レトロ調マッチコレクションⅡ [マッチ]

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今回の写真は「作品」と言えるほどのものではなく、単なるマッチコレクションのお披露目でやす。
撮るにあたって拘ったのは、傾げる角度と 上からも下からも3段目と4段目に焦点が当たるようにした事くらいでやす。

あっしは2年ほど前から 18年ぶりにリトルシガーを吸う愉しみを復活させ、火を着けるものにもあっしなりに拘って、このレトロ調マッチを愛用しているのでやすが、2019年11月にはほんの20個ほどだったマッチが70個くらいになったので、ここいらでまたお披露目しようと思った次第でやす。

ぼんぼち、リトルといえどもシガー愛煙家、マッチ以外にも拘っている事がありやす。
それは、「吸う場所」でやす。
吸える場所ならどこでも吸うか、というと決してそうではなく、席で喫煙可の喫茶店では吸いやすが、大手チェーン店系コーヒーショップなどによく設置されている電話ボックスみたいな箱の中や 駅前の喫煙スペースでは死んでも吸いやせん。
何故なら、「粋じゃないから」。

プレミアムシガー愛煙家のかたからすると、「たかだかリトルシガー如きが」と鼻で笑われてしまうでやしょうが、いっこうに笑われたって構わないんでやす。
嗜好品の世界は自己満足の世界だから。

喫煙可の喫茶店に行かない場合、昼間吸いたくならないの?とのお声が聞こえてきそうでやすが、元々1日に4本くらいしか吸わないので、喫煙可の喫茶店に行かない日は、朝、自室で2本吸って、夜、家に帰ってまた自室で2本吸えば、それで大満足なのでやす。


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映画「押絵と旅する男」 [感想文]

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1994年、江戸川乱歩・生誕100周年記念に、川島透監督によって作られた 乱歩の同名短編小説を劇場上映尺に膨らませた大達作である。

原作は、「私」が、列車内で偶然出逢った老人に、八百屋お七と彼女の愛しい人である吉三さながらに寄り添う老人の 古びた押絵を見せられ、この押絵の老人は自分の兄だと言う老人の 奇妙極まりない話しに了る 極めて短い物語なのだが、映画では、主人公は老人であり、半ばボケかけた現在の老人と 彼の少年時代の、兄とのやり取り 兄が惚れた押絵のお七と一緒になりたくて押絵の中に入ってゆく件りなどが、シークエンス毎に交互に出現し、ラストのシークエンスのワンシーンで、老人と少年、つまり同一人物が、行き交い 一言会話を交わす という心憎く計算され尽くした脚本になっている。
脚本は、川島監督と薩川昭夫氏の共同。 

本作の最も優れている点というのは、原作には登場しない人物を登場させたり 原作にはない逸話を挿入したりしつつも、かの怪奇幻想文学の第一人者・江戸川乱歩の世界感ーーーマチエール 空気感 匂い、、、そういったものを みぢんも減少させたり変質させたりしていない所である。

私は以前、映画に関する諸々の勉強をしてきた中で、脚本作法も某研究所にて学んだ経験があるのだが、研究所の講師によると、「原作モノがある場合、テーマさえ変えなければ あとは何を変えたっていいんです」との教えだったが、当時から 私は「それはちょっと違うんじゃないか?」と 疑問を抱いていた。

よく、小説が原作にしろ マンガが原作にしろ 戯曲が原作にしろ、原作ファンを失望させる、、、どころか怒りを買わせる映画化作品というのがある。
あれらは、テーマは変えずとも、原作の世界感というものを ないがしろにしているのである。
作品に於いて「世界感」というのは、そのくらい大切な要素なのである。
そこを川島監督は、熟知しておられる。流石である。

あと、これは少々余談になるが、川島監督が作られた映画には「チェッカーズ In TANTANたぬき」という作品もある。
観客層の求める要素を全て 緻密なパズルの如く埋め込み構築した 理論思考の監督にしか作れない 娯楽大傑作なのだが、あの作品中 ワンショット、スタジオ内を チェッカーズのメンバーがファンから逃げる背景に「押絵と旅する男」で重要なモチーフとなっている十二階(浅草・凌雲閣)の書き割りが出てくるのである。
「TANTANたぬき」の製作は1985年である。
通常、撮影はその一年前になるので、あのショットが撮られたのは1984年と推測できる。
川島監督は、1984年、つまり「押絵と旅する男」製作の10年も前から「押絵と旅する男」を撮る構想があったのではないか?、、、否、そうに違いない、と思わずにおれない。

