しました。


これらの映画館が存在してくれたおかげで、随分 私は精神的飢餓感から救われました。
これからも素晴らしい作品を上映していただきたいと思います。
と、振り返ると、5劇場のうち、イメージフォーラム アップリンクファクトリー ユーロスペースと 3館が渋谷ですね。
渋谷はうすっぺらな若者の街になって久しいと嘆く向きも多いけれど、こうした優れた文化を発信する場所も豊かに在るので、嘆いてばかりいないで敏感に受信したいものです。
また、迷わずベスト5の中に入れたかったけれど 閉館してしまった劇場もあります。
下北沢に在ったシネマ下北沢です。
手造り感溢れる木造りの内装がたまらなく好きでした。
オーナーさんお二人とお話をさせていただいたこともあり、懐かしいと同時にとても寂しく残念に思います。
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演劇部の思い出 [映画・演劇雑記]

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中学高校と、演劇部に在籍していた。
中高一貫教育の学校だったので、部も中学高校一緒に活動するのだった。
ほんとうは、映画部に入りたかった。
しかし私の学校には映画部はなかったから 仕方なく演劇部を選んだ。
将来は舞台衣裳を作る仕事がしたいと熱望していた私は、演劇部で衣裳係をやらせてもらおうと考えたのだ。

けれど入部してみると----
日頃の活動は全員役者の基礎レッスンに励み、年二回の学内公演に向けては、部内オーディションを行い、好むと好まざるとに関わらず、選ばれた者はキャストをやり 選ばれなかった者はスタッフにまわされるのだった。
が、衣裳に限っては、キャストが自分自分で作るならいとなっていた。
コーチはいなく、全て、先輩が後輩を指導するという形をとっていた。

私は役者には興味はなかったので、日頃の基礎レッスンは嫌々やっていた。
のみならず、先輩の示す「これが正しい演劇」という指導方針は、「まるで間違っているのではないだろうか? どう考えても納得できない」と ひどく疑問を覚えずにはおれないものだった。
公演に向けては、キャストに選ばれなかったら 本意でない装置や照明や音響を担当しなければならなかったし、選ばれて自分の衣裳は作れたとしても、他のキャストとの調和を図りながらデザインするという 演劇の衣裳に於いて非常に重要なことには踏み込めないしくみとなっていた。
稽古での先輩の演出も、首を真横に傾げたくなるほどに疑問を感ずることだらけだった。
演目も、生意気に 三島由紀夫や安部公房など 中高生にはおよそ解釈不可能な難解なものばかりを選んでいた。
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ある日の部内会議の時、私が「コーチを呼んで、コーチの指導のもとに活動したいです」と提案すると、先輩達はいっせいに、「私達がちゃんと指導してあげてるじゃない! 私達の指導に文句があるの?!」と まるでとっぴょうしもない悪案を提示した者のように責められた。
そういう先輩達は、誰一人としてスタニスラフスキーのスの字も知らないのだった。
また別の日の会議の時、「学内公演を部外の生徒達が殆ど観ようとしない。 観るようにするためにはどうしたらよいか?」という課題が持ちあがった。
私が「難しい作家の戯曲ではなく、自分達の等身大の 中高生が登場人物の解かり易い創作物を演ったらよいと思います」と発言すると、「そんなのダメよ! 演劇部なんだから三島や安部を演らなくちゃダメよ!」と 意味不明の理由で却下され、その後もそれらを演り続け、生徒の殆どは観ない という状況は続いた。
自分達が理解できないものを理解できないままに演っているのだから、観たくなるものに仕上がる筈はないのだった。

部員の殆どは「私達はエンゲキをやっているのだ!」と血気盛んだったが、私には、まったく無意義の学芸会サークルだった。

だが私は、こんな演劇部に入ったことを 少しも後悔はしていない。
何故ならあの時 幾多の大きな疑問を感じたがために、「いつかこれらの疑問を解決しなければ気がすまぬ」という欲求が膨らみに膨らみ、時間に余裕のできた30代半ばから40代半ばにかけて 徹底的に勉強することとなったからである。
演劇理論 演技論 演技の実践 演劇史・・・・・むさぼる様に学んだ。
あの演劇部に入っていなければ、私は後年 これほど熱心に演劇を勉強しようとは思わなかった と言い切れる。
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タグ:演劇部 演劇
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腹式呼吸とは [映画・演劇雑記]

