東大に落ちたコンプレックス [独り言]

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私の一度目のダンナは、大学は、第一志望に東大、すべり止めに早稲田を受け、東大は落ち 早稲田は受かったので、仕方なく早稲田に入学・卒業した人だった。

四年の結婚生活の間、それはもう事あるごとに、「僕は東大を落ちたから、、、」「東大に入れなかった落ちこぼれだから、、、」と 眉間にしわを寄せて唇を噛み、東大に落ちたコンプレックスを全身全霊で発していた。

社会人になって世の中を俯瞰出来る年齢になったら、世間一般では早稲田が恥ずべき大学ではないことくらい 周囲の反応から認識できたと思うのだが、彼の 東大落ちたコンプレックスは、少しも変わることがなかった様だった。
私との結婚生活の時に、彼はすでに四十代だったにも関わらず。
性格的に、かたくなな人ではなかったが、唯一、この事だけは、彼につきまとって わずかにも薄らいだり 縮小したりしない様だった。

いつだったか、結婚生活中に、本郷の三四郎池(東大キャンパス内に在る、うっそうとした木立に囲まれた 景観の良い池)に二人で散策に行った折りなどは、キャンパスを行き交う東大生達を見ては「こいつら、みんな頭いいんだろうな、、、」と つむじのてっぺんから足の底まで萎縮し切り、三四郎池を泳ぐ鴨を見ても「あぁ、鴨までが知的に泳いでいく、、、」とつぶやき うつむいていた。

今、私の友人に 偶然 早稲田卒の人がいるのだが、一度目のダンナも早稲田だったよ、という話題になった時、「元のダンナさん、学部と学科はどこだったの?」と聞かれ 答えると、友人は、「そこは、優秀な学生しか進めない難しい学科だよ」と言われ、「へえ」と驚いた。
一度目のダンナは、「早稲田の中では難しい学科に進めた」というような事は、一言も口にした事がなかったからだった。
つまり、一度目のダンナにとっては、「東大を落ちた」という事実が、彼全体をおおい尽くす 穴や隙間のない完全なコクーンとなっていたのだった。

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正直言って、私には、学校に対するコンプレックスというものが何もないので、まるでピンと来ない。
そもそも、人間の価値は、卒業学校で決まるなどとは全く思っていない、というのもあって。

私は、某私立の美術中学を、そこ一校だけ受験し合格し、美術中学生となった訳で、その時点で 将来進むのは、美術かそれに近隣した分野に限られた。
そして美術高校の二年の了りに、高校卒業後の進路を決める 親と教師と私の三者面談で、私は幼い頃から憧れていたスタイリストになりたいので、文化服装学院(日本でトップのファッションの専門学校)を受験したいと強く主張したが、結局、毒母が、「この子には、高校卒業と同時に画家をさせて私を養わさせます!!」の一点張りで、毒母は私にとって絶対的強者・支配者だったので、逆らう訳にはゆかなかった。

だから私は、文化服装学院を受験もしていないし、入学願書を取り寄せる事すら許してもらえなかったので、文化に行けた人に対して、強烈な「羨ましさ」はあるが、コンプレックスというのは、みぢんもない訳である。

今、一度目のダンナがどうしているのか、まるで解らない。
おそらく彼は、どれだけ早稲田を肯定され続けようと、人間、出身大学が全てじゃないよと なぐさめられようと、東大落ちたコンプレックスを、同じ強さで抱えて生きているに違いない。
きっと、棺桶に入るその瞬間まで、抱き続ける事だろう。

何がコンプレックスか、というのは、外見や履歴書を見ても 傍目からは想像もつかない、その本人にしか解らない、根の深い問題なのだと、一度目のダンナとの結婚生活で、つくづく思い知らされた私である。
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