ーーーいつかどこかの劇場で、川島監督のトークショーの機会があったら、是非とも質問してみたい 気になっている事である。

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部屋でくつろいでいるセルフポートレート [セルフポートレート]

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今年の誕生日記念記事にはセルフポートレートを載せなかったので、一歩遅れての、これが59才の記念セルフポートレートになりやす。

自室のベッドでくつろいでいるという設定で撮ったので、髪もあえて整えずに無造作にして、服も部屋着にしやした。
インド木綿のネイビーの、ふわっとしたワンピースでやす。
写真に写ってはいやせんが、胸と袖に クッションの柄と同色のターキッシュブルーのミシン刺繍が施されていて、アクセサリー無しで成立する 部屋着向きのデザインでやす。

加工は、フィルムカメラで撮ってちょっと時間経過を経て少し変色した といった雰囲気の加工にしやした。


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生ハムに合うフルーツとその供し方 [料理・ソフトドリンクス]

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生ハムと相性◎のフルーツといえば、みなさん、先ず一も二もなく メロンが浮かばれることとお察しします。
三日月形にカットしたマスクメロンに生ハムを三枚ほど渡しかけ、ナイフとフォークでいただくのは、あまりにも有名ですね。
私が若い頃アルバイトをしていたカクテルラウンジでも 定番メニューとして供しており、非常に頻度高く出るフードメニューの一つでした。

と、生ハムに合うフルーツはメロンだけかというと、私は以下の二つも 同じくらいに相性が良いと感じています。
パパイヤとイチジクです。
パパイヤは、個人的に小学生の頃から大好きで、しょっちゅう おやつに食べていたのですが、その頃は、縦二つに切り 種を除き レモン果汁を絞り スプーンですくって、という 王道中の王道の食べ方しかしていませんでした。

が、二十代後半の時に、知り合いの営っているダイニングバーに行ったら、生ハムパパイヤというのがメニューにありました。
頼んでみると、ちょうど 握り寿司のシャリくらいの大きさにカットされたパパイヤに あらかじめレモン汁が絞られたものに、生ハムが帯状にぐるりと巻かれ、それが皿に幾つも並べられ、ペッパーミルが添えられていました。
いただいてみるとーーー
フォーク一本で口に運べて、どのカットもパパイヤと生ハムが均等に口の中に入り、挽きたてのペッパーもバツグンのアクセントになっていて「この供し方は考えたものだ!」と唸りました。

そしてーーー
他に、生ハムに合うフルーツは何かないかと自宅であれこれ試した結果、イチジクも同じくらいに合うことが判りました。
イチジクの場合、メロンやパパイヤより小さいので、縦四分の一か八分の一にカットして 生ハムの帯を巻くのが適切だと思いました。

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ですから みなさん、ご自宅でのちょっとした記念日やご友人を呼んでのプチパーティーの折に、こんなオードブルを作ってみられては如何でしょうか?
白い大皿に、シャリくらいの大きさにカットして 生ハムの帯を巻いた メロン パパイヤ イチジクをぐるりと時計状に並べ、中央に白か透明の小皿を置き、グリーンとブラックのオリーブとパールオニオンを入れる。

ーーーとなると、飲み物は、スタートでもあるわけだし、やはりシャンパンがいいですね。
何も本物のシャンパンでなくても、カヴァでもスプマンテでも。 お味の好みと予算と相談して。
ささやかながらも華やかに非日常気分で、パーティーを愉しめること必至です。

それから余談になりますが、シャンパングラスって二種類ありますよね。 縦長のスマートなフルート型と ずんぐりと背が低くて横に張ったソーサー型と。
何故 あの二種類があるのか、ご存知ですか?
理由はーーー
フルート型は、食事をしながら 時間をかけて杯を重ねるために 炭酸が抜けにくい様に、シャンパン面の表面積を少なくする目的で あの型、対してソーサー型は、乾杯用で、グラスとグラスを合わせ易い様に あの型に作られているんです。
尤も、カチン!!と大きな音を立ててグラスをぶつけるのは、下品ですし グラスが割れたり 中のシャンパンがこぼれたりする可能性があるので、あくまで ソッと合わせる程度にするのがマナーです。
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紐とホース [写真]

