高円寺JIROKICHI45周年記念ライブに行って [感想文]

高円寺に在るブルースを主に演るライブハウスJIROKICHIが、オープン45周年ということで、2020年2月1日から3月18日まで アニバーサリーイベントを行った。要は、普段はなかなか来てくれない大御所ブルースミュージシャンが日替わりで出演してくださる特別期間ということである。

スケジュールを確認するや、私は迷わず2月25日の「木村充揮ソロライブ」と3月6日の「有山じゅんじと上田正樹 ぼちぼちいこかライブ2020」に行こうと決めた。

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先ず、木村充揮さんソロライブであるがーーー
ソロと銘打ってはいたが、木村さんのボーカル&ギターのみならず、サポートに、ボーカル&ギター ドラムス ハープが入っていた。
木村さんはハイボールらしきロングのアルコールドリンクスを5〜6杯おかわりしながら、大阪人特有の「アホかっ!」を連発し、半分近くは漫談といったセトリで ゆる〜〜く演られていた。

サポートのボーカル&ギターの方が披露してくださった社会派ブルースの2曲ーーーこの2曲、どちらもひょうひょうとした中に大きく頷ける社会の矛盾が組み込まれていて なかなか良かったーーーの他には、憂歌団時代のオリジナルやカバーアルバムの中に入っている曲が殆どで、私が知らなかった曲は、ラストの外国曲1曲だけだった。

中でも笑ってしまったのは、「りんご追分」のイントロを爪弾いて「♪りんごぉ〜〜〜」と叙情たっぷりに歌い始められた、、、と思いきや、次に「みかん〜〜〜」と仰ったのが大ウケだった。
木村さんは「ワテ、こんなん 好きやねん!」と笑っていた。
私の近くの席にいた よくライブに来ているらしき男性客が、小声で「あれ、もう一度やるよ」と囁いていたら、木村さんはちょっとしゃべった後、再び爪弾いて「♪りんごぉ〜〜〜」とため、再び「みかん〜〜〜」とやり、「ウヒョウヒョウヒョ!」と喜んでおられた。

だが、さすが大阪を、否 日本を代表するブルースミュージシャンの1人 木村充揮さん、キメる時はキメられていて、「嫌んなった」や「おそうじオバチャン」は、あの魅力に溢れるダミ声が伸び、リズムに身体をゆだねつつ 惚れ惚れと聴き入らずにはおれなかった。

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次の週に開かれた 有山じゅんじさんと上田正樹さんのライブーーー
編成は、キー坊(上田さんの愛称)がボーカル&ギター 有山さんもボーカル&ギター、サポートには、ボーカル&コーラスの女性とキーボードの男性がついていた。

「ぼちぼちいこかライブ」だから、演目はアルバム「ぼちぼちいこか」からが中心かと予測していたが、「ぼちぼちいこか」からの選曲は4曲くらいで、あとはブルースファンでなくとも知る大ヒット曲「悲しい色やね」を よりブルージーにアレンジしたものと、他は 外国曲のカバーを多く演ってくださった。
それらは私の知らない曲が多く、キー坊を通して まだまだ未知の部分の多い私のブルースファンとしての世界を広げてくださるきっかけとなり、とても興味深く聴き入った。
キー坊はどの曲に対しても、全身全霊で歌う!!という表現以外にない!といった感じで、魂の200%くらいを使った歌い方をされていて、私の内に生きるエネルギーがぐんぐん注入された。

MCでは「レイチャールズをはじめ外国のブルース・R&Bミュージシャンの前座をぎょうさん演ってきたんやけど、どのミュージシャンもみんな『歌は心や』言うてはった」と仰っており、キー坊はまさにそれを 骨の髄から受け継がれている と感じた。

そして「みんな、世間が騒いでおって不安な中 今日は来てくれてありがとう!ほんま ありがとう!!」とお礼を述べてくださり、ラストに「ウイアーザワールド」をブルースバージョンにアレンジしたものを歌ってくださった。
歌い了るや、「世界のみんなが幸せでありますように!世界の子供達みんなが幸せでありますように!!」と〆め、私達観客一同は、熱い拍手と歓声を返した。

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木村さんのソロライブも有山さんとキー坊のぼちぼちいこかライブも、心底 聴きに行って良かったと思った。さすが どちらも日本のブルース界を背負って立つ大御所だと 改めて痛感せずにはおれなかった。
木村さんが、笑いに乗せて観客を楽しませ和ませ幸せを与えてくれるライブであったのに対して、有山さんとキー坊は、生きる活力を与えてくれるそれであった。

どちらのライブも 了ったのが9時50分くらいで、電車で3駅西の西荻窪の我が家に着いたのは、10時20分だった。
観客の中には地方から泊りがけで出て来ていた人も少なくなかった中、たったの30分で 日本最高峰のブルースを堪能出来る場所に住んでいる私は、何という幸せ者なのだろう!と、自室の灯りを点けつつ曲やMCを頭の中で再生した。


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マリリンモンロー主演映画お薦め五作品 [感想文]

今回は、私が中学一年の時からの熱烈なファンで 今もなおかつその情熱は薄らずにいる、私の中で世界一素晴らしい女優・マリリンモンローの主演お薦め映画五作品を、紹介したいと思います。
この五作品、モンローの魅力が最大限に発揮されていて、加えて 作品の出来そのものも 矛盾や欠点が無く優れている という二点から選びました。

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○「ノックは無用」 1952年 監督・ロイ・ウォード・ベイカー

ホテルに滞在する客のベビーシッターを頼まれたが、一人の男に出逢った事をきっかけに 精神を患っていた過去が噴出し、異常な言動に走ってしまう女性を、モンローが全身全霊で演じるサスペンス。
特別ファンではない方の中には「モンローは見てくれだけのセクシー女優」と思っておられる向きが少なくないかも知れませんが、この一作を観ると、彼女は、心理表現にも非常に長けた演技派でもある事が痛感できます。


