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映画・演劇を勉強していた頃 [映画・演劇雑記]

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私は38才で一度目のダンナと離婚をし、42才で二度目のダンナと結婚したのですが、その間の4年間は、ごっそりと自分に自由な時間が出来たので、中学一年の時からしたくてしたくてたまらなかった 映画と演劇についての専門的な勉強を、むさぼるようにしていました。

それらの分野を学びたかった理由というのはーーー
先ず、私は、大人になったら舞台衣裳を作る仕事をするのが幼い頃からの夢で、その夢は中1で演劇のスタイリストに絞られ、結果的には家庭の事情で叶わなかったものの、予備知識として、演劇全般に関する知識を得たかった、という欲求を強く持ち続けていた事。
第二に、中1から高1まで演劇部に所属しており、その演劇部は、コーチを呼ばずに先輩が後輩を指導する、という形を取っていたのですが、どうも 先輩達の教えは間違いだらけなんじゃないか?と、その疑問を解明したかった事。
そして第三には、私自身が、映画・演劇を観客という立場で鑑賞する時に、専門的な知識を動員して、より深く詳らかに 楽しみ 理解し 分析したかったからです。

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先ず理論では、日本近現代演劇史 劇作家の代表作や思想・生涯の探究 演出論 演技論 舞踏の何たるか、映像理論 世界実験映画史 舞台メイク法 を、それぞれの研究所に通って、必死に 資料映像を観たり 講師の話しにうなづいたりしながら、ノートを取りました。

実践では、演技とシナリオ作法を学びました。(朗読も学びましたが、これは二度目のダンナが自由にさせてくれる人だったので、二度目の結婚期間中に通っていました。)

シナリオ作法は、某その分野の最大手の研究所の通信のコースで学んだので、その間の、確か9ヶ月は、週6で、一日12時間、近所の喫茶室ルノアールにこもって、その時々の課題のシナリオ作りに、鉛筆を何度も削りながら 原稿用紙に向かっていました。

演技の実践は、本格的には舞台に立たないスタンスで、プロ中のプロの講師にみっちりと基礎からお習いさせていただける研究所というのが意外となくて、探しに探し、最初は詐欺めいた素人講師に引っ掛かってしまったりしたのですが、後、大ヒット映画の端役も務めた経験がおありの 信用の出来る先生の主宰する研究所に落ち着く事が出来ました。

本格的に舞台に立たないとなると週一のコースだったので そこを選びましたが、毎日3時間自主練してきたりと、私があまりに熱心に学ぶので、「本科(本格的に舞台に立ってプロの役者を目指すコース)に変更しなさいよ」と何度も推されましたが、私はあくまで、演技というものの「構造」を知りたく、それには、机上の空論では骨の髄からは理解不可能なので、身を以て解りたい、という理由で、みぢんも演者を目指す気持ちはなかったので、お断りし続けました。
あの研究所であの先生にお習いした事は「これが本当の演技というものだ」と納得出来、後に 自分が映画や演劇を鑑賞する時にも、役者の力量や演技の方向性が手に取るように解って、おおいに役立っています。

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また一方、ある程度 それらの勉強が身についてからは、某街に在った「映画・演劇関係者が集まるバー」(決して、映画・演劇ファンの集うバーではなく)によく飲みに行き、マスターをはじめ 商業映画のスタッフさんや プロの女優を目指している無名のモデルさんや 某映画でそうそうたるデビューを果たしたものの、現在は鳴かず飛ばずの俳優さん達と、口角泡飛ばしつつ、映像理論や演劇論を交わした事も楽しい思い出であり、かつ現場の空気を伝えてもらえて、これも私にとっては、かけがえのない学びとなりました。

