ぼんぼち、三密に追い込まれる [独り言]

緊急事態宣言が発令されてから、私は最寄り駅近くの喫茶店は「ここなら安全性が高い」と判断した二店だけには しばしば足を運んでいた。
どちらも三密にならないからである。
だが、ニ週間ほど前 そのうちの一店に行った時の事だったーーー

その一店は、一階で道に面した扉と窓があり テーブルとテーブルの間に程良く空間があり 殆どが一人客 複数人であっても二人連れの まず多人数の来ない ジャズとコーヒー推しの店で、私はその日、カフェオレとトーストを注文した。

注文の二品が運ばれてくるや、突然、どやどやと四十代五十代と思しき六人のご婦人達が入って来た。
私は壁と壁との角っこの三人掛けの席に座っていたのだが、ご婦人達は「ここが空いてるわ!」と 私の横の四人席のテーブルに座り始めた。他のテーブルには、みな一人客が座っていた。

四人席に六人来たので当然二人あぶれる訳で、ご婦人達はどうしたかというと、みぢんの躊躇もない様子で 一人は私のテーブルの向かいの椅子と もう一人は私の横の席に腰掛けた。私には一言の断りもなしに。
つまり、私は、壁際の角っこにL字型に囲まれる形となってしまった訳だ。

ご婦人達は声高にきゃあきゃあわあわあ間なくしゃべりつつ 手を握り合ったり抱き合ったりしながら「これって三密よねぇ〜!」と きゃっきゃと笑っていた。
私の向かいの席に座ったご婦人は、その人のコーヒーが運ばれて来ると「アタシのはここに置いて!」と 店員さんにカップを私のテーブルの上に置かせた。
そして、私がカフェオレとトーストを飲み食いしている間じゅう、私の存在などまるで無いかの如くに しゃべり合い 手を握り合い 抱き合ったりを続けていた。
ーーー私は近場の友人ともメールで「ぼっちでいるのって寂しいよねー」と交わし合い、二人でリアルに逢う事すら控えているというのに、、、

私が飲み食いするのが了るのとほぼ同じタイミングで、ご婦人達は「じゃ、出ましょーか」と 席を立ち始めた。
内 一人のご婦人が「これ、ウチのよね」と私のテーブルの私の伝票を掴み上げた。
私が「違います。私のです。」と言うと、黙って私のテーブルに戻した。

帰り際に私のテーブルの向かいの椅子に座っていたご婦人が「お騒がせしましたぁ〜〜あはは〜」と 軽〜〜くサラッと笑いながら発し、六人はきゃっきゃとボディタッチを続けながら出て行った。
ーーーこのご時世「お騒がせ」という問題ではないだろう! 私はすでに硬くなっていた拳が震えた。

カウンターの中にいた店員さんがホール担当の店員さんに「換気!換気!」とうながし、入り口扉を大きく開けさせていたが、私はその後タブレットをいじる予定を辞めて店を出た。

この時期に喫茶店に行くぼんぼちも悪いと言われれば返す言葉もないのだが、世間には 危機感の無い三密にまるで無頓着な人達もいるものだと、店を出て広々としたアスファルト道路の空気を胸いっぱいに吸いつつも、不快さの尾は長く引いた。

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ミロのビーナスの石膏像のある画材屋 [写真]

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神田神保町で遭遇した ミロのビーナスの石膏像がウインドウ越しに見える画材屋。
ビーナスの顔の部分が白く飛び 都会の風景が映り込み 胴体部分がリアルに観える所に面白味を感じやした。
加工は迷わず藍色のグリザイユにして、都会の渇いた空気とビーナス胴体の肉感の対比が強調されるように仕上げやした。

ミロのビーナスの石膏像、首から上の部分だけの像は、美術を学ぶ者が基礎中の基礎、美術のいろはの「い」の段階で必ずといっていいほどデッサンするモチーフでやす。
あっしは、中高と美術学校へゆき、高校1年2年は美術科予備校の講習会にも通っていたので、何度も描いた事がありやす。