○「百万長者と結婚する方法」 1953年 監督・ジーン・ネグレスコ

大金持ちとの結婚をもくろむ庶民の美女三人組の ロマンチックコメディ。
あれやこれやの作戦で挑むものの、最終的には三人は、心から愛した貧乏男を選ぶ、、、が、ラスト、その中の一人は実は大実業家だったと判明するというオチ。
モンローは、極端に近眼の女性をコミカルにチャーミングに演じ切っています。
フォックス型の眼鏡が少しもイヤミなく似合っていて、個性的な美しさを発散させています。


○「紳士は金髪がお好き」 1953年 監督・ハワード・ホークス

ジェーン・ラッセルと歌姫二人組を演じるモンローが、豪華客船の中での小事件に巻き込まれるが、ラストは二人共それぞれに幸せを掴む、ミュージカルラブコメディ。
ファッションショーさながらに次々とまとわれるクオリティの高いデザインの衣装と 十二分に盛り込まれたミュージカル場面は圧巻!
中でも、クライマックスシーンで モンローがピンクのドレスで「ダイヤが一番」を歌い踊るところは、その実力と美しさに 惚れ惚れと惹き込まれずにはおれません。
「五作品中どの作品が特にお薦めですか?」と問われたら、私は何の迷いもなく、この作品を挙げます。
その位、あらゆる点で完成度の高い映画です。


○「帰らざる河」 1954年 監督・オットー・プレミンジャー

ゴールドラッシュ時代を舞台とした 酒場の女歌手と彼女がホレているペテン師と誠実な父子の織りなす人間ドラマ。
女歌手・モンローが、冒頭シーンではゴキゲンに、ラストでは哀しみをたたえて歌う様の違いに、単に 見とれ聴き惚れるだけでなく、感情表現の見事な表し方にも着目せずにはおれません。
彼女が哀しく歌って了りかと思いきや、誠実な父が酒場から連れ出し妻にする という展開に心洗われます。
そして、酒場の前に捨てられた赤いハイヒールの寄りのショットに、これからの三人の幸福な生活が象徴されます。


○「バス停留所」 1956年 監督・ジョショア・ローガン

三流酒場で酔客の相手をさせられながら歌う自称・歌姫と 田舎から初めて出て来たウブなカウボーイが、すれ違いの恋の末にめでたく結ばれる というシノプシスのラブコメディ。
青いウロコ模様のセクシーな舞台衣装が、モンローのスタイルの良さと肌の白さを引き立て、惹かれては嫌いまた惹かれる彼女の表情の美しさと演技力が、アップによって 詳らかに見て取れます。

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以上が、マリリンモンローファン歴45年の私・ぼんぼちがお薦めする マリリンモンロー主演映画五作品です。
「モンローはポスターやスチール写真でしか見たことないよ」という方は、お気が向かれたら是非一度、また、私と同じ様に熱烈な長年のファンの方にも再観していただけたら、と思う 時代を超えた名作群です。


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映画「ゲンセンカン主人」 [感想文]

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先日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「石井輝男監督特集」が催されるというので、私の胸は期待に躍った。
何故なら「ゲンセンカン主人」が、必ず上映スケジュールに組み込まれているに違いないと 察したからである。

あんのじょう、あった。
「ゲンセンカン主人」(1993年制作)。日本劇映画史上に遺り続ける大傑作だと惚れ込んでいたものの、これまでVHS時代に家庭で観たきりで、いつか劇場上映される折りには是が非でも足を運ぼうと切望し続けていた作品だからである。

つげ義春原作の漫画「李さん一家」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」を、ちょっと凝った入れ子構造のオムニバスに仕立てて、つげ先生を彷彿とさせる漫画家およびそれぞれの話の主人公を 佐野史郎氏が演じ、ラストに つげ先生ご本人も登場し、役者陣に「この映画、いかがだったでしょうか?」と問われ 照れられて、それから つげ先生一家が李さん一家そのままに「李さん一家」の二階から顔を出して了 となる作りである。

先ず「李さん一家」であるが、鳥と話しが出来るという奇妙な貧しい男・李さんとその妻子が、図々しくも 主人公宅の二階に住み着き、主人公を困惑させる日々の物語であるが、そのどれもが破天荒で 観客の笑いを誘わずにはおれない。
中でも 李さんの奥さんの、無表情でありながらも非常識な行動が、ユーモラスである。

次に「紅い花」。
山に 親もなく貧しく暮らす少女の初潮を紅い花に例えた 叙情的一編。
川辺に落ちている紅い花々 川を流れる紅い花々 ラストショットで丘の傾斜いっぱいに風に揺れる紅い花々が、実に美しく、戸惑い 哀しさ 安堵 愛 を象徴している。

三話目は、メインタイトルにもなっている「ゲンセンカン主人」。
ゲンセンカンという宿屋の耳と口の不自由な女将と そこを訪れた主人公が、いい仲になってしまい、主人公はゲンセンカンの主人におさまった という過去を、ゲンセンカンの主人に瓜二つの男が知り、ゲンセンカンに向かう というシノプシスである。
ゆっくりと時間が流れるアングラ色濃いマチエールが、前時代的で圧巻である。

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四話目は「池袋百点会」。
売れない画家志望の主人公が、行きつけの喫茶店の 太宰かぶれの常連客に誘われて、銀座百点を真似て池袋百点を出版してひと儲けしようと目論むが、ずさんな計画は大失敗に終わり、太宰かぶれは一人逃亡する。
実は妻がいたという太宰かぶれの男の彼女であった 喫茶店のウエイトレスと主人公は、二人で男を探しに甲府へ旅に出る。
ラストシーンは、昇仙峡を巡る馬車に乗る二人。
彼女がついに泣き出した所で、画はロングになり ポコポコと山間をゆく馬車ののどかな景で完。
この話は、テムポ良くユーモラスに作られているのであるが、前述のラストショットが一層その空気感を盛り立てている。
又、ウエイトレス役の岡田奈々さんが、まさにつげ先生の漫画から抜け出てきたように 純粋でお人形さんさながらに可憐である。

