あっしがセミだった頃 [小説]

ミーーン ミンミンミンミン、、、
気温三十四度の炎天下、東京郊外の住宅街の小さな稲荷神社に立つ くぬぎの木に留まって、あっしは全身の力をふりしぼり 腹筋をふるわせて鳴いてやした。
ーーーこれは、あっしが前世で セミだった頃のお話しでやす。

あっしが物心ついたのは、稲荷神社の一本のくぬぎの木の根の先の土中でやした。
土中は、冬はほんわかと暖かく 夏はひんやりと涼しく、常にしっとりと柔らかく幼虫のあっしの身体を包む、とても心地の良い場所でやした。
食料は、鼻先まで伸びたくぬぎの樹液をいつでも好きなだけ吸い、外敵らしい外敵も どこからも現れやせんでやした。
眠る時と樹液を吸う時以外は、気ままに瞑想にふける毎日を送ってやした。
自我について、宇宙について、愛について、運命について、生命について、、、
あっしは自由で、幸せに溢れてやした。
幸せな時というのはアッ!という間に過ぎてゆく とはよく言ったもので、あっしの幸せな幼虫時代の七年間は、まさに アッ!という間に過ぎ、成虫になるために地上へ出なければならない時が来やした。

くぬぎの木の根先から、「地上なんてのはロクな所じゃないよ」と聞いてはいやしたが、セミの幼虫は七年経ったら望むと望まざるとに関わらず 地上へ這い出て、羽化しなければならないサダメにあるので、あっしには抗うことが出来ず、仕方なく、ある生温い明け方に、境内の縁の立ち枯れの紫陽花にピトリと静止し、成虫になりやした。

ミーーン ミンミンミンミン、、、
くぬぎの言ってた通り、地上なんてのは、ほんとにロクな所じゃありやせんでやした。
常軌を逸してクソ暑い上に、身体にへばりつく様な湿気。
その中で 気を失いそうになるくらいに全身の力を振り絞って 鳴かなければならないのでやす。
それがセミの成虫に与えられた使命なのでやす。
木の幹から樹液をすするのは、頭部が痛くなるほど 幹に口先をぶっ刺さなければすすれず、いつ 昆虫採集の材料にされるか カラスに喰われるかも気が気ではなく、そして何よりもめんどいのは、生命を了える一日前に、好むと好まざるとに関わらずに、生殖活動をしてからでないと 死んではいけない、というサダメでやした。

成虫になって三日目ーーー
幸せな年月がアッ!という間に過ぎていったのに対して、辛い日々の一日というのは 何と長いことでやしょう。
あっしは、一日が土中にいる一年以上にも長く感じやした。
これなら、サッサと 昆虫採集の材料になるか カラスの餌食になって、天寿を全うする七日が経つ前に生命を了えたほうがよっぽどマシでやす。
あー、誰か、あっしの生命を早く奪ってくれないだろうか!!
あっしはそう願いながら、ミーーン ミンミンと ヤケになって鳴いてやした。

と、ヨチヨチ歩きの女の子と若いお父さんが、神社の脇を歩いてきやした。
ヨチヨチ歩きの女の子があっしを見つけるや、「パパ、あれトッテ!」と 小さな指をあっしに向けやした。
あっしは生命を了えられるチャンスだと、浮き立ちやした。
がーーー
若いお父さんは、「セミさんはね、幼虫の頃は 真っ暗な土の中で、一人で七年間もずーっとがまんして生きてきたんだよ。 それからこうしてセミさんになって、やっと 広いお空やおてんとうさまや木を見たり、飛んだりできるようになったんだよ。 でも、セミさんになってからは、たったの七日しか生きていられないんだ。 だから、かわいそうだから、捕らないでおいてあげようね」
女の子の手を引いて 去って行ってしまいやした。
あっしは、がっかりしてしまいやした。

ミーーン ミンミンミンミン、、、
五日目の朝が来やした。
カラスの一群が近づいてきやした。
あっしは今度こそ、生命を了えられるチャンス到来!と ますますミンミンと存在を主張しやした。
しかしーーー
カラスの口々には、紀ノ国屋や成城石井の袋が咥えられ、咥えたままで その中の一羽がこう吐きやした。
「セミかぁ、、、ケッ! 何にもねぇド田舎ならセミでも喰わな生きていけんけど、ここいらは高級住宅街だかんな。フレンチやイタリアンが週ニで喰い放題よ。 それにセミってヤツは、土中生活はおっそろしく長いのに、空飛べるのは七日しかないんだよな。 かっわいそーで喰えねぇよ!」
あっしは落胆してしまいやした。

そして六日目ーーー
ミーーン ミンミンミンミン、、、
鳴くよりもっとめんどい生殖活動をしなければならない日がやって来やした。
「アナタの声ってステキ! グッときちゃった!」
道を挟んだ一戸建ての庭の木からやってきたメスゼミでやした。
とっととセミに与えられた義務を果たせばそれでいいんだと、あっしはそのメスゼミと、チャチャッとコトを済ませやした。
愛などみぢんも無い、単に本能に押し流されただけの、性欲の放出でやした。
あっしは、ウットリと動かなくなったメスゼミを後に、マンションの前の舗道にせり出したムクゲの木に 飛び移りやした。

七日目ーーー
長く辛い七日間でやしたが、これでようやっと地上とオサラバできると思うと、嬉しくて嬉しくて ほくそ笑まずにおれやせんでやした。
ああ!それにしても、何と辛くて長い七日間だったことか!!
思い返すのは、アッ!という間に過ぎていった 充実し幸せだった土中の七年間のことばかりでやす。

その日の暮れ方ーーー
あっしの脚力は弱まり、ムクゲの木から ポトリと落ちやした。
そして、腹を上に舗道に転がり、無意識に腹筋が小さく ジジ、、、ジジ、、、と鳴りやした。

いつの間にか 老人達五人組が、あっしを囲み 見下ろしてやした。
「あらぁ、このセミ、死にかけてるわぁ」
「セミは、たったの七日間しか生きられないからなあ」
「真っ暗な土の中では七年もの間、耐え忍ばなきゃならないのにね」
「ほんとうに可哀想な生き物だなあ」
「ほんとほんと、悲しくなっちゃうわ。 私達は七十年以上も生きてるっていうのにねぇ」
ナンマイダァ ナンマイダァ、、、
老人五人組は、あっしの上で しわくちゃの手を合わせやした。
あっしは、腹筋がのジジ、、、が、だんだんと消えゆかんとするのを覚えやした。
老人達の十本の手が、ぼんやりとしてきやした。

こうして、あっしがセミだった頃の生は了りやした。

ソメイヨシノ.JPG

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