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「以前、演技のレッスンを受けていたことがある」と人に話すと、「じゃあ、腹式呼吸ってのをやってたんだね。 腹式呼吸ってどういうのなの?」と しばしば聞かれます。
今日は、腹式呼吸というものがどういうものかを 簡単に説明したいと思います。

よく「お腹に空気が入るの?」と言う人がいますが、空気は胃や腸には入りません。 肺にしか入りません。
ではどうして 腹式呼吸と呼ばれ、そしてどうして 腹式呼吸をすると下っ腹が出たりひっこんだりするのかというと----
私達は、日常 しゃべっている時、たいていの人は肺の上のほうの三分の二くらいだけを使っています。 下三分の一は殆ど使っていません。
その使っていない下三分の一もフルに使うことによって 大きく長く響かせる声を出そうというのが、腹式呼吸とその目的なのです。
下三分の一を使うにはどうすればいいかというと----
胸部が動かないように(特に肩が上がらないように)気をつけ、息を吸いながら下っ腹をぐーーーっと前に出します。 そしてまた、吐くときは下っ腹をひっこめます。
こうすると 息を吸った時に横隔膜が下がり、したがって肺が縦にふくらみ、肺の下三分の一にも空気が入るのです。
これが腹式呼吸のしくみです。

私達は誰でも、横になっているときは無意識的に腹式呼吸をしています。
ですから腹式呼吸の訓練をするには、先ず仰向けに寝た状態で前述の方法をやってみるとすぐに出来ます。
その後、立っての訓練に入るのです。
足を肩幅に開き立ち、喉に力を入れずに楽な状態にして「アーーー」と声を出しながら行います。
この時、下っ腹がちゃんと出たりひっこんだりしているか、お腹に手をあててやってみると解かりやすいでしょう。
誰でも、毎日何カ月か訓練を続けると、必ずできるようになります。

腹式呼吸ができると、カラオケを歌うときや広いスペースでのスピーチ等にとても役立ちますので、皆さんも覚えてみられてはいかがでしょうか?

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タグ:腹式呼吸
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チェコアニメ特集近日上映!@アップリンクファクトリー [映画・演劇雑記]

私は、通常の叙述形式の劇映画も決して嫌いではないが、そればかりを立て続けに三本観ると、精神的にぐったりとキツくなってしまう。
肉肉肉!と同じものばかりを三日も続けて食べるようなものだからだ。
通常の劇映画とアート・実験系を交互に観るのが、自分にとって健康的な観方である。
しかし、世の中には何故だか、通常の叙述形式の劇映画の数が圧倒的に多く、アート・実験系は極端に少ない。
だから私は、あまり映画の数を観ない結果となる。
尤も、昨年のように、松本俊夫大特集や東ドイツアートアニメーション特集などが開催され、鑑賞作品数の比較的多くなるラッキーな年もあるが。

そんな幸運は二年連続あるはずはないので、今年は殆んど映画を観ない年になるだろう と予測していたが、先日、嬉しいニュースを知った。
渋谷のアップリンクファクトリーにて、チェコアニメーション特集が開催されるというのだ!
ヤン・シュヴァンクマイエル イージー・トルンカ ブジェチスラフ・ポヤル 他、チェコを代表するアニメーターの往年の代表作の数々が、3月18日から31日まで日替わりで レイトで公開されるのだ。
全作品は観に行けないかもしれないが、可能なかぎり足を運んで来ようと思う。

これで、振り子が反対側にも振れるエネルギーがついたように、同数の通常の劇映画も観に行ける というものだ。

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「独白」と「傍白」の違い [映画・演劇雑記]

戯曲や脚本を読んでいると、ト書きに「独白」「傍白」という言葉が時折り登場します。
みなさんは、この「独白」と「傍白」の違いをご存じでしょぅか?
両者は、作家がなんとなく語調で書き分けているのではなく 明確に意味の違う言葉なのです。
今日は、「独白」と「傍白」の違いについて説明したいと思います。