そして最後に、作品全体から私が強く感じ取った事二つを簡単に綴りたい。
一つめは、石井監督は、つげ先生の漫画世界をみぢんも損なう事なく 忠実に再現しているという事。
キャスティングも、一人も違和感を覚える事なく、画作りも、ワンショットワンショットの構図がキマっていて、細部に至るまで完璧である。

2つめは、主演の佐野史郎氏の演技のクオリティーの高さである。
私は佐野氏は好きな役者さんの一人なので、過去に二度ほど 舞台を観に行った経験もあるのだが、改めて 如何に名優であるかを突きつけられた。
氏は決して ハッキリした大づくりの目鼻立ちではないのだけれど、無言のショットの時、寄りの顔だけで 内から湧き上がる複雑な感情が手に取るが如く仔細に伝わってくる。
今さらながらに、感嘆の溜息が出ずにはおれなかった。

映画「ゲンセンカン主人」、二十年以上劇場上映を待ち続けた甲斐が十二分にあった。
つくづく非の打ち所のない達作だと 大スクリーン相応の大きさで胸に染み入った。
つげファン 石井ファン 佐野ファン 映画ファン 以外の全ての人にも観ていただきたい 解釈し易くも芸術性高い作品である。

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映画「まわる映写機めぐる人生」を観にゆく [感想文]

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十二月某日ーーー
聖蹟桜ヶ丘駅近くのキノコヤというバーのニ階で、ssブロガー仲間でもある映像記録者の森田恵子さんの監督されたドキュメンタリー映画「まわる映写機めぐる人生」が上映されるというので、一もニもなく出向く。

久しぶりに乗る京王線。
住宅街の木々は たいしゃ色や山吹色に染まり、秋の終末を実感させられる。

私は聖蹟桜ヶ丘駅に降り立った事はまだなく、暖かい日であれば 駅周辺の通りを縦横に散策したかったところだが、本格的に寒い日となってしまったので、駅に隣接するカフェで時間を過ごし小腹を満たし、スマホの地図を片手にキノコヤを目指す。

ーーーが、これが見つからない。
キノコヤが在ると記してあるさくら通りという駅前大通りを三十分も行ったり来たりして、道ゆく人に尋ねたりもする。
三人目に尋ねた美容院の店主さんが ようやっとご存知で、無事 辿り着ける。
大ざっぱな地図しか見ていなかったので、キノコヤはさくら通りから脇道を入った所に在ると判らなかったのだ。

レトロかつモダンな小ぢんまりした店構えの扉を押すと、すでに観映目的のお客さんが三、四人いらっしゃった。
料金を払いドリンクにシメイの赤を選んでいると、背後から「あらあ!ぼんぼちさん!」弾んだ男性のお声がした。
同じくssブロガーで映像作家のsigさんである。
「わぁ!今日はsigさんもいらっしゃるかな?って思ってたんですよ。前もってお声掛けすればよかった」
「いえいえ、それはこちらこそ」
sigさんのお話しで、この時初めて 扉脇の椅子に静かに掛けておられる女性が 森田恵子さんだと判った。
ゆったりとお育ちになったと想像される とても品の良い素敵な女性だった。

上映準備が整い、私達客と森田さんと店員さんの十人ほどは、二階に移動した。

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映画の内容はーーー
戦前から戦後にかけて永年 映写技師をやっていらした方へのインタビューや、ATGが都市部の一部の映画ファンに熱狂的に支持されていた時代 どうすれば都市部ではない地域でも上映出来るか奔走した方の話しや、地方の芸大の映画学科の学生さんが 自身の学校の在る土地でどう市民に映画をテーゼしているかや、現在 あえてフィルム上映に拘っている劇場の若手の技師さんの語りなど、興味深いものばかりだった。

中でも私が気になっていたのは、東京では洋邦問わず 古い作品や自主をかけてくれる映画館は幾つも在るが 地方ではどの様な状況なのだろう?という事だった。
本編を観ると、地方でも そういった方向性で頑張っている劇場が取材されていた。
しかし、上映後にそれを森田さんに喜ばしく伝えると、「そういうことをやってくれている劇場もあるにはあるんですけど、まだまだ地方はとても少ないんです」と 残念そうにお答えになった。

又 非常に共感を覚えずにおれなかったのは、作品ラスト近くで、シネマヴェーラ渋谷の四十代と思しき映写技術者さんが、「最近はパソコンやスマホの小さな画面で一人で映画を観て『映画を観た』と自認している人が多いけれど、映画を観る という行為は、観に行く日に家を出るところから始まって、他の大勢の観客と共有体験をして、その日の天気や匂いまでも観た映画に連結され、家に着くまでが映画鑑賞なのだと思います」と語られていた事だった。

アップテムポのBGMも要所要所に効果的に使われていて、もったりせずに 大変に密度の濃い充実した作品だと感じた。

私は、あくまで素人の趣味というスタンスでだが、長年 映画にまつわる勉強をしたくてしたくて、社会人になって久しくして時間に余裕の出来た時期に、演技の実技 演技論 シナリオ作法の実践 朗読の実技 世界実験映画史 映像理論を それぞれの研究所で学んできたが、映写技師さんのお仕事についてはまるで無知だったので、そういった観点からも、実りある勉強をさせていただいたという観映後感だった。
森田恵子監督に感謝である。

帰路ーーー
sigさんと京王線で調布までご一緒した。
車内でしきりに、今日の森田さんの作品について 過去に作られたsigさんの映画について そして私のブログについて語り合った。

最寄り駅に着くと、商店街のクリスマスイルミネーションが 暖色系に灯っていた。

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小沢昭一特集上映「昭和の怪優・小沢昭一のすすめ」 [感想文]

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先日の九月七日〜十月四日にかけて、神保町シアターに於いて「昭和の怪優・小沢昭一のすすめ」と題された 故・小沢昭一氏の特集上映が行われたので、小沢昭一ファンの私は、時間の許す限り観られるだけ観に行こうと勇んだ。