あっしは自分の本意ではなかったけれど 家庭の事情で高校を卒業したらすぐに画家になって稼がなければならなかったので、高3からは学校は休みがちにし 予備校講習会を受講するのも辞めて、上野の都美術展に出品して画歴作りに向かいやした。

で、美術学校と美術科予備校のどちらが勉強になったかというと、圧倒的に後者でやした。
あっしの行ってた美術学校の美術教師は、生徒に教えるのはいいかげんでテキトーで、それよりも美術教師同士の派閥争いに熱心でやした。
その様子は傍目で見ていて 高校生心にも滑稽で軽蔑に値するものでやした。
対して予備校の講師達は、1人1人に深く掘り下げて教えてくれ 非常に得るところが大きかったでやす。

あっしがプロの画家になれたのは、美術学校に6年間行っていたためではなく 美術科予備校講習会に2年間通ったお陰でやす。
石膏像を見ると、今でも予備校での講師陣の純粋な熱意を思い出しやす。


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人間、明日はどうなるか解らない [独り言]

「人間、誰しも 明日はどうなるか解らない。明日 死んでしまうかも知れない。」
子供の頃や学生時代や大人になってから、友人知人と話の流れで生死観の話題になり、私がこの様な事を発すると「何バカな事言ってんのよ!そんな筈ないじゃん!」と嘲笑されたり「僕は何事もなく平均寿命まで生きるんです!僕にはそれが当たり前なんです!」と威圧的に主張されたりと、今まで出逢った全ての同世代の者に 私のこの考えは全否定されてきた。
私はその度に「はぁ、、、一体全体何の根拠があって、そんな現実ととんでもなくかけ離れた未来を確信出来るのだろう?」と心の中で大きな疑問を抱き 溜息をついてきた。

20200411_152501.jpg何故、私はこれ程 他の同世代との間に生死観の隔たりがあったのか、三十才を過ぎて気がついたのだが、私は物心ついた頃から母親に毎日虐待されていて「今日は生きていたけれど明日は殺されてしまうかも知れない」という恐怖の中で育ってきたからだと判った。
しかし、母親に殺されてしまう可能性というのは、私の死の可能性の一つに過ぎず、舗道を歩いていたら車が突っ込んで来て轢かれてしまうかも知れないし、隣家のもらい火で家が全焼し 焼死してしまうかも知れないし、突然 余命三ヶ月の重病を宣告されるかも知れないし、強盗に入られて 口封じの為に刺殺されてしまうかも知れないし、気の狂った通り魔に 金槌で頭をかち割られてしまうかも知れない。

つまり、私は他の同世代の者より一つ死の可能性を多く持っていただけであり、他の同世代、否 世の中の殆どの人だって、これらに代表される死の可能性に常にさらされているのである。
ーーーだから何で、その可能性の現実を直視せずに生きているのか、不思議で仕方がなかったのだ。

けれど、今回のコロナ騒動によって、世の中の多くの人の中に「死は他人事じゃない。明日は我が身かも?」という認識が芽生えた。
その様な認識の元に、感染しない為に 又 させない為に、細心の注意を払って生活するのは非常に望ましい事だと感じている。

だがーーー
コロナ騒動が収束してコロナウイルスを世界から撲滅出来たとしても、我々が、明日 又は近い将来、死んでしまう確率はゼロになる訳ではない。
上述その他のあらゆる要因によって、誰しも いつ死んでしまうか解らないのである。
コロナが去ったら「コロナで死ぬという可能性」が無くなるだけである。
コロナ収束後、再び「何バカな事言ってんのよ!」「僕は何事もなく平均寿命まで生きるのが当たり前!」といった非現実思考者が増殖するか、今回の惨事を肝に銘じて 私と同じ現実正視者となるのか、私には知る由もなく、人の生死観は人それぞれであり、その人の好きな生き方をすればいいと思うし、私は私の生き方を貫き通すのみである。