関係者ばかりが集まる店ですから、話しをする時は専門用語(いわゆる業界用語とは違います)を使います。 例えば、監督名は、苗字+サン付け 助監督は、ジョカン もったりと無駄に長い脚本は、「水っぽいホン」といったように。
それらをものすごい勢いとテムポでやり取りし合う訳ですから、たまに興味本位で、単なる「映画ファン 演劇ファン」がカウンターに座ると、我々が何をしゃべっているのかまるきし解らないらしく、「ポカン、、、」とするのがお決まりでした。
マスターもいちいち解説などしてくれずに、話しのちょっとした切れ目に一言、「どちらからいらしたんですか?」と顔を向けるのが、唯一のお愛想でした。

この4年間は、私はこうやって、殆どの日々を費やしていました。
非常に濃密で 非常に重みのある、心底 この生き方をして正解だった4年間でした。
長年夢だった勉強を、思い切り学べるという事は、こんなにも幸せなのか!!と、自分で自分に驚いたりもしました。
それから、その4年間では学びきれなかった朗読の勉強を許してくれた 二度目のダンナにも感謝しています。
毎晩、3時間もぶつぶつ自主練をしているのが耳に入るのは、うっとうしかったでしょうに、、、
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「バミる」とは [映画・演劇雑記]

今日は、演劇用語の中の「バミる」という言葉について、解説したいと思います。

バミるとはーーー
役者の立ち位置や小道具の置き位置を解りやすくするために、舞台にカラーテープや発光テープを貼って目印にする事を言います。

舞台を観に行って、ひな壇式の客席の後ろの方や 二階席に座ると、舞台を上から見下ろす形になり、舞台上に小さな四角やT字型がテンテンと 何ヶ所も貼られているのに気づかれた事のある方は多いかとお察しします。
そのテンテンが「バミり」なのです。
決して、舞台の割れ目を補修しているのではありません。

使用例としてはーーー
「Aさんは二場でここに板付きにしたから、ここ、バミっておけ」
「装置が入ったら、次はバミるの 忘れないように」
「あぁ〜、テープが古くてくっついちゃっててバミれませーん!」
等です。

尚、「バミる」の語源は、「場を見る」から来ている との説が有力ですが、明確ではないようです。

みなさんも、これから舞台を見下ろせる席にあたって、バミってあるのを見つけたら、劇中のどこかで必ずその位置に、役者が立つか座るか 小道具が置かれるかするので、それはいつなのかを楽しみにしながら観劇するのも、また一興かと思います。

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アップリンク渋谷が2021年5月20日で閉館 [映画・演劇雑記]

関東圏在住の映画ファンなら「知らなければモグリ!」と言い切れる 他館ではめったに上映されない クオリティの高い珠玉の映画作品を次々と上映していた 渋谷の映画館「アップリンク渋谷」が、2021年5月20日で以て閉館してしまう事を、映画好きの親友伝で知った。
やはりコロナ禍に因するものだという。

私がアップリンク渋谷で、感動のカウンターパンチをくらい クラクラと昂揚しながら劇場を後にした数は 知れない。

アップリンク渋谷、最初は、同渋谷の街の中でも、公園通りとファイアーストリートの間の坂の途中に、「アップリンクファクトリー」という劇場名で在った。
「ここが映画館?」と目を丸くせずにはおれないほどの、ほんとうに小ぢんまりとした空間で、特に面白味を感じたのは、座席がてんでバラバラの意匠の ソファや椅子が寄せ集められ 並べられているところだった。
まるで友人宅の屋根裏部屋で、近隣の人にすら気づかれずに 自主上映会を開催する様な、そんな ミニマムで温もりを感ずる空間だった。

私はアップリンクファクトリー時代には、スタン・ブラッケージの一連の作品を観た事が、記憶に強い。
中でも「思い出のシリウス」は、死んでしまった愛犬シリウスに対する 哀しくてやりきれない情感が、さながら キャメラが身体の一部、つまり「目」そのものになったが如きストレートさで伝わってきた。
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後に奥渋ーーー東急デパート渋谷本店を代々木方面の小路に入った イマドキのミーハーな渋谷とは別世界の 静かな大人の通りへと移館し、そこでも私は、数々の感動や発見や映像理論の何たるかの再認識をさせていただいた。