上映作品は、以下の十六作品で

1「銀座旋風児 目撃者は彼奴だ」 監督・野口博志 1960年
2「お父ちゃんは大学生」 監督・吉村廉 1961年
3「喜劇 急行列車」 監督・瀬川昌治 1967年
4「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」 監督・須川栄三 1969年
5「どじょっこの歌」 監督・滝沢英輔 1961年
6「競輪上人行状記」 監督・西村昭五郎 1963年
7「『エロ事師たち』より 人類学入門」 監督・今村昌平 1966年
8「痴人の愛」 監督・増村保造 1967年
9「大出世物語」 監督・阿部豊 1961年
10「越後つついし親不知」 監督・今井正 1964年
11「『経営学入門』より ネオン太平記」 監督・磯見忠彦 1968年
12「喜劇 女の泣きどころ」 監督・瀬川昌治 1975年
13「波止場の無法者」 監督・斎藤武市 1959年
14「大当り百発百中」 監督・春原政久 1961年
15「鉄砲犬」 監督・村野鐵太郎 1965年
16「スクラップ集団」 監督・田坂具隆 1968年

うち 私は、「喜劇 急行列車」「『エロ事師たち』より 人類学入門」「痴人の愛」の三作は過去に観ていたので、今回の特集では「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」「『経営学入門』より ネオン太平記」「波止場の無法者」「スクラップ集団」を観映した。

この四作品の中、最も秀作だ!これぞ大傑作だ!!と唸ったのは「『経営学入門』より ネオン太平記」である。
アルサロの支配人・小沢氏が、仕事と私生活に体当たりの命がけで挑む様を 哀しくおかしく描写した大人のコメディである。
小沢氏の人間臭さ溢れるノリにノッた演技のみならず、水っぽくなくかつ説明不足もない 痛快なテムポと巧妙な手法の演出が見事な 非の打ち所のない作品である。

次に出来が良いと思ったのは「スクラップ集団」。
高度成長期真っ只中、世の中が 物質の豊かさ=幸 であり 使い捨てを良しとする方向に邁進する時代、それに逆行する生き方を貫く三人の男が清らかに、邁進こそが正義だと断言する男がヒットラーの如き存在として描かれている、この時代のあり方に疑問符を叩きつけた社会派コメディ。
小沢氏は、清らかな三人の男の一人、ゴミ拾い屋役を担っている。

三番目に面白かったのは、「ブラック・コメディ ああ!馬鹿」。
しがないサラリーマンが、そうとは知らずに上司の愛人に惚れてしまった事からとんでもない騒動に巻き込まれる というシノプシス。
小沢氏の得意とする 情けなくも利を得ようとする男が、笑いを誘わずにおれない。
ただ、脚本にはちょっと残念な部分があり、起承転結の起承までは吸引力が強烈にあり 観客席にしばしば笑い声を響かせてくれていたが、転の出来事は一つあればいいものを二転三転させ、ごちゃごちゃとした印象を与え、結に相当するシークエンスも一つあればスッと了れるものが二つもあって、もったりしてしまっていた。
この作品、巧く編集し直せば かなりの達作に昇華すること必至である。

そして、順位としては四位にしてしまった「波止場の無法者」。
だがこの作品も、決して駄作というレベルではなく、典型的な五十年代アクション映画で、可もなく不可もなく といったところである。
小沢氏は、ヒーロー役の小林旭の後ろからヒョイ!と顔を出すひょうひょうとした子分役で、作品全体の中での自身の役割を熟知し それを最大限に駆使した計算高い演技で、小林のカッコ良さを巧みに引き立てている。
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以上が、今回の特集上映で観た四作品のおおまかな感想であるが、そもそも 私は何故、小沢昭一氏のファンになったかというとーーー

三年ほど前に「痴人の愛」の譲治役のあまりの名演技に惚れ込んでしまったからである。
ーーー「痴人の愛」以前も、私は、ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」やGS映画の脇役で知っており「面白い役者さんだな」とは感じていたが、譲治役ほど大きな役を演られているのを観たのは初めてだったのだ。

元が実直だからこそ 淫乱で奔放な女に翻弄され、もがけばもがくほど底なし沼の如く足を絡め取られ 全身をうずもれさせ、いつしかそれこそが快感と浸る男の滑稽さを、押し付けがましくなく、巧みに隠した計算を背に、時に笑わせ 時に涙を誘わずにおれなかったのである。

私は、頭の中で考えて考えて考え抜いて 練って練って練り抜いた末に さり気なく「フッ…」と出す演技が好きなのである。
逆説的にいうと、「どうだい!俺は役者中の役者○○だぜ!俺の演技は迫力あるだろ!」と言はむばかりの 脚本全体の中での自身の与えられた位置を考えない自己中心型の演技や、ナルシスティックな演技や、すでにどこかで誰かが何度も演っているでしょう という型芝居は嫌いなのだ。

小沢氏は、私のこれまでの人生で、二人目に惚れ込んだ男優さんである。
ーーーちなみに一人目は山田孝之さんである。活躍時代は前後するが。

それもその筈、小沢氏は、映像や舞台のみならず、俳人としてのお顔をお持ちだったり、落語や大衆芸能 放浪芸などにいたく興味を抱かれ、追究され、著書も多数おありなのだった。
ーーー今 私は、氏の著書を見つけては読破してゆこうと、折ある毎に 神保町古書店通いをしている。

本業に加え それらの研究も実を結ばれたのであろう、放送大学客員教授に招かれたり 紫綬褒章 坪内逍遥大賞 他 多くの賞を受けられていたと知った。

深く観客の心を突き動かす演技というものは、レッスンを受けて 現場の場数を踏み、単純に「上手く」なるだけではないという事を、小沢氏は、その人生全てで以て教えてくださった様に思わずにおれない。
演技というものは、その役者の背景に背負っているものが、どれほど膨大であるかが滲み伝わるものであると頷かずにはおれない。