20200411_152532.jpg私は、私が二十七才の時 母親が予期せぬ病でパタリと死んでくれたので、以降 大草原を全力疾走するが如くに、やりたかった事をむさぼる様に 一分一秒を惜しんでやってきた。
美容に多大なエネルギーを注ぐ事、ファッションを存分に満喫する事、映画と演劇をそれぞれの研究所に通って学ぶ事、カクテルの知識を得る事、好きな音楽を聴き 好きなミュージシャンのライブに行って踊る事、好きな作家の小説・随筆を何十回も読む事、ブログを通じて 吐露したかった事を吐露する事、、、、、
よって、五十七才と十ヶ月の今現在、人生でやり遺した事は、もう ない。
いつ死んでも、悔いは遺らない。
ただ、苦しんで死ぬのは嫌だが。

それから「これが出来なくなってまで生きていたくない」という事が二つある。
美容への全力投球とファッションの満喫は、生きている限り続けたいので、この二つが出来なくなってまで生きていたいとは思わないのだ。
私の尊敬する 知の巨人・立花隆氏は、ご自身のがん体験記の中で「僕は(知に対しての欲求が人並み外れて強いので)公私共に 高度な知的作業(執筆や読書)が出来なくなってまで生きていたいとは思わない」と書かれていた。
私は、美容・ファッションへの欲求が人並み外れて強いからこう思うので、立花氏の気持ちが痛いほど良く解る。


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カクテルの看板 [写真]

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新宿・中央通りに在る 一目でカクテル推しと判るバーの看板。
実物はもっと縦横に大きく、あっしはベストだと判断した部分を切り取らせていただきやした。加工は全くしてやせん。
なので、この作品の実力は、98%くらいが看板をデザインしたデザイナーさんの力で、2%くらいが「ここを切り取ろう!」と決断したあっしの力でやす。
この写真は、3ヶ月くらい前に撮ったものなので、おそらくこのバーも 今は休業中でやしょう。

今は自粛して家飲みをされている方が圧倒的に多いとお察ししやすが、普段の飲み方や銘柄や日常的雰囲気に飽きてしまったら、自宅でカクテルを作ってみられるのは如何でやしょう?
用意するものは、シェイカー メジャーカップ バースプーン ミキシンググラス ストレーナー。
それらを使って好みのカクテルを作ってみるのでやす。
自分や家族が飲むのでやすから、プロのバーテンダーのように上手にできなくたっていいんでやす。
要は、そういう手段を動員する事で 少しでも気分があげられれば!
ただし、炭酸が入ったものをシェイカーに入れてシャカシャカだけはやらないように 気をつけてくださいねでやす。


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ワンピースいろいろ [ファッション]

今日は、私の持っているワンピースの中の特にお気に入りのものを何着かお披露目させていただきたいと思います。


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①襟から胸にかけてと袖口と裾に 鮮やかなミシン刺繍の施されたこの一着は、タイで作られたものだそうです。
古着屋で求めたのですが、一度も着られた形跡がないので、デットストック物だと思われます。
下には紅色のタイトな長袖Tシャツを合わせ、民族調の雰囲気をより強調するために 黒くて丸い小さな麦わら素材の帽子を斜めに被っています。


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②50Sのヴィンテージです。
私は肌の黄色味が強くブルー系の色は基本似合わないのですが、これは柄の中にオリーブグリーンが入っていたおかげで 試着してみたら違和感なくしっくり馴染んでくれました。
加えてサイズもぴったりで嬉しく驚きました。50Sのラインは、サイズがぴったりでないとサマにならないので。
ペチコートをはくとスカート部分が落下傘型にふんわりして、より50S感が出ます。
一時大好きだったボゥディーズの武道館ライブで思い切りツイストを踊った 思い出深いワンピースでもあります。


