丸餅とのし餅 [福岡時代]

私が物心ついたのは、福岡へ引っ越した三才の時で、ちょうど越したその日が 私の最も古い記憶である。

であるから、「餅というのは丸いものだ」という認識の元に歳を重ねていった。
スーパーでは暮れのこの時期になると、ビニール袋に五つづつ入った丸餅が並んでいた。
ーーーうち一つは、味は同じだが 食紅で淡い桃色に染められていた。
ちょうど そうめんの束に、ニ、三本 赤いのが混ぜてある感覚である。

家で食べる餅も 久留米の父の実家でごちそうになる餅も 地域の行事で出てくる餅も、みな丸かった。
丸以外の餅など見た事がなく、この世に存在するなど、夢にも思っていなかった。

ーーーが、小学三年に成る時、我が家は、東京郊外の国立へ移り住む事と成った。
国立に来て初めての暮れーーー
我が家の玄関先に運ばれて来たのは、巨大なホワイトチョコレートの如き 縦横に凹みのある四角い真空パックのそれだった。
私は子供心に「丸い餅を真空パックにするとロスの部分が出るから、味気なくとも効率優先で こうして四角くしているのだ」と 何の疑いもなく思った。

それが「のし餅」と呼ばれ、東日本では、麺棒で伸され四角に切り分けられるのが本来だと知ったのは、三十才を過ぎてからだった。

西日本は丸餅 東日本はのし餅。今ではすっかり理屈上では理解はしているものの、味覚も食文化も福岡で刷り込まれた私としては、やはり 餅は丸くてこそ「餅だ」という実感を否めない。

20201213_163750.jpg

nice!(232)  コメント(83) 
共通テーマ:映画