小沢昭一氏、「虎は死して皮を残し 人は死して名を遺す」まさにこの言葉通りの 偉大なる人物だと痛感している。
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三島由紀夫の自決の真相についての主観的な見解と感情 [感想文]

古書店街を歩くと、カフカと並んで三島由紀夫の研究書が溢れているのが、いやがおうにも目に留まる。
手に取りパラリパラリとやると、内容は、彼の自決の真相を追究したものが圧倒的に多いことが判る。
それだけ彼の自決は、いまだにあれこれと憶測が飛び交い、まるで理解不能だと首をひねったり 気が狂ったのではないかと結論づける知識人も少なくないようである。

しかしーーー
私は、三島が死を選んだ本当の理由が明確に理解が出来るし、そういう行為に及ばずにおれなかった気持ちも痛いくらいに解る。

彼は、表向きは、国を憂いて云々 大義が云々、、、と熱弁していたが、あれは、最も格好良く 称賛を浴びつつ命を了えるための理由付けであったと思う。三島ならではの、ええかっこしいのパフォーマンスであったと思う。

薔薇.JPG本心から皆に解ってほしかったら、一体全体何故、芝居の演出まで手掛けた人間が、市ヶ谷駐屯地で、垂れ幕にチマチマとした小さくて読めない字で訴え文を書き 性能の良いマイクを使わずに届かぬ声を張り上げたのだろう?
あれは、読めてしまっては 聴き取れてしまっては いけなかったのである。
皆が納得して「そうだ!三島の説く通りだ!おー!」となってはいけなかったのである。
つまり、全ては、三島が自身のために書き上げた脚本通りに事が運んでくれたのである。
彼は、その計画が見破られないために、何年も前から周到に、裏付けとなる言動をし 予算も貯めていたのである。

本当の理由はーーー
せっかく多大な努力で手に入れた肉体美が老いによって失われてしまう恐怖と あらゆるテーマであらゆるシノプシスで余りにも幾多の作品を生み出し続けたことで自身の頭蓋が涸れてしまったことである。

元々美しい人なら 老いによる美しさの消失を受け入れられるかも知れないが、三島は、陽の当たらない屋根裏部屋で育ったエノキダケのような貧弱な容姿だった。
その頃のコンプレックス・屈辱感は、尋常ならざるものがあったと察する。
そして、血反吐を吐くほどの努力により、筋肉隆々の肉体美を我が物とするや、胸元を開けたシャツに金のペンダントといったファッションには留まらず、浅草マルベル堂でプロマイドを作ったり 細江英公に薔薇1.JPG写真集「薔薇刑」を撮ってもらったりと、美しさの天国を 花畑を駆け巡るが如くに満喫するのである。
それが「老い」という どうにもならない理由で失われ、肉体美天国の甘露に浸れなくなるのは、彼にとって「死んだほうがよっぽどマシ」なほどの恐怖だったのである。

頭蓋が涸れてしまうことも同様に、彼にとっては「死んだほうがよっぽどマシ」な地獄への転落なわけである。
安部公房氏は見抜いていた側の一人で「彼は書きたいことがなくなってしまったんだよ。作家にとって書くことがなくなるほど辛いことはないからね」と 話している。

多くの反論を百も承知の上で、あくまで私個人の主観的感情を述べさせていただくとーーー
三島の自死は、決して不幸な死ではなかったと思う。
醜く老いた肉体や 書くことがなくなった元作家でいながら生きながらえるより よほど幸せだったのだから。
私は自死というものが全て 不幸のどん底の果てのものだとは限らないと考えている。
三島の母上も、彼の死を知った時、冷静にこう発したという。
「あの子はやりたいことをやったんですよ」ーーーと。


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映画「Checkers in TANTANたぬき」 [感想文]

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もう何年も以前、私は、江戸川乱歩の短編小説の映画化作品「押絵と旅する男」を観て以来、その作品のあまりの完成度の高さに感動したと同時に、監督をつとめた川島透氏に大変興味を持ち、川島氏の監督作品は 折りある毎に一作づつすべて観てゆこう と決意しました。
そして 何作目かに観たのが、この「Checkers in TANTANたぬき」(1985年製作 脚本も川島透)です。
商業作品中の商業作品なので 予算は潤沢に出るものの 様々な理不尽なダメが出て、妥協の末に仕上げてしまった整合性の取れていない駄作だろう との予測の元 鑑賞を始めたのですが、ところがどっこい! これが、理論構築のガッチリなされた 水っぽさ(無駄にもったりした脚本)も欠落(説明不足)もない 非の打ちどころのない大傑作だったのです。

ジャンルとしては、かつてのGS映画の理論構造をそのまま継承した娯楽音楽映画で、主演のバンドのメンバーの出番が多く いかにカッコ良く描かれているか 主演バンドの楽曲がたくさん巧妙なタイミングで挿入されているか 客層のターゲットである中高生の少女達が「きゃっ!カワイイ!」と喜ぶツボを押さえているか、という このジャンルの映画に必須の条件がすべて 疑問も矛盾も抱かせることなく 精密なパズルのように組み込まれています。
GS映画の中では 私は、「タイガース 世界はボクらを待っている」が突出して優れた作品だと認識していますが、この作品は、「世界は----」と肩を並べるくらいのクオリティの高さです。

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さて、シノプシスは----
チェッカーズは、森の中で平和に暮らす 檻に入れられることが弱点の 超能力を持つ七匹のタヌキ。
夜な夜なタヌキ仲間とダンスパーティーを開いて楽しんでいたが、ふとしたきっかけで、東京へ行き 人間のふりをしてバンドデビューすることとなる。
デビューするや 人気は大沸騰するが、元はオカルト番組に力を注いでいて今もその信念だけは捨てていない歌番組担当のディレクターに メンバーの中の一匹のちょっとしたうっかりが原因で、メンバー全員はタヌキであることが判明してしまい、近くに控えていたコンサートは中止を言い渡されてしまう。
チェッカーズはそのディレクターと交渉し、ファンのいないコンサート会場で テレビカメラを通して 自分達がタヌキであることは事実だと自らの口からも明かし、人間界の音楽活動から身を引き 世間の人々の前から姿を消す。
・・・・・・・・が、メンバーがどこにいるのかを聞きつけた大勢の大勢のファンがメンバーのところに押し寄せ、「タヌキだって人間だって同じ!」と 平等・博愛精神で包み、チェッカーズは幸せに人間界で音楽活動を続けることとなった。
------というものです。