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③胸元部分は、タイの民族衣装を作る布地が使われています。
色とりどりなのは、染めではなく手刺繍に手作りのボンボンです。
黒い部分の素材はシルクです。
求めたお店のオリジナル商品で、二つと同じものがないという点にも価値を覚えました。
これも、民族調を高めるために、丸くて小さな黒い麦わら素材の帽子を合わせる事が多いです。


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④80S後半から90S前半に作られたと思われる一着。
すっきりしたタイトな身頃に対して 大きな変形パフスリーブがアクセントになっています。
写真では判りづらいですが、変形パフスリーブにはファスナーが付いていて 自分の好みの度合いに開ける事ができます。
ミニタリーのイメージで作られているので、タイトな黑の長袖Tシャツと黑のタイツにシルバーアクセと、辛口でまとめています。


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⑤過去記事「赤い刺繍のワンピースのセルフポートレート」で着ていたのがこのワンピースです。全貌はこうなっています。
丈はくるぶしより10センチほど上くらいと長めで 生地も薄手の木綿でサラッとしているので、初夏に素足で着るのに相応しい一着です。
足元は、あえて甘くまとめずに、ナイキのエアリフトの黒を合わせています。


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⑥身頃も袖もふんわりとボリュームのある一着。
写真では少し彩度が高く出てしまいましたが、実際に見ると、厚手のふわふわした綿素材というのもあり、レンガ色に近い柔らかな印象です。
靴下は臙脂色のタイツ、アクセサリーは、過去記事「指輪いろいろ」で公開したアメジストとトパーズとダイヤが花型にデザインされた大きな指輪を一つだけポン!と着けています。


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⑦40Sのヴィンテージ。
ウエストが少しシェイプされ腰骨の辺りが切り替えになっているローウエストのデザイン。
昔っぽい雰囲気でまとめるために、黒の布地の丸い帽子を合わせています。
私は個人的に、中学生の頃から 黒地に白のレースの付いたワンピースというのが無性に好きです。


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⑧ストンとした身頃に思い切りボリュームのある袖。袖の中程にも大きな刺繍生地が縫い付けられていて程よく透けています。
丈はフルレングスです。
9月頭頃に「今すぐ着られるワンピースが欲しい!」と物色していたら出逢えた一着。
初秋らしい色合いなのに半額になっていて「どうして半額になっているんですか?」とお店の方に伺ったら「春物として入ってきた商品なので」とのこと。
デザイナーさんは、春物商品なのに何故このような秋っぽい色合いのワンピースをデザインし、会社もそれにOKを出したのか、ちょっと首を捻ってしまいましたが、私の立場としては思いもかけぬお買い得品でした。


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⑨過去記事「一期一会を実感した出来事」で、友人と鎌倉散策をしていたらグアテマラから来たと思われるご婦人に感嘆の声をあげられた グアテマラの刺繍のワンピースがこれです。
後ろ側にもきちんと同じ様に刺繍が施されている所も気に入っています。後ろ姿って、意外と人目につくものですから。
下にはタイトな白い長袖Tシャツを合わせています。


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⑩過去記事「ぼんぼち・マルベル堂でプロマイドを撮影する・の巻」で着ていたワンピース。
自分でスタイル画を描き これぞ!と惚れ込んだカーテン生地を持ち込み 仕立て屋さんに仕立てていただいたオーダーメイドです。
ファッション命!のぼんぼち、これまでの生涯でたくさんの服を着てまいりましたが、この一着に対する愛が最も深いです。
ご覧の様に50S調のデザインで、これもペチコートをはくと落下傘型に広がります。
この写真では判りづらいですが、襟元と袖口に切れ込みを入れたデザインにした所も気に入っています。


