久世光彦著「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」 [感想文]

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久世光彦さんというと、多くの方は、テレビプロデューサーの業績を思い浮かべるかも知れない。
けれど久世さんは、後年は、小説 評論文 私小説 エッセイなど、書くお仕事もされていて、それらも高い評価を受けている。
今回ご紹介する「みんな夢の中 続 マイ・ラスト・ソング」は、文士としての久世さんの、「死ぬ前に何の歌を聴きたいか」というテーマにのっとった 秀逸な 評論文とエッセイの中間あたりに位置する作品集である。

53曲の歌ーーー主に流行歌、他には唱歌、軍歌などもーーーを取り上げられ、ご自身のその歌にまつわる直接的な思い出話しや、独自のイメージを膨らませた歌詞の解釈、歌っていた歌い手さんの人となり、そして時代背景についてまで、柔らかでありながらも骨格のしっかりした文体でつづられている。

久世さんは昭和10年のお生まれだから、私は古くて知らない歌が殆どで、53曲中 知っていたのは、「君をのせて」(沢田研二)「赤色エレジー」(あがた森魚)「プカプカ」(西岡恭蔵)「月の砂漠」(唱歌)の4曲だけだった。

しかし、全53曲分を読んでみると、そこに通底した久世さんの、熱く強い思いを感じずにはおれなかった。
それはーーー
これらの、決してクラシックのように高尚ではない歌は、家族の思い出、ひいては絆そのものであり、それらを家庭で口づさんだり、声を揃えて歌った事は、家族の結束の具現化だったーーーという事である。

ここに私は、ハッ!とした。
何故なら、私には、そういった体験がみぢんもなかったからである。

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それは私の家庭が、母親が人格破綻者だったために「家庭」という体をなしていなかった事のみならず、父がクラシック音楽以外は音楽とは認めない、ましてや流行歌などは、オンガクとすら言えないゲレツなものだ、という考えの人だったからである。

父は尊敬できる人だった。
私を育てるために頑張って仕事に邁進してくれ、人を愉しませるために常に明るくハッハと笑い、少しも説教たらしくなく レストランでのカトラリーの扱い方や食前酒の注文の仕方を さりげなく教えてくれた。

だが、この久世さんの一冊を読み了えた時、父の「クラシック以外は音楽とは認めない」という考えだけは間違いだったと 気がついた。
どうして父が、そのような考えの人になってしまっていたかというとーーー
父は、私が3才までクラシックのバイオリニストだったからである。
クラシックというのはなかなか稼ぎにならなくて、しのぐ目的で、歌番組のバックのオーケストラのアルバイトをしていて、それが耐え難いほど屈辱的だったそうである。
父は優しく寛大な人だったので、私がステージ衣裳観たさに歌番組を張り付くように観ていても、「観るな」とは決して言わなかったが、決まって後ろのソファにふんぞり返って、「けっ!下手っクソな流行歌手がっ!」と 独白していたのである。
だから私も、尊敬する父の言う事だから、流行歌というものは、あえて耳を傾けるに値しないゲレツなジャンルの音楽だと、漠然と信じて育った。

しかし、この著書の中での久世さんの、流行歌というものが人に与える大きさ、そして流行歌の中には、心を揺さぶられる 棺桶に入るその時まで繰り返し聴いていたい名歌詞が幾多ある事を知り、自分がかつては、衣裳目当てに観ていた歌番組で、なんとなく聴き憶えていた流行歌の数々をカラオケで流し、歌詞を追ってみると 十二分に文学になっている 優れた歌詞が、あぁ!あの歌もこの歌も!と気づかされた。

いくら尊敬できる父も、完璧ではなかったのである。
流行歌という部分に関しては、久世さんが私の父となった。

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