映画「ゲンセンカン主人」 [感想文]

20191231_182518.jpg

先日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて「石井輝男監督特集」が催されるというので、私の胸は期待に躍った。
何故なら「ゲンセンカン主人」が、必ず上映スケジュールに組み込まれているに違いないと 察したからである。

あんのじょう、あった。
「ゲンセンカン主人」(1993年制作)。日本劇映画史上に遺り続ける大傑作だと惚れ込んでいたものの、これまでVHS時代に家庭で観たきりで、いつか劇場上映される折りには是が非でも足を運ぼうと切望し続けていた作品だからである。

つげ義春原作の漫画「李さん一家」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「池袋百点会」を、ちょっと凝った入れ子構造のオムニバスに仕立てて、つげ先生を彷彿とさせる漫画家およびそれぞれの話の主人公を 佐野史郎氏が演じ、ラストに つげ先生ご本人も登場し、役者陣に「この映画、いかがだったでしょうか?」と問われ 照れられて、それから つげ先生一家が李さん一家そのままに「李さん一家」の二階から顔を出して了 となる作りである。

先ず「李さん一家」であるが、鳥と話しが出来るという奇妙な貧しい男・李さんとその妻子が、図々しくも 主人公宅の二階に住み着き、主人公を困惑させる日々の物語であるが、そのどれもが破天荒で 観客の笑いを誘わずにはおれない。
中でも 李さんの奥さんの、無表情でありながらも非常識な行動が、ユーモラスである。

次に「紅い花」。
山に 親もなく貧しく暮らす少女の初潮を紅い花に例えた 叙情的一編。
川辺に落ちている紅い花々 川を流れる紅い花々 ラストショットで丘の傾斜いっぱいに風に揺れる紅い花々が、実に美しく、戸惑い 哀しさ 安堵 愛 を象徴している。

三話目は、メインタイトルにもなっている「ゲンセンカン主人」。
ゲンセンカンという宿屋の耳と口の不自由な女将と そこを訪れた主人公が、いい仲になってしまい、主人公はゲンセンカンの主人におさまった という過去を、ゲンセンカンの主人に瓜二つの男が知り、ゲンセンカンに向かう というシノプシスである。
ゆっくりと時間が流れるアングラ色濃いマチエールが、前時代的で圧巻である。

20191231_182518.jpg
四話目は「池袋百点会」。
売れない画家志望の主人公が、行きつけの喫茶店の 太宰かぶれの常連客に誘われて、銀座百点を真似て池袋百点を出版してひと儲けしようと目論むが、ずさんな計画は大失敗に終わり、太宰かぶれは一人逃亡する。
実は妻がいたという太宰かぶれの男の彼女であった 喫茶店のウエイトレスと主人公は、二人で男を探しに甲府へ旅に出る。
ラストシーンは、昇仙峡を巡る馬車に乗る二人。
彼女がついに泣き出した所で、画はロングになり ポコポコと山間をゆく馬車ののどかな景で完。
この話は、テムポ良くユーモラスに作られているのであるが、前述のラストショットが一層その空気感を盛り立てている。
又、ウエイトレス役の岡田奈々さんが、まさにつげ先生の漫画から抜け出てきたように 純粋でお人形さんさながらに可憐である。

そして最後に、作品全体から私が強く感じ取った事二つを簡単に綴りたい。
一つめは、石井監督は、つげ先生の漫画世界をみぢんも損なう事なく 忠実に再現しているという事。
キャスティングも、一人も違和感を覚える事なく、画作りも、ワンショットワンショットの構図がキマっていて、細部に至るまで完璧である。

2つめは、主演の佐野史郎氏の演技のクオリティーの高さである。
私は佐野氏は好きな役者さんの一人なので、過去に二度ほど 舞台を観に行った経験もあるのだが、改めて 如何に名優であるかを突きつけられた。
氏は決して ハッキリした大づくりの目鼻立ちではないのだけれど、無言のショットの時、寄りの顔だけで 内から湧き上がる複雑な感情が手に取るが如く仔細に伝わってくる。
今さらながらに、感嘆の溜息が出ずにはおれなかった。

映画「ゲンセンカン主人」、二十年以上劇場上映を待ち続けた甲斐が十二分にあった。
つくづく非の打ち所のない達作だと 大スクリーン相応の大きさで胸に染み入った。
つげファン 石井ファン 佐野ファン 映画ファン 以外の全ての人にも観ていただきたい 解釈し易くも芸術性高い作品である。

20191231_182518.jpg

nice!(211)  コメント(32) 
共通テーマ:映画