「無対象」とは [映画・演劇雑記]

今日は、映画・演劇用語に於いての「無対象」とは何かについて 解説させていただきます。
無対象とは、主に 演劇研究所等のレッスンの一科目としてやられる基礎訓練で、稀に 舞台や映像の作品でも、演出の意図によっては用いられる事があります。

「無対象」、具体的にどの様なものかというとーーー
何かを食べる・飲む・持つ・抱き上げる等々々、、、それらを、何の小道具も使用せずに 自身の過去の体験を頭の中から引っ張り出して、あたかも本当に その行為を行なっているかの如く見せる事を目的としたレッスンです。

一つ例を挙げるとーーー
「淹れたてのブラックコーヒーを飲む」という課題が出たとします。
すると研究生達は、自身が過去に熱々の香り高いブラックコーヒーを飲んだ記憶を思い起こし、コーヒーがなみなみと注がれたカップの重みを手に感じ、カップの持ちての部分に指を通す具合を再現し、立ち昇る香りを吸い込み、「あぁ、いい香りだ!」とか「苦そうだなー」と思い、カップの縁があるであろう位置に唇を触れさせるや、「あっ!熱い!」と感じ、人によってはフーフーとちょっと冷ましたりして、コーヒーを一口飲み、熱さと苦さ・美味しさ・あるいは苦手さを、舌や口腔内に体感し、コーヒーが食道を通って胃へ落ちてゆく、、、という事を演るのです。
重要なのは、単なる形だけのジェスチャーにならずに、心身の根底からその記憶を引っ張り出せ 再現できているか、です。

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実際に無対象が使われる作品は稀なのに、何故、この様な訓練をやるのかというとーーー
舞台で、何か食べたり飲んだりする場合、器の中身は空で 飲み食いは実際にはしない という演出が少なからずあるからです。
しかも戯曲上の設定では高価な陶器の器であっても、実際に使用するのは、軽いプラスチックだという場合も多いです。
それをあたかも、貴重で上等な陶器で飲み食いしているかのように演る訳です。
又、映像では、リアリズム作品でも、日本酒は水、ウイスキーやブランデーのストレートは麦茶を使います。
役者は水や麦茶を、あたかもそれぞれのアルコールを飲んでいるかの様に演ります。
他には、枕状の物を布で包んで大切な赤ちゃん という設定だったり、空っぽのダンボールを抱えて重たい荷物を運んでいる演技をしなければならない事も多々あります。

ですから、この「無対象」という訓練は、一見「そんなことやってて何の役に立つの?」と思われる向きがおられるかも知れませんが、実は非常に応用度の高い 重要な訓練なのです。

現在 役者を目指している研究生のみなさんは、たった一人でも出来る訓練の一つでもありますから、何度も何度も様々なモチーフ設定で、自主練に励みましょう。
単に観客として 演劇や映画・ドラマを愉しまれる方は、そんな所に着目してみると、より その役者さんの技量が解り 興味深く面白く鑑賞できると思います。

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