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毎年、夏になるとホースの写真を撮っているぼんぼちでやすが、今回の作品は、今まで撮ってきたホースの写真の中でも ダントツ一番に気に入ってやす。
主役がホースだけでなく、紐とのツーショットであること、影の暗さをぐっと強くしてメリハリ・奥行きをつけたこと、ホースの色を少しだけ鮮やかに加工したこと、などから、今までにないホースモチーフ作品となってくれやした。
これからもまた、作品になりそうなホースに出逢えたら撮ってゆくつもりでやすが、今後は、これ以上のものを目指してゆこうと考えてやす。

今回の作品、実際は工事現場の一隅なんでやすが、なんだか庭の物置きの一隅のようにも見えやすね。
あっしが長年住んでいた国立の家の庭にも、こんな物置きがありやした。
あっしが小学生の頃は庭にウサギ小屋を建ててウサギを飼っていたんでやすが、ウサギって、夜中に土に深ーい穴を掘って脱走するんでやすね。
何度も何度も脱走されて、朝になると、庭をぴょこぴょこ跳ねてやした。
で、何度目かの脱走で、近所の犬に食われてしまいやした。
手足の先っちょだけ残っていたのを、犬の飼い主の方が教えてくださいやした。
脱走せずにウサギ小屋だけが世界の全てとウサギ生を了えるのと、脱走して小屋外の世界を知って喰われてしまうのと、本ウサギにとってはどちらが幸せだったのだろう?と思いやす。


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浅草〜神保町へ行った日の出来事 [独り言]

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六月下旬某日、浅草へ。

目的は、下駄を買うためである。
私は毎年、真夏には、和柄のTシャツにフルレングスのスカート そして下駄、というコーディネートが定番なのであるが、ここ何年か愛用していた下駄が、底がすり減って 次の代のに替えなければならなくなっていたからである。
合わせるアイテムの色合いから、鼻緒は赤と決めている。
とにかく下駄屋の多い浅草の店を五、六軒もあたれば、求めている赤い鼻緒の下駄を見つけ出せる可能性は 非常に高いと予測する。

私は、ファッションアイテムに対する情熱・愛が人並み外れて強いので、あまりの興奮に 朝、ずいぶん早くに目がパッチリと覚め、午前十一時には 浅草駅に着いてしまった。

さあ!ここからが勝負!下駄屋を見つけては入り、私のために作られて待っていてくれた!と言えるほどに深く愛せる一品を探しに探すぞ! 先ずは、定番の仲見世通りから、、、
ーーーと、仲見世通りに入って左側三軒目くらいに下駄屋を発見!

仲見世通りは、浅草の中でも観光地中の観光地だから、店員さんは「二度は来ない客」として、けんもほろろに扱うだろうと覚悟しつつ、居並ぶ下駄を物色し始める。
「いらっしゃいませ!お気に召すものがおありでしたら、どうぞ履いてみられてください」
中年のご主人が、腰も低く満面の笑みで 出て来てくださった。
私は嬉しく驚き「ありがとうございます」と会釈をして顔を上げると、、、赤と白の柄の鼻緒の下駄が、運命の一瞬の如くに目に飛び込んだ。
無地の赤よりも、遥かに洒落感に溢れている!
「これ、履いてみていいですか?」
「はい、どうぞどうぞ。こちら、桐製になっております」
ご主人は、椅子を用意してくださった。
鼻緒の調整をせずとも、履き心地満点! 見た目も満点!!
まさに、私を待っていてくれた愛しの下駄である。
迷うことなく「これ、ください!」と ご主人に笑顔を向ける。
私が「和柄のTシャツと長いスカートに合わせたいんです」と言うとご主人は、「それはお洒落ですねぇ!」ますますの笑みを返してくださり、専門用語で何というのか判らないが、鼻緒の裏側の部分に丸い金属を打ち付けてくださり、丁寧に包装紙に包んでくださった。
その間、私のとりとめのない与太話にも ニコニコと応えてくださった。
プロ中のプロのお店に当たったな!と 感激しきりである。

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私は嬉しい半面、ポカンとしてしまった。
何故なら、浅草に着いてものの三分ほどで目的が達成されてしまったからである。
これからどうしよう、、、
とりあえずは、せっかく浅草まで来たのだからと、裏通りを選んで 作品に昇華しそうな写真を撮って歩く。
裏通りは、古いもの 朽ちたもの 乱雑なものの宝庫で、撮れ高、高し!

