人間として最低だったデザイン教師Y [独り言]
私の通っていた中高は美術学校だったので、美術の教師の数が最も多かった。 絵画教師三名、デザイン教師三名、美術理論教師一名、美術史教師一名、と。
そして、他の教科の教師よりも美術教師達のほうが権限を持っており、美術教師同士の間では、派閥争いが、生徒の目から見ても凄まじいものがあった。
中、私が高一になった時、Yという四十代独身のデザインの女教師が、担任となった。
Yは、水商売を生業とする女性を執拗に軽蔑したり、毎日、そうじ当番と一緒にせっせと教室のそうじに励んで、生徒の人気取りに懸命だったりと、私達生徒に、特に評判の悪い教師だった。
又、登校中に、最寄り駅から学校までの道すがら、私を見つけるとまるで影のようにぴったりと貼り付いてきて、学友の事や家庭の事を根掘り葉掘り聞いてきたり、夏季旅行の時のパジャマは派手で宜しくなかったとか、制服のベストがタイト過ぎるとか、学校に到着するまでひっきりなしに、ヒソヒソ声で一方的に話し続け、私は何か、この教師に狙われている感を覚え、Yと遭遇する度に、嫌あな気持ちになっていた。
と、そんなある日ーーー
Yから突然、自宅に手紙が送られてきた。
内容は、、、
「この手紙はぼんぼちさんにだけ出しています。 ぼんぼちさん、他の美術教師の言う事なんて聞いてはダメです! 私の言う事だけを聞いて、私だけに着いて来なさい。 先生は誰よりもぼんぼちさんの事を思いやっています。、、、、、」
そしてその後は、自分は戦時中に食べる物も食べられなくて如何に苦労したかが、長々と書かれていた。
私の中の嫌あな気持ちは、コップの水が溢れ出す様に、誰かに吐かねば精神が治まらないところまで来てしまった。
翌日、一番仲良しのクラスメートのKさんという子に、手紙の顛末を打ち明けた。
するとKさんは、目を丸くして声をあげた。
「えぇっ!!それとまったく同じ文面の手紙、うちにも来たよ!」
私達二人は顔を見合わせて呆れ、ため息をついた。
私はこのままでは治まりがつかないので、Y宅に「私に出したのと全く同じ文面の手紙、Kさんにも出しましたよね。 私は、そのような事をするY先生を信頼出来ません。 憤りの気持ちでいっぱいです。」と返信した。
何日か経ってーーー
夜、うちの電話が鳴った。
Yからだった。
Yは、「こんな手紙を先生に送りつけて来るなんて、警察に訴えますっ!! 云々、、、」と、ヒステリックで理論に欠けた文句をわめき散らし、ガチャン!と電話を切った。
私はあまりの呆れ返りに、もぅ返す言葉もなかった。
以来、Yは、学校でも登校時でも、私を透明人間の如き無き者として扱った。
私がデザイン教師Yから学んだのは、「人間とは、どれほど汚いものか」であった。