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先ず、「独白」というのは字の如く 独り台詞です。
私達が現実の生活でもしばしばつぶやいている いわゆるヒトリゴトです。
具体的な例を挙げると----
○寮
AとB、それぞれのベットに寝転んでいる。
A「あ~ぁ、給料日まであと1000円しかねぇや。 これじゃあ三日間カップ麺しか食えねぇなぁ」
と独白。
B「えっ? 今、なんか言った?」
又は
B「・・・・・・・・・・・・(俺の知ったこっちゃない。 無視無視)」
又は
B「そんなのお前が計画的に使わないのが悪いんじゃん。」
等。
この様に、聞こえているであろう距離に誰かが居る場合、まるで聞いていなかったり 聞いていないフリをしたり 自分に向かって放たれた台詞ではないと解っていながら何か答えたり と様々ですが、「独白」は、現実世界と同じように聞こえています。

対して「傍白」は、「劇中の相手には聞こえていなくて観客には聞こえている小さなつぶやき」です。
○寮
A「ねぇ、Bくん。 給料日まであと1000円しかないんだよ、3000円ばかり貸してくれないかなぁ」
B「勿論だよ! Aくんになら貸してあげるよ! キミとボクの仲じゃないか!(以下、傍白)バーカ! お前が計画的に使わないのが悪いんだよ。 あー、やだやだ」
A「やっぱり、お前っていいヤツだな。はははは・・・・」
B「ははは・・・・」
等。

劇中で、傍白が傍白である事を表わす王道の方法として、台詞を発している人物が傍白の部分だけ相手から顔をそむけて(多くは斜め下を向いて)つぶやくように言う というのがあります。
すると観客には、「あぁ なるほど、相手役には聞こえていないのだな」と認識されます。
舞台の場合は、本当に小さくウィスパーで言うと観客に聞こえないので それなりに大きく発し 相手役から顔をそむける動きをはっきりととることで傍白であると解からせます。

これが「独白」と「傍白」の違いです。
この二つの違いを解かっていると、みなさん 戯曲や脚本をより深く享しめ、眼前に具体的なイメージが広がりやすいのではないか と思います。

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※3月4日のオフ会、みなさん楽しくお話しやしょうでやす!
タグ:独白 傍白
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決定稿と完成台本 [映画・演劇雑記]

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映画を勉強したことのあるかたは、お気に入りの劇映画作品の脚本を読むことも、映画の享しみのひとつとしておられることと思う。
映画を勉強したかたがた、読む脚本は、決定稿と完成台本、どちらを好まれているであろうか?
私は前者である。

----映画を勉強したかた以外は興味がないためにご存じないとお察しするので、ここで簡単に、決定稿と完成台本の違いを説明したいと思う。
先ず前者は、脚本家が稿を重ねた末にokが出て、「ではこの本で撮りましょう!」と成ったものを言う。
そして後者は、映画が撮り了り 編集された本編を観ながら起こされた脚本を言うのである。

私が何故、前者を読むほうが好きかというと----
「ははーん、このロケ場所では説明台詞をつけなければ状況が見えづらいから この台詞を加えたな」とか、「うわっ!このシーン、決定稿ではここに入ってたんだ!ずいぶん入れ替えたなぁ」と、現場や編集段階で変更になった箇所が詳らかに解るからである。
映画好きにとって これほど前のめりになれることはない。

勿論、完成台本を読むことにも興味がない訳ではない。
作品を観ながらパラリパラリとなぞると、単に画面に向いていただけでは何百回観ても着地できなかった深層部分に降り立ち咀嚼することができるのだから、これも又 非常に意義ある行為である。

だから、脚本の優れた劇映画に遭遇すると、私は必ず、その作品が掲載されている号が在るか否か 月刊シナリオのバックナンバーを探しに 神保町矢口書店へ足を運ぶのである。

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※3月4日(土)のオフ会、食べ物・飲み物の持ち込み大歓迎でやす!
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 好きなアニメーション技法  [映画・演劇雑記]

私はセル系アニメーションは嫌いだが、それ以外の技法のアニメーションは一通り観る。
スチルアニメーション オブジェクトアニメーション ピクシレーション クレイアニメーション ドローイングアニメーション パペットアニメーション 等々々・・・・・。