-----このシノプシスを読んで、「プッ!」と吹き出されたかた おられるかと察します。
しかし、作品の出来不出来というのは、設定やモチーフで決まるのではないのです。
いかにガッチリ理論構築がなされていて 整合性がとれているか 無駄または欠落がないか テーマが前面に打ち出せているか、なのです。
解かり易い例を挙げると----
音程もリズムも正確に取れなく感情を乗せることもままならない人の歌うオペラと それらがきっちり豊かにできる人の歌う童謡は、どちらが優れた歌でしょうか。
デッサン力もなく色彩理論も理解していない人の描いた高野フルーツで買ったマスクメロンと それらがしっかり身に付いている人の描いた安売りスーパーで買ったリンゴは、どちらが優れた絵でしょうか。
答えは言わずもがなですよね。
けれど何故だか、映画に関しては、重い高尚な設定・モチーフを扱えば優れた作品だと誤解している人が 少なからずいるように感じています。
ですから、この「Checkers in TANTANたぬき」、特に、映画を勉強している人 将来プロの活動屋を目指している人に観て 勉強していただきたい作品です。
そして、川島透氏の、理論思考に徹底した頭脳 商業の仕事でありながらも作品のクオリティを下げない精神的強さも吸収していただきたいと思います。

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----以上が映画の感想で、ここから先は少々余談になりますが・・・・・
作品本編には、チェッカーズの歌い奏でる曲が12曲入っています。 50Sスタンダードナンバーと シングルカットA面の曲と アルバムの中に入っていると思われるオリジナル曲と。
あくまで、これは私の主観・嗜好ですが-----
シングルカットされた曲より 50Sカバーとアルバムの中の曲のほうが、がぜん良いのです。
もしも、シングルカットされた曲をまったく演らずに 50Sカバーとアルバムの中の曲を半々の割合でテレビで歌ってくれていたら、私はファンになっていたと思います。
しかし、チェッカーズは、日本全国津々浦々の それはもうたくさんの中高生の少女達をファンとして取り込む戦略で仕事をしていたので、ああいった歌謡曲調の楽曲がシングルカット用に作られたのでしょう。 その方針はメンバーご本人達にとっては本意ではなかったかも知れませんが。
実力のあるバンドだったので、個人的には50Sのカバーアルバムを一枚くらいは出していてほしかったな・・・・・そしたら迷わず購入したのに・・・・・・と思いました。

加えて、も一つ余談になりますが・・・・・・・
私は、「何て素敵なんだろう!」と思えるルックスの男性有名人がめったにいないのですが、この映画の頃のメインボーカルの藤井フミヤさん(おそらく22~23才くらいでしょぅか?)は、ストライクゾーンど真ん中です。 お顔も体型も。
私がこれまでの人生で、「何て素敵なんだろう!」と思えた二人目の男性有名人です。
ちなみに一人目は、17~18才の頃のあいざき進也さんです。
三人目は、まだいません。
そう、私は、小柄で華奢な体型で ネズミさんみたいなお顔立ちの男性が、好みのルックスなのです。

と、今回はあれこれ余談が過ぎましたが、みなさんも、もしもお時間があってお気がむかれたら、「Checkers in TANTANたぬき」、ご覧になられてみてください。 
ユーチューブでも全編 観ることができます。 尺は117分です。

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ブルースに疎いぼんぼちの語るサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ [感想文]

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私は、きちんと音楽理論を勉強したわけでも マニアというほど明るいわけでもありませんが、「好きな音楽ジャンルは何?」 と問われると 迷わず、「戦前からシカゴ時代までのブルース」 と答えます。
「では、その中で特に好きなミュージシャンは誰?」 と踏みこまれると、やはり迷う事なく 「ミードルクス・ルイスとサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ」 と返します。
ミードルクス・ルイスは、戦前から戦後にかけての代表的なブギウギピアニストで、彼については以前 このブログで紹介させていただいたので、今日は、サニーボーイ・ウィリアムスンⅡについて 綴らせていただこうと思います。

サニーボーイ・ウィリアムスンⅡは、1899年生まれらしく(らしく というのは、この年生まれの説が最も有力で いまだに正確には不明だからです)、そして 主に1950年代初頭から1965年まで活躍し、シカゴブルースの土台を築いた一人と言われている 名ハーピスト(ハーモニカ奏者)&シンガーです。
名前の最後に付いている「Ⅱ」というのは、同姓同名のブルースハーピスト&シンガーがもう一人いて、その人と区別するために 後年になって付けられたものです。
両者の間に血縁関係や師弟関係はなく、Ⅱが「Ⅰのようになりたい!」といった願望から 同名の芸名にしたようです。
ですから、時代がくだってから編集されたものを除くと、発売されているレコードは勿論、CDもレコードのジャケ写を縮小コピーしたものですから、ⅠもⅡも単に、「サニーボーイ・ウィリアムスン」名義になっていて、ご本人の顔写真が印刷されていない盤もあるので、ちょっと調べないと判別しづらいです。

さて、その私の好きなほうのサニーボーイ・ウィリアムスンⅡ、どんな音を出していた人か というと、とにかく「渋い!」の一言に尽きます。
低めのしゃがれ声で、時に語るように 時に叫ぶように歌う。 けれど決して 腹の底から地面を揺さぶるように吠えたりはしない。
ハープも、肺の空気ありったけを使ってプヒーーーーーーーーーッ!!!とは演らない。 プヒプヒプヒプヒ プヒーーーッ!ってな感じです。
シカゴブルースと一口に言っても様々なわけですが、私は個人的には、彼くらいの「押し過ぎなさ」「引き過ぎなさ」が最も嗜好にしっくり来、至福の心地良さを感じてしまうのです。