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⑪ほんの一ヶ月半くらい前に買ったので、まだ一度も街で着ていない新品。
数年前から90Sリバイバルがきていますが、これも、全体のボリューム感といい左右非対称のデザインといい、デザイナーさんは明らかに90Sを意識したと思われます。
けれど、何ヶ所もで紐状にした生地を絞って自分好みのバランスに出来る事や 作られたのが無名の小さな会社である事から、全く同じワンピースに街で遭遇してしまう不運はまず無いと楽観できます。
徹底的にアヴァンギャルドに、赤珊瑚のネックレスを長短二連と あとりえSAKANAさんにお直ししていただいた血赤珊瑚の指輪でキメたいと目論んでいます。


今は緊急事態宣言発令中のために、極力部屋にこもっていなければならない毎日で、気分が沈みがちなので少しでもあげようと、こんな記事をアップしました。
見てくださったみなさん、ありがとうございます。
5月6日が過ぎたら、かなりの暖かさになっているだろうし、早くこれらのワンピースをまとって街なかを闊歩したいです。



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建築現場の覆い [写真]

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様々な素材・色の 細い板状の建築現場の覆い。
こうやって切り取って撮ったら、適度な幅のストライプ状になり色彩的にもバランスが取れたので、作品として公開することにしやす。加工は一切してやせん。

今回の作品、以前からあっしのブログをご覧になっているかたはお判りのことと思いやすが、過去記事「ボール紙の玉子ケース」「板の木目」同様、状況説明ではなく徹底したデザイン的視点からの構成で、平面構成を構築するのと同じ計算で仕上げやした。
あっしは元々 具象写真よりこのようなデザイン的な写真のほうが好きなので、これもなかなか気に入っている1枚でやす。

で、これらのデザイン的写真を公開する時にいつも「ちょっと残念だなあ」と思うのは、一記事一記事で背景の色が変えられない事でやす。
デザイン的写真は具象写真より、より背景の色いかんによって、映え度が違ってきやす。
「ボール紙の玉子ケース」はアイボリーの背景で、「板の木目」はコンクリートの様な薄いグレーで、そして今回の作品は 薄〜いブルーに出来れば良かったのになあ、、、と。



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「手洗い」についての些細な雑文 [独り言]

今回の一連の騒動の中で強く呼び掛けられている事の一つが「手洗いをしましょう」である。
「外から帰ったら」「極力こまめに」「丁寧に」手を洗いましょうーーーと。
それを聞いて私は思った。
ーーーはて?世の中の多くの方々は、これまでその様に手洗いをしていなかったのだろうか???

私は子供の頃から、一日中家に居る時は二十回以上、外に出掛ける日は、手を洗う事の出来る時と場を見つけては可能な限りーーーそう、八回くらいは、学校 飲食店 デパート テナントビル 図書館 駅 等々、行った先々で手を洗っていた。
家ではお湯で、外では水しか出ない所が殆どなので、水で時間をかけて。

何故、私がこの頻度で手を洗い続けてきたかというと、決して 潔癖症だからではない。
私はむしろ 潔癖とは遠い位置に属するタイプで、部屋の中はホコリだらけ、庭は雑草ぼうぼう である。
ではどうして、これだけ頻繁に手を洗い続けているかというとーーー
「非常に手汗をかく」からである。
手汗のためにすぐ掌がベタベタになって 気持ちが悪いからである。
手汗には水分だけでなく脂分も含まれているらしく、お湯だと 少し揉む様にすればベタベタは取れるが、水の場合、かなり長時間擦り続けていないと ベタベタは取れない。

なので これまでの五十七年間の人生で、ハンドクリームというものを使った試しが一度もない。
高校生の時は美術学校だったので、毎日 油彩画を勉強していたのだが、手についた油絵の具は取れにくく、台所用洗剤で手を洗っていたが、それでもすぐに手汗でベタベタになり、三十代と四十代の頃は主婦をやっていた事もあり、凝った料理を作るために 一日中キッチンでお湯や水に手を濡らす日もしばしばあったが、やはり手を拭うや まもなくベタベタになった。

だから バックからハンドクリームを取り出して揉み込む様に塗っている女性を見ると、私にとっては余りに現実感のない行為なので、「あれは、手に良い香りをつけるのと、ファッション的アクションとしてやっているのだろう」と 思い込んでいた程である。