と、和布や水引で作られた小物とアクセサリーの 和モダンといった風な店が在るのに気づく。
店の表に 水引を編んで作ったブレスレットが何色も並んでいる。
私は、「これは下駄コーディネートの時にぴったりだ! のみならず、ちょうど今着ている黒地に赤のエスニック調の刺繍のワンピースにもバッチリじゃないか!」と その中の赤いブレスレットを凝視する。
「いらっしゃいませ!よろしかったらお着けになってみてください!」
三十代くらいの女性店員さんが、感じ良く店表まで出て来てくださった。
私は店表のアルコール消毒液で両手を湿していたので、「赤いブレスレットを着けてみたいのですが、、、すみません、手が濡れているので着けていただけますか?」と 店員さんに着けていただく。
バッチリである! 今着ているワンピースにも、そして 下駄コーディネートにも間違いなく!
「ありきたりじゃなくて素敵ですね!これに決めます!」と言うと、「では、サンプルではない商品を、お出ししてお着けしますね」と店員さん。
着けてくださりながら、「これは磁石で留めるようになっています」
ーーーその瞬間、私の脳裏には「磁石って、何かがちょっと引っかかったら、すぐに外れてしまわないだろうか?」との不安がよぎったが、「取れやすいようなら、後日 自分で磁石を外して金具と金具を直接留めればいいのだし」と楽観し、店を後にした。

浅草に来た折には必ず立ち寄る ゆうるりと空気の流れる前時代的な「待合室」という喫茶店で休憩しようと向かったが、あいにく休業日だった。
他の喫茶店で休んで 再び浅草裏通り写真撮り歩きをしようかとも考えたが、少々暑い日だったし、リトルシガーも吸いたくなったので、神保町まで移動し、馴染みの喫煙可の喫茶店「神田 伯剌西爾(かんだ ぶらじる)」で一服し、夕は、やはり馴染みの 伯剌西爾からほど近いタイ料理屋で飲み食いして、今日のお出掛けは〆とすることとした。

伯剌西爾に、いつものように「こんにちは」と入店。
二時間ほど、アイスコーヒーとリトルシガーを堪能し、「ごちそうさま」と 伯剌西爾の階段を上がる。
「ブレスレットも、ほんとに買って良かったな。これから、愛して愛して愛し抜くからね」と 悦に入り手首を見る。
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十五分ほど歩き、タイ料理屋へ。
「こんにちは!」
「コップンカー!」
明るく笑顔を交わし合う。
注文を済ますと、先ずは手を洗っておこうと洗面所に立ち、手首を見ると、ブレスレットが、ない!
伯剌西爾からここに来るまでの道中、落としてしまったのだ。
二時間ほど飲み食いしながら「あー、あんなに素敵なブレスレットだもの、もうすでに誰かに拾われているよなぁ、、、後日、あの店に行って『お友達にもプレゼントしたいので』という理由付けをして同じものを買い、そして家に持ち帰ってすぐに磁石から直接金具に付け替えよう」などと思案する。

会計を済ませ、「でもダメ元で、伯剌西爾からここまで歩いて来た道を、一度だけ辿り戻ってみよう」と歩き出す。
この道はこちら側の舗道を歩いて、ここで信号を渡り、こっち側の舗道に移って、、、と記憶を辿りつつ、、、ない、、、ない、、、やっぱりあるわけないよな、、、と進み行くと、白山通りの東側舗道に 磁石が外れた状態でアスファルトにペタリとへばりついているのを見つけた!
あぁ!なんという不幸中の幸い!
私の愛の深さ故、誰にも拾われずに そこで私を待っていてくれたのか!!
愛とは運命ぞ!!!

愛しのブレスレットをバッグに収め、家に帰るや、早々に 磁石を外して金具同士をつなぎ合わせた。
めでたし、めでたし。
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さけの木箱 [写真]

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海鮮居酒屋の外壁に使われていた たくさんの鮭の木箱。
特別どうということのない写真でやすが、のれんのように下っている布地や 箱の一つが逆さまになっていることろに面白味を覚え、撮り納めやした。
自然の木肌をそのままに伝えたかったので、加工は全くしてやせん。