後にロック界で世界的にメジャーになるアニマルズやヤードバーズとも 1964年に渡英した際に共演していて、その時のライヴはレコードやCD化されて遺されていますが、若きアニマルズやヤードバーズが いかに当時のブルースにリスペクトしていたかや ブルースからロックへと変遷してゆく様が手に取るように解かって、彼らとの共演も、ブルース史・ロック史に於いて 非常に貴重で有意義なことだったと 思わずにはおれないものがあります。

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サニーボーイⅡは、1965年まで仕事をしていた人でしたから 映像も幾つも遺されていて、それを観ると、聴かせることのみならず「観せる」ということに関しても とても心を砕いていたのが見て取れます。
先ず、お洒落です。
長い手足にバッチリ似合ったスーツに山高帽、肘にはステッキを下げての登場です。
そして、ハープの吹き方には 目が釘付けになります。
ノッてくると、両手をハープから離し、ハープをほぼ口の中に入れてしまい 口をモゴモゴと動かすことで音程を調節するのです。
のみならず、今度は 鼻でも吹き始めたりするのです。
それらの様子が、ユーモラスで楽しくて実に見事!
何というエンターテイメント性の高さ、サービス精神旺盛なアーティストなのでしょう!
私は最初、彼のファンになった時点では 音源だけしか知りませんでしたが、何年か経って映像を観て、「熱烈な」という形容の付く大ファンにならずにはおれませんでした。

彼は又、大の大酒飲みで、「これ以上飲むと死ぬぞ!」と 医者から宣告されていたそうですが 聞く耳持たずに飲み続け、晩年は、ステージの上に空き缶を置いて プレイの合間合間に缶の中に血を吐いてはステージをこなしていたそうです。
何というプロ根性でしょう!

そんなサニーボーイⅡ、1965年に ついに心臓発作で亡くなってしまいます。
精神的に 酒を飲まずにはおれないものが彼の中にとぐろを巻いていたのでしょうが、こういった点からも、如何にもブルースマンらしいブルースマンであったと、私は、ブルースに疎い者ながらも 深く頷いてしまいます。
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「ベスト&ノンストップ フィンガー5」を聴いて [感想文]

今日は、70S前半 日本中を席巻したジャパニーズソウル・チルドレングループ フィンガー5のデビュー40周年を記念したアルバム「ベスト&ノンストップ フィンガー5」の感想をつづりたいと思います。
フィンガー5のCDは現在 幾枚も発売されているのですが、何故 私がこのアルバムを選んだかというと、カバー曲がたくさん収録されているからです。
カバーは、その歌い手さんの実力が如実に反映されるので、どの歌い手さんのアルバムを求める時も、私は「カバーが一曲でも多く入っていること」を目安に選んでいます。

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フィンガー5がTVに登場するようになった頃、私は確か小学四年くらいでしたが、彼らの歌にまともに耳を傾けてみたことはありませんでした。
理由は----
私の父は若い頃 バイオリンニストで、クラシックだけでは食えずに、TVの歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをしてしのいでいました。
が、それでも生活が出来なくなり、私が三才になった時に 音楽の仕事そのものも辞めたのですが、その後も、「クラシック以外は音楽じゃない! 特に流行歌の歌い手なんてみんな下手クソだ!」と憮然と言い放っており、私はそれを刷り込まれて育ったからです。
歌番組は観ていましたが、歌を聴くのではなく、ステージ衣裳のきらびやかさと好きなお顔の歌い手さんを観ることだけが目当てでした。

時が経ち 十八才になった時----
私は、FENから流れるチャック・ベリーと邦楽ではスパイダースとゴールデンカップスに衝撃を受け、父の流行歌全否定発言は、自身が本意ではないアルバイトをせねばならなかった事の屈辱感からくるやっかみであり 間違いだったと気づきました。
以降、ジャンル 時代 洋邦問わず、自分の嗜好に合いそうな音楽は 次々と聴いてゆくようになりました。
そして ふとしたきっかけで、最近 耳に留まったのがフィンガー5だったというわけです。

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アルバム全体の印象としては----
想像していたより遥かにソウルフルで、さすが沖縄出身で米軍基地を巡って歌っていたキャリアのあるグループだと感服しました。
それから、何よりも心をわしづかみにされたのは、変声期を迎える前の晃くんの 歌唱力の高さと素晴らしくよく通る声質の美しさです。
殊に、ルイス・ウィリアムズのカバー「ステッピン・ストーン」は、非常に黒っぽく、マイナーコードでありながらもノリが良く、冒頭近くの何小節かを次に繰り返す時に 表声で一オクターブ高く歌っている事に驚かされました。 「表声でここまで高音が出るのか!」と。
メッセンジャーズのカバー「気になる女の子」も、アップテムポでゴキゲンな曲調で、「アアン・アアン・ア~アアアアン・・・・」というスキャットが何とも可愛らしいです。
他には、ジャクソン5のカバー「愛はどこへ」、カーペンターズのカバー「イエスタディ・ワンスモア」などが、まっすぐに美声が伸び、聴いていてとても心地が良かったです。

「世の中で最も美しい声は、変声期前の少年の声・ボーイソプラノだ」と昔から言われ、ウィーン少年合唱団などはそれを証明し続けている存在ですが、ジャンル 発声法は違えど、今回 私は改めて そう言われ続けている事に深く共鳴しました。
ウイーン----がクラシック界の「天使の歌声」であるなら、変声期前の晃くんは ジャパニーズソウル界のそれだと唸らずにおれません。