一番好きなアニメーション技法はスチルで、松本俊夫の「アートマン」や伊藤高志の「スペイシー」の様な作品が、自分の嗜好に最もしっくりくる。
めくるめくショットに酩酊状態に陥る感覚が、何とも理屈抜きに心地良いのである。
オブジェクト ピクシレーション クレイ も、なかなか見逃せなく、一番好きなアニメーション監督は誰?と 問われたら、まっ先に チェコのヤン・シュヴァンクマイエル監督を挙げる。
あのおどろおどろしくもユーモラスな独特の世界は、アニメーションでこそ表現可能だと唸らずにおれない。
そして、二番目に好きなアニメーション監督は?と もう一歩踏み込まれたら、ロシアのカットアウトアニメーション監督ユーリー・ノルシュテインと答える。
いかにも北の国といった彩度を抑えた美しさに、つい時を忘れて吸引されてしまう。

そのユーリー・ノルシュテイン、嬉しい事に 12月10日からシアター・イメージフォーラムにて「アニメーションの神様、その美しき世界」というタイトルで 特集上映が催される。
余りにも有名な 「霧の中のハリネズミ」 「話の話」の他 「アオサギとツル」 「キツネとウサギ」 「ケルジエネツの戦い」 「25日・最初の日」 が上映される。
私はすでに全作品観ているが、このようにクオリティの高いアートアニメーションは 何遍反芻しても良いものなので、是非とも足を運ぼうと考えている。
何とも真冬に相応しい特集上映ではないか!!

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趣味友と語らう充実のひととき  [映画・演劇雑記]

みなさんは、何か趣味といえるものを持っておられますでしょうか?
そして、その趣味を共有する友達、いわゆる趣味友はおられますでしょうか?
私・ぼんぼちは、映画鑑賞が趣味で、その趣味友は一人います。

一言に映画鑑賞が趣味といっても、映画にどう向き合うか・鑑賞するかは千差万別です。
例えば、鉄道ファンを例にとっても----
電車の写真を撮るのが趣味の人、電車に乗って色々な土地に旅するのが趣味の人、鉄道関係のグッズを集める事を趣味としている人、時刻表を熟読し暗記する事を趣味としている人、等々 様々です。
映画鑑賞の趣味も同様なのです。

趣味友.jpg中、私は、「映画というものの何たるかを勉強し、作品を深く理解すること」を趣味としています。
ですから、自分と同じ趣味を持つ友人がいたら 話が通じ 感想や情報の交換もできて楽しいだろうなぁと思っていました。
具体的にいうと、映像理論 映画史 演技論を勉強し把握している人、隠喩表現 抽象表現が理解できる人、スタニスラフスキーシステムが解っている人、スチルアニメーションやカットアウトアニメーションがどういう技法か知っている人、シナリオでの「柱」や「F.O」が何を指す言葉か知っている人、決定稿と完成台本はどう違うのか知っている人、スクリプターがどういう仕事をする人か知っている人、「ゴジ」が誰だか知っている人、です。
そういう友人が欲しいなぁと思っていました。
けれど、ネットの映画作品掲示板の中にはしばしば遭遇し、真剣に意見を交わしたりはできるものの、直接接する いわゆるリアルな場では、出逢えませんでした。
----やっぱり、自分と同じ趣味の人に リアルに出逢えるなんていう偶然はないのかな・・・・?

趣味友1.jpgと、二年ほど前、ちょっとしたイベントで知りあった人が、まさに 私と同じ方向性の映画趣味人だったのです。
映画関連のイベントではなかったので、共通の趣味だと解った時は 嬉しく驚きました。
それもその筈、その人は、大学時代に映画研究会に在籍しており、そこで徹底的に映画の勉強をしたらしいのです。
私は社会人になってから 研究所やシンポジウムで学んできたので、その人のほうが ずいぶん早くに勉強してきた先輩になります。
又、映画と切っても切れない関係にある演劇と文学も 当然ながら共通の話題となります。
趣味友ができ 趣味の話に花を咲かせるひとときが これほどまでに充実した有意義なものだとは、予想を遥かに上回るものでした。

今日もこれから、その趣味友と飲みにでかけるところです。
今宵の肴は、どの映画作品にしようかな・・・・。



タグ:趣味
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