殊 歓喜せずにはおれなかったのは、私が日本で最も尊敬する映像作家・松本俊夫先生の短編実験作品が、何日間にも渡って 全て上映された事である。
既にDVDにて所有している作品が多かったが、近年の より抽象的理論的になった作品には、改めて 松本先生の偉大さを痛感した。

海外で一番好きなアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエルの諸作品が映られたのも、忘れられない。
これも自宅でDVDで勘定不可能なほど再観している作品が殆どだったものの、やはり スクリーンで観る オブジェクト クレイ ピクシレーション等の様々な技法のアニメーションには、息を飲まずにおれなかった。

他には、ロシアの大傑作暗喩映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」や、やはりロシアが製作した カフカ原作の「変身」も、完璧な完成度で、芸術先進国ロシアの 理論・技術・エネルギーを目の当たりにできた。

それから、奥渋に移館し スクリーン数が増えても変わらなかったのが、座席のセンスだった。
スクリーンによっては、アップリンクファクトリー時代そのままに、ソファや椅子の寄せ集めだったり、別のスクリーンでは、座席がずらりとディレクターズチェアだった。
つまり、観客全員が、監督気分で鑑賞ーーーなのである。
「そこ違う!」と思ったら、思わず「カーーーット!!テイク2!」と叫びそうになってしまいそうであった。

そんな貴重な文化を飽和した映画館が、一つ消えてしまうとは、ここでも「コロナ憎し!」と恨まずにおれない。
尚、近年出来た 同経営者によるアップリンク吉祥寺とアップリンク京都は、これからも存続してゆくそうなので、今後は それら二館に、この独自の文化を継承していただきたいものである。
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「板付き(いたつき)」とは [映画・演劇雑記]

今日は、演劇用語の中の「板付き(いたつき)」という言葉について解説させていただこうと思います。

「板付き」とは、幕が開いたり場が始まった時に、既に舞台の上に役者がいることを言います。
例えばーーー

第三場
タロウ、木にもたれて腕組みをして天を仰いでいる。
ジロウ、上手より小走りに登場。
ジロウ「ああ、ごめんごめん、待たせちゃったね」

この場合、タロウが板付きです。
板(舞台)に、最初から付いている(居る)から、そう呼ばれます。

勿論、その作品全般に於いてタロウが「板付き」なのではなく、あくまで、上記の例では第三場でだけです。
もしかしたら、他の場でもタロウが板付きの設定があるかも知れませんし、他の場ではジロウが板付きかも知れません。
又、誰も板付きではなく、装置だけがある所に次々と役者が登場してくる事もあります。

この様な演劇用語を知っておくと、観劇の愉しみが若干上がるかも知れませんね。
「あっ!私の好きな役者さん、この場では板付きなんだ。、、、ってことは、暗転の間にずっとスタンバってたのね!」などと。

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「無対象」とは [映画・演劇雑記]

今日は、映画・演劇用語に於いての「無対象」とは何かについて 解説させていただきます。
無対象とは、主に 演劇研究所等のレッスンの一科目としてやられる基礎訓練で、稀に 舞台や映像の作品でも、演出の意図によっては用いられる事があります。

「無対象」、具体的にどの様なものかというとーーー
何かを食べる・飲む・持つ・抱き上げる等々々、、、それらを、何の小道具も使用せずに 自身の過去の体験を頭の中から引っ張り出して、あたかも本当に その行為を行なっているかの如く見せる事を目的としたレッスンです。

一つ例を挙げるとーーー
「淹れたてのブラックコーヒーを飲む」という課題が出たとします。
すると研究生達は、自身が過去に熱々の香り高いブラックコーヒーを飲んだ記憶を思い起こし、コーヒーがなみなみと注がれたカップの重みを手に感じ、カップの持ちての部分に指を通す具合を再現し、立ち昇る香りを吸い込み、「あぁ、いい香りだ!」とか「苦そうだなー」と思い、カップの縁があるであろう位置に唇を触れさせるや、「あっ!熱い!」と感じ、人によってはフーフーとちょっと冷ましたりして、コーヒーを一口飲み、熱さと苦さ・美味しさ・あるいは苦手さを、舌や口腔内に体感し、コーヒーが食道を通って胃へ落ちてゆく、、、という事を演るのです。
重要なのは、単なる形だけのジェスチャーにならずに、心身の根底からその記憶を引っ張り出せ 再現できているか、です。