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又、変声期というものについて このアルバムを聴いて初めて気付かされた事があります。
私は、変声期というのは、ある時 突然、小声でしゃべるのもままならないくらいにカラカラに声が出なくなり 何カ月かすると突如として出来あがった大人の男の声が出現するものだと思い込んでいたのですが、そうではないのですね。
じょじょに出る音域が下がっていって 最終的に大人の声に落ち着くのですね。
私は中学高校と女子校だったので、恥ずかしながらそういう事を全く知りませんでした。
ディスク1がほぼ時系列に沿った形で収録されていた事とDVDが付いていた事で よく解かりました。
変声期中の声だと オリジナルのバラード曲「悲しみの十字路」のあたりになると思うのですが、これは 少年とも青年ともつかず 中性的な魅力に溢れ、「何とセクシーな声なのだろう!」と惹きこまれてしまいました。
この時期の声も 寿命が短いだけに非常に貴重なものだと思いました。

シングルカットされたオリジナル曲にも 少し触れたいと思います。
「個人授業」 「恋のダイヤル6700」 「学園天国」 「恋のアメリカン・フットボール」 「バンプ天国」
これら一連の楽曲は、誰にも解かりやすくて 思わず一緒に口ずさみながらリズムをとりたくなる様 巧みに計算されて作られていて、歌謡ソウルの名曲といったところですね。
阿久悠氏 都倉俊一氏 井上忠夫氏といった 当時の売れっ子作詞家作曲家の起用によって、「この作品は売るぞ!」といったエネルギー 意気込みが伝わってきます。

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ディスク2は、DJリミックスという形がとられていましたが、面白くリミックスされていると感じる箇所と 「耳ざわりが良くないなぁ、元のフィンガー5の楽曲をもっと尊重してほしいなぁ」と眉をひそめてしまう箇所があり、個人的にはプラスマイナスの両面を感じました。

そういった点はあるものの、総じて言えば、私はこのアルバムを購入して本当に良かったと実感しています。
フィンガー5の歌う楽曲、当アルバムに収められていないものも これから積極的に聴いてゆきたいと考えています。


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「横浜ホンキートンクブルース」聴きくらべ [感想文]

「横浜ホンキートンクブルース」-----1980年に、俳優の藤竜也氏・作詞 元ゴールデンカップスのエディ潘氏・作曲で作られ、エディ潘氏の歌唱によりヒットした イエローブルースの大傑作である。
過ぎ去った恋のみれんにブルージィに溺れる大人の男が、エディ氏の 上顎にカーンと軽く響かせる声の出しかたにより、心地良く 重過ぎないタッチで表現されている。

この「横浜----」、その後 幾人ものかたによってカバーされており、聴きくらべてみると、同じ歌詞でありながら それぞれ歌い手さんの個性・歌い方によって 微妙に違う主人公像・違う心情・違う情景が浮かびあがってきて 実に面白い。
よって今日は、その中で特に私が心を突き動かされた 数人のカバー作品を紹介してみることにする。

先ず、松田優作氏。
荒くれ者が路傍の空き缶を蹴飛ばしながら 自暴自棄になっている情景が浮かばずにはおれない。
ブルースというジャンルは、歌詞・感情を前面に出して メロディも音程も自分なりに崩して歌うのに相応しいので、役者が歌うのによく似合う。

ヨコハマ1.jpg同じく役者の原田芳雄氏もカバーしている。
力強さを備えながらもひょうひょうとした ふられ男の滑稽さに ついにんまりとしてしまう。
崩しかたは松田氏以上で、殆ど台詞のように歌っている。
「♪たとえばブルースなんて 聴きたい夜は・・・・」という一節があるのだが、「ブルース」の部分を モダンブルースの王者「BBキング」と歌っているところも興味深い。
私は個人的には、松田氏も原田氏も 日本を代表する名優だったとは認めているが、自身の個性をこれでもかと前に出す強烈な演技は嗜好に合わなく 役者としては好きにはなれない。
しかし、ブルース歌唱ではこれくらい自身に引き寄せて自身を出して表現することに 違和感を覚えず魅力を感ずる。

又、宇崎竜童氏も、二種類のバージョンで歌いあげている。
この歌は元々がスローテムポなのだが、元歌とほぼ同じテムポで歌っているものと かなりのスローで弾き語っているものとがある。
「♪たとえばブルースなんて・・・・・」の部分は、前者バージョンは「ジョンリー・フッカー」 後者は「エルモア・ジェイムス」と変えているところも、宇崎氏の敬愛するブルースミュージシャンがうかがえて楽しい。
さすが 本業がミュージシャンのかただけあって、音程に忠実で 根の張った底力が感じられる。
私は、数人の好きなカバー作品の中でも特に、この宇崎氏の 元歌とそう変えていないテムポのバージョンが気に入っている。
歌詞の世界観が 独自の世界観としてはなれ過ぎずに、---つまり、自身の個性を巧く出しつつも 元歌への敬意というものが伝わってくるからである。

そして、歌詞を作った藤竜也氏も歌っている。
ヨコハマ.jpgこの歌は元々違う歌詞が付いていたところに、「曲はいいけど詞は良くないから 俺が書き変えてやるよ」といった調子で、横浜を愛する藤氏によって今の詞に決定され、売り出されたらしい。
軽々と頓狂な男 といった像で表現されている。
「♪ブルースなんて・・・・」は、「♪トム・ウェイツなんて・・・・」である。
あえて王道のブルースミュージシャンでないところが意表をついていて心憎い。
又、間奏中に長々と台詞を入れているので、情景や主人公の心情が具体化されている。
ここまで説明されてしまうと、観客にゆだねる世界が少なくなって 好き嫌いが極端に分かれてしまうかもしれないが、たくさんの「横浜----」主人公像のある中では こんな像もあっていいのではないかと 私は思う。

この名曲、女性歌手も歌ってはいるのだが、やはり男の歌だと痛感する。
男でこその喜びと悲しさをめいっぱい経験してきた大人の男が歌って 初めて立ち上がり成立する世界である。
女性で歌ってサマになるのは、和田アキ子さんくらいではないだろうか?
一度、和田アキ子さんの歌う「横浜----」も聴いてみたいものである。

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