映画「夜がまた来る」にみる完璧な映像美 [感想文]

世の中には、もっと高評価を受けていい筈なのに 相応しい評価を受けずに 映画史に埋もれている作品というのがある。
今回紹介する「夜がまた来る」も、そんな映画の一つである。

「夜がまた来る」
監督・脚本 石井隆
1994年製作

シノプシスはーーー
麻薬Gメンとして潜入捜査を始めた夫が何者かに殺された妻・名美が、夫殺しの犯人だと目星を付けた某ヤクザの組長に、高級クラブのホステスとなり近づき、組長の女となり、チャンスを見つけるや殺そうとするが、失敗し、組長に、場末の風俗店に売り飛ばされ、シャブ漬けにされてしまう。
そんな名美を探し出し、シャブの後遺症を抜かせるまで献身的に尽くしたのが、その組の幹部・村木であった。
名美は村木と計画的に組長をおびき寄せ、今度こそは抜かりなく組長を殺そうとするが、村木のピストルが、かつて夫が持っていたピストルと同一の物だと気づいた事により、夫を殺したのは組長ではなく村木だったと判り、一度は愛した村木を殺して、了。
村木は、実は、徹底的に組の者のふりをした麻薬Gメンで、意見の対立から、名美の夫を殺し、復讐をきっかけにどこまでも堕ちる名美に対しての自責の念から、あれほど名美に尽くしたのだった。
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このシノプシスからも判るように、物語は、非常に残酷で血生臭く 濡れ場も多い。
しかし、この作品を鑑賞するにあたって 見逃せずにおれないのは、紛れもなく「映像の美しさ」である。
季節の移り変わりを表現する、じっとりと止まない梅雨時の雨や ビル群に舞い落ちる雪や 揺れる桜の大木。
夫が麻薬横流しの疑いをかけられ マスコミに追われた名美に蘇る、数多のフラッシュの発光する白さ。
見せてはいけない部分は見せずに巧く隠しつつも、実にエロティックに 感心するほど様々な構図で展開される 数々の濡れ場。
場末の風俗店で シャブ欲しさに働く、下品なドレスと厚化粧を纏い 自暴自棄になっている名美を、村木が制し、夜の海辺でもつれ合う退廃的な画。
シャブが抜け、どれほど献身的に自分に尽くしてくれたかを悟った名美が、村木と身体を合わせるに至る、ブルーのトーンに玉ボケのゆっくりと落ちる、純粋に愛する心の表現。
村木が舎弟の首にビニール傘を刺し、血まみれのビニール傘が歪んでパッと開き、風に乗って飛んでゆく、おどろおどろしい美。
クライマックスシーン、つまり、名美が村木を殺す場である 夜の廃ビルの屋上に煌々と輝く イエロー オレンジ 黄緑色の、山積みにされたネオン。

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映画というものは、この様に、時間軸の移行や登場人物の心情を、「画」で以て表現するものである。しかも、そこには美しさがあってこそ魅せるに値するものである。それでこそ「映画」だ。と、改めて 深く納得させられずにはおれない。

中でも特に「心憎いなあ」と嘆息したのは、冒頭のショットとラストシーンとのつながりである。
冒頭のショットは、黒とピンクの幾何学模様が画面いっぱいに広がっている。
観客は、「はて? これは何だろう?」と、否が応でも前のめりになる。
するうち、キャメラがぐんぐん引きになり、それはピストルの持ち手部分に、名美が、自分と夫との絆の証として ピンクのマジックペンでハートを描いているのだと明確になる。
その段階まで観ている限りは、「ふうん、こういう冒頭のショットもあるのね」くらいの気持ちでいるのだが、ラストの屋上のシーンで、村木が持っていたピストルが、そのピンクのハートのピストルであったが為に 名美は瞬時に全てを知り、村木にピストルを向けるのである。
何という見事な、起と結の繋げ方だろう!! アッパレである。

であるから、この作品、家庭の小さな画面ではなく、是非とも機会を待って、劇場のスクリーンでご鑑賞いただきたい。
私は、去年の秋冬に神保町シアターで開催されていた「夜の映画たち」特集で鑑賞した。
余りにも感動したので、翌々日に、も一度足を運ばずにおれなかった。

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