わりと最近になって、私は、自分が普通なのではなく「私個人が非常に手汗をかく体質」であると認識できていたが、今回の呼び掛けによって 如何に私ほどに手汗をかく体質の人間が少数派なのかを思い知らされた。

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春キャベツ・Ⅱ [写真]

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2019年3月26日に「春キャベツ」と題した白黒ハイコントラストの記事を公開しやしたが、今回は、全く加工無しの春キャベツの写真をアップしやす。
左上と右下に段ボールの黄土色の空間が見えていて 春キャベツの淡い緑色との対比もいいなと、構図的にも色彩的にもこれで完結していると判断したので。

春キャベツ、美味しいでやすよね〜
食べ方も無限大にありやすね。
あっしは春キャベツは、大雑把にちぎって マヨネーズとスイートチリソースを混ぜたディップをつけていただくのが一番好きでやす。
みなさんは、どんな春キャベツの食べ方が一番お好きでやすか?


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映画・梶芽衣子主演「女囚さそり」シリーズ4作品 [感想文]

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1972年から1973年にかけて梶芽衣子さん主演で公開された「女囚さそり」シリーズ4作品。
私は、映像理論を勉強する以前にVHSでなんとなくといったきっかけで観、あまりに意表を突く面白さに嬉しく驚き、約30年後の映像理論を勉強後の最近 再観したのだが、初観の時以上に 如何に計算高く構築された見事な大傑作作品群であるかが詳らかに分析出来たので、ここに感想を述べたいと思う。

4作品は続き物であり、梶芽衣子さん演じる無口で純粋な女・松島ナミが、惚れた男に計画的に騙され罪を被せられ 女囚となり、脱獄を繰り返し、自分を陥れた人間を次々と鮮やかに殺してゆく という、篠原とおる氏のコミックス原作の 娯楽超大作である。
続き物ではあるが、一話一話が完結したシノプシスとなっているので、どれか一話だけを抜粋して観ても 理解に苦しむ事なく、存分に楽しめる。
女囚の囚人服が 胸元の開いた横縞のワンピースであったり、ナミが殺しを決行する時のファッションが 梶芽衣子さんでこそキマる 黒で統一された大きなつばの帽子にパンタロンというのも、徹底した非リアリズムで観客の気分を高揚させてくれる。

そして、テーマはーーー
国家・体制を悪 松島ナミを善と描き、要するに 60年代学生運動で結果的には敗北の形となってしまったが、ここに一人 今も国家・体制に反発し続ける どんなに踏みにじられようが屈しない 凛とした分子がいるのだ!という隠喩による打ち出しである。

4作品それぞれに特筆すべき点を挙げるとーーー

第1作「女囚701号/さそり」 監督・伊藤俊也 1972年8月公開
暴力&エロスといった過激なシーン満載の作品である。
第1作目だったので そういった要素を前面に出して客の入りを見込んだのかも知れないが、暴力にしてもエロスにしても、何故その様な展開となったのか 理由づけに無理がなく、つまり無駄な暴力要員 無駄な脱ぎ要員がいなく、矛盾や不快を覚えずに 頷き納得しながら観すすめる事が出来る。