みなさん、鮭はお好きでやすか?
お好きだとしたら、どんな鮭料理が好きでやすか?
あっしは、塩鮭以外なら何でも大好きでやす。
サーモンステーキ 鮭の缶詰め スモークサーモン 鮭とば ハラス焼き 刺し身 握り寿司、、、
鮭、これまでの人生で明らかにダントツに一番多く食べてきた魚で、これからもひんぱんに食べ続けること間違いないと思いやす。
あ、塩鮭が苦手な理由でやすか?
それは、しょっぱ過ぎて福岡味覚のあっしの口には合わないからでやす。
甘塩でも、ダメでやす〜


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純朴デート [独り言]

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ぼんぼちね、若い頃、やりたくてもやれなかった事を、歳を重ねてから 一つ また一つとやり遂げて来たんだよね。

例えばーーー
成人式に行かせてもらえなかった代わりに 35才で振り袖を着たり、中高生の時に勉強したかった映画と演劇の専門的な勉強を いっぱい時間が出来た30代後半から40代前半にかけて 幾つもの研究所に通って学んだり、ファッションの道に進ませてもらえなかった代わりに 30代半ばから後半にかけて 自分でデザインしてスタイル画を描いてお仕立て屋さんに 世界で唯一の服を何着も作っていただいたり、、、って。

あー、これでもう やりたくてもやれなかった事 全てやり遂げて 人生の埋め合わせが出来たな、、、満足満足、これでいつ死んでも悔いはないぞ!って悦に入ってたんだけどさ。
最近、やりたくてもやれなかった事で、どうしても もうこの歳では埋め合わせが出来ない事が一つだけあった事に気がついたんだよね。

それはーーー
「純朴デートをする事」
つまり、中学生くらいの男女がするような、淡くて恥じらいに満ちたウブなデートを経験する事。

具体的に言うとーーー
本とかを手渡す時に かすかに指先が触れて、もうそれだけでドッキドキ とか、
並んで歩いていて、手 つなぎたいなーとお互い思っても なかなかつなげなくて、指先を触れ合わせては又離して、、、で、最終的につなぐにしても、指先をちょっとつまんでるくらい とか。
キッスにしても、おでこかほっぺにチュッ!っていうフレンチキッス。
した相手もされた自分も、恥ずかしさのあまりうつむいちゃうか 背中向けちゃう、、、
そういうの、経験したかった。
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ていうのはさ、
長くぼんぼちのブログを読んでくださっている方々はお解りだと思うんだけど、ぼんぼち、中高生時代って、ブルドッグさながらの顔太りと顔じゅう熱い熔岩が沸騰しているような酷過ぎるニキビで、それはもう醜くて、顔面ヒエラルキーの最底辺にいたわけ。 今のぼんぼちのポートレートからは想像もつかないだろうけどさ。
ーーー実際、中高時代の同窓生と街なかや電車内ですれ違って、「あ、○○さんだ」って見ると、向こうは「この知らない人、なんでこっち見てるんだろ?」って不思議そうな顔されるもんね。

だからさ、中高生時代に、男子とデートなんて 夢のまた夢、、、どころか、男子のみならず、世間全般からも ゴミのように扱われてたもんね。
道を歩いてると、前方から来た人に「わっ!キモチわりぃ〜!」って飛び退かれて 小走りに大きく迂回されたり、飲食店や買い物の会計時、釣り銭を受け取る時に「オエッ!近づきたくね〜、手、触れたくね〜」って態度全開で、釣り銭を渡す指がぼんぼちの手に触れないように 投げ付けられるように掌に落とされたり、、、
そんな事、数知れず、てか、そんな事ばっかりだったよ。そういう日常。

でさ、毒母が死んでくれて自分に自由な時間が出来て、顔面ヒエラルキーも 最底辺からは少しだけ浮上出来たのが27才の時で、だからさ、初めての男性とのデートっていうのは、27才だったんだけどさ。
その年令になると、もう前述のような形のデートって、いくらこっちが望んでも 相手はそういうスタンスにいないわけさ。

歩いてて何のためらいもなく 手をギュッと握られて、振り払わないでいると それは「今夜はオッケーよ!」のサインに受け取られたりとか、
カフェバーで、二杯カクテルを飲んだだけで、「酔った?酔った?酔った?酔った?ねぇ、酔ったよね?」って執拗にイエスを求めてくるから「、、、、、酔った、、、」って答えると、ソッコー店出て、この直後 ラブホになだれ込むの大前提!っていう超ディープなキスされたりとか、、、
何人の人とデートしても、みんなそんな感じで、、、