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実際に無対象が使われる作品は稀なのに、何故、この様な訓練をやるのかというとーーー
舞台で、何か食べたり飲んだりする場合、器の中身は空で 飲み食いは実際にはしない という演出が少なからずあるからです。
しかも戯曲上の設定では高価な陶器の器であっても、実際に使用するのは、軽いプラスチックだという場合も多いです。
それをあたかも、貴重で上等な陶器で飲み食いしているかのように演る訳です。
又、映像では、リアリズム作品でも、日本酒は水、ウイスキーやブランデーのストレートは麦茶を使います。
役者は水や麦茶を、あたかもそれぞれのアルコールを飲んでいるかの様に演ります。
他には、枕状の物を布で包んで大切な赤ちゃん という設定だったり、空っぽのダンボールを抱えて重たい荷物を運んでいる演技をしなければならない事も多々あります。

ですから、この「無対象」という訓練は、一見「そんなことやってて何の役に立つの?」と思われる向きがおられるかも知れませんが、実は非常に応用度の高い 重要な訓練なのです。

現在 役者を目指している研究生のみなさんは、たった一人でも出来る訓練の一つでもありますから、何度も何度も様々なモチーフ設定で、自主練に励みましょう。
単に観客として 演劇や映画・ドラマを愉しまれる方は、そんな所に着目してみると、より その役者さんの技量が解り 興味深く面白く鑑賞できると思います。

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「前っぱり」とは [映画・演劇雑記]

今日は、舞台用語の中の「前っぱり」という言葉について 解説させていただきます。
「前ばり」ではありません。「前っぱり」です。

前っぱりというのは、舞台・ステージの一番前の突端の部分です。
駅のプラットフォームに例えると、黄色い点字ブロックの外側の、歩いたり立っていたりしてはいけない端っこに相当します。

演劇ではしばしば、それまで舞台のそれほど前方ではない部分で芝居が行われていたのに、起承転結の転や大団円の場になると、主役が舞台の突端から爪先を出すくらいに前に立ち、ピンスポを浴びて 真剣な表情で独白の長台詞を吐いたりします。
こういう時は、「ああ、演出家は、この台詞の内容を特に訴えかけたかったんだな」と解釈して間違いありません。

また、ロックコンサートなどでは、アンコールの後半に差し掛かると、そのバンドの人気曲をノリにノッた動きでーーー多くは、ステージ奥から勢いをつけてドドドッと走り出す感じで、前っぱりまで出て来て演奏したり歌ったりしてくれます。
この時も、観客は「ああ、今回のライブでは、メンバーはここを一番盛り上げたいんだな」と解釈すれば、まずハズれません。
観客は、ここでノラなければ完全燃焼出来ないので、後悔のないよう 思い切りノリ切りましょう。

前っぱりに爪先を出す立ち方は、盛り上げ効果が大きい半面、半歩誤ってしまうと舞台・ステージから転落してしまう 演者にとっては賭けのような立ち位置です。
演劇では、走り出てくる訳ではないので、前っぱりから転落してしまう役者はまずいないと思いますが、ロックコンサートでは時々、勢い余ってステージと客席の間に落っこちてしまうミュージシャンがいるようです。
まあ、ロックの場合は、これもご愛嬌、、、というか、ファンにとっては嬉しいラッキーなアクシデントかも知れませんね。

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どちらが上手(かみて)でどちらが下手(しもて)か・その覚え方 [映画・演劇雑記]

