人間時間・猫時間 [独り言]

猫を飼っていた頃は、自由に家と外とを行き来させていたのだが、猫は、庭に出たと思ったら すぐ家に入れてくれと縁側に座ってニャーと鳴き、部屋に入れて 私に抱っこされたり、カリカリをほんの一口二口かじって キッチンをうろうろして、ちょっと座布団で丸くなったら、再び、窓の所に座って 出してくれとニャーと鳴き、これを一日に何度も何度も頻繁に繰り返していた。 初代の猫も二代目の猫も。
私は、「猫ってやつは、のんびりしているように見えて、意外とせわしない動物なんだなあ」と思っていた。

と、ある時、どこで聞いたのかは失念してしまったが、「人間が感じている時間感覚と猫が感じている時間感覚は大きく違うのです」という事を知った。
あぁ!なるほど! と、私は合点がいった。
人間にとって、例えば掃除か何かしているほんの短い間でも、猫にとっては、「ずーっと長い事 庭で遊んだから、そろそろ家に入ろう」あるいは、「かなり長い時間、家の中でしたいことを満喫して飽きたから、そろそろ庭に出たくなったぞ」という訳だったのである。
そもそも人間と猫は違う生き物だから、時間感覚も違って当然だな、と納得した。

そう考えると、では、人間同士は時間感覚がみな同じなのか?というと、それが違うのである。
どう違うかというと、「呑んべ時間」と「下戸時間」である。
呑んべは、一旦呑み始めると、時間感覚が突如としてひどくゆっくりと豹変するのである。
否、私も呑んべだから、呑んべサイドに言わせると、時間がゆっくりになるのが普通の時間経過感覚になるのだ。
しかし、それに付き合う下戸は、ウーロン茶か何かで普段と同じ時間経過を過ごしているのだから、そこに大きなズレが生じてしまう。
下戸にとっての、つまり現実の3時間は、呑んべにとっての「まだほんの30分くらいしか経ってないよね」状態なのである。
殆どの下戸が、どんなに上品な呑んべにでも付き合いたくない大きな理由は、そこであろう。

先日、下戸の年配男性が、商談で呑んべと酒の席を共にしなければならない事がしばしばあり、「あれほど長く苦痛な時間は他に無い」と言っていた。
その人は穏やかな人格者なのだが、「あの時ばかりは、ぶん殴ってやろうかと思うよ」
ーーーと。
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