男性にとっては、それが年令相応の当たり前のデートだったんだろうけど、ぼんぼちにとってはさ、階段の1段目から9段目まで踏んだ事がないのに、いきなり10段目に飛び乗らなければならなかったっていう、、、
決して、性交渉をするのが嫌だったという訳じゃないんだけどね。
いきなり10段目は、心がついてゆけないっていうか、、、

要するに、ぼんぼちの中には、「純朴デートが出来なかった」という事が、心の大きな欠損感になってるんだよね。
人生というジグソーパズルの一片だけが、どうしても埋められなかった。
どこを探してもどんなに努力しても、このピースだけは代わりの一片になってくれるものなぞ、今となってはありません、、、って。

もしかしたらさ、現実には、ぼんぼちが夢観ていた純朴デートを経験出来た人なんて、世間にごく僅かで、これはぼんぼちが若かった頃 酷く醜かった故の幻想なのかも知れない。

だけど、、、やっぱり、この埋め合わせ不可能なジグソーパズルの欠損した一片は、死ぬまでぼんぼちについてまわるに違いない。
現世では果たせなかったけど、次に生まれて来る時には、10代の時から可愛い女の子に生まれて来て、純朴デートを経験したい、、、、、絶対に!!!

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シートの上に掛けられた網 [写真]

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工事現場の休業日の一隅。
資材の上に白いシートが被せられ、そのまた上に網が被せられてやす。
この作品も、撮ろうという段階から、白黒ハイコントラストで、状況説明ではなしに完全にデザイン的イメージに加工しようと 頭の中で思い描き、結果、イメージ通りの仕上がりとなりやした。
なので観てくださるみなさんも、デザイン画や抽象画を観る視点から鑑賞していただけると幸いでやす。

ここのところ写真記事はほぼ一記事おきに 白黒作品をアップしている訳でやすが、「撮ろうという段階から白黒加工をしたらこういう仕上がりになると予測し、その通りになりました」と書くと「撮ろうという段階からそこまで予測できてその通りになるなんて、すごいですね!」というお誉めの言葉をいただくことがしばしばありやす。

でもこれは、あっしにとっては難解なことでもなんでもないんでやす。
というのはーーー
あっしは中高と美術学校でみっちり美術の基礎を学び、その後は自分の本意ではなかったけれどプロの画家を9年間やっていたからでやす。
中高では、デッサンを徹底的に勉強するんでやすが、デッサンというのは、鉛筆デッサンにしろ木炭デッサンにしろ、頭の中でモチーフの色相を消して明度だけ、つまり白黒に置き換えるとどのくらいの濃さ薄さになるか、ということを判断してゆかなければならないのでやす。
プロの画家になってからは、水墨画も少し描いていたので、やはり同じ論法が必要とされてやした。

でやすから、あっしにとっては、頭の中で瞬時に 色有る物を無彩色に置き換えるということは、上に述べた経験により、何ということはないんでやす。
ぼんぼちのみならず、プロの画家をやっていた人なら皆 難なく出来るテクニックでやす。


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緑(みどり)と縁(えにし) [独り言]

先日、中国人のかたが営っていらっしゃる中華料理屋さんに呑みに行った時のことでやす。

メニューの焼酎の欄に「縁」とあったので、あっしは何の疑いもなく「『みどり』お湯割りでお願いしまーす!」と 店員のお兄さんに声を飛ばしやした。
するとお兄さん、一旦奥に引っ込んだかと思うと、ボトルを右手に斜めにかかげ 左手をボトルの底に添え ラベルをこちらに向けて 満面の笑みで「『えにし』デヨロシイデスネ!」と確認されやした。
あっ!緑(みどり)じゃなくて縁(えにし)だった!と あっしはそこで初めて、誤読に気がつきやした。
ーーー恥っずかしいよなあ〜、縁(えにし)を緑(みどり)と読み間違えるなんて。
しかも店員さんは、日本人ではなーい。幾重にも恥ずかしー。

まっ、、、中国は漢字の先輩の国だから、まだちぃとは、アタマポリポリ「ヘヘッ」で終われやしたが。
これが、タイやインドや欧米の店員さんに「『えにし』デヨロシイデェスネェ!」と言われたら、その場から消え入りたくなるほどに身の置きどころがなかったところでやぁす。

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※画像は、縁(えにし)ではなく緑(みどり)でやす。

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