演劇やライブ鑑賞好きのかたの中には、意外と 舞台・ステージの「どちらが上手(かみて)でどちらが下手(しもて)」かを知らない または何度聞いても覚えられない、というかたがおられるようです。
なので今回は、舞台・ステージのどちらが上手でどちらが下手かと、その覚え方を簡単に説明させていただこうと思います。

先ず、どちらが上手でどちらが下手か ですが、これは、自分が客席側にいて舞台を観ている時、右手側が上手 左手側が下手、です。
ですから、自分が舞台に立った場合は逆になる訳ですから、自分の右手側が下手 左手側が上手、となります。

次に覚え方ですが、「右肩上がり」という言葉を頭の中に入れておくと覚え易いと 私は認識しています。
そう、よく商品売り上げや観客動員数で使う あの「右肩上がり」です。
その「右」と「上」という語を「右肩上がり」の中から引っ張り出すのです。
自分が客の立場で、つまり客席側にいて「右が上」と。
そうすれば覚え易いし、また一度そうやって覚えれば、まず忘れてしまう事もないとお察しします。
無論、舞台で上手側の方が物理的に高くなっている訳ではなく、言葉としての覚え方の方法です。

そうすれば、演劇やライブを観に行った際に、「三人娘役の一番下手側にいたコが特に声の通りが良かったね」とか「私の席、すごい上手側だったんだけどメンバーの中でダントツ好きなギターの○○さんは立ち位置下手側なのにアンコールで上手側まで来てくれて嬉しかった!」等と、円滑に説明する事ができます。

演劇・ライブ好きのかたがた、もしもお気が向かれたら、この覚え方で「どちらが上手でどちらが下手」かを覚えてみられては如何でしょうか?

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八百屋舞台とは [映画・演劇雑記]

演劇や音楽の舞台装置で、舞台全域または舞台の一部が傾斜に設えてあるものを「八百屋舞台」あるいは単に「八百屋」と呼びます。
名称の由来は、傾斜の様が八百屋の店先の様だからです。

八百屋舞台にする理由は、言わずもがな、観客から良く観えるようにする為 です。
「今回の小屋は客席が雛壇式じゃないから八百屋で行こう」などと。
加えて、迫力や奥行きを出す目的もあります。

八百屋舞台、転びやすいのみならず、長期公演の場合、演者は長期間 傾斜の上を、立っていたり歩いたり走ったりしなければならないので、楽日近くになると 平衡感覚がおかしくなってしまうかたもおられるそうです。
一見、観客からは想像もつかないご苦労ですね。

余談になりますがーーー
私は昼間 神保町で用事を済ませた後、白山通りを北上して水道橋駅近くで軽く飲み、再び神保町に出、靖国通りの北側の舗道を九段下駅に向かって歩くのがならいになっているのですが、その辺りでいつも足がもつれて転びそうになってしまうのです。ほんのほろ酔いにも関わらず。

そして先日、ついに転んで膝に血が滲み タイツをオシャカにしてしまいました。
四つん這いになったまま舗道を見つめた私は、思わず独白しました。
「あ、、、八百屋舗道だったのか!」
そう、舗道がその辺りだけ、車道に対して斜めになっていたのです。
無論、八百屋舗道というのは、とっさに私の内から出た造語で、道路業界の正式な専門用語には無い、、、と思います。

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「ああ!馬鹿」 [映画・演劇雑記]

先日、よく行く神保町シアターに「ああ!馬鹿」という映画を観に出向いた。
うだつの上がらないサラリーマンが、そうとは知らずに上司の愛人に惚れてしまったために とんでもない騒動に巻き込まれるブラックコメディである。監督・須川栄三 主演・小沢昭一

私は普段から 飲食店や劇場の受付では、大きく声を飛ばしてしゃべるのだが、今回に限っては、タイトルがタイトルだけに その声では受付のかたを罵倒しているニュアンスになりかねないので、極力 声量を抑えて静かに チケットを所望した。「ああ馬鹿 お願いします」と。

そして そう広くはないロビーの一隅で時間を持て余していると、後から後からチケットを求めるお客さんがやって来た。
私と同じ理由でか 日頃から穏やかにしゃべる人達なのかは判らないが、どの人も皆 私と同じに静かに小声で「ああ馬鹿 一枚」「あー馬鹿 シニアで」「あぁ馬鹿 二名」と言っていた。
受付のかたも不快な思いをせずに 気持ち良く対応にあたる事ができたと察する。

そういえば、昔 弟が 近所のコンビニでアルバイトをしていた時期があったのだがーーー
私が、コンビニの仕事の中で一番大変なのはどんな作業なのかと問うと、
「仕入れ先の業者が来た時、売り上げた商品の商品名と個数を 大声で読み上げなければならないんだけど、その中に駄菓子の『らーめんババァ』っていうのがあってね、『らーめんババァ ○個!』って叫ぶみたいに言わなくちゃならないのが一番恥ずかしいよ。あんな屈辱は他にないよ」と話していた。

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映画マニアあるある15 [映画・演劇雑記]

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私は以前は、自分のことを「いわゆる一般的な映画好きの一人」だと自覚していました。
けれど、「映画好き」と自称する人と映画にまつわる話をすると、何一つとして話が噛み合わないのです。ーーー正確に言うと、私の言っている話の内容が相手に通じない、相手が理解が出来ないのです。
そして何年か前に、某大学の映画研究会を経て 映画関係の仕事をしていた人と知り合いになったところ、話がツーカーで、大の映画友達になりました。
よって私は、世間の基準からすると、「一般的な映画好き」ではなく「映画マニア」なのだということに気づきました。
ということで今回は、私のような映画マニア同士の会話、あるある15を列挙したいと思います。


1 映画館のことを「小屋」と呼ぶ。

2 カメラのことを「キャメラ」と呼ぶ。

3 監督を、苗字+さん で呼ぶ。 ただし、長谷川和彦監督に限っては「長谷川さん」ではなく「ゴジ」または「ゴジさん」と呼ぶ。

4 唐突に「黒沢さんは、、、」と相手が発した場合、すかさず「明?清?どっち?」と突っ込む。(黒沢明監督ですか?黒沢清監督ですか?という意)

5 「小津さん(小津安二郎監督)が好き」と言われたら、「古い映画が好きなんですね」ではなく「メジャーどころが好きなんですね」と返す。

6 シネコンで上映される様な類いの映画のことを「商業映画」と呼ぶ。 または単に「商業」とも。

7 ピンク映画とにっかつロマンポルノの違いを解っている。(前者はジャンルで後者はブランドです) そして、ピンク映画もにっかつロマンポルノも、恥ずかしい映画ではなく れっきとした作品だと認識しているので、喫茶店などで 普通の大きさの声でそれらについて真面目に語る。 そういった時、ピンク映画のことを「ピンク」と略して言うことが多い。

8 助監督のことを「ジョカン」と略して言うことも多い。

9 脚本のことを「ホン」と略して言うことも多い。

10 長台詞のことを「ナガゼリ」と略して言うことも多い。

11 それでいて、アニメは「アニメーション」と略さないで言う。

12 一般的な映画好きが「アニメを観た」と言ったら「何アニメーション?」と質問する。

13 アニメーションの技法を、セル系アニメーション CGアニメーション以外にも5つ以上言える。 例ーーーオブジェクトアニメーション ドローイングアニメーション カットアウトアニメーション クレイアニメーション パペットアニメーション 等。

14 テレビや雑誌にたくさん出ていることを「露出が高い」と言う。 例ーーー「塚本さん(塚本晋也監督)は、初期の頃から露出高かったですよね」等。

15 作品全編 またはシークエンス またはシーン またはショットの「長さ」のことを「尺」と呼ぶ。 例ーーー「冒頭のシークエンスは無駄に尺とってて水っぽかったね」等。


だから、映画マニア同士が話しているのを一般的な映画好きや特別映画に関心がない人が傍で聞いても、たとえそれが、たった今 その人が観てきた映画に関する話だったとしても、何を言っているのかサッパリ解らないと思います。

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