第2作「女囚さそり第41雑居房」 監督・伊藤俊也 1972年12月公開
第1作が当たって活動屋として好きな事をやれるのが許されたのか、かなり 観念的・抽象的・演劇的な手法で構成されている。
こういった理由から、私はこの第2作が、シリーズ中ダントツに好きである。
白石加代子さんが、我が子殺しの女囚を あの鬼気迫る演技で演られているのだが、大抵の劇映画だとあれほど演劇的に演られてしまっては全体のマチエールにそぐわない場合が多いが、この作品は上述の手法で作られているので、しっくり溶け込んでいて、みぢんも違和感を感じずにいられる。
また、オープンセットで 廃材を積み上げた山が作られているのも、退廃的で渇いた雰囲気を演出していて効果的である。
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第3作「女囚さそり けもの部屋」 監督・伊藤俊也 1973年7月公開
第2作で多くの観客から「あれは解りづらい!」という評が来たからか?作風は第1作の様な通常のドラマツルギーとなっている。
「けもの部屋」の「けもの」とは、ナミと出逢った女が 工場の事故で頭のおかしくなった実兄の性欲を満たす為の愛情から自ら身体をあずけ 果ては妊娠してしまう、という挿話から来ている。
一方、ヤクザの女親分を李麗仙さんが 衣装・メイク・演技いずれも非現実的に演られていて、この部分も娯楽作品として手放しで楽しめる。

第4作「女囚さそり701号 怨み節」 監督・長谷部安春 1973年12月公開
これまでの3作の伊藤俊也氏に替わって 長谷部安春氏がメガホンを取ったシリーズ最後の作品。
監督は替わっても、当シリーズのカラー・テーマは変わらずに、異質感を覚えずにすんなりと観了できる作品である。
田村正和さん演じる反体制分子が、過去に国家に酷いリンチを受けた回想シーンも出て来たりと、当シリーズ全編の奥底を流れるテーマが劇中の現実の出来事と重なり合う 非常に解りやすいシナリオとなっている。
結局ナミに殺されてしまう警部・細川俊之さんの薄笑いを浮かべた演技も、静寂の怖さをはらんでいて 唸らずにおれない。

以上のシリーズ4作品、ここまでの達作に押し上げたのは、勿論 監督や脚本の力量もあっての事は言うまでもないが、もう一つの大きな要因は 梶芽衣子さんの「お顔」に他ならないと思う。
劇中で「さそり」とあだ名されるのに相応しい 人を刺すが如きの鋭い眼差しに鷲っ鼻。
あのキツいお顔あってこそ さそりをさそりたらしめて、4作品の完成度をぐぐっと高めているのである。
映像は舞台と違って、いくら役に相応しい名演技が出来たとしても 風貌がそぐわなければ成立しないケースが多々ある。
今でも梶芽衣子さんといえば「女囚さそり」とイメージされるのはそこにあり 当然の事であろう。

最後にちょっと余談になるが、以前 私の知り合いの役者を生業としていたかたが梶芽衣子さんとお話しした事があるそうで、素の梶芽衣子さんは さそりシリーズの松島ナミの人物像とは真逆の性格で、とても明るく気さくであっからかんとした ケラケラと良く笑うかたなのだそうだ。
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夜の重機 [写真]

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黄色い重機が解体された家の黄色い一部(これが家のどこの部分かは不明)を掴んだところでその日の作業は終了となったらしく、夜 作業員さんがいらっしゃらなかったので撮らせていただきやした。
遠近感・迫力が出れば と、真正面の低い位置から撮ってみやした。
加工は、ほんの少しだけ明度を上げ、どんより闇夜に溶け込んでいたのを浮き上がらせやした。

少し前に「割れた鏡」というタイトルの写真を公開しやしたが、今回の写真は、それと同じ敷地で別の日に撮ったものでやす。
なので、場所は、都内杉並区・西荻窪の住宅街、あっしんちの近所でやす。

あっしんちの近所、あっしが越してきた二十年前は、古くて大きな一戸建ての多い住宅街だったのでやすが、代替わりか家の老朽化か、まあそんな理由なのでやしょう、あちこちで次々と建て替えが行われてやす。
そして新たに建つのは、それまでと同じ大きさの家ではなく、白くて小洒落た三十坪くらいの建て売りがニ、三棟かアパート。

商店街が、一つ また一つと店が入れ替わって様変わりしてゆくように、住宅街もこうして徐々に変わってゆきやすね。
人様がご自身の土地に何を建てようが、勿論それはその方の自由なんでやすが、古い住宅街が好きなあっしとしては、ちょっと寂